“遠近に”染み渡るムード・ミュージックーーこの国の音楽シーンを支えるキーボーディスト、エマーソン北村による初フル・アルバム
キセル、JAGATARA、シアターブルック、MUTE BEAT……。挙げていけばキリがないほど、あらゆるバンド、シーンを彩ってきたキーボード奏者、エマーソン北村。多バンドでの数々の名演に携わってきた彼が待望のフル・アルバムをリリースした。リズム・ボックスとオルガン、シンセサイザーによるシンプルなセットを基に生み出される十色のルーツ・ミュージックは、まさに彼の音楽的背景を眺めているかのよう。レゲエ、ロックステディー、ジャズなど再構成したサウンドは、ヴィンテージ・ライクではありながら、彼独自のポップ・ミュージックに仕上がっている。
今回は“音楽家”エマーソン北村のルーツと現在を繋げるなにかを探る、まさに“遠近”を巡るインタビューを行った。彼の音楽的活動履歴と、ソロ活動への信念に触れていただければ幸いだ。
エマーソン北村 / 遠近(おちこち)に
【配信フォーマット / 価格】
wav / alac / flac : 単曲 250円 まとめ購入 2,500円
mp3 : 単曲 205円 まとめ購入 1,851円
【Track List】
01. 時の話
02. 新しい約束
03. Two Friends
04. 10時の手帖
05. 下北六月
06. トロント・ロック
07. The Call-Up
08. 王冠
09. ニワ
10. 知らない家
11. 橋からの眺め
12. I've Grown Accustomed to Her Face
13. 夜中
14. 両大師橋の犬
INTERVIEW エマーソン北村
北海道時代から、JAGATARA、MUTE BEATへ
1982年
札幌でバンド「Para-Phrase」に参加。
JAGATARA(当時、暗黒大陸じゃがたら)のツアーに現地スタッフとして関わる。
1985年
東京でPara-Phraseなどのバンド活動を開始。
ーーでは、エマーソンさんに過去の参加LP、CDなど膨大な資料を持ってきていただきましたので、こちらから歴史を振り返ろうと思います。少し紹介をお願いしてもよろしいですか?
エマーソン : はい、こちらが年代的には一番古いです。僕が札幌で参加していたPara-Phraseというバンドがあって、85年にそのままバンドで上京したんですが、地引雄一(※1)さんが設立したテレグラフ・レコードのコンピに収められたんです。当時僕ファンでした。
※1 : 1978年に巻き起こった日本のパンク・ムーブメント「東京ロッカーズ」の始めから、カメラマン、マネージャー、イベンターなどの立場でシーンと深くかかわった人物。伝説的な雑誌『EATER』の代表でも知られている。
1987年
JAGATARAのサポートとして参加。
1988年
MUTE BEATに参加。のちにアメリカ・ツアーへ。
ーーその後JAGATARA、MUTE BEATでの活動になるのですか?
エマーソン : そうですね。Para-Phraseが活動休止したというのと、もともとファンでしたので、やるんなら彼らとやりたいなあと。
ーーいつ頃から参加しました?
エマーソン : 僕が参加したのは88年からですけど、知ってるのは82年からで、参加した時間よりファンであった時間のほうが長いんですよ(笑)。正直やってた時は必死だったので客観的に見れなかったんですけど、今でもどこかでファンとしての気持ちがあるので、自分が外から見てどうだったのか、今でも聞いてみたいんですよ(笑)。
代々木チョコレートシティでの活動と出会い
1989年
ライヴハウス〈代々木チョコレートシティ〉のスタッフとなる。
その仲間達で、レーベル〈NUTMEG〉を開始。
sakana、須永辰雄、ECD、キミドリ、めいなco.、高田渡などあらゆるシーンに影響を与えているミュージシャンと関わる
1990年
JAGATARA、MUTE BEAT、相次いで活動休止・解散。
ーーJAGATARA、MUTE BEATの活動が止まったあたりからの活動を教えてください。
エマーソン : 代々木チョコレートシティというライヴハウスがありまして、設立当初からPAとして働いてました。そのなかで生まれた、〈NUTMEG〉というレーベル作品のレコーディングが深夜のライヴハウスで行われてたので、エンジニアもやっていました。素人同然なのですが。
ーーどんなアーティストを扱ってたのですか?
エマーソン : ジャンルは本当に色々で高円寺なロックから初期のヒップホップ、レゲエ、はたまたフォークからフリージャズと本当に色々で。個性的な人ばかりでした。
ーー本当に様々なかたと関わったのですね。
エマーソン : はい。でも個人的なことで言うと、JAGATARAとMUTE BEATが不意に終了したあとだったので、ここしか居場所がなかったんです。またチョコレートシティでやる音楽が、ロックのみならず様々なジャンルだったので、ちょうどその時の自分とフィットしましたね。
1990年
〈NUTMEG〉から初のソロ作品として 7inch アナログ 『Shine A Light』 発表。
1993年
ファースト・アルバム 『California Soul』 発表。
<代々木チョコレートシティ>、〈NUTMEG〉が消滅。
エマーソン北村でのソロ活動へ
ーー(過去作のクレジットを見て)アーティスト名が本名で書かれておりますが…
エマーソン : JAGATARA、MUTE BEAT時代は本名だったんです。
ーーいつから“エマーソン北村”に?
エマーソン : 初作品『Shine A Light』のジャケットを作る時に「せっかくだから笑える名前にしよう」となって。チョコレートシティの仲間達でキース・エマーソン(※2)がナイフでオルガンを弾いてる写真に僕の顔のアイコラをしていって遊んでたんです。
※2 : イギリスのプログレッシヴ・ロック・バンド<エマーソン・レイク&パーマー>のキーボード奏者。オルガンを壊すようなアグレッシヴかつ先進的なプレイで衝撃を与えた。
ーーじゃあキース・エマーソンから取ったと?
エマーソン : ……はい! すみません! そうなんです…。
ーーははははは(笑)。
エマーソン : だけどキーボード・プレイヤーとしてのスタイルも見事に違いますから、それをシャレにしていただこうかと…。
ーーなぜソロをやろうと思ったのですか?
エマーソン : やっぱりジャッキー・ミットゥ(※3)ですね。当時トマトスの松竹谷清さんやMUTE BEAT後期のドラマー、今井秀行君がチョコレートシティで“ナイスDJ”という名義でDJしてたんです。そのなかで、ジャッキー・ミットゥだったりスタジオ・ワン、70年代のいなたいソウルとか超初期のハウスをかけてる流れで、僕に「キーボード奏者ならこれを聴け!」と教えてくれたのがきっかけです。レコーディングされた音楽の作り方としてジャッキー・ミットゥに出会ったのはその時です。
※3 : ジャマイカのスカ・バンド、スカタライツのキーボード奏者として活動を開始。またボブ・マーリーやリー・ペリーなどをレコーディングしたレゲエの名門レーベル<スタジオ・ワン>での活動でも知られている。
ーーそれはいつ頃ですか?
エマーソン : 1990年ですね。
2001年
ソロの形態で、ASA-CHANG&巡礼ライブのサポート・アクトをつとめる。
2003年
ソロ作品として3枚シリーズの 7inch アナログを〈Basque〉から発表。
ーーソロ初作品『Shine a Light』から今までジャズ・スタンダードやソウル・クラシックを頻繁にとりあげられてると思いますが、それはエマーソンさんに昔から染み込んでいる音楽だからですか?
エマーソン : そうです。僕はいわゆる、中高生でロックに目覚めて楽器を手に入れる、みたいな道をまったく通ってないんですよ。電子オルガンを習ってたのですが、CM音楽とか、教材音楽などのムード・ミュージックやイージー・リスニング、今でいう“レア・グルーヴ”みたいなものが、リアルタイムにあったから染み付いてるんですね。
ーーなるほど。JAGATARA、MUTE BEAT時代、チョコレートシティー時代を経てソロになるわけですが、ソロの感覚ってどんなものなんですか?
エマーソン : JAGATARA、MUTE BEATでも、これからだと思ってた矢先に終わっちゃった。自分はJAGATARA、MUTE BEATの中で年下だったのですが、初期スカパラなどの、彼らに影響を受けて自分達でバンドを立ち上げた人々と同じ世代なんですね。でも僕はJAGATARA、MUTE BEATに参加しちゃったので、すごく微妙な立場だなあと(笑)。だから1から始めて、今のようなスタイルを提示していけば、自分なりの人の繋がりができるのではと思ったんです。逆に“エマーソン北村”という存在を使って誰かと誰かが繋がってくれてもいいわけだし、そうなれる方法の1つとしてソロがあると思ってます。
ーーバンドではなく、1人で曲にするという面でも頭の使い方が違うのかなあと思いまして。どんなことを表現したくて始まったのですか。
エマーソン : キーボード奏者としては、曲内での“ソロ”をばりばり弾くってわけではなく、むしろ他の楽器の影に隠れていたいぐらいのタイプで(笑)。でもなぜソロをやるのかというと、メロディーがない、トラックだけの音楽に向き合いたいというのと、反面でジャッキー・ミットゥのようにメロディー面でも最高なプレイヤーが好きという、2つの間で揺れを表現したいんです。いいメロディーに対してすごくコンプレックスがあるけれど、逆にそれでもインストでメロディーのある音楽をやるっていう。
ーーそれは歌詞がないからこそ、意識していることなんですかね。
エマーソン : めっちゃあると思います。音楽以外でも言葉はとても好きなので、逆に意識してしまいます。
伝わるものは伝わる
ーー今作について、資料には「2年ほど前、気持ちがかなりしんどくなった」と書かれていますが、なにがあったのですか。
エマーソン : 具体的にはMUTE BEATの松永さんが亡くなられたというのもあるのですが、徐々にどんなアイディアを出しても、全部カテゴライズされるような気がしてきたんですよ。僕の年代は“新しい”ことや斬新であることに価値が見いだされていたのですが、僕はそういうことから真っ向から反対してやってきたんです。「新しいとかどうでもいいじゃん」と思ってきた。でもどこかしらで、その“新しさ”を求めていたことに気付いてしまって。その矢先に松永さんが亡くなってしまったので、がっくりきたんですよね。
ーーなるほど。現在様々なバンドに参加されてますが、でもエマーソンさんをお誘いするっていうのは、新しい要素を求めているからお誘いするのではないかなあと思うんです。だからJAGATARA、MUTE BEATにもお誘いを受けたのではないかと。
エマーソン : それは初めて言われました(笑)。
ーー自身の思ってる以上に“新しいもの”をやるってことが支えになってたんですね。
エマーソン : 90年代のキラキラした音楽が流行ってた最中に、スカだ、STUDIO-ONEだってやってきたので、そういう新しさとは無縁でやってきたつもりなのですが、やっぱりどこかあったのかも。
ーーでもそこから抜けたことでの今作だと思うのですが、なにかきっかけがあったのですか?
エマーソン : 基本的にはあまり復活してないです(笑)。でも1つのきっかけとしては、片想いのライヴを観た時です。自分達の影響を受けたアーティストの名前を列挙する曲(「管によせて」)があるんですけど、そのなかに「Archie Shepp」(※4)の名前がが入ってて。アングラなフリー・ジャズのアーティストの名前が、活き活きとしたいい音楽をやっているバンドから出てきたのでびっくりしました! とても嬉しいと同時に、今の時代は、たくさんの音楽を知ってるかどうかはどうだっていいんだなぁ、と思いました。
※4 : アメリカのサックス奏者。主にフリー・ジャズの演奏で知られており、ジョン・コルトレーンのような力強いプレイが持ち味である。
ーーたしかにそうですよね。最近若い子達にインタヴューするとそれをよく感じます。自分達の場合は無理にじゃないですけど「昔の音楽要素もとりこんでるぜ」みたいな部分ありましたけど、今はそれがないですよね。すごく強さを感じる。
エマーソン : 結局は中身だとは思いますけどね。インターネットでもレコード屋でも結局は入り口であって、伝わるものは伝わるし、そういうことなんだとは思います。
ーー本作はオリジナルの中に2曲だけカヴァーがありますが、その曲を選んだ意図は?
エマーソン : 昔から録りためてたものから選びました。「The Call-Up」はイアン・デューリー(※5)の曲でMUTE BEATのこだま和文さんも好きだというのと、パンクとレゲエ、カリブ音楽、ダンス・ミューシックと歌ものを繫ぐ重要人物だと思うので。「I've Grown Accustomed to Her Face」はミックスもなしで、真っ正面からイージー・リスニングをやりたくて作りました。
※5 : イギリスのロック・ミュージシャン。イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズでの活動や大ヒット曲「Sex & Drugs & Rock & Roll」などで知られる。
ーー「知らない家」でもそうですけど、歩くことで色々考えたりしながら、アルバム制作に向かっていたりしましたか?
エマーソン : 曲が出来ないと散歩しますね。その「知らない家」は昔の記憶が重なってる感じですね。住んでいた北海道のススキノは、碁盤目のワンブロックごとに、綺麗な部分と危ない部分とせめぎあってるような街なので、歩いてても、音楽の感覚としてもそういう部分が楽しめるんです。
ーーこの曲のポエトリー・リーディングはどこから浮かんだのですか?
エマーソン : 歌詞で良い作品を出してるかたがたくさんいらっしゃるから、わざわざ僕がやる必要もないと思ってたんです。実はこの曲ECDにやってもらおうと思ってたんですよ。
ーーへえー!
エマーソン : ECDさんのラップももちろんなんですけど、普段の声がすごく好きで。オリジナルの作品を作る時は参加してもらおうと考えてたんです。でもECDさんに自分の声を吹き込んだデモ版を聴かせたら、「俺は全然いいけど、これはエマーソン自身がやったほうが絶対いいよ。」と言って頑として譲らなかったんです(笑)。
ーーははは(笑)。頑として。
エマーソン : 夜中に部屋の隅で小さな声で入れたんですけど、本番は歌詞が変わったのでデモを採用することが出来なかったんです。本番のほうは、自分で聴いても声が緊張してるのが分かる(笑)。
やりがいを持ち続けられることをやっていこうと思う
ーー今作はもともとどんなアルバムを作ろうと思ったのですか?
エマーソン : オリジナル中心にしようというのはもちろんなんですけど、もう1つは1発録り的なやり方をあえてやめて普通のダビング作業をする作り方でやろうと決めました。5年もかかっちゃいましたが(笑)。
ーーそれはなぜです?
エマーソン : 90年代にスタジオ・ミュージシャンとして、どんな音楽も出来つつちゃんと音楽的なものにするっていう時代を生きてきたので、あえてそれを避ける為に1発録り、リズムボックスでレコーディングしようと思ったんです。けど、そういう自分の中の演奏スタイルと対峙するには単に1発録りでは違うんだろうと思ったんですよ。でもダビングだとすごくかっちりするから、アナログ信号での同期方法でやってみたりとか。演奏も、他のレコーディングではあまり録りなおさないのですが、今回は自分でも笑うほど録り直しましたね(笑)。お前ぽっと出のバンドの子かよぐらい(笑)。
ーーそういう録り方にしたいと思ったきっかけの曲は?
エマーソン : 大体の曲がライヴで演奏出来るようになってから録音したのに対して2曲目の「新しい約束」と「Two Friends」はレコーディングする為に曲を作ってアレンジするっていう方式で作りました。あと1曲目「時の話」は、宅録やシンセが好きだった高校生の時の気持ちに立ち返って、とにかく無駄なダビングをしようと思い、作りました。
ーーエマーソンさんの中で音選びに関してなにかこだわりはありますか?
エマーソン : やっぱり音色は“リズム”だと思うんです。単品で試してる音でも、他の楽器と演奏したときのタイミング次第で、出てくる音は全然変わってくるし、それが積もり積もると音の印象として独自なものになっていくだろうと思います。例えば周波数のことっていうのは、誰でもわかるんですよ、音の高さとかシンセのフィルターが開くだとかの周波数の変化はどんな状況でもひっかかるんですけど、意外と気付かないのはタイミングの違いによる聴こえ方の違い、あと音量の違いはテクニックぽい話になっちゃいますけど。音的には工夫もあるんですけど、トラックを作るときの同期のさせ方とか、それに重なる音のタイミングとかは気をつけてるかも。
ーー最後に、2年前からの気持ちのしんどさは、今作のリリースによって変化しましたか?
エマーソン : アルバム完成して色んな方々に聴いてもらったり話したりしていい時間を過ごさせてもらってるなかで、その時のがくっとしたことがスパッと抜けると思ったのですが、あまりなかったですね(笑)。それはそれでいいんですけど、他の評価はなんでもいいから、自分がやりがいを持ち続けれることをやっていこうと思ってます。その点だけは間違いないです。
インタヴュー : 飯田仁一郎
文 : 浜公氣
写真 : 雨宮透貴
LIVE INFORMATION
エマーソン北村『遠近に(おちこちに)』発売イヴェント“THE FESTIVAL OF 遠近(おちこち)GROOVES!”
2014年10月15日(水)@梅田Club QUATTORO
出演 : TUCKER、Yossy Little Noise Weaver(YOSSY、icchie、武嶋聡、菅沼雄太、UMEKEN)、エマーソン北村、and more
時間 : OPEN : 18:00 / START : 19:00
料金 : 前売 ¥3,500円 / 当日 ¥4,000円(ドリンク別・税込み)
発売日 : 2014年8月2日(土)
2014年10月29日(水)@渋谷Club QUATTORO
出演 : TUCKER、Yossy Little Noise Weaver(YOSSY、icchie、武嶋聡、菅沼雄太)、エマーソン北村、and more
時間 : OPEN : 18:00 / START : 19:00
料金 : 前売 ¥3,500円 / 当日 ¥4,000円(ドリンク別・税込み)
発売日 : 2014年8月2日(土)
エマーソン北村ソロ・ワンマン・ライヴ
2014年11月25日(火)@京都 磔磔
RECOMMEND
松永孝義 / 「QUARTER NOTE」 - The Main Man Special Band Live 2004-2011(24bit/48kHz)
伝説的なダブ・バンド、MUTE BEATなどで知られる日本を代表する名ベーシスト・松永孝義。惜しまれつつの逝去した彼のバンド“松永孝義 The Main Man Special Band”の未発表音源をハイレゾでお届け。数多くのフォロワーを生んだ彼の、音楽家としてのヴァイブレーションが十二分に伝わってくる作品である。
キーボーディストYOSSYによるソロ・プロジェクトの傑作3rdアルバム。前作までのクールなエレクトロニカ・サウンドから一転、ダイナミックなリズムにカラフルな鍵盤の音色とポップな歌声がのるレイヤーは美しいの一言。ドラマーには坂本慎太郎のソロ作でも知られる菅沼雄太が参加。
>>YOSSY LITTLE NOISE WEAVER特集ページはこちら
鍵盤奏者フェルナンド・ヘルバルトが1974年に録音した唯一のリーダー作品。漂うローズに飛び交うムーグ、アルゼンチン・ジャズ最良の1970年代を代表する伝説の音源にボーナス・トラック2曲を追加したリイシュー盤。
PROFILE
エマーソン北村 80年代末にJAGATARA, MUTE BEATからスタートし、幅広い音楽力と見た目に似合わないコアな姿勢で様々なアーティストをサポートしてきたエマーソン北村。「エマソロ」は、そのアーティストとしての活動の略称だ。古いキーボードとリズムボックスだけで行なわれるその演奏は非常にシンプルで、手作り感満載の世界。しかしその中にロック・ステディから電子音楽まで、古いジャズからニュー・ウェイヴまで、自分が関わってきたあらゆる音楽のエッセンスを封じ込めては、独特の柔らかなグルーブで表現している。
今年夏にソロ名義では約10年ぶり、CDフォーマットでは約20年ぶり、オリジナル曲中心のものとしては初めての、ソロ・アルバムを発表する。