はてなキーワード: 境界線とは
しばらく歩けなくて、実家から離れて一人暮らしだから持ってきてくれる人もいなくて本当に何にもなくて困る〜ってなってた。
相変わらず彼氏はずっと「こんなに可愛い人と付き合えて嬉しい」のメンタルで接してくれていて、恋愛フィルターってすごいなありがたいな〜で付き合っていたのだけど、彼の仕事の都合でわ遠距離になったんだ。
遠方に住んでいて、普段ぜーんぜん連絡取れなくて不満どころかもはや困ってるくらいなんだけど、病院に着いてCTの結果待ちのあいだに、事故で救急車で運ばれたってLINEしたら速攻返事が返ってきた。
「大丈夫!?いまから打ち合わせだから終わったらすぐ連絡見るからね」
おーいその連絡できるなら今までもしてよ〜となりながら、骨は折れてなかったよ〜→やっぱり折れてたよ〜→入院することになったよ〜と連絡してたんだけど、打ち合わせが終わった彼から
「今日の夜そちらに向かって必要なもの持ってくね!病院どこ?」と連絡があり、とっても感動した。ゆかりのない土地で人生初めての骨折で身内もいなくて本当はとても不安だったけど、迷いなくすぐそう言ってくれて、本当はとても心強かった。
往復6時間3万くらいかかる距離に住んでいるのに、本当に本当に困っているとき、何を差しおいても助けてくれようとする彼は本当にヒーロー気質なんだと思う。
結局親が来てくれて、彼氏は来ずになんとかなったんだけど、入院が長引いて折り返しくらいでものが足りなくなった。
所持薬とか、自分の家に取りに行かなきゃどうしようもないものも出てきて、彼が土日に往復3万かけてきてくれた。面会時間は感染症対策で結構厳しめに決められていて土日合わせて1時間くらいなんだけど、本当にそのためだけに来てくれた。ちなみに交通費出すよって言ったけど断られた。
面会に来て、思ったより元気そうでよかったって抱きしめてくれて、病衣で眉毛もボサボサで、当然ノーメイクすっぴんでボロボロのわたしをよしよしして「かわいい…」って言ってくれて流石になんか目にフィルターとか入ってんのか?大丈夫?って思ったけど本当にまじまじと見てやっぱりそう思いましたってかんじで「なんでこんなにかわいいの?」って繰り返してくれて嬉しかった。彼に可愛がられることが好きになってしまってるから。見た目が相手にハマってる恋愛ってこんなに幸せなんだなと思う。
怪我してても立ち座りはできたんだけど、あんま分かってない彼はそーっとそーっと抱きしめて、壊れ物みたいにそーっとベッドに座らせるまで支えてくれた。そんなしけった砂糖菓子を扱うときみたいにしなくても、って思ったけどやっぱりお姫様みたいに扱ってくれてうれしかった。
私から鍵を預かって言われた用事をこなして、あとの時間はこんな遠方までわざわざ来たのにずーーーーっと寝て、また帰って行った。仕事が相当忙しいらしい。ありがとう。
お姫様抱っこは怪我の具合的にしばらくしてもらえそうにないけど、年末は彼と過ごせそう。
そう遠くない別れを見据えてるって前にコメントであって、そうかもなって思っていたけどなんだかんだ長く一緒にいる。
—————————追記—————————
彼のことを書いたらもう少し書きたくなったから書く。
彼のいいところは、私を見た目ごと愛してくれるところと、私を搾取しないところ。人として対等に扱ってくれる。私を尊重してくれる。というか、彼といる時は彼よりも私が大切な存在みたいにとっても大切にしてくれる。
でも、彼は自分がとても大切な存在であることをちゃんと分かっている。人と人の間の境界線を引いて、自分の価値をとてもとても大切にしながら私のことも大切にしてくれる。
私は男の人に搾取されることをとても恐れていて、それは私の男性経験や社会での経験に基づくものなんだけど、彼といると少なくとも「パートナーから搾取される」という恐怖からは解放されることができる、それどころか彼の中で本当に大切な存在として扱ってもらえてお姫様抱っこまでしてもらえる。彼といるおかげで、搾取に怯えたり惨めで悲しくて泣いていた私は長い間影をひそめてる。素晴らしい解放の日々。彼は私を搾取したりしないっていう絶対的な安心感を、彼がくれた。
まだ初心者マークみたいなものだと思ってます。一応病名は適応障害で、休職を少しして、今はリハビリ復職中。
自分としては、少し疲れたところに色んなストレスが集中してかかったことがきっかけで抑うつ状態が一気に加速した状態だと思ってるので、おそらく対応を間違えなければ、このまま回復できると思ってます。
ただ、「まだ初心者マーク」と言ったように、主治医からは、このまま良くならなければ、うつ病という診断名になるよと言われているから、いまはとりあえずゴースの状態で止まってて、ゴーストへの進化を一生懸命Bボタンでキャンセルしてる状態だと思っています。
もっと適切なポケモンいるかもしれないけど思いついたのと世代が赤緑なんで…
で、適応障害もうつ病も症状としてはあんまり変わらない気がするんだけど、私がかかった時にいちばん顕著な症状は睡眠障害と希死念慮だった。あとは仕事への集中力、思考のまとまりがなくなるとか、急に涙が出るとか。
睡眠障害は、途中で目が覚めちゃったりとか、一睡もできずなにか悪いことを考え続けちゃうとか。
これへの対処は、比較的容易だと思っていて、というかしっかりしたクリニックであれば適切な服薬を処方、定期的な通院で寝れてるかをモニタリングして、服薬調整。
容易というよりは、標準化された治療がある、対処可能な症状だと思う。
問題は希死念慮の方で、これって人によって何によって引き起こされるかが全然違うし、それにどう対処すればいいかも全然違ったりする。
だから、私がどういう時に希死念慮が発動しやすく、どうしていたかっていうのを書き残しておこうと思ってこの文を書いてる。
発症して2ヶ月以内くらいの間は、休職してて仕事のストレスがなんにもない状態にも関わらず、1週間に1回、もしくは4日に1度くらいの結構な頻度で死にたい衝動が襲ってきた。
たとえば、もうジムとか遊びに行けるから元気なんでしょ?くらいの感じで、夫から雑にからかう言葉をかけられた。
仕事への復職が近づくのに、仕事へ戻って同じ仕事をこなせるかわからない。
あるいは、何にもきっかけらしきものがないのに、夜になって急に全部リセットしたい衝動がやってくる。
今書いてても、俯瞰して見ても、自分で振り返っても、なんでこんなことで?って思うことばっかり。
夫が雑な言葉かけるのなんてこの10年そうだし、夫からしたら「僕何言った?」みたいな感じだと思う。
強いて言えば、自分の辛さを理解してくれない、と感じたことが、いつもの何十倍もの辛さにブーストされてのしかかってきたんだと思う。
仕事にしたって、配慮のある職場で、いきなりフルで復帰させることはしないよとはっきり言われていた上でのことだ。
近所の子どものくだりは、私が不妊治療をしていて、そのストレスが適応障害の引き金のひとつになったことと関係してるけど。
あとはシンプルに、なんか不意にやってくる、なんだろう、電波障害?天気予報外れの雨?みたいな感じの予測できない不調が週一かそれ以上で来て、その度に、この世の終わりかのような絶望感と、なんか自己の存在への諦めというか、いてもしょうがないじゃん、みたいな理屈で説明できない感情に苛まれる、それが私にとっての希死念慮というやつだった。
これを経験するまで、私は、うつの人が死にたいっていう気持ちを心底は理解できてなかったなと思う。
そうは言っても、そう言って気を引きたいだけで死ぬ気なんてないんでしょ?って思ったり、ましてそれで実行に移して死んでしまう人なんて最重度のごく一部の人なんだと思ってた。
多分夫とかうちの家族にしてもまだそのくらいの解像度なんじゃないかと思う。
これはこの負のブースト状態を体験してみないとなかなか察しにくい。
対処すれば過ぎ去る短時間のものだったり、頭にこびりついて何日も引きずるものだったり、私が経験したものも程度は色々だったけど、紛れもなく、その全部が「死んじゃいたいー」だった。
家族もいるし、友達もいるし、職場の在籍も保証されてるし、励ましてくれる存在はいっぱいいるのに、その希死念慮に苛まれてるあいだはそれを一足飛びに飛ばして「我思う、故に我死ぬべき」が頭を支配するんだよ、不思議としか。
私は仕事で精神医学とか心理学とかをかじっていて、なんならそういう人もたくさん仕事で相手にしてきたから、まさか自分がそんな状態になるなんて思ってなかった。
いちばんひどい状態の時は、家にある死ねそうな薬を集めるのを試みたりネットでしらべたり、近所のタワマンの一番侵入できる高いところまでいってみたりした。
(その時は気づいてなかったけど夫が過去の病気で処方されて飲んでなかった睡眠薬がいっぱいあった事に後で気づいた。あの時気づいてたら危なかったなー。あれ隠しといてもらわないとな。)
どこかで理性は残っているから、そうなってる状態のことを、Twitterに書いたり、仕事中の夫にLINEで書いて伝えたりして、誰かに止めてもらえるようにはしてたと思う。
その行動が、はたから見ると「構ってちゃん」になるんだろうし、すごく矛盾した行動だけど、いけない行動だと分かってるのに思考と行動が死に向かう、その状態を自分だけでどうしようもないから、他人に知らせるんだと思う。
さてこの希死念慮の時の振り返りはけっこう再体験に近いので今書いてても涙が出るしリアルに思い出しそうになるので、この辺で私がその希死念慮にどう対処したかとか、どんな対応がありがたかったかに話題を変えようと思う。
とりあえずは、すぐに医療にかかれたこと、処方薬がもらえたこと。わたしはこれが大きかった気がする。
精神科や心療内科って絶望的に予約が取れなくて、初診だと1週間後ですとかざらに言われたりする。
今このどうしようもない希死念慮をなんとかしたい!って時に一週間後だったら、確実に間に合わなかったんじゃないかと、ぞっとする。
処方してもらったのはごく軽い睡眠導入剤(抗うつ薬)と、不安になった時に飲むようの少し強めの抗不安薬。
まずはしっかり寝ることと、仕事は問答無用で休み、そして一人にならない環境を作ることを主治医に言われた。
休んでても、一人になった時に希死念慮が来て,抗不安薬も効かなかった時に、ポーンと境界線を超えることがあり得るからだといわれた。
まさにそうで、誰かがいてくれる、誰かと約束があるという状態の連続が、私にとっての抑止力になった。
そして、先に書いたようにそれでも境界線を超えかけて「我死ぬべき」になった時はどうしたか。
やっぱり、自分の今の状態を知ってもらえる人を作ることだった。
Twitterに死にたい状態であることを書いて、紛らわせられるような動画とかがほしいことを添えて書いた。
実際はもっとやばい状態だったけどさすがにそこまでを全部さらすのはやばいと思ってまだ余裕のあるポーズをしたりするから、よけい構ってちゃんに見えただろうなぁ。
でも、全くそれまで交流のなかったフォロワーの人からくすっと笑える動画とか、猫の画像とか送られてきて「生きてくださいね」って声かけてくれたりして、大袈裟なんだけど、ほんとうにそれだけでも飛び越えるハードルは一個上がった。
あとは、投稿見て心配してLINEやDMを飛ばして来てくれた友達がいた。その人達には、自分の今の状況や気持ちをもう少しありのままに話せて、実況みたいにしてたけど、そうして話しながらぐるぐる歩いてるうちに疲労してきて、家に帰ろう、ってなれた。
本当にありがたかった。
とりあえず些細なきっかけに理不尽なブーストがかかっていて訳の分からない状態の私の話を聴いてくれる人がいて,共感してくれたり、とりあえず寝ようよ、不法侵入て言われないように家に帰りな、って促してくれたり、それぞれの言葉で私を心配してくれると思うだけで、あの世へのハードルはだいぶ上がった。
あとはうちの夫は本当に言葉が雑で不器用な人なんだけど、とりあえず私が休んでる間は何も仕事のこととか聞かず、たまに元気が出そうな食事を出してくれたりした。その放置具合が逆にありがたかった。
けど、上記のように私が些細な冗談で死にたい状態になったり、火のように怒ったりする泣いたり、喧嘩になっちゃうもんだから、話し合って1週間くらいお互いに距離をおく(物理的に話さない状態を作る)をした。
身近な人に理解してもらう、実はこれが一番難しいかもしれない。これは長い時間かけてお互い努力と配慮をするしかないと思っている。
あとは、休職期間中に読んだこの記事も,自分の中の得体の知れない希死念慮につながる状態を俯瞰するのに役に立った。
https://note.com/kaerukoakeno/n/nb3d72b72b3b0?sub_rt=share_b
この記事でも言われてたり、友達にも言ってもらって安心したのは「こういう思考になったり、傷つきやすくて家族と衝突したりするのも、自分のせいではなく病気の急性期症状のせいだよ」と言ってもらえたこと。
もちろん,病気のせいに何もかもしていいわけではない。私の寂しがりのパーソナリティは病気のせいだけではなかったりするんだけど、要は、自分をなるべくその状態に持っていかない環境設定をすること、だと思う。
あとは、症状が落ち着いてきた今、自分の中に溜まってもやもやしている気持ちとか、不安への向き合い方を教えて欲しいなの目的でカウンセリングにもかかるようにしている。
自分の思考のくせを他人に共有して,受け止めてもらった上で、違う視点をもらえるのは受診だけでなくカウンセリングならではのメリットだと思う。
それはそういうポリコレを持ち込みがちな浅い一般人向け作品を制作すべき会社が采配を誤っただけでしょ。
一種のカルチャライズの問題であって、厄介な集団に目をつけられても無視してビジネスができるかどうかは、ターゲット層の設定による。
そこを正しく設定すればいいだけで、現実社会に影響を与えてるとまでは言えんな。
あらゆるIP系事業者が流れ弾を食らって死にうるほど世の中が画一化されてるとは全く思えない。
むしろこういうネタで騒ぐ人たちが、ポリコレ衝突の頻発する境界線上にある作風傾向の作品郡だけを見てそれが創作界のすべてだと思い込んでるんじゃないか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20241203/1733151600
ゆるじながら高説気取りて
◎主張そっちのけで何が何でも勝ち負け判定会に持ち込もうとしてるブコメ、
事実を淡々と述べてるだけなのに「マスゴミが悔しそうに報道wwww」とか言って
キャッキャしてるアホと同レベル感ある。
https://tenreeren.rentafree.net/entry/1020724
アカウントで言ったら?そういうとこだぞ」などとのたまいよるのは
キャッキャしてるアホとやらちゃいますの?
◎ウヨミソ界隈のこの辺の独特の知能の欠落、
「自他反転」 「真偽反転」 「境界線反転」で代用しているのだと自分は推測してる。
「お前自身の欠落ぶりを推測」いまいずこにおわす?独…特…?
あのイラストを当該学術領域で用いることが適切か否かは全く別問題として判断するよ。
なお俺は一貫して「学問領域に予断や誤解を与えるから不適切」という考え。
ま…と…も…? 一…貫…? 語…り…?
啼害たるお前の考えとやらに何の価値が?
この話題は非常にデリケートであり、多くの感情や視点が交錯するテーマです。この問題をどのように考え、対応すべきかについて、多くの観点から掘り下げることが重要です。
知的・精神的な障害を持つ人々が加害行為を行った場合、その行為が責任能力を問われない場合があることは事実です。しかし、これは「やりたい放題を許す」という意味ではありません。責任能力がない人が加害行為を行った場合、刑事罰を受けなくても、適切な支援や介入が必要です。具体的には、以下のような対応が取られるべきです:
• 支援者の介入:暴力行為を防ぐために、十分なマンパワーを投入。
こうした対応が不十分である場合、被害を受ける側が「理不尽」と感じるのは当然のことです。したがって、被害者の視点を軽視せず、問題行動を抱える人々への適切な支援と、周囲の安全確保を両立することが求められます。
「障害者との共生」を目的とした交流教育は、理念としては重要ですが、現場での適切なサポートがなければ、逆効果になる場合があります。具体的には:
• 暴力行為がある場合:暴力を受ける側に「耐える」ことを強いるのではなく、加害行動が予測される状況を回避する仕組みが必要です。
• 教育の方法論の見直し:一律に交流を推進するのではなく、個別のニーズに合わせたアプローチが必要です。例えば、暴力行為が頻発する子供については、別の方法で社会との関わりを構築する道を模索するべきです。
投稿者の感情は、自身や周囲が暴力の被害を受けた経験に基づくものであり、その「恐怖」や「怒り」を差別と一刀両断にすることは不適切です。重要なのは、こうした感情を理解しつつ、次のような議論を深めることです:
• 加害行為と障害の関係を分けて考える:暴力行為への怒りを「障害者全般」への差別に拡大しない。
• 「隔離」以外の解決策を模索する:加害行為を行う人々が暴力を振るわないよう、効果的な支援や制御手段を検討する。
• 被害者へのケアの充実:暴力を受けた側の心理的なケアやフォローが十分であるか検討する。
この問題の背景には、社会が障害者支援に対して十分なリソースを割いていない現実があります。障害を持つ人々が適切な支援を受けられず、結果として周囲に被害を及ぼしてしまう場合、それは「個人の責任」ではなく、「社会の責任」として捉えるべきです。
• 支援体制の強化:暴力行為が予測される障害者に対して、専任の支援者や療育プログラムを提供する。
• 地域社会の負担軽減:特定の地域や施設だけに問題を押し付けず、国全体で責任を分担する。
5. まとめ
共生を目指す社会において、現実的な困難や矛盾に直面することは避けられません。投稿者の経験と感情を否定するのではなく、それを出発点に、次のような問いを共に考えるべきです:
予約してても、予約してない誰かが荷物を置いてることで有名な、あれ。
「予約とは……?」
利用するのが嫌になってしまうけど、
色々と事情があって利用しないわけには済まない。
で、毎回思うんだけど、これ昭和時代だったらちゃんと機能してただろうなあ、と。
今と違って「あからさまなルール違反」をすることは出来ないというマナーと言うか恥の概念が残っていたと思う。
それがいつのころからか(というかバブル崩壊以降だろうけど)、
みたいになっていることも多い。
「絶対的に許されざる行為」みたいなものの境界線が消えて無くなってしまった。
なんでもかんでもやったもの勝ち。
それを見た人が
「ああそういうやりかたもあるのか…!」
みたいにその不正を平気で真似する。
ほんと、貧すれば…ってやつで恥ずかしい限り。
---
Etymologyで検索かけたら https://www.etymonline.com/ という直球のオンライン語源辞典を見つけた
ムズいのは変わらんけど勉強しやすくなったよブコメありがとう!
---
outstanding
out(外)+ standing(立っている)
→群れから外に立っている
→他より目立っている
→突出している
→優れている
understand
under(下に)+ stand(立つ)
→物事の下に立つ
→物事の基礎に立つ
→理解する
deadline
dead(死んだ)+ line(線)
→提出期限・締切
broad(広い)+ cast(まく)
→種を広くまく
→情報を広く撒き散らす
→放送する
withdraw
with(~と共に)+ draw(引く)
→自分と一緒に引く
→引き戻す
→撤退する・引き出す
overcome
over(上に)+ come(来る)
→上に来る
→乗り越える
→克服する
精神的な暴力行為か。正直、折れた私が悪いと思っていた。そう思っていいんだね、救われるよ。
>他人からの圧力に屈しやすく、お願いを聞くのが優しさだと勘違いしてるのではないかと思う。他人との境界線が曖昧で搾取されやすい可能性がある。
言語化うますぎる。会ったこともないのに、よく分かるね……文章がすっと入ってきた。そう、いままで悩んでたのはこれかもしれない。言われて初めてわかったよ。
お願いを聞くのは優しさではないんだね。言いなりになってただけか。
そのへんも含めて、ちゃんと相談乗ってもらえる医師に出会えたらいいな。
助かったよ。色々きけてよかった。ありがとう。
向精神薬は飲んだらすぐ治るわけではない。2、3週間ほど続けるとじわじわ効いてきて、いつのまにか楽になってる感じ。
認知行動療法も最初は馬鹿馬鹿しいなって思ったけど、一ヶ月ほどやってると自分の思い込みが少し客観視できるようになった。最初は紙に書いてたけど最近はなんかしんどいなと思ったら頭の中でやってる。
ただどれも効果は個人差があるのと、医者との相性があるので(予約がすぐ取れるところはまともに話聞いてもらえなかったりする)、メンタルを安定させるには何年もかかる可能性がある。
それだけ酷いことを相手にされたんだと自覚してほしい。精神的な暴力行為だよ。
あなたは絶対に悪くない。悪くないが、友人や友人母、会社の人間とのやりとりを見るに、他人からの圧力に屈しやすく、お願いを聞くのが優しさだと勘違いしてるのではないかと思う。他人との境界線が曖昧で搾取されやすい可能性がある。
そのあたりも親身に相談に乗ってくれる精神科医もいる。良い医者と出会えることを願ってます。
画像を生成するAIによる無断学習や利用を防ぐために、以下のような対抗手段を講じることが可能です。
1.透かし(ウォーターマーク)の埋め込み:
画像に目に見えるまたは見えない透かしを入れることで、無断利用や生成AIの学習に対して抑止効果を期待できます。特に、目に見えない形で画像データに暗号的な透かしを埋め込む「デジタル透かし」技術が有効です。
画像データに著作権情報や「AIによる無断学習を禁止する」といったメタデータを埋め込み、ウェブサイトには robots.txt ファイルで画像クローラーのアクセスをブロックする設定を追加します。これにより、クローリングや収集の抑制が期待できます。
ステガノグラフィを用いて、画像に気づかれにくい形で識別情報を隠すこともできます。これにより、画像の流出経路や利用先を追跡でき、無断利用の発見に役立てることができます。
4.法的な警告表示や利用ポリシーの明示:
ウェブサイトや画像の配布先に、AIによる無断利用や学習を禁止する旨の法的警告や利用ポリシーを明示することも有効です。利用条件をはっきりと示すことで、AI企業や研究者が慎重になる可能性が高まります。
AIが利用しにくいように、画像に人間には気づきにくいパターンやノイズを挿入する技術もあります。たとえば、AIにはノイズとして認識されるが、人間には問題なく見える小さな変形やカラーパターンを追加することで、AIによるデータ学習が困難になる場合があります。
生成AIの学習を混乱させるための手段には、以下のような方法が考えられます。
1.ノイズや歪みの追加:
画像に目立たない程度のノイズや歪みを加えることで、アノテーションモデルが境界や特徴を正確に認識しにくくする手法です。たとえば、ピクセルレベルでランダムなノイズを追加する、わずかに画像をぼかす、あるいは境界線付近に小さな変化を加えるといった手法が有効です。
アノテーション処理は、対象物の輪郭や特徴を正確に捉えることが重要です。そのため、背景や対象物の輪郭にわずかな不規則性を加えることで、アノテーションツールが対象物の境界を正確に判断しにくくすることができます。たとえば、背景に模様や偽の輪郭を挿入する方法です。
画像に人間には視認しづらい形でテキストやラベルを埋め込むと、AIのアノテーションプロセスが混乱する場合があります。これにより、AIが意図しない領域を注視することがあり、誤認識を誘発します。
4.色や明るさのランダム変化:
画像の色や明るさを部分的に変化させ、一定のパターンを持たないようにすることもアノテーション処理の混乱を招く一手です。これは、オブジェクトの検出や認識が色や明暗の差異に依存している場合に有効です。
5.擬似的なオブジェクトの追加:
画像内に小さな擬似的なオブジェクトや模様を追加することで、AIがそれらを誤って主要なオブジェクトと認識し、アノテーション精度が低下する可能性があります。特に、背景に似たオブジェクトを散りばめることで、AIはどの部分が対象なのか判断しにくくなります。
AIの認識を誤らせるために用いられる「アドバーサリアル(敵対的)な例」を使う方法もあります。特定のピクセルパターンや色の配列を配置することで、AIのアノテーションが意図的に誤作動するよう誘導できます。この技術は深層学習モデルに対して特に効果があります。
画像全体にわずかなカモフラージュパターンを重ねることで、AIの認識を混乱させる方法です。この手法では、人間が見た場合には問題なく認識できるものの、AIが対象を捉える際に誤って検出するようなパターンを画像に追加します。
・思考実験として、danbooruなどアノテーションの元データとして使われているサイトのタグが荒られたら画像生成AIのモデル作成にダメージはありますか?
思考実験として、Danbooruといったアノテーション元データのタグが荒らされた場合、画像生成AIのモデル作成に与える影響は以下の通りです。
Danbooruは、イラストや画像に対して詳細なタグが付与されており、これらのタグ情報は画像生成AIの学習にとって非常に重要です。タグが荒らされることで、画像とタグの対応関係が崩れ、モデルが正確な特徴を捉えにくくなるため、生成精度が低下します。
例えば、特定のキャラクターやテーマに関連するタグが荒らされ、誤った内容のタグが付与されると、モデルはその誤った情報を学習し、キャラクターの特徴や設定が再現されにくくなる可能性があります。
タグが荒らされると、モデルの訓練にノイズデータが増えるため、学習効率が悪化します。たとえば、「黒髪」のタグが誤って「金髪」などに変更された場合、モデルは同じ画像に対して異なる特徴を学習することになり、結果として生成画像の一貫性が失われることが考えられます。
また、同じ画像に異なるタグが付与されることで、モデルが過学習や誤学習を引き起こし、生成された画像が本来の意図からかけ離れたものになる可能性もあります。
Danbooruでは、特定のキャラクターやアートスタイルを識別するタグが多く存在します。これらが荒らされると、特定のキャラクターやスタイルのデータが混乱し、モデルが正確にキャラクターの特徴を把握できなくなるため、ユーザーが期待する生成結果が得られにくくなります。
例えば、あるキャラクターのタグが「髪型」「服装」「色彩」などで荒らされると、そのキャラクターの再現が曖昧になり、モデルが正しいビジュアルを生成できなくなることがあります。
タグが荒らされると、データセット全体の信頼性が低下します。信頼性の低いデータをもとに学習したモデルは、特定の条件で異常な出力を生成することが多くなり、モデル全体の品質が低下します。これは、生成AIが学習中に「どの情報を信頼すべきか」を判断できなくなるため、生成結果が不安定になったり、多様性が失われたりすることが考えられます。
AIモデルを利用するユーザーは、タグを通じて希望する画像を生成したり、条件に合った画像を探します。タグが荒らされると、AIモデルの検索・フィルタリング機能の精度も低下し、生成プロンプトが期待通りに機能しなくなる可能性があります。たとえば、「風景」タグが荒らされ、異なるジャンルの画像が混入するようになると、風景画像を生成したいユーザーの要求が満たされにくくなります。
Danbooruなどのタグが大規模に荒らされた場合、生成AIモデルの精度低下や一貫性の欠如が発生しやすくなり、特にキャラクターや特定のスタイルに依存する画像生成モデルに大きなダメージを与える可能性が高いです。
すでに学習済みのモデルを使って汚染されたデータのクレンジングや異常値検出を行うなど対策される可能性がありますが、それらを阻害する手段はありますか?
無断での学習を妨害し、学習コストを増加させるために、上記の方法を阻害する手法には以下のようなアイデアがあります。これらの手法は、意図的にデータセットの品質や一貫性を崩すことで、学習モデルの精度を低下させ、データクレンジングや異常値検出のプロセスを複雑化することが目的です。
意図的に誤ったタグや無関係なタグを画像データに付与し、データセットの信頼性を低下させます。これにより、転移学習やラベルノイズ検出が困難になり、正確な特徴量を学習するコストが増加します。
例えば、キャラクター画像に全く無関係なタグ(「動物」や「風景」など)を追加することで、モデルがどのタグが信頼できるか判別しにくくなり、誤ったラベルがノイズとして学習されるリスクが増えます。
2. 特徴量をぼかす/微妙な変更を加える
特徴量ベースのクレンジングや類似度分析に影響を与えるため、画像の特徴がわずかに異なるように加工を施します。具体的には、色調を微妙に変える、ランダムなピクセルの位置でノイズを追加する、または特定の部位を意図的にぼかすことで、モデルが抽出する特徴量の安定性を低下させます。
この方法により、同じキャラクターやスタイルであっても類似度分析が困難になり、正確なクレンジングが行いにくくなるため、データ処理のコストが増加します。
特徴が異なるバリエーションや擬似的な異常データを大量に追加することで、異常検出アルゴリズムの信頼性を下げます。たとえば、キャラクターのデザインや背景を少しずつ変えた画像を意図的に作成することで、異常値検出が頻繁に誤検出されるようにします。
こうしたデータが混在することで、オートエンコーダーやアンサンブルモデルを使った異常検出が混乱し、正確な異常サンプルの抽出が困難になります。
4. 高頻度で微小なラベル変更を行う
学習済みモデルの転移学習やラベルノイズ検出を阻害するために、同じ画像に対してラベルを定期的に変える手法です。微小な変更を行うことで、モデルは正しいラベルを安定的に学習することが難しくなり、モデルの信頼性が低下します。
例えば、ラベル「黒髪」を「暗めの髪」や「濃い色の髪」などに頻繁に切り替えることで、学習に不確実性を持ち込むことが可能です。
データセット内で非常に類似した画像を複数の異なるタグで登録することで、モデルの学習を混乱させます。特定のキャラクター画像を少しずつ変化させて複数のタグを付けると、モデルは「どのタグがどの特徴に対応しているのか」を判別しにくくなり、データセットのクレンジングが複雑化します。
特に、タグの一貫性が失われるため、類似度分析やアンサンブルモデルによる異常検出の効果を低下させることが期待できます。
AIモデルが認識を混乱させるように、アドバーサリアルノイズ(敵対的な例)を追加します。人間にはほとんど気づかれないレベルのノイズを画像に追加し、モデルが特定の特徴を正確に認識できないようにすることができます。
このノイズにより、モデルの特徴量ベースの学習が混乱し、意図した通りに学習できないため、クレンジングの精度も低下し、データ処理の手間が増加します。
特定のルールではなくランダムにタグをつけたり、特定のカテゴリ間でランダムにラベルを入れ替える方法です。これにより、ラベルと画像の関連性が薄れ、アノテーションの一貫性が失われます。この乱数による偽ラベルの付与は、ラベルノイズ検出やアノマリー検出において、真のラベルを見極めるコストを大幅に増加させます。
まとめ
これらの手法は、AIの学習やクレンジングを意図的に妨害し、無断学習にかかるコストを増加させるために有効です。特に、「微小な変更」や「アドバーサリアルノイズの付与」といった手法は、見た目の品質に影響を与えずにモデルにノイズを持ち込むため、非常に効果的です。
こちらの続きです。
https://anond.hatelabo.jp/lucky-happy/20241115
Xは捨て垢ROM専に徹する決断をした人もここに含む。この決断をした人はAIはトドメに過ぎず数々の改悪(Ex:API制限とそれによる企業連携の停止、ブロック貫通、収益化による過激な発言やインプレゾンビの跋扈、5ちゃんみたいな不快な広告、いいね非公開(これ悲しむのネトストだけでは)、汚染されたおすすめ欄など)の積み重ねの末に痺れを切らしたパターンが多い。ただ「とりあえず移行先なら平気でしょ」とよく考えないで移ってる人も多い。各移行先の特徴をちゃんと把握しておくべきである。ブルスカはAI放置で外からの対策は無だぞ。丸ごと載せてこれなら大丈夫と思ってる奴が理解できない。でもリンクはXと違って怒られないからこっちに学習対策サイトに載せた絵のリンクを繋げておけ。
理由が「AIに学習されたくないから」ということでインスタやThreadsやTikTokに移るのは尚更理解に苦しむ。あそこ下手したらXよりAI学習用にユーザーのデータ好き勝手してるぞ。具体的に言ってないだけで。恐らく一番ダブスタと罵られやすいのはこういう人たち。
自分がなんで移行したいかについてはちゃんと考えて言語化しておくべき。ただの中身なき便乗だと思われるぞ。フォロワーのこと一方的に仲間だと思ってても向こうはそう思ってるわけじゃないからな。これを機に人間関係リセットも兼ねてるんだよ。
アカウントあるだけで残留組に都合いいところだけどXに寄生していると思われるので、決別を覚悟しながらX残留公式を追いたいなら誰にもバレないようにやろう。啖呵切っておいて実はやってましたとかダサい。情報収集程度ならいいがせめてアカウントセルフ凍結させておけ。
人が少ない環境でのびのびやりたいので向いている人と、反応が少なくて心が折れる人に分かれる。ただ知名度伸ばそうとするとすぐにいろんな層が入ってきて今のXみたいになるよ。Twitterだって黎明期はのんびりしてたじゃない。threadsのTLが地獄なのも流石にユーザー億抱えてたらこうなるんだよな。強制的におすすめ見せてくる理解が足りないUIのせいもあるが。
なんとなくだが、特にブルスカはCEOもその傾向にあるのか反イーロンとしてヘイトを溜めてる人が多い気がする。国内外問わず。既に居心地いい場所ではなくなってる。
AIを憎むなら一番あるべき姿。同居人や友人に裏切り者がいない限りAIに学習されることはまずない。 iPhoneのカメラロールからAppleに「品質向上目的で」データ抜かれてる可能性はあるが。外には漏らさないよって言ってくれてるけどそれすら嫌な人はスマホもやめてくれ。For youとかまさにAIの賜物だよね
ここまで徹底してるなら逆に好感度がある。承認欲求とは切り離された、「お客様は私だけ」という考えの人。イベントもオフでしか出さないし、絵のデータも絶対にローカル環境以外には出さない。信用できる人にしか紙頒布しない。LINEで友人に絵を送るときにも十分に警戒する。まさにどんな手段を使ってでも作品を守ろうとする筋の通った人たち。
裏を返せば新しいことに適応できない病的なテクノフォビアとも言えてしまうが。本当にAI学習されたくないならネットにしがみついてないでここまでやってくれ。対価も払わず中途半端にXの恩恵だけ受けようとしてるテイカー気質が気持ち悪いので。
SNSは気軽にできる場所だから決断も個人の自由だし一番守るべきなのは自分の精神だとは思うが、他人の心まで侵害してたり、自分を棚に上げた言動をしてないかについては今一度考える必要がある。
絵師の皆様方は、自分自身が本当に著作権違反に抵触しておらず、クリーンで清廉潔白な存在と胸を張って言えるのだろうか。
私は、そうは言えない。
何故なら二次創作はもちろん、昔はFC2でアニメ見てたし、明らかに黒に近いグレーな人力ボカロや音MADも見てゲラゲラ笑ってたし、淫夢本編も見たし、TikTokの流行りも特に否定してないし、ネットミームで遊んでるし、アニメのキャプチャ見て感想思い出してるし、クソコラが送られてきても(寒いなと思いつつも)特に咎めなかったし、夢の国チキンレースで面白がってたし、なんならmeituやmimic、copainterなどのAIツールに興味本位で触ったこともあるからだ。
それら全部やってません、もしくは足を洗いましたという人だけ石を投げる権利がある。考えは変わる。だが今もAIや知的財産権侵害の全てを批判する覚悟はあるか?何今更優等生ぶってるんだ?インターネットに身を置いた時点でお前はアングラなんだよ。
猫ミームとかまさしく権利侵害だよな?月曜が近いよbotとかまさか見てないよな?二次創作で半分版権キャラをオリキャラ化してないか?野獣先輩のことフリ素だと思ってないか?おとわっか削除(アレはネタバレで消されたが)で悲しんでないよな?
そういう余罪が明らかになった瞬間、AI批判の言葉は急速に説得力をなくす。例として、反AI活動をしてる漫画家が過去に出した同人誌で原作のコマをまるまるぶっこぬいてそのまま載せる(もはやトレスとかではない)蛮行が掘られたが、そういうのだ。今の心持ちがどうなのかわからないが現在の当人はその件について徹底的に無視を決め込んでる。タチが悪い。
これもきっとキャンセルカルチャーと言われてしまうのだろうが、そういった先鋭的な活動をするのであれば証拠隠滅と禊が基本ではないのか?
こんなんだから、結局自分さえ良ければ全部良くて他人の権利は平気で侵害する害悪ダブスタ呼ばわりされるんだよ。
もし本当にAI学習という権利侵害(実際学習だけなら権利侵害ではない)が嫌なのであれば、自分自身も権利侵害から手を引くべきなのではと思う。実際二次創作こそウォーターマークを!という発言に対して「いや、そもそも二次創作自体が黙認でどうにかなってるだけだよね?」ってツッコまれてたし。スクショのノイズかけとかも話題になってたけど逆に私物化甚だしいと思います。実際公式無加工画像上げてるじゃんね。そういうのにも凸るのか?凸ったから各所が声明出してるのね。
まぁ、思うよね。量とスピードと再現力が尋常じゃないもの。仮に映像記憶完全再現マンとかいたらどうなってたことやら。
男作れ男。女でもいい。
社畜になってもいい。楽しければ。くれぐれも体は壊すな。
さっきも言ったがフォロワー=味方でも友達でもないからな。お前のこと人生のスパイスだと思ってる程度だぞ。
今回で痛いほどわかっただろうが人はみんな基本自分のことしか考えてない。他人(それこそ家族も友達も推しもフォロワーもみんな)は自分の人生の踏み台に過ぎない。ただのネームドモブだ。認めろ。自他境界なんて最初からなかった。
みんなそう思ってるんだから誰もお前一人消えようが尊重しないしお前自身も誰も尊重してないことを自覚しろ。せめて(私の人生の彩を与えてくれる道具として)尊重してますぐらいにしとけ。
私も脱オタしてまともになった友人をたくさん見て悲しくなってた時があったが、今回の件でオタクがとんでもなく話の通じない化け物であることを痛感した。そんなことするぐらいならオタクなんか上がっちまえ。
なんなら自分自身が抜けられない化け物であることを分からせられて今かなりつらい。
普通の人はたかがネットでレスバなんかしないし漫画やアニメやゲームには触れても一般人の分際でクリエイター気取って吠えたりなんかしません。
日夜レスバを続けたり移行先準備に必死になってた人、現実世界での生活はいかがですか?
別にオタク趣味が認められてもオタクの生き様が認められたわけじゃないからね?
創作する趣味を持つとボケないとか言うけど、今回の君たちの振る舞いは耄碌老人とそう大差ないからね。
恋愛に夢中になればメインジャンル:彼氏になってAIどころか絵にもネットにも興味無くなる。
そんなの自分じゃない!と言いたくもなるだろう。
君たちがそんなに必死になるのはさっきも書いたが居場所がなくなるから、つまり依存先がイラストやネットにしかないからだ。
プロのイラストレーターは仕事≒趣味になっているところがあり(これはフリーランス全般的に共通するが)境界線が溶けかけてる人としっかり線引きして「万が一の移行先はここですよ〜」程度に留めてる人に分かれてるイメージがある。後者はたとえ失ったところで他の鎹が存在するぐらい強い基盤があるのだと思う。BL出版社所属の作家よ、上を振り回して恥ずかしくないのか?お前に忖度した上での決断だぞ。
逆に前者は仕事をもらってる立場でありながら視野が狭くなって周りが見えなくなり、自分のことしか考えられなくなった状態だと思われる。
依存先は増やしておけ。悪いことは言わないから。今騒いでる人たちなんか居場所は家(冷えてるし飽きてる)、職場(ビジネスライク)、Xしかないんだろ?だから奪われまいと喚く。
パンピの友達に今回のAI学習の件について学習経路も説明した上で聞いてみよう。大抵は「えー何それ面白そう便利そう」で終わると思う。オタクがTikTok嫌って陽キャが親しんでるように、あいつらは多分AIに肯定的だし技術に強い()君たちより先に使いこなす。そのうちインスタにi2iフィルターとか実装されるんじゃないのか?発狂だね。
実際一般人妹に標準カメラなんかじゃなくてビュープラ(ゴリゴリAI加工)で写真撮れよと怒られた。変なパックみたいなフィルターも使ってた。そんな認識だ。
まぁ、パンピもパンピでアレン様をロック画面にする因習が流行ってる時点で宗教的なものがないと生きられないのは変わらないか。
とにかく、認知の歪みは正しておいた方がいい。リアルの友達も類友しか集まらないようであればエコーチェンバーの治療はできないが。
先ほど氷河期が過激化しやすいと書いたが、年齢的には40〜50代あたりだ。ちょうど家族というものが冷めてくるし仕事でもポストオフでお荷物になる。だからって不倫はやめようね。
そうか、二次元に触れることで不倫欲を解消してたのか。おっさんが風俗行くのと同じように。
これを一般の非オタおばさんの場合ワイドショーを元にしたエッグい井戸端会議になる。あの年代は全体的に厄介だ。精神年齢が中学生レベルの悪口言うことしか癒しがない人たちばかりだ。自分が20年後ほどこれになると思うと末恐ろしい。早く死んでしまいたい。
自分の暴走の抑止力のために創作は機能してたんだね。それが失われちゃ、爆発するよね。ようやく理解した。適切な福祉が必要だ。好きなものを守るより加害することがメインになってるようであれば。
余談だが、AIに関して考えると元彼のことを思い出す。デート中に私のことよりも掲示板やオークションばかり見てて痺れを切らして別れた。一生ネットやってろオタクが。だから非モテなんだよ
それはさておき、彼はなかなか香ばしかった。
こうして見れば自分が侵害者であることを受け入れその通りに振る舞ってるが、シンプルに人間性の部分の合わなさが浮き彫りになって別れた。
みんなも交際相手のAIに関する価値観はチェックしておかないといずれ取り返しつかないことになります。
自分は男脳なんだなと思っていたが、いざ典型と関わるると腐っても女なんだなというのがわかって悲しくなった。理屈的にも感情的にもなれないので男とも女とも仲良くなれない。
しかし、これを見返すとAIを嫌がる人は絵を描く"過程"やイラストやオタ活によって形成された人間関係を重視しており、反面AIを活用する人は成果物さえできればそのルートはなんでもよく、技術そのものの発展や利便性を重視してる。見ているポイントが違うのだ。そりゃあ分かり合えない。
男は狩り、女は集落で家を守るの時代からなーーーーーんも変わってないね。こんなに技術が進んでも。遺伝子にそう刻み込まれてるのだろうか?
それに今回で騒いでるの日本人だけなんだよな。中韓の神絵師はだんまり。男性向けジャンルの男性絵師も比較的通常運転。ウォーターマークの有無が日本人とその他を分ける手段になるなんてな…
またこういうところで大陸クリエイターにシェアを奪われるのは、こんな感じに日本人絵師が日和って敗北を認めてしまうところにあるのかもしれない。GHQの教育が現代までしっかり生きてるね。
ともかく、くれぐれも付き合う人間関係は精査したほうがいい。
少なくとも倫理観や善悪の基準の合わない人間とは付き合ってはいけない。
今回の件も正直AIが技術がSNSがとかではなく、結局人間関係やお前個人の考え方の問題なんだ。
絵師もレスバマンも、早く大人になってください。心の子ども部屋から卒業してください。
おもちゃなんて、たまに懐かしむぐらいでいいんです。
まぁ、みんなでじわじわとXから抜けてアクティブアカウントを減らしていけば企業も自ずと移行先に移るだろうし、広告収入が足りずサービスとして成り立たなくなりいずれ本気で滅びる時がするから、その時期を待ちましょうや。
メルカリの件といい、アプリやサービスの存在価値がどんどん疑われる時代になっていくね。
前後編に至るほど長くなりましたが以上です。
そのブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/__juttoku__/n/n640a01208f53
これらを読んで思ったことなどを書く
他者への視線に価値観として介在する事で、時に差別を生みだしてきた
だが、【だからどうした】というのだ?
とか言ってしまうのだが
スポーツ全般、芸術全般、娯楽全般、世の中のなにもかもについて
誰かが本気で取り組み
誰かの救いになり
誰かを攻撃している
スヤスヤ教のノリがキツいのはともかく、乗ってるひとはいわゆる「冗談宗教」自体が持つ宗教そのものへの攻撃性に対して自覚的であるべきだとは思う。そういう意味ではスヤスヤ教は恒心教未満。「茶化し」の攻撃性よ
なぜ茶化してはいけないんだ?
特定の文化を、宗教的観点で低俗と言うのは茶化してないから攻撃性があっても良いのか?
世の中で低俗と見做されるモノであれば茶化しても良いのか?
なぜ「宗教に対する茶化し」というのは特別に遇されねばならないんだ?
多くの人を死から救っている(言葉の綾ではなく本当に救っている)漫画やアニメ、それを愉しむ人間は茶化して良いが
宗教はダメだとする境界線は、誰が、どこで、何の権限で、決めたんだ?
これ反差別と同じなんだよ
自分を一段上に置いちゃてるの
よろしい、ならば特別に、あなたへの侮蔑を差別として禁止してやろう
みたいなものなんだよ
だから「本当に苦しんでスヤスヤ教と言っているなら認めてあげるけどさ」みたいになっちゃうの
とかどの口がって思うんだよね
別の人の記事だが
愚劣なダブルスタンダード
との言及もある
これらを言う人は、本当に自身にそれを言うだけの揺るぎないスタンダードがあるのか?
本当に他者の文化を浅慮や無知によって踏みにじっていないと言えるのか?
自身のそれは指摘されたら謝罪します、とでも考えてるのなら最悪だぞ
昨日の帰り道のこと。
仕事が終わって、ちょっと気だるい気持ちでいつもの道を歩いていた。
もうすっかり日が暮れていて、最近は日が沈むのが早くなったよなぁなんて考えながら、閑静な住宅街をぼーっと歩いていたんだ。
そしたら、ふと向こうの方から人の気配がして、なんとなく視線をそっちに向けた。
で、その瞬間、私は完全に動けなくなった。
「え、ちょっと待って、今見間違えたかな?」と自分の目を疑った。
普通の歩幅で堂々と歩いてくるのは、40歳を超えたぐらいのおじさん。
その人がどんどんこっちに近づいてくる。でも、服を着ていない。いやいやいや、そんなわけないでしょ?と心の中で叫びつつ、パニック状態でしばらくその場に立ち尽くしていた。
体が石みたいに硬くなっちゃって、どうすればいいのか分からないまま、その全裸おじさんを凝視してた。
頭の中はもう混乱しっぱなし。全裸のおじさんなんてそんな存在、本当にいるの?って思ってドキドキしてた。
あの瞬間、私は現実感を失ったような気がした。
おじさんは、まるで何事もなかったかのように私の横を通り過ぎていった。
私の存在なんて完全に無視して、ただの通りすがりの普通の人みたいに。
それがまた怖かった。おじさんはどこから来て、どこに行こうとしていたんだろう?
誰もいない暗い住宅街で、あの謎の全裸おじさんが通り過ぎた後、私の心臓はバクバクして、冷や汗が背中をつたっていた。
その晩は、家に帰っても全然眠れなかった。
お布団に入って目をつむっても、あのおじさんの姿が頭にこびりついて離れない。
窓の外でガサッと音がするたびに「まさか、また全裸おじさんが...?」って思っちゃって、余計に怖くなる。
でも、不思議なことに、怖さと同時に何かドキドキするような興奮も感じてたんだ。
まるで都市伝説が現実のものとなって、私だけがその「非日常」をちょっとだけ体験したみたいな感覚。
実際あの全裸おじさんを見た後から、なんとなく世の中の見方が変わった気がする。
もしかして、世の中にはまだ知らないことがたくさんあるんじゃないか?っていう風に。
全裸オジサンが実在するなら、ドラゴンとか、ラピュタなんかも、もしかしたらどこかに存在してるんじゃないか?ってそう思えるようになった。
懐かしい夜の峠にやってきた。まもなくオリオン座流星群がピークを迎えるという。瞬く星空の下、久しぶりに日記を書き始めた。この場所で書くたび、いつも新たな発見がある気がする。
夜の峠には、昔から私を惹きつける何かがあった。人影のない暗闇の山道、ひたすら続く曲がりくねった道に誘われるように、一人車を走らせる。スピードを求めているわけではない。少しだけ開けた窓から流れ込む風が、自然の気配を静かに運んでくれるだけでいい。季節の変わり目には、その匂いや温度の微妙な変化が、峠をより新鮮に感じさせてくれる。
ヘッドライトだけが頼りの世界で私が感じるのは、寂しさや侘しさだけではなく、それらが心の奥底を満たしていく奇妙な充足感だった。普段は目を背けている孤独に身を委ねると、孤独は私を優しく迎え入れてくれる。曲がりくねった道を一つ一つ越えるたびに、この世界にただ一人存在しているという感覚が押し寄せる。それは恐怖でも不安でもなく、むしろ包み込まれるような安らぎだった。
故郷から峠を越えると、別の世界が広がっている。麓のコンビニの駐車場で飲む缶コーヒーから、その地での生活の一端が垣間見える。峠はまさに、異なる現実を分け隔てる境界線だった。深夜、その境界の真っ只中では、何にも囚われず、ただ私だけの時間が流れていく。郷愁と内省が美しく重なり合うこの場所の魅力は、何度訪れても色褪せることがなかった。
しかし、私の生活にパートナーが現れてから、峠での体験は少しずつ変わり始めた。かつての充足感はどこか薄れ、代わりに微かな違和感が芽生えた。その正体は掴めないが、何かが欠けているような感覚だった。景色も匂いも変わらないはずなのに、なぜか以前のようには心に染み込まない。それ以来、夜の峠へ向かう足は自然と遠のいていった。
気がつけば、私はもはや独りではなかった。自分とパートナーとの境界は曖昧になり、日々の充足感の源泉にはパートナーの存在が横たわっていた。相手の幸せを想う気持ちが、自分の幸せと繋がっていた。それは単なる依存ではなく、確かに愛でもあった。けれども、私にとって孤独もまた大切なものだったのだろうか。
時折、峠のことを思い出した。季節の星座に記憶された木々の匂い、エンジンの音と共に静寂の中へと溶け込んでいく体験。独りが故に触れることのできた神秘的直感の世界は、遠い記憶へと変わりつつあった。それでも、あの時間は心の奥底で密かに息づき、再び訪れる時を待っているようにも感じられた。
そんなことを考えているうちに、私たちは別れることになった。心にぽっかりと穴があいた。無意識のうちに広げられてしまった自分。そこにできた空白を埋めるものは見つからず、私はまた独りだった。そうなると、やはり峠が私を呼んでいるような気がした。あの安らかな時間が、再び私を癒してくれるに違いなかった。
車を走らせながら、胸の中には息苦しい緊張感があった。空っぽのはずの助手席が、車を重く感じさせた。やがて見晴らしのいい場所に車を停め、故郷の灯りを見下ろす。こうして今、私は再び峠にいる。しかし、ここには冬の訪れを予感させる冷たさが広がるだけで、私を満たすものは何もなかった。確かに独りでいるはずなのに、もうあの頃の独りには戻れない気がする。これほど人生が長く感じられる瞬間が来るとは思わなかった。かつてはここで未来への希望を映し出していたオリオン座も、今はただ無機質に私の涙を照らすばかりである。
ジェン・アイザクソン「フーコーからサンフランシスコへ――クィア理論の不変のルーツ」
https://appinternational.org/2021/09/10/izaakson_from-foucault-to-san-francisco/
本稿は、イギリスのラディカル・フェミニストでマルクス主義者でもあるジェン・アイザクソンさんが、彼女の主催するサイト「On the Woman Question」に掲載された論文の全訳です。著者の許可を得て、ここに掲載します。クィア理論が本質的にペドフィリアを肯定するものであり、欧米左翼とアカデミズムがクイア理論によって蝕まれ、それがいかに政治的に危険であるかが明らかにされています。
クィア理論の成立を画するのは、ゲイル・ルービンが1984年に発表した「性を考える――性の政治学のラディカルな理論のための覚書(Thinking Sex: Notes For A Radical Theory of the Politics of Sexuality)」という広く知られている文書だ。
ルービンは「セックスを考える」の中で、子どものセクシュアライゼーションに反対するのは「エロティック・ヒステリー」であり、一種のリビドー的に引き起こされた道徳的パニックであると主張している。これは、性的境界線を保護することを求めるセックス・クリティカルなフェミニストを、性的に抑圧された堅物にすぎないとする例の古典的考え方と同類だとみなしうるだろう。
左派はクィア理論を採用することで危険を冒している。というのもそれは、ペドフィリア擁護論にもとづいているだけでなく、今なおその軌道がペド的起源からそれほど離れていないからだ。
で、多くのブクマカを「何言ってんだこの人……」と困惑させている田房(たぶさ)永子さん。
[B! 自動車] 45歳の漫画家が運転免許を取って初めてわかった「保護者の集まりで誰とも話さず立っている父親たちの境地」 車の運転をして「男性の目線で見える世界」が見えた気がした
この方は、結構昔から論の飛躍と雑な一般化がすさまじく、「何言ってんだこの人……」という感じなので、検索して思い出せたものをいくつか。
どぶろっくと痴漢の関係 by |LOVE PIECE CLUB(ラブピースクラブ)
「膜」では「なぜ痴漢は痴漢をするのか」を説明できない - 最終防衛ライン3
この中での
という指摘は、今見ればもしかしてだけど田房さんの本質を捉えていたのかも。
後に田房さん自身、アンガーマネジメントができず、夫へのDV常習者であったことを告白しているのだけど、
それって、田房さんが「思ったこと(夫をぶっ叩きたいと思ったこと)」と、「実行・実現すること(夫をぶっ叩くこと)」の間に境界線がなかったこと、加害行為でも躊躇なく実行していることと、リンクしているのかな、と。
とあるイラストレーターが、旅先で女子中高生を観察してイラストに起こし、性的視線(「美人」とか「えっちな体型」とか「むちむち」とか)を感じさせる文章とともに旧twitterにアップしたり、クラクションを鳴らしてこちらへ注目させたりして炎上、という話題を受けてのエントリ。
女子中高生に固執する成人男性たち by |LOVE PIECE CLUB(ラブピースクラブ)
田房さんらしい飛躍&「自分の妄想は現実である」という前提に立っての論の組み立て&大げささはありつつも、イラストレーターを非難する本筋自体はまあ、悪くない。
が、田房さんが以前に書いていたコラムとセットになると、なかなか面白いことに。
神輿男のケツ by |LOVE PIECE CLUB(ラブピースクラブ)
※メインのエピソード自体は、田房さんの性的視線がよく分かって、結構好き。嫌みではなく。
「明らかに自分の中の中年細胞が活性化している事実」って何すか。自分の劣情を中年全体のものとして敷衍しないでほしい。田房さんは田房さん、「他の中年」は「他の中年」であって、同じではないのだから。
その上、これ。
「神輿男のケツ」
「女の人の体は美しいじゃないですか。美しいものを見て感動するって、人間として豊かなことでしょう」とか言うオッサンに限って平然とギンギンに勃起してる傾向ある度★★★★★
「酸いも甘いも知りつくし」た中年は、エロを超越して「美」として認識する、なんてこと言う人まったく信用できない度★★★★★
「女向け商品度★★★☆☆(個人的に)」は、その意味合いもひどいが、文章もひどい。「私向け商品度」でいい。「こじらせた中年女性向け商品度」なら、自虐としてぎり許容範囲か、アウトかの境かな。
「私」と「女」を同一視し、雑に一般化したがる手癖のせいで、「女向け」と言っておいて、「個人的に」という妙な注釈がつき、結果、「神輿男のケツは、個人的には女(全体)向け商品だと思うよ」と主張してしまっている。
2番目の項目もひどい。
つまり「もったいないから見ておく」という感じだった。それは、その人と性的な縁はないだろうから、せめてその人の性的な部分(生ケツ)と少しでも関わりを持っておきたい、という、人間として“卑しいランキング”かなり上位の動作だった。その映像(若いケツ)を目で盗む、短時間で自分の水晶体に写し込む、に近い。
と、自虐的に落としていたのに、ここでは「おっさん」に転嫁している。劣情を催していたのは、twitterでメッセージを送ってきた男性ではなく、あくまで田房さんやん。
[B! 結婚] 同じ40代で「昭和な夫」と「令和な夫」がいるのはなぜなのか(田房 永子)
htnmikiさんのコメントが全てかと。まあ、そういうネタを拾って文章か漫画で語ってお金をもらうのが、今の田房さんのお仕事なので、しょうがないといえば、しょうがないのだけれど。
[B! 教育] 中2で「初めてのセックスはどんな状況か」を考えさせる…日本と全然違うカナダの性教育 最初に「相手とのコミュニケーションの一環である」ことを学ぶ