はてなキーワード: 同意とは
テレビ局も「中居さんと相談の上で番組に出ないことになりました」などと言っており、本人同意の上でのことだから人権侵害でもなんでも無いだろう。
というかね、こういう扱いが不当だ人権侵害だと中居くんが思ってるなら、テレビ局を訴えればいいんですよ。
一人の管理職の発言に私の部下がかなり不快な思いをし(この発言には実際かなり問題があった)、部下がそれをうちの人事部門へ届け出た。
そんでコンプラの担当者がその管理職に対し「〇〇さんからこういう報告があったので注意するように」と指導。
コンプラの担当者とその上司はうちの管理職よりかなり年次が下なこともあり、管理職が立腹。
それ以来、うちの部下の担当している業務に毎回かなりのケチや無理な注文をつけて部下の担当業務が回らなくなった。
管理職はことあるごとに俺に対し、部下の悪口や問題点を指摘して同意を求め、俺に味方になるよう求めている。
胃が痛い。
> 真面目に議論したり発信したりしてるツイッタラーやブクマカにも思うんだが
https://anond.hatelabo.jp/20250118090926
頑張って親鳥やる積極的な人々がいるのだから、我々は素直にエサをもらう雛でいい
そのスタイルの方がぶっちゃけ安心だ、だから、皆んなは無自覚に Yet another 中国、 more better 中国 を目指してるのだよ
俺はね、今日もチーズ牛丼のことを考えてたんだ。なんでかっていうと、朝起きたら夢の中でチーズ牛丼が喋ってたからさ。そう、あの濃厚なチーズが「俺を食べてくれ!」って叫んでたんだ。だから、朝ごはんに何を食べようか迷った挙句、結局チーズ牛丼のことしか頭に浮かばなかった。まるで宇宙の中で一番大切な星を探す旅みたいにさ。
でも、考えてみると、チーズ牛丼ってただの食べ物じゃないよな。あれは俺の人生そのものだ。牛肉が柔らかくて、チーズがトロトロしてて、それを見てるだけで心が踊る。まるで猫が毛糸玉を追いかけてるみたいな感じだよ。でも、猫は毛糸玉を追いかけても捕まえられないこともあるから、俺もチーズ牛丼を追いかけ続けなきゃならない。
そういえば、友達と一緒に食べた時のことを思い出した。あの日は雨が降ってて、傘も壊れてて、でもチーズ牛丼を食べながら「これが最高だ!」って言った瞬間、雷が鳴ったんだ。まるで神様も同意してくれたみたいだった。それからというもの、俺はチーズ牛丼を食べるたびに雷の音を思い出す。変な話だけど、それが俺の特別な思い出になってる。
でもさ、もしもチーズ牛丼がこの世から消えたらどうなるんだろう?想像するだけで恐ろしい。街中に漂う香りもなくなってしまうなんて、それはまるで空気が抜けた風船みたいだ。ふわふわしていたものが、一瞬にしてペシャンコになる感じ。それはまるで夢から覚めた瞬間みたいだ。
だからこそ、俺は今この瞬間を大切にしたい。チーズ牛丼を食べながら、自分の好きなことや夢について語り合う時間、それこそが本当の幸せなんじゃないかと思うんだ。このシンプルな料理がもたらす感情や思い出は、俺の日常を彩る大切な要素なんだから。
そう考えると、次回チーズ牛丼を食べるときには、もっと大きな声で「愛してる!」って叫びたい気分になる。でも、その前にまずは店に行かなきゃならない。ああ、早く食べたい!でも雨降ったらどうしよう?傘持って行かなきゃ!いや待てよ、その前に靴下は履いたっけ?
子供がいらないのは同意、側にいるだけで迷惑な生き物を成人まで育てるとか罰ゲームを通り越してる。
経済的に余裕があり育てる事に問題がない人だけが子供を持てるようにするべき。
Xの批判にうんざりするのは同意だが病院食食い尽くした夫にそう思えるのはお前の心が広すぎる
なんつーか人に優しい立派な人に見えるから心が荒む前にインターネットから離れたほうがいいよマジで
過激な意見に触れて極端な思想に染まる前に距離を置いたほうがいい
自分の今持ってる綺麗な心を大切にすべき
たぶん増田が思っているよりも遥かに状況は深刻で、妻側の心は殆ど離れていてると思う。
⚫︎私に悪い点はなく改善する点がないから、改善する点がある側が改善するのが当たり前と言った。
⚫︎口論になった際に「わがまま」「幼稚」「未熟」「頭がおかしい」などと言った。
他のコメントでも言及している人がいるように、この2点だけで相当キツいし、正しい・正しくないでばかり物事を考えるタイプなのか?相手に対する思いやりや共感性がかなり薄い人のように思えた。それでいて「いい夫ランキングがあるとすれば上位10%以内には入ると思う」と自認しているようなら、改善できる見込みも低い。煽りではなく、自分だったら上述の2点だけで悪い夫ランキング上位10%に入ってもおかしくないとすら考える、、、。
料理の件は、正直この文章だけでは分からない。妻が「作っているのに作っていないと言われるのが嫌だ」と言ってるそうだけど「妻側は週1〜2回やればやっていると思ってるのに、増田側は週5回はやらないと全然やらないと思っている」などの齟齬がある場合もあるので「できれば平日は毎日料理をしてほしい」「たまには自分が作ったり外食も良いけど、週5日くらいは自炊を頑張ってほしい」などと具体的な回数や頻度をもって話し合わないと溝が埋まらないと思う。その回数や頻度だって、あなたが一方的に要求したり決められるものではなくて、話し合いの中で妻が納得・同意して決まるものだと思うし。
妻が時短勤務とはいえ夫婦共働きには変わりなく、子供のことや洗濯をはじめ他にもやることがたくさんあるので、増田が「帰宅してから夕飯の時間までに料理できるだろう」と言っても、妻側は他にもやることはたくさんあるからそれを負担に思う場合もある。「洗濯とか、自分が帰宅してから手伝うから、帰宅後の時間は料理を優先できない?」などのように、妻の負担を減らしながらお願い・相談するのも一つだと思う。
理由は簡単、良きサマリア人の法がある国でもAEDの女性使用率は男性より低いから
逮捕されるとか裁判になるとか前科につくとか以前に相手から「私の体を勝手に触った人権侵害者はお前か!一生恨んでやる!」とか言われたら嫌でしょ
「うわ!あいつ女の体勝手に触ってるぜ!同意も得てないのに!」とかモブから言われたら嫌でしょ
そういう話よ
性欲解消なんて下の世話だろ。
ウンコ一人でできないので手伝って下さいって話を家族、恋人、医療従事者(プロ)以外に頼むのかよ。
男の性癖(性欲)は支配欲と混ざりやすいのはわかるけど、ちゃんと前金と同意とらねえと純粋な犯罪じゃん。
それともあいつら(スキャンダル起こした連中)の認知ではアテンドされた相手はプロ認識なんかね。
強姦自慢とか(遡れば大陸での殺人自慢)が日常会話にあった昭和じゃねえんだからさ。。
令和だぞ。。狂ってんなー
とりあえず第一段階として「必ず返す」とか「電話に必ず出る」とか重要な項目数個に限って独立させてチェックさせる(残りは現状の規約に同意しましたでチェックする)ようにすればいいんじゃね?
それでもバカが減らないなら項目が増えていくということで。
大学全体で見たら小規模だが、まぁ無くすと困るかな程度には需要がある。
その中のさらに一部のバカが何日もすっぽかしてこっちからのメールも見ない、電話をかけても出ないということがある(そいつらはバカだから「知らない電話だったから出ない」と毎回主張する)
そこまではあるあるなので比較的どうでもいいのだが、最近そのパターンが増えてきて部署の仕事したがりなバカがイライラしてきた。
で、うちの部署のバカが貸出時の確認要項を増やそうと主張し始めた。
今までは「これこれこういう注意事項です。[ ]←チェックを入れて同意」みたいなよくある注意事項だったので、そこを変更するのはまぁ根本的な解決とは遠くとも第一歩としては悪くない。
ただそいつはバカなので注意事項一つ一つにチェックを入れようとか言い出した。
(これがずっと続く)
みたいな本当に、バカみたいな確認をしようと言い出した。一部のバカの、さらにごく一部のバカのために。
チェ、チェックを20個も?!こんなの絶対読まずにチェックするよ?!と俺は言ったが、バカは「いや、でも同意したって言えるよね?」と言い出した。バカだから。
俺たちは学生があっての大学。学生に利便性を提供するための職員。
しかしバカは学生を敵と見なし、しかもごく一部のバカのための対応で、ほとんどのちゃんと機材を返す善良な学生に20個のチェックを強いろうとするのだ(毎日借りる子もいるんですよ?!)
こいつらは本当にバカだ。北風と太陽で勝ったのは太陽。問題があるなら突き放すのではなく寄り添う、問題が発生するなら発生する要因を潰そうとする。
俺たちは学生のための大学なのだから、学生を敵と見なすのはバカだ。ユーザービリティを下げるのは何も考えていない。
こういうバカが問題が起きるたびに細かいルールを付け足して問題解決をする気になって、それで問題が解決するならと新たに問題を起こすんだろうなと実感した昼下がり。
おまえさんが従前に妻に言っていたということは、ほとんど「命令」や「指示」に見えるのだが、それは文章的な綾なのか本当にそうなのかどっちだろうな。娘さんに怒っているところを見せたくない、というおまえの方針に妻はどこまで同意していた? どのような話し合いで同意を取り付けた? その辺り反芻してみてくれ。文章だけなら、おまえは「妻を管理しようとして失敗した」と見える。
ほか、文章全体から、立場が上のところから「下の者が従わないので困っている」といった感触を受ける。
それが文章だけのことであればいいのだがな。もし現実的な態度がそういったものなのだとしたら、奥方がヒスというかノイローゼになるのも頷ける。
上記のようなQQEの目標がなかなか達成できず、コロナ後にようやく構造パラメーターの変化が実現したことが、クルーグマンのロジック自体(経済主体が将来の金融緩和効果を現在に先取りして行動する)に問題があったと考えるのか、それとも、クルーグマンの提唱した将来の政策に関する「約束」の仕方に工夫の余地があったのかは興味深い問題である。
どのような「約束」をすれば企業や家計が短期間のうちに行動様式を変化させたかという問題には適切な回答が思いつかない。例えば、QQEの導入時点で、「CPIインフレ率が4%に達しても金融緩和を維持する」と約束しても-事後的にそうなったが-当時の企業や家計が行動様式を変えたかと言えば、同意する人は少ないように思う。さらに言えば、「総括的検証」までのQQEが一定の期間に亘って強力な金融緩和を続け、その意味で「約束」を実績で示したにも関わらず、インフレ予想が目立った変化を見せなかった点にも注意する必要がある。
ただし、「レビュー」の多くの論文は、コロナ後の大きな供給ショックが生じる以前に、インフレ予想の改善が始まっていたことも示唆している。
QQEの後半の局面に焦点を絞って、例えば労働参加率の飽和などの内生的な要因が企業や家計の行動様式にどのような影響を与えたのかを明らかにすることも、インフレ予想の変化の持続性を考える上でも重要と思われる。