CD店に高級感漂うガラス張りの別世界のような一角が、クラッシック・ミュージックのコーナーだ。ポピュラー・ミュージックとはあまりにもテイストの違う高貴な佇まいに、近寄りがたい人も少なくはないだろう。元々大衆音楽だったクラッシック・ミュージックが、何故これほど他のミュージック・シーンから差別化されてしまったのだろうか? その高貴さ故か、誰もこのジャンルの楽しみ方を教えてはくれないし。そんな思いの中で出会ったOFFICE ENZOの嶋田亮。13〜21世紀の声楽アンサンブル作品のソプラノからバスまでの全声部(最大16声)を多重録音によって一人の声のみで演奏した松平敬の『モノ=ポリ』の素晴らしさ、そしてクラッシック・ミュージックの可能性を嵐のように喋る。「この人はおもしろい。」そう直感した筆者は、日頃持つクラッシック・ミュージックへの疑問を投げかけてみた? そのハードルの高さに、クラッシック・ミュージックを聞かずに遠慮してしまっている皆さんは必読。OFFICE ENZO嶋田亮に聞く。『クラッシック・ミュージックの楽しみ方!』
OFFICE ENZOのクラッシック・ミュージック
坂本龍一のピアノ作品をクラシック的な解釈で演奏。HQD(24bit 96kのwav)で是非!
ピアニスト渚智佳による坂本龍一作品集。本アルバムの特色として、名手渚智佳の堂に入った演奏が実に美しく 、坂本龍一の優れた作品集が発売された事を慶び、『Bridge』の重要性は、日本音楽史の頁を変える事態と断言したい。いずれ世界中で演奏されることとなろう。
Chika Nagisa play Ryuichi Sakamoto
『Bridge』
01. Ryuichi Sakamoto : Salvation from “RAW LIFE” 1999
02. hoon : hello my sweetie from “CBL” 2003
03. Ryuichi Sakamoto : Snake Eyes from “BTTB” 1998
04. Ryuichi Sakamoto : Bridge from “Music for Yohji Yamamoto Collection 1995” 1996
松平敬
モノ=ポリ part1(HQD Ver.)
平成22年度文化庁芸術祭レコード部門にて、優秀賞を受賞。13〜21世紀の声楽アンサンブル作品を収めたこのアルバムのソプラノからバスまでの全声部 (最大16声)は、多重録音によって一人の声のみで演奏されている。[2010年12月現在]
01. 夏は来たりぬ(夏のカノン)
02. アレ〈歌え〉ルヤ
03. ねんころりん、私は可愛らしい、上品な姿をみた
04. ローマは喜び歓喜の声をあげよ
05. 聖なるマリア
06. マドリガル集第6巻より 麗しき人よ、あなたが去ってしまうのなら
07. マドリガル集第6巻より ああ、なんとむなしく、私はため息をつくの
08. マドリガル集第6巻より 私は、ただ呼吸する
09. 8声のカノン BWV 1072
10. 心より愛します KV 348(382g)
11. めでたし、海の星
12. アヴェ・マリア
13. 分かれ道にて 《3つの風刺》 Op. 28より
14. 昔話 《居間の音楽》より
15. ルクス・エテルナ
16. モノ=ポリ
松平 敬その他音源
OFFICE ENZO嶋田亮インタビュー
――嶋田亮さんがクラシックを聴くようになったのはいつ頃ですか?
僕が小さい頃、家にアップライト・ピアノがあるのってステータス・シンボルの意味合いが強くて、あるからには習いに行きましょうという感じで、ピアノのお稽古に行く人の比率は今の人達よりも高かった気がするんですよ。なので、僕もヤマハの音楽教室なんか行ってバイエルぐらいは一応やりましたけど、その道を小・中・高と続けて究めようとは全く思いませんでしたね。中学生ぐらいから周りでギターを始めるやつが増えて来て、僕もそっちの方に行きました。僕らの世代が楽器をいじり出したのは、Wings U.S.Aライヴがリアル・タイムの76~9年頃で、その頃特にクラシックが流行っていたということはありませんでしたね。
――稽古には行っていたけれど、その頃はまだクラシックには目覚めてなかったんですね。
そうですね。その頃はまだラップとかヒップホップは影も形もありませんでしたが、ギター・ヒーローはまだ現役でいっぱい居ました。その頃ってLPで、ツェッペリンにしろイエスにしろ一曲が割と長かったんですよ。アルバムの中にストーリーを意識するようになったのは『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』を聞いてからですね。コンセプトが何か確立されているものでないと面白くないと思うようになりました。僕は色んな因果があってクラシックのレコード製作者になったけれど、発想としてはその頃憧れていたものが基本なんですよ。世に出てるクラシックのアルバムって、古典的なものを組み合わせて何ら脈絡のない曲を集めたものや、演奏者の得意な曲を適当に集めたものがたくさん出てるんですけど、そういうものを作る気は一切なくてですね。売上でThe Beatlesに敵うわけないですけど、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』とか『The Beatles(ホワイト・アルバム)』とかの存在知っちゃうと、せめて気骨だけは負けたくないと思いますね。
――その工夫がオリジナリティになると思うんですけど、嶋田さんの工夫っていうのは… 例えば松平敬『モノ=ポリ』のですよね。
これはコンセプトとしては、カノンという様式があるんですけど、それをめぐる千年の旅をアルバム一枚の中で表現しようというものです。
――それは嶋田さんがそういう提案をしたんですか? それとも松平さん自身で考えたんですか?
松平さんは元々付き合いのあるミュージシャンなんですが、アルバムを作るにあたって話し合った時に、やはりひとつコンセプトを立てようと。で、彼はクラシックと言ってもかなりコンテンポラリーに寄っていってる人で、あまりクラシック風の録音にこだわりが無いんですよ。
――クラシック風の録音というと?
ホールを借りて、シンプルなマイキングでやるのが普通なんですけど、今回は完全にスタジオでポップスと同じ手法で録音しました。今はツールズも発達したから、自分でコーラスを作っちゃえるんですね。でもそういうポップスでは普通にやってることが、クラシックでは邪道なんですよ。8人のために書かれているものなら、8人集めるところから始めるのが普通なんです。同時に同じ声が8人集まるっていうのは自然界ではあり得ないから、倍音が発生して、独特のシャープさを持った緊張感が出るような気がしたんです。で、そういうことをやってみようかと松平さんと話をしました。松平さんってクラシックでノーマルな歌手活動もされてる人なんですが、「レコード技術」という雑誌でレビューの執筆をしてるから文章も書けるし、DAWやフォトショップも自分で操作できるくらいPCスキルもある人なので、音源編集やジャケット・デザインも自分でやって、ライナーノーツも自ら執筆して、全部自分一人でやっちゃうってのは非常に現代的で面白いと思ったんですよね。それと、先ほど話したように彼の活動はコンテンポラリーが柱で、(カールハインツ・)シュトックハウゼンに大きな影響を受けているから、コンピューター音楽への造詣も深い。それで、何か無いかなっていうのを考えたら、カノンという様式があったんで、それでやってみようと決めた感じですね。
――このCDは、カノンという様式を使っているからクラシックに分類されるんですか?
そうですね、一応。ただ山下達郎とかエンヤのCDの横にあってもそんなに違和感はないんじゃないかと思います。
――確かに、ポピュラー・ミュージックの中にあっても違和感なさそうですよね。
映画音楽として使われたリゲティを選曲に入れるなどポップスが好きな人達が聴いても違和感がないようにというのは意識にあります。クラシック専業の歌手を8人集めても甚だ面白くなさそうなので、そんなことをするぐらいならむしろポップス路線を徹底して貫こうと。さらに都合が良かったのは、彼の本来の声域はバリトンなんだけど、合唱の指導者でもあるので、ファルセットの歌唱も使える人だったんですよ。合唱作品は色んな声域が入っているから、それを一人でやろうというのにこんなに適した人は居なかったと思います。本職のソプラノの人から見ても結構大変な音域が入ってるらしいので、すごい人です。
――『Bridge』の方はどういうコンセプトで作り始めたんですか?
こっちは、坂本龍一のピアノ作品をクラシック的な解釈で演奏しようというコンセプトですね。これは僕だけが企画した訳ではなく、他にプロデューサーの方がいらっしゃるんですけど、彼のきっかけとしては本当にたまたまだったらしいです。都内のクラシックのホールの一つである「すみだトリフォ二―ホール」という場所があるんですけど、そこがたまたま取れたのでさあ何やるか、というところから話が始まって、どうせやるなら普通のものではなく何か企画を立てようということで、坂本龍一の作品に行き着いたんです。この作品は元々アルペジオ音型は明らかにエレクトリカルな打ち込みで、その上に生ピアノが乗っかってる。他の音型も色々乗っかってて、それを採譜して、完全に一台のピアノのためのクラシック作品として再現しようと思いました。
――クラシック解釈というのは具体的にいうとどういう意味ですか?
簡単にいうと、お客さんの前で、アコースティックでやれる形態。そういう意味ではクラシック解釈という言い方も微妙なところがあるんですよ。2本の手で弾けて実演で再現できる形にするというのが、クラシック・アプローチと定義していいんじゃないかと思いますね。
――なるほど。
クラシックって昔だと間違いなく大衆音楽だったんですよ。それがどこからか大衆音楽から離れていった。それは良い事でも何でもなくて、やっぱりお客さんの前で演奏してなんぼのものだし、色んな形で新しいものが生まれて新陳代謝が起きないと、これからの世代の人に関心を持ってもらえなくなるんですよね。
――今まさにそういう状況が起こっちゃってますよね。レコード屋でもクラシックはきれいな部屋に仕切られて切り離されてる。年配の方しか行けない空気は感じてしまいますね。
「クラシックって何? 」って聞かれるけれど、実はそのカテゴライズ自体無くしたいからやってるところもあるんですよね。何かしら他のジャンルからも影響を受けてるし、逆に与えてもいるはずなんだけど、そのつながりが今ものすごく希薄になってしまっている。そこを何とか呼び寄せたいです。バロック時代より前、楽譜がちゃんと書かれていない時代の音楽だと、即興演奏がいっぱいあったはずなんです。バッハも即興演奏の後にそれを楽譜に残していたという説もあるぐらいで。ただクラシックというと楽譜に書いてあるものを再現する競争だから、全然知らない人が聴いても「どう違うの? 」っていう話になっちゃうんですよ。
――楽譜を再現する競争の中で、いわゆる「名演」って何がどう違うんでしょうか?
びしっと書きこまれている楽譜があって、その弾き方の微妙な違いだけって思ってる人が多いと思うし、僕もそう思ってたんですけど、時代によっては多人数のジャム・セッションみたいな即興演奏があったし、そういうところから新しい曲も生まれてきてるんですよ。だから結局のところ、あまりクラシックといっても他のジャンルと特別違うことをしているかというと、そうではないんですよ。書かれていることをきっちり再現できているかが重要なこともあるけれど、名演というのは感情の問題であって感銘の深さだとしか言えないから、楽譜の再現性の高さを尺度にすべきではないと思います。
――同じ曲、同じ演奏家の中で、普通のポピュラー・ミュージックを好きな人がクラシックを楽しむにはどこから入ればいいですか?
先ほどお話ししたように、僕が小さい頃習っていたピアノって全然面白くなかったんですよ。仲間とバンドで遊んでた方が楽しかった。何でクラシックに戻るきっかけがあったかというと、一曲だけ好きになったんですよ。ショスタコーヴィチというロシアの音楽家がいて、彼の交響曲5番の二楽章がラジオに使われてたんですね。三拍子なのに悪魔のワルツみたいな曲で、下手なヘヴィメタよりもパワーがあると思って、要は気に入った曲が一曲あればいいんです。他のジャンルを好きになる時と同じです。「おっ! 」と思った時に探究が始まる。
――無理に聴こうとしなくていい?
それは絶対そうです。クラシック音楽って敷居が高いイメージがあるから、理解しようと無理にしちゃうんですね。追求するか否かは自由意志だし、そこであんまり強制もしたくない。
――現在のクラシックって言葉は、どこからどこまでを指してるんでしょう?
すごく曖昧ですね。ベートーベンとかバッハとかモーツアルトとか、音楽の教科書に出てくる人たちは一応全部クラシックです。問題は戦後からこっちの人達なんですけど、多分活動してる形態で決まっちゃうのかな。例えば古典的な100人ぐらいのオーケストラのためにスコアを書いたら、どんなに曲調がロックだろうが何だろうが一応クラシックってことになるし、最近だと吉松隆さんというやたらロック好きなクラシックの作曲家がいるんですけど、その人がEL&Pの『Tarkus』をオーケストラのために編曲して、それもオーケストラという形態のために書いたらクラシックなんですよ。楽譜をきっちり書きこんでボーカル・アンサンブルのために書いたら、それは合唱という形態だからクラシックですしね。
――楽譜がかけるというのがクラシックの前提?
でも即興を指定する楽譜もあるし、あまりガチガチではない。大胆な言い方をしてしまえば見た目ですかね。猿臂服着てオーケストラの人がばーんと並んでたらクラシックですし、チェロの人とバイオリンの人とピアノと3人揃ったら曲がどんなにロックでもクラシックだし、それぐらいのことしか本当はないはずなんですよ。ただシステマチックな教育があるという、大学の教科になってるかなってないかとかその程度かな。
――一時期白いジャケットのCDがたくさん出てましたよね。これがクラシックだ! みたいな存在感を示してましたけど、レコード屋では普通のジャケットのCDがすごい小さな棚に置かれてる状況でしたね。
廉価盤のレーベルで、商法的にすごい成功したので似た様な事をやる会社が非常に増えたんですけど、僕は徹底的にアンチなんですよ。なんでかっていうと、バッハとかベートーベンなど作曲家でカテゴライズしちゃって、廉価で売る訳ですから、演奏にはそんなにこだわりがある訳ではない。とりあえず録音して作っちゃったら、あとは曲順組みかえたりしてまた売れる。クラシックだから演奏も古くならないしっていう理屈なんですよ。それは僕は間違いだと思ってて、クラシックというカテゴライズがあってたまたま同じ市場で勝負してますけど、創造性が欠けちゃうとおしまいだと思うんです。それは他のジャンルとなんら変わらない。そんなダサいことはしたくないんですよ。
――それは僕も全く同意見です! だから苦手だったんですよね。クラシックのコーナーのあの存在感が。
コレクターズ・エディションで例えばThe Beatlesの曲をボックスで集めるのは、アーティストに対するこだわりだからいいと思うんですよ。ただやっぱり「ベートーベンでございます」「モーツアルトでございます」で曲を脈絡なく集めたものを初めて聴く人に渡したところで、無茶なやり方でしかない。そりゃ無理ですよ。演奏にしたって、ねえ。
――そこですよね。あれだけの曲が揃って演奏が最上級だったら何の問題もないですよね。
クラシックの世界には今悪い習慣がいっぱい出来ちゃってて、音楽の中での比率も下がってきちゃってるんですよ。何が悪いのか色んな人と話すんですけど、最初に新録してもその時にそんなに数は出ないから、その後組みかえたり、コンピレーションに入れたり、脈絡なく使い回してもオッケーみたいな風になってきていて、そういうのがあるから盛り上がらないんだろうなというのは、僕の中にあります。
クラシックしか聴かない人と僕が組むことはないでしょう。
――話が少し変わります。録音に関してなんですけど、クラシックでいう高音質についてどう思いますか?
クラシックとかジャズってわりと高音質の素材に使われやすいんですよね。多分、あまり加工してない音楽というイメージが強いからだと思うんです。確かに録音の歴史が始まる前から存在しているジャンルではあるので。元々は楽譜も録音の代わりでしかなくて、それを一種のパブリシティとして練磨していっただけで、実際録音する時にしてもほとんど楽譜通りの状態のものを録音するというのがクラシックの中で何となく定義されている所があって、つまり変にスタジオ入って後からエフェクトかけたりするというのはほぼ無いのが前提だから、素材として生に近いという理屈なんでしょうね。ここから先は僕個人の意見になるんですけど、そういう事を言ってるから駄目なんだって(笑)。ある程度の事はポップスと同じ尺度でやらなきゃだめだと思います。例えば今作の『モノ=ポリ』にしても、エフェクトかけないと音楽にならないんですよ。でもそれはそれでいいと思う。
――今、クラシックの現場の方は落ち込んでますか?
決して良い状態では無いですね(笑)。
――ポップスでは、ちょっと前まではレコードが売れた人のライヴには人が集まるし、その逆でライヴが盛り上がればレコードが売れるという流れがありましたが、やっぱりクラシックの音源がなかなか売れなくなっているということは、コンサートでもあまり人は集まらなくなってしまっているんでしょうか?
ある意味これも他のジャンルと同じところがあって、あたる人は今でもわーっと売れたりとかはあるんですよ。でも日本の場合、それがすごく偏っちゃってますね。最近実力だったり音楽の面白さで売れる例が非常に少ないんです。ルックス系とストーリー系しか商売にならない。
――ストーリー系?
アーティストの話題性っていろいろあるんです。目が見えないなど肉体的なハンディも、ともすればコマーシャルな話題として使われてしまったりする。でも予備知識なしに聴いて演奏で勝負できるかどうかは本来は別の話。売れるからってそういう方向には走りたくない。それよりも1枚のアルバムに込めるストーリーや流れを重視したり、選曲に工夫を凝らしたりしてると、僕等のようなマイナー路線に走っちゃうんですよね(笑)。
――ポップスは、色々なミックスを加えて生ものとしてのライヴとは違うものを生み出すことが録音物で出来ますよね。しかしクラシックの場合は、可能な限りライヴを忠実に再現するというのが録音物としての意義じゃないですか。それって、録音物は永遠にライヴに勝てないんじゃないかと思うんですけど、どう思いますか? クラシックにおいて、録音物の可能性はあるんでしょうか?
僕は、ライヴじゃ出来ないようなことをする録音物がクラシックにもあっていいじゃないかと思うんです。でもなかなか皆さんしないですよね。それは、良くも悪くも楽譜というものに縛られ過ぎているせいかと。クラシックって、プロになるまでの道が決まっちゃってるんですよ。小・中・高で稽古に通って、よくないことに諸悪の根源である音楽大学なんかに行っちゃって、お偉い先生にああだこうだ言われて、さらに悪い事に、コンクールに出てしまうんです。そこで賞をとることがプロとしてやっていけるかどうかの分かれ目になってくるんだけど、このコンクールというものがまた非常にくせ者で、演奏が楽譜通りの枠にちゃんと収まっているかどうかというのがかなり重要な審査の対象になっている。だから個性的な人が受かることはなかなか無いし、演奏も画一化されていってしまう。そういうのが、クラシックの中の閉塞感を育てている要因だと思いますね。でももうシステムになってしまったので、それを壊すのはなかなか大変。
――そういう閉塞感のあるクラシック界の中で、今後どういうことをやっていきたいですか?
コンクールに入選した人の中でも、本当はこういうことをしたいんじゃないって人は実はたくさん居るんですね。そういう人達とどこまで出会えて組めて、良いものを残せるか。とにかくクラシックしか聴かない人と僕が組むことはないでしょう。
――それはなぜでしょう?
日本の作曲家で武満徹さんという方が居るんですけど、ポップ・ソングをクラシックのスタイルで書いているものと、ポップスとして書いているものがあって、ポップスの方は色々な歌手に歌われているんですけど、クラシックのプロデューサーが作っているから枠から抜けきれていない感じがするんですよね。それを今まで誰もやったことのない方法で実現したいなと考えています。でもそれに一緒に関心を抱いてくれる人達が、もうクラシックのフィールドにはあまり居ないと思うんですよね。そうなると出会いの問題だから難しいところもあるんですけど。
あと、純邦楽。尺八、笙、琵琶や三味線などのための作品って、あまりにも工夫が足りなさすぎるんですよね。録音してみればわかるんだけど、どの楽器もすごい迫力を持っているのに、世間で知られている曲は緊張感が抜けすぎちゃってる。それを自分なりにアレンジしたいなと思うんですけど、模索してもまだ難しいですね。純邦楽の若い演奏家と何度か話をしたんですけど、まだ一緒にやりたいと思える人には巡り会えてないかな。純邦楽に関しても、ポップス・アレンジに琴や尺八が乗っかってるだけみたいな芸のないことは絶対やりたくない。コンセプトを立案して、日本的なものを録り込んだアルバムを作りたいです。それがクラシックと呼べないものだとしてもね。録音技術にしたって、生で再現できなくてもいい。選択肢は増やしていきたいと思うんですけど、同調してくれる人は今のところ少ない。まだまだ厳しいですね。
インタビュー&文 : 飯田仁一郎
OFFICE ENZO PLOFILE
平成18年10月設立。運営レーベルはENZO Recordings、bravissimo!、Anthonello Modeの3つ。
平成21年度音楽之友社レコードアカデミー賞録音部門賞、及び平成22年度文化庁芸術祭優秀賞を受賞。
OFFICE ENZOのリリース作品はこちら>>>1、 2
PLOFILE
渚 智佳
グランプリ受賞。第46 回全日本学生音楽 コンクール全国大会高校の部第1 位。第17 回園田高弘賞ピアノ・コンクールにて第1位・ 園田高弘賞を受賞。第6 回コンセール・マ ロニエ21 にて第1 位。 幼少よりヤマハ・ジュニア・オリジナル・コン サートにおいて自作曲を発表、ウィーン楽 友協会大ホールで演奏するなど海外公演に も参加。現在でも、演奏活動の中で作編曲 を手掛けたり、即興的パフォーマンスを行 うこともある。
各地でのリサイタルや室内楽のほか、これ までに東京都交響楽団、大阪シンフォニカー 交響楽団、チェコ・フィルハーモニー八重 奏団、ドイツを代表するトランペット奏者 U. コミシュケ氏など内外のアーティストと 共演。作曲家B. スターク氏の新作初演を多 数行い、2006 年には同氏のピアノ作品を演 奏したアルバム「Muse」がアメリカにてリ リースされた。全音ピアノ教則本CD シリー ズ(フォンテック)では「ハノン」「ツェル ニー40 番」「ソナチネ・アルバム1」「ソナ タ・アルバム1・2」など録音多数。
コンセール・マロニエ21 の各部門優勝者 にて結成したトリオ・ラ・プラージュでは、 室内楽はもとより、子どもたちのためのコ ンサートにも力を注ぎ、お話を交えながら、 独自の編曲によってオーケストラ作品を演 奏、またオリジナルの物語作品の作曲も手 掛けるなど、ユニークな活動を行っている。 東京音楽大学付属高校ピアノ演奏家コース を経て、同大学同コース卒業。東京藝術大 学大学院修了。これまでに、小林志那子、 竹尾聆子、田村宏、神野明、岡田知子の各 氏に師事。ヤマハ・マスター・クラス演奏研究 コースなどにおいて後進の指導にあたる。 練馬区演奏家協会会員。
松平 敬