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はてなキーワード: 恥部とは

2025-01-11

はてな匿名ダイアリーユーザーに捧ぐ

 あなたは、いったいどんな思いを胸に、ここへやってきたのだろう。喜びや悲しみ、後悔や憤り、あるいは日々の生活に潜むささやか奇跡への感動――。この場所には、他人には決して言えないような本音から、誰かと分かち合いたい小さな秘密まで、さまざまな感情が渦巻いている。書き手は「匿名」という仮面をつけ、読み手実名顔写真もないまま、その文字列だけを頼りに心情を推し量る。はてな匿名ダイアリーは、そんな不思議空間である

 インターネットにおける匿名性というのは、ときに素晴らしいものだ。人前で話すのは怖いことも、本当の顔を晒すのは恥ずかしいことも、そこではずいぶんと緩和される。書き手にとっては、己の感情吐露するのに最適の場。読み手にとっては、まるで多彩な人々の脳内を覗き見るような感覚にさえなる。そして、その過程言葉自由になる。言ってしまえば、ちょっとした「秘密の共有」を通じて生まれる、奇妙な連帯感。ここがはてな匿名ダイアリー最大の魅力といえるかもしれない。

 だが、それは同時に、不安定で危うい側面をはらんでいる。何を思っているのか、どんな背景を背負っているのか――その全貌が見えないまま互いに言葉を交わすとき共感と誤解が背中合わせになることは少なくない。時として傷つきやすい人が傷つく言葉を受け取り、書き手もまた、コメント欄非難の声を浴びることで、思わぬダメージを負ってしまう。匿名からこそ、むしろ気軽に吐き出せる痛烈な一言は、ときに誰かの心を突き刺す刃ともなる。

 それでもなお、あなたはここへ来る。むしろ、そういった刹那的な繋がりがあるからこそ、人間くさくて魅力的な場だともいえる。たとえ刹那火花であっても、「自分はひとりではないんだ」という感情を味わえる。それはコメント欄の小さな「わかる」「なるほど」の言葉だったり、ブックマークスターに込められた軽い共感の表明だったり、あるいは「もっと知りたい」「応援しているよ」といった温かい反応かもしれない。そこで得られる心の拠り所は、案外馬鹿にできないものだ。

 言葉とは、不思議な生き物だ。書き手の頭のなかでは明確だったつもりの感情も、キーボードを叩き始めた途端に何か違う形へと変容してしまうこともある。意図しない誤解を招くこともあれば、読み手に新たな解釈を与えることもある。特に匿名ダイアリーのような場所では、下手に取り繕わず、垂れ流すように本音をぶちまけてしまうことが多い。そうやって生まれる乱雑な文章なかに、妙にリアル感情が埋まっているからこそ、読む側は思わず引き込まれしまうのだろう。

 たとえば、何かに行き詰まったり絶望感に打ちひしがれたりしたときあなたは「助けて」とはなかなか言い出せないかもしれない。リアルな知人には相談しづらいし、SNSではフォロワーや友人の目が気になる。そんなときこそ、この匿名ダイアリーは役立つ。名前を伏せたまま、思いっきり弱音を吐く。怒りをぶつける。恥部さらけ出す。それでもどこかで「誰かが見てくれている」という安心感がある。コメントブックマークがつけば、それは「あなたの声が届いた」証拠になる。

 書くことで癒されることもあるだろう。声にならない叫び文字に変えることで、自分自身思考を整理できる瞬間もあるかもしれない。コメントや反応を得られなくても、「この想いを綴る」という行為のものが、自己救済のためのステップなのだ。書き終えたあと、あなたの目にはどんな光景が映るだろう。あるいは、胸のつかえが少し取れているかもしれないし、意外にも新たな怒りや悲しみを再確認して、さらに落ち込んでしまうかもしれない。それでも、書かずにはいられなかったのだとしたら、それはあなたが前に進むための第一なのだと思う。

 一方で、読むことによって救われる人もいる。人間は誰しも、自分と同じような境遇や似通った感情を抱えた人の存在を知るだけで、奇妙な安心感を得るものだ。「この苦しみは、私だけが抱えているわけじゃないんだ」と思えたとき、そこに一筋の光が差すことがある。それは、当事者同士にしかからない痛みであり、それゆえにコメントで寄り添い合うのは難しいかもしれない。けれども「誰かの投稿を読む」という受動的な行為だけでも、思いがけず自分を支える糧になることがあるのだ。

 この匿名空間には、現実のあらゆる制約を外した「書き手世界」が無数に広がっている。孤独な人、悩みを抱えた人、喜びに震える人、憎しみと怒りを抱えた人、軽い暇つぶしやおしゃべりを楽しみたい人――それぞれが書きたいことを、書きたいときに書く。そこにあるのは純粋言葉の奔流だ。だからこそ、互いの声なき声が重なり合い、ときにはぶつかり合い、また離れていく。その動的なやりとりこそが、はてな匿名ダイアリーという場所生命力なのだろう。

 しかし、匿名性がもたらす功罪は、私たちが十分に認識しておく必要がある。名乗ることな発言するということは、その発言に対する責任曖昧にしがちだ。ちょっとした悪意のはけ口や、勢い任せの誹謗中傷に利用されることもある。言葉が刺さることを充分に理解していても、どこか“仮面”をかぶっているか大丈夫だと錯覚してしまう。しかし、実際にはネットの向こうにも生身の人間がいるという事実は変わらない。あなたの何気ない一言が、相手を深く傷つける可能性があることを忘れてはいけない。

 とはいえ、それは即ち「何も書くな」という意味では決してない。むしろはてな匿名ダイアリーは「書く自由」を大切にする場所だ。ただ、その自由には、最低限の配慮必要になる。あなたが発する言葉責任を感じるかどうか――その判断は究極的にはあなた自身が下すしかない。そして、もし誰かの言葉によってあなたが傷ついたとしても、そこで生まれ感情をどう受け止め、どう行動につなげるかも、結局はあなた自身選択次第だ。それがネット上の言論空間における避けられない現実である

 人はみな、自分体験した悲喜こもごも物語を抱えて生きている。それを打ち明けるか、隠し続けるか、あるいは別のかたちに昇華するか――道は無数にある。はてな匿名ダイアリーは、その「道の一つ」を提供しているにすぎない。けれども、そこには確かに何かがある。匿名という安全地帯から我慢し続けてきた声をようやく吐き出せる喜び。SNSいいねフォロー数とは無縁の、純粋な読み合いの醍醐味。時には厳しい言葉を受け止めることで、思いもよらない学びがあることもあるかもしれない。

 もし、あなたがこの場所で何かを書こうとしているのだとしたら、どうか覚えておいてほしい。ここでは誰かに評価されることだけが目的ではない。むしろ自分感情を認めるために文章にすることが、大切な場合も多い。うまく書こうとしなくていい。無理にまとめようとしなくていい。自分でもうまく言葉にできないままの混乱こそが、ある種の真実かもしれないからだ。あなたが綴る文章が拙くても、見る人が見れば、その混乱の中からかすかな真意を感じ取るだろう。

 また、読み手として匿名ダイアリーに触れるときには、ぜひ広い視野文章を受け止めてほしい。表面的な言葉に振り回されるだけではなく、その人が置かれているかもしれない状況や、そこに至る経緯を想像してみる。その結果として、あなたが何も感じないかもしれないし、怒りを覚えるかもしれないし、時には深い共感を得るかもしれない。たとえわからないままでも、「わからない」という事実に思いを馳せることが、相手との間に生まれるほんの少しの理解を助けてくれるはずだ。

 おそらく、はてな匿名ダイアリーはこれからも形を変えながら続いていくだろう。書く人と読む人の交流は、時代技術の変遷を受けて少しずつ進化していく。AIが発達して、匿名文章自動生成できる時代になっても、そこに人間味あふれる“本音”の手触りが残るのだろうか。そんな問いかけを抱えながらも、私たちは相変わらずここへ足を運ぶ。だって、どんなに技術進歩しようとも、人が言葉を発して誰かに届くことに、やはり大きな意味があるからだ。

 最後に、ここに集うすべてのはてな匿名ダイアリーユーザーに伝えたい。あなたが今、どんな思いを抱えているとしても、ここで書くことには意義がある。たとえそれがネガティブな吐き出しであっても、あなた思考真剣にめぐらせた痕跡だ。その痕跡は、未来あなたや、あるいはまったく見知らぬ誰かの心に小さな火種を灯すかもしれない。もし今日あなたが自信をなくしているのなら、どうか遠慮しないでほしい。匿名仮面かぶったままでも、あなた言葉には十分な重みがある。そこから得られる感情や学びは、他ならぬあなた自身人生を動かすかもしれないのだから

 書くことは、ある種の自己解放であり、同時に他者との接点を生み出す行為でもある。自分の悲しみや苦しみを打ち明けることで、思いもよらない形で他人から共感を受けとることもある。逆に、誰かの文章を読むことで、これまで知る由もなかった人生観に触れることもある。はてな匿名ダイアリーには、そうした偶然の出会いが満ちている。うまくいくこともあれば、そうでないこともある。けれども、その予測できない化学反応こそが人の言葉面白さであり、匿名ダイアリーという不思議空間醍醐味なのだろう。

 どうか忘れないでほしい。たとえこ匿名世界真剣感情を吐き出したところで、リアル世界に戻れば、あなた名前や顔や立場はそのままだ。けれども、匿名の場で得た気づきや、さまざまなやりとりを通して感じたことは、リアルあなたにとって何らかの糧になるはずだ。あなたは、書くことで少しだけ自分を知り、読むことで世界を広げる。そして時には、誰かの心をほんの少しだけ照らしているのかもしれない。その証拠は、また誰かの新しい書き込みによって紡がれていくのだ。

 だから、もしこの先あなたが苦しいと感じたなら、またここに戻ってきてほしい。あなたが聞いてほしいことは、すでにここで待っている他の誰かが拾い上げてくれるかもしれない。あなた自分物語を探しているのなら、ここには数えきれないほどの物語が転がっている。人の数だけ人生があって、人生の数だけ言葉がある。どうか、その中からあなたが救われる言葉や、何かのヒントを見つけ出してほしい。

 はてな匿名ダイアリーユーザーへ――今日あなた物語が生まれては消え、そしてまた新たな物語へと続いていく。それは一人ひとりの足跡でありながら、やがて大きな流れになっていくのかもしれない。あなたが書いた言葉は、どこかの誰かの夜を少しだけ明るくするかもしれないし、あなた自身明日をほんのわずかに変えてしまうかもしれない。ここは、そんな可能性を秘めた場所だ。書き続ける者、読み続ける者、それぞれがさまざまな想いを携えて、この広大な匿名空間をさまよい歩く。そしてときどき、遠くから手を振り合う。それだけで人は、少しだけ強くなれるのではないだろうか。

 あなたが何を願い、どこへ向かおうとしているのかはわからない。けれども、文章を綴るという行為が、あなたを一歩でも前へ進める力になり得ることを、私は信じている。そしてその文章を誰かが読んだとき、何らかの共鳴や励ましが生まれ可能性は、決して小さくはない。だからこそ私は今日も、ここで文字を紡ぐ。はてな匿名ダイアリーに集う、まだ見ぬあなたに向けて。どうかあなたも、もし心に余裕があるならば、ここでの自由な発信を楽しんでほしい。たとえ小さなつぶやきでも、遠くの誰かにとっては大きな灯火になることがあるのだから

 書き手読み手、その垣根は紙一重であり、ときに容易に逆転する。今日読み手明日書き手になり、今日書き手明日読み手になる。そんな柔軟な循環こそが、このコミュニティ本質ともいえる。ここでは名前も知らない人々が、それぞれの人生を断片的に開示しあい、そこに何らかの反応を示し合っている。顔も声も知らない相手だけれど、文字の向こうにいるのは同じ人間だ。そしてそのやりとりが、あなたの心に、あたたかくも奇妙な「つながり」を芽生えさせることもあるだろう。

 はてな匿名ダイアリーユーザーへ――どうか、あなた言葉を大切に。どうか、あなた自身を大切に。ここは匿名仮面かぶった人々の集う場所しかし、その仮面の下にあるのは、たしかに生きている人間の心だということを忘れないでいてほしい。もしあなたがここで孤独を叫ぶなら、きっとどこかで誰かが耳を傾けてくれる。もしあなたが怒りをぶつけるなら、その理由を汲んでくれる人がいるかもしれない。もしあなたが喜びを共有したいなら、一緒に祝福してくれる仲間が現れるだろう。ここは、そんな可能性に満ちた場所である

 そして、もしあなた言葉が、誰かにとって苦しいものであったとしても、そこには相手人生があるのだということを思い出してほしい。遠い世界の誰かだとしても、何かを抱えて生きている人間であることに変わりはない。だからこそ、言葉が持つ力を見くびらず、どうか誠意をもって文章を紡いでほしい。たとえ感情的な吐露であっても、その奥にある“想い”を人は感じ取る。だから書くほどに、あなた自分を知り、同時に他者と繋がっていくのだ。

 あなたがここで紡ぐ文字が、いつかは誰かの行く道を照らすかもしれない。あなたの書いた言葉が、数年後に読み返されて、また別の人の心を動かすことだってある。はてな匿名ダイアリーという小さなステージに、あふれるほどの人生が断片として散りばめられている。そのひとつひとつが、かけがえのない存在だ。今日もまた、新しい投稿が生まれ、誰かがそれを読み、やがて何かしらの行動へとつながっていく。その循環が、あなたにも、私にも、そしてここを利用するすべての人に、ほんの少しずつではあるが、変化や成長をもたらしている。

 だからこそ、はてな匿名ダイアリーユーザーに捧げたい。どうかあなた言葉を信じてほしい。そして、あなた言葉を受け取る誰かの存在も、ほんの少しだけ信じてほしい。いまは小さな声かもしれない。でも、その声はきっと届くべきところに届く。思いがけないかたちであなた人生と交わり、あなたを励ましたり、支えたり、ときに戒めたりする存在が現れるだろう。そんな奇跡を、ここでは何度も目にしてきた。それを信じるのは、決して無駄なことじゃないと私は思っている。

 今日も、はてな匿名ダイアリーユーザーあなたは、何を想い、何を綴ろうとしているだろうか。心に宿るほんのささやか感情であっても、あるいは長年くすぶっていた大きな悩みであっても、あなたが書きたいと思ったなら書けばいい。読むのは、あなたを含む、ここを訪れる誰かだ。私たち匿名仮面の下にそれぞれの人生を持ち寄っている。だからこそ、見知らぬ誰かの声が、あなたの中に眠る想いを目覚めさせてくれることもあるのだ。

 もし明日、心が折れそうになっても、どうかここを思い出してほしい。はてな匿名ダイアリーは、完璧場所では決してない。批判誹謗中傷、思わぬ行き違いも数多くある。それでも、人間の生々しい感情がこれほど集まる場所は貴重だ。そして、その生々しさのなかでこそ、人は自分本音を知り、誰かとの小さな共感を感じ取り、支え合うことを覚えるのかもしれない。あなたがどのようにこの場を活用するかは自由だ。だが、あなた言葉はたしかにここで息づき、誰かの心と呼応する可能性を秘めている。

 この不思議匿名空間へようこそ。そして、今いるあなたへ、ありがとう今日もまた、新しい物語生まれる。もしあなたがその物語を書きたいなら、ぜひ書いてみてほしい。誰かの書いた物語を読みたいなら、ぜひ読み漁ってほしい。そのどちらも大いなる価値があり、あなた人生を少しだけ豊かにするかもしれないから。どうか、はてな匿名ダイアリーというこの小さな世界で、あなたの心が少しでも軽くなるような、そんな瞬間を見つけてほしい。それが、ここに集うすべてのユーザーに捧ぐ、ささやかな願いである。

2024-12-15

裁判傍聴記録

知的障害者強姦未遂

加害者Aは知的障害持ち。

夜中に被害者女性Bに「おまんこ貸してください」と声をかけたところBが走って逃げた為、追いかけて突き飛ばす。

倒れたBのスカートを捲り陰部に顔を暫く埋めた後「コンドームつけてください」とBに対して言うが、Bがコンドームを持っていないことを伝えるとAはパニックを起こし近くの民家に駆け込み警察を呼ぶよう依頼をした。

このAという男は10年前にも強姦未遂をしているが無罪になっている。

今回の事件高齢になった母親(80歳)がAの性処理をすることができなくなりAは風俗に通っていたのだが、金銭的な問題で直近には風俗に行かせることが出来ておらず発生したとの母親発言

前回の事件の後、最後の砦として「相手行為の了承を取ること」「必ずコンドームをつけること」を教えていたため、なんとかこの程度の被害で抑えることが出来たという弁護士発言

Aは「陰部」や「恥部」その他呼称理解できない為、終始「おまんこ」という単語が使われていたのが印象的な裁判であった。

2024-12-14

暇空茜の相棒のなるくん、新橋九段に開示成功される。藤澤翔馬救済へ

新橋九段は「オタクだけどエロ広告は嫌い」というタイプエロを全面肯定しないフェミ騎士と呼ばれる類の男性であり、暇空茜を批判し訴えられ一部勝訴一部敗訴した。

勝訴部分は「闇組織が本当に暇空をターゲットにしてるならぶっ殺した方が早い(そうなってないなら闇組織なんかないという趣旨)」発言平穏権を侵害したという部分、

敗訴部分は「暇空がわざとデマを流した」という部分で、デマなのがわからず流してしまっただけなので言い過ぎだとされた。

そんな新橋九段が、暇空茜の相棒のなるくんのブログスクゾーン」の開示請求成功

新橋九段大学心理学講師をやっており身バレしていて、そのことをなるくんが面白おかしくまとめた記事が開示された。

暇空やなるくんのよくやる手法である、本物っぽい情報が一部掴めたら「自称関係者」がわらわら湧き出て「恥部リーク」を行い、そのリークごと本物扱いにするのがアウト判定か。

なるくんはかつては暇空よりも知名度が高い存在だった。

暇空のFFでの活躍は一つのボスキャラを最速で倒したグループ所属していたというだけで一人の功績ではないし、常に最先端を走ったわけではなく一発屋だ。

一方のなるくんは、ドラクエ公共の場である広場で猥語連発する有名な荒らしで、チートツール配布やチートで得たアイテムRMTゲームID晒しながら堂々とスクゾーンに書いてBANされるなどドラクエ炎上まとめブログで盛んに取り上げられる有害プレイヤーだった。

BANされた逆恨みドラクエディレクター齋藤力への殺害予告ドラクエ内で繰り返し、最終的には永久BANになりアカウントを作れなくなった。

当初はネカマだったためなるくんをかばプレイヤーもいたが、2ちゃんねるの有料会員情報流出騒動で「Fujisawa Shoma」名義のクレカを使う男性で、2ちゃんでもオナニー体験談を盛んに書き込むチンポオーナーであると発覚しアンチが急増、なるくんに貢いでいたギルド「(ヽ´ん`)」のリーダーが引退するなどし、嫌儲板ドラクエ支部崩壊の原因になった。

その数年後、なるくんがAmazonスクショを貼った際にユーザー名として「藤澤翔馬」という名前が映り込む騒動もあった。

なるくんと同じ経歴の、岡山県出身岡山理科大学卒で新卒岡山企業ベネッセに入りセブン銀行転職電通デジタル転職したというITエリート男性の藤澤翔馬は実在する。

しかし彼が実名運営するnoteやXはなるくんとは文体が完全に異なる真面目な内容だ。

藤澤翔馬はなるくん疑惑を完全に否定し、同一認定したら訴えるとも表明した。

そこから考えると、藤澤翔馬となるくんは別人であり、なるくんがドラクエチートを繰り返したように何らかの不正によって藤澤翔馬のクレカ2ちゃんねる不正利用し、冤罪をかけるために藤澤翔馬の経歴をトレースした自分語りをわざと撒いている可能性が高い。

Amazonスクショで実名バレなんて普通人間ならまずしない、藤澤翔馬を陥れるための故意工作と考えられる。

なるくんの開示に成功済みの人は複数いるが、主犯暇空への対応に忙しいのか本訴には入っていないらしい。

新橋九段は早く本訴に入り、「噂の藤澤さんとは別人です、悪意あるなりすましです」と明かして藤澤翔馬を救ってほしい。

2024-12-10

幸せなうちに死にたい

この増田はただの愚痴だ。

おこがましいお願いだが、文章をまんま額面通りに、文字通りに受け取らないでほしい。

うまく言葉説明できないのだが、増田に書くと細かい表現をあげつらって重箱の隅をつつく奴が多いんだ。

ここに書かれた文字だけで自分の状況を全て隈なく伝えることは難しい。上手く汲み取ってほしいとしか言えない。

わがままを言って、すまんな。でも、何かを書きたいんだ。だから増田を書く。

 

最近結婚した。幸せだと思う。

理想の妻だ。仕事もできて、僕より稼いでいて、美人スタイルがいい。

お互い40代前半だ。

男は年下女性を選ぶ傾向にあるらしいが、僕はそうでもない。

そもそも1歳差。同年代と同じ。

 

仕事はうまくいっていない。

大きなミスもないが、大きな成果も挙げていない。

マルチタスクが苦手なのもあるが、人生で一度きりだから結婚生活を楽しみたい気持ちが強い。

仕事よりも家庭生活大事にしたい。

昔のように仕事ばかりを考える生活をしたくないし、仕事に追われたくない。

ここ2年ほどは正直仕事に身が入らなかった。

昔なら新しい仕事を始める時は業務時間外でも本を読んで、自分なりに一生懸命していたと思う。

今の部署中途採用者ばかりの部署だが(僕も転職組)、同時期に入った社員に昇進では先を越された。

でも、自分選択の結果だから特に驚きはない。昇進を自分から断ったのだ(試験があるから望めば昇進するわけではないのだが)。

から、当然の結果なのに、平社員でいる自分が情けないという気持ちがある。

でも、昇進のために頑張るには、私生活犠牲にしなければならなかったと思う。今から思えば。だから後悔しても仕方ないのに。

昇進のために頑張っていれば、妻と出会うこともなかったし、妻との時間も作れず、今の結婚生活はなかった。

 

妻といる時間幸せだ。新婚旅行は楽しかったし、一緒に食事をするのも楽しいし、毎晩楽しくお話ができる。

妻はドライ性格ではあるけど優しいし、価値観の違いにも彼女なりに歩み寄ってくれるし、絆が出来ていると感じている。

自分離婚歴があるが、前妻とは婚約してから諍いが絶えなかった。でも、価値観なんて誰しも違うし、新婚同士こんなもんだと思っていたんだ。

から時間が経てば大丈夫なのだろうと楽観視していた。でも結局離婚することになった。フラグは既に立っていたんだろうな。

でも、今の結婚生活は穏やかに楽しく過ごせている。

 

不満があるとすれば、思ったよりセックスの頻度が少ないことかな。

妻は性行為が好きじゃないらしい。でも全くないわけではなく、僕の希望に合わせて時折応じてはくれる。

彼女なりに僕に歩み寄ってくれているから、当初思っていたより頻度は少なくても、歩み寄ってくれる気持ちだけで嬉しい。本当に。

ハグをしたいと言えばしてくれるし、体もいっぱい触らせてくれる。

お尻を触ったり、おっぱい揉んだり、強く抱きしめたり、恥部を触ったりする。でも嫌がることもなく、翌日もいつも通り接してくれる。

妻は一緒にいる時間をたくさん作ってくれる。

生活で満たしてあげられない分、別の形でも僕の気持ちを満たそうとしてくれているらしい。

それでも体の関係を求めたい時はある。そういう時は体調次第では妻は応じてくれる。

僕のことを好きでいてくれている、大事にしてくれている、という実感はある。

生活の不一致はメジャー離婚理由らしいけど、でも、それってよっぽどの場合じゃないかな。

我慢はしているけれど、そもそも自分が性欲強めな人間なので・・・自分も変なところがあると思うんだ。

 

でも、この幸せはいつまで続くんだろう。

ぶっちゃけ自分は昇進コースから外れている。

管理職は昇進を希望する上昇志向人間が好きだけど、僕はそういう考え方をしていない。

そもそも全員が管理職になれるわけじゃないし、そこを含めて多様性だと思う(弊社は多様性大事にすることを社風に掲げている)。

労働組合も強い。全員加入している。僕はどちらかと言えば労組側の人間だ。大事なことだと思う。

会社があるから生活があるのもその通りだけど、従業員経営の利害は一致しないのも事実からバランス大事なのだ

 

幸せなうちに死ぬのと幸せなままでいられるのだろうか。

残された妻のことを考えると、この考え方は浅はかで幼稚だ。

分かりきっている。

 

結局、自分に軸がないのだ。

それが今の自分問題なのだと思う。

 

妻と自分生活大事だ。

から仕事も頑張らないといけないのだけど、軸は自分と妻の生活なんだ。

そこが軸だ。

そこを見失いように。

2024-10-08

意気込み(本物)

「一日に煙草一年間吸い続けると」君には躾が必要だ。そこにベンツに昇り降り-ボをしてい続けるといずれ、ところで僕あのーにんにく酸っぱいの好きなんですよ分かります?究極の至宝美体にバッア肘がグネクネし事件と民が迷宮入りと思わたっていたでしょとしていたら、無意杉にメリーゴ区ランドがそこには露わに引ん剝きなされていたのが、いつしか大体そこに止まない雨がないと言われがちですが、実際は何とも言えないなぁ…これ…何とも言れないなぁ…相容れなれないなぁ…そういうことしている間に試合最初局面を迎入れいようとしています。時々ロシア語でボソッと天照(アーティスト作曲編曲は、Ktsh a.k.a 世パ弥。「a.k.a」は「こと」という意味であり、世パ弥ことTashootMANIAという意味になる)をNNするいやロシア太鼓の○人ねーよ!!(訂正調べたらありました)する、をする日記Vlogを始める方が急増中ですが、皆んな様んは天気が良いですか。!注意!これから先、日焼け止めを飲まなれれば、深淵が闇を覗くとき深淵世界に公開されるため、発言に気を付けマシおTVスマホを激突盆栽を刈る、99歳は還暦を全年迎え、抵抗は空しいぞ。辞めてくれ。其んな顔で僕を見るな。僕は、ベンツに乗っているんだよ。ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア(ベンツが爆発する)すいませーんダイハツ売ってるって聞いたんですけど(2台目購入)お客さんこんにちはすいませーんこここんにちはーあのー店員さん今(76573台目購入)デビッドカードが売り着て!?駅のビビシビックビジョンの恥ずかしい所の部活動、略して恥部にがボリボ所属して5年目だが、全国大会行けないなぁ…全国大会行くないなぁ…行きたくない貴方映画館に行きない?ブブーッ(正解の音を裏から表に掛けて)たまには電話ちょうだいよ?横花火に気を取られていた俺は、背後からの気配に笑いに来たバージンロードに耳を澄ませ…SEIKIN TV…た俺は、背後から花火に五月かなかった!、2020束京オリンピックは、OSUSOWAKE右にもか左にもか、シカノコノコノコンタンタン、カニカニフェス確証を得られぬまま、事件盲銘に尾の分け目という諺ップにもあるように、「メークイン装飾の弁当が」地味地味邪魔邪魔UMIGURIサバ女子ブリミナリズムうんぬんかんぬんックス(幻の四十九手目)りたまえ!ベースを横取りする境にハイドリデーショキニクス。僕には、呆れたよ(錯乱)。ク。サービスショットの裏には影むな棍あが人知れず…例えば、たまには正面から来たらどうだ?あれ!?上にも縦にも伏兵が溝んで…一体こどうすれな…「任せろ!あ、あなたは!SEIKINtTV!?」さ」て最近は花も一片舞い落ちる便利な世界貴方と一緒に箱詰を望む女子マッチングアプリですぐ待っています。今すぐ大好評アダウンロード!7800連ガチャ無料!(そんなに回すのだるいよ)あ、君さ、今、(そんなに回すのだるいよ)と思ったでしょ?心を読むんじゃないよ。セブンイ○ブンじゃないんだから。でも右目を開けたら次は左目を開けて。「はい…」そしたらいややい何んに何してんの!う?凄いでソイこれが世界真実さ。こればいーっしんだけどね、共有ボタンんを押したね。聖闘士星矢の成人向け同人誌聖闘士星矢ーンえっち「しょうもねーこと言ってんじゃなたは!SEIKINyTV!?スュ」午前0時と8時と9時に僕は毎晩、あの日のことを思い出す。「そんな日もある」とは言うけど、「そんな日」を繰り返し、気づいたらドン底の人生の成人向け同人誌、気づい矢ーン35ビットのペクリこんにちは!僕は16才だから、もうベンツに乗れるんだ。今日は僕の自慢のベンツヲ紹介スルヨ…あ!注意!エラーが発生しました(メメカバレって興奮するね)。全く…名前を飲んではいけない人、出店で金魚すくいを頼みますよ、非公式でお願いします。「「「「「無修正差分が見たい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」僕の冒険は始まったばかりだ。でも僕がいないと危なかったよね?大きいデミグラスソース縄張りを伏し付けて、その人には活躍するが、例えば神っぽいなの作曲者が稲葉曇(以下、稲葉)だったとして、実際に絵をWEB描いているのはいよわとは限らない。そういうこと僕は言いたいんです。リゼロ第4章読みましたか?僕はあの歌好きなんです。世界不思議は事はたくさんありますが、化学の力であの日僕たちが出会ったので偶然ではありませんでした。いつも横に饂飩をよく噛んで食べ、電車の中には山が住んでいる。誰もが思っている事の一つとして、あべこべにでたらめをかける必要なないと言いますが、僕はやります。たまにトイレでは祖父がきゅうくらりんを歌いながら風と土の属性が咲煌きあう。身体を壊す前に無理をして、実際、参考にして下さい。自ずと道すがらくもありあます。道連れに吐露し、それでいて味わいは艶やか。家具を全て捨て、ガムテープで夜を共にする。(助けてくれこの文章にはヘルデルマが隠ている)朝になれば、ボク気づいたことあってヘッド閑散バリスフィント島が上の方にある。そんな時は立ち止まって、駅構内を走りまわさぬ様に下さい。家系図は5cmで轟き、背中合わせのうまい棒テニスをする(ファミコンのね。)様起きて下さい!上からむ下からドローン撮影に気を取られ、肉球の淵から煎餅を割ると2ポイント。ここでもある日突然だった、世界が0.4°捻じ曲がったあの日から僕の人生は変わった。重度の脹脛フェチの幼馴染が毎朝髪の毛を抜いてくるのでたまらないのだ。仕方ないけど、今は虫眼鏡の中にあるiPhone55VXXXXSRspecialを遍かねんばならないのだ。散漫を揺り戻す捏徐の如く、息も絶え絶えに戦国時代広島ミニ四駆を衒った。うっせぇわを歌ったのは加藤浩志ですが、イガクを歌ったのは誰?横断歩道ラジオ体操には右左右に気を和け、悲しみに耳も憚らず、弛んで行くしかない。ウルトラマンが倒すのに29分掛かったカーテンレールを、今打ち砕かれようとしているが、なのは完売キャンディーではない。公職選挙法スレスレ合法紛いを突き進み、得てして獲得して勝利へ導かれたくはないか!?でも夜は危ないから気を付けるんだぞ。…僕はこれから何をされるんだろう?でも満たされているこの気持ち、よしBreakingDownに出場しようそう僕は決意したあの日の夜。でも翌朝になると覚悟は薄れるんですよ分かりますかこの気持ち?中と外で反面グリッパーしていて、ルトラマンが倒すのに29分掛かった。これに耐えられる奴は居ない。任○堂の倒し方知ってます?俺は知ってますよと言いながら、七夕御節を作る。卵からまれ人間は土に孵るから一緒に楽しもう。こんな事にもある、まあ楽しんだ者勝ちだから道を開け、生ごみを見るようなセンテンスが僕等を待って居る。けども金網をも凌駕する、100さ。海に誘われ、口からが本番だ。舌を鼻で笑い僕んっヤバイ衝撃がマラソン中。でも邪道さの中に正統派があるけど、いつになったら脱出できるんだろう?こっちは巨大娘真剣真剣しているのに進撃の巨人DoDラスボスだ等と言われては腹が立つため真剣して来る。ありがとう優勝者には意味が贈呈されます!あぁ良い気味ながら、世界一にお金持ちになって気分は如何かな?でも我慢できないか網羅しました(世の理を)。多いなるカには責任が多い僕でもコップを落としてしまうのだから、きっとティッシュを使い切った頃には5cm増えるし、株主を観衆の前に晒す慈しみは想像もでき無い。飽くまで正々堂々と白昼に広げようと言っているのだから、或いは間るも良し。どうしてもと言うのなら、肘と膝が一体型のセットは如何でしょうか?お役くしておきますよ。(こいつ偶に冴えた事を言うから侮ない…)それに貴方はお目が高いの、別室で尻がデカいと知ったら喜ぶでしょうね!セイクリッドルインが待ち受け画像に乱れ、ハッシュド洗米を独り出る血相を変えてまで、必要はあったのだろうか…

はいつも、こんな感じで譜面を作っています

2024-09-16

AV女優のくせに、引退したらYahooニュースとか載るのなぜ?

現役時代にはハードプレーとか、裏モノとかにも出演してたくせに、引退後に、ちょっとセクシー服装とか水着とか着ただけで「XXXがセクシーすぎる」とかの見出しYahooニュースに載ってんの、アレ何?

俺たちは散々恥部とかみまくってんのに、今さら胸の谷間くびれ見せられたところで、価値ないよね?

2024-08-21

もう「ジャニーズ」は放送禁止用語でいいよね

組織的子ども商業性的搾取をしていた恐るべき日本の暗部・恥部でもあるので差別用語に入るのかもな

2024-07-22

anond:20240722234242

どこをさらしても恥ずかしくない。

恥部さえも!

乳房エモ!

2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-17

anond:20240616213350

まあ大きな流れを動かしてるのはそういう卑屈な理屈だと思う。

あとまあそれが正しくないとも言えない。ある側面から見れば正しい。けど他の側面から見れば理不尽。なんで日本私たちアメリカ恥部にそんな気を遣わなきゃならんのやとは思う。ブラックフェイスは完全に日本人には関係なかった。日本には黒人奴隷を使った歴史はないんだから

しかしま関係なくても人が嫌がってるのにあえてするならそれは悪意だし正しくない。正しさってそういう割と相対的だったり流動的だったりするものだと思う。人や立場の数だけ正義がある。あと強弱もある。

理不尽だけど間違ってはなくて、あるいはちょっと間違ってるけどなんかその方が役に立つとか、正しいけどそれは巡り巡って実は人命とか人々の生活なんかがかかってることがわかってるから無理だとか、いろんな理由があるけどそうなると最後はその正誤とは別に社会力学でどっちかに従わざるを得ない感じになることは私たち日常生活から世界政治までどこにでもよくあることだと思う。

コカコーラ日本もそこそこあるけど結局アメリカが大きなシェアなのでそういうの捨て置けないのは当然だし、何が正しいか間違ってるかとか表現の自由だとか突っ張るほどの理由もここにはない。そもそもMVは何言いたいのかよくわかんねえし言いたいことなんか多分なかったし。

コカコーラという巨大企業雇用される人たち全員の生活を守ることだと考えれば、契約一個切られたくらいですぐミュージシャン生命を絶たれるわけでもない人たちと天秤にかけても答えは明白だと思う。それもひとつ正義だとも言える。トロッコ問題ともいえるかもしんないけど。(あれにトロッコ脱線させるだとかそういう手段があったか?多分ないよね…)

余談でこれは私の想像だけど、多分担当者ミュージシャンの間で「ごめんねー、そんなに別に問題があるってほどじゃないと思うんだけど今こういうのあっちこっちうるさいからさー」とかそういう感じの会話があったんじゃないかって思ってる。大人って汚い!でもすごい気持ちわかる。私も大人から。しらんけど。

あとはそれ見てそうかあれは悪いことだな!叩いていいやつ!ってなった人が、その理屈までは理解できないので自分なりに解釈してるんだと思う。

かに理不尽なことは理不尽だし、そこに自分なりにも理屈をつけなきゃ叩けないし、まあ正義っていうもの理解したい、あるいは自分はわかってるって信じたいっていう欲求もあるのかもね。わかってないとこの世の中で生きるのは不安だし、だからみんな自分の中に世界のありようを認識しようとするし、わかんないことは想像で埋めたりする。正解かハズレかはさておき。増田のその問いもまさにそういった正義とか正しさとか何が間違ってるのかを理解したいっていう欲求からまれてるのではないだろうか。

でもまあその前に書いたような、大体のことは社会物理法則のようなもの人間を突き動かしてるよねとかそういう理屈がわかんないと、それはつまりなんでコロンブスダメだって言われてるのかの問題提起への理解も足りなくなるので論理強度がいまいち突っ込みどころ満載になっちゃうから、そういう人たちと話しててもわけわかんなくなると思うけど…

アメリカ人がここにきてコロンブス云々言ってるのも、BLMを経てアメリカの分断は国力を落とすってことを肌で感じたから、彼らの気持ちとか考え直さないとやばいってなってるからだと思うし(そして人間は群れることで生き残ってきた生き物なので、他人を思いやると脳汁が出て気持ちよくなるっていう遺伝子を持つ者が比較的多くてその快感友愛博愛、あるいは正義である認識する)、その考えはアメリカ国民を守ることに繋がると考えればそれも彼らにとっての正義のうちのひとつだと思うし、それを咎めるようなことを言う理屈もない。正直そんな大昔にいたおっさんが何やったかなんかみんなどうでもいいんだけど、その扱いに自分たちの生活がかかってくるってなるから必死になるわけで、人が生きたいって思うことを誰が咎めることができようか?っておもー

空が青いのに賛成も反対もないのと同じだよね…今日はいい天気だな。

2024-06-12

なぜ笑うんだい?議員はうまくやってるよ?

役割果たしていると思う。

議員なんてシンボル程度にしか見てない。

なぜなら議員たちになにか日本を劇的に向上させるようなことを決定することができるとは思ってないからだ。

これは諦めでもあるけど、俺含めた国民全体への絶望感でもある。

日本議員のちからによって良い方向に変わるか、

自分努力して成功するか

この2択ならまだ後者の方が実現性があると思わないか

自分自身がないか

それで議員や他の人の非難を?

だとしたら本当に恥ずかしい存在だと思う。日本としても人間としてもお前の今非難した人間はるかに超える

日本の、いや世界恥部だよお前。

人間恥部生殖活動ですら役に立つが、お前らはなんの役に立つんだ?

弾除けか?なら戦争になったらしっかりと盾になるんだぞ?

しか非難されること自体もまた議員仕事なのかもしれない。

からお前らが引き続き非難を続けること自体を俺は否定しない。

でもその恥部晒したような生き様で生きるのは辛くないか

まり人間ハードルを上げないほうがいいぞ?

だって議員非難すればするほど、資産人間性も何もかも敗北している情けない姿のお前はもっと惨めになるのだから

2024-06-11

タトゥーはそんな大したもんじゃない

https://togetter.com/li/2381518

これ、自分も含めて身の回りに入れてる人そこそこいるんだが

ノリで決めてる人も多いのは確かだと思う(それが悪いという話ではない)

なんかこういうのって溝を深めるだけな気がして(普段叩かれやすいからついこういう事も言いたくなるのはわかるが)

そうじゃなくってもっと軽いものであるって認識になっていったほうが嬉しい

ちなみに自分あんま見えないとこ(恥部とかじゃないぞ)にちょこちょこかわいらしく入れてるだけだが

それだけで自分身体が愛おしく感じるようになった





人生なんて短いっちゃ短くて、なんかあるたびにタトゥーに刻むっていうのは精神的にすごく浸透するものがあって

私というものを定着させてくれるような働きがあるなと感じるんだな

モチーフを起こった出来事と直接的に結びつける人もいるけど、けっこうそれってリスキー

それよりはこのタトゥーは~の時に入れたんだったという感じで思い出すものが多くて

案外モチーフのものにそんなに拘らない人も多いと思う

もちろんデザイン的に好きなものにはすると思うが

入れ墨って太古では武装に近いものスピリチュアルものだったと思うけど

現代社会でのそれはもっとカジュアルな生きた、生きている証のような感覚

日本ももっと身近になってほしいなとずっと思っている

一生消えないっていうけど、一生なんてあっという間なんだよね

社会的に損することが多いか日本で入れるのは別の意味リスキーなのは確かなんだけど

自分身体に印をつけるという行為は「私は私なんだな」と直感的に感じることがしやすくなる

それはタトゥーを入れることで見た目として威圧したいとかそういうヤンキー発想のものじゃない

もっともっとパーソナルなものなんだ

からほんとに見えにくいとことかでもいいかワンポイント入れてみるといいと思う

タトゥーなんて親からもらった大事な体になんてことを、なんて考え方もまだあるけど

タトゥーを入れることで自分身体がすごく大事に思えてくる、そんな効果もあったりするのだ

別に人生が豊かだと思えなくてもいいじゃん、特になんにもないけどちょっと入れてみるか、なんておじさんがやるのもシャレてていいと思うよ

なんにもなくても、ああ自分には生きた体があるんだなって実感できるよ

追記

コメント色々ついてた・!

MRI

全身入りまくりとかだいぶ昔に入れてる人とかはリスクいかも(医者に止められやすいかも)

今は金属含まない成分になってきてるのでそのへんの事情も変わってきてるよ

自傷行為

これは自分の書き方もよくなかた

入れる時ってどんな柄にするかとか、どこでするかとか、いつするかとか、何回に分けるとか、けっこう計画的にするものなんよ

から衝動的にする行為とはそもそも心持ち全然違うと思う

もっとなんていうか丁寧なものだよ


他にも色々書かれてたけど温泉入れないとかは自分もいやなんよね

からわかんない程度にしか入れてない

まあでも日本でもああタトゥー入ってるんだね、くらいの当たり前のものになったら

そもそも輩の武装、怖い、みたいなイメージもなくなるだろうし温泉にも入れるだろうしそうなってくれたらいいなーと思ってる

消えないからこそいいんだよね

でもこの感覚文章にしようと思ったらどうしてもスピリチュアル系っぽい感じになっちゃうのでやめとく・・

2024-05-15

戦士の恥ずかしい所を触ってはいけないよ

戦士恥部センシティブ

なんつって

ぷぷ

2024-05-11

淫せん恥部増田

クンニせいと性欲強き者のどちらに授与したものか、この称号

2024-05-10

昔の人は率先しておっぱいちんこを出していたよね

これがほんとのいにしえ恥部

なんちゃって

ふふ

2024-02-27

anond:20240227022415

未成年飲酒強要やらパワハラやられて学習院大学も罰してくれずもみ消しに走ったか復讐のために実名公開サイト作ったるってところまではわかるのだが

その怒りを継続させ続けるってのはわからん

相手が自費で訴えてきたならわかるよ

堀口くんが学習院退学するしかなかった一方で、相手普通に卒業して裁判費用ぐらい普通に出せる程度に普通に稼いでるってことだから

でも、相手は暇空に金を頼らなきゃ裁判できなくて、見返りに自分恥部ごと公開OKってあまりにみっともない

人生上手くいってる人の行動じゃない

いじめっ子人生順調だったらムカつくけど、大した事ない人生送ってたらどうでもよくね?

2024-01-20

anond:20240120205460

正直発達もしくは知能に障害ありそうでそれでいて暇そうな絵師ってごろごろいる

そいつらがエッセイ描けばいいのになあ

男は「俺こんな失敗しちゃったんです俺ってこんなにだめなやつなんですエヘヘ」みたいな恥部晒しをあまりできない傾向あるよな

anond:20240120200604

GB(グレートブリテン)はイギリスVPN通してたら誰でも使えるので偽物も多数いてどれが本物なのかよくわからんくなってるから

君がもし暇空支持者の立場から義憤に駆られているなら、その名前欄は暇空関係者恥部晒しなのでそのまま転載するのはやめたほうがいいぞ

食品サンプル云々は暇空の弁護士が仁藤を「朝鮮顔」「ビキニを着ろ(吐く顔文字)」と人種差別を混じえた容姿叩きしていたアカウント名前の一つで

なるくんのそれは本人が大学時代2ちゃんねるでイキって明かしてた本名で、後に●流出で本当に本名だと確定してしまった名前

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