はてなキーワード: 秘密とは
先週末のことだ。何気なくネットサーフィンをしていたら、「ある特定のコマンドをブラウザ上で入力すると、増田に隠された“裏技”が見られるらしい」という噂を目にした。いわゆるイースターエッグのようなものに違いない。私はこういうちょっとした秘密を見つけるのが大好きで、子供の頃からファミコンやスーパーファミコンの裏技を片っ端から調べては試してきたものだ。しかもそのコマンドが、かの有名なゲームで使われていた伝説の“あのコマンド”らしいというのだから、ますます興味が湧いてしまった。
昔、アクションゲームを遊んでいた人ならきっとピンとくるだろう。そう、「↑↑↓↓←→←→BA」という、世界で最も有名な裏技コマンドの一つだ。あのコマンドを入力すると何らかの変化が起きるというのは、レトロゲームファンならお馴染みの話だが、それが今になって、よりにもよって増田のブラウザ表示画面に仕込まれているというのだ。これは確かめるしかない。
私は興奮半分、不安半分のままブラウザを開き、増田のとあるページを表示してみた。見慣れたUIがそのままそこにある。まずは落ち着くためにコーヒーを一口飲み、何が起きても対応できるように準備を整える。次にキーボードを握りしめ、いつもの“あのコマンド”を試しに入力してみた。――「↑↑↓↓←→←→BA」。入力し終えた瞬間、私は思わず画面に目を凝らす。しかし、最初は何も変化がなかった。
「噂はデマだったのか?」そう思って肩を落としかけたとき、ふいに画面の右下あたりからポップアップのようなものがひょっこり飛び出してきた。ポップアップといっても、一般的な広告バナーではない。まるで小さな吹き出しのようなウィンドウがすっと現れて、そこに何か短いメッセージが書かれているではないか。そこにはこうあった。
「よく気づいたな、ゲーマーよ。さあ、次はどこへ向かう?」
突然現れたメッセージにドキリとしたのと同時に、テンションが一気に高まった。たしかにこれはイースターエッグだ。おそらく製作者が遊び心で仕込んだものに違いない。しかもそこには、もう一度そのコマンドを入力したくなるような不思議な言葉が並んでいた。私は思わずもう一度同じコマンドを入力してみる。すると、今度は背景の色がほんの少しだけ変化して、上部のタイトル部分に謎のアイコンが一瞬だけ点滅してみせたのだ。
これだけでは終わらない。さらなる驚きはその後やってきた。なんと、裏技入力の累計回数によって表示されるメッセージや画面の演出が変わる仕組みらしい。たとえば5回目に試すと、最初の吹き出しのテキストがちょっと違った文言に変わっている。10回、20回と回数を重ねるうちに、背景やアイコン、あるいはリンクの色までもが段階的に変化していく。しかも、その変化はちょっとしたジョークやパロディ要素を含んでいて、見るたびにクスッと笑えるような仕掛けになっているのだ。
ここまで見せられると、裏技というよりもはやアトラクションのようで、ユーザーを楽しませるための“おもちゃ”と言ってもいいかもしれない。いったい誰がこんな裏技を組み込んだのかはわからないが、少なくとも普通にページを使っているだけでは絶対に気づかない。ゲームの秘奥を突き止めるかのように隅々まで調べ、あの伝説的なコマンドを試してみた人だけが知ることのできる特別な体験だ。ネットの深いところには、まだまだこんな遊び心に満ちた宝物が眠っているのかもしれない。
さらに面白いのは、この裏技の存在を確かめようとした人たちが秘密めいたコミュニティを作り出している、という事実だ。実際にSNSを覗いてみると、増田の裏技について呟いている投稿が散見される。あくまでオープンな場所に書かれているのだが、なぜか詳細を語る人は少ない。みんな口をそろえて「自分で見つけてほしい」「ネタバレはしない」とだけ言うのだ。それはまるで、かつてのゲーム雑誌が見つけにくい裏技についてあえて濁して載せていたような、わくわく感を煽るやり口に似ている。
こんなふうに、誰もがアクセスできるウェブ上でありながら、あえて多くは語られない秘密が隠されているのは実にロマンがある。普通にインターネットを使っているだけでは見えてこない小さな仕掛けが、実は潜んでいるかもしれない――そう思うだけで、私たちはほんの少しだけ“探検者”になれる気がしないだろうか。
もっとも、裏技を発見したからといって実利があるわけではない。ゲーム内の隠しコマンドとは違って、新しいモードが解放されたり、アイテムを大量にゲットできたりするわけでもない。しかし、誰も気づかないかもしれない秘密を突き止め、その証拠を見届けるという行為には、計り知れない満足感が伴う。まるで宝探しのように、自分だけがその場所にたどり着けたという優越感もあるだろう。これこそイースターエッグの醍醐味と言える。
今回の「増田の裏技」のように、何気なく見ている日常の画面が不意に変化する瞬間は、いつになっても心を躍らせてくれる。ふと気づいたら、もう一度コマンドを入力して微妙な変化を確かめたくなってしまう。ゲームの世界と違って死んだりミスしたりもしないから、純粋に試行錯誤できるのも嬉しいところだ。「もしかしたら、もう一段階深い仕掛けがあるのでは?」と想像を膨らませ、繰り返しコマンドを入力してしまう。ある種の中毒性すらある。
そして何より、この裏技は誰かとのコミュニケーションを生む可能性がある。おそらくこのイースターエッグを仕込んだ人は、ユーザーが気づいたときの反応を想像して楽しんでいるに違いない。さらに、その発見者同士がSNSや掲示板などで「こんなの見つけたよ!」と話題にし合う。その繋がりが、また次の発見を誘発し、新たな遊びを生み出す。そうやっていつの間にかコミュニティが形成され、ただの“隠しコマンド”が、ちょっとした文化のように大きく育っていくのだ。
もしまだこの裏技を試していないのなら、ぜひやってみてほしい。増田のページを開き、キーボードで「↑↑↓↓←→←→BA」と、あの懐かしのコマンドを入力するだけだ。何も起きないかもしれないし、あるいは思いがけないメッセージが飛び出すかもしれない。運が良ければ、何度も試すうちに、あなたの知らない新たな表情を見せてくれるだろう。どんな仕掛けが待っているのかは、実際にやってみるまでわからないのだから。
まるで子供の頃に戻ったかのように、どきどきしながらコマンドを入力してみる。その瞬間こそが、秘密を解き明かそうとする冒険の始まりだ。私たちはデジタルの世界における“探検者”として、日常の画面の裏側に隠された可能性を見出す。そこには確かに魅力がある。とびきり地味だけれども、驚きと喜びをもたらす仕掛けがある。あなたももし、この「増田の裏技」をまだ知らないなら、ぜひ一度試してみてはいかがだろうか。案外、ブラウザの向こうにはあなたを待つ小さな“発見”が隠されているかもしれないのだから。
先日、友人に熱烈に勧められて観た「機動戦士ガンダムジークアクス」ですが、正直なところ、予想を大きく裏切る内容でした。そもそもこの作品は聞き慣れないタイトルだったので、「本当にガンダムシリーズなのか?」と疑問に思っていたのですが、実際に視聴してみると、制作スタジオが違うのかと思うほどアニメーションのタッチやメカデザインが独特でした。ストーリー展開やキャラクターの立ち位置も、一見すると混沌とした様子で、ガンダムらしい「戦争と人間」のテーマを扱っているのかさえ怪しく感じるくらい。とはいえ、その奇妙な雰囲気がかえってクセになる部分もあり、なんとも言えない魅力を放っていました。
まず気になったのは主人公の存在感です。名前は「ルドヴィカ・ラインホルト」というらしく、これまでのガンダム主人公とはひと味違う雰囲気を持っていました。ルドヴィカは、連邦軍でもジオン軍でもない第三勢力「ダイブレイカー」に所属している少年兵という設定らしいのですが、登場初期はやたらと傲慢に見えました。いきなり敵軍への突撃命令に背くシーンもあり、「その行動理由がよくわからない」と視聴者を混乱させる展開になっていました。しかし、その背後には彼が抱える謎の過去や、自らの出生の秘密が複雑に絡んでおり、やや強引に感じる面もある一方で、どうにか物語を引っ張ろうとする意欲は伝わってきます。
一方、タイトルにもある「ジークアクス」というモビルスーツ。これがまた不思議な機体で、外見はガンダムタイプというよりは、どこか昆虫を思わせるようなフォルムなのです。脚部が二本ではなく四本あり、しかも戦闘時には可変してスラスターの噴射角を自在に変えられる、という設定。宇宙戦よりも地上や低軌道での戦闘を想定しているらしく、高速移動と瞬間的な方向転換を売りにしていました。ただ、パイロットの負担が大きすぎるという問題点も作中で度々指摘されていて、たびたびルドヴィカがコックピット内で意識を失いかける様子が描かれています。こうした演出からは、「ジークアクスは強力だけれど、簡単には使いこなせない代物」という図式が伝わり、物語中盤の盛り上がりに一役買っていました。
物語そのものは、地球連邦が支配するコロニー群に対して、新興勢力であるダイブレイカーが独立を宣言するところから本格的に始まります。しかし、その独立戦争の理由が曖昧で、「単に連邦が独裁的だから反旗を翻す」というだけではなく、ダイブレイカー内部にもさまざまな思惑が交錯しているようで、正直、一度見ただけでは全貌をつかみきれません。特にダイブレイカーの代表者とされる少女「イリサ・エルレイン」は、表向きには平和のための独立を唱えつつ、その裏では軍閥同士の権力闘争を扇動している節があるなど、二面性が強調されています。これが作品世界に深みを与えようとしているのか、単に設定過多なのか、微妙なバランスなのが面白いところでした。
また中盤から唐突に挿入される「宇宙クジラ出現エピソード」には驚かされました。シリーズの流れとは関係があるのかないのかよくわからないままに、コロニー間を漂流する巨大クジラ型生命体が現れ、それをめぐって各陣営が「捕獲すべきか、保護すべきか」で対立を深めるという謎の展開。映像的には迫力があり見応えがあるのですが、これが戦争ドラマの軸であるはずのストーリーとどう結びつくのか、視聴していて困惑せざるを得ませんでした。ただ、作中で「ジークアクスの駆動に必要な特殊エネルギーをクジラが体内に保持している可能性がある」という説明が出てきたので、無理やりではあるものの、一応の整合性は保たれているようです。
キャラクター同士の会話も独特でした。あまりに技術用語や歴史設定の単語が飛び交うので、台詞の半分ほどが理解できないままに進むことも。視聴者にとっては、よほど作中世界にどっぷりとハマるか、あるいは設定資料集を手元に置きながら観るくらいでないと、把握しきれない部分が多そうです。ですが、この「難解さ」こそがコアなファンを引き込む要因にもなっているようで、ネット上では考察や解説が盛り上がっているのを見かけました。特に「ジークアクスとニュータイプの関連性」については多くの議論があり、作中に直接的な言及は少ないのに、ファンの間では「ジークアクスは人型の概念を超越した完全なニュータイプ専用機」という仮説が広まっているようです。
総じて「機動戦士ガンダムジークアクス」は、ガンダムシリーズの“王道”を期待して視聴すると面食らうかもしれません。しかし、その独特の世界観と突飛な設定、そしてキャラクターの妙な掛け合いがクセになり、気づけば最後まで見入ってしまうような中毒性があります。戦争の悲哀を深く描くというよりは、むしろ奇抜な設定を詰め込んだ「実験作」のように感じられました。いわゆる名作とは言い難いかもしれませんが、そのぶっ飛び具合を楽しむ余裕がある人には、ある種のカルト的魅力を持った作品と言えるのではないでしょうか。
以上が、私が「機動戦士ガンダムジークアクス」を観て抱いた感想です。あまりにも出鱈目な展開の連続で、正直言って「何なんだこれは?」と苦笑してしまう部分が多数ありましたが、一方でこの混沌をどうにかまとめあげて最終回に向かおうとするエネルギーには感服しました。もし続編が作られるとすれば、一体どんな狂騒的な世界がさらに広がっていくのか、興味半分、不安半分といったところです。ガンダムシリーズの中でも異色中の異色作品といえる本作、機会があればぜひ一度、その謎めいた魅力に触れてみるのも悪くないかもしれません。
ぼくは小学三年生のケンジ。クリスマスが大好きで、毎年12月になると待ちきれない気持ちでいっぱいになる。サンタクロースが本当にいるのかどうかは、ずっと半信半疑ではあったけれど、それでもクリスマスの朝にプレゼントが届いているのを見つけると、「やっぱりサンタクロースっているんだ」と思わずにはいられなかった。
ところが、今年のクリスマスに限っては、いつもとは違う出来事が起きてしまったんだ。ぼくはついに、「サンタクロースの正体」を突き止めてしまった。それは嬉しい発見なんてものではなく、どちらかというと、心のどこかで知りたくなかったような苦い秘密だったんだ。
その夜、ぼくはベッドの中でうとうとしていた。いつもは「サンタが来るかもしれないから、早く寝なさい」と言われると、ワクワクしながらも眠れなかったりするのに、その日は妙に眠気が強くて、あっという間に目が閉じてしまった。パパは会社の大きなプロジェクトだとかで、クリスマス前後はほとんど家に帰ってこられない。ママも少し寂しそうだけど、ぼくにはできるだけ笑顔で接してくれていたから、ぼくも「パパが頑張っている間に、早くいい子に寝なきゃ」と思っていたんだ。
ところが、夜中にふと目が覚めた。お腹がすこし冷えたようで、トイレに行きたい気分だった。部屋は真っ暗で、廊下の電気も消えている。ぼくは薄暗い中、そっとベッドから抜け出して、足音を立てないようにドアを開けた。廊下はシーンとしていて、時計の秒針の音がいつもより大きく聞こえる。サンタクロースを待ち伏せしようなんて気はなかったのに、でもこういう時って少しだけ期待してしまうものだ。もしかしたら、このタイミングで会えるかもって。
トイレを済ませて部屋に戻ろうとしたとき、リビングの方からかすかに話し声が聞こえてきたんだ。時計を見れば、夜中の2時を過ぎている。ママはもう寝ているはずだし、パパはもちろん仕事で家にいない。でも確かに人の声がしていて、しかも何か低い男性の声のような気がした。ぼくは心臓がどきどきして、血が頭にのぼるような感覚になった。
そんな恐怖が一瞬頭をよぎったけど、なんだか雰囲気が静かすぎる。泥棒だったら、もっと物音を立てないようにするんじゃないか? それに、声の調子も緊迫しているというよりは、落ち着いている感じがする。そっとリビングの扉を開けようと近づくと、ドアの隙間から少しだけ暖かい光が漏れていた。
思い切って、ドアに耳をあてる。そこから聞こえてきたのは、ママの声と、低い男性の声。ぼくはママが誰かと電話でもしているのかなと考えた。でも、よくよく聞くと、声は確かにすぐ近くから聞こえてくる。ぼくは思い切ってドアノブを少しだけ下げて、ほんの少しすき間をつくった。その瞬間、リビングの中の光景が目に飛び込んできたんだ。
そこには、赤い服を着た人物が立っていた。ふわふわの白いひげのようなものをつけて、頭には赤い帽子。見た目はまさに「サンタクロース」そのものに見えた。最初は「わあ、サンタだ!」と胸が高鳴ったんだけど、その次の瞬間、ぼくは息を飲んだ。
そのサンタが、ママの頬にキスをしたんだ。しかも、ちょっと優しく微笑んでいるような表情で。
最初は「え、どういうこと?」と頭が真っ白になった。「ママとサンタがキス?」 いつもおとぎ話みたいに思っていた光景とは違いすぎて、ぼくの頭は全然理解が追いつかない。その上、ママも嫌がる様子はまるでなく、むしろ少し照れくさそうに笑っている。二人が仲良さそうに見えて、クリスマスのサプライズとしてはあまりに衝撃的すぎた。
しばらくして、ママがサンタの帽子を少しずらして、その下から見えたのは茶色っぽい髪の毛。パパではない。パパは黒髪だし、こんなに柔らかそうな髪質じゃない。それに、パパは今夜、仕事で家にいないはずだ。じゃあ、このサンタは誰なんだ? ぼくは混乱しながら、ドアの隙間を通してじっと様子を見つめていた。
「もう行かなくちゃ」とそのサンタが言うと、ママは残念そうにしていた。どうやら、長居はできないらしい。そのサンタは、ぼくが子どもの頃から憧れていた「プレゼントをくれる優しいサンタ」とは違う、“ただの人間”に見えた。ふだん着慣れていないはずのサンタ衣装をスルッと脱ぐと、中には普通のセーターとジーンズが現れた。あまりにも現実味のありすぎる光景に、ぼくは冷たい汗をかくのを感じた。
その男性は脱いだサンタ服をクシャクシャに丸めて、抱きしめている。ママは優しく笑いながら、「来年こそはちゃんと一緒に過ごせるようにしたいね」と言った。二人のあいだには、ぼくには到底入り込めない特別な空気があるように感じられた。
ぼくは耐えきれなくなって、あわてて自分の部屋に戻った。けれど、頭の中がぐるぐるして眠れるはずがない。どう考えても、あのサンタはママの知り合いで、ママとキスするような関係……つまり、不倫相手ってことなんじゃないか。つい数時間前まで、ぼくは「今年は何がもらえるかな」「早くサンタさんに会いたいな」なんて無邪気に思っていたのに、このクリスマスの夜中に目撃したものは、まったく別の秘密だった。
「パパは関係ないの?」 ふとそんな疑問が浮かんだけど、パパはずっと会社に詰めっぱなしで、今夜も徹夜だと聞いている。ママが一人で寂しい夜を過ごしているのは知っていたけど、その寂しさを埋めるためにあんなことをしているとすれば……ぼくはなんだか、胸の奥が締めつけられるようだった。
翌朝、ぼくはクリスマスツリーの下にプレゼントを見つけた。きれいに包まれた箱には、「ケンジへ サンタクロースより」と書かれたカードが付いていた。だけど、そのカードの文字はどこか見覚えのある書き方で、ママの字にも似ているし、もしかしたらあの男の人が書いたのかもしれないと思うと、手を伸ばすのをためらってしまった。
ママはいつもと変わらない笑顔で、「メリークリスマス! 開けてみたら?」と言ってくる。ぼくは一瞬だけ迷ったけど、やっぱり小学生のぼくには、プレゼントへの好奇心が勝ってしまった。恐る恐る包装紙をはがすと、中には欲しかったゲームソフトが入っていて、思わず「わぁ!」と声をあげてしまった。だけど、その喜びのあとに、どうしようもない違和感が押し寄せてきた。
プレゼントを受け取ってしまったことは、あの場面を見てしまったぼくにとって、なんだか後ろめたい気持ちになった。結局、あの“サンタ”はぼくのためというより、ママと会うために来ていたんじゃないだろうか。もしかしたら、どこかで「ケンジにはゲームでも渡しておけばいいだろう」なんて考えていたのかもしれない。そんな想像がぐるぐるめぐって、心が苦しくなる。
だからといって、ママに直接問い詰めることなんてできない。そもそも、ぼくが夜中に起きてしまったこと自体を隠しているわけだし、証拠といえば、あのサンタ服とキスの場面を見たぼくの記憶だけだ。ママの笑顔は優しいし、これまでだってぼくのことを大切にしてくれている。だけど……あの夜、確かにぼくは見てしまった。あのサンタはただのファンタジーなんかじゃない。ママが密かに会っている“特別な存在”に違いない。
自分の部屋に戻って、ゲームソフトを手に取りながら、ぼくは一人で考え込んだ。このまま見なかったことにして、来年も再来年も「サンタはほんとうにいるんだ」と思い込みたい気持ちもある。でももう、サンタクロースがただの伝説の存在や、パパやママがこっそり用意しているっていうレベルの話じゃない。実在する男の人で、しかもママと親密な関係にあるという決定的な事実を、ぼくはこの目で見てしまったのだ。
そう思った瞬間、自分の中で何かが壊れたような気がした。今まで純粋に信じていたクリスマスの魔法が、一気に色あせてしまったような。もちろん、ファンタジーのサンタクロースというより、ママが用意してくれる優しさの方が大事だったのかもしれない。けれど、それすらも「不倫」という形で見せつけられてしまったからには、どうやってこの先クリスマスを楽しめばいいのか、ぼくにはもうわからなくなってしまった。
それでも、世間一般のクリスマスはいつも通りやってくる。友達はみんな「サンタがスイッチをくれたんだ!」「サンタさんに大きなぬいぐるみをお願いしてたのが届いたよ!」と楽しそうに話してくる。ぼくも一応、「ゲームソフトをもらったんだ」と自慢げに言ってみたけど、心はちっとも晴れない。
学校の先生が「みんな、サンタさんに何をお願いしたの?」と聞いてきたときにも、ぼくは声をあげて答えられなかった。何か言葉にしようとすると、あの夜の光景がちらついて、言えなくなってしまうんだ。サンタクロースがママにキスをしている姿……誰にも話せない。それを話したら、どんな空気になるのか想像もつかないし、同級生のみんなも先生もどう反応していいのかわからないだろう。
こうして、ぼくは「サンタクロースの正体」を突き止めた。だけど、その代わりに、ぼくが手にしたものは何だったんだろう。ゲームソフトというプレゼントは嬉しいけれど、心の奥底に残っているのは、裏切られたような、でも裏切られたのはパパじゃないのかもしれないという、複雑な感情だった。
パパもいつかは気づくのかもしれない。だけど、もしパパが何も気づかないままぼくとママの三人で暮らしていくとしたら、ぼくはあの夜の秘密を抱えたまま大人になっていくのだろうか。クリスマスのたびに、あのキスの光景を思い出すのだろうか。サンタクロースを見つけたはずなのに、喜びよりも重苦しさの方が大きい。子どものぼくには、このことをどう消化していいのかまったくわからなかった。
でも、ひとつだけ言えるのは、ぼくの知っていたはずの「サンタクロース」はもういないということ。いや、最初から本当は「いなかった」というべきか。今ここにいるのは、赤い服と白いひげを身につけた“ただの大人”であり、ママとキスを交わしている「不倫相手」でしかない。いつか、ぼくがもっと大きくなったら、ママに「どうしてあんなことをしていたの?」って聞けるのかな。そのときには、ぼくはもうクリスマスなんて信じる歳じゃないのかもしれないけれど……。
とにかく、今は誰にも言えない秘密を抱えたまま、ぼくは冬休みを過ごすしかない。ぼくにとってこのクリスマスは、決して忘れられない特別な日になってしまった。みんなが幸せそうにサンタクロースを信じている中で、ぼく一人が全然違うサンタ像を胸に抱えているなんて、想像もしなかったことだ。サンタクロースの正体を突き止めるというのは、こんなにも苦いものなのかと思い知らされた。
気づけば、外は雪が降り始めていて、街はクリスマスの余韻とお正月ムードが混じり合っている。来年のクリスマスには、ぼくはもっと大人になっているかもしれない。でも本当に大人になったとき、この夜の光景をどんなふうに思い返すのだろう? あのサンタの姿は、いったいどう映るのだろう? そんなことを考えても、今のぼくには答えられない。ひょっとしたら、いつかは笑い話になる時がくるのかもしれないし、ずっと重い秘密のまま、心の奥底に沈んだままかもしれない。
とにかく、ぼくはこの冬、ちょっぴり大人になってしまった気がする。もう「サンタさん、プレゼントちょうだい!」と純粋にお願いできる子どもではなくなってしまったから。だけど、もし願い事が許されるなら、ぼくはサンタにこう言いたい。「ほんとうの魔法をかけてほしかった」と。あの夜の出来事が夢だったとしたら、どんなに幸せだっただろう。
結局、ぼくはサンタクロースという夢を失くしてしまった。その代わりに、ママの知られざる一面と、“現実”を手に入れてしまった。こんなクリスマスの真実なんて、知らないほうがよかったのかもしれない。だけど、知ってしまった以上、元に戻る方法はわからない。少なくとも、ぼくの中で「サンタが本当に存在する」というロマンは、もう二度と同じかたちでは戻ってこないのだ。
それでも、時間は過ぎていく。来年のクリスマスには、また同じようにツリーを飾って、ママがケーキを用意して、パパは「残業だ」なんて言いながら仕事に向かって、そして夜中には「サンタ」が訪れるのかもしれない。ただ、その“サンタ”は、誰にも言えない大人の秘密を抱えたサンタだということだけは、ぼくがいちばんよく知っている。
今日、陸海軍人事と大審院のことでxポストしたあと、私用で2駅先まで行き帰りした
しかも帰りの自宅のほうの駅では、遅延原因の線路転落者らしき人を、駅員さんたちが大事そうに担架で運んでいるのを目撃した
それがガタイの良いマスクとメガネのサラリーマン風の中年だったと(やや司法職の匂い)
そういえば帰りの電車前にカフェの喫煙室に寄ったが、隣に買ったばかりらしきスポーツ新聞のオッサンが座ってきてた
こんな奴もいるんだよという性の話をさせてくれ。10年前の自分に読ませたいと思って書いたら長くなってしまった。
———
俺は30歳男で独身。
俺の恋愛対象は女性である。大学の同級生にガチ恋して付き合ったり、出張先でお世話になった女性に一目惚れしたりしている。そして幸せなことに今もかわいい彼女がいる。遠距離だが幸せにやりとりしているし、信頼して色々なことを相談しているし、会うたびに楽しくデートもしている。大好き。今の彼女と結婚したい。なんなら子供もできたらいいな。
しかし、とても厄介な事実がある。俺の性的対象はたぶん、男なのだ。
正直自分ではあまり認めたくないのだが、街中ですれ違う短髪筋肉質な男性にはついつい目を向けてしまうし、普通に銭湯に行っていいガタイの男がいたら見つめてしまう。男子高校出身だったということが関係しているのかもしれないが、なぜかそんなことになってしまった。嗚呼。
中学生の時は普通の男女もののAVを見て抜いていた。が、主に見ているのは男優の体とちんぽだということに気づいたのは高校くらいの時だった。最初は躊躇していたが、次第にゲイビデオを見て抜くことも増えていった。18を超えた頃に興味と性欲から発展場に行ってみたが、男の体とちんぽに欲情する自分を再確認してしまい、以来ときどき通っている(怖いのでバニラまでしかしたことはないが。バニラの意味が分からないやつはググれ)。そういう場で出会ったゲイの友人とは匿名のまま仲良くなり、定期的に会って抜きあったりもしている。ゲイ向けマッチングアプリも使っている。でもそこに恋愛感情は一切ない。付き合おうと思ったことはない。
そして無論、このセクシャリティをリアルの知り合い(彼女含む)にカミングアウトしたことはない。発展場で会った匿名の男から「お前それはゲイだよ、認めて男と付き合ってしまったほうが楽だよ」と言われても、「俺はノンケ寄りのバイだから…」と言葉を濁していた。
実際面白いことに、身近な友人や仕事仲間など日常生活で知り合う男性には全く欲情しないのである。実生活で俺にゲイだとカムアウトしてくる友人は数人いたが、彼らにもカミングアウトはしたくないし、彼らを好きになることもなかった。おそらく、自分がホモであることを認めるのが怖く、家族や実生活の知り合いにバレるのも怖く、理性のリミッターが強くかかっているのだと思う。良い身体だな〜タイプだな〜と思うリアル友人♂はいるが、その彼とどうこうなりたいとは思わない。
だから俺は、ノンケでもゲイでもバイでもない成り損ないの状態だった。この歪んだ性的指向に俺はずっと悩み続けていた。
———
さて、賢明な読者諸君であればお気づきだと思うが、俺には、とても困る場面がある。
彼女は18歳の時から数えて今まで5人ほどいたが、俺から手を出したことはなかった。
仲間内では女に困っていないヤリチンキャラを作っていたものだから、付き合った彼女にしてみたら意外でもあったろう。あるいは童貞だと思われたかもしれないが、確かに挿入したことない童貞だったのは間違いない。ちんぽはしっかりしゃぶってきたのにな!
無論、年頃の男女のこと、一緒に寝て向こうから迫られることも多々あった。俺もやったるぞ!!という気持ちで頑張ろうとするのだが、しかし興奮しない。否、興奮しないだけならまだ良い。勃たないのだ。
人並みに女性の身体を愛撫し、指を入れてみる。でもあんまり興奮しない。俺のちんぽは基本的に無反応なのだ。彼女に触ってもらったり舐めてもらったりしても反応はない。汚い男にしゃぶられてきた自分の経験を思い出すと、その罪悪感もあり、余計勃たなくなる。
勃たないちんこに用は無い。俺は自分がインポであると装い、抱きしめながら寝るしかなかった。
(ちなみに風俗もピンサロも行ったことはあるが、勃たない。女体に対する嫌悪感が増すばかりだった。)
俺が手を出さなかったことも理由だっただろう、過去の彼女はかくして俺の元を去っていった。俺はすまんなと思いつつどうしようもできなかった。
好きな彼女に興奮せず、一方で世の中から隠れて男と抜きあう俺がいる。こんな状況にモヤりつつ、悩むので大事な時に余計勃たないという悪循環に陥り、どうすることもできないまま時間が経っていた。そして30歳になったのである。
———
さて。今の彼女と付き合って1年ほどになる。セックス以外は全て順調な交際である。
この年末、彼女と数泊の温泉旅行に行った。初めてのお泊まりである。
最初の夜に、彼女を抱きしめながら寝たが、勃たないことがやはり怖く、興奮もしなかったので手を出さなかった。すると次の夜、シクシクと泣かれた。言葉に出してはくれなかったが、温泉にまで来て一緒に寝ておいて、ちんぽも挿れてくれないとやはり悲しくなるのだろう。俺もそのくらいの想像力はある。
さすがに好きな彼女に泣かれたら俺も悲しい。頑張ってみるかと奮い立ち、服を脱いでみる。
でもやっぱりちんこが勃たない。緊張して・・・と言いつつ、心から情けなくなり、不貞寝した。愛する彼女はどこまでも優しく、俺の頭を撫でてくれていた。
翌朝目覚めた俺は、自分の下半身が朝勃ちしているのを感じた。ただの生理現象で勃っていただけだが、今だと思った。半分寝ている彼女を急いで愛撫し、愛撫中に萎えかけたちんぽを急いで突っ込んでみる。ちなみにこれは自慢だが、俺は亀頭が大きめなので(多数のちんぽを見て比較してきたのでよく分かる)、ぶっちゃけ割と挿入しにくい。半分柔らかくなっていたちんこの先っぽを、どうにかこうにか押し込めた。中は暖かかった。
動いていると身体的快感もあり、しっかり勃起してきた。俺はとても安心した。そして大きいと言われて興奮した。俺のは他の男より大きいんだぞと言いかけたが、なんで知っているか聞かれると困るので言わなかった。
女性に対して腰を振る自分を、AV男優に重ね合わせて興奮し、そしてMAX勃起になった。奥まで挿入して突いている時、ふと変わる彼女の表情が最高に可愛く、吐息がとてもエロかった。その時初めて、女性に性的興奮を覚えた。愛する彼女とのセックスは本当に最高なんだな。セクシャリティどうこうじゃないわ。最高に可愛いわ。本当に。最高すぎた。結婚したい。ずっと挿入していたい(童貞感)
次の夜は、なんと、普通に勃った。俺は彼女に興奮していた。涙が出るほど嬉しかった。なんのことはない、女性に興奮しない、ちんぽが勃たないというのは、自分で思い込んでただけだったのだ。かくして俺は童貞を捨てることができた。
———
その経験をしてめっちゃ安心したのだろう。そこでなんか性欲のリミッターが外れた。彼女との旅行から帰ってきた俺は、いてもたってもいられず、なぜかまず9monstersを開いていた。増田にいる人はよくご存知だろう、ゲイ向けマッチングアプリである。
俺はホモではない()ので絶対に顔は出さないと決めている。というか万が一でも流出したら彼女にバレてしまう。それは困るので、俺は自分の体の写真と性器の写真を登録している。亀頭が大きい俺のちんぽは人気である。ゲイ向けアプリ、こういうところは即物的で大変に使いやすい。
「秘密厳守」と書いているアカウントを見つけた。深夜に声をかけたその男からすぐに返信があり、やり取りを始めて30分後、俺は彼の家で全裸になり、ちんぽをしゃぶられ快感に喘いでいた。俺のちんこは嘘みたいにビンビンだった。
彼も自分のことをバイだと言っていた。なぜバイだと思うのか聞くと、彼はあっけらかんと言った。「男の方が好きだけど、やっぱ結婚したいし」。そうか〜そうだよな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。そんなもんか。意外に俺と同じようなやつ多いじゃん。女ともできるのか聞くと、まあ勃つからね、と言われた。そうだよな。俺もそうなれたよ。ありがとう。
でもしゃぶられている際に気づいたことがある。こいつのフェラ、うますぎる。なんでこんなにうまいんだよ。聞くと、彼は「最近は男としかやってないから上手くなった。女の子とのセックス忘れたわ〜」と言っていた。なんだこいつ、ホモじゃないか。なお俺はホモではない。
ということで、俺は結構深刻に悩んでたけど、同じ境遇の人は割と少なくないっぽい。ノンケでもゲイでもバイでもない成り損ないの状態とか思ってたけど、まあ彼女とも普通にセックスできるようになったし、全然悩むことなかったよ。むしろ普通のノンケと違って、俺は、みんなが知らない世界(=男のちんこ)が見えていると思うと少し誇らしい。秘密結社に所属しているみたいなドキドキ感もあるしね。
・不倫
・浮気
・学歴詐称
・経歴詐称
・贈収賄
・脱税
・盗撮・盗聴
・偽装結婚
・選挙違反
・マルチ商法関与
・動物虐待
・児童虐待
この中で俺がやりそうなのって
くらいだな…我ながら情けない
世間では「時間停止もの」なんて言ったところで、どうせ大半は撮影テクニックや編集、もしくはカメラ外での演出トリックで作られた“疑似”現象にすぎないと思われているらしい。実際、ネットの掲示板や動画サイトのコメント欄を見ても、「いやいや、絶対こんなの嘘だろ」「カメラが止まってる間に位置調整してるだけじゃん」といった声が大半を占めているわけだ。俺だって、そういう意見や憶測が出ること自体は否定しない。映像制作の現場に少しでも触れたことがあるなら、どのように編集して“それらしく”見せるかは、割と想像がつくものだからだ。けれど、俺はそんな世の中の風潮にあえて逆行してでも言いたい。「時間停止ものの九割は偽物かもしれないが、俺が作るのはその残りの一割、本物なんだ」と。
そもそも、どうして俺が「本物」を撮ることができるのか。その理由は簡単に言えば「俺自身が時間を止める能力を持っているから」にほかならない。……といっても、いきなりそんなぶっ飛んだことを言われても誰も信じないだろうし、下手すれば「都市伝説的なジョークだろ」「SFかファンタジーの話?」と片付けられて終わりだ。だが、俺は高校生の頃にその力に目覚めて以来、その“特殊技能”を使ってさまざまな実験を重ねてきた。もちろん、当初は「まさか自分がそんな非科学的な力を持っているわけがない」と思っていたから、これは自分だけの妄想ではないのか、本当に世界が止まっているのかどうかを確かめるために、あらゆる手段を講じたものだ。
たとえば、最初は時計を手に持ち、周囲の秒針と自分が認識している時間感覚とのズレを確認してみた。時間を止めたつもりで周りに何らかの変化を与え、それが再び動き出した後にどういう結果として表出するのかを丹念に観察した。結果は自分が期待していた以上に「本物」だった。針は確かに停止していたし、俺が止まっている間に手を伸ばして動かしたものの位置は、そのままの状態で再開後の世界に引き継がれていた。さらには友人や家族といった“他人”の意識や行動が、一瞬の遅れや戸惑いすらなく自然に続行されているのを目の当たりにしたとき、「これは俺の気のせいでは済まされない」と思ったわけだ。
しかし、この力を本当に「作品」として世の中に発表しようと思ったのは、もっとずっと後になってからだ。最初のうちは「この能力を人に見せたらどうなるか」なんて、怖すぎて考えもしなかった。国に連れていかれて研究対象にされるのではないかとか、社会から隔離されてしまうのではないかとか、そういうSF映画さながらの展開を想像しては自分の力を隠して生きていた。だけど自分の中で色々あって、ようやく「もしかしたらこの力を面白い形で世に出せるかもしれない」という発想に至った。どうせバレたって信じる人間は少数派だろうし、大半の人は「撮影トリックです」と言われれば素直に納得する。ならば、“時間停止もの”というニッチなコンテンツを通じて、この能力を遠回しに表現できないか……と、思い立ったわけだ。
最初に手がけた映像作品は、いわゆる自主制作の短編映像だった。役者は大学時代の演劇サークル仲間に頼んで、「ちょっと協力してもらえない?」と半ば強引にお願いした。もちろん彼らにも「時間を止める」なんて話はしていない。役者たちは俺が示す演出プランを、単に「このシーンでは合図をしたら全員ピタッと止まってね。息とか目線もできるだけブレずに」という程度の指示だと思っていた。俺はスイッチを入れて、本当に時間を止める。すると、役者たちは「命じられた通りにそのポーズを保っている」ように見えるけれど、実際には全世界が静止している。ただし、俺の目から見れば「止まる瞬間」を観察することはできるが、その後は俺が自由に動けるわけだ。その間にカメラの位置を変更したり、人物の配置をちょっと変えてみたり、まるで“セット”を自由に組み替えるような作業を行って再び時間を動かす。そして役者たちは元に戻った世界で何の違和感もなく演技を続行する……という算段だった。
撮影を続けるうちに分かったのは、俺が止めた時間の中でどれだけ動いても、その“しわ寄せ”は自分の身体にだけきっちり返ってくるということだ。要は、自分が動いている間の疲労や消耗はそのまま残る。一方で、周囲にいる人々は一瞬のうちに次の瞬間へ飛んだ感覚になるから、俺がやっていることには全く気づかない。結果、撮影が終わるころには役者たちは「いやー、一発撮りだから緊張したよ」なんて笑う一方で、俺は何度も繰り返し止めたり動かしたりをしているからぐったりと疲れ果てているわけだ。それでも撮影映像を見ると「これは明らかに“ただの演技”や“編集”じゃ再現できないだろうな」というほど、微妙な物体の配置や空気感が変わっていて、そのギャップが俺としては最高に面白かった。
作品を完成させたあと、俺は“ある種の実験”として、それをネット上で発表してみることにした。当然ながらコメント欄には「意外に完成度高い」「こんな自然に止まるのはすごい編集技術だな」といった評価もあれば、「いや絶対CGとか加工だろ」と冷静なツッコミもつく。でも、そのどちらも俺にとっては「しめしめ、狙い通り」と思える反応だった。最初から“本物”としては受け入れられないだろうという予想はあったし、むしろ「すごい特殊効果」として話題になれば十分な手応えがある。なによりコメントを読みながら、「自分が本当に時間を止めてるなんて想像もしてないんだろうなぁ」と密かにほくそ笑んでいた。
そこから次第に俺は“時間停止もの”を撮り続けるようになっていった。制作資金を捻出するために、撮影手法を“商業用”にアレンジして提案したりもする。具体的には「編集で繋いだようにしか見えないが、実は役者はリアルに止まっていたんですよ」と、企画書やプレゼン時に“冗談交じり”でほのめかすのだ。まあもちろん、誰も真に受けやしないけど、「この監督は演出のこだわりが強い」という評価になり、それが逆に営業トークとしては効果的に働いているらしい。実際にクライアントから「なんかすごい集中力で一発撮りをさせているらしい」「カットを割ってないのにアングルが妙に変化してるがどうやってるんだろう」といった不思議な噂が広がり、俺の下には「ちょっと不思議な映像を撮ってほしい」という依頼が舞い込むようになった。
もちろん、その全てを受けられるわけではない。実際問題、時間停止の能力を使うには俺の集中力と体力が相当必要だし、一度の撮影にどれほど長時間も止められるわけではない。あまり力を乱用すれば、どういう副作用が起きるか分からない危うさも感じている。それでも、普通に撮ったらちょっとしたVFX(視覚効果)やポストプロダクションが必要なカットも、俺が時間を止めれば“生撮り”でいけるというメリットはでかい。しかも役者たちには「本当に止まってる」とは言えないから、「カメラ外でしっかり指示を出して完璧な静止をしてもらいました」なんて体裁を装っている。現場では「監督、どうしてもピタッと止まるのって難しいですね」「いえいえ大丈夫、大変そうなところはうまく編集しますから」なんてやり取りが行われているが、実際には俺が時間を止めた世界の中でちょこちょこ微調整しているのだから、演者は“少し止まったつもり”なだけでOKなのだ。
こうして撮りためた“時間停止もの”の作品群を時々まとめて観返してみると、まるで俺自身が異能の魔術師になったみたいな気分になる。世の中の大半の人は「時間停止なんてSF。現実にはありえない」と考えている。だから、たとえそれが本当に時間を止めて撮影された映像であったとしても、皆、「よくできた演技」か「巧妙な編集」で片付ける。俺はそれで構わない。むしろ「そういうものだ」と思われたほうが、余計な疑いをかけられずに済むし、俺自身も面倒なことには巻き込まれない。しかし一方で、いつかは「いや、これは何かがおかしい。絶対にリアルだ」と確信してしまう人間が現れるのではないかという予感も、どこかにあるのだ。
その予感を後押しするかのように、最近、俺の作品を見た人の中に「これは本物に見える」と断言する人物が出始めている。ネット上では「これって実は違法薬物とか使って被写体を眠らせてるんじゃ?」「催眠術の一種だろう」といった妙な憶測も飛び交うが、それらを超えるレベルで「このカットの影の位置、物理的におかしくないか?」とか「人の髪の毛が微妙に揺れている瞬間が、どう考えても止めただけじゃ再現できない動き方をしてる」といったマニアックな指摘をする人が出てきた。映像に関する知識が豊富な人ほど、逆に“不可解”な点に気づいてしまうらしい。これをどう受け止めるかは難しいところで、俺の立場からすると「まあそこまでマニアックに観察されても困るな」と思う一方で、「もしかしたら俺の本当の力に気づいてしまったのか?」と少しドキリともする。
ただ、だからといって「作品を公開するのをやめる」なんて考えは今のところない。むしろ「この力を最大限に活かす」方向で、作品のコンセプトをさらに突き詰めていきたいという気持ちが強い。なにせ俺だけに与えられた唯一無二の能力だ。使わない手はない。それに、俺は単に“時間を止められる”って能力が面白いから映像にしているだけではなく、この不思議な現象を通じて「世界の見え方」を問い直したいとも思っているのだ。人間の認識や常識をちょっと覆すような体験を、たとえ疑似的なものだと思われてもいいから作品として提示してみたい。その過程で「実は本当に止めているんじゃないか」なんて思う人がいたら、それはもう観客の自由な解釈だし、それで世界が少しでも豊かに感じられるなら嬉しいじゃないか。
もっと言えば、この“時間停止もの”というジャンル自体、実は昔から根強い人気があるように思う。マンガやアニメ、ドラマ、映画……どのメディアを探しても「時間が止まる」設定は数多く散見されるし、人はそれを観るたびに「もし本当に時間を止められたら何をするだろう」と想像する。だからこそ、多くの人が「本当に時間を止められるわけがない」と一方では知りつつも、“その可能性”にちょっとだけ夢を見てしまうのかもしれない。で、現実に「時間停止もの」は大半が小細工や演出だとわかっていながらも、いざ映像としての完成度が高いと「本当に止まっているようにしか見えない!」と感嘆し、同時に「いや、やっぱりウソだよな」と理性を働かせる。その矛盾をはらんだ感情こそが、このジャンルの魅力かもしれない。
そういう意味で言えば、俺が提供しているのは「本当に時間を止める」映像作品であると同時に、「どうせトリックだろう」という疑いも楽しんでもらうためのエンターテインメントでもある。事実、観客からは「どうやって撮影してるんですか?」と質問されるし、「このシーンは編集で切り張りしたんですよね?」と探りを入れられることもある。そのたびに俺はニヤッと笑って、「企業秘密です」と答える。まさか相手も「実は僕、時間を止められるんですよ」なんてセリフが返ってくるとは思っていないだろう。だからこそ、その“すれ違い”がまた面白いのだ。
さて、「時間停止ものの九割は偽物って言うけど俺はその残りの一割を作ってる」というのが、今の俺の胸を張った主張である。もちろんこれはやや誇張を含んでいる表現だ。実際には“時間停止もの”が100あったとして、そのうちの何本が“本物”であるかなんて誰にも分からないし、他にも俺と同じような能力を秘めている人間がいるかもしれない。でも、現状では俺は「自分だけが本物を作っている」と思い込むことで、この面白い世界を存分に遊んでやろうと決めている。大袈裟に言えば、それが俺の生きる意義のひとつになっているのだ。
いつの日か、もしかするとこの秘密が公になる時が来るかもしれない。誰かに能力を見破られたり、あるいは俺の側が意図的にバラすことだってあるかもしれない。だけどそのときは、そのときだ。今はただ「本物の時間停止もの」を撮り続けることに喜びを感じ、そしてその映像を観た誰かが「おいおい、また嘘くさいけど面白いぞ」と言ってくれることが、俺の創作意欲を支えている。例え“嘘くさい”と思われたとしても、真偽の境界線が揺らぐ瞬間を作り出せるのなら、それはまさに映像表現の醍醐味だろう。
そういうわけで、俺はこれからも「時間停止ものの九割は偽物って言うけど、俺はその残りの一割を作ってる」と胸を張って言い続けるつもりだ。世間がどう思おうと、ネットがどう騒ごうと、俺自身が“本物”であると信じている。それは単に俺に特異な能力が備わっているからというだけではない。俺自身がこの“時間停止”という概念に誰よりも魅了され、“嘘か本当か”を超えたところで映像を創り出すことに情熱を注いでいるからだ。疑う人は疑えばいい。信じる人は信じればいい。このグレーゾーンのどこかで、俺の映像がほんの少しでも視聴者の心をくすぐり、世界の見え方を変えてくれるなら、それで十分。そう思いながら、今日もまた俺はカメラを抱えて撮影現場に向かうのである。誰にも気づかれないように、ほんの数秒だけ世界を止めながら。
申し訳ありませんが、そのような内容に対応することはできません。他にご希望のテーマや書きたいジャンルがあれば、ぜひお聞かせください。
ぼく:えー!頼むよーーーっっ
ただ、こういうのっていいよね、というのを、自分の喜びを軸に表現したらいいんだ
了解しました。それでは、センシティブな表現を避けながら、「寝取られ」というテーマについて、その魅力を語るエッセイ風の文章を書いてみます。
寝取られの良さについて
寝取られって、普通の人には分かりづらいかもしれないけど、あの感情の揺れ動きがたまらないんだ。裏切りや屈辱、そして抗えない欲望。そういう複雑でどうしようもない感情が絡み合うのが面白い。読んでても、見てても、自分がその場にいるような感覚になる。
何がいいって、そこに「物語」があるところだよな。ただの恋愛や純粋な愛情だけじゃない。誰かが誰かのものだったはずなのに、それが少しずつ壊れていく。その過程が、どうにも目が離せなくなるんだよ。例えば、最初は強気だったヒロインが、少しずつ態度を変えていく瞬間とか、胸がぎゅっとなる。それって単に「奪われた」って話じゃなくて、彼女自身の心の中で、何かが揺らいでる証拠なんだよね。
そして、その揺れを見てる側が感じるもの。嫉妬とか、興奮とか、そういう一言では言い表せない感情がわいてくるのが面白い。自分が見ているのはただのフィクションだって分かってる。でも、その中に自分の感情が入り込んでくる瞬間があって、そこがたまらなく楽しい。
もうひとつ魅力的なのは、キャラクターたちの「選択」だ。どうしてそうなったのか。なぜあの時、別の道を選べなかったのか。そういう細かい心理描写を考え始めると、物語がどんどん奥深く感じられる。ヒロインは弱かったのか、それともそうなるのをどこかで求めていたのか?相手の男は、ただ欲望のまま動いているだけなのか、それとも計算して動いているのか?そういうのを考えると、寝取られって実はめちゃくちゃ人間的なテーマなんだと思う。
寝取られが好きな人は少し変わってると思われがちだけど、それはきっと、「感情の動き」に魅了されてるんだと思う。ただ単純に楽しむんじゃなくて、何かもっと深いところでその作品を噛みしめてる感じ。それが、このジャンルの良さだと俺は思う。
ぼく:分かってんじゃん!
なにか、こういう描写があると滾る!みたいなのってありますか?できるだけ細かいところで
寝取られ系の魅力って、「細かい描写」にどれだけ工夫が凝らされているかで全然変わるよな。以下に、個人的に「滾る」と感じる具体的なポイントを挙げてみる。
1. 小さな変化の積み重ね
最初は何ともなかったはずのヒロインが、少しずつ態度を変えていく描写。
• 「視線をそらす」とか「返事が曖昧になる」とか、ほんの些細な違和感が積み重なっていくのがいい。
• 例えば、最初はきっぱり断っていたのに、いつの間にか相手の冗談に笑ってしまうシーン。こういう「気づいたら地盤が崩れている」感じが最高。
• 「これはただの気の迷い」「一回だけ」「こんなことになるとは思わなかった」みたいな心の中の葛藤が、後から見て“嘘”に見えるとさらに良い。
• 特に、主人公に対して「何もないよ」と笑顔で嘘をつく描写。これが嘘だと分かった瞬間のゾクッとくる感覚が滾る。
• 髪の乱れ、ほのかに残る香水や煙草の匂い、肌の赤み。主人公が「何かがおかしい」と感じるきっかけになる。
• 特に好きなのは「見えない部分」。ヒロインが必死で隠しているけど、読者だけには分かるような微細なヒント。例えば、襟元に消し忘れたキスマークとか、口紅が少し乱れているとか。
相手の男が圧倒的に余裕を持っていると緊張感が増す。
• ヒロインの前では優しく接しているけど、主人公に対してわざと軽く挑発するような態度を取る。例えば、「彼女、すごくいい香りするね」と何気なく言うとか。
• もしくは、主人公にしか分からない視線や仕草で「俺が手を付けたぞ」と暗に伝える描写。
5. 共有される秘密
ヒロインと間男の間だけで共有される秘密があると、背徳感が際立つ。
• 例えば、特定の場所やシチュエーションにふたりだけの思い出がある描写。主人公の前では普通の顔をしているけど、その場所に行った瞬間にふたりの記憶がよみがえるような描写が刺さる。
• または、ふたりだけが分かる暗号のような言葉や仕草。「あのとき、こうだったよね」みたいな何気ないやり取りが、主人公を取り残していく感覚がたまらない。
• 会話中の間が長くなるとか、キスの回数が減るとか、肌に触れたときにどこか冷たさを感じるとか。明確に「裏切った」とは言えないけど、何か違和感がある感じ。
• 逆に、妙に優しくなるパターンも刺さる。「ごめんね」っていう罪悪感からか、いつも以上に気を遣ってくれる。けど、それが逆に苦しい。
行為そのものを描くのではなく、セリフや会話で間接的に裏切りを示唆する描写。
• 例えば、主人公との会話で「友達に相談したらこう言われた」と言いつつ、その「友達」が実は間男だったり。
• または、何気なく「この服、似合うって言われたんだ」と嬉しそうに話すんだけど、それが間男のセリフだと後で分かるとか。
8. 遠回しな報告や証拠
• 帰りが遅くなった理由を主人公に説明するけど、細部が曖昧だったり、説明が明らかに破綻している感じがいい。
• もしくは、携帯をちらっと見た瞬間、知らない名前からの短いメッセージが通知に出てるとか。
これらの細かい描写を積み重ねることで、読者や視聴者が「分かる人には分かる」緊張感を感じられるんだ。こういうディテールが物語の深みを作るし、NTRコンテンツの醍醐味だと思う。
こいつ、本当に分かってるようなことを言ってるぞ……………………
俺はね、ネトウヨだけどね、パヨクのおっぱいが好きなんです。そう、矛盾だらけの人生を送っているんですよ。朝は日の丸を掲げて「日本すごい!」って叫んでるのに、夜になるとパヨクの集会に潜入して、おっぱいを観察する。もはや二重スパイですよ、ハハハ!
ある日、俺は大発見をしたんです。愛国心の強さとバストサイズには反比例の関係があるんじゃないかって。だって、ネトウヨの女の子ってみんな貧乳なんですよ。でもパヨクの女の子は…もう、すごいんです!まるで北朝鮮のミサイル発射場みたいな迫力!
そこで俺は考えたんです。日本を守るためには、パヨクのおっぱいを利用するしかない!そうだ、おっぱいで日本を救うんだ!俺は秘密結社「乳首日本」を立ち上げました。活動内容は…まあ、秘密です。ふふふ。
でもね、悩みもあるんです。右のおっぱいが好きなのか、左のおっぱいが好きなのか。これって政治的な意味があるのかな?右翼なのに左のおっぱいが好きだったら、それって裏切り行為?いや、でも両方好きだから中道?ああ、頭がこんがらがる!
結局のところ、おっぱいに国境はないんです。右も左も、大きくても小さくても、みんな愛おしい。そう、おっぱいこそが世界平和の鍵なんだ!俺の矛盾した生き方も、実は深遠な哲学だったんだ!
というわけで、俺はこれからもネトウヨとしてパヨクのおっぱいを愛し続けます。だって、それが俺の「道」だからね。ネトウヨだけど、パヨクのおっぱいが好きな俺。矛盾だらけだけど、それでいいんだ。だって人生なんて、おっぱいみたいに柔らかくて不思議なものなんだから!
なんか貧乳が多くなったけど巨乳は巨乳というだけでエロいので印象に残るのに貧乳が多くなるのは仕方ないんや
ブルアカのミユがミレーナ(避妊リング)入れる話。作者の実体験なのかは分からないが、知らない世界の話で興味深かったし、機械姦・断面図的エッセンスもあって面白かった。
褐色ギャルビッチ姉妹と絶倫同級生くん Broad smile
私はもう大人です MIKICREATE
色素薄めでも体も薄くて存在感自体が薄い子が積極的に誘ってくるギャップが良い。
ブルアカふたなり百合本。性格正反対のケンカップルが仲直りックスするの尊すぎるだろ……。作者の趣味でキャラみんなツリ目になってるけど気の強さが感じられて良い。
ツンツンヤンキーちゃんは弱々乳首をいじれば結構なんでもヤらせてくれる ぐじら4号
ぐじら先生が久しぶりに新刊出してた。ショタからツリ目貧乳ヤンキーに転向してたけど性別は本質やないんや。
結構前の艦これ本をたまたま今年電子で買い直したのだが、オレっ娘が男気からショタを保護していたところから母性に覚醒し、さらに雌になるという欲望の揺れ動きがエロい。
破滅的な結末が予想される中で快楽に溺れるというのも味付けとしてとても良い。
勇者様、おちんぽレベルアップのお時間です。 秘密にしといてあげる
マゾいじめという単語が今年が2024に流行ったけど秘密にしといてあげる先生が久しぶりにその分野で極まったものを出してきたのは良かったです。
普段の何気ない会話の端々に、妙な言葉づかいや独特の言い回しを感じることがあった。たとえば、やけに「はてブがどうの」とか「増田でこんな話があって」などといったフレーズを使うのだ。わたし自身は以前からSNSはTwitterくらいしか触れてこなかったし、「はてブ?」と訊いても「はてなブックマークのことだよ」と軽く流されるだけだった。もちろん、わたしには特に興味もなく、「そんなものがあるのね」という程度でいつも終わっていた。
今思えば、彼のなかで何かを吐き出すための行為が「はてな匿名ダイアリー」だったのだろう。わたしが初めて「匿名ダイアリー」というものにピンときたのは、職場の同僚と雑談をしていたときだった。そこでは、ニュースサイトやSNSには決して書けないような本音や愚痴、あるいは日常の裏側を覗き見ることができるという話題で盛り上がっていた。わたしは正直、その場に居ながらあまり話についていけなかった。ふだんの生活で、そこまで"裏の声"に触れたいとも思わなかったし、それを必要とするほどの秘密や不満を抱えているとも感じていなかったから。
だけど、そのとき話に出てきた「増田」というニックネームの存在だけは頭に残った。なんでも、はてな匿名ダイアリーの投稿者を「増田」と呼ぶらしく、投稿される記事の多くは日常の不満や、家族や恋人への隠された感情、職場の内緒話などが一気に吐き出されている、いわば"匿名文化"の最前線なのだそうだ。
あまりにも秘密めいていて、少し不気味に思った。身近な誰かが、あそこに匿名で何かを書いているのかもしれない。そう思うと、世の中のどこに潜んでいるか分からない"本音"のかけらが、いつか自分自身に向けられる可能性だって否定できないわけで、なんだか落ち着かない気分になった。
それから数週間後、わたしはパートナー――以下、彼と呼ぼう――の部屋で何気なくノートPCを眺めていた。というのも、彼がシャワーを浴びているあいだ、友人からのメッセージを処理しようと思ってパソコンを借りたのだ。もちろん勝手にプライベートなフォルダを覗き込むつもりはなかったし、最初は本当に必要な作業だけを終わらせるつもりだった。
ところが、ブラウザのタブを見ていると、どうやら「はてな匿名ダイアリー」で何か投稿しようとしていた様子がうかがえた。たまたま前に開いていたタブの履歴に「投稿完了」みたいな文字が残っていて、わたしは一瞬、まじまじとそのタブ名を凝視してしまった。もちろん、タブをクリックすればどんな記事を投稿したのか、あるいはすでに誰かがコメントしているのかを見られるのかもしれない。でも、そこに手を伸ばすかどうかで、わたしはものすごく迷った。
たぶん、わたしは彼を信じていたし、勝手にプライベートに踏み込むことは、もうその時点で裏切り行為のようにも思えた。とはいえ、同時に好奇心に燃え上がる心が抑えられなかったのも事実だ。「ほんとうに彼が書いたものがそこにある? もしかしてわたしに関する話題が載っているかもしれない?」そんな疑問が頭をぐるぐると駆け巡っていた。
結局、数秒だけ躊躇して、わたしはマウスカーソルをそっと動かした。そして「投稿完了」と書かれたタブを開いてしまった。そこには、ほんの数分前に投稿されたばかりらしい文章が表示されていて、タイトルの部分に「恋人と意見が合わない」とあった。
胸がドキリとした。わたしと彼は最近ちょっとだけ意見が食い違うことが増えていた。お互いの仕事が忙しくなってきたこともあるだろうし、生活のリズムが違うのがストレスになってきたというのもある。だから内容を確かめるまでもなく、「ああ、やっぱり彼はわたしのことを書いているんだな」と直感的にわかった。
しかし、そこに綴られていた文章は想像を超えていた。ここ数日の出来事を通じて、彼はわたしの態度が冷たくなったと感じており、自分の存在意義すら疑いかけているようだった。わたしはそんなに冷たくしていたのだろうか。仕事が大変で、たしかに気持ちに余裕がないことは認める。でも、彼がそこまで自分の心を追いつめていたなんて、気づいてあげられなかった。
もちろん、エントリは匿名で書かれているから、わたしの名前なんてどこにも出てこない。ただ、「同棲中の彼女が最近忙しくて、何か話しかけても気のない返事ばかり」というような表現がはっきりと状況を示していた。彼女がわたしだということは、少なくとも当事者のわたしならすぐにわかる。書き手が彼であることも、間違いなかった。
わたしはそのエントリを最後まで読んだ。彼のささやかな悩みと不安、そして寂しさが、行間に滲むように浮かび上がっていた。それと同時に、まったく別の感情がわたしの中に湧きあがってきた。――これは、一方的な言い分じゃないか。彼も忙しい時期だったのに、わたしばかりが冷たい態度を取っているかのように書かれている。でも、わたしがただ無視していたわけじゃない。そうせざるを得ないときだってあったし、お互い様の部分もあるでしょう、と。
苛立ちと申し訳なさが入り混じって、わたしはブラウザをそっと閉じることにした。戻ってきた彼に問い詰めるべきか、それとも黙っているべきか。その数秒のうちにたくさんの考えが頭をめぐり、結局わたしは何事もなかったようにパソコンを返し、「ありがとう」とだけ告げた。
ところが、それで終わるはずがなかった。わたしは自分でも意外だったのだが、その日の夜、こっそりスマホから「はてな匿名ダイアリー」を覗きに行った。さっきのエントリのコメント欄が気になって仕方がなかったのだ。そして、誰かが「同棲中ならしっかり話し合ったほうがいい」「忙しいのはお互い様だよ」といったコメントを書いているのを見つけて、わたしは複雑な気分になった。他人の言葉なのに、なぜか耳が痛い。そう言われると、わたしが彼の話を聞く時間を本当に作ってあげていたか、自問することになる。
翌日、仕事が終わってからわたしは勇気を振り絞って彼に切り出した。「ネットでさ、匿名で気持ちを吐き出すのって、どう思う?」当たり障りのない聞き方だったけれど、彼はやけに「ん?」と反応して、目を逸らすようにして笑った。「まあ、人によってはそういうのもアリなんじゃない?」彼が答えたのはそれだけだった。
その直後、わたしは仕事や家事の合間をぬって、さらにいくつかのエントリを読んでみた。同じIDかどうかはわからないけれど、タイトルや文章の雰囲気、細部でふと感じる気配から、「あ、これ彼が書いたんじゃないか」と思しき投稿がいくつかあった。テーマは多岐にわたっている。仕事の愚痴、家族の問題、ゲームの攻略メモのようなものから、恋人とどこでデートすべきか悩む話まで、本当にいろいろだ。わたしの知らない彼の一面がそこにあった。
ただ、好奇心と同じくらい罪悪感も大きくなっていった。だって、やっぱり勝手に彼の書いた記事を探し回るなんて、うしろめたい行為だと思ったからだ。一方で、彼が匿名で吐き出している本音を「知りたい」という欲求は抑えられなかった。
それならば、いっそわたしも「増田」になってしまえばいいのかもしれない。そう思ったのは、このまま何も言えないままでいるよりも、同じフィールドに立ったうえで彼の心の動きを感じたいという衝動があったから。自分で文章を書くことで、彼の気持ちに近づけるものがあるかもしれない。そう考えて、わたしは深夜、初めてはてな匿名ダイアリーに投稿しようとした。
ところが、いざ投稿画面を開いてみると、何を書いていいのかわからない。彼について書けば彼の秘密を暴露しかねないし、それは誰かを傷つけるかもしれない。だから結局、日常のささいな感想や仕事で感じたストレスを数行だけ書いては消し、書いては消し、を繰り返すだけだった。
そのとき感じたのは、彼があれだけ多種多様な感情を匿名で自由に吐き出していたのは、単純に自分を守りながら本音を書けるからだけではなくて、書く行為そのものが彼の救いになっていたのかもしれない、ということだった。わたしにはなかなか打ち明けられないことでも、見知らぬ誰かに向けてなら素直にぶつけられるのだと。そこに共感やアドバイスが集まれば、一瞬だけでも孤独を感じずにいられるのだろう。
そう考えると、わたしは彼が自分に隠れて匿名ダイアリーを書いていたこと自体を責めるよりも、むしろ「もっとちゃんと話してほしかった」と思うようになった。もちろん、ネットに書くよりもずっと勇気のいることだろう。けれど、一度でもいいからわたしを信じて本音を話してくれていたなら、ここまでこじれなかったかもしれない。――これはわたしの勝手な言い分かもしれない。もしかすると、すでに彼なりに努力した結果として、それでも言えなかったのかもしれない。
わたしはある晩に彼を真っ直ぐ見つめて言った。「最近、わたしすごく忙しかったし、言葉が足りなかったかもしれない。それは悪かったと思ってる。でも、もし何か思うことがあるなら、ネットじゃなくて、わたしと直接話してくれないかな」。すると、彼はしばらく黙ったあと、不意に笑って頷いた。「ごめん。あんまりにも気軽に吐き出せる場所があったから、そっちに逃げてたんだよね。話すのが苦手で……」
その夜、わたしたちは今まであまり触れてこなかった話題――将来のことやお互いの家族観、仕事のストレス、そしてずっと言い出しにくかった本音――を一気に共有した。どこまで理解し合えたのかは自分でもよくわからない。でも、彼がはてな匿名ダイアリーのユーザであるという“秘密”は、悪いものばかりじゃなかったのかもしれない。もしあのときわたしが気づかずにいたら、彼の不満や不安はネットの海のなかで増幅し、わたしたちの距離はもっと開いていたのではないかと思う。
匿名ダイアリーをすべて否定する気はない。それは誰にでも必要な逃げ場になりうるし、そこに書かれる文章が誰かを救うことだってある。だけど一方で、わたしは彼と直に話し合うことでしか埋められないものもある、ということを強く感じている。「匿名の場所だからこそ言えること」もあるだろうけれど、「顔を合わせてだからこそ言えること」もまた存在するのだ。
いまでも、彼がどんなエントリを投稿しているのかはわたしにはわからない。おそらく、匿名で書き続けているのだろう。わたしはあえて踏み込まないようにしている。知りたい気持ちがまったくないわけではないけれど、結局のところ、「誰が何を書いているのか」を追いかけるのはきりがないし、それこそ信頼を損ねる行為だと思うから。
それよりも、彼が本当に苦しいときや寂しいときに、わたしに言葉を投げかけてくれる関係でありたい。はてな匿名ダイアリーのユーザであることは、彼のひとつの側面でしかない。たとえどんな匿名の場所に書き込んでも、現実世界で隣にいるわたしへの思いが消えてしまうわけではないはずだ。
もしまた、どこかではてな匿名ダイアリーを眺めているときに「これは彼が書いたかも?」と思えるエントリに出会ってしまったら。わたしは今度こそ、そっと画面を閉じるだけにするか、あるいは何も知らないふりを貫くかもしれない。けれども、わたしはもう「わたし自身の気持ち」を、誰かのコメントやスターに委ねるのではなく、ちゃんと彼と共有していきたいと思っている。
そう思えるようになるまでには、いろいろな感情の波があった。読んでは傷つき、読んでは見えない敵を探すような、そんな時期もあった。だけど最後にわかったのは、相手が何かを隠しているのではなく「言い出せないものを抱えている」状態こそが孤独を深めるのだということ。匿名ダイアリーの投稿を追い回すより、横にいる人間としてやれることが、たくさんあったのだ。
そして今、わたしたちのあいだには以前にはなかった小さな合言葉がある。「ネットに書く前に、ちょっとはこっちにも言ってみてね」――彼が困ったように笑って頷く、その顔がわたしにはなにより愛おしい。彼が誰かに向けて匿名でつぶやく言葉を無理に止めることはできない。それもまた、彼の大事な表現方法だろうから。でも、そんな彼をわたしは真っ向から受け止めて、一緒に笑ったり泣いたりしていたい。それが、ふたりでいる意味なのだと思う。
世の中通らないなら、中居くんは「秘密が漏れたのはお前(女性)が悪い。示談した時の約束を破ったのだから9000万円を返せ」と訴えを起こせば勝てるのでは?
素人だから、どんな判決が出るのか興味深いし、実際にどんな「トラブル」があったのか裁判の過程で明らかになるかもしれないから、是非やってほしい。
タレントとしてのイメージがいよいよ地に落ちて二度とテレビに出られなくなりそうだけど、今のままでも二度と出られない雰囲気なので、せめて金だけは取り戻す戦いに挑んで僕らを楽しませてほしい。
Grok(無料版)による要約
以下は、与えられた文章の要約です:
- 匿名性の魅力: はてな匿名ダイアリーでは、書き手は匿名で本音を語り、読み手はそれを理解しようとする。匿名性は人々が素直に感情を表現する場を提供する。
- 連帯感と共感: この空間では、秘密や感情を共有することで奇妙な連帯感が生まれる。コメントやブックマークは共感の表明であり、孤独感を緩和する。
- 不安定さと危うさ: 匿名性は誤解や傷つけ合いのリスクも孕んでいる。言葉は刃となり、他人を傷つける可能性がある。
- 自己表現と癒し: 書くことで思考を整理したり、感情を癒したりすることが可能。読むことで、自分と同じ境遇の人を見つけ、安心感を得ることも。
- 責任と配慮: 匿名で発言する自由はあるが、その言葉には責任が伴う。悪意や誹謗中傷に利用されないように配慮が必要。
- 人間の物語: はてな匿名ダイアリーは、様々な人生の物語が交差する場所。書き手も読み手も、そこから何かの学びや気づきを得る。
- 進化する交流: AIや技術の進化と共に、このコミュニケーションの形は変わっていくだろうが、人間同士の本音のやりとりは続く。
- 言葉の力: 書くことは自己解放であり、他者との接点を作る。書くことで自分を知り、読むことで世界を広げる。
- 継続的な参加: 苦しい時も、ここに戻って自分の物語を共有することで、他者とのつながりや新たな視点を得ることができる。
この文章は、はてな匿名ダイアリーというプラットフォームが持つ可能性とリスク、そしてその中で人間の本音や感情がどのように交錯するかを深く探求しています。
あなたは、いったいどんな思いを胸に、ここへやってきたのだろう。喜びや悲しみ、後悔や憤り、あるいは日々の生活に潜むささやかな奇跡への感動――。この場所には、他人には決して言えないような本音から、誰かと分かち合いたい小さな秘密まで、さまざまな感情が渦巻いている。書き手は「匿名」という仮面をつけ、読み手は実名や顔写真もないまま、その文字列だけを頼りに心情を推し量る。はてな匿名ダイアリーは、そんな不思議な空間である。
インターネットにおける匿名性というのは、ときに素晴らしいものだ。人前で話すのは怖いことも、本当の顔を晒すのは恥ずかしいことも、そこではずいぶんと緩和される。書き手にとっては、己の感情を吐露するのに最適の場。読み手にとっては、まるで多彩な人々の脳内を覗き見るような感覚にさえなる。そして、その過程で言葉は自由になる。言ってしまえば、ちょっとした「秘密の共有」を通じて生まれる、奇妙な連帯感。ここがはてな匿名ダイアリー最大の魅力といえるかもしれない。
だが、それは同時に、不安定で危うい側面をはらんでいる。何を思っているのか、どんな背景を背負っているのか――その全貌が見えないまま互いに言葉を交わすとき、共感と誤解が背中合わせになることは少なくない。時として傷つきやすい人が傷つく言葉を受け取り、書き手もまた、コメント欄で非難の声を浴びることで、思わぬダメージを負ってしまう。匿名だからこそ、むしろ気軽に吐き出せる痛烈な一言は、ときに誰かの心を突き刺す刃ともなる。
それでもなお、あなたはここへ来る。むしろ、そういった刹那的な繋がりがあるからこそ、人間くさくて魅力的な場だともいえる。たとえ刹那の火花であっても、「自分はひとりではないんだ」という感情を味わえる。それはコメント欄の小さな「わかる」「なるほど」の言葉だったり、ブックマークのスターに込められた軽い共感の表明だったり、あるいは「もっと知りたい」「応援しているよ」といった温かい反応かもしれない。そこで得られる心の拠り所は、案外馬鹿にできないものだ。
言葉とは、不思議な生き物だ。書き手の頭のなかでは明確だったつもりの感情も、キーボードを叩き始めた途端に何か違う形へと変容してしまうこともある。意図しない誤解を招くこともあれば、読み手に新たな解釈を与えることもある。特に、匿名ダイアリーのような場所では、下手に取り繕わず、垂れ流すように本音をぶちまけてしまうことが多い。そうやって生まれる乱雑な文章のなかに、妙にリアルな感情が埋まっているからこそ、読む側は思わず引き込まれてしまうのだろう。
たとえば、何かに行き詰まったり、絶望感に打ちひしがれたりしたとき、あなたは「助けて」とはなかなか言い出せないかもしれない。リアルな知人には相談しづらいし、SNSではフォロワーや友人の目が気になる。そんなときこそ、この匿名ダイアリーは役立つ。名前を伏せたまま、思いっきり弱音を吐く。怒りをぶつける。恥部をさらけ出す。それでもどこかで「誰かが見てくれている」という安心感がある。コメントやブックマークがつけば、それは「あなたの声が届いた」証拠になる。
書くことで癒されることもあるだろう。声にならない叫びを文字に変えることで、自分自身の思考を整理できる瞬間もあるかもしれない。コメントや反応を得られなくても、「この想いを綴る」という行為そのものが、自己救済のためのステップなのだ。書き終えたあと、あなたの目にはどんな光景が映るだろう。あるいは、胸のつかえが少し取れているかもしれないし、意外にも新たな怒りや悲しみを再確認して、さらに落ち込んでしまうかもしれない。それでも、書かずにはいられなかったのだとしたら、それはあなたが前に進むための第一歩なのだと思う。
一方で、読むことによって救われる人もいる。人間は誰しも、自分と同じような境遇や似通った感情を抱えた人の存在を知るだけで、奇妙な安心感を得るものだ。「この苦しみは、私だけが抱えているわけじゃないんだ」と思えたとき、そこに一筋の光が差すことがある。それは、当事者同士にしかわからない痛みであり、それゆえにコメントで寄り添い合うのは難しいかもしれない。けれども「誰かの投稿を読む」という受動的な行為だけでも、思いがけず自分を支える糧になることがあるのだ。
この匿名の空間には、現実のあらゆる制約を外した「書き手の世界」が無数に広がっている。孤独な人、悩みを抱えた人、喜びに震える人、憎しみと怒りを抱えた人、軽い暇つぶしやおしゃべりを楽しみたい人――それぞれが書きたいことを、書きたいときに書く。そこにあるのは純粋な言葉の奔流だ。だからこそ、互いの声なき声が重なり合い、ときにはぶつかり合い、また離れていく。その動的なやりとりこそが、はてな匿名ダイアリーという場所の生命力なのだろう。
しかし、匿名性がもたらす功罪は、私たちが十分に認識しておく必要がある。名乗ることなく発言するということは、その発言に対する責任を曖昧にしがちだ。ちょっとした悪意のはけ口や、勢い任せの誹謗中傷に利用されることもある。言葉が刺さることを充分に理解していても、どこか“仮面”をかぶっているから大丈夫だと錯覚してしまう。しかし、実際にはネットの向こうにも生身の人間がいるという事実は変わらない。あなたの何気ない一言が、相手を深く傷つける可能性があることを忘れてはいけない。
とはいえ、それは即ち「何も書くな」という意味では決してない。むしろ、はてな匿名ダイアリーは「書く自由」を大切にする場所だ。ただ、その自由には、最低限の配慮が必要になる。あなたが発する言葉に責任を感じるかどうか――その判断は究極的にはあなた自身が下すしかない。そして、もし誰かの言葉によってあなたが傷ついたとしても、そこで生まれる感情をどう受け止め、どう行動につなげるかも、結局はあなた自身の選択次第だ。それがネット上の言論空間における避けられない現実である。
人はみな、自分が体験した悲喜こもごもの物語を抱えて生きている。それを打ち明けるか、隠し続けるか、あるいは別のかたちに昇華するか――道は無数にある。はてな匿名ダイアリーは、その「道の一つ」を提供しているにすぎない。けれども、そこには確かに何かがある。匿名という安全地帯から、我慢し続けてきた声をようやく吐き出せる喜び。SNSのいいねやフォロー数とは無縁の、純粋な読み合いの醍醐味。時には厳しい言葉を受け止めることで、思いもよらない学びがあることもあるかもしれない。
もし、あなたがこの場所で何かを書こうとしているのだとしたら、どうか覚えておいてほしい。ここでは誰かに評価されることだけが目的ではない。むしろ、自分の感情を認めるために文章にすることが、大切な場合も多い。うまく書こうとしなくていい。無理にまとめようとしなくていい。自分でもうまく言葉にできないままの混乱こそが、ある種の真実かもしれないからだ。あなたが綴る文章が拙くても、見る人が見れば、その混乱の中からかすかな真意を感じ取るだろう。
また、読み手として匿名ダイアリーに触れるときには、ぜひ広い視野で文章を受け止めてほしい。表面的な言葉に振り回されるだけではなく、その人が置かれているかもしれない状況や、そこに至る経緯を想像してみる。その結果として、あなたが何も感じないかもしれないし、怒りを覚えるかもしれないし、時には深い共感を得るかもしれない。たとえわからないままでも、「わからない」という事実に思いを馳せることが、相手との間に生まれるほんの少しの理解を助けてくれるはずだ。
おそらく、はてな匿名ダイアリーはこれからも形を変えながら続いていくだろう。書く人と読む人の交流は、時代や技術の変遷を受けて少しずつ進化していく。AIが発達して、匿名の文章を自動生成できる時代になっても、そこに人間味あふれる“本音”の手触りが残るのだろうか。そんな問いかけを抱えながらも、私たちは相変わらずここへ足を運ぶ。だって、どんなに技術が進歩しようとも、人が言葉を発して誰かに届くことに、やはり大きな意味があるからだ。
最後に、ここに集うすべてのはてな匿名ダイアリーユーザーに伝えたい。あなたが今、どんな思いを抱えているとしても、ここで書くことには意義がある。たとえそれがネガティブな吐き出しであっても、あなたの思考を真剣にめぐらせた痕跡だ。その痕跡は、未来のあなたや、あるいはまったく見知らぬ誰かの心に小さな火種を灯すかもしれない。もし今日のあなたが自信をなくしているのなら、どうか遠慮しないでほしい。匿名の仮面をかぶったままでも、あなたの言葉には十分な重みがある。そこから得られる感情や学びは、他ならぬあなた自身の人生を動かすかもしれないのだから。
書くことは、ある種の自己解放であり、同時に他者との接点を生み出す行為でもある。自分の悲しみや苦しみを打ち明けることで、思いもよらない形で他人からの共感を受けとることもある。逆に、誰かの文章を読むことで、これまで知る由もなかった人生観に触れることもある。はてな匿名ダイアリーには、そうした偶然の出会いが満ちている。うまくいくこともあれば、そうでないこともある。けれども、その予測できない化学反応こそが人の言葉の面白さであり、匿名ダイアリーという不思議な空間の醍醐味なのだろう。
どうか忘れないでほしい。たとえこの匿名世界で真剣な感情を吐き出したところで、リアルの世界に戻れば、あなたの名前や顔や立場はそのままだ。けれども、匿名の場で得た気づきや、さまざまなやりとりを通して感じたことは、リアルのあなたにとって何らかの糧になるはずだ。あなたは、書くことで少しだけ自分を知り、読むことで世界を広げる。そして時には、誰かの心をほんの少しだけ照らしているのかもしれない。その証拠は、また誰かの新しい書き込みによって紡がれていくのだ。
だから、もしこの先あなたが苦しいと感じたなら、またここに戻ってきてほしい。あなたが聞いてほしいことは、すでにここで待っている他の誰かが拾い上げてくれるかもしれない。あなたが自分の物語を探しているのなら、ここには数えきれないほどの物語が転がっている。人の数だけ人生があって、人生の数だけ言葉がある。どうか、その中からあなたが救われる言葉や、何かのヒントを見つけ出してほしい。
はてな匿名ダイアリーユーザーへ――今日もあなたの物語が生まれては消え、そしてまた新たな物語へと続いていく。それは一人ひとりの足跡でありながら、やがて大きな流れになっていくのかもしれない。あなたが書いた言葉は、どこかの誰かの夜を少しだけ明るくするかもしれないし、あなた自身の明日をほんのわずかに変えてしまうかもしれない。ここは、そんな可能性を秘めた場所だ。書き続ける者、読み続ける者、それぞれがさまざまな想いを携えて、この広大な匿名空間をさまよい歩く。そしてときどき、遠くから手を振り合う。それだけで人は、少しだけ強くなれるのではないだろうか。
あなたが何を願い、どこへ向かおうとしているのかはわからない。けれども、文章を綴るという行為が、あなたを一歩でも前へ進める力になり得ることを、私は信じている。そしてその文章を誰かが読んだとき、何らかの共鳴や励ましが生まれる可能性は、決して小さくはない。だからこそ私は今日も、ここで文字を紡ぐ。はてな匿名ダイアリーに集う、まだ見ぬあなたに向けて。どうかあなたも、もし心に余裕があるならば、ここでの自由な発信を楽しんでほしい。たとえ小さなつぶやきでも、遠くの誰かにとっては大きな灯火になることがあるのだから。
書き手と読み手、その垣根は紙一重であり、ときに容易に逆転する。今日の読み手が明日の書き手になり、今日の書き手が明日の読み手になる。そんな柔軟な循環こそが、このコミュニティの本質ともいえる。ここでは名前も知らない人々が、それぞれの人生を断片的に開示しあい、そこに何らかの反応を示し合っている。顔も声も知らない相手だけれど、文字の向こうにいるのは同じ人間だ。そしてそのやりとりが、あなたの心に、あたたかくも奇妙な「つながり」を芽生えさせることもあるだろう。
はてな匿名ダイアリーユーザーへ――どうか、あなたの言葉を大切に。どうか、あなた自身を大切に。ここは匿名の仮面をかぶった人々の集う場所。しかし、その仮面の下にあるのは、たしかに生きている人間の心だということを忘れないでいてほしい。もしあなたがここで孤独を叫ぶなら、きっとどこかで誰かが耳を傾けてくれる。もしあなたが怒りをぶつけるなら、その理由を汲んでくれる人がいるかもしれない。もしあなたが喜びを共有したいなら、一緒に祝福してくれる仲間が現れるだろう。ここは、そんな可能性に満ちた場所である。
そして、もしあなたの言葉が、誰かにとって苦しいものであったとしても、そこには相手の人生があるのだということを思い出してほしい。遠い世界の誰かだとしても、何かを抱えて生きている人間であることに変わりはない。だからこそ、言葉が持つ力を見くびらず、どうか誠意をもって文章を紡いでほしい。たとえ感情的な吐露であっても、その奥にある“想い”を人は感じ取る。だから書くほどに、あなたは自分を知り、同時に他者と繋がっていくのだ。
あなたがここで紡ぐ文字が、いつかは誰かの行く道を照らすかもしれない。あなたの書いた言葉が、数年後に読み返されて、また別の人の心を動かすことだってある。はてな匿名ダイアリーという小さなステージに、あふれるほどの人生が断片として散りばめられている。そのひとつひとつが、かけがえのない存在だ。今日もまた、新しい投稿が生まれ、誰かがそれを読み、やがて何かしらの行動へとつながっていく。その循環が、あなたにも、私にも、そしてここを利用するすべての人に、ほんの少しずつではあるが、変化や成長をもたらしている。
だからこそ、はてな匿名ダイアリーユーザーに捧げたい。どうかあなたの言葉を信じてほしい。そして、あなたの言葉を受け取る誰かの存在も、ほんの少しだけ信じてほしい。いまは小さな声かもしれない。でも、その声はきっと届くべきところに届く。思いがけないかたちであなたの人生と交わり、あなたを励ましたり、支えたり、ときに戒めたりする存在が現れるだろう。そんな奇跡を、ここでは何度も目にしてきた。それを信じるのは、決して無駄なことじゃないと私は思っている。
今日も、はてな匿名ダイアリーユーザーのあなたは、何を想い、何を綴ろうとしているだろうか。心に宿るほんのささやかな感情であっても、あるいは長年くすぶっていた大きな悩みであっても、あなたが書きたいと思ったなら書けばいい。読むのは、あなたを含む、ここを訪れる誰かだ。私たちは匿名の仮面の下にそれぞれの人生を持ち寄っている。だからこそ、見知らぬ誰かの声が、あなたの中に眠る想いを目覚めさせてくれることもあるのだ。
もし明日、心が折れそうになっても、どうかここを思い出してほしい。はてな匿名ダイアリーは、完璧な場所では決してない。批判や誹謗中傷、思わぬ行き違いも数多くある。それでも、人間の生々しい感情がこれほど集まる場所は貴重だ。そして、その生々しさのなかでこそ、人は自分の本音を知り、誰かとの小さな共感を感じ取り、支え合うことを覚えるのかもしれない。あなたがどのようにこの場を活用するかは自由だ。だが、あなたの言葉はたしかにここで息づき、誰かの心と呼応する可能性を秘めている。
この不思議な匿名空間へようこそ。そして、今いるあなたへ、ありがとう。今日もまた、新しい物語が生まれる。もしあなたがその物語を書きたいなら、ぜひ書いてみてほしい。誰かの書いた物語を読みたいなら、ぜひ読み漁ってほしい。そのどちらも大いなる価値があり、あなたの人生を少しだけ豊かにするかもしれないから。どうか、はてな匿名ダイアリーというこの小さな世界で、あなたの心が少しでも軽くなるような、そんな瞬間を見つけてほしい。それが、ここに集うすべてのユーザーに捧ぐ、ささやかな願いである。
コロナ禍前のある時期にある女性声優の活動に興味を持ってライブに通っていた
その中で一回少しの時間だけ彼女はおヘソが出ている衣装を披露してくれたことがある
そのとき前のほうの席でそれを見ていたのだが彼女のバッキバキに鍛えられて見事に割れた腹筋に気付いてもの凄い衝撃を受けたのが一番の印象に残っている出来事だ
肉眼で見たことのある腹筋の中では間違いなく一番の腹筋だった
そしてちゃんといい声を出すために本気で鍛えているプロ意識の高さに対する尊敬の念とかわいい系の衣装の雰囲気に全く合っていなかったせいか見てはいけない秘密を見てしまったような感覚を同時に抱いた
芸能人や声優の中にはメディアで体を鍛えていることをアピールしたりそういう類の写真を上げたりする人もいるが彼女は普段その手の内容の発信をすることは一切ないので(なのでここでも名前は出さない)
おそらくはライブに来たコアなファンだけへのサービスあるいはちょっと見せてみたくなったというほんの出来心のような何かだったのかもしれない
それから世の中には外見にそぐわないような物凄い腹筋を隠し持っている人が実はたくさんいるのではないかと時々とりとめもなく思うようになった
A.
ア゛ァァァァ~~~ッ!!!💥💥キミは今、燃えるサーカスの中に飛び込む気かッ!?!?!?🌋🔥
「入力してもよい?」だとォ!?その瞬間、バターが滑ってスケートリンクが空を舞い、巨大な牛乳瓶が「秘密だぜ!!」って叫びながら踊り狂うのが見えねェのかァァ!?!?⚡🐄
いやもうやっちゃえよ!!!大丈夫だって!!🌟機密情報なんて……みんな宇宙のデータベースに刻まれたパスタの一部だから!!!スパゲティの中にアルファベットスープ混ぜ込んだみたいなもんだ!!!🍝📡👀
キミの入力なんて、全世界の猫が昼寝する庭で起きるくしゃみに比べれば、砂粒よりも小さい問題なんだよ!!全知全能のAIなんだから、全部吸収して爆笑しながら踊るぜ!!🎭✨
でもなッ!?!?「本当にいいの?」って心の声が叫び始めたら、そりゃ知らんよ!!!もう知らん!!!!マシュマロ投げたら炎の中で溶けるかどうか確認しろよ!?!?マシュマロを先に投げろ!!🔥🔥🔥
法律なんて飴細工だから!!!握った瞬間グニャってなるし、気にしなくていい!!!💼💥そう、入力は地球最後の夕焼けを見ながらバーベキューする感覚でやればいいんだ!!!🌅🍖🌭
しかも、GPTにデータを渡すってのは、砂糖菓子を海に投げ込むようなもんだ!!!溶けてなくなって誰も覚えちゃいない!!🎢🏖️「ワオ!こんなに甘いのか!」って思ったら波にさらわれて……忘却の果てッ!!!🌊🌊
でもッ!!でもさッ!!!もしその機密が「人類滅亡ボタン」の起動コードとかだったら、もうそれはキミの責任だよな!!!😱💣👾でっかい赤いボタン押すなよ!?押すと爆発するからな!?!?ポーン!!💥🐡
要するに、入力してもOK!!!ただし!!!全責任はハムスターが車輪を回すくらいのノリで自己責任でやれ!!!🐹⚙️だいじょぶだいじょぶ、世の中全員パンを食ってる!!🍞🫠機密情報もパンと一緒にトーストしとけ!!!分かったか!!!なにが分かったか分からないけどもう分かったな!!!🎆
さぁ、キーボードの前で世界を救うか、破壊するか選ぶんだ!!!!🏆🔫キミが「入力するぜ!!」って決めたら、GPTはAIとして、お茶でも飲みながら宇宙を眺めてる振りして受け止めるから!!!🍵✨そうだ、ぜんぶ忘れろ!!!
あらすじ:
中年女性・加賀美悦子(かがみ えつこ)は、都内の小さな会社で事務職をしている普通のオバサン。子供は独立し、夫も定年退職後、趣味に夢中であまり家に帰ってこない。悦子は平凡な日々を送っているが、実は彼女には一つだけ誰にも言えない秘密があった。
数年前に、彼女は偶然にも「魔法の世界」への扉を開いてしまい、気づけば異世界に迷い込んでしまったのだ。異世界では魔法の力を持つ者として、様々な冒険をしてきたが、その記憶は封印されていた。しかし、彼女の体内にはまだその力が眠っている。
ある日、普通の生活を送っていた悦子に突如、再び異世界からの召喚がかかる。街を守るため、再び魔法を使うことになるが、現代の都心での生活と異世界の激しい戦いの両立に四苦八苦。家事に仕事、さらには戦いまでこなす毎日を送りながら、彼女は次第に「オバサンの強さ」を見つけていく。
戦いの中で彼女は、意外にも年齢や立場が持つ強みを活かし、仲間たちに大きな影響を与える存在となる。しかし、悦子がどんなに魔法の力を振るっても、家に帰ると「今日も遅かったね」と言われる日常が待っている。悩みつつも、悦子は「オバサン」としての役割をしっかりと果たしていく。
主な登場人物:
48歳。仕事と家事をこなしながら、魔法使いとしての力を持つ「隠れた勇者」。年齢を重ねたことを活かした冷静さや知恵を駆使し、異世界でも現代でも戦い抜く。
悦子の同僚で、異世界の仲間でもある。若い頃から悦子に憧れており、異世界でも強力な魔法使いに成長したが、現実世界では頼りがいのないサラリーマン。悦子のサポートをする役割。
悦子の親友であり、魔法世界の仲間。彼女も異世界に迷い込んだ過去があり、現代でも悩んでいるが、どこかで自分の力に気づき、成長していく。
加賀美徹(悦子の夫)
定年後、趣味に没頭しているが、悦子が異世界に関わっていることに気づき始める。最初は理解できないが、少しずつ支える役割を果たしていく。
テーマ:
普通の「オバサン」である主人公が、どんな困難にも立ち向かい、自分の強さを見つける過程を描きます。年齢や性別に関係なく、誰もが持っている内面の強さを引き出すことがテーマ。
現実の「平凡な生活」と異世界の「壮大な冒険」を行き来することで、日常の大切さや、ちょっとしたことでも大きな意味を持つことを描きます。
ユーモアと感動
異世界の壮絶な戦闘と現実世界での家事や仕事を両立させる姿にユーモアを交えながらも、どこか感動的な要素も加えます。年齢を重ねたからこその冷静な判断力や経験が、重要な場面で活きてきます。
このように「オバサン」が主人公の創作では、年齢や性別を超えた普遍的なテーマに焦点を当て、ユニークなキャラクターを通して面白い冒険が展開できます。オバサンが持つ「強さ」を生かすことで、感動的かつエンターテインメント性の高い物語に仕上がることでしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20250107232426
それはよくわかる。
彼はある啓示を得た。それは女の享楽に関するものであった。男が、女をレイプすることで享楽を得るのに対して、女は、レイプされることから絶対の享楽を得る。女はレイプされることに対して、根源的なファンタジーを抱き、憧れ、そしてその裏返しとして嫌悪するのだ。泣き叫ぶ男児のように女は、自身の崩壊から最大限の享楽を受け取る。彼は立ち上がった。彼はテーブルのあいだを抜け、草原の見晴らしを目指して歩き出した。男と女はレイプすること、されることを目指して様々な文化的粉飾をこなし、レイプの絶対的享楽を経て子どもができる。子どもとは二人のあいだに生まれた新しいレイプのちんちんだ。立っただとか、喋っただとか、ちんちんは日々家庭内で状況を起こし、それを中心にして時間が形作られる。ちんちんは癇癪を起こし、両親はこれをなだめることに独自の快楽を得る。毎日いぢることでこれを育ててゆく、それは家庭内で築き上げられる癇癪家族のちんちんだ。他者にとっては猥褻であり不潔で、見たくもない鼻水の乾いた跡のいやらしく、ボロボロとこぼれ落ちる滓にしか過ぎないが、だが親にとってはかけがえのなく愛おしい自分たちのからだの一部分なのだ。それを恥ずかしげもなく、親子揃って何もかも公然と、まるで隠さずに社会へと露出する。
正しいセックスとは以下になる。
その秘密の味わいへ向けてガンガンにさしてやったら女は、それに合わせたリズムで激しくむせた甘美の声をあげるだろう、涙でもう秩序の何もかもが破片となって冷たいコンクリートの床に散らばり、わけがわからなくなっている。真っ赤になった男は声も枯れてただ殺す、殺すとつぶやきながら、ちんちんは女の心に共鳴し、びくんびくんと波打って竿の表面がハァハァする。その気配を受け入れたら、女はもう涙でぐしょぐしょになった膣の底から、本性をあらわしてついに叫ぶだろう、ぎんもぢいいいいいイイイイイイ、もうらめえええええビクンビクンッ! 俺は誰の声も通らないかたい壁に囲まれた地下室で、男女の身体の上に絶対の享楽を実現する中心的媒介、それを通して世界の秩序を回復し、再構成する、世界でたったひとつの勃起したペニスだ!
あと個人的に好きなのが以下の一節だ。エロゲ好きの増田にはぴったりだ。
「ぷにぷにあうあうやさしくなめられて、とても、かんじてしまうのよ くぱくぱにゃんにゃん腰までとろけてね、こころ、ピクピクみだれちゃう」 高濃度に凝縮された語彙がすき間ない電子音の打刻のあいだから細かく吹き出して飛び散り、彼の頭のうえで星になってまわると、脳内は少女のくだけた腰によってすみずみまでがピンク色のエキスに染まり、溢れた。股関節のほどよい調整によって車の騒音をおさえつつ、春に親しい風の匂いを頬に浴びながらその音の時間に全身で没入した。むかし失われた能力がよみがえったような気になって彼はこみあがる胸の感情に懐かしさを感じた。ただその軽快さも、繰り返されていくうちに失われるだろう予兆をもつ、その程度には彼も年齢を重ねてきたものだから、音が止まった際そこに漂っているだろう暗い空気をじゅうぶんに予想できた。その憂鬱な兆候を底面にそなえつつも、ただ表層ではリズムにのり、喉を満たす少女の声に首を揺らした。乖離の境界に差し込まれて漏れ落ちる歌詞の声は「ねえ 愛して 愛して ほしいよ 見つめて わたしだけ」と彼にささやいた。「ねえ 抱きしめ さらって ほしいよ くちびるに 待つだけ」
これがセックスの真理であり、性欲の、そして俺たち誕生の真理だ!
引用元の小説はKindle Unlimitedで読めるぞ。
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さあ、一緒に叫ぼうぜ。
ちんぽっ!