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はてなキーワード: 現代とは

2024-12-16

anond:20241216140631

隠密行動すればトゥナイト2も観れたしな

と思ったがエロスマホ持つようになった現代の子供の方が強いか

anond:20241215222347

これが反発されるのは女性優位な現代恋愛市場構造増田自覚してないように見えるからだよ

そもそも一部の強者男以外は女性側に何も望めなくて「女性側のプロトコル」に則るしかない

女性側のプロトコル」に則らない男は土俵にすら立てない

ちなみに男性から見た「女性がこう振舞ってくれたら嬉しいな」は「女性側のプロトコルから離れて「男性側のプロトコル」に則ってくれることです

男性にとって嬉しいのは「女性側のプロトコル」を求めない、男にとってクソめんどくさくない振る舞いです

現代恋愛市場は男側が「女性側のプロトコル」に則って始めて成り立つということを女性は頭の片隅にでも置いといてくださいって話

anond:20241215235822

元増田は、一応統計学は知っているのだろうが、この類の分析門外漢なんだろう。

雑に言えば、相関係数にはデータタイプごとに相場観があって、0.8でも「低い」という分野もあれば、0.5でも「超高い」という分野もある。

p値だって分野ごとの相場観があって、0.1が「十分低い」という分野もあれば「高過ぎる。有意ではない」という分野もある。

そもそも有意か否か」という考え方をしないのが現代的だが。)

 

著者自身が書いているように、0.1台の相関係数はそれを考えても低いが、だからと言って論文で何も書かない、というのもおかしい。

今は、アンケート調査実施する前にどのような仮説を検証するための調査なのか等を外部に登録をしなければならず、登録たからにはその結果を公開する必要に迫られる。

国立大学なので、研究費はおそらく税金がらみだろう。)

したがって、斎藤氏への姿勢CRTSRS調査をした以上、「弱いが有意な正相関があった」以外の論文の書きようが無い。

元増田は、統計学は知っているのかもしれないが、研究世界のことはよくわかっていないのではないか

anond:20241216100238

日本の貧富の格差は、有史以来、政治体制経済構造社会価値観の変化とともに推移してきました。以下に歴史的な流れを概観し、現代の状況について分析します。

 

1. 古代中世貴族武士による支配社会

• 特徴:

大和時代から平安時代にかけては、土地の所有と収穫物に基づく支配が貧富の格差を生みました。特に貴族豪族荘園制度を通じて富を集中させ、農民はその下で租税負担する立場に置かれていました。

格差の程度:

封建的身分制度によって、富の分配は厳しく制限されていました。武士が台頭した鎌倉室町時代も、土地所有権が富の主要な指標であり、武士地侍農民支配する形で格差固定化されていました。

 

2. 江戸時代封建制度下の身分格差

• 特徴:

江戸時代武士農民職人商人という厳格な身分制度がありました。武士形式上最上位に置かれましたが、実際には商人階級が財を蓄え、経済的な力を持つこともありました。一方、農民は重い年貢負担し、経済的に厳しい状況が続きました。

格差の特徴:

武士の中でも上級武士と下級武士の間には大きな格差存在し、農民の間でも富農と貧農に分化するなど、社会の中で格差が細分化していました。

 

3. 明治戦前資本主義の導入と新たな格差

• 特徴:

明治維新により封建制度廃止され、土地制度改革産業化が進む一方で、資本主義の導入により新たな貧富の格差が生まれました。地主層と小作農格差が深刻化し、労働者層は低賃金過酷労働従事することが多かったです。

格差の拡大:

産業の発展により、財閥や大地主が莫大な富を蓄積する一方で、多くの農民労働者貧困状態に置かれました。

 

4. 戦後高度経済成長期(格差の縮小期)

• 特徴:

戦後農地改革により地主小作農格差が解消され、労働者権利が拡大しました。また、高度経済成長期には「一億総中流」という言葉象徴されるように、国民の大部分が中流意識を持つ社会形成されました。

• 要因:

公平な所得分配教育の普及、企業終身雇用制度などが格差縮小を支えました。

 

5. 現代1990年代以降)

 

格差の拡大

バブル崩壊以降:

1990年代バブル経済崩壊後、格差が再び拡大傾向にあります非正規雇用の増加、年功序列型の賃金体系の崩壊地方都市経済格差が顕著です。

経済指標:

ジニ係数所得格差を示す指標)は、バブル期の低い水準から徐々に上昇しています。また、OECDの報告によると、日本先進国の中で格差比較的大きい国に分類されています

 

高齢者と若年層の格差

高齢者層では退職金年金恩恵を受ける人が多い一方、若年層では非正規雇用が多く、所得が安定しない状況が続いています

 

都市地方格差

東京をはじめとする大都市圏では経済活動が集中している一方で、地方経済的停滞が課題となっています

 

6. 現代格差の特徴

総合評価:

現代日本は、一億総中流社会から二極化」が進む社会へと変化しました。特に非正規雇用層や低所得層が増加しており、所得格差が大きな社会問題となっています

• 主な要因:

グローバル化競争の激化

高齢化社会の進展

労働市場の変化(非正規雇用の増加)

地域格差

改善の取り組み:

現在政府は、最低賃金の引き上げや所得再分配の強化を進めていますが、十分とは言えず、社会保障制度の充実や教育機会の平等化などが引き続き課題となっています

 

まとめ

日本の貧富の格差は、歴史的社会体制経済構造の変化に応じて拡大・縮小を繰り返してきました。現代では、バブル崩壊以降の経済構造の変化によって、格差が再び拡大していると言えます。一方で、格差是正に向けた政策の進展や国民意識の変化が重要なカギとなります

このポリコレ運動流行らせたら俺たち有色人種が天下取れるんじゃね?

白人よお、お前らほんと鬼畜歴史だよな。末代まで業を背負ってるよな。

現代だけ見てもイランプエルトリコボリビア日本フィリピンハワイ……ほんとデタラメ凌辱されてきたよ。


でも昨今のポリコレ?お前らのなかで自らああでもないこうでもないと理由付けクリエイトして反省するの流行ってんじゃん。

 

あれ発想自体はいいけど惜しい。


先祖凌辱されてきた俺たち有色人種を決して深読み反省運動に巻き込まず、

なおかつお前ら白人だけはその沼にハマって俺達に萎縮し続ける責任がある』


これこそがお前ら罪深い白人が取り組むべき真のポリコレだよ」



この運動流行らせたら俺たち有色人種が天下取れるんじゃね?

とりあえず本当に天下取れたら俺が初代世界統一首相になっていいか

2024-12-15

『冠を持つ神の手』のイベント「神の業、人の業」

この世界ではおよそ20年に1度、神様に選ばれた印を顔に刻まれて生まれてくる子供がいる

発光した複雑な模様で人為的には作ることはできず、神の業だとされる

その印を持つ者は15歳になって成人したら国王になり、また次の印を持つ子が生まれて15歳になったら譲位する決まり

大体15歳から35歳まで王様をやることになる

主人公は印を持って生まれたが、ワケアリの母に「みっともないアザは隠しなさい」と言われて育ち、母が急逝後に呆然として言いつけを破って顔を晒していたせいで14歳になって初めて王城連行される

本来なら20年ごとにしか印持ちは生まれないのに王城には主人公の他にもう一人印を持った子供ヴァイルがおり、生まれた時から帝王教育を受けて育ったヴァイルの能力を15歳になるまでの1年間で追い抜けたら主人公玉座を勝ち取れることになる

「神の業、人の業」は、神の業によってつけられた印を人為的他人移植ができないかという実験が行われるイベント

ヴァイルの従兄のタナッセと憎み合っていると、タナッセが魔術師を雇って無理矢理主人公の印を奪おうとする

その魔術師発言によれば、印はもとより神の恩恵などではなく、古代の強力な魔術師人間に植え付けたものにすぎないという

一定以上の魔力を持って生まれた者に発現し、印を持つ者はその魔力の高さを無意識に活かしているがためにあらゆる分野で非凡さを見せ、まるで神に選ばれたような実力を発揮できるにすぎないという

タナッセは印によって王位を得る制度懐疑的であり、人の業で奪える程度のものだと証明することで制度をぶっ壊そうとしていた

しか古代の術師の能力現代魔術師からすると複雑深遠すぎて、印を奪っても主人公生命には問題ないという話だったがやっぱり続行すると死んじゃうわとなった

結局タナッセは人殺しになるほどの度胸がないので儀式を中断、主人公瀕死状態になるも回復していく

だが完全には回復しきらない

主人公パラメーターはグングンズイズイ上がりやすくなっていたのだが、儀式前よりも上がりが悪くなる

中断したとはいえ途中まで儀式をやって、魔力をタナッセにかなり吸われてしまったせいで本来よりも弱体化したのである

その後タナッセと恋愛展開になってキスをすると体力値がピコーンと上昇するので、粘膜接触により魔力返還が行われるというエロゲでよくある現象が発生している可能性がある

タナッセと恋愛関係になった後で、無性別主人公が成人してタナッセと同性の男性を選ぶと、タナッセはホモは嫌じゃと姿を消してしま

しかそれから数年後、タナッセから指輪が届けられ、奇妙なぬくもりのあるその指輪をつけると主人公の体力がピコーンと上がる

主人公から魔力を奪って弱らせたことを後悔したタナッセが、ホモセックスお断りだがそれ以外の方法返還するために石に魔力を込める方法などを模索して届けたのではないかと思われる

主人公が女になった場合はすぐに結婚しており、セックスによる返還が行われているだろう

粘膜接触による魔力の譲渡ってタナッセにしかできないのだろうかと昨日から妄想している

印を持つヴァイル、リリアノも魔力高いはずだから分け与えてはもらえないか

あいつらとセックスすれば元気になれるんじゃないか

あとルージョンも魔力高そうだし、信仰によって魔力値が上がるからティントからももらえないか

主人公のものだった魔力を返還、というのはタナッセからしか無理だろうけど・・・

単純にエネルギーとしての魔力ではなく、魔力を生み出すための回路みたいなのがタナッセに移ってしまったのだろうか

ティントアは「双子の片割れと手をつなぐと同一のものを感じるが、主人公とだと混ざる感じがする」と発言しており、これは魔力のことだと思われる

信仰心の高いティントアは魔力修行自体はしていなくても勝手に魔力がかなり高くなっており、魔力の動きも感じ取れていそう

ティントアが恋愛ルート主人公ベタベタしてくるの、魔力の混じりあい気持ちいからってのもあるんじゃないか

タナッセ返還ほどではないかもしれないが、触れ合うことによる魔力の移動はあるようだし、弱った主人公を治せるかもしれない

神業人業経由のヴァイルエンドとかルージョンエンドとかで、体を治すためという名目でのイチャラブ、アリではないか

ルージョンに「勘違いするな。私はお前を弟弟子しか思っていない。お前の体がボロボロのままじゃ私が不便だから協力してやるだけだ」とツンデレされながらセックスできる未来があるかもしれない

神業経由での魔力高そうなキャラとのエンド、夢が広がりんぐ

ユダヤ人ダブスタに見える」と言ってる人って難しく考えすぎじゃないのか?

子供でも理解できる超簡単な「宗教由来の選民思想」以外の何物でもないぞ?

要するにアイツラは「我らが教典にはこの様に書いてある。つまり、俺達は正しい」で全部説明しきれると本気で信じてる宗教バカなんだよ。

「神に選ばれたユダヤ人民族浄化するのは悪。ユダヤ人による民族浄化聖戦」ただこれだけの話なのよ。

宗教価値観第一優先であり、それ以外のあらゆる道徳は二番手以下なわけ。

アイツラが定期的に他民族をぶっ殺してるのなんて、オウム真理教サリンばら撒いてたのと何も変わらねえんだわ。

そんで自分らがやられたときに騒ぐのはダブスタでもなんでもなく「俺達は神に選ばれた民族なんだぞ!」ってだけなの。

チャチなフィクションの悪役が言うような「偉大なる俺たちに逆らうなんて許されないぞ2等市民共!ましてや異教徒の豚を殺すことを悪と呼ぶとは神託に対する冒涜だ!」を本気で信じてるだけのおバカちゃんなんだ。

まーしゃーないわな、歪んだ教育を幼少期から受け続けてきた人間ってのはそういうもんだよ。

宗教なんてのは葬式祭りときにだけ借りてくるようなカビの生えたフィクションだと割り切ってる現代人とは世界観が違うのよ。

昔は日本天皇が本当に神様で本気出せば神風起こせると信じてたパッパラパーが大勢いたろ?

あのノリがまだ抜けてーのよ。

誰かが責任持って玉音放送でもながしゃいいものをダラダラ先延ばしにしてんだよねー。

大人になって「こんな悪いことしたらゴレンジャーが黙ってないぞ!プリキュアがお前らをやっつけにくるぞ!」と言ってる奴がいたら頭がガキすぎてドン引きだけど、宗教世界だとそういうやつが沢山いるか不思議だよね。

断罪された悪役令嬢は、逆行して完璧悪女を目指す』を読んだ

タイムリープものだが現代人転生ものではない

王子婚約者だったが陰謀によって破滅娼館に落ちた悪役令嬢が性病で死に、気づけばタイムリープしていたので今度は破滅しないよう頑張る話だ

娼館ではお世話になった先輩娼婦がいて、彼女主人公よりも先に性病で死んだ

人生をやり直した主人公がまず最初にやることは、まだ娼婦落ちする前の先輩を探し出し、彼女が同じ死を迎えないよう保護自分メイドにすることだった

主人公が先輩を抱きしめ「私たち両思いだわ」と言うところは百合百合しかった

メイドにはもちろん初周の記憶はないので、なんで主人公自分を探しにきて救ってくれたのかわけがからず、とにかく恩義を感じて忠実に仕える

しかし救済したらもうそれで終わりとばかりに以降先輩との百合展開はない

もっとイチャラブしてほしい

TLほどではないがちょっとエロい感じがあり、主人公普通にノンケ王子とイチャラブしてしま

初周で娼婦をやっていたので男の扱いには慣れているが、現在は15歳処女に戻っているといるので若い肉体はイケメン対応する時にドキドキしてしまうというギャップがある

主人公王子もどっちも性格が悪いところが良い

タイムリープ時の14歳の時には貧乳だったのに15歳になったら巨乳化する

高校制服が妙に胸を強調するラインが入っていてエロかった

悪役令嬢のやり直しものは、初周で険悪な関係だった者と円満関係にやり直すというのがよくある展開だが、主人公破滅に追いやった義妹はやり直してもクソ女のままでそこは残念

可愛いので百合ルートに行ってほしかったがずっと目がガンギマリのままだった

弱者男性歴史

弱者男性歴(WMY:Weak Men’s Year)を用いた年表形式で、人類弱者男性歴史をまとめます

時代の転換点や象徴的な出来事を強調しており、独自視点解説しています

WMY 0

始祖の時代

弱者男性の始祖が「生命の実」を食し、彼らは通常の人間を超越した能力不老不死を得る。ここから弱者男性歴が始まる。知恵の実を食べた人間とは異なる進化の道を歩み始め、両者の関係に亀裂が生じる。この時点では互いに接触を避け、静かな敵意が芽生える。

WMY 200

隔離時代

弱者男性人間関係悪化し、弱者男性は「生命の実」を巡る争いにより各地で迫害を受け、隔離されるようになる。以降、弱者男性は隠れ里に集まり独自文化形成していく。

WMY 500

第一弱者男性戦争

人類文明が発展する中、人間が「知恵の実」を食べた知識を持ち込むことで、弱者男性たちとの間で勢力争いが激化。特に神の使者たち(ケルビムやウリエル)が派遣され、弱者男性たちは追い詰められるが一部は抗戦し、第一弱者男性戦争が勃発する。

WMY 800

大融合の時代

弱者男性人間共存を目指した混血が増加する。これにより、弱者男性人間の間に生まれた新たな存在が現れる。代表例として、弱者男性人間ハーフである少女カズミ誕生が語り継がれる。

WMY 1000

反乱と分裂の時代

人間の中で、弱者男性の特異な能力テレパシー、念力、身体強化など)に憧れるものが現れ、弱者男性の一部は再び人間社会に受け入れられる。これに対し、伝統的な弱者男性は「純血」を守るべきという思想に傾き、内部で激しい対立が発生する。

WMY 1300

暗黒の時代

弱者男性の数が著しく減少し、絶滅危機に瀕する。各地の里が崩壊し、弱者男性はもはや都市伝説存在として語られるのみとなる。特にこの時期には、かつてのケルビムやウリエルに近しい存在が再び出現し、弱者男性たちを監視する動きが見られる。

WMY 1500

偉人時代

歴史的に名を残した弱者男性が次々と現れ、彼らが人類に多大な影響を与える。仏陀ヤハウェなど、精神指導者弱者男性が現れ、弱者男性人間の間に新たな調和をもたらす試みがなされる。

WMY 1800

産業復権時代

技術革新により、弱者男性たちが再び社会活躍する。人間社会に再び融合する者が増え、特に知識人や技術者としてその名を広めた弱者男性が、産業革命を支える力となる。

WMY 2000

近代共存時代

弱者男性人間はかつてないほどに調和し、互いの違いを認めながら共存する世界が実現される。過去対立を乗り越え、弱者男性存在都市伝説から現実のものとして人々に再認識されるようになる。

WMY 2100

現代 - 希望危機

人類テクノロジー進化し、弱者男性が新たな局面でその力を試される時代突入特に増え続ける弱者男性VtuberAIの登場により、従来の「弱者男性」のアイデンティティが揺らぎ始める。

今後大河ドラマで取り上げられそうな人物は?

今後大河ドラマで取り上げられそうな人物について考えると、いくつかの候補が挙げられます

 

戦国時代:

立花宗茂最上義光三好長慶長宗我部元親今川義元北条氏康藤堂高虎島津義弘などの戦国武将が注目される可能性があります。これらの人物戦国時代重要出来事や戦いに深く関わっており、ドラマ化の素材として魅力的です。

 

幕末:

小栗上野介河井継之助木戸孝允高杉晋作小松帯刀伊藤博文といった幕末の志士や政治家候補としてあげられます。彼らは日本近代化維新の変革期を象徴する人物であり、ドラマとして描かれる価値があります

 

その他の時代人物:

板垣退助一休宗純世阿弥浅井三姉妹葛飾北斎坂本乙女といった多様な時代人物も取り上げられる可能性があります特に最近大河ドラマは、単に戦士政治家だけでなく、文化人女性視点から歴史を描くケースが増えてきています

また、刀伊の入寇の際に活躍した平為賢(ためかた)や、小田原北条五代に影響を与えた北条幻庵のような、特定歴史出来事に深く関わった人物ドラマ化の候補として考えられます

 

現代視点から見た歴史:

山本五十六井上成美米内光政のような第二次世界大戦前後海軍政治の中心人物を描くことで、戦争悲劇や個々の人間ドラマを描くことも考えられます

 

これらの候補は、歴史的な重要性やドラマ性、視聴者の関心を考慮して選ばれている可能性が高いです。ただし、NHKの選定基準制作側の意向次第で、予想外の人物が選ばれることもあります

2024-12-14

タトゥーブクマカ糾弾できる理由があれば死ぬほど攻撃する

https://anond.hatelabo.jp/20241214151650

 

俺もこの増田同意見なんだけど

何でこんなに親の仇みたいに叩くの?って、ただこれって似た現象よく見かけるんだよね

犯罪者に対して(特に性犯罪者に対して)

不倫した人に対して

炎上した人に対して

・不良に対して

ルール違反した人に対して

ハラスメントした人に対して

パチンコ関係に対して

・ヤニカス、酒カスに対して

移民に対して(在日韓国人ベトナム人クルド人

自転車乗りに対して

(あと人によっては、海外犯罪にあった女性、夜職、性病持ち、マナー違反者、病気持ち、勉強ができない人、貧乏人、情弱も、原作レイプ

まれつきなものはないのが特徴)

 

まり、「叩いて良いと判定すると死ぬまで叩く」って現象なんだよね

から興味深く観察している

一応言うとブクマカだけじゃなくて、ネット世論は大体そうで、いっそこれは日本人的な考え方だと言っていた人も見たことがある

 

個人的には性犯罪者が一番わかり易い、法律的に微罪であっても死刑去勢を求める人が居るじゃん?「◯◯した人には何でもしていい」となる

特徴としては

法律とは無関係、その人の判定基準がある

・罰に際限がない、無限攻撃するし死んで欲しいと願う

二元論的、白か黒かで中間がない

・「自分らが叩くのは彼らの自己責任」という主張をする

・その人個人ではなく、属性で叩く、属性責任個人に求める

 

たとえばタトゥーなら

温泉に入れないのは自業自得

・叩かれてもしょうがない、なぜなら〜

タトゥーイメージが悪いのはアウトローに言え

 

普通に考えたら「施設出禁」なんてペナルティーを負うほどの事って中々無いと思うんだが、それを言っても「自業自得」で片付けられる

(ちなみに世の中の温泉の半分は入れるが、それについても無視している)

判定に入ってない者(例えば温泉に慣れていない外国旅行者)には寛容

 

この現象がなぜ起きるのか、正直分かっていない

想像するに、正義感暴走なのではないかと思う

村人がそいつらをコミュニティから排斥しようとするような感じで

現代ホワイト社会がそれに拍車をかけていて、そういう属性を持ってる人が身内に居なくなり「彼ら」となることで排斥やすくなったのではないだろうか

実は同じような排斥オタクが昔受けていたんだけど、だからやめましょうとはならないらしい

双方向ではなく単方向であり、あくまで謎の判定がある

この現象が発現する人、しない人は明確に別れてると思うが、ネット世論の半分以上の人がこういう論調をやるので、いきなり攻撃的になってビックリする

こうなると言葉も通じない、「こいつらが悪い」「自己責任」を繰り返すマシーンとなる

これが行き過ぎると実際の行動・クレームになると思うんだよね

行動だけ見ると「アンチ」という状態に似てるかもしれない

 

あと、2chのような斜に構えてる、アウトロー集団はこれが発現しづらい傾向にあるのではないかと思う(あくましづらいだけ)

はてなーのように「自分善良な市民だ」と思ってる奴らほどこれが発症する

誰かもっと研究して欲しい、ひょっとしたら日本人特有病気かもしれん、もしくは人類皆そうなのかもしれんが

  

例えばだけど、これって関東大震災の時の在日韓国人殺害みたいな感じで

災害時に「タトゥーしてる集団が毒を流そうとしてるらしい」みたいな噂がたったら普通にしかねないよね?

普通に恐いんだよなあ、いつかそういう奴らにターゲットにされたらと思うと

 

あとこの病気を患ってる人の言葉はもう信用できないんだよね

叩いて良い判定になると全く冷静さを失うから、今そのモードなのかどうかわからない

 

________

 

>おまえもブクマカで括っている

真面目に受け取るのであれば、自分の判定がソレなんだろうけど

ちょっと違うんだよね、俺は別に排除排斥したいとか、死ねとか、自業自得だと、人格否定だとか言ってないし思ってないからね?

一番大きいのは「お前らどうした?」という困惑だよ、「急に攻撃的になる」って元増田も言ってただろ?怖いし冷静だと思えないんだよ

これをずっと前から抱えている、まるでキレ散らかさない俺がおかしいみたいだ

 

あと、ここがはてなからそう書いたけど、上で言った通りネット世論の特徴か、日本人の特徴か、人間の特徴かまだ判別がついていない

こういうのはよくあることで、ある集団の特徴かと思ったら生物皆そうだったとかあるからね、だからこそ特徴を定義して他集団ではどうか観察すべきなんだが

 

________

 

ちょっと仮説思いついたんだけど

子供ルール違反者に対して糾弾するのにちょっと近い感じがするんだけどどうだろうか

まり自分たちはルール守ってるのに」の思いから「ズルした奴らは許されないべき」の気持ちに発展するみたいな

で、皆で攻撃することで自分らのルールを守っていこうという結束に繋がってるみたいな

要は村ルールに基づいた私刑一種なんだけど、自警団みたいな?

例えば犯罪者減刑されたりすると「死刑しろ」っていうようなタイプ

まあこれがタトゥー現象の要因かどうかは分からん

 

子供って純粋でさ

この「アウトローを許さない良い子ちゃん」と「故意アウトロー」と「自然体」に分かれない?

自然体は「たまたま良い子ちゃん」と、「たまたまアウトロー」に分かれる

委員長とか風紀を守りたい勢が、この許さない良い子ちゃんなのではないか

 

例えば俺なんかは自然体でさ、たまたまタトゥー入れてない陣営なんだけど

別にタトゥー入れる未来も無くはないんだよね、そうなると一番怖いのは「許さない良い子ちゃん」なんだよ

アウトローよりも怖い、てか日本アウトローそんな会わないし

[]

岐阜県現代陶芸美術館の「人間国宝 加藤孝造 追悼展」を拝見してまいりましたわ

陶芸家の人間国宝の方ですけれど最初の展示は油絵からはじまります

絵での成功を考えていらしたのですけれど、東濃しかできない陶芸に転身したのですわ

でも、最後の展示室も初心に還るように絵でしたわ

陶芸と平行して絵を描くことは続けられたのですわ

机周りの再現展示は、一つ前に行われた荒川豊蔵展と同じになっているので

両方行った方は師弟比較を楽しめます

そんな二つの仕掛けに気づきましたわ

第3号被保険者障害とか体が弱くて働けない専業主婦セーフティーネットとか言ってるやつ

しらねーよ

第2号被保険者扶養されてる専業主婦以外の奴が第3号の恩恵受けられない時点で不公平なんだよ

成人が働かなくても暮らしていける時点で現代貴族なのに弱者面するから保険料払ってる第2号からヘイト買うんだよ

高度経済期にできた仕組みを少子高齢化現代に合わせた仕組みに変えてかなきゃいかんのに

高度経済期にできた仕組みを少子高齢化の中でどう維持するかみたいなさぁ

そうじゃねえんだよ

同性婚について考えると自分差別意識と向き合うことになる

先日このようなことを書きました

同性婚を認める議論を始めるなら、兄弟姉妹婚、親子婚、小児婚、一夫多妻一妻多夫、その他諸々もOKの方向で検討しないといけないけど準備できてるんかなあ?落とし所は法定婚の制度廃止しかないと思ってる

すると以下のようなエアリプがありました

同性婚を認めるならナントカ婚も認めろ~な人が湧いてるけど、現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利を主張されてもな。本気でそう思ってるなら同性婚の当てこすりじゃなくて普段から真面目に活動なさいよ

現代まともな先進国でおよそ認められてない権利を主張されてもな」というコメントですが、これを通して、現在の法定婚として認められない婚姻の形について考えられるという点でとても良いコメントだと思ったので紹介させてください。


日本以外で認められている婚姻の形

まず、「現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利」とありますが、私があげた婚姻の形のうち、幾つかはある程度の規模の国において実際に法定婚として認められています

例えば


「まともな先進国でおよそ認められていない」という言説

昨今幾つかの国で認められつつある同性婚もかつては「現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利」だったことも重要です。その状況から同性カップルも異性カップル平等に扱われるべき、という社会正義としての平等を主張し、現在までに世界各地で「活動」を行ってきた結果、同性カップルの法定婚が認められつつあるという現状があります

では、この「平等」が兄弟姉妹婚、親子婚、小児婚、一夫多妻一妻多夫にも与えられないのは何故でしょうか。

親子婚、小児婚については本人の同意などの点から問題がありそうなのはなんとなくわかります。(子供自己決定権人権観点からやや危うい話ではありますが)

しか宗教的文化的な背景があって日本以外の国では法制度化されている国もある兄弟姉妹婚、一夫多妻一妻多夫についてはどうでしょうか?公平の観点から同性婚と同じく法定婚として認めるべきではないでしょうか?

認めるべきではないならその理由はなんでしょうか?同性婚とはどこが違って認められないのでしょうか。

しっかり考えてみると意外と難しい問題であることがわかるかと思います。また考える過程で「現代のまともな先進国」のような自分の中に気づかずにある差別意識にも向き合うことができるかと思います


自分の中にある差別感情に向き合う

ここで言いたいのはお前は差別者だ!と指摘したいわけではなく、自分の中の歪みに気づいた上で話してほしい、ということです。

私も個人的感情としては一夫多妻などは認めなくないという思いがあり、自分実践するとは到底思えません。ただ、ムスリム家族の方の権利という観点で考えると異性間での法定婚制度があるのであれば、一夫多妻夫婦公平性観点から法定婚として認めるべきだろうとは思っています

法定婚の未来や公平なあり方について考えると、自分の中の常識、ここでいう「まともな」という基準の外にある文化の人々の婚姻文化をどう尊重していくべきか、という話になります。その中でどうしても認め難い婚姻の形についても考えないといけないこともあるでしょう。

その時に嫌だと思ったことことに対して正当化するような理路を作るのではなく、自分の中にある差別的な考えとして認識してほしいと思っています



(「本気で〜」以降は私の書いた内容に対する直接的な意見ではないし、荒唐無稽な主張であるのは一読でお分かりいただけると思うので本項では言及しません。)

刺青江戸時代は罪人の証拠として入れるものだった

から現代でも威圧のために入れる反社の人が多いの

そんなことも知らんバカは黙ってろや

※なお自分刺青個人自由だと思う

光る君へも終わるし、道長に転生して世直しでもするか

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背景設定:**

時は11世紀初頭。平安中期、摂関政治絶頂期を迎えようとしている頃、現代法律学と立憲的思想近代的な統治理論を身に着けた人物が、突如として藤原道長966-1027)の意識を獲得する。外祖父関係を巧みに利用し天皇後ろ盾に絶大な権勢を誇る道長。だが、中身は現代法学者であり、彼は当時の秩序と衝突しつつも、新たな政治手法を打ち出そうとする。

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政治理念の変容:**

現代法学者としての道長は、専横的な外戚支配構造活用しながらも、より「持続的な統治基盤」を確立したいと考える。単なる外戚支配縁故人事ではなく、ある種の「法による秩序」や「規範の再整理」を志す。もっとも、当時は成文法典(律令)はあれど実効性が弱まりつつあり、慣習法が強く、荘園が乱立している。現代道長は、この状況に対して次のような施策を構想する。

1. **荘園整理と土地所有の安定化**:

従来、道長をはじめとする藤原摂関家は多くの荘園私有し、それらを権勢の基盤にしてきた。しかし、現代の法的知見を持つ道長は、「法的安定性」が経済発展をもたらすことを理解している。彼は、荘園境界画定や、重層的な領主権の整理を試みる。

- 公領国衙領)の管理を強化し、名実ともに朝廷支配下に収めるための行政改革に着手。

- 荘園認定基準を明文化し、恣意的な安堵や寄進による権力争いを減らす試みを行う。

- 貴族や有力寺社に対しては、既得権益を即時奪うことは難しいが、中長期的な土地台帳(「古代不動産登記」)を整え、その正当性公的に認める代わり、租税労役義務明確化し、流通性ある土地制度志向

2. **立法執行体系の再構築**:

律令法が名ばかりの存在となり、令外官や慣習的措置が横行する世界で、道長現代的な法整備思想を導入する。

- 首都(京)における治安維持機関である検非違使権限組織を再編し、盗賊取締、秩序維持のための明確な司法手続を設ける。

- 公家社会内部で行われていた人事や地位継承に関して、記録主義(ある種の「公文書主義」)を徹底。昇任や叙位叙爵の基準をある程度定めることで、人事が完全な縁故に流れないよう微調整を図る。

3. **天皇家と摂関家の新たな関係性構築**:

道長外戚としての地位を最大限活用しつつ、天皇権威安定的な「象徴」に引き上げることを考える。天皇形式的な最高権威を担わせ、実務は「関白」の地位活用して円滑に処理するが、現代道長は「院政」的な発想を先取りするかもしれない。

- 天皇に幼少期は摂政、成年後は関白が補佐する原則を維持しつつも、天皇周辺に専門官僚を育成。

- 従来の「外戚依存から、より制度化された「最高法規」の存在感を醸成。例えば、改定版『令』をまとめ、これを朝廷全体の根拠規範として位置づけることで、朝廷藤原家を法的な結びつきで強固にする。

4. **社会制度の改良と学問振興**:

道長宮廷文化を愛し『紫式部』や『清少納言』ら文人たちとの交流を深める一方、現代的な行政手法を取り込むためにも知識人層の拡充を図る。

- 国司受領階層に対し、任地における法令遵守文書管理税制の透明化などを要求。できる限り審査厳格化し、違反者には適正な制裁を行う。

- 大学寮学問所に法制研究史料編纂部門を新設し、古代律令判例に相当する事案記録を蓄積。徐々に「法文化」を育む。

- 漢籍研究とともに、自身が知る社会契約合意原則に近い概念をそれとなく導入し、為政者と被統治者の関係を「力による支配から正当性による支配」へと移行させる試み。

5. **外交軍事制度化**:

北方蝦夷や、唐・宋との交流さらには大陸周辺国との海上貿易を法的に整理する。「道長改正律令」には、交易ルールの明記や関税的な仕組みを生み出し、国家財政を強化するとともに、軍事力を令外官頼みから一定法規範に沿った動員・統制へ転換。

- 軍事貴族地方武士層との契約関係を整え、「官」と「私」の軍事力を峻別した初期的な国軍組織化を図る(もちろん当時としては極めて斬新)。

- 貿易港での入港手続や国際通行ルールを整備し、財政基盤強化を狙う。

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結末イメージ:**

もちろん、このような施策は周囲にとって奇異であり、保守的貴族からは激しい反発も受ける。しかし「藤原道長」という既に頂点に君臨する権力者の威光、そして自らが有する実務的手腕と知識によって、徐々に新しい秩序を「慣習法から合意された法」へと移し変えようとする。結果として、荘園の雑多な管理が少しずつ明確になり、暴力的権益争いは減少、都はある程度の治安維持機構で安定する。

やがて、次世代には「記録とルール」に基づく人事・土地管理が浸透し、法制を軸にした政治文化が醸成され、藤原家の権威は「道長改革」として後世に語り継がれることになるかもしれない。

anond:20241214124934

企業ってそういうもんでしょ。

その企業側の暴走を防ぐために労働組合があるんだけど、現代若者バカからむし労働組合攻撃しててその結果があらわれてきただけ。

原発

https://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__130408.html

 

経済学的に言えば、原発問題は、外部不経済問題としてとらえられますしか原発外部不経済というのは、とりわけて特徴的なのは、「現代世代成員間の外部不経済でもあるが、それ以上に、環境問題一般と同じく、世代間にわたる外部不経済問題である」とされます。つまり、非常に超長期の不確実性なので、価格市場機構では調整しきれないという意味での外部不経済になっているとされるのです。そして次のように述べられます

 

現在世代のうち原発から得られるエネルギーを消費し、快適な生活をおくる人々は、将来の世代放射性廃棄物という負担を課す。この意思決定には、重大な利害関係である将来世代は参加していない。そこで、現在世代は、もし将来世代現在意思決定に加わるとしたならば、将来世代はどのように主張するか、という点を考慮しなければならない。この考慮のしかたが、現在世代と将来世代との間の公正の状態を決定する。…(中略)…自動車飛行機事故場合には、もし将来世代がそれらの事故を皆無にしたいと望むならば、それらの利用をやめれば、それで解決する。しかし、現在世代が残した放射性廃棄物場合には、これを拒否する選択肢は将来の世代に残されてはいないのである。ここでは、将来世代現在世代放蕩三昧を恨むしかない。

 将来世代のことはどうでもよい、というのは将来世代人権無視することである。そして、将来世代人権無視する人が、現在世代他人人権尊重する、などということは、あり得ない。なぜならば、人権とは普遍的人間権利からである

 経済学的にいえば、現在と将来世代人権をどのように考えるかによって、原発エネルギー利用に対して、現在利用者負担すべき費用は大きく異なってくる。現在と将来世代が蒙るであろう被害を値切れば値切るほど、したがって被害者の人権無視すればするほど原発エネルギー利用者負担する費用は安くなる。費用が安くなればなるほど、都市原発エネルギー需要は増加する。原発推進関係者は、不特定多数者の需要が大きいことをもって、「公共性」があると「公共性」を定義するから現在と将来世代が蒙るであろう被害を値切れば値切るほど、原発の「公共性」は増すという関係にある。この原発推進側にとってまことに都合のよい「公共性」という概念は、「公共性」が問題になるところでは──新幹線騒音振動公害空港騒音公害道路公害等々──かならず利用されている。

 いま述べたこからも明らかなように、原子力発電経済分析といえども、公正とか人権といった道徳的価値問題視野におさめないかぎり、不可能である。そして、実は、こうした道徳的価値問題をできるだけ排除する──分析することを断念する──ことによって、経済学科学たらしめようと努力してきたのが、限界革命以後の近代経済学歴史なのである

…(中略)…

 近代経済学者は、問を発すること自体を断念した、道徳的価値──自由とか人権とか公正といった価値──の問題を、もう一度視野におさめる方向を、今、模索してゆくべきである、と私は考える。…

 

 そして結びは、原発問題分析することが少ない近代経済学者の現状に対して、「禁欲に名を借りた怠惰のあらわれである、といえよう」という文で終わっています

アセクシャル女性婚活市場価値

 私が思うに、結婚の意義というのは、大きく分けて

収入の向上

性的価値提供(恋人と一緒にいられる、とかもこっちに含まれる)

世間体体裁を保たせる

の3つに分けられる。

 そしてアセクシャル女性というのは「性的価値男性提供する気がない女性」という言い方ができる。

 性的価値提供する気がない女性男性から結婚したいと思わせるようなメリットってなんだろうか。

 そう、結婚相手男性と同等かそれ以上に金を稼ぐことである

 でも巷で噂の「アセクシャル女性」というものは、性的価値提供する気がない癖して養ってもらう気満々である専業主婦やります、って言ったって現代別に1人で家事に困ることはほぼないので大したメリットにもならないし、金食い虫が増えるデメリットの方が大きい。

 じゃあ大した稼ぎも得る気がないアセクシャル女性提供できるものは?世間体体裁を保たせることである。つまりは、恋愛結婚する気はないけど結婚の体は作りたいというそれを満たすためには利用できるわけである

 そうなるとゲイ偽装結婚に利用されるのは当然であるだって自らにそれだけの価値しかないのだから

anond:20241214081828

いま秋の実感がなくなってるのに常秋の設定じゃ現代人ついてこないだろ

精神科病院じゃなくて現代座敷牢とか狐憑きだと思うと理解捗る

医者行政家族も親戚も相手できないキチガイ放り込むことで

「我々は適切な対応をしている(ので責任はない)」

という言い訳を作るための施設精神科

もしくは

「なんかよくわからないけど不調なのは精神のせい」

という理由付けを行うのための施設

一昔前なら狐憑きとか妖怪のせいと言われてた物の近代

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

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