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はてなキーワード: 担当者とは

2025-01-18

辛い

うちの部署にて管理職と部下の関係が悪くて辛い

一人の管理職発言に私の部下がかなり不快な思いをし(この発言には実際かなり問題があった)、部下がそれをうちの人事部門へ届け出た。

うちの人事部門グループ会社てはあるけどうちとは別法人

そんでコンプラ担当者がその管理職に対し「〇〇さんからこういう報告があったので注意するように」と指導

コンプラ担当者とその上司はうちの管理職よりかなり年次が下なこともあり、管理職が立腹。

それ以来、うちの部下の担当している業務に毎回かなりのケチや無理な注文をつけて部下の担当業務が回らなくなった。

管理職はことあるごとに俺に対し、部下の悪口問題点を指摘して同意を求め、俺に味方になるよう求めている。

胃が痛い

2025-01-17

仕事を手伝うって

「すごーく簡単仕事から」と言われて実際にやってみるととんでもない厄介案件で、しかヘルプで入ったはずなのにいつの間にか担当者扱い。「あなたがやったのあの案件修正きてるから」って、はぁ?だよ。

忙しくて大変そうだからって、うっかり親切心出して損したわ。もうお前の仕事は二度と手伝わない。

あと元々の原因は人手不足なんだから上に交渉しろよ、お前がチーフなんだからミーティングになると黙ってうつむいてるけどさっきみたいな偉そうな口目下には言えるんだな。上にも同じように言えや

2025-01-16

バレないようにうまくやってくれって何だよ

学生時代から同人サークル漫画同人誌(ニ次創作)を書いてコミケとかで出すのが趣味で、

副業に厳しい御社(禁止ではない)に就職してからオンラインでの活動だけにして様子見してたんだけど、

去年退職した職場の先輩に会ったとき副業申請のあれこれについて意を決して聞いてみた。

ちなみに、同人サークルの規模は大きくなく、収支は赤字

年に1回やるかどうかくらいで、確定申告もいらないレベル活動を想定。要は単純に趣味でやってるだけ。

正直副業と言える内容じゃないもの思っているが、後々問題になっても困るから申請して通れば安心

結果、「バレないようにうまくやれ」だってさ。以下、先輩の個人的考え(まとめ)。

・弊社はグレー案件に対して寛容でない。周りで同人活動公言してるやついないだろ?

・すべての担当者は、OKNGの線引きが難しいからグレー案件対応は面倒

・テキトーNG判断して訴えられても困る。弊社は基本全部NGにするだろう

・社内規則副業定義しろといっても、何が副業か、どこからNGかの明文化は困難

・仮に社内規則の明文化をしたとして、社会情勢が変わるたびに誰が規則変更をするんだ?

副業と見なされうる趣味にもいろんな実態があり、一律に判断できないからあえて規定せず、グレーにしておくことがこの世にはたくさんある

・ただしグレーや副業申請全てを個別検討する余裕も気概も弊社にはない

ほとんどの担当者は「聞かれたらNGって答えるしかいからバレないようにうまいことやってくれ」と思っている

・これは副業云々だけじゃなく全てのグレー事案に対してそう思っている

ニュース話題になる同人活動懲戒くらう人は、圧倒的にアウトな活動内容か、勤務態度に問題があるとか別の問題があるんじゃないかと思う

・アウトな副業ならともかくグレーな同人活動ギリギリ副業判定して懲戒って難しいと思う、訴えられたら大変だから

副業申請が藪ヘビな場合もある。真正から正規手続きしてNG判定くらったら同人活動できないぞ

営利目的じゃない、趣味範囲と思っていて、やましい事がないなら隠れてうまくやればいい

・ただ、収支の管理ちゃんとしておくべし

正義感が強くちゃんとしてる人から公益通報を食らう場合はある

・万が一会社バレてもうまくできなかった自分自己責任

先輩が言うことはすごいよく分かって、個人の正直ベースで話してくれてるのはすごい分かる。

分かるんだけど、この「うまいことやれ」って凄い嫌いなんだよな昔から

なんか、管理する側が判断を下すことを放棄している気がして。

「バレない限りは見逃してもらえる」という意味ではこちらに恩恵があるようにも思うけど、なんだかなあ。


世の中のみんな、隠れて要領よくうまいことやってるのかな〜。

仕事できる人はバレないようにサボるのもうまいって言うしな。

俺、サボるのも苦手なんだよな〜。

2025-01-14

今季アニメ作品タイトル名とEPGがかつてなく修正必要だった

Übel Blattユーベルブラット~ → Ubel Blatt~ユーベルブラット

EPG文字コード本家家元 CP932 (だと思われ)なのでウムラウト記号はやめろ!

原作タイトルドイツ語使うのやめろとはいわんがアニメにするときは無理せずタイトルを変えてください。

この EPG採用した担当者切腹

Sランクモンスターの《ベヒーモス》だけど、猫と間違われてエルフ娘の騎士として暮らします → ベヒ猫

これはひどい

他のアニメも4文字ひらがなかいはじめたらどうすんだよ

この EPG採用した担当者は打首!

全修。

文字はやめれ

DB頭文字 4 文字検索してるから修正が入ったYO!

バンクシーンじゃない必殺技作画はいつまでつづくか刮目せよ!

この EPG採用した担当者は海より深く反省すること!

2025-01-13

anond:20250112145907

今時は精神科も初診まで数ヶ月待たされるよ

それより児童相談所じゃないの?

市役所ホームページ市長宛てのご意見欄に書くと、すぐ職員が飛んでくるなんて話もTwitterで見た とにかく先生じゃなくて役所担当者を片っ端から当たってくれ 

結婚相談所身辺調査を前もって済ませている、それなりに金かけて婚活したい人間が揃ってる というだけで価値あると思う

そんで出会いから終了まで相談所の担当者を通すというシステムなのも案外大事だ

盛りに盛ったプロフ、何をしてるかわからない職業、すっぽかされる約束検閲が入らずメンタル削るレベル捨て台詞、そんなマッチングサービスで戦えるのは、それも人生経験と笑って捨てられる若いうちだけだろう

そうは言っても高いしもっと良い仕組みがあって欲しいけど

公共サービスもまだまだな感じ

2025-01-12

(吉野家キッチンカー!そういうのもあるのか!🤔)

https://gazoo.com/column/daily/21/03/20/

いすゞエルフ」をベースとした4トン車「オレンジドリーム号」(首都圏大阪福岡)を筆頭に、トヨタダイナ」を使用した2トン車「オレンジドリーム号・Jr」(首都圏栃木)、ダイハツ「ハイゼット」が変身した「オレンジドリーム号・軽」(首都圏大阪)とさまざまな種類が存在。ちなみに首都圏を走る4トン車は「オレンジドリーム号・匠」と名前が付けられています

https://www.itmedia.co.jp/business/spv/2407/30/news048.html

吉野家移動販売事業じわじわと拡大している。2008年11月牛丼弁当移動販売を行う「オレンジドリーム号」の運行を開始。現在は「動く吉野家」として全国で15台が稼働しているという(関東10台、関西2台、九州2台、東北1台)。

どんな販売形態なのか

 オレンジドリーム号では、テークアウト牛丼や一部サイドメニューなどを取り扱っている。販売エリア都心オフィス街吉野家店舗のないエリア離島などだ。九州にあるオレンジドリーム号は、屋久島にも出店しているという。

キッチンカー提供メニューの一部

 同社の広報担当者移動販売事業をしている理由について「店舗が未出店のエリアでも、吉野家のうまさを広くお楽しみいただだけるようにするため」と説明する。調理販売クルマ運転吉野家社員アルバイトが担っている。ちなみに、商品購入時に渡されるレシートには「オレンジドリーム店」と記載されている」

https://www.yoshinoya.com/baito/op71872/job85327805/

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昇給制度について】

雇用形態アルバイトパート

昇給額:平均1050円(1回あたり)※昨年度実績

・回数:毎月

・反映時期:決定した翌月分の給与から反映

評価手法キャストランクアップ制度店長業務習得具合を評価

女性AEDを使ったら訴えられた話

 街中で突然倒れた人を見かけたら、まず声をかけて反応を確認し、必要に応じて救急車を呼ぶ。そして意識がない、呼吸もないといった状況なら、AEDを使って心肺蘇生を試みる。――これは、学校での救命講習や各種啓発イベントなどで何度となく耳にしてきた基本中の基本だろう。わたしも何度か講習を受けた経験があるし、いざというときに手をこまねいてしまわないよう、頭ではしっかり理解していた。実際、その知識が役に立つと思った瞬間があった。まさか、その行為が原因で後に大きな問題に巻き込まれるとは想像していなかったのだが……。

 あの日わたし会社帰りに駅前広場を通り抜けていた。残業続きでクタクタだったとはいえ、そこまで遅い時間ではなかったし、人通りも多かった。目の前で、一人の女性がふらふらと歩いていて、そのままバタリと倒れ込んだのだ。最初は何が起きたのかわからず、周囲の人も「大丈夫ですか!?」と声をあげていた。わたしは少し離れた場所にいたが、一瞬で「AED必要かもしれない」と頭をよぎった。

 近くに設置されているAED場所は、駅前広場にある公衆トイレの壁に設置されたケースの中だったはずだ。わたしは意を決して走り出した。「AEDを持ってきます!」と周囲の人に声をかけると、誰かが「お願いします!」と呼応してくれた。すぐに赤いボックスを取り出し、倒れた女性のもとへ戻った。

 女性は目を閉じ、完全に意識を失っているように見えた。周囲には数人が集まっていたが、どうやらCPR(心肺蘇生法)を施せる人はいないらしく、誰も直接触れることができずに戸惑っていた。わたしはできるだけ落ち着いて「誰か救急車を呼んでください!」と叫び、同時に脈や呼吸の確認を試みた。わたし医療資格を持っているわけではないが、研修で学んだことを思い出しながら、AEDのパッドを貼る準備をした。

 そのとき女性服装は薄手のブラウススカートだった。AEDを装着するには上半身露出させなければならない。わたしはできるだけ周囲の視線を遮るように上着を掛けるなどの配慮をしたつもりだった。そしてパッドを貼り、「解析中です」という機械アナウンスに従いながら、電気ショック必要判断されたタイミングボタンを押した。まるでテキストで習った通りの手順だった。

 しばらくすると、女性はうっすらと意識を取り戻し、救急隊員が到着。たしかに緊迫した状況ではあったけれど、結果的にはAEDが功を奏したのか、彼女は命を取り留めたようだった。救急隊員が女性を運び出すとき「応急処置ありがとうございました」と言ってくれたのを覚えている。わたしは内心、ほっと胸を撫でおろしたし、自分がやったことが正しいはずだと信じて疑わなかった。

 ところが、それから数日後、衝撃的な出来事が起こった。わたし会社仕事をしていると、受付から内線が入り、「警察の方が訪ねて来られています」と呼び出しがあった。慌てて応対に出ると、どうやら先日のAEDの件について話を聞きたいという。救助活動に関して事情聴取をすることがあるのは知っていたから、そのときは「あの日の状況説明かな」と思い、素直に協力するつもりだった。

 しかし、警察署で説明を受けて初めて知ったのは、「助けた女性わたしを訴えようとしている」という事実だ。正直、意味がわからなかった。そのときわたしに与えられた情報では、彼女が主張しているのは「不必要に胸を触られた」「身体を晒されて恥ずかしい思いをした」というものしかった。わたしAED使用するためにやむを得ず、服をめくり、胸にパッドを貼っただけだ。わいせつ目的などあるはずもない。警察担当者からは「いまはまだ疑いの段階で、詳しく事情を聞かせてください」と言われ、まるでショックで頭が真っ白になった。

 訴えられると言っても、すぐに裁判になるわけではない。まずは警察事実関係を捜査し、検察に送るかどうかの判断が下される。その流れ自体ニュースなどで聞いたことがあるが、まさか自分当事者になるなんて思いもしなかった。警察の取り調べは冷静で丁寧だったが、いざ尋問されると「AED必要だったんです」と言いながらも、自分がきちんと説明できているのか不安でたまらなかった。どんな些細な言葉尻を捉えられて、好ましくない形で記録されるかわからいからだ。

 わたしが行った行為は「緊急避難」「正当行為」という文脈正当化されるはずだ――多くの人がそう言ってくれた。会社の同僚や友人も「むしろ表彰されるようなことだ」「訴えられるなんて信じられない」と口々に励ましてくれた。それに救急隊員も「早い段階でAEDを使ってもらったことが幸いだった」という言い方をしていた。だからこそ、訴えられること自体理解しがたいし、憤りすら感じる。

 当の女性は、倒れたとき記憶曖昧なまま搬送され、その後で周囲の人から「胸をはだけられていた」「男性が服を脱がせていた」といった断片的な情報を聞いたのだろう。さらにその“目撃情報”の内容が正しく伝わっていない可能性もある。結果として、「あの人に性的意図身体を触られたのかもしれない」という不信感が芽生え、誰かの入れ知恵もあって警察に訴えるという流れになったのではないか……そんな推測をするしかない。本人から直接話を聞ければいいのだが、今は弁護士を通じた対応しかできないとのことだった。

 その後、警察での事情聴取は何度か続いた。具体的な手順を改めて説明するたびに、「AEDのパッドを貼るために胸を露出させる必要がある」「女性場合下着を外す、またはずらしてパッドを貼ることもある」といった、あまりデリケートな部分の話を繰り返さなければならなかった。担当警察官は専門知識を持っていて理解を示してくれたものの、自分自身のことをどこか客観視してしまうというか、いつの間にか「本当にやましい気持ちはなかったのか」と自問してしまう始末だった。わかっているのに、言葉を尽くしても、どこか孤独な気分になる。こういうのが"疑われる側"の心理なのかもしれない。

 さらに、女性代理人からは「意識のない状態で胸を晒されたことに強い精神的苦痛を感じている。損害賠償検討している」といった内容の通告もあったと聞いた。その文言わたしの耳に「感謝ではなく金銭要求する」というふうにしか響かなかったが、本人の主張としては、「意図的に身体を見られたかもしれない」「AEDを使わなくてもよかったのでは」とまで思い込んでいるようなのだAEDに関する知識が乏しいまま、自分が倒れていたあいだに行われたことを全て悪意として捉えてしまっている可能性が高い。たしか医療現場知識を全く持たない人からすれば、ショックも大きいのかもしれない。でも、それでも納得いかないのが正直なところだった。

 わたしとしては誠実に説明し、「あなたが助かって本当に良かった」と伝えたい。しかし、直接連絡を取ることは叶わない。救急隊員や目撃者証言が集められ、また街頭カメラ映像からも、わたし行為に「過剰さや悪意はなかった」と証明されるはずだと弁護士には言われている。「AED必要のない状況だった」という可能性は極めて低いし、第一現場判断としては心停止かもしれない、という最悪の事態に備えるのが当然の行動だ。むしろ何もしなければ、そのまま命を落としていたかもしれない。

 結論から言えば、結局は不起訴処分で終わった。それでも、女性代理人民事での損害賠償請求を取り下げるまでにはもう少し時間がかかった。最終的には裁判所で「わたし行為は緊急対応として必要不可欠であったこと」「医学的にもAED使用は正当な手段であり、やましい意図がなかったこと」が認められ、相手側も引き下がる形で決着した。長い長い時間精神的な疲労を強いられたが、無事にわたしの"無実"が確定した形だ。

 もしかしたら、「AED使用で訴えられたらどうしよう」という話は都市伝説のように囁かれていたのを聞いた人もいるかもしれない。わたし自身、その噂程度には耳にしたことがあるが、実際にそこまで発展するのは極めて稀なケースだろう。しかし、可能性としてはゼロではなかったのだ。女性本人のショックや、その周囲の偏ったアドバイス、あるいは金銭的な思惑が絡むと、こんなにもおかしな方向へ転がってしまうのかと痛感した。AEDを使うことが推奨されているにもかかわらず、こうした事例が広がると、いざというときに誰も助けようとしなくなるかもしれない。それが一番怖い。

 今回の経験を通じて、わたしあらためて「いざというとき、人を救う行動をとるのは大事」だと思う反面、「誤解やトラブルリスクゼロではない」ことを強く意識するようになった。だからといって、それを理由救命行為をためらうのは本末転倒だし、AEDの普及や救命講習の啓発に逆行する。実際、わたしももう一度同じ状況に遭遇したら、必ず行動に移すだろうと思う。命を守るために必要行為が「訴えられるかもしれない」と萎縮されるような世の中になってほしくないし、そうならないように、どうにか制度理解もっと進むことを願うばかりだ。

 いま振り返ると、一番辛かったのは「そういう意図はなかった」ということを何度も何度も説明し、あたかこちらが加害者であるかのように扱われる時間だった。無罪を勝ち取るとか、問題なく終わるとか、そういう言い方では表せないくらい、人を救おうとした行為否定される精神ダメージは大きい。世の中にはやはりいろいろな考え方があるし、誰もが医学知識を十分に持っているわけではない。だからこそ、「AEDを使うときの手順や必然性プライバシーへの配慮」について、もっとしっかりと周知される必要があるのだと思う。

 最終的に女性とは直接会話をすることはなかったが、代理人を通じて「結果的に命を救っていただいたことを感謝しています」という伝言けが届いた。それが真に彼女本心なのか、あるいは形だけの言葉なのか、わたしには判断できない。だけど少なくとも、彼女健康を取り戻したという事実のものは素直に喜びたい。誰かの命を救う可能性があるAED存在意義は、決して否定されるべきではないからだ。

 この一連の出来事は、わたしにとって大きな教訓になった。AEDの使い方や救命措置の手順を頭に叩き込むのは大切だが、それだけでなく、助ける側も「法的トラブルリスク」を認識し、適切な配慮をしたうえで行動する必要がある。現場ではなかなか難しい話とはいえ、できる限り第三者の協力や証人を確保する、周囲の目がある場所で行う、といった工夫も大事なのかもしれない。救助者の立場を守るための仕組みも、行政社会全体で整備されてほしいと切に願う。

 結局のところ、人を助ける行為尊いが、そこに伴うリスクを完全に排除することは難しい。それでも、誰かが命の危険さらされているなら、迷わず手を差し伸べる世界であってほしい。わたし自身も今回の苦い経験に折れることなく、次に同じ状況が起きたら、やはり躊躇なくAEDを使うだろう。命を救うために必要行為を、社会として後押しできるような意識ルール作り――それが進んでいくことを強く願っている。

大企業病…?

それってあなた問題じゃないですか? という主旨の記事

この記事を書くきっか

最近,私の勤務先では管理職になると給料がかえって下がるなんて都市伝説が囁かれていたこと,それで私自身も管理職昇格を本気で悩んだこと,などを思い出した.曰く,管理職になると仕事は爆発的に増えるが,残業手当がなくなって組合員より給料は下がる,とか.そして7年前に,何か年収文句を言って退職した人の退職エントリーちょっと流行ったよなぁ…と思い出してふと読み返したのがきっかである

いざ読み返してみると大元記事給料の話だったが,そこから派生した匿名ダイアリーには大企業特有欠点が多数あげられていた.この派生記事が,本社組織を目の仇にし喧嘩腰で会議をしている他部署部長と重なったので,普段から思っていたやるせなさを文にして考えを整理してみることとした.結局のところ記事としてのまとまりは出せなかったが,頭の中は整理されたのでよしと思って無責任にも放流する.

ちなみに,その退職エントリー流行った大企業で実際に管理職になってみれば,何のことはなかった.それまでの年収曲線とはだいたい連続的だったし,業務量は昇格に伴って所掌範囲が広がった分だけ増えるだけだった.おそらく,部下に奢りたくない管理職が,金のない言い訳にしてたんじゃないか想像してしまう.(いくつかの退職エントリーにも記載があるように,弊社は穏やかで大人しい人間のできた方が多く,それが仇となって(?)結婚相手に尻に敷かれている場合も多いようなので,小遣い制で金がないのかも知れない)業務量については,確かに昇格当初は突然所掌範囲が広がって,パンクしたものだ.しかしながら,給与相当の能力を身につけてみれば,それはただの能力不足,あるいは求められる役割の変化にマインドセットスキルセットが追い付いてないだけの話であった.いざチームを運営してみると担当者としての仕事に飽きがきたり,最先端技術いつまでも追い続けるのに疲れてしまったり,その代わりに管理職としてのスキルセットを身につけ始めたりした.

そうすると不思議もので,これはそれで面白い.また,組織運営というのは意外と会社依存しないスキルも多くあって,社内でしか通用しない市場価値の低いスキルという感じもなかった.

大企業欠点

さて,大企業病についての話に入る.大企業には大企業なりの欠点がある.

私が考える大まかな大企業欠点は次のようなものだ.これらが問題だという認識は私も同じだし,直せるものなら直した方が良いと思うものの,この問題点をそのまま取り去ってしまうと組織が瓦解してしまうのは明らかなので難しい.

社内政治とは

こうした問題点に耐えられず,あるいは問題点に付き合わされるのは不合理だと考えて,転職されてしまう方々がそれなりにいる.またこうした方々は周りのゆっくりした歩調と合わないガツガツと成果を追求する現場能力の高い方々なので,有能な人から会社を辞めていく,なんて悲しい話になってしまう.

ただ彼らがベンチャーを起こして企業経営できるかというとそんなことはなく,多くは同業他社(それも,そこそこの大企業)への転職となる.それって会社を変えて解決するのかな,と転職経験の私なんかは疑問に感じてしまう.

大企業組織間調整が比較的に得意な私から見れば,自分立場しか物事を考えられず新しい事業を始める負担一方的に他部門押し付けているだけだという自身問題点を大企業欠点帰着させて嘆いているだけに見える.かくいう当人は,例えば新しい社内ルールを聞かされたら同じように不満を言って抜け穴探しをするだろうに.つまり新しい何かを他部門に振る時は,例えトータルでは会社メリットがあったとしても振られた側からはあネガティブな反応があるのは当然なのだ.だからそれは相手を説得して味方にしなければならないし,説得の過程相手論理に則ってロジックを積み上げた方が円滑に進められる.

これが社内政治本質だと思っている.

部門のことしか理解してないと,これを越えるハードルは高い.しかしながら,どの会社にもある基幹業務やその組織役割,そして利害関係を把握すれば,未然に防いだり効率的に説得したりすることができる.これは組織運営する上で必要知識だし,社外でも通用するポータブルスキルの一つだと思う.

そのスキル習得を怠って,自社内に向けて噛み砕かれた独自論理を積み上げてしまったり,自社にしかない自部門業務一点集中することは,社内スキルばかり磨くことになる.これは,同じ企業グループの他社に出向した時にも通用しなくて詰む.

また,自部門論理を振りかざしても無駄である.それは当人が他部門論理理解しようとしないのと同様に,相手こちらの部門論理理解しようとしないからだ.会話が噛み合わないまま時間けが過ぎていく.

勢い余って飛び出してしまう方々

さて,上でも書いたように,大企業には大企業なりの欠点はあるのだけれど,自分の手間をかけたくないがために社内調整を疎かにしておきながら,他部門の協力が不十分なことを大企業病とか他部門批判帰着させてしまうのは,解決策を見落してしまう.

本人に活力があって新しいことに挑戦しようとする人が,自分業務範囲で頭が一杯になってしまい,相手側の利得を真剣に考えることができず,悪戦苦闘をした挙句転職してしまうのは惜しいなと思いつつも,大きい企業であれば部門間の利害の不一致は必ずあるし,それが説き伏せられないのでは大きい事業は進められない…と思うんだよな.

最後に,私

かいう話を誰が語ってるんだ,というのを最後に.

数年前に退職エントリー流行した,ある大きい企業グループ部長職をしている.

入社当初から態度の大きい新人として研究職の中でも腫れ者扱いをされつつ,偉大な諸先輩方のパワハ指導のお陰で,英才教育を受けられたような気がする.

事業時代には「奇跡バランス感覚(事業部の係長談)」とか「徹底した合理主義ロボット人間(事業部の部長談)」とか「びっくりする程ダメ人間(営業部係長談)」といった矛盾する多面性を身につけられたと思う.

何故かは分からないが課長になった際に半年以上に渡って固定のグループで取り組む経営研修に放り込まれ,とても勉強になった.大企業は何かと批判を受けがちだが,その解決手段として小規模組織しか上手く運用できないような,自律組織だとか情報オープン化なんて当時の流行りの手法と失敗事例を沢山見せてもらえた.結局手段手段しかなく,自社に持ち込んだら何が起こるかはよく考えたら明らかだったりする.

まぁそれはそれとして,技術集団研究部に対してクソ不自由な社内ネットワークシステムを導入してきた時は流石に転職も考えた.

2025-01-11

FF10短くねえかな

マカラーニャの森からスピード早過ぎてあれよあれよと飛空挺に乗ってるんだが、なんか物語がもう終盤の雰囲気っぽくねえか? あと一捻りくらいあるもんかと思ってたんだが(それこそアルベド対グアド・エボンの攻防がもうちょいあると思ってたのに…)バトルもエンカウントエリア空気が薄い感じでさっぱり食い足りないよ。このあたり最序盤と同じくらいムービー重視のつくりじゃん。物語が素晴らしいのはわかる。でもマジかよ〜改造もGF育成も雷平原くらいから始まったばっかで棚がケチくさいの我慢しながらも鉄巨人キマイラを粉にしてサボテンダーを爆破して回る楽しみを味わってたのにマカラーニャ湖以降ずっとお預け喰らってる感じだ。キマリがようやくキースフィアを得て育成はこれからだって思ってたが折角のケアルガを使う暇もなく雪国砂漠パンクエリアも通ってこれちまったじゃんよ。いつもの担当者ワンパンユウナいないと楽しさ3割減だしアイテム拾いもモチベが上がらんし対グアドは状況がめんどくさすぎてむしろ手榴弾瞬殺連打って感じで…ドラクエ3の方がバトル自体はずっと楽しかった(使えない職業性格の選別自体も楽しかった)から、なんか妙な気分だ。頼む〜ユウナ奪い返した後はちゃんとバトルは楽しくあってくれ〜物語が重いのは諦めたからそっちの方は頼む〜〜

パワハラされて鬱になったので退職行使って会社辞める

 少し前まで、日々の仕事やりがいを感じながら、どちらかといえば「真面目に働くタイプ人間」だと思っていた。大学を出てから、ずっと同じ会社で働いてきたから、仕事の内容にも慣れていたし、同期や先輩との人間関係もそこそこ良好だった。「このまま長く勤めて、社内のいろいろな仕事を覚えていきたい」――そんなふうに思っていたのに、今はもう会社を辞めることにした。しか自分の口からではなく、退職代行サービスを使って。理由ははっきりしている。上司からパワハラが原因で、鬱状態になってしまたからだ。

 ここまで精神的に追い詰められるなんて、少し前まで想像もしなかった。自分は割と打たれ強いと思い込んでいたし、辛いことがあっても耐えてこられるタイプだと思っていた。でも、あの上司言動想像以上だった。人格否定するような暴言が積み重なっていくうちに、心が少しずつすり減っていき、「もうこれ以上は無理だ」と限界を感じるまでに、あっという間だった。

 その上司がうちの部署に異動してきたのは、今から約1年前。前任の上司女性で、とても柔らかい雰囲気を持っており、チーム全体のバランスをうまく取ってくれる人だった。困ったことがあれば真っ先に相談に乗ってくれ、仕事の調整もしやすいよう配慮してくれていたので、部署雰囲気はかなり良かったと思う。ところが、新たに来た上司はまったく違った。40代後半くらいの男性で、外見こそ落ち着いた印象を与えるものの、その実、部下に対しては恐ろしく攻撃的な態度をとることが多かった。

 とにかくミスに厳しいのは仕方ないとしても、怒るとき言葉遣いがあまりにも強烈で、度を越えている。たとえば、資料の誤字脱字が見つかっただけで、「こんな低レベルな間違いをするなんて信じられない」「お前に仕事を任せたのが間違いだ」と、社内のほかのメンバーがいる前で平気で怒鳴り散らす。しかも、そのあとすぐに「女はこういうとこでダメなんだ」「使えない」などの言葉を続ける。あまり一方的で、意見を言おうものなら「言い訳すんな」と遮られるだけ。言葉暴力が終わったころには、周りも気まずい空気に包まれ、誰も口を開かなくなるのが常だった。

 最初のうちは「この人も、新しい部署で実績を出さなきゃならないから焦っているのかも」とか、「ちょっと厳しいタイプ上司なんだろう」と自分に言い聞かせて耐えていた。でも、その叱責は明らかに個人攻撃の域に達していた。周りの同僚たちも、その上司に呼び出されては怒鳴られ、どこかで誰かが泣いている……なんて光景もあった。部署内の雰囲気は日に日に悪くなり、みんな上司の機嫌をうかがいながら働くようになっていった。

 やがて、私への攻撃さらに厳しくなったのは、備品管理システム更新作業ときだった。小さな入力ミスをしてしまい、社内の在庫数に多少のずれが生じた程度で、実害はほぼなかった。それでも上司は「チェック体制が甘い」「仕事なめるな」と息つく暇もないほど叱責を続け、最後には「こんなやつはいらない」とまで言い切った。周囲の人がとりなしてくれようとしても、「口を挟むな」と追い返される。あのときの恐怖と屈辱は今でも鮮明に覚えている。「自分が悪いのかもしれない」と思い込もうとしたが、それにしても言い方が尋常ではなかった。

 当然、私だけでなく他の部署メンバー疲弊しきっていた。ミスをしないよう神経をすり減らし、確認作業ばかりに時間を取られる結果、ますます残業も増えていく。そのうえ「報告が遅い」「段取りが悪い」と叱られるのだから、どうしようもなかった。とりわけ私は、直接の部下としてもっとも近い距離仕事をすることが多く、ターゲットにされやすかったのかもしれない。

 気がつけば、朝起きるだけで胸が苦しくなり、通勤電車に乗ると息がうまくできないような気分になることが増えた。夜も、次の日に怒鳴られるかもしれないという不安で眠れなくなり、不安感で涙が止まらなくなることもあった。週末にゆっくり休んだはずなのに、仕事が始まる日曜の夕方から頭痛と動悸がする。完全にストレスで心身のバランスを崩していた。

 そんな状態限界が来て、とうとう心療内科に通うことにした。はじめは会社の近くの病院に行く勇気がなく、少し離れた駅のクリニックを選んだ。そこで「鬱状態ですね。しばらく休養が必要です」と診断を受け、会社宛てに診断書を書いてもらったが、それを提出するのも怖かった。部内の同僚や先輩たちは「よく頑張ったね」「しっかり休んで」と言ってくれたけれど、問題上司は「精神面が弱い」「仕事への意識が足りない」と言い放ち、机に診断書を投げるように置いた。その瞬間、「ああ、この人の下ではもうやっていけない」と確信した。

 診断書理由休職を取ることが許可され、しばらく自宅で過ごしたが、その間も「戻ったらまたあの上司と顔を合わせなければいけない」という恐怖が頭から離れなかった。「辞めたい」という考えが何度も浮かぶのに、一方で「こんなことで逃げたら負けなのでは」と自分を責める気持ちもあった。会社に長く勤めることを前提に頑張ってきたし、同期や先輩ともこれまで築いてきた関係がある。それを手放すのは怖かったし、何より「上司に怒鳴らされて鬱になりました」と言って辞めるのは、なんだか自分が弱い人間だと認めるようで嫌だった。

 でも、休職が終わるころ、夜になるとまた眠れない日々が戻り、朝になると動悸がして足がすくむようになった。食欲も落ちていき、やっとの思いで職場に行っても、上司を見ただけで胸がぎゅっと締めつけられるように痛んだ。試しに少しだけ仕事を再開してみたものの、以前のように頭が回らないし、資料を読んでも内容が頭に入ってこない。周囲のフォローがあったとしても、上司は「いちいち言われないとわからないのか」「ブランク言い訳にするな」ときつい言葉を浴びせてきた。結果、結局また体調が悪化していくばかりだった。

 そんなとき、友人から退職代行という方法があるよ」と教えられた。それは文字通り、本人の代わりに会社退職の連絡をしてくれるサービスのことらしい。正直、「そんなことまでして辞めるなんて、社会人としてどうなの?」という偏見が、私の中にはあった。でも、今の精神状態ではとてもじゃないが直接上司と話し合うことなんてできない。一度「辞めます」と切り出そうと試みたが、怒鳴られる光景が頭に浮かぶだけで呼吸が苦しくなり、体が固まってしまいそうになる。「もう、このまま心が壊れるくらいなら、世間体なんて気にしないほうがいいのではないか」――そう考え始めたら、気持ちがいくぶん楽になった。

 インターネットで「退職代行」と検索してみると、思った以上に多くの会社事務所存在しているのに驚いた。料金やサポート内容を比べ、24時間対応してくれそうなところに連絡してみた。電話をかけるのも勇気がいったが、担当スタッフは穏やかな口調で話を聞いてくれ、「大丈夫ですよ。お任せください」と言ってくれた。今までずっと、上司から怒鳴られる恐怖で身を縮めてきたから、誰かが味方になってくれるというだけで涙が出るほど安心した。

 手続き自体は思っていたよりもシンプルだった。こちらの基本情報や状況を説明し、後日担当者が会社に連絡をして、私の退職意志を伝えてくれる。「もう本人は出社せず、やり取りもこちらですべて代行します」という流れだと聞かされたとき、「こんなにスムーズに辞められるの?」と驚いたと同時に、ほっとした気持ちになった。もちろん、その後会社がどんな反応をするかは想像がつかなかったが、少なくとも私自身があの上司と直接対峙しなくて済むと思うと、体の力がスッと抜けていくのを感じた。

 そして、退職代行会社から正式に連絡しました。もう出社は必要ありません」と伝えられた日。ほっとしたような、罪悪感のような、言葉にしがたい感情が湧き上がった。実際に通用するのだろうか、後からまた連絡が来たりしないだろうかと不安になったが、その後しばらくして会社の総務担当から、残りの手続き健康保険証や書類の返却など)について連絡があり、郵送でのやり取りができることになった。すべてが終わったとき、「本当にもう会社に行かなくていいんだ」という実感が湧いた。

 退職代行を使ったと知ったら、上司は「逃げたな」と笑っているかもしれない。しかし、私はもうその笑い声を聞かなくていい。ミスを責められ、人格否定される恐怖に晒されることは、少なくとも今の段階ではなくなった。会社を離れて数日経つと、今まで何があってもままならなかった睡眠が少しずつ落ち着き、朝起きたときの胸の重さも和らいできたのを感じる。こんなにも心が楽になるものなのか、と自分でも驚くほどだ。

 もちろん「もっと別の方法がなかったのか」とか、「最後くらいきちんと上司に辞意を伝えるべきだったのでは」と考えることもある。でも、あの状況では冷静に話し合うなんて無理だったと思う。パワハラ言葉暴力は、人の思考力や判断力を奪うほどに強い影響を与える。あのまま耐え続けていたら、きっともっと取り返しのつかないことになっていたかもしれない。

 会社を辞めた今、まずは心身を回復させることに専念しようと思っている。体力が戻ってきたら、また新しい仕事を探すなり、勉強を始めるなり、別の生き方模索するつもりだ。昔からずっと会社に勤め続けるのが当たり前だと思っていたが、必ずしも一つの組織にしがみつく必要はないのだと痛感した。世の中にはいろいろな仕事や働き方があるし、自分が生きる場所はきっと他にもあるはずだ。

 あの上司の下で続けるという選択肢が消えた今、逆に視野が広がったようにも思える。少なくとも、また毎朝動悸に悩まされながら通勤することはなくなった。体調に余裕が出てきたら、久々に本を読んだり、散歩をしたり、友人とゆっくりお茶をしたりして、少しずつ自分を取り戻していきたい。

 もし同じように、パワハラに悩んで鬱状態になっている人がいたら、「退職代行」を使うことも一つの手段として考えてほしい。たとえ「逃げるように見える」としても、限界まで頑張って心や体を壊すよりはずっとマシだ。職を失うことはたしか不安もあるけれど、無理をして最悪の結果を招くよりは遥かにいい。退職代行のようなサービスがあるのは、「会社を辞めたいけれど上司に言えない」「顔を合わせるのが怖い」という人がたくさんいる証拠なのだと思う。

 自分の気力や体力が限界を超えると、人は思考がままならなくなる。そんな状態で「社会人としての責任」だの「根性が足りない」だのと言われても、その言葉が追い打ちとなって心を壊してしまうことだってある。どんな人も、自分危険だと感じる環境からは逃げる権利がある。ましてや命を削ってまで働く必要はないのだと、今回の経験を通じて実感した。

 退職代行という選択は、まだ世間的には議論余地があるのかもしれない。でも、あのときの私には、それが唯一の「安全な出口」だった。その出口をくぐって初めて、これから人生を見つめ直すことができるようになった気がする。あの上司には、もう二度と会いたくはないけれど、あの体験を通して「自分を守る決断の大切さ」を学んだと考えれば、無駄時間ではなかったとも言えるかもしれない。

 いま、退職してから少しずつ日常を取り戻しつつある。朝日を見て「今日も一日頑張ろう」という前向きな気持ちになれる日はまだ多くはないが、以前のように「また怒鳴られるかもしれない」「どうせ自分なんかダメだ」と怯える時間は確実に減っている。これだけでも大きな進歩だ。今後どうするかはゆっくり考えればいい。焦らず、無理せず、自分らしく生きる道を見つけたい。

 最後に、もし同じような境遇で苦しんでいる人がいれば、「辞めるのは負けじゃない」と伝えたい。パワハラ上司に立ち向かう以外にも、逃げるという選択肢がある。何を言われても構わない、自分の命と心を守ることが最優先だ。退職代行の利用を迷っているのなら、一度情報を調べてみるだけでもいい。「こんな方法があるんだ」と思うだけで、少しは気が楽になるかもしれない。そして、ほんの少しでも希望を見いだせたなら、自分の一歩を踏み出してほしい。会社はほかにもある。働き方もいろいろある。自分人生自分のもの。だからこそ、どんな形であれ、生き延びてほしい。その先でまた、新しい道が必ず見えてくるのだから

毒親から逃げ出すために妹と二人暮らしを始めた

 実家を出たときのことを、今でもはっきりと思い出す。僕は兄で、妹とは四つ違い。いつも穏やかで優しい妹が、自分の親に対して泣き叫ぶ姿を見るなんて、想像もしなかった。だけど、あのとき妹は限界だったんだと思う。むしろ、僕も同じように限界だったのだ。子どもの頃から毒親」と呼ばれる環境の中で育った僕たちは、お互いが互いを気遣い合いながら、なんとか生きてきた。

 僕たちの両親は世間体を気にしすぎるタイプだった。外から見れば、「教育熱心で厳格な家」という印象だったかもしれない。でも、その内側は違った。どんな小さなミスでも、親にとって“都合の悪いこと”になれば、怒鳴られたり、無視されたり、ひどいときには暴力まがいのこともあった。宿題をやっていないときは「怠け者」、テストで思うような点が取れないときは「努力が足りない」。どれだけ勉強しても「もっと上を目指せ」と追い詰められる。休みの日に友達と遊びに行けば「そんな暇があるなら勉強しろ」と怒鳴られる。僕も妹も、いつしか心の底から親の顔色を伺うようになった。

 中でもつらかったのは、「進路」をめぐってだった。僕が高校に進学するとき、両親は有名進学校合格するよう強く迫ってきた。そのプレッシャーに耐えられず、実は僕は一度だけ家出をしようとしたことがある。しかし、妹を置いていくわけにはいかないと思い直し、結局断念した。でも、そのとき妹はまだ中学生で、家に残るしかなかった。そんな妹が「お兄ちゃんと一緒にいたい」と僕に打ち明けたとき、何もしてやれない自分が情けなくて仕方がなかった。

 その後、僕はなんとか高校卒業し、アルバイト派遣仕事を掛け持ちして過ごすようになった。大学に行く気力はなかったというのが正直なところだ。親は「大学に行けないのなら家を出ろ」と言い放ったが、いざ出て行こうとすると「親不孝者が」と怒鳴る。言うこととやることが矛盾している。だけど、その矛盾に気づいたところで僕にはどうすることもできなかった。やがて妹も高校へ進学。成績は良く、周りからは「優等生」と見られていたが、その裏で妹は必死に呼吸をするように親の目を気にしていた。

 妹が高校二年になった頃、ある深夜のことだった。バイトから帰ってきた僕は、リビングで一人泣き崩れている妹を見つけた。理由を聞くと、学校で一度だけテストの点が下がったことをきっかけに、親からひどく責め立てられたらしい。妹は「こんな家、もう嫌だ。お兄ちゃん、一緒に出て行こう」と震える声で言った。その言葉を聞いたとき、僕はある意味覚悟”ができた。「もう逃げよう。二人でここを出よう」と。夜明けが来る前に、僕と妹は荷物をまとめはじめた。最低限の服や通帳、学校教科書などをリュックに詰め込んで、親に見つかる前に家を出た。

 両親には当然「勝手なことをするな」と言われると思ったが、そのときはもう恐れよりも先に「自由になりたい」という気持ちが勝っていた。妹が通う高校相談してみると、事情をある程度汲み取ってくれて、転校という形で新しい学校を紹介してくれることになった。あまり詳しい事情は言えなかったものの、「家の事情で逃げたい」という妹の言葉が切実に聞こえたようで、比較スムーズに話が進んだ。僕も収入不安定だったが、とにかく二人で暮らすために、急いで安いアパートを探し始めた。物件情報を見て回り、実際に不動産屋をいくつもまわる。田舎の方へ移っても良かったが、妹が通う高校への距離を考え、都心からは少し離れた町のアパートを選んだ。

 そうして、妹と二人暮らしを始めることになった。間取りは1DK。狭いけれど、二人で暮らすにはどうにかなる広さ。壁は少し薄く、隣の部屋のテレビの音が聞こえてくることもあったが、実家にいた頃の息が詰まるような苦しさに比べれば、天国のように感じた。お互いに遠慮はいらないはずなのに、最初はそれでも気を使い合った。お風呂の順番、寝る場所、部屋の整理整頓。兄妹とはいえ、二人暮らしルールを決めるのは思った以上に大変だった。だけど、自由空気がそこにあるだけで、胸の中にぽっかりと温かい火が灯ったように感じられた。

 僕は早朝からコンビニバイトし、昼間は派遣倉庫作業に行くことが多かった。妹は平日は学校、土日は単発のバイトを探して働くことを始めた。毒親の元では許されなかった「アルバイト」だったが、今は誰からも怒られない。いつか二人で、もう少し広い部屋に引っ越したいと夢見ながら、僕たちは少しずつ貯金を始めた。最初は本当にギリギリ生活だったけれど、安心して眠れる空間自由に会話ができる空間が何よりも大切だと感じた。

 そんなある日のこと。妹が学校から帰る途中、カフェアルバイト募集張り紙を見つけてきた。時給はそこまで高くないが、交通費支給シフトの融通など条件は悪くなさそうだ。「お兄ちゃん、私、ここで働いてみたい」と目を輝かせる妹を見ていると、僕も自然と笑みがこぼれた。毒親のもとにいたら許されなかったことを、いま妹は自分意思で選び、そして始めようとしている。その一歩が、僕にはとても大きく見えた。

 実際に妹がカフェ面接を受けに行くことになり、僕は帰りが夜遅くなるかもしれない妹のことが気がかりで、一緒に最寄り駅まで迎えに行くことにした。面接は上々だったらしく、店長もとても優しそうな人だったようだ。「採用されたら頑張るね!」と妹は嬉しそうに言う。その笑顔を見て、僕も心から「よかったな」と思った。

 駅からアパートへ向かう夜道は、人通りが少ない。僕は自然と妹の少し前を歩き、周囲を気にしながら帰宅する。すると、近所の商店街にある個人経営らしい居酒屋の前で、通りすがり中年男性に声をかけられた。「こんな夜遅くに、仲いいなあ、新婚さん?」と言うのだ。妹と顔を見合わせて、思わず吹き出ししまった。「いえ、兄妹なんです」と答えると、「そうなの? いや、雰囲気がいいからてっきり夫婦かと思ったよ」と笑われた。妹は「全然違うのにね」と顔を赤らめていたが、その後「でも、夫婦みたいだなんて、ちょっと面白いよね」とクスクス笑っていた。

 実は、こうやって夫婦カップルと間違えられることは、これが初めてではない。引っ越しときにも、不動産屋の担当者に「同棲ですか?」と何度か確認されたり、スーパーで買い物をしているときに「ご夫婦ですか? 新婚さん向けフェアの案内ですが……」と声をかけられたりした。僕としては妹を守る立場でもあるし、多少の誤解は軽く受け流しているつもりだけれど、妹のほうは毎回、「兄妹なんですけど……」ときちんと訂正してしまう。それでも、今となってはこの勘違いもほほえましく感じられるようになった。実家にいるときには考えられなかった、なんでもない日常の一コマ。僕たちには、そういう穏やかな時間がなかったのだと思う。

 それから少し経って、妹はカフェでのバイト正式に決まり、僕たちの生活さらに忙しくなった。ただ、不思議と疲れよりも充実感のほうが大きい。帰ってきてからリビングに二人で座り、一日の出来事をおしゃべりする。妹はカフェでの接客経験したちょっとしたトラブルや、お客さんとの面白いやり取りを楽しそうに話してくれる。「昔はこんなふうに話をしても、どうせ親に全部ダメ出しされるんだろうなって思ってたけど、今は好きなだけ話せるから、すっごく楽しい」と笑う妹。その様子を見ていると、あのとき家を出た選択は間違いじゃなかったと心から思える。

 もちろん、二人暮らしを始めてから問題はたくさんある。親からの連絡は「許さない」という罵倒や、一方的な怒りのメッセージばかりで、話し合いができる状況ではない。時折、僕たちの住まいを突き止めようとしたのか、知人から連絡が入ることもある。「両親が連絡先を知りたがっている」とか「お前たちがわがままを言っているんじゃないのか」とか。だけど、僕はもう振り回されるのはやめようと決めた。妹も「返事しなくていいよ」と、毅然とした態度をとってくれている。親と離れても、今は生きているだけでありがたいと心から思えるのだから

 そんな僕たちだけれど、将来のことを考えないわけにはいかない。妹はあと一年ちょっと高校卒業する。大学に行きたいと言う気持ちもあるらしいが、学費をどうするか、奨学金は借りられるのか、僕の収入だけで妹を支えられるのか……問題はいくらでも出てくる。でも、妹が「やりたいことがあるなら挑戦したい」と言うなら、僕は全力で応援しようと思う。自分大学進学の夢を諦めたのは僕自身判断だった。あの頃はそれしかできなかったのかもしれないけれど、妹には後悔してほしくない。正直、不安は尽きない。それでも、毒親支配から離れた今、僕たちにはお互いを思い合う時間と心の余裕がある。まずは二人でしっかり話し合い、可能性を探っていこうと思っている。

 夜遅く、妹がアルバイトから帰ってくると、決まってキッチンから香ばしい匂いが漂ってくる。僕が先に帰っている日は、ごく簡単料理だけど、妹の分の夕飯を用意するようにしているのだ。チャーハンとか、野菜炒め程度だけど、「ただいま」と玄関を開ける妹の「いい匂い……」という一言を聞くと、やってよかったと思う。妹も翌日が休みときなどは、代わりに僕のためにパスタを作ってくれたりもする。兄妹が同じ食卓で笑いながらご飯を食べる姿は、誰がどう見ても“家族”のはずなのに、不思議と「本当の家族」という実感が生まれてくるのは、ここ最近のことだ。

 妹の存在は、僕にとって唯一無二の支えになっている。たとえ夫婦恋人勘違いされたっていい。僕にとって妹は妹であり、しかし同時にかけがえのない同居人でもある。実家にいた頃は、僕たちの間にいつも両親という“大きな壁”があった。それが今はなくなり、ようやく素直に向き合えるようになった気がする。僕たちはお互い助け合い、励まし合いながら生きていく。親の呪縛にとらわれることなく、自分たちの人生を、自分たちなりに歩んでいこうと思っている。

 時には外食をして、隣りの席のカップルと間違えられることもあるだろう。時には夜道で「まさか兄妹じゃないよね?」なんて声をかけられるかもしれない。だけど、もうそれは構わない。二人暮らしを始めてから知ったのだけれど、人は他人生活結構なペースで勘違いしてくるものらしい。誤解されても、二人でいれば楽しいし、互いに隣にいられる安心感がある。それが分かるだけで、昔のように人の目を気にして呼吸を浅くすることはなくなった。

 この先、僕たちが歩む道に何が待っているのかは分からない。経済的にもまだまだ不安定だし、妹がこれからやりたいことを見つけたとしても、すぐに実現できるかどうかは定かではない。それでも、「あの家に帰るよりずっとマシだ」という気持ちは揺るがない。毒親との関係を絶ったことで、ようやく手に入れた自由と、そして兄妹だけの小さな生活を、僕は何より大切にしていきたいと思っている。

 考えてみれば、僕と妹がこうして一緒に暮らすということ自体実家では到底許されなかったはずだ。親にとっては「恥」だったのかもしれない。長男が家を出るなんて、妹まで連れ出すなんて、とんでもないと。だけど、そんな言葉にはもう縛られない。妹と二人で暮らすことは、僕たちにとって自由希望を取り戻す第一歩だったのだ。

 ときどき思い出す。リビングの机にしがみつきながら、両親に泣き叫んでいた妹の姿を。あの光景は僕のなかで、いつまで経っても消えないかもしれない。でも、あの瞬間こそが僕たちに“逃げ出す勇気”をくれたのだ。だから今は、その記憶を大切に噛みしめている。もし同じように苦しんでいる人がいたら、声を大にして伝えたい。「逃げてもいい」と。誰だって自分人生自分のために生きる権利があるのだと。

 帰宅した妹の「ただいま」の声。台所から漂う料理匂い。二人でテーブルを囲むときの、なんでもない会話と、小さな笑い声。そんな当たり前の生活の一つひとつが、僕たちにとっては宝物みたいに尊い。これから先もきっと悩むこと、苦しむことはたくさんあるだろう。だけど、どんなに傷つくことがあっても、もうあの家には戻らない。僕たち兄妹は、お互いを支え合いながら、一歩ずつ前に進んでいく。その道の途中で、夫婦恋人勘違いされることがあったって、それは微笑ましいエピソードとして受け止めていくつもりだ。

 「毒親から逃げ出すために妹と二人暮らしを始めた」というこの事実は、僕たちが生きていくうえでの大きな分岐点だった。親の期待や束縛、暴言に押しつぶされそうになっていた僕たちが、やっと呼吸できるようになった場所。それが今のこの狭い1DKのアパートだ。床は古くて所々ミシミシと音がするし、壁は薄いし、エアコン調子いまいちなことがあるけれど、それでもここは僕と妹の大切な居場所だ。誰にも邪魔されない、僕たちだけの“小さな世界”。そして、この世界で、僕はずっと妹と一緒に笑っていたいと思う。あの家ではできなかったことを、少しずつ取り戻すように、毎日を噛みしめながら過ごしていこう。

 「もうすぐご飯できるよ!」とキッチンから妹が声をかけてくる。僕はテーブルに箸とお皿を並べながら、その声に返事をする。この空間が、僕たちにとっての本当の“家”だ。例えどんなに些細なことでも、ここでの出来事はきっと僕たちの思い出になる。毒親から逃げ出すために始めた二人暮らしは、逃避行なんかじゃない。僕たち兄妹が「生きる」ということを取り戻すための、そして笑顔で日々を送るための、新しいスタートラインなのだ

2025-01-09

anond:20250105211047

今日約束していたとおり、C国とその手先になった氷河期世代によって変えられた日本について語ろう。

 

教育制度における大きな変化がその象徴だった。

氷河期世代は、自分たち青春時代象徴として、過去廃止された女子学生体操であるブルマを復活させた。

この政策は「伝統の復活」という名目で進められたが、実際には氷河期世代ノスタルジー復讐心が絡んだものだった。

 

当然ながら、当事者である学生やその親たちからの反発は激しかった。

だが、氷河期世代政策担当者たちはそれを一蹴し、強硬策を取った。

その中の一人、氷河期世代女性官僚は、批判に対し冷たくこう言い放った。

私たち普通にしていた恰好だよ。あんたはそれが恥ずかしいっていうのかい?」

 

この言葉により、議論事実上封じ込められ、女子学生たちは全員がブルマを履くことを強制されることとなった。

学校現場では、学生たちが羞恥心と怒りを抱えながらも従わざるを得ない状況が広がった。

 

さらに、この政策に逆らおうとした教育関係者や保護者には、社会的排除が待っていた。

教育現場で反対意見を表明した教師たちは左遷され、保護者たちはメディアによって「時代錯誤」とレッテルを貼られた。

 

これにより、教育の場は氷河期世代価値観を反映する場として再構築されることになった。

この変化は、日本社会全体の価値観にも波及し、若い世代氷河期世代意向に従う形で育てられる結果を招いたのだ。

2025-01-07

官製婚活への批判意見に対して、担当者から反論

官製婚活価値観押し付けか? 出会いがないのは自己責任? 結婚支援センター見解を聞いた

https://dot.asahi.com/articles/-/195698


そもそも結婚を望まない人に、行政が何をどうすれば価値観押し付けられるのでしょうか。あくまで、結婚を願っているけど出会いがなかったり、結婚までたどりつけなかったりした人のお手伝いをしましょう、という事業に過ぎず、それを「押し付け」と評価するのは違うと思います

もっともだ。

行政が「押し付け」で結婚させられるくらいなら、そもそも少子化問題視されてないだろうに。

かつてはその市町村青年団夏祭りなどさまざまなイベントを開催して、若い男女の出会いの機会を作っていました。行政若い男女の出会い婚活支援し、地域活性化につなげようという取り組みはとっくにやっていたことで、潜在的ニーズが昔からあったのだと思います時代に合わせて、その形が変わっただけだと考えています

あくまでも当事者ニーズがあるのが前提だよね。

たとえば過疎地で、地域若い異性が圧倒的に少ない、非正規雇用をのぞんでいるわけではないが、そもそも仕事が少なく正社員へのチャンスがない。そのような環境に置かれている若い人たちも数多くいます。チャンスが少ない環境にいる若い人たちに、一方的に「自己責任論」を押し付けるのは、あまり残酷ではないでしょうか。

官製婚活反対派はその多くがリベラルで、普段自己責任論を批判しているんだが、恋愛結婚話題になると急に剥き出しの自己責任論者になる不思議

anond:20250107102126

ホビット陰キャという不利な条件にも関わらず、おっさんになってから婚活した挙げ句現実を知ってネットで女叩きするおっさんが絶えないのは、ネットに溢れる「婚活市場は女余りで選び放題」を鵜呑みにするからだけど

実際は結婚相談所を利用して結婚するのは1%という超マイノリティ

もちろんアプリ男余り

この1年で結婚した人の4人に1人は、マッチングアプリ出会いきっかけ―。明治安田生命保険インターネット上で実施した調査で、こんな結果が明らかになった。アプリ首位だったのは2022年に続き2回目で、今回は職場と同率だった。

 同社の担当者は「新型コロナウイルス禍で対面での出会いが減る中で、手軽に好みの相手を探すことのできるアプリさらに定着したのではないか」と分析している。

 調査は昨年10月実施結婚から1年以内の約100人は「マッチングアプリ」と「職場の同僚・先輩・後輩」が25.0%でトップだった。

 「友人・知人の紹介」の13.5%、「学校同級生・先輩・後輩」の9.4%、「婚活パーティー婚活イベント」の7.3%が続いた。一方、「合コン」は4.2%「お見合い」は1.0%にとどまった。

 結婚から1〜2年の人と比較すると「職場」での出会い11.7ポイント多く、この1年で急増。コロナ禍が落ち着き、出勤や飲み会が増えたことにより「『定番出会い』として復活した」(同社)とみられる。

2025-01-05

多頭崩壊に陥っていた家庭から猫を三匹預かってきた話

 私がその「多頭崩壊」に関わるきっかけとなったのは、ある動物保護団体SNSで見かけた一枚の写真でした。そこには、暗い部屋の中で多数の猫たちが身を寄せ合いながら、不安げにこちらを見つめている姿が写っていました。一言に「多頭崩壊」といっても、当事者事情はさまざまです。飼い主自身も苦しみながら、増えすぎてしまった猫の世話を継続できず、助けを求める余裕すらないケースもあれば、元は保護のつもりが徐々に増えてしまい、最終的に身動きが取れなくなったパターンなど、理由は人それぞれです。けれども共通するのは、生活環境が極端に悪化し、猫たちも健康を損ないやすい状況に追い込まれしまうということ。どうしても胸が痛んでしまい、当初は「何か手伝えればいいな」という軽い気持ちでその投稿を読み進めました。

 ところが、具体的な保護の様子や猫たちの状態に関する記述を読むうちに、私は居ても立ってもいられなくなりました。そこには、劣悪な環境感染症に苦しむ猫たちの存在が綴られていたのです。何匹もの猫がいる狭い部屋には空気の流れも悪く、清掃が追いついておらず、糞尿の臭いが充満しているとのことでした。猫たちの中には極端にやせ細っている子もいれば、ストレスから脱毛している子、目やにで両目がふさがってしまっている子もいる。そんな中で、ボランティアスタッフは根気強くケアを続けているが、引き取り先が決まらないと満足な治療ができないケースも多い。とにかく人手と物資それから新しい受け入れ先が必要だ――こうした言葉を目にした瞬間、私の胸中では「何かしなくちゃ」という思いが大きく膨らんでいきました。

 私はすぐに保護団体に連絡を取り、状況を尋ねました。すると、現場には数十匹単位の猫がひしめいているらしく、飼い主である高齢女性限界を迎えているとのことでした。近隣からの苦情も多く、行政の介入も検討されているが、猫たちを全て一気に保護するのは物理的にも資金的にも厳しい状況。しかし一方で、いち早くケアしないと命にかかわる病気を患っている猫も少なくないという話でした。私はまだ猫を飼った経験は浅かったのですが、どうにか力になれないかと思い、「私にも里親としてできることはありますか」と尋ねました。保護団体担当者は少し驚いたようでしたが、心強く思ってくださったようで、「健康状態不安のある猫も多いですが、可能範囲で預かっていただけるなら本当に助かります」とおっしゃいました。

 こうして私は、最終的に三匹の猫を預かることになりました。いずれも生後1~2年ほどと見られる若い猫たちで、内訳は白黒のブチ猫、三毛猫、そして茶トラ猫。それぞれオスかメスかまだはっきりわからない状態でしたが、病院に連れて行って健康状態をチェックし、去勢避妊がまだであれば実施する必要があるとのことでした。保護団体スタッフからは、「栄養失調や目の感染症、皮膚病の疑いがあります特にブチ猫は呼吸器系が弱そうなので、なるべく早く病院に行ってあげてください」とアドバイスをもらいました。預かるにあたっての注意事項や飼育方法をたくさん聞き、不安がないといえば嘘になりますが、それ以上に命を繋いであげたいという気持ちが勝っていました。

 実際に三匹を迎えに行った日、私はその現場の一部始終を目にすることとなりました。かつては猫たちが自由に走り回っていたであろう部屋は、すでに掃除も追いつかず、床にはいくつものトイレ砂やゴミが散らばり、アンモニア臭が立ちこめています。窓は締め切られ、空気は淀んでいました。保護団体スタッフが部屋に入ると、驚いた猫たちがさっと散り散りに逃げていき、段ボールの陰や押入れの奥に身を隠します。あるスタッフが、「今度里親さんが決まった子たちはいる?」と声をかけると、「こっちにいます」とほかのスタッフが三匹をキャリーに移して連れてきました。その子たちは恐る恐るケージから顔を出し、心なしかホッとしたようにも見えましたが、環境の激変に戸惑っているのか震えていました。

 私が引き取る三匹は、一見すると命に直結する深刻な症状はなさそうですが、やせ細っていることが見て取れました。最初のブチ猫は痩せこけて体力が落ちており、くしゃみを繰り返していて呼吸も苦しそうです。続いて受け取った三毛猫は、被毛がパサパサしていて腰のあたりに脱毛箇所があります。皮膚病の疑いがあるので、早めに獣医師の診察を受ける必要がありました。そして最後にやってきた茶トラ猫は、目ヤニで片目がほとんど開かない状態でした。恐怖心からなのか、キャリーに入るとき必死抵抗していて、スタッフの腕に爪を立てていました。そんな様子を見ていると、「連れて帰ってちゃんとお世話してあげなきゃ」という気持ちさらに強くなりました。

 初めて我が家に三匹を連れて帰った夜は、私にとっても、そしてきっと猫たちにとっても長い夜でした。三匹は緊張で固まっており、最初キャリーから出てこようとしません。せめて安心して過ごせるよう、私は静かな一部屋を丸ごと「猫部屋」に整えておき、必要最低限の家具を配置していました。そこにキャリーを置き、ふかふかのタオルや、先住猫が使っていたクッションなどを用意しました。先住猫の匂いが混ざっていると不安が和らぐこともあると聞いていたからです。部屋の隅に食事と水、それから猫砂のトイレを置き、なるべく落ち着いた環境を整えたものの、彼らはそろって隅のほうでじっと様子をうかがっていました。私は部屋の中にしばらく座り込んで「大丈夫だよ」「怖くないよ」と声をかけましたが、三匹が自ら近寄ってくることはありませんでした。

 翌日、まずは一番症状が重そうだったブチ猫を動物病院へ連れて行きました。診断の結果は、呼吸器の感染症の疑いが強く、体力が落ちているため免疫力が低下しているらしいとのことでした。抗生剤免疫力を高めるサプリメントを処方してもらい、しばらくは安静に、十分な栄養補給をするようにと指示を受けました。病院から帰ってきてキャリーを開けると、ブチ猫は疲れたような表情を見せつつも、どこかほっとした様子。やはり医療の力は大きく、診察台で獣医師に静かに撫でられたのが安心できたのでしょうか。その日はゆっくり休ませ、私もできる範囲で声をかけ、必要なら毛布を替えてあげるなど細かい世話をしていました。

 三毛猫と茶トラ猫についても、翌日以降に順番に診察を受けさせました。三毛猫脱毛はやはり皮膚病の一種で、ストレス栄養不足も原因になっているそうです。抗真菌薬の塗り薬や、被毛を補修するフードなどを獣医師から勧められました。茶トラ猫は結膜炎が進んでおり、片目が塞がりかけていたのは膿が溜まっていたからだとわかりました。洗浄と点眼薬使用回復の見込みがあるとのことで、そこまで深刻ではないようでしたが、嫌がる茶トラ猫に目薬を差す作業はなかなか大変です。毎回「シャーッ」と威嚇されながらも、根気強くケアを続けるしかありません。「お世話するのは大変だけれど、ここで諦めたらこの子は一生目が開かないかもしれない」と思うと、不思議責任感が湧いてきました。

 それから数週間、私は三匹を中心とした生活を送りました。正直、先住猫も含めて家の中は猫でいっぱいなので、お互いの存在に慣れるまで気を使う場面も多かったです。先住猫は多少ストレスを感じたのか、最初は「フーッ」と威嚇していましたが、時間をかけて一緒に遊べるようになると、少しずつ打ち解けてきました。新入りの三匹は最初は警戒心が強かったものの、栄養状態改善し、薬の効果調子が上向くにつれ、目に見えて表情が変わっていったのです。最初ご飯を出しても目が合うと固まっていたのに、徐々に「ご飯はまだかな」と言わんばかりに足元にすり寄ってくるようになりました。被毛も少しずつツヤを取り戻し、ブチ猫のくしゃみも一日に何度か程度になり、茶トラ猫の目ヤニもだいぶ落ち着いてきました。

 医療的なケアが一段落すると、次は社会性の回復課題になりました。多頭崩壊現場暮らしていた猫たちは、人との関わり方を知らずに成長する場合が多いので、社会化が十分にできていないことがあります特に三匹とも体調不良で怯えていた期間が長かったため、人を怖がりやすい面が見られました。そこで私は、一緒に遊ぶ時間積極的に作るようにしました。いきなり手を伸ばすと驚かせてしまうので、最初はじゃらしやトンネル型のおもちゃなどを使い、猫たちが楽しめる距離感を保ちつつ触れ合いを試みるのです。最初は逃げ腰だった三毛猫が、じゃらしの先につられて少しずつ近づいてきたときの喜びはひとしおでした。近づいてきた瞬間を見逃さずに、「えらいね」「かわいいね」と優しく声をかけると、その声に安心してくれたのか、遊び終わった後も少しだけ私の側にいてくれるようになったのです。

 そして保護からおよそ二か月が経った頃、三匹はすっかり我が家に慣れ、ずいぶんリラックスして過ごせるようになりました。ブチ猫はもう呼吸が苦しそうな様子はなく、今ではおもちゃネズミを追いかけて部屋の中を走り回っています三毛猫脱毛部分は完全に毛が生え揃い、ときどき自分のしっぽを追いかけてはくるくる回って遊んでいます。茶トラ猫は最初のうちは人をひっかくこともありましたが、目の治療で痛みがなくなったのか、今では私が部屋に入ると先に鳴いて寄ってきてくれるようになりました。自分から頭をすり寄せてくれるときなど、あの警戒心の塊だった頃を思い出し、ついじんわりと胸が温かくなります

 今振り返ってみると、三匹を引き取ることに決めた当初は、それこそ手さぐり状態でした。医療費も含めて負担は決して小さくなく、何度も「これでよかったのだろうか」と悩む夜もありました。しかし、彼らが見せてくれる少しずつの変化や成長は私にとってかけがえのない喜びをもたらしてくれました。そして何より、一度は過酷環境の中で押しつぶされそうになった命が、こうして元気に暮らしている。その事実を見守れる幸せは、言葉で言い尽くせないほど大きいと感じています。多頭崩壊問題は決して他人事ではなく、動物を飼うということは終生責任を伴うのだと、改めて強く考えさせられました

 もちろん、三匹を迎えたからといって多頭崩壊問題根本的に解決するわけではありません。一匹でも多くの猫が適正な環境生活できるようにするには、飼い主の意識改革行政支援地域での協力体制など、取り組むべき課題は山積みです。それでも、私にできる範囲で猫たちを救うことはできました。今は三匹との日々に癒やされながらも、あの現場にはまだ引き取り先を待っている猫たちがいるのだという事実を時々思い出し、「もう少し何かできないだろうか」と考えています動物保護団体への寄付ボランティアなど、私一人の力は小さいかもしれませんが、一歩ずつ行動を積み重ねていけば、いつか大きな力になれるかもしれない。そんな希望を抱きながら、今日も三匹に声をかけるのです。「おはよう今日も元気そうだね」――私に向かって返してくれるか細い声が、いつも以上に愛おしく響きます

2025-01-03

宇宙人新人

年の瀬の駆け込み需要でクッソ忙しい時期に、新人の女がまたポカしやがった

事前確認・先方への連絡を忘れ、相手から確認電話を握り潰した上スルー

再度催促の連絡には逆ギれした上、「◯日の◯◯時にそちらに伺いますんでよろしく!」

といった感じで勝手に日時を指定(先方の都合は聞かず一方的に)

その日時指定すら守らず、当日はドタキャンというかブッチした上、翌日の別件で訪問した「ついでに」担当者面談して、謝罪なしに言い訳ばっかしまくったという


「そちらの◯◯さん(新人女)、大丈夫?」という、先方から新人上司に直接連絡がいったことで発覚

客先はそこそこ長い付き合い且つそれなりに大きい取引先なので、上司が凄い勢いで謝罪に飛んでいった

やらかした本人を連れて行こうとしたが「時間外労働ですよね?拒否します!」(相手の都合で18時にお客様先、となった)といった感じでピシャリ

翌日、上司ガチ切れして指導してるのに。ヘラヘラしてて何で指導されてるか分かりませんといった感じで対応してて、更に意味不明

「午前に別な案件入っちゃったんだから仕方ないじゃないですかー、まだかまだかってしつこいから急いで行ったのに逆ギレしてクレームとかふざけてますよね?」

とか言いやがるから、発達とかそういうので無ければ、マジで宇宙人か何かとしか思えなくなった


報告連絡相談ちゃんとしてれば、初回の連絡忘れの時点で何とかなってたわアホ

それを指摘したら「だって言ったら怒られちゃうじゃないですか…臨機応変対応しないと思ってー」とかまた言い訳

内心はともかく、連絡忘れぐらいじゃ初回から怒らないよ…でもこの新人、別件でもヤバいミスやらかして(外注の人に報酬支払い忘れ、その後外注の人が催促してもシカトこちらも新人飛び越えて上の方にクレームいった事で発覚、報酬は書面上支払った事にして勝手プールしてた事も判明)

コンプラ違反とかで指導されれた時も「◯◯(上司)にパワハラされた!私が女だからって舐められてる!酷い!」とか逆ギレしてたしなぁ…

多分、自分のやる事に少しでも反論する→コイツは敵!みたいな発想なのだろう。マジ宇宙人では?


先方の担当者たまたま温厚な人だったから、クレーム担当者替えで許されたけど、本来クレームで済むようなもんじゃないよね

取引打ち切り普通に考えられるし、されてもおかしくないレベルやらかしなのに、その事を説明されても1ミリ理解してくれないのは何故?

ちなみに本人の自己認識では「私は真面目過ぎるぐらい真面目なタイプだって言われてて、背負い込んで頑張りすぎちゃうとこあるみたいなんです」らしい


口には出さないけどさっさと辞めて欲しい

辞めないなら、資料室で延々書類整理してて欲しい

新人女の後始末で他のメンバーが少なから疲弊しているのが分かる(もちろん自分も)

指導係を任されている若手の女性社員は、見るから疲弊してて彼女の方が先に辞めそう

でもその指導係の前々任者社員(男性)は、車の免許は持ってるがペーパーで運転出来ないからとアッシーさせられた上、ロクにお礼も言わないので

さすがに苦言を呈したら「セクハラされた!」って騒がれて、大事になり異動させられてしまったので、彼女ぐらいしかもう指導係を任せられるのがいない

前任者の指導係(女性)は、ブチ切れて「コイツ(新人女)をクビにするか指導係を外さないと私が辞めます!」って言って、指導係を外させたという


まあ気持ちは分かる

「この仕事(A)をやってね」

と任せたら、一日かけてBとかCの仕事(関係無いし出来も悪い)をして、Aは放置とか2回に1回はある

どうでも良い事の連絡は必要以上にする癖に、必要な連絡はスルーしたりもする

かと言って逐一仕事内容をチェックすると「私の事が信用出来ないんですかー?」とか言って逆ギレ

信用出来ないから言っているんだろうに


マジでなんなんだコイツ

年明けの仕事が本当に憂鬱

宇宙人じゃなきゃ何なの?

2024-12-31

はてな匿名ダイアリー投稿の思い出 2/5


11 鬼滅の刃がヒットした本当のところ

anond:20201103211322

2020年11投稿

こちらは私個人の感想です

当時、増田界隈では鬼滅の刃がヒットした理由考察する日記流行ってました。

遅ればせながら便乗しようと思った次第です。

その有名作がなぜヒットしたのか? ですが、一般的な答えがあります。一つ目は、作品自体面白さです。

日記中の引用にあるように、「読み手感情をどれだけ動かせたか?」「生き物同士の心の交流、繋がり、触れあいをどれだけ描けているか?」がポイントになります

残り一つは外部環境です。鬼滅の刃だと、ちょうどコロナ禍の頃に映画が完成したうえで、ほかに競合相手がいなかったことです。世間の人気を掻っ攫うことができました。

参考までに、『たまたま日常に潜む「偶然」を科学する』という書籍にあるのですが、ヒット作品というのは、一定以上のクオリティがあるうえで、後は純粋に運であることがわかっています

私も実は、若い頃に「小説家になろう」に投稿していました。柔道をメインに扱った教師ものでした。

特定ジャンルではランキング上位に入れたのですが、異世界転生や俺TUEEEE!!ジャンルの足元にしか及びませんでした。

今では、どうしてウケなかったのかを理解できます。当時は自分の描きたいものを描くので精一杯でした。

例えば、作中において人間同士の愛情の繋がりの描写が薄かったのは間違いありません。なろうで流行っているジャンルではなかった、というのが一番大きいですが。

この場を借りてプチ自慢ですが、私の小説の設定が『もういっぽん!』という柔道漫画で使われていました。作者のオリジナルとして昇華されたうえで。

私が作った教師キャラと同じ名前、同じ設定の人物2023年放送の同アニメ名前を呼ばれた時、びっくりした思い出があります



12 ニコニコ動画YouTubeで生き物を虐待している動画について 

anond:20201113210224

2020年11投稿

この当時、ニコニコ動画YouTubeにおいて、ネズミなど哺乳類が惨たらしく殺される動画や、

昆虫魚介類捕獲して面白半分に実験したり、トドメを刺した後に調理するタイプ動画流行っていました。

ニコ動の例だと、農場犬が畑内のモグラを食い散らかす動画や、ピラニア水槽ラットを落として食べさせる動画などです。

YouTubeだと、ヘビフロッグさんやホモサピさんやおーちゃんねるがやりたい放題やってました。

個人としては、生き物の命をいたずらに奪う動画が好きではありません。はっきりいって嫌いです。

ちょうどこの日も、ヘビフロッグさんの動画を拝見して、おそらく嫌な気持ちになっていました。その時の憤慨を日記しました。

やはり、その、害獣だろうと昆虫だろうとSAKANAだろうと、命はたいせつなものだと思うのです。



№13 会社員株式投資と向き合っていくために

anond:20201116213411

2020年11投稿

株式投資エントリを一度書いてみたいと思いました。それがこの日記です。

投資をやってみたいけど、最初は何をすればいいのか、そもそも投資をすべきなのかわからない――そんな人に向けて書きました。

株式に限らず、投資というのは長い経験必要です。その中で、自分にあったジャンル手法を身に付けていきます。人の数だけ正解があります

いま初心者の方に言わせていただくとしたら、①まずは有名本を2~3冊読んだうえで、②つみたてNISAiDeCoから始めて、③次は自分が好きな商品を作っている会社の株を買い、④さらに興味が出たら仮想通貨まで含めた専門銘柄に挑んでみるのがいいと思います

なお、信用取引FX代表されるレバレッジ取引は、ここでは投資に含めません。

あれは投機です。続けていれば、長期的には必ず一文無しになるゲームです。



№14 元転職エージェント公務員民間企業への転職について語る

anond:20201228205610

2020年12投稿

30才前後の頃はまだ、先に述べたように京都市内で地方公務員をしていました。

理想現実の間には耐えられましたが、自分はこのままでいいのか、30代半ばになったらもう転職はできない、今決めるしかないのでは? といった焦燥と戦っていました。

結局、転職活動をすることにした私は、転職エージェント登録しました。新卒で入った会社リクルート(求人情報誌営業)だったので、リク系以外がいいと思ってワークポート登録しました。

選択できる道筋は、思ったより多くありました。数は相当少なかったです。苦戦しました。

その中でも、半年ほど粘り強く私に付き合ってくれたエージェントの方に今でも感謝しています

最後は、公務員生活で身に付けたスキルを活かせる会社に送っていただきました。

公務員民間転職するコツですが、最初行政折衝や申請事務など、行政経験を活かせる仕事がいいと思います。いったん民間経験を積んだ後であれば、それ以外の民間企業に進む道が開けます

国家公務員現場で働く専門職であれば、地方自治体事務系に比べても転職やすいと思われます

なお、作中に出てくる転職成功者ですが、そういった方々の中で、私が特に知っている人を選びました。

公務員民間というルートを歩まれた方を少なくとも四人以上知っています



№15 社会人になったらどういう風に動画サイトを見たらいいの?

anond:20210204220458

2021年2月投稿

からニコ動派です。YouTubeも割と見るのですが。

この頃は、ニコニコ動画の楽しみ方がわからなくなっていました。

ニコ動が迷走期に入って相応の年月が経っており、変わり映えのしない動画サービスうんざりしていたこともあります

もっと早く、ドワンゴランサムウェア感染していたら、ニコ動ユーザー離れを防ぐことができたのではないでしょうか。ハッカー感謝を、と言いたいわけではありません。あくまタイミングです。

何人かの利用者から、よさそうな意見をいただくことができました。

コメントをいただいた方、本当にありがとうございました



№16 2.5流の大学を出て大手企業に入った自分を許せないでいる

anond:20210301212331

2021年3月投稿

私の実妹が主役です。

私の妹というのは、今にして思えば発達障害というやつだと思います

ASDとかADHDとか、私に診断する資格はありませんが、そういう傾向があったのは間違いありません。

空気の読めないところや、運動が苦手なところ、集中が続く分野が限られるといった特徴がありました。

ただ、彼女は私などに比べると相当マジメで、頑張り屋さんでした。勉強一生懸命やってましたし、学校の成績も学年で一番でした。

しかし……生来ドンくさいところ、要領の悪さが災いして、第一志望の大学不合格でした。合格圏内にはあったようなのですが。

私と同じ大学に行くのが、心の底では嫌だったのかもしれません。第二志望以下の大学に行くことになりました。

そんな妹が苦しんでいたのは知っています。私も妹も、大学には実家から通っていましたので。

私は途中から下宿になりましたが、彼女の頑張りは知っています。苦しい中でも努力を重ねていました。

相当の時間が経って、妹は生まれ変わりました。

社会人として経験を積んだ彼女は、仕事ができる風のオーラを身に付けました。凛々しい雰囲気だったのを覚えています。よりによって、私の新卒時と同じ会社入社しました。なんでやねん😭😭😭

人は変われるものだと確信した経験日記にまとめました。



17 あなた達の政治運動には迫力が足りない 

anond:20210312203939

2021年3月投稿

小学生の頃は、父の実家近くで暮らしてました。

部落解放運動が盛んな地域であり、大人になって知りましたが、ぶっちゃけ被差別部落でした。

集落中央には、それなりの河川が流れていて、鬱蒼とした竹林が茂っていました。住宅改良や道路河川工事痕跡が露わです。

全国部落地名総鑑なる書籍にも、私の生まれ故郷大字バッチリ書いてあります

その頃、いわゆる隣保館において、解放同盟主催する学習事業がありました。

その時に聞いた解放同盟設立の話や、子どもながらに地域単位でそういった政治活動役場の前でメーデーデモをする)に参加したことがあります

あの頃、私たちのことを主導していた解放同盟の人や、旧社会党メンバーの方々がどんなことを話していたのか、自宅にはどういうタイトル書籍等があったかなど、じわじわと思い出しながら当日記執筆しました。



№18 『底本』を教えてほしい

anond:20210331205556

2021年3月投稿

文系日記です。

みんなからアイデアを募るタイプ投稿大喜利のものを読む機会がありました。三大○○など。

私もやってみたいと思い、増田ブクマカの皆さまから意見を募りました。

なお、「底本」の意味が誤っているのは意図的ものです。

今生きている日本語という観点から本歌取り意味ではなく、元ネタになったコンテンツという意味で「底本」を使っています



№19 女性は可哀そうな存在だと思う

anond:20210402211311

2021年4月投稿

公務員時代の思い出です。

いわゆる女子会というものを間近で聞くことがありました。

同じ公務職場の、大人数の飲み会でした。広い居酒屋を貸し切っての若手主体飲み会があったのです。

その会に参加中、座敷でチビチビチューハイを飲んでいたのですが、真後ろから壁越しに公務員女子ガールズトークをしてました。

その時に聞こえた話です。とある女子職員がいて、意中の男性がいたのですが、気持ちに気付いてくれなくて、アタックすらされなくて「悔しい~( ;∀;)」というのが要約です。私がよく知ってる女子職員でした。

の子のことを、ほかの公務員女子がヨチヨチする恰好で慰めていました。あれこそが真のケアーなのではないかと感じました。

当時は、まだギリギリ二十代でした。女性にとっての恋愛の重みがわかっておらず、「へえ、そういうものなんですね~('ω')」と聞き流していました。

ただ、時間が経つごとにそういう恋愛事が気になっていき……この体験は、男女にとっての恋愛観の違いを考えるいいキッカケになりました。



20 市役所で働いていた子をITコンサルスカウトしたら指名停止になったことがある

anond:20210416221456

2021年4月投稿

こちらも公務員時代の話です。当時はふるさと納税黎明期でしたが、一部の市町村政令市県庁クラスはすでに参加を決めていました。

私が勤めていた役場にも、地域を盛り上げるような名称部署があって、とある女性職員が配属されました。日記主人公の子です。

の子は、正直仕事ができる子でした。高校を出て数年しか経ってないのに、地域おこし事業事務事業担当者になりました。

高卒枠で採用公務員だと、たまにバケモノ級の兵がいます

女の子事務だけやっているとかではなく、上司の方からキッチリ権限をもらっていました。

その道のコンサルタントであるとか、営業会社であるとか、京都を盛り上げるための○△協議会役員級の人とか、いろんな人がその部署の窓口に行くのですが……彼女がサシで来庁者を相手にしてました。

日記中の「ふるさと納税」はフェイクです。地域おこし・地域づくりというジャンルは同じです

そんな彼女ですが、事務事業関係システム周りの契約をしていた会社元請けコンサルに引き抜かれる格好で、転職することになりました。

引き抜きというのは、あくまで弊庁の中での言い方です。断じて不審転職ではありませんでした。同期であるの子の影響を受けて、私は転職を考えることになりました。

彼女上長の人ですが、相当憤慨していました。「あの会社指名停止総務部に言うとく。ほかの自治体にも、一応国にも情報共有した方がええわ。やっとくから」と発言しています



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【閑話②】これまでの投稿履歴

投稿数その他をカウントしてみました。

増田は1ページにつき25件表示です。

私のホームでは17ページ分あって、短文や返信コメントを除くと12ページ程度。

12*25≒300本が投稿数です。実際、この中で二千字以上でフィルタすると、約150本が残ります

残り150本は? と聞かれると、自分でもよくわかりません。発言小町やYahoo!知恵袋や、Quoraなど、

私が投稿している他サイトの流用物とか、大喜利ネタとか、皆さまへの短文質問とか、そういうものと存じます

ブックマーク数は……? と気になったのですが、当方エンジニアではないため正確なカウントができません。

少なく見積もった場合、延べブクマ数は約7万~8万です。

ところで、「本当にあなたが書いたの?」という疑問はあると思いますが、「いや、これは私が書いた」という人が出てこないことを証明材料としてください。いざとなったら、日記本文を編集することで証明します。

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暇空アンチマジでわかって無さそうなこと

誰も暇空を正しいと思ってない

暇空は人格が終わってるじゃないか!とか

暇空は頭がおかしいじゃないか!とか

そういうことをせっせと書いてる暇空アンチ

なんか「天皇人間じゃないか!」って言ってるGHQみたいに見えるんだよね

ごめんすげー不敬なたとえしちゃった

 

暇空が人格者だとか正しいとか思って支持してる奴なんて

居ないとは言わないけど本当に一部の、れいわとか支持してそうな低知能だけなんだよね

ほとんどの人はあれをジャベリンミサイルみたいに思ってるわけ

 

これ石丸とか斎藤知事とかも似た支持のされ方だと思うけどね

斉藤知事最近自分の支持者に圧倒されて若干引いてるように見えるのは気のせいか?)

 

 

暇空を差し向けて心が痛まない標的

暇空が無軌道だとか不道徳だとか言われてもさあ、だから何?って話なの

暇空支持の人の多くってネットフェミニズムとか表現規制リベラルかに攻撃された人たちなんだよ

あの勢力攻撃って本当に卑劣卑怯無責任で、理屈が成り立たないでしょ

  

あれらに攻撃された人たちが理屈立てて反論しても

ヤドカリのようにどんどん論拠を変える(つまり表向きの名分は基本ウソ

人格攻撃で話逸らし

・だんまりで逃走

歴史修正して自分達の攻撃をなかったことにしたり人に擦り付けたりする

全部この感じで一切責任を持たなかった

  

作り話じゃないよ

はてなの人ならある程度そういうの見て知ってるよね

最近も「人工知能学会の表紙は自分でやめたんだ」とか歴史修正図ってるカスがいたし

(これもあの陣営の特徴で、現場担当者圧力掛けて追い込んで訂正や譲歩を引き出したら

  「自分で変えた」 「我々は何もしてない」 「変えなければよかっただろ」 ってマジで言う。)

  

延々とああいう振る舞いを見せられてきた結果

「あ、こんなに汚くて無責任ならこちらもあいつらに対しては何してもいいんだ」って気分が醸成されたわけ

それなら暇空を支持することにだって躊躇は要らないでしょ

ジュネーブ条約守る相手に暇空けしかけるのは良心が痛むよ)

 

 

こっからでしょ!

暇空の言ってることにいくつ間違いがあったっていいんだよ

公金にたか無能リベラル的なもの自体実在するわけだから

世間のそういうものへの注目度や攻撃性が高まるなら(もう戻らないよ)それでいい

ランダムにどう見ても無能大学教授とかも暴かれたりしてる

ピックアップランダム、殴り方もランダム

 

いいんでしょ?これぐらい乱暴無責任で。

しろまだ卑劣さや厚顔無恥さは全然足りてないと思う。

 

暇空が無茶苦茶だとかおかしいだろとか狂ってるだろって言われるとどう思うかって

スカッとするわけよ。

まだまだやってやるから覚悟しろよって思う。

 

バスジャック犯のガキって学校いじめられてて骨折してて

それはいじめっ子たちに圧力掛けられて2階から飛び降りた時の怪我なんだって

それでやった奴等はあいつが自分飛び降りた」言い訳したらしい

どっかの連中の歴史修正そっくりじゃね?

 

そういう人として本当に卑劣なことを平然とず―――っとやってきた結果

どれだけ嫌悪と恨みを積んできたのかってことがいまいちわかってないよね。

まだ全然こっからからな。

https://anond.hatelabo.jp/20241224012706

2024-12-30

anond:20241229080355

飲食って書いてあるけど具体的にどんな仕事なんだ?

文字通り飲食店なのか?だとしたら接客?それとも厨房調理してるのか?

あるいは大量生産してる工場のようなものか?

俺なら、仕事ミスされても困るからこんな人に五連勤なんてさせたくないな?

シフト決めてる担当者自分仕事に何も責任を持ってない可能性があるな??

2024-12-29

anond:20241229202612

敢えて断言して民意を示すのが大衆役割だよ

複雑なことは専門家担当者の役目

2024-12-27

anond:20241227160510

担当者が変わるのか知らんが後から追加したアイテム翻訳がぶれがちな気がする

山口一郎くるまの対談の進行

ファッション担当者サカナクション山口一郎の対談

令和ロマン比良くるまLINEヤフー代表取締役川邊健太郎の対談

を読んで思ったのが過度な追従迎合も見られない。

現代人の感覚からすると円滑ではないこのやり取りに良さを覚えた。

オードリータン登大遊の対談も思えばこの手の応酬だったような気がする。

場を回す、気を良くするということに囚われすぎていたのかもしれない。

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