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はてなキーワード: 危険とは

2025-01-19

夜中、国道を走ってたら生足の若い女の子ふたりヒッチハイクみたいなことをしていた

一瞬、助平心が発動して止まりかけたがそのまま通り過ぎた。

私は、万が一の犯罪に巻き込まれ危険を考える臆病者だ。

車を走らせながら停車して110番通報するべきかどうか考えていたが、

幸いしばらく走ると交番があったので通報した。

しかるべく処理をするとのことだったので安心してその場を去った。

2025-01-18

anond:20250118164347

10代での妊娠出産を推進することは10代を危険晒すどころかその反対ってことやで

anond:20250118062314

ブコメ10代後半の妊娠は、肉体的なリスクが大きいとか書いてるのが人気があるけれど

最近研究や報告から10代の母親の年齢、妊娠リスク医療アクセス相関関係が明らかになってて(アメリカEU)

15歳未満での妊娠健康的な妊娠出産を維持するための身体的発育が不十分である可能性が高いためハイリスクだけれど

ハイティーンエイジャー(15~19歳)では、生物学的年齢よりも社会経済的要因の方がリスクと関連している

質の高い妊産婦ケアを受けられるかどうかなど、生物学的な肉体年齢以外の他の危険因子をコントロールした後では、低出生体重児、早産、貧血、子癇前症etc....の妊娠リスクは、20歳以上の母親有意差はない

でも、20歳以上の女性比較すると、ハイティーンエイジャーは依然として高いリスクに直面している

でこの要員が医療アクセスとの相関にあって

1つが経済的要員、お金がないか病院に行けない。

子供労働していないかお金がないと言う場合もあるけれど、

基本的には家が貧乏からお金を出してもらえない、と言うか親じたいが十分な医療ケアを受けれていない環境である

こういった環境人間程、不良グループに属していたり、セックスワークにかかわっていたり、十分な性教育を受けれていないため

他のグループに比べてハイティーンエイジャーでの妊娠率が高くなってる

もう一つが社会的要員、妊娠していることを隠し病院に行かない。

ハイティーンエイジャーに限らず20歳以上の妊娠でも妊娠初期から専門家からカウンセリングなどケアが行われるほど妊娠リスクが低くなる統計がある

でも、属する社会的にティーンエイジャーの妊娠が奇異の目で視られ、差別されるような環境では、妊娠を隠そうとする

20歳以上の妊娠だと周から祝福されるから医療アクセス積極的になるけれど、ハイティーンエイジャー妊娠だと周から批判されるから医療アクセスすることで周りばれることを恐れるため消極的になる

肉体的には妊娠リスクはないにもかかわらず、

ハイティーンエイジャー妊娠はよくないことだ」という社会的な抑圧こそがハイティーンエイジャー妊娠リスクを高めている

anond:20250118154104

しろ女叩きが底辺ハエに餌をやるコンテンツなのを可視化してるまである

一般男性キモ男が執拗に女への恨み辛みを日々ネットで煮詰めて憂さ晴らししていることをもっと把握すべき、普通に危険の種なので

イーロン・マスクが憎い

 世界中メディアイーロン・マスク天才経営者として讃えるたび、心の奥底に沸き起こるのは猛烈な反発心だ。彼の壮大なビジョンや野心的な計画がもたらすインパクトは計り知れない。電気自動車での革新宇宙事業への投資さらにはSNSプラットフォームを買収して世界言論空間を一変させようとする姿勢――どれをとっても、彼が稀有な才能を持つリーダーであることは否定できないだろう。しかし、その裏側には、人を顧みない強引さや、誰もが乗り気でない環境一方的に変革しようとする独善性垣間見える。彼は常に「未来を創る」と言うが、その方法正当性はあるのか。私は強い疑問を抱かずにはいられない。

 特に、彼がSNS上で見せる軽率発言は、私の中にある嫌悪感さらに増幅させる。刺激的なツイート株価暗号通貨相場を乱高下させ、批判者を嘲笑し、炎上を煽るかのような行動を繰り返す姿は、リーダーというより権力を得た“トリックスター”のようだ。彼の言動を追いかける投資家や支持者は多く、SNSでは絶え間なく祭り上げられている。しかし、そうした「熱狂」が生まれるほどに、私は逆に強い反発を覚える。確かに並外れた頭脳や行動力を持つ人物ではあるが、その影響力をどう使うかという点で、彼はあまりにも無自覚ではないだろうか。

 テスラの急成長がもたらした電気自動車市場の拡大は、間違いなく自動車産業に大きな変革をもたらした。それまでガソリン車が主流だった市場をひっくり返し、世界的な環境意識の高まりに合わせて時代を先取りする――その功績は称賛に値する。だが同時に、「内部告発を試みた社員への圧力」「過酷労働環境」などが報じられるたび、私は苛立ちを禁じ得ない。美しい未来を掲げる一方で、その裏では「効率化」「革新」という名のもとに弱い立場の人々を切り捨ててはいいか企業トップとして、多大な責任を負っているはずの人物が、利益スピードのためなら人間性犠牲にしても良いと思っているのではないか――そんな疑念が拭えないのだ。

 さらツイッターを買収したことによって、彼の性格がより露わになったと感じる。コンテンツ規制言論の自由をめぐって賛否両論あるのは当然だが、長年にわたって築き上げられてきたプラットフォームの秩序を、一夜にして根本から覆そうとする様子には乱暴さを感じる。彼が純粋に「言論の自由」を守りたいと考えている部分もあるのかもしれない。だがそのやり方は、あまりにも一方的で、議論よりも強制が先に立っているように見えるのだ。市場ユーザーコミュニティに計り知れない影響を及ぼすのに、まるで実験場のように扱っている――そんな印象を拭えない。

 イーロン・マスクを支持する人々は、彼の天才性に魅せられているのだろう。既存常識を打ち破り、火星移住ハイパーループなど、大胆不敵な夢を語る。そのビジョンの壮大さは、多くの人の心を掴むだけのパワーを確かに持っている。だが私は、その華々しい夢の裏側を常に見てしまう。膨大な資金を動かし、何千何万という人々を働かせ、社会ルールを変えてしまうほどの権力を持っていながら、彼の言葉からは「共感」や「謙虚さ」が感じられない。むしろ自分けが正しい」という慢心が透けて見え、周囲を振り回すことで注目を集めているようにすら思う。

 なぜここまで拒否反応が強いのか。それはひとえに、彼が持つ「影響力の大きさ」にある。誰かが極端な意見を言うこと自体は、表現の自由範疇だろう。しかし、イーロン・マスクほどの知名度資本力を伴う人間が放つ言葉は、社会全体を揺るがしかねない重みを持っている。ところが、その発言や行動に時として慎重さがまるで感じられないのだ。「自分あくま一般人としてツイートしている」というような言い訳をするが、何千万・何億というフォロワーがいる「一般人」など存在するはずもない。こうした言動を繰り返す彼に対して、憎しみすら覚えてしまうのは、私だけではないだろう。

 また、彼のコミュニケーションスタイルがしばしば相手嘲笑するように感じられることも、嫌悪理由だ。議論批判に対して真摯に向き合うより、自分正当性を訴え、批判者をからかったり攻撃したりする。そのような姿勢は、強いリーダーシップというよりは、単なる攻撃衝動に近いものではないかと思う。カリスマ性を持つトップがそのように振る舞えば、多くの人が追従し、さら対立や分断が深まる構図が生まれるだろう。まるで、大きな声で威圧した者が勝つかのような、乱暴言論空間助長しているようにさえ感じる。

 もちろん、メディアは過剰に彼を煽っている部分もあるかもしれない。私たちが知るイーロン・マスク像は、メディアSNSを介して編集された一面だけだろう。しかし、そこから受け取れる情報だけでも十分に「過激であることは間違いない。もし彼に穏やかで思いやり深い一面があったとしても、表に出るのは挑発的な発言や、予測不能な行動ばかり。まるで、彼は注目を浴びるために、あえて波風を立てているようにすら見える。そして、その姿勢こそが彼のカリスマを強化し、信奉者を増やす一方で、私のような反発を覚える人間を確実に増やしているのだ。

 私はイーロン・マスクの実績をすべて否定するつもりはない。電気自動車市場の発展は、環境問題への意識を高め、産業構造を大きく変えるほどの影響力を持った。また、宇宙事業への参入によってスペース業界全体が活性化した面もあるだろう。だが、それらの「功績」がすべて肯定されるべきかというと、そうとは思えないのだ。なぜなら、そのプロセスや彼の姿勢に数多くの疑問や問題が散在しているかであるテスラ工場では社員への過重労働が報じられ、Twitter社の買収後には大量解雇が行われた。一方的リストラは、社員だけでなく利用者の信頼も損ねる結果になったはずだ。

 「革命児」と呼ばれる彼だが、そもそもその革命は誰のためのものなのか。人類全体の未来を切り開くために行動しているのか、それとも自己顕示自己満足のためなのか。もちろん、野心や自己顕示欲が全否定されるわけではないし、彼のような強烈なビジョンに突き動かされてこそ社会進歩する面もある。だが、そこに「協調」や「周囲への配慮」が欠けていれば、残るのは混沌犠牲だけではないだろうか。彼の一連の言動を見ていると、より良い未来を本当に望んでいるのか、それとも周囲を振り回しながら称賛を得ることに酔いしれているのか、判断に迷ってしまう。

 彼のメディア露出SNSでの動向は常にセンセーショナルだ。発言ひとつひとつ見出しになり、多くの人が熱狂的に反応する。その状況がさらに彼の影響力を拡大し、支持者は彼を「現代発明王」として崇拝する。だが、それは彼自身意図して作り出しているイメージ戦略でもあるかもしれない。自動車からロケット、そしてSNS運営まで、多岐にわたる分野で「既存常識を壊す男」としてのブランドを強烈に打ち出す。その裏には、おそらく綿密なマーケティングも働いているはずだ。

 こうした「自己プロデュース」の巧みさもまた、私の嫌悪感をあおる。もし彼が本当に未来のためだけを思って行動しているのなら、わざわざ挑発的な言動を繰り返したり、周囲を見下すような態度を取ったりしないのではないか。むしろ、その尖った姿勢こそが注目を集める秘訣であり、巨額の利益を生み出すエンジンになっている――そう考えると、ますます彼への不信感が募るばかりである

 また、彼のビジネス戦略資金調達の手法も、ときに「投機的」であるとして批判されてきた。彼のツイートひとつ暗号通貨価格が乱高下する様子は、社会全体を巻き込む大博打のようにも見える。もちろん、投資家たちはリスク承知のうえで参入しているのだろうが、そこに新たに巻き込まれ一般層もいるだろう。巨大な影響力を手にした人物が、その力をどこまで自制しているのか、外から判断がつきにくい。彼がいかに「自由」を標榜したところで、そうしたパワーバランスの偏りは真の自由からはほど遠いのではないか

 イーロン・マスクが嫌いだ、と口にすると、彼を称賛する人々から嫉妬」や「時代遅れの思考」と批判されることもある。しかし、それでも私は彼の一挙手一投足に警戒心を解くことができない。彼のような存在絶対的支持を集める社会は、一種の危うさを孕んでいると感じるからだ。リーダーが強引に物事推し進めることで、一見スピード感のある変革が進んでいるように見える。しかし、その過程で切り捨てられる価値観や人々の声を、私たちは本当に無視してよいのだろうか。

 私が彼を憎む理由は、こうした「社会的影響」を踏まえてもなお、彼があまりにも自己中心的に感じられるからだと言えるかもしれない。自分ビジョンこそが絶対に正しいと信じ、批判する者には容赦なくみつきさらには軽率一言世界中を混乱させる。そのカリスマが絶大だからこそ、多くの人が振り回されてしまう。それが彼の望む未来の形であれ、人々に「ついていかざるを得ない」状況を作り出すことこそが、彼の真の目論みなのではないか。そう疑ってしまうほど、彼の支配力は強力だ。

 もちろん、この強烈な拒否感は私自身の問題でもある。彼のように型破りな人間を受け入れられない、自分の閉鎖的な思考投影されているのかもしれない。あるいは、あれほど自由奔放にふるまいながら次々と成果を上げていく姿への嫉妬心や劣等感もあるのだろう。しかし、それでもなお、「イーロン・マスクが憎い」という感情は消えない。むしろ、その感情が湧き上がるほどに、彼の存在が大きいこと、そして社会全体に与えるインパクトが桁外れであることを痛感させられる。

 だからこそ、私は敢えて彼を批判し続ける必要を感じている。イーロン・マスクのような人物を「天才」「革命児」として無条件に称賛する風潮は、危うい夢を見せると同時に、多くの問題を覆い隠してしま可能性がある。私たちは、彼のような突出した才能を「絶対存在」として祭り上げるのではなく、その言動の裏にある思惑や影響力の行使について常に疑問を持ち、検証し続けなければならない。彼がもたらす革新が本当に世界を良くしているのか、それとも特定価値観や層だけが恩恵を受け、他の多くが犠牲を強いられているのか、冷静に見極める必要があるのだ。

 最終的に、イーロン・マスクをどう評価するかは人それぞれだろう。彼の型破りな行動力こそが新しい地平を切り開く鍵になると信じる人もいれば、私のように憎しみや反発を覚える人もいる。しかし、多様な意見存在することこそが社会前進させる。この「憎しみ」の声すらも、一つの大切な批判視点として意義があるのではないかと思う。彼の眩いばかりの成功カリスマに目を奪われる一方で、その裏側で踏みにじられているかもしれない人々の声に耳を傾ける必要がある。そうでなければ、未来を創るという名のもとに、ただ独裁的な支配が生まれしまうかもしれないのだから

 私は、イーロン・マスク存在自体をすべて否定するわけではない。むしろ、彼ほどの影響力を持つ人間が、もう少し「他者に対する配慮」や「謙虚さ」を備えていれば、今よりももっと多くの人々から純粋に支持されるだろうに、と残念でならない。そして、この憎しみの感情は、そんな「あり得たかもしれない別の姿」への期待を裏切られ続けてきた結果なのだろう。私は彼の言葉を聞くたびに、ああ、また無責任発言で誰かを傷つけているのではないか、と心配になる。その繰り返しが、私の中の反発心を強固なものにしているのだ。

 イーロン・マスクが語る夢やヴィジョンは確かに魅力的だ。火星移住に胸を躍らせる人もいるだろうし、電気自動車によるクリーン未来希望を見いだす人もいるだろう。彼が巻き起こしているイノベーションは、間違いなく人類歴史に残る大きな一歩でもある。だが、その過程で生まれ軋轢や混乱、そして彼自身傲慢ともいえる態度を見過ごしてはいけない。そこには、私たち社会本来つべき「相互理解」や「多様性尊重」が欠けているように思えてならない。

 だからこそ、「イーロン・マスクが憎い」という私の感情は、単なる個人感情以上の意味を持つのだと信じたい。彼のように突出した存在が現れるとき社会は否応なく揺さぶられ、さまざまな価値観の衝突が起こる。そのとき、無批判に称賛するだけでは、本質的問題には気づけないかもしれない。むしろ、強い反発心を抱く人々の声にこそ、彼の手法や態度が孕む危うさが映し出されていると考えてもよいのではないか

 私たち一人ひとりが彼をどう捉えるかによって、社会未来微妙に変化する。もしイーロン・マスクが真に誰もが幸せになる未来を望んでいるのなら、批判や反発の声にも耳を傾け、何が問題とされているのかを真摯に考えてほしい。その一方で、私たちもまた、自分たちが彼に何を求めているのかを見直す必要があるのだろう。彼の冒険心に夢を見たいのか、それとも彼が作るかもしれない新たな秩序に身を委ねたいのか。そして、そうした未来像に抵抗を覚えるならば、なぜ覚えるのか。その理由自分自身に問い続けることこそが、彼のような巨大な存在に対する「本当の対抗手段」になるはずだ。

 私がイーロン・マスクに憎しみに近い感情を抱くのは、彼が象徴するものが、私たち社会の抱える矛盾欲望をはっきりと映し出しているからかもしれない。彼の波乱万丈の行動は、私たちの心の奥底にある「常識を超えたい」「歴史に名を残したい」という野心を代弁している。同時に、そのためには他者を踏みにじってもよいという暗黙の了解すら示唆している。私はそこに嫌悪感を覚えずにはいられない。より良い未来を見たいと思いつつ、その実現手段にどうしようもない違和感を覚える。この相反する感情が「憎しみ」という強い言葉となって表出しているのだ。

 最終的に、イーロン・マスクを憎むかどうかは個人価値観によるだろう。彼を救世主のように思う人もいれば、私のように嫌悪感を募らせる人もいる。ただ、どちらの感情社会にとっては大切な警鐘であり、そこからまれ議論検証こそが真の進歩へと繋がっていくのではないかと思う。彼が生み出す革新光と影直視し、その功罪を冷静に評価する。それこそが、私たちが「イーロン・マスク」という巨大な存在と向き合うために欠かせない姿勢ではないだろうか。私が「イーロン・マスクが憎い」と感じるのは、きっと彼が放つまばゆい光の強さに目が焼かれ、影に潜む危険を見逃せないからなのである。彼は目を背けられないほどの影響力を持っているがゆえに、私たち葛藤を強いる。だからこそ、その存在について問い続けることが、社会未来にとっても重要なのだろう。

anond:20250118004556

風呂でねないでね!危ないよ。

風呂の前にスマホアラーム設定してみては??

「お風呂で寝るのは危険なのでやめよう!眠くなる原因からリスクまで解説

✪お風呂で寝るリスク

1. 溺水の危険性
意識を失うと、水の中で呼吸をしてしま可能性があります。これは溺水事故につながり、非常に危険です。

2.低体温症
長時間お湯に浸かることで体温が下がりすぎると、低体温症を引き起こすことがあります。これにより、体の機能が低下し、健康を害することがあります

3.脱水症状
熱いお風呂に長く入ることで、体から水分が奪われ、脱水症状を引き起こすことがあります

対策方法

1. 時間を設定する
お風呂に入る時間20分を目安にし、長湯を避けることが重要です。また、入浴前にアラームを設定することで、時間を守りやすくなります

2. 適温に保つ
お湯の温度は38~40度が理想です。あまり熱すぎるお湯は体に負担をかけ、リスクを高める可能性があります

3.安全対策をする
お風呂の床が滑らないようにマットを敷く、手すりを設置するなど、安全対策を整えることが大切です。

4. 入浴後の水分補給
入浴後は水分補給を忘れずに行い、脱水を防ぎます

引用元

https://kanade-jibika.jp/sas/infomation/topics/%E3%80%8C%E3%81%8A%E9%A2%A8%E5%91%82%E3%81%A7%E5%AF%9D%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AF%E5%8D%B1%E9%99%BA%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%82%84%E3%82%81%E3%82%88%E3%81%86%EF%BC%81%E7%9C%A0%E3%81%8F%E3%81%AA/

2025-01-17

ガンダムオタクストーキングされた話

――当たり前の毎日が、ある日突然不気味な影に蝕まれるなんて、少し前のわたしなら想像もできなかった。わたし中学三年生。受験を控えているため、普段は塾に通ったり、学校でも進路の相談をしたりと、それなりに忙しい日々を送っている。家は住宅街にあり、学校までは歩いて15分ほど。街灯の数はそこそこあるし、真夜中に外を出歩くわけでもないので、これまで怖い思いをしたことほとんどなかった。

それでも、一学期の終わりごろから微かな“違和感”が生まれ始めた。最初は通学路を歩いているとき、「視線を感じる」という程度だった。ふと、だれかに見られている気がして後ろを振り返るのだけれど、そこに人の気配はない。でも、どうにも落ち着かない。そんな日が何度か続いて、夏休みが終わった頃には「もしかしたら、わたしの思い過ごしじゃないのかも」と感じるようになった。

決定的だったのは、ある夕方、塾が終わってから夜に帰宅するときのこと。友達と途中まで一緒に歩いていたが、その子コンビニに寄ると言うので先に別れ、一人で家に向かうことになった。少し薄暗くなってきてはいものの、まだ人通りがゼロというほどでもない時間帯。だけど、その日はやけに背後が気になった。足音が一つ増えているような気がする。怖くなって、道路脇の自販機ジュースを買うふりをして、そっと後ろを見やった。すると、街灯の下に男の人が立っているのが見えた。30代後半くらいに見え、腹が少し出た体型。見覚えのない顔なのに、こちらをじっと見ている。その目つきに、不気味な笑みが浮かんでいたように感じた。

一瞬、心臓が止まりそうになった。「もしかしてわたしをつけている…?」考えたくなかったが、その可能性を否定できなかった。その日は慌てて家に帰り、両親にも打ち明けた。母は「気をつけなさい」と言い、父は「危なそうだったら遠慮なく叫べ」とアドバイスをくれた。わたし自身も「気のせいじゃないかも」と半ば確信していたけれど、決定的な何かがあるわけでもないので、どうにも気持ちが晴れない。そんな宙ぶらりんの状態が続いていた。

ところが、数日後、ついにその男が正面からわたし接触してきた。学校から帰ろうとして、家のすぐ近くの角を曲がったところで、まるで待ち伏せしていたかのように声をかけられたのだ。

「ねえ、中学生だよね? ガンダムって知ってる?」

思いがけない質問に、一瞬「え…?」と固まってしまう。すると男は、妙にテンションの高い声で続けた。

ガンダムだよ、ガンダムプラモデルとかあるだろ? あれ、ガンプラって言ってさ。実は俺、ガンプラ転売して生活してるんだよ。レア限定品とかはネットで高く売れるから、なかなか儲かるんだよね」

まったく身に覚えのない話を次々と畳みかけられて、困惑しかなかった。わたしガンダムに興味があるわけでもない。何より、この男がどうしてわたしの家の近くで待ち構えているのかが気持ち悪い。けれど、怖さと戸惑いで体が動かず、言葉も出なかった。

「もし興味あったら、一緒にガンプラ買いに行かない? 教えてあげるよ。限定版とか、結構大変なんだけどさ、手に入ると嬉しいんだよな」

意味不明勧誘に、わたしは思わず後ずさった。怖い。この人はわたし待ち伏せして、しかもこんな会話を一方的に押しつけてくる。わずかに震える声で、「興味ないんで、すみません」とだけ言うと、逃げるように家の門を開けて中に入った。ドアを閉める直前、わたしを見つめる男の目はまだ笑っていた。あの不気味な笑みが焼きついて、頭から離れなくなった。

その日から、男はわたしの周囲でますます姿を現すようになった。朝、家を出るとき、門の外に立っていることもある。学校の近くで待っていることもある。わたしだけでなく、クラスの友人たちにも目撃されはじめ、「あの人何?」「怖いんだけど」と噂になった。「髪が脂ぎっていて、いつもガンダムTシャツ着てるよね」とか、「30代後半くらいかなあ。ガンプラ転売ってホント?」なんていう憶測クラスで飛び交っていたけれど、わたしからすれば笑い事ではなかった。

どうしてわたしターゲットにするのかが分からない。ガンダムなんてまったく興味ないし、むしろ男の人が言うようなレア商品価値もピンとこない。無視してやりすごそうにも、毎日しつこく声をかけてくる。「おはよう。昨日はガンダム観た?」「ガンプラ買うなら今がチャンスだぞ」など、訳の分からない話ばかり。はじめは無視して歩いていたのだが、そのうち腕を掴まれそうになることもあった。

「逃げんなよ。俺は優しく教えてやろうとしてるのに」

その言い方が、もう普通じゃない。目の奥が怖くて、まるで自分が獲物にされているような、そんな凄みを感じた。学校先生相談し、生活指導の先生が一緒に帰り道を巡回してくれる日もあった。でも、その日は男の姿は見当たらない。先生がいない日に限って、わたし通り道にひょいと現れるのだ。わたし携帯を握りしめて、いつでも警察電話できるように心がけていたが、相手がすぐに手を出してくるわけでもない。曖昧距離を保ちながら、ネットリと追いかけられている感覚だった。

さらに恐ろしかったのは、わたしSNSを探し当てられたこと。プロフィール写真家族友達との写真だったが、そこからわたし本人を特定したのだろう。急にフォロー申請が何件も届き、メッセージで「一緒にガンプラ見に行こうよ」「ガンダムの良さを教えてあげるからさ」としつこく書かれたものが送られてきた。もちろん拒否したけれど、それでもアカウントを作り直して追いかけてくる。

そのSNSアイコンガンダム関係のものばかり。タイムラインにアップされている写真には、大量のプラモデルの箱が積み上げられており、「最近ゲットした限定版。転売すれば倍になるけど、コレクションにしてもいいよな」とか「本当に好きな子出会えたら、このコレクションを見せてあげたい」など、怪しいコメントが並んでいた。わたしは背筋が凍る思いだった。どうやってブロックしても追いかけてくるし、日に日に執着が深まっているようにすら感じられる。

両親も事態を重く見始め、警察相談したほうがいいのではないかという話になった。わたしは「でも、実際に身体的な被害には遭っていないし…」と気が引けていた。学校先生も「警察通報して相手を刺激するのが心配だ」という雰囲気で、結局「注意して帰りましょう」というアドバイスのまま、なかなか大きく動くことができない。その間にも、わたし不安はどんどん募っていった。

そして、ある日の夕方、決定的な恐怖に襲われる事件が起きた。学校文化祭準備があったため、いつもより帰りが遅くなったわたしは、友達と途中まで一緒に歩いたあと、一人で家に向かっていた。塾の時間も迫っているし、ちょっと急ぎ足だった。ふと曲がり角を曲がった瞬間、目の前に男が立っていた。わたしは思わず悲鳴を上げそうになったが、声にならない。

「こんなに遅くまで学校にいたのか。女の子が危ないよ」

まるでわたしの行動を全部把握しているかのような口ぶり。彼はあの不気味な笑みを浮かべながら、何か箱のようなもの差し出してきた。ガンプラパッケージだ。派手な色のモビルスーツが描かれている。

「これ、新作の限定ガンプラ転売したら高いけど、お前にやるよ。あ、でもただじゃないよな? 俺の好意ちゃんと受け止めてくれるなら、ってことだけど」

彼の言葉の節々に感じる狂気めいた雰囲気。逃げなければ、と思っても、足がすくんで動かない。必死に頭を回転させ、「受け取るふりをして箱を落として、その間に逃げる」という作戦を瞬時に思いついた。わたしは手を差し出すと同時に、わざと勢いよく箱を地面に落とした。

「何してんだよ!」

彼は怒鳴り、落ちた箱のパーツが散らばる。わたしはその隙に走り出した。涙があふれて、視界がにじむ。背後から乱暴足音と、「待て! ふざけるな!」という声が聞こえた。息が苦しくなりながらも、どうにか大通りまで走りきり、人通りが増えたところで立ち止まる。彼は少し離れた場所に立ち尽くし、苛立ったようにわたしを睨んでいたが、さすがに人目が多いのか追っては来なかった。

恐怖と悔しさが混じった感情で、わたしはその足で交番に駆け込んだ。そこで出会った警察官は、最初は「どうしたの?」と優しく声をかけてくれた。わたし必死に息を整えながら、ここ数週間の出来事を話した。ストーカーまがいの執着や待ち伏せ行為SNSでのつきまとい……警察官の表情が真剣になっていくのが分かった。

連絡を受けた両親が交番に駆けつけ、わたしが受けた被害を詳しく話すと、警察官は「これ以上放置できない」として本格的に捜査に乗り出すことを約束してくれた。わたしはそこでようやく少しほっとしたが、同時に「もっと早く相談しておけばよかった」と強く思った。

それから数日後、警察が男を逮捕したとの連絡があった。わたしの塾の前で、再び待ち伏せしているところを張り込んでいた捜査員が確保したらしい。男は「自分はただガンダムの良さを伝えたかっただけ」などと弁明していたようだが、わたし写真を無断で撮影して保存していたり、行動パターンメモに書き込んでいたりと、数々の“ストーカー行為”の証拠が見つかり、転売目的で集めたガンプラの山とともに押収されたと聞いた。

ニュースサイト地域欄に、小さく「30代男性ストーカー規制法違反逮捕」と載っていた。名前は伏せられていたけれど、間違いなくあの男だろう。あの不気味な笑み、尋常ではない執着心、SNSのしつこいメッセージ……わたし普通生活は、そんな彼の行動で大きく乱されていた。いま思うと、本当に怖かったし、もし警察に駆け込むのが遅れていたら、もっと大きな被害に遭っていたかもしれない。

男が逮捕されたと聞いてからわたしはようやく外に出るときの恐怖から解放された気がする。とはいえ、すぐに「もう安心」とは思えず、しばらくは父や母に迎えに来てもらったり、友達と一緒に行動したりして、用心深く過ごした。学校先生友達わたしを気遣ってくれたおかげで、少しずつ心の傷が癒えていったように思う。

受験勉強が本格化するにつれ、わたしはあの出来事を少しずつ振り返る余裕もできた。中学生のわたしには、あの男の「ガンダム転売」という仕事自体がピンと来なかった。好きなものを売買することで生計を立てている大人がいることは分かったが、それを理由他人を追い回し、恐怖に陥れる行為正当化されるわけがない。何より、彼自身ガンダムの魅力を熱く語る一方で、人の気持ち無視した行動ばかり取っていたことに、強い矛盾を感じる。

今では、わたしが夜道を歩いているとき、あの男の足音想像してしまうようなことはかなり減った。完全にトラウマが消えたわけではないけれど、警察家族学校先生など、わたしを守ってくれる大人いたことで「一人じゃない」という安心感を得られたのが大きいと思う。

この一件で学んだのは、「変だな、おかしいな」と感じたらすぐに誰かに相談することの大切さだ。最初は「大げさかな」「気のせいかな」と思って、なかなか行動に移せなかった。でも、もしもう少し早い段階で大人相談していれば、あんなに怖い思いをしないで済んだかもしれない。今はその後悔を活かして、少しでも不安を感じたら周囲に声を上げるようにしている。

ガンダムオタクストーキングされるなんて、わたし人生まさか起こるとは思わなかった。だけど、最終的に彼が逮捕されたことで、わたし生活は再び平穏を取り戻した。この先も、いつどこで危険が潜んでいるかからいからこそ、小さなサインを見落とさないように、そして自分の身を守るための行動をためらわないように――そう心に刻みながら、わたしはこれからも前を向いて生きていこうと思う。

中居さんにしても松本さんにしても同じことをやってても昔は通ったんだろうなあ。

昔は時代が違ったという意味ではなくて、

ご本人様たちに「若さ」があったころという意味で。

その頃は犠牲者の皆様も、

それほど「被害にあった感覚」とかがなかったんじゃないだろうか?

まあすべてが憶測だけど。

それを言うならそもそも

中居さんのことにしても、

松本さんのことにしても、

実際に何が起こったかは誰もわからない。

ましてや示談が済んでいるはずの人の「発言」などというものを、

どこまで信用していいのかわからない。

それはその人の発言の内容を疑うという意味ではなくて、

そんな発言自体週刊誌捏造されているのではないか

と強く疑っているからだ。

通常、示談した人がペラペラ週刊誌取材に答えるなんてことあり得ない話だ。

もちろん示談の内容に守秘義務がなれば別だが、そんなわけないだろうと「憶測」する。

それなのに、鬼の首でも取るようにして

AさんやらXさんやらの「発言」とやらが次々と週刊誌伝家の宝刀のごとく振るうさまに違和感しかない。

私たち社会は本当にそういうことでいいんだろうか?と疑問を呈したい。

司法による冤罪事件というもの存在する。

犯罪を立証する専門家ですら誤認逮捕があるということだ。

それなのに「週刊誌を売ることが目的」の媒体にまるである種の罪を裁く権利のようなものをもたせるのはどうなのだ

と書くと、

そんな権利をもたせた覚えはない、と

答えるかもしれないが

現在のこの状況を「是」とすることそのもの

メディアに力を与えるということなのがわからないほど知能は低くないでしょう?

非常に危険なことをしているのがわからないほど愚かではないでしょう?

それとも、どこかの週刊誌が「冤罪」をでっち上げた結果として、

誰かが死ぬようなことにでもならないと目が覚めないのでしょうか?

私は非常に危惧する。

とにかく今の異常状態を止めるべきである

誰か、無実の人が苦しむそのときを招かないために今できることはなんなのか?考えてみて欲しい。

anond:20250116124145

ただの愚痴が読まれる消費につながる気分はどうや?最悪やろ。わいも消費していくで。

旦那以外の許容先も見つけた方がいいで。

人は自己肯定感とともに生きていくんやけど、自分の子供はそれを高めるんや。子供から無限承認がいつしか親のアイデンティティになる。つまり増田友達子供から承認で今を生きているんやな。

増田旦那承認がほぼ全てや。なぜなら、増田アイデンティティはいからトラウマ旦那形成されているからや。『不妊で癌の旦那を持つ私』を承認してくれる人物には心を開くんやけど、それ以外はストレスになっている構図やな。なかなかおらんでそんな人。全て許容してくれるんは旦那家族くらいやろ。

ただな、自分の親っちゅーのは、幼少期の拠り所にはなるんやが、どうも人ってのは、自立すると親から100の承認があっても生きられんようになっとるらしい。社会から承認必要になってくるんやな。

増田は今、危険なんや旦那幸せに生きるのは最高なんやが、このまま旦那死ぬと『不妊で死んだ旦那がいる私』がアイデンティティになる危険性を孕んでいるんや。すると、より人を拒絶するようになるんやが、そんな増田承認してくれた旦那はそこにいない。

そんな状況を作らないように、社会的に繋がることができる友人を作るか繋ぎ止めとく努力はしたほうがええぞ。趣味自己肯定感を高めるな。旦那の死が増田精神的な死になるのは旦那も望んでないやろ。旦那明日安心して逝けるように楽しみを見つけとけ。って勝手に殺すなーー!!まあそういうことや。最高なのはトラウマの許容や。許容の先にしか自由はないんやで。

2025-01-16

顔が知られてる有名バンドメンバーが多数敵に回す発言してるのすごいわ

無敵の人攻撃される危険性とか考えないものなのかね

anond:20250116165016

いろいろトラバしてるけど、女が心肺停止で男が一人だけしかいない状況でのAED使用冤罪になるから危険だよ

っていう極々確率の低い事象に対してしか主張してないか現実味がないんだよね

そこまで考えてたら何もできないじゃんっていうね

エロの世紀

私がコミケに来たのは、コミケでは道にエロ本が敷き詰められていると聞いたからでした。

しかしここに着いて3つのことを知りました。

まず第1に、コミケにはエロ本など敷かれてはいないということ。

次に、そもそもエロ本は必ずしも自分の好きなジャンルではないこと。

そして最後に気付いたのは、自分の好きなジャンルエロ本を作るという役目は私に課せられているのだということでした。

                      

――後の壁サークル主催者の手記より

エロからきらめきと魔術的な美がついに奪い盗られてしまった。

中学生が、仲間たちと危険を分かち合いながら河原エロ本を拾い戦利品を回し読む。

そんなことはもうなくなった。

これからオナニーは、安全で静かで、物憂い個室にいてパソコンタブレットを前にひとり座る。

インターネットに1つ2つのキーワード入力すればAIがどんなエロ動画でもエロアニメでも瞬時に作ってくれる。

これから先に起こるエロは、リアル女性を誰ひとり必要とする事がないだろう。

やがて、AIは大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不可能となるようなオナニーの為のシステムを産み出すことになる。

人類は、初めて自分だけで全てのエロコンテンツを完結させることが出来る道具を手に入れた。

これこそが、人類栄光と苦労の全てが最後に到達した運命である

ーーAV業界団体会長

バカの覚え書き

凡人以下増田ゆえ、自分で調べるには限界があったから整理がてら。

合成着色料だったり食品添加物に対してめちゃくちゃ文句言うのに、塩分糖分脂質の過剰摂取に対してはあんまり声が上がらないのってなんで?

必須栄養素だし天然ものからいいってこと?

そりゃ何でもかんでも食べ過ぎたら良くないよねって何となくでは分かってるし、たまにはチートデイなんて言いながら暴飲暴食しちゃうことも分かってる、自分だってやっちゃうから

かに発がん性物質の話とか聞くと怖いなーって思うし、実際危険ものもあることは承知してる。

ただ合成とか添加って言葉けが独り歩きしてるのか、それともニュースネット言葉通りに危険ものから生活から排除する方が正解なのか、の範囲って各々どういう基準で決めてるのかなって思って。

レスバ上等某SNSでこの疑問出すと怪しいアカウント粘着される気がして、増田に投げちゃう自分性格悪いなとは自覚してる。

何かを過剰に信じるのも、何かを過剰に否定するのも、その人の勝手だしそこは関与しない、ので疑問としてここに投げます

デフレ日本を救う

デフレ一般的経済にとって悪影響を及ぼすとされる現象ですが、日本の特異な経済状況を考慮すると、デフレが持つ潜在的な利点に目を向けることも重要です。

特に、長期にわたる経済停滞や人口減少が進む中で、デフレ日本経済に与える影響を再評価する必要があります。本稿では、デフレ日本を救う可能性と、インフレリスクについて探求します。

デフレ定義と背景

デフレとは、物価が持続的に下落する現象を指します。日本では1990年代初頭のバブル崩壊以降、長期にわたってデフレが続いていました。しかし、デフレには消費者にとっての利点が存在します。

デフレの利点

1. 購買力の向上

デフレが進行すると、物価が下がるため、消費者購買力が向上します。これにより、同じ金額でより多くの商品サービスを購入できるようになり、生活水準の向上につながります特に固定収入生活している高齢者層にとっては、物価の下落は歓迎される要素です。

2. 貯金価値向上

デフレ環境では物価が下落するため、貯金実質的価値が上昇します。これは特に高齢者や安定した収入を持つ人々にとって大きな利点です。将来の購買力高まることで、安心して生活できる基盤が整います

3. 負債実質的減少

デフレ環境下では、名目金利が低下することが一般的です。このため、借金を抱える企業個人にとっては負債実質的負担が軽減されます特に日本は高い公的債務を抱えているため、この点は重要です。負債が軽減されることで企業は新たな投資雇用創出に資源を振り向ける余裕が生まれるかもしれません。

4. 生産性の向上

デフレ環境では企業コスト削減や効率化を追求せざるを得なくなります。この結果、生産性の向上が促進される可能性があります企業は新技術や新しいビジネスモデルの導入を進めることで競争力を高め、市場での地位を強化することができるでしょう。

インフレリスク

インフレ一般的には経済成長の指標として捉えられますが、高いインフレ率はさまざまな問題を引き起こす可能性があります。まず第一に、インフレ購買力侵食します。物価上昇によって消費者は同じ金額で購入できる商品の量が減少し、生活水準が低下する恐れがあります。また、高いインフレ率は不確実性を生み出し、企業投資抑制する要因ともなります。これにより経済全体の成長が鈍化し、さらなる不況へとつながる危険性があります

デフレとともに

1. 政策見直し

日本政府はデフレ脱却を目指す様々な政策を打ち出していますが、デフレの利点を活かす視点必要です。例えば、消費税の引き下げや公共投資の拡大などの一時的支出刺激策でなく、生産性向上やイノベーション促進につながる政策重要です。

2. 市場環境の整備

新しいビジネスモデルスタートアップ企業への支援も不可欠です。特にIT関連やグリーンテクノロジーなど、新たな成長分野への投資を促進することで、日本経済全体の活性化につながります

結論

デフレ一見すると日本経済にとってマイナス要因であるかもしれませんが、その中には潜在的な利点があります購買力の向上や貯金価値の増加、生産性向上など、デフレから得られる恩恵を最大限に活かすことで、日本は新たな成長戦略を見出すことができるでしょう。また、高インフレによるリスク回避しつつ、持続可能経済成長へと転換するためには、デフレ有効利用を見出す姿勢が求められます

多幸感ヤバい

なんかもうすんごいの。多幸感。ああ、良かった。俺は救われた。

自分ではそんなにストレス溜まってると思ってなかったよ。

ストレスがあることには気づいていたけどそれほど強い負荷じゃないと思ってた。

自分状態客観的認識できている思っていたし、まぁちょっと元気ないかなぐらいの感覚だった。

でも全然違った。今ならわかる。相当ストレス溜まってたんだろうな。

自分ストレスレベルを把握するのはほんと重要。今までできていたことができなくなったら要注意だな。

自分状態ちゃんと把握しないと潰れてしまう。SNSとかLINEで返信ができなくなったらかなり危険兆候だ。

anond:20250116005419

河原もかつてはある種の特権的場所ちゃうかな

法や常識支配が及ばんいう意味でね

芸能ってのは我々一般人安全なとこから

自分ではせえへんようなアホや色事危険スリルをやってる河原者達を観覧して喜ぶもんなんよ

一般人芸能世界にはちゃんと線引きがあったしあるべきなんよ

埒外からこそ観ててオモロいんやろ?

なんで埒外人間をこっちの常識で裁こうとするんよ

なんで自ら埒外に行ったのにこっちの常識に縋ろうとするんよ

それが俺には分からん

2025-01-15

現実を見れないブクマカたち

電動キックボード特定小型原付登録)の安全性は既に統計で示されているのに、いまだにキケンガー連呼で溢れている。

そもそも特定小型原付が従来車両画期的に異なる点は、速度上限が機械的存在していることである

自転車は漕げれば100km/hでも出そうと思えば出せるし、原付は法定最高速度30km/hでも車両仕様上60km/hまでは出せる。

一方特定小型原付は「道路運送車両の保安基準の細目を定める告示」において「平均安定速度は20㎞/hを超えてはならない。」と規定されている。

まりどれだけアクセルを入れようと、20km/hを超えるくらいで動力が発生しなくなり、高速での暴走不可能となる。

賢明ブクマカなら運動エネルギー危険性を重々承知しているため、この規制安全に大きく寄与していることがわかるだろう。

事故が発生したとき被害の軽減につながっているし、速度が一定のため行動予測を行いやすいという特性がある。

しろほかの車両にこの規定を取り込むべきだ。

男は女からキモイと言われるのを恐れてるって朱夏論氏(青識氏)が書いてたけど、女も男が体格差的な意味で怖いんだよね。

これを互いによくわかってないんだよね。

「女の相手がいないは自販機前でどれがいいか迷ってる状態、男は砂漠で脱水寸前」という例えがあるけど、 ちょっと不正確で女は自販機の前で毒が高確率で入ってる缶の中から選ばなきゃ行けないシチュエーション(体格差があるので余程の信頼がないと身の危険がある)。

   判決謄本によると、

  令和2年11月27日当時、安全延岡まで帰られるかどうか分からない状態にあったとするが、令和6年5月23日以降のように、新部雄大という危険な者がいることを

   開示した後であれば分かるとしても、令和2年当時、原告が、そういう者がその列車内にいたような状況ではないから、園田晃也が、精神錯乱保護する必要性

  あったのかどうか疑わしい。

anond:20250115170605

科学的に抽出するから安価にできるだけ

増田理屈なら砂糖も塩もビタミンもあり得ないほど危険になるよ

もちろん全ての物は過剰摂取すると危険から摂取量はコントロールしましょう

anond:20250115001836

こういった偏見に基づく主張は、問題本質を見誤っているだけでなく、無責任一般化によって多くの人を不当に攻撃しています。以下、あなたの主張に対する批判を述べます

1. 性コンテンツ治安悪化は短絡的すぎる

コンテンツの氾濫が直接的に治安悪化少子化引き起こしていると考えるのは極端すぎます社会問題の原因は多岐にわたります少子化に関しては、経済的不安、働き方、教育環境など複雑な要因が絡んでおり、性コンテンツが主要な原因であるという科学的根拠はありません。

2. 「犯罪者の温床」というレッテル貼り危険

一部の犯罪が性産業と関連しているとしても、すべての性コンテンツやその消費者を「犯罪者予備軍」とみなすのは誤りです。適切な規制教育重要であり、暴力的非難レッテル貼り問題解決を妨げるだけです。

3. 日本パスポートの信用低下?根拠曖昧

日本パスポートの信用が性コンテンツの影響で低下したという主張には、具体的なデータ証拠が欠けています国際的な信用は経済力外交政策など多様な要因で形成されるものであり、この論点説得力に欠けます

4. 個人攻撃無意味かつ有害

「お前の子どもが売春婦になっても不思議ではない」などという暴言議論の質を著しく下げるだけでなく、無関係第三者を傷つけます。建設的な議論を行うためには、感情的侮辱ではなく、冷静で客観的意見交換必要です。

結論

問題を正しく理解し、解決策を模索するためには、感情的攻撃ではなく、データ理論に基づいた冷静な議論必要です。無責任一般化や個人攻撃では、社会問題解決しません。議論方向性を改めるべきです。

AIによる解説

認知の歪みとその指摘

1. 因果関係の誤解

発言例:

アメリカ株価山火事のせいでめっちゃ下がったことで…」

トランプさんの就任前後でまた元に戻ってきそうな気がする。」

指摘:

市場の動きに対する単純な因果関係の結びつけは早計です。株価の変動要因は複数あり、短期的な下落を特定イベントだけに帰属させるのはリスクがあります。また、「気がする」という感覚的な予測投資判断に用いるのは危険です。歴史的データ市場構造分析し、多面的理解することが重要です。

2. 他者過小評価する視点

発言例:

「深いところまで統計見る人は少数派」

「大多数はチャートの乱高下を見て楽しんでる。」

指摘:

かに個人投資家の多くは短期的な価格変動に基づいた行動を取る場合がありますが、市場には多くのプロフェッショナル投資家や機関投資家存在します。こうした参加者は、統計ファンダメンタル分析を駆使して戦略を立てています自分以外の投資家を一括りにして「浅い」と見なすのは、誤った前提に基づいた市場観を形成する恐れがあります

3. データ知識選択的利用

発言例:

「中長期的に言えば、下がる要素揃ってるわけです。」

正論ベットしてもいい。」

指摘:

株式市場では「正論」や「下がる要素」の存在がそのまま株価の動きに反映されるわけではありません。市場は多くの情報を既に織り込んでおり、短期的な価格変動やトレンド予測困難です。特定情報を都合よく解釈し、それに基づいて投資を決定するのは偏った判断につながります

4. 自己過信による「洞察力」の誇張

発言例:

自分正論正論違和感が世の中の意見になるまでは1年ぐらいかかる。」

若い時はここに気づけてなかった。」

指摘:

洞察力や先見性を自負する姿勢ポジティブですが、過度に自分を「他者より早く気づける存在」と見なすと、過信につながる危険性があります市場社会は多様な要因が複雑に絡み合っているため、どれだけ優れた洞察力を持つ人でも予測には限界があります。冷静に自分知識経験範囲を見直す必要があります

5. 過度な一般化と二極化

発言例:

「世の中みんなバカなんだ、とか思ってたけど…違うんよ。」

違和感を持つ人が多数派になるまでに、時間がかかる。」

指摘:

市場社会を「気づける人」と「気づけない人」という二極構造で捉えるのは簡単ですが、現実もっと多様です。「多数派になるには時間がかかる」という意見には一定の真理がありますが、異なる意見視点を持つ人々がどのように相互作用して結論に至るのかを考慮することが必要です。

まとめ

初心者が陥りがちな「単純な因果関係の結びつけ」や「自己過信」、また他者への過小評価が見られます株式投資では、事実に基づき、柔軟かつ多角的物事を考える姿勢が大切です。「違和感」や「正論」という個人感覚に頼るのではなく、データ分析や幅広い視点から判断を取り入れることで、より良い投資判断ができるでしょう。

2025-01-14

仮想通貨終わった

 「仮想通貨はもう終わった」と、ここ数年で仮想通貨界隈に興味を持っていた人なら誰しも一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。ビットコインをはじめとした仮想通貨価格は、2017年末の爆発的な盛り上がりや2021年の再ブームを経て、乱高下を繰り返してきた。そのたびに高騰を期待して飛びついた投資家が痛手を負い、あるいは莫大な利益を得たという劇的なニュースメディアで取り上げられてきた。しかし、近年では大口投資家撤退規制強化の影響もあって、「仮想通貨バブル崩壊した」「もう仮想通貨で儲かる時代は終わった」といった声が再び強まっている。だが、本当に仮想通貨終焉を迎えたのだろうか。それとも、新たな局面に向けた再編が進んでいるのだろうか。本稿では、仮想通貨価格乱高下の背景や、利用者が幻滅に至った要因、そして今後の可能性について考察してみたい。

 まず、仮想通貨市場が大きく盛り上がった要因として注目されるのが、ビットコイン価格高騰である2017年のいわゆる“ビットコインバブル”は、多くの投資家メディアの関心を引きつけ、一夜にして億万長者を生み出したという話が世間を駆け巡った。当時、ビットコイン価格わずか数年の間に何十倍もの値上がりを見せ、「仮想通貨さえ持っていれば誰でも儲かる」というような“仮想通貨神話”が広まり一種の狂騒状態になったことは記憶に新しい。しかし、その後には一転して価格が大幅に下落し、多くの投資家資金を失った。この極端な値動きが「バブル」という表現裏付け仮想通貨に対する世間の印象は「儲かるかもしれないが危険すぎるもの」へと変化した。さらに、2021年にはテスラCEOであるイーロン・マスク氏の発言や、コロナ禍での金融緩和政策により、ビットコインをはじめとする仮想通貨に再び資金流入。驚異的な価格上昇を見せたものの、その後の金融引き締めや各国の規制強化を受け、またも急落するというシナリオが繰り返された。

 一方で、こうした価格変動だけではなく、詐欺的なICOInitial Coin Offering)やハッキング事件マネーロンダリングへの利用など、仮想通貨が抱えるさまざまな問題投資家の信頼を損ねた要因ともなった。特に知名度の低い仮想通貨プロジェクトが「世界を変える新技術」とうたって資金を集めたものの、開発が停滞したり運営者が失踪したりするケースは後を絶たない。こうした状況を目の当たりにした投資家一般ユーザーにとっては、「仮想通貨は結局、詐欺投機の温床ではないのか」といった疑念が強まるのも無理はない。また、仮想通貨の送金やウォレット管理のための仕組みを理解することが難しいという点も、初心者には大きなハードルとなってきた。その複雑さは一部で「自己責任」という形で美化されがちだが、実際にはセキュリティ知識運用リスクへの意識が低いまま参入した場合ハッキングパスワード紛失などで資産を失う危険性が高い。実際に被害に遭った人々のニュースを見聞きすると、仮想通貨に対して「難しくて危ないもの」というイメージが固まってしまうのも仕方がないだろう。

 さらに、国や金融当局による規制強化の動きも「仮想通貨終わった」と言われる一因として挙げられる。特に中国のようにビットコインマイニング事実上禁止したり、大手取引所に対して厳格な規制を課したりする動きは、マーケットに大きなショックを与えた。また、アメリカでは仮想通貨関連の事業に対して納税義務を徹底する法律が整備され、これまでグレーゾーンだった税務処理をきちんと行わなければならない流れが急速に進んでいる。日本でも、金融庁が仮想通貨交換業者監視登録制とするなど、利用者保護観点から取り締まり検閲が厳しくなった。これらの規制強化は、一見すると仮想通貨ネガティブな影響を与えるように思われるが、実は健全市場を育てるためには避けて通れない過程だという見方もある。詐欺プロジェクトマネーロンダリングなどの不正摘発し、利用者安心して取引できる環境を整えることは、仮想通貨の長期的な発展には欠かせない。しかし、過度な規制によってイノベーションの芽が摘まれリスク否定できず、ここにはバランスの難しさがある。

 次に、仮想通貨が「終わった」と言われる背景には、NFT(非代替トークンブームの盛衰や、メタバース関連銘柄の失速も大きく影響している。2021年前後には、デジタルアートゲームアイテムをNFTとして売買し、天文学的価格がつくケースが相次いだ。多くの企業クリエイターがこぞって参入し、「これからはNFTの時代だ」と大々的に報じられた。しかし、NFTマーケット熱狂は長くは続かず、投資対象としてはリスクが高すぎるうえに、実際の利用用途限定的であることが次第に明らかになった。加えて、メタバースも同様に、2022年頃にはFacebook(現・Meta)の社名変更きっかけに大ブームが起きたものの、実際にビジネスとして収益を上げられる企業はごく一部に限られ、その多くが苦戦を余儀なくされている。こうしたNFTやメタバースの失速が「Web3」や「分散型の未来」といったキーワードに対する期待感を急速にしぼませ、結果的に「仮想通貨なんてもう流行らない」という声が再燃しているのだ。

 また、環境への配慮無視できない課題となっている。ビットコインマイニングには膨大な電力が必要とされ、その電力需要CO2排出量を増加させるとして批判されてきた。近年ではイーサリアムコンセンサスアルゴリズムプルーフ・オブ・ステーク(PoS)に移行するなど、省エネルギー化の取り組みを進めているプロジェクトもあるが、依然として「仮想通貨環境に悪い」というイメージ払拭しきれていない。世界的に脱炭素再生可能エネルギーへのシフトが加速するなかで、この問題クリアにできなければ、仮想通貨社会的評価を高めることが難しいだろう。投資家としても、ESG投資意識するファンド企業が増えるなか、環境負荷の大きなビットコインには投資しにくいという声が高まっている。

 もっとも、これらの要因をもって「仮想通貨は終わった」と結論づけるのは早計かもしれない。なぜなら、価格の乱高下や投機的なブームが落ち着いたあとにこそ、ブロックチェーン分散型台帳技術の“本質的価値”が見極められるからだ。実際、金融サービスデジタル化が進むなかで、国や大手金融機関が中央銀行デジタル通貨(CBDC)の発行を検討する動きは続いている。これは、仮想通貨の根幹にあるブロックチェーン技術が“使えない”わけではなく、むしろ国家レベルでの採用可能性が議論されている証左でもある。また、分散金融DeFi)の領域では、スマートコントラクトを使った新しい金融サービスが着実に開発されており、既存銀行システムでは実現が難しいとされてきたサービス提供し始めている例もある。こうした動きは、仮想通貨投機的な側面とは一線を画し、技術的・社会的価値を追求する流れといえるだろう。

 ここで言えるのは、「仮想通貨が一度ブームになって、その後価格暴落するからといって、その技術やコンセプトが消滅するわけではない」ということだ。インターネットの普及初期にも、“ドットコムバブル”と呼ばれる株式市場の大暴落が起きたが、それを経てネット企業が淘汰され、生き残った者たちがその後のIT産業をけん引してきたという歴史がある。ブロックチェーン技術についても、同様のプロセスを辿る可能性は十分に考えられる。つまり、“仮想通貨バブル”の崩壊を機に詐欺的なプロジェクトが淘汰され、セキュリティ面や実用性が高い技術けが生き残り、社会インフラとしての地位確立していくシナリオがありうるのだ。実際に、世界各地でブロックチェーンを使ったトレーサビリティシステムや、分散型のデータ管理システムなどが実装され始めている。そこでは仮想通貨の“価格”よりも、トラストレス相手を信用しなくても取引できる)で改ざん耐性の強い仕組みによるメリット評価されている。

 では、今後仮想通貨ブロックチェーンはどのように進化していくのだろうか。おそらく、投資対象としてはこれまでほどの激しいブームは起こりにくくなる一方で、緩やかな形で日常生活に浸透していくと考えられる。たとえば、デジタル通貨ウォレットによる支払いが徐々に普及し、銀行口座を持たずともスマートフォン一つで送金や決済ができる社会現実味を帯びてくる。SNSオンラインサービスログインアイデンティティ管理ブロックチェーン技術活用されるケースも出てくるかもしれない。そうなれば、従来の仮想通貨投資対象というイメージが薄れ、あくまで「便利なインフラの一部」として受け入れられていく可能性がある。もちろん、それにはユーザー技術意識せずに使えるようなUI/UX改善や、各国の法整備国際的合意形成必要だ。しかし、より実用的で幅広い人々に恩恵をもたらす技術としてブロックチェーンが発展していけば、仮想通貨が“終わった”と思われた先に、実は新しい常識が形作られているかもしれない。

 結論として、「仮想通貨終わった」という言葉メディア投資家の間でささやかれる背景には、価格の乱高下や詐欺被害規制強化、環境への批判など、さまざまな要因が複雑に絡み合っていることが挙げられる。確かに2017年2021年のような爆発的な“仮想通貨バブル”は終息し、市場全体の熱狂が冷めた印象はあるだろう。しかし、それと同時に、ブロックチェーンの持つ革新的ポテンシャルまでもが失われたわけではない。むしろ、過度な投機マネー市場から抜けることで、本来技術価値実用性に目を向けやすくなるという見方もできる。

 ネット業界歴史を振り返っても、バブル崩壊を経てこそ本質的な利用価値が磨かれるという事例は枚挙に暇がない。ブロックチェーンの普及も同じような道筋を辿る可能性は高いだろう。詐欺まがいのプロジェクトが淘汰され、信頼性と実績を備えたプロダクトが浸透していくプロセスこそが、この先の仮想通貨ブロックチェーン業界の“成熟期”を形作るのではないか。もちろん、その間には法的な課題技術問題社会的理解の不足など、乗り越えるべきハードルがまだまだ存在する。だが、「仮想通貨なんてもう古い」という決めつけだけでは、新しいテクノロジー社会変革の萌芽を見落としてしまうかもしれない。

 結局のところ、「仮想通貨終わった」という声は“単なる終焉”を意味するものではなく、“新たな段階への移行”を予感させるものだ。投資対象としてだけではなく、社会インフラとしての仮想通貨ブロックチェーン活用例が増えれば、私たち日常における“当たり前”が変わっていく可能性は充分にある。これまでのような一攫千金物語が表舞台を賑わすことは減るかもしれないが、同時に詐欺投機目的プロジェクトも萎縮していくことで、技術としての真価を発揮する土壌が生まれるだろう。あくまで冷静に長期的な視点をもって、ブロックチェーン技術とその社会的役割を見極めることこそが、私たちに求められているのではないだろうか。

 今後も仮想通貨が“終わった”と言われる局面は幾度となく訪れるだろうが、そのたびに生き残ったプロジェクトや新たに生まれ技術が、社会にどのようなインパクトを与えるかを見逃してはならない。乱高下やバブル崩壊は、あくまで通過点の一つであり、次の発展を芽吹かせる土壌づくりでもある。もし仮想通貨が本当に終わったのであれば、いまさら各国の中央銀行デジタル通貨検討したり、大企業ブロックチェーン技術研究したりする理由はないはずだ。したがって、「仮想通貨終わった」と言われる今日この頃からこそ、過剰な熱狂に流されることなく、技術本質や長期的なビジョンをしっかりと見据えることが重要である。そして、もし実際にこの領域が再び脚光を浴びる日が来るとすれば、それは表面的な値上がりではなく、実用的な側面や社会インフラとしての定着が評価されるタイミングであるに違いない。私たちはその日を、“仮想通貨の第二幕”として迎えることになるのだろう。

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