2011年10月31日渋谷CLUB QUATTROライブ・レポート!
2011年10月31日、渋谷CLUB QUATTRO。シブヤは炎上していた。その発火点となったのは透明雑誌。台湾の4ピース・ギター・ロック・バンドである。モッシュとダイブが起こり、ただならぬ歓声がわき上がる満員のフロア。その輪に身をおきながら、僕は運命を感じないわけにいかなかった。1999年10月、この場所で「シブヤは炎上するか? 」と語りかけたのは、他ならぬNUMBER GIRLの向井秀徳だった。約10年越しに、あの時の興奮を目撃している。目の前で、そんなデジャブを演出している台湾からやってきた普通の若者4人組に、僕は心の高鳴りをおさえることができなかった。
言うまでもなく、透明雑誌はNUMBER GIRLからの影響を色濃く受けたバンドだ。どう考えてもバンド名は「透明少女」からの引用だし、「性的地獄」という曲名だって「性的少女」を連想しないわけにいかない。もちろん、PIXIES、SONIC YOUTH、WEEZERなどのUSオルタナティヴロックの要素も沢山引用されているが、彼らと僕らを繋ぐ一番大きい要素はNUMBER GIRLといってもいいだろう。少なくともこの日、我々を結びつけていたのは、NUMBER GIRLが1999年に同会場で行ったライヴを収録したCD『シブヤROCKTRANSFORMED状態』だった。
歓声の中、透明雑誌が鳴らした1曲目は「夜明け晩餐」。まさにNUMBER GIRLの「EIGHT BEATER」だ。惜しげもなくNUMBER GIRLへのリスペクトを表したこの曲は、『シブヤ~』の幕開けと全く一緒である。それを皮切りに、フロアの盛り上がりは加速していく。4曲目「ANORAK」が鳴った瞬間、それまでの会場の温度がさらに上がり、ダイブで人が飛び交う。その後、恥ずかしそうに新曲をやりますと言って披露したのが「透明雑誌FOREVER」。まったく気取らないタイトルを言ってのける姿に観客はより親しみを覚え、ヴォルテージは加速していく。「彼氏がいない女の子と、彼女がいない男の子の曲です」と言って始めたのが、彼らの代表曲「性的地獄」。モッシュというよりも、ピョンピョンと飛び跳ねながらお客さんたちも踊っている。「YOUNG HEART GUITAR」を挟み、ラストは疾走感たっぷりの「時速160kmのギター、ベースとドラム」。盛り上がりは最高潮へ。溢れんばかりの拍手の中、アンコールで再登場した4人は、片言の日本語で会場を笑わせ、ミドル・テンポな「世界はやはり滅びたらいい」を演奏して、同公演は終了した。
この日、ヴォーカルの洪申豪は、PIXIESの「Caribou」やSMASHING PUMPKINSの「1979」などのギター・リフを所々で弾いていた。その度に、より強い親近感を覚えずにはいられなかった。最初にデジャブと書いたけれど、僕は1999年のNUMBER GIRLのライヴを見ていない。地方に住んでいた僕は、そのCDを何度も何度も聴いて、現場を想像するしかなかった。そして東京に出てくる前に、彼らは解散してしまった。だから言葉や国の違いこそあっても、透明雑誌と僕は同じ立場にある。『渋谷~』だけでなく、聴いてきた音楽もとても似ている。WEEZERやNirvana、PIXIES、TELEVISION、FUGAZI、そして90年代の日本のメロコアまで。
透明雑誌が共感を得ているのは、単にNUMBER GIRLのフォロアーだからという理由だけではない。日本に住む我々と同じように、海外のギター・ロックやパンクを聴いて、それを自分たちなりに想像して、全力でやりきっていることが支持を得ているのだ。いつの間にかNUMBER GIRLは大きな存在になり、若いバンドは如何に彼らと違う部分を鳴らすかを気にしすぎるようになってしまった。台湾という地理的なことこそあれ、そうしたことを気にせず、全力でやりきる。その突き抜けた気持ちが、バンドに勢いを与え、透明雑誌を輝かせているのである。
また、透明雑誌のメンバーは、でぶコーネリアスなど日本のバンドを台湾に呼んだり、日本のインディー・バンドとも結びつきが深い。今年8月の来日公演をサポートしたのは、V/ACATIONやフジロッ久などのバンドマンたちだった。それに応えるように、洪はライヴでV/ACATIONのキャップをかぶって、彼らの名前を叫んでいた。そうしたバンド同士の結びつきも、透明雑誌の魅力の一つであることをぜひ知ってほしい。
ライヴ前に取材をしたとき、彼らは「毎回、最後のライヴだと思ってやっている」と語っていた。日本よりもずっとマーケットの小さい台湾でバンド活動をする彼らにとって、それは切実で本当の気持ちなのだろう。しかし、彼らは決して悲観的な顔をしない。バンドに終わりがあっても、音楽を好きであることに終わりはないでしょ? そんな笑顔を見せて、日本のバンドの話をし始めた。透明雑誌がどういう未来を辿るのかは分からない。しかし、彼らが鳴らしているこの瞬間の音は、どこまでも純粋で、迷いのない音楽であることに疑いようがない。(text by 西澤裕郎)
透明雑誌 / 僕たちのソウルミュージック
台湾版ナンバーガール!? 台湾の4ピース・オルタナティブ・ロック・バンド、透明雑誌。Pixies、Weezer、Sonic Youth、Superchunk、Cap’n Jazz、そして日本ではナンバーガールからの影響を公言する彼等の初期衝動に満ち満ちた魂を揺さぶる甘酸っぱい青春の破壊音!! これが、僕たちのソウルミュージック!!!!
01. DE FITTED BEAT / 02. ANORAK / 03. 時速160kmのギター、ベースとドラム / 04. 性的地獄 / 05. SOUL BLAST / 06. 九月教室 / 07. 夜明け晩餐 / 08. 師大公園裏司令 / 09. 時にお前の顔に一発殴りたい / 10. ILLMAGA / 11. 少女 / 12. 僕たちのソウルミュージック / 13. YOUNG HEART GUITAR / 14. 世界はやはり滅びたらいい / 15. 夜明け晩餐(EP version) / 16. 君は僕が見た自殺回数最も多い女の子 / 17. DICTATOR GIRL / 18. YOUNG HEART GUITAR(EP version)
透明雑誌インタビュー
ーー現在の台湾で、透明雑誌はどういう立ち位置にいるバンドなのでしょう。
僕たちは、DIYバンドです。以前、僕(洪申豪(Gt./Vo.))と唐世杰(Dr.)で、Fall of this conerというハードコア・パンク・バンドをやっていたんですけど、台湾ではパンクロックは全然相手にされなくて、2枚のEPと1枚のスプリットを出して終わってしまいました。その後、何か新しいことをやりたいと思って、5年前くらいに透明雑誌を始めたんです。当時、唐と張盛文(Gt.)の2人でChngin recordsというレーベルを始めていたので、そこからCDを出すようになりました。なので完璧にインディーズです。台湾でメジャーになるのは相当難しいと思います。
ーー台湾でよく聞かれているポピュラーな音楽というのは、どういうものが多いんですか。
台湾でメジャーなのは、Kポップやヒップホップです。あと、カラオケの人気がすごくあるので、カラオケで歌えるようなスローなラブ・ソングが人気です。ロックはポピュラーじゃなくて、有名といわれるメジャーなロック・バンドは5つくらいしかありません。
ーーその中で、あなた達はなぜロックを選んだのでしょう。
10年前に、台湾でKapitalism recordというDIYレーベルが始まったことがきっかけです。アメリカや日本、ヨーロッパから、エモ、ロック、ハードコア、ヒップホップ、フォークなど、色んなジャンルの音楽を仕入れていました。そのオーナーの姿勢がすごく格好良かったので、みんなで彼を手伝うようになりました。そこからいろいろ聴いたり、学んだり、売ることなど、レーベルのことも学んでいきました。
ーーみなさんは日本のバンドのこともよく知っていますが、Kapitalism recordがきっかけになっているんですね。
そうですね。アメリカのレーベル、Asian Man recordsがアジアの音楽を沢山取り扱っていて、それをKapitalism recordが取り扱いはじめたことで、聴くことが増えました。女性パンク・バンドのSOFTBALLや、POTSHOT、KEMURIなどをよく聴いていました。
ーー透明雑誌はNUMBER GIRLと比較されて語られることが多いですが、バンドを始めるきっかけとしてNUMBER GIRLの存在は大きかったですか。
それはもちろんです。透明雑誌を始めたときの最初のアイデアとして、PIXIESやNUMBER GIRLみたいな曲をやりたいという考えがありました。パンク・ロックだけじゃなくて、もっと色んな音楽をやりたいと思って始めたんです。透明雑誌という名前もNUMBER GIRLを意識しています。最初は「IGGY POP FANCLUB」をバンド名前にしようと思っていたくらいNUMBER GIRLが好きだし、IGGY POPは神のような存在です(笑)。
ーー透明雑誌をやっていく中で、台湾のインディー・ミュージックにも変化が見られましたか。
Fall of this conerをやっていた5年前は、お客さんが15人くらいだったのが、今は100人くらいまで動員が増えています。それは透明雑誌がいいっていうだけではなくて、10年前から台湾のインディー・シーンが変わってきているということでもあります。色んな企業が参加したり、お金が絡んだりして、若い人たちもアンダーグラウンド・シーンの音楽を聴くようになってきています。
ーーKapitalism recordのやってきたことが浸透してきたということもありますよね。
そうですね。インディ・シーンだけでなく、全体のロック・シーンもKapitalism recordが変えたと思います。残念ながら7年前になくなってしまいましたけれど、日本のバンドのENVYを初めて紹介したのもKapitalism recordで、今台湾ではすごい人気なんです。
ーー張さんと唐さんは、現在「waiting room」というレコード・ショップを運営されていますが、インディペンデントで音楽を発信していくことだけで、生活することは出来るのでしょうか。
インディの音楽だと絶対にお金は作れないと思っています。ちょっとは食べていけるかもしれないけど、大きな家や車を買ったり、家族を養うためには他のパート・タイムの仕事が必要です。
ーーそうした厳しい中でも、音楽を続けている原動力はどこにあるのでしょう。
僕(唐世杰)個人の意見としては、台湾はすごくつまらないからやっています。お店をやることに関しても、ただ好きだから、楽しいからやっています。他にやることもないし、僕たちの一番の興味は音楽で、音楽が大好きだからやっています。僕たちは他の仕事もやっているけど、音楽しか好きじゃないから、他にどこにお金を使っていいかわからないんです。だから自分の仕事で稼いだお金を音楽に回しています。
ーーでは、最初から日本や海外でライヴをしようと思ってやっていたわけではないんですね。
全然思っていませんでした。毎回、これが最後だと思ってやっています。京都がすごく好きなんですけど、もう二度と来れないかもしれないと思いながら来ています(笑)。
ーー台湾のインディペンデントな音楽環境を変えていきたいと思いますか。
それが届くかはわからないけど、自分の好きなことをみんなと分かち合っていけば、少しずつ変わっていくんじゃないかと思います。僕(洪)は変えたいと思っているけど、薛名宏(Ba.)は無理だと思っているみたいです(笑)。
ーーなぜ、そう思うのでしょう。
彼(薛)はリアリストなんです。僕たち二人とも貧乏で、同じシチュエーションなんですけど、誰かや世界を変えたいという気持ちは本当は全然なくて、ただ僕自身のためにやっています。音楽が好きで、ステージ上で楽しみたいからやっているだけなんです。お客さんが気に入ってくれたら嬉しいけど、そうでなくても別にいいんです。Kapitalism recordみたいに、何年か経ったときに、いつの間にか周りがインスパイアされていればいいなと思います。それがDIYのスタイルだと思って僕たちはやっています。
インタビュー : 西澤裕郎
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透明雑誌プロフィール
台湾で2006年に結成された、洪申豪(Gt./Vo.)、唐世杰(Dr.)、張盛文(Gt.)、薛名宏(Ba.)による4ピース・オルタナティブ・ロック・バンド『透明雑誌』。Pixies、Weezer、Sonic Youth、Superchunk、Cap’n Jazz、日本ではNUMBER GIRL等からの影響を公言している。
2011年7月13日、ファースト・アルバム『僕たちのソウルミュージック(原題:我們的靈魂樂)』が、2007年に完全自主制作で販売されていたデビューE.P4曲を追加した日本限定仕様盤としてリリースされ、オルタナティブ・ロック・シーンからの注目をさらに集めている。