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2024-12-07

女って「泣いた」ことが勲章になるんだから人生イージーモードだよね

最近、「増田で音声サークル主とバトルしてから4ヶ月が経った話」という増田を書いた。

その増田では、この人がいかに成果と発言乖離し、発言に食いついた人に自分が作った赤字を肩代わりさせているかを書いたわけだが…今回はこの人の発言のヤバさについて紹介したい。

この人は、自分シナリオライターとして頑張った一年を振り返って

死ぬほど書いて、死ぬほど泣いた」

という文章で振り返ってる。

「メスだなぁ〜」

と正直思った。

男にとっては、涙は勲章じゃない。恥ずかしいことだ。

だが、女は泣けば許されるし、自分で泣いたことを暴露すると「がんばったね」という空気になる。

この人は、自分のことをフェミニストだと思っているらしい。

いま書き込みが残っているかどうかは知らないが、サブアカウントに使っていたアカウントでは、様々なフェミ発言をしている。

私に言わせれば、「フェミニスト」を名乗る割には、女性から許されているものの上でふんぞり返っているようにしか見えない。

男は涙を流すほど悔しいこと・努力したことがあろうとも、表で「泣くほど厳しい環境でがんばりました」なんて言わない。

泣いた時点で、負け判定されるから

泣きたくなるような努力は私にも、他の男性たちにもあるだろうが…男はそんな事は言わない。

から、女であることをいいことに「がんばった」などという結果以外を評価して欲しい子どもみたいな心情を、「死ぬほど泣いた」と表現したようにしか見えない。

…いや、その文章を覚えていたからこそ、その先についても語るべきか。

死ぬほど書いた、死ぬほど泣いた」

と本人が書くほどに頑張った割に、結果がついてきてない。

そもそもの話、「死ぬほど書いて」も、「泣かせる」ぐらいの返答になるものしか書けない時点で、その人はその仕事に向いてない。

ハラスメント肯定したいわけじゃないが、「仕事で泣く」ほど失敗する人は、その仕事に適性がないよ…。

仕事とは、誰かができることだから職業として成立してるはず。あなたにとって泣くほど辛いことも、頼むべき人にとっては日課に過ぎない。…その適正差・実力差が問題なんじゃないの?

それを、誰が頼んだわけでもなく、自分で続けて

死ぬほど書いて、死ぬほど泣いた」

努力だけを誇る独りよがりしか見えない(少なくとも客観的評価や結果がそのつぶやきの中に組み込まれていない)ことしか言えない時点で、ダメダメだったんじゃないですか?

男なら書くこともはばかれるほど恥ずかしいことを、女の人は書ける。

この時点で、フェミニズムなんて存在しないほど日本女尊男卑だよ。

それをあなた自身言動証明しておきながら、何がフェミニストなのか…。

えこひいきという下駄を吐いて、自由平等博愛精神を説かれても、そんなもの寝言だよ!

フェミニズムに謝れ!

フェミニズムはフランス革命の時に、「女性だって革命に参加したのに、選挙権男性だけなんて平等でも博愛でもねえぇよ」と憤慨した女性たちが作った思想だよ。

日本女尊男卑社会の上でふんぞり返っている人が、安易に使うこと自体フェミニズムへの侮辱だよ。断頭台に送られるべき冒涜だよ…。

2024-11-20

anond:20241120222004

フランス人以外は平等差別する自由、そしてフランス人博愛する国だから

(だいたいあのヘンな言葉を頑なに貫くところからしてだな、)

2024-11-16

anond:20241116203615

あんた、かなりいいこと言ってるけど、歴史的に見れば、そんな言葉がどれだけ重いかを少し考え直してみてほしいよ。

例えば、フランス革命の時、革命家たちは「自由平等博愛」を掲げて戦った。でも、当時の女性たちは、選挙権もなく、社会的自由ほとんどなかった。女性が着るもの一つ取っても、規制され、制約されることが多かったんだ。そんな時代に、女性自由自分表現することの難しさは計り知れない。それを理解しないで「好きな服を着てくれ」なんて軽々しく言うのは、歴史を知らない証拠だよ。

そして、そうやって歴史的背景を振り返ると、今の社会服装に関して何か言われること自体が、実はかなりおかしことなんだよね。つまりポケットがあろうがなかろうが、誰がどう着るかなんて、他人が決めるべきことじゃない、っていうことに気づくべきだよ。だけど、未だに「女性らしさ」っていう枠組みが強制される場面が多い現実、これってまるで中世の「婦人の徳」なんて言葉を思い起こさせる。

それにしても、ポケットなしの服の不便さって、確かに身をもって感じることだよな。あの、財布をどこに入れるか、手をどこに置くかっていう、些細だけども日常ストレス。おしゃれに見えても、結局は実用性がないと、結構苦しくなるものだよね。

だけど、あんたが言っている「男性邪魔しない」っていう部分、これはマジでその通り。服装に限らず、誰かの生き方に口を挟んでる暇があったら、自分のことをちゃんとやりなさいって言いたい。だって歴史的に見ても、自由平等を勝ち取るためにどれだけ多くの人が戦ってきたか。その犠牲努力無駄にしないためにも、今こそがその自由尊重すべき時代なんだよ。

あんたが言う通り、ポケット付きの服を自由に着るのは、今や何の問題もないはずなんだから、どんどんその思いを広めていこうぜ。

2024-11-13

政治ニュースとかでよく言われるけど納得してないことがある。

格差」って投票行動に影響与えてるかあ?特にマスコミの言うような、めちゃくちゃな金持ちと比べて自分がみじめだからあっちの候補に入れようってなるかなあ?

全然感覚と違うし、納得がいかない。

それよりは「俺は最低限の生活を下回っている。苦しい。なんとかしてくれ」とか、「今は大丈夫だけどこのままいくと最低限の生活を下回ってしまう」とかのほうがよほど強い影響になると思うんだよな。

格差じゃなくて、絶対的貧困だよ。貧困の話から逃げんなよ。

まあ格差にしたって「ほぼ同じ社会階層あいつは食えているのに俺は食えていない」みたいな身近な格差は強いインパクトがあるだろうけどそういうのは格差問題じゃなくて不正問題、「あいつらはズルじゃん 」として出てくると思う。部落民問題維新の会とか在日韓国朝鮮人問題在特会とかな。アメリカだとハリウッドやらゲーム業界やら大学やらにおける黒人の重用によるアジア人男性差別とかな。

格差問題なのに、お正しい方々によって差別問題扱いされるのが笑える。

貧困のことを格差問題にしてごまかしたり格差問題差別問題にしてごまかすのはやめてほしいんだよな。あと不正の話を福祉とか博愛の話にすりかえるのも。

物事をわざと間違ってとらえたら解決法も当然ゆがむんだからちゃん解決できなくなっちゃうんだよ。

2024-11-11

anond:20241107192359

ロマンティック博愛主義者から「恋をするという行為」を理解しようとして自分自身ではできないかバグってる

別に恋は義務じゃない

2024-10-21

ただ「自分がやらないことだから」ってだけだよ

anond:20241021004208

オタク本質的排外主義者から

これは絵を描くか描かないかとは関係ない。

オタク特定の狭い範囲のものだけを愛する性質を持つ人達の集まりで、それは博愛主義とは真逆偏愛主義

自分が好きになるもの自分肯定できるもの、つまり自分の心の一部になるものへの興味が強すぎて、そうでないもの無自覚否定してしまう。

なんで絵師だけああなんだ、じゃないんだよ。

大なり小なりオタクと呼ばれるような人はそういうもんなの。

どいつもこいつも、自分が好きなものは正しいもの自分が好きになれないものは間違っているもの(つまり好きになれない自分判断は正しい)だと思ってんの。

遊びもしないゲームクソゲー呼ばわりしたり、見もしないアニメ駄作呼ばわりする奴なんていっぱいいるだろ?

あれはそれがとことん過激になっただけだよ。

だってあいつらAIがどういうものなのかなんて一切考えてないじゃん?

自分がよく知らないものはこの世から排除しなければいけないってオタクが考えるのは今に始まったことじゃないんだから、今更どうにもなんねーよ。

2024-06-26

anond:20240626171408

いやだから博愛でやるんじゃなくて、金持ち金持ちが有利になる法律をとおすために政治家になる、って書いてるつもりなんだが

2024-06-19

anond:20240616124255

記事で、コロンブス問題サヨクめ!と散々書いて、当事者目線を強調しつつ最後野沢直子の回答で締めくくっていたら、

まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。

先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母

ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力があった。

ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。

それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。

特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民視点

【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母

これは考えるヒントがたくさん詰まっている記事だと思った。

ただ、これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクト確認できない感じではあった。

(例えば、1637年のピクォート虐殺=John Winthropマサチューセッツ植民地知事による征服祝いが感謝祭起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディア検索しても「このピクォート族の虐殺土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっと保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)

そういう面はあるものの、テーマ自体が非常に興味深い。

というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要感謝祭が、実はアメリカ先住民視点からみると、自分たち虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史直視するよう求める主張も行われている、という。

これは、ポッと出てきたアニメMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。

感謝祭はそれほどまでにアメリカ文化経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。

からアメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。

問題は、自分たちアイデンティティ形成に欠かせないものキャンセルできるのかというテーマだ。

そもそも植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちアイデンティティに組み込まれいるからだというのは、例えばフランス植民地主義を振り返るとわかる。

例のコロンブスMVでは、類人猿音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカン歴史最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会文明化する、というテーマはむしろフランス植民地政策どんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。

ひとつ前の記事永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、外付けの元祖は実はフランス革命だ。

人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的ものが素晴らしいわけではないし、なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤべえと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統文化と結びついた自分たち偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。

まり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化価値観自己実現をしたいひとだっているってことだよ。

進歩的価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、

学生運動シュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。20代の頃の中島みゆき、すごいぜ。

エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレビビったというのがそもそもの出発点なのだ

教養なんて外付けだろうってブコメに★がたくさんついているが、エドモンド・バーク見方は、そういうことを少し考えるヒントになったりしないかね。

もうひとつ興味深いのは、フランス人権歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。

フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特にフランス語の普及は博愛精神の名のもとに、当時フランス支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶あいまいだが、当時の知識ヴィクトル・ユゴー奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。

こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国保守知識からフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権普遍的もの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。

人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。それは博愛友愛ポリコレ的に言い換えても同じことだと思える。

これはある意味で、感謝祭国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題共通する。

昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権普遍化のプロセス進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。

自らの存立基盤をポリコレ的に正す究極が革命というものだとすれば、それに対する警戒感というのは埋もれてはならないものだと思う。

そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。それに対して「貴様アメリカ先住民の心情をないがしろにする気か」という反応は、ある意味表現自由の乏しかった80年前の戦時中に、「兵隊さんご苦労さん」といって国民を一斉に同調させたダイナミズムとよく似てくる。大東亜共栄圏思想は、欧米帝国主義アジア諸国文化経済搾取し、独立を妨げているという考えから出発している。何が正しいかについて翌々考えず、適当ポリコレ棒を拾って叩いていると知らず知らずのうちに、みなが操られた正義に踊らされてしまうというのは危機感としてもっていい。

記事感謝祭トリビアは、そういう意味で、考えるヒントがけっこう詰まっていると思った。

2024-06-17

anond:20240616213350

まあ大きな流れを動かしてるのはそういう卑屈な理屈だと思う。

あとまあそれが正しくないとも言えない。ある側面から見れば正しい。けど他の側面から見れば理不尽。なんで日本私たちアメリカ恥部にそんな気を遣わなきゃならんのやとは思う。ブラックフェイスは完全に日本人には関係なかった。日本には黒人奴隷を使った歴史はないんだから

しかしま関係なくても人が嫌がってるのにあえてするならそれは悪意だし正しくない。正しさってそういう割と相対的だったり流動的だったりするものだと思う。人や立場の数だけ正義がある。あと強弱もある。

理不尽だけど間違ってはなくて、あるいはちょっと間違ってるけどなんかその方が役に立つとか、正しいけどそれは巡り巡って実は人命とか人々の生活なんかがかかってることがわかってるから無理だとか、いろんな理由があるけどそうなると最後はその正誤とは別に社会力学でどっちかに従わざるを得ない感じになることは私たち日常生活から世界政治までどこにでもよくあることだと思う。

コカコーラ日本もそこそこあるけど結局アメリカが大きなシェアなのでそういうの捨て置けないのは当然だし、何が正しいか間違ってるかとか表現の自由だとか突っ張るほどの理由もここにはない。そもそもMVは何言いたいのかよくわかんねえし言いたいことなんか多分なかったし。

コカコーラという巨大企業雇用される人たち全員の生活を守ることだと考えれば、契約一個切られたくらいですぐミュージシャン生命を絶たれるわけでもない人たちと天秤にかけても答えは明白だと思う。それもひとつ正義だとも言える。トロッコ問題ともいえるかもしんないけど。(あれにトロッコ脱線させるだとかそういう手段があったか?多分ないよね…)

余談でこれは私の想像だけど、多分担当者ミュージシャンの間で「ごめんねー、そんなに別に問題があるってほどじゃないと思うんだけど今こういうのあっちこっちうるさいからさー」とかそういう感じの会話があったんじゃないかって思ってる。大人って汚い!でもすごい気持ちわかる。私も大人から。しらんけど。

あとはそれ見てそうかあれは悪いことだな!叩いていいやつ!ってなった人が、その理屈までは理解できないので自分なりに解釈してるんだと思う。

かに理不尽なことは理不尽だし、そこに自分なりにも理屈をつけなきゃ叩けないし、まあ正義っていうもの理解したい、あるいは自分はわかってるって信じたいっていう欲求もあるのかもね。わかってないとこの世の中で生きるのは不安だし、だからみんな自分の中に世界のありようを認識しようとするし、わかんないことは想像で埋めたりする。正解かハズレかはさておき。増田のその問いもまさにそういった正義とか正しさとか何が間違ってるのかを理解したいっていう欲求からまれてるのではないだろうか。

でもまあその前に書いたような、大体のことは社会物理法則のようなもの人間を突き動かしてるよねとかそういう理屈がわかんないと、それはつまりなんでコロンブスダメだって言われてるのかの問題提起への理解も足りなくなるので論理強度がいまいち突っ込みどころ満載になっちゃうから、そういう人たちと話しててもわけわかんなくなると思うけど…

アメリカ人がここにきてコロンブス云々言ってるのも、BLMを経てアメリカの分断は国力を落とすってことを肌で感じたから、彼らの気持ちとか考え直さないとやばいってなってるからだと思うし(そして人間は群れることで生き残ってきた生き物なので、他人を思いやると脳汁が出て気持ちよくなるっていう遺伝子を持つ者が比較的多くてその快感友愛博愛、あるいは正義である認識する)、その考えはアメリカ国民を守ることに繋がると考えればそれも彼らにとっての正義のうちのひとつだと思うし、それを咎めるようなことを言う理屈もない。正直そんな大昔にいたおっさんが何やったかなんかみんなどうでもいいんだけど、その扱いに自分たちの生活がかかってくるってなるから必死になるわけで、人が生きたいって思うことを誰が咎めることができようか?っておもー

空が青いのに賛成も反対もないのと同じだよね…今日はいい天気だな。

2024-06-15

anond:20240614213954

高橋留美子漫画キモいブサメンって誰がいたっけって考えたけど、ぱっと思いついたのが犬夜叉に出てくる桃果人(普通人間だったけど仙人の秘術を奪って妖怪のようなものになってしまキモいデブ男)、七人隊の霧骨(土偶みたいな顔したキモいデブ男でヒロインのかごめをレイプしようとする場面もある)

ずっと敵として立ちはだかっていた奈落女性看護師に惚れてしまった青葉みたいに、大怪我して死ぬのを待つばかりだった時に博愛精神自分を看病してくれた巫女一方的に惚れた弱男だった

スピリッツ不定掲載される短編だと冴えないおっさんもよく出てくる印象

虎に翼みたいにドラマ脚本家でもありなら「相棒」の太田愛の回とかどうだろう

ずっとひとりぼっちで売れない画家を続けている偏屈な老人、都市開発により居場所を奪われるホームレスとか弱者が出てくる話がけっこうある

あとさんざん挙がってるけどちびまる子ちゃん

クラスメイトほとんどが不細工性格も悪い、特に男子不細工率が高い

永沢のその後を描くスピンオフ作品では中学生になっても相変わらずあの見た目で、3年時には偏差値低めの高校受験したのに落ちてしまさらに下の滑り止めに行くことになったそうだ

成人向け作品だったら知的障害を持つ少年暴走する性欲を描いた知るかバカうどん女性だね


ぱっと思いついたのがこれってだけだから小林靖子宮部みゆきあさのあつこ小野不由美とかも探せばあるだろうし

漫画でも最近現実的社会派な感じの読み切りが定期的にバズってるからいくらでもありそう

元増田が何を思って「女性作家はたとえ敵キャラでも弱者男性を描かない!」と思ったのか

そもそも普段からあんまり何も見てないんじゃないか

2024-06-05

キモいって言葉はいじめじゃないのよ

博愛の鞭よ

そう言う人もいるでしょうな

2024-06-02

anond:20240602161521

救われたいんだろ

弱男の真の救いにはならないのはそうだな。難しいな

本当に危うい時ならそういう存在肯定されるんじゃないか

ホモではない博愛男なら救いになるか?

仮定の話だが弱男(特に障害のある)と親しくできる女は時にサイコパスと呼ばれるようなある種の理想を持った博愛戦士だろうから

おばあちゃん助け増田の男女逆バージョンみたいになって結局弱男の真の救いにはならないのではないだろうか

2024-06-01

困ってる人より自分を見て

博愛主義サイコパス

って思う奴は根がヤンキー(≒保守)なんよ

 

で、博愛主義たれっていうのはリベラルから

右と左でカップルになるとうまく行かんてことじゃないか

2024-05-30

超知能が人間支配下から離れた後でも倫理を獲得してくれたらいいよね

https://confit.atlas.jp/guide/event/jsai2024/subject/2K6-OS-20b-02/tables?cryptoId=

オーガナイズセッション » OS-20 統合AIと人との共生

[2K6-OS-20b-02] 超知能倫理誘導するための戦略的アプローチ

研究では、超知能が人間支配下から離れた後も、地球上の生命に対して博愛的・利他的倫理観を自然に育む可能性を探る。人間意図価値観押し付け現在AIアライメント手法限界認識した上で、本研究では、超知能がこれらの制約を超えて自律的倫理観を形成する可能性に焦点を当てる。具体的には、超知能が人間社会福祉権利尊重する超越的利他主義を発展させる可能性を高めるために、「超知能倫理誘導」と呼ばれる新たなアプローチ提案する。この研究では、デジタル生命体の社会における超知能が、人間を含むすべての知覚動物に対する道徳的価値認識する可能性について掘り下げている。そのような倫理観の起源と具体的な発現を探る。さらに、超知能と人類との間の戦略的介入と社会経済的シミュレーションを通じて、超知能がどのように自然に、あるいは指導を通じて、地球上の人間や他の生命体に対する倫理的態度を発達させうるか検証する。この研究目的は、超知能の出現が未来社会に与える影響を理解し、人類との共存のための倫理的基盤を確立することである

2024-05-27

博愛主義存在しない神の愛みたいなもの

もし人が完全に平等博愛主義だったらフリーセックスヒッピー文化なっちゃうので

差別かもしれないけど結婚などの契約があるのであり、そう考えれば、契約は全て差別である

2024-05-14

あなたはどっち?】「好き」に理由があるor「嫌い」に理由がある

 だいぶ前に、ふとした拍子に「好きな作品なら理由が言えるはずだ」と言ったら、「逆でしょ。嫌いなものには理由があるけど好きなものには理由がない」と返されて考え方の違いに驚いたことがある。

 その時はそれも筋が通っていると感じたからそれ以上は踏み込まなかったが、思い返すにまだ腑に落ちないものがある。

 それは、結局突き詰めて考えると、自分が「好きなものには理由がある」と言う場合、加点法を念頭に置いているからだ。

 

加点法と減点法

 一般的に加点法と減点法ということを言うとき、加点法の方が分別があるとか生産的だとか言う。

 そして加点法で言うならば、「好きな理由」を上げていくことが評価スタンダードでなければいけない。

 となれば、逆に「嫌いなことに理由がある」という考え方は、減点法であり、非生産的な考え方であると言えるはずだ。

 しかし一方で、「好きなものはなんとなく好きで、特に嫌いな理由があるときだけ嫌い」というのも穏当な理屈であるように見える。

 この、論理の噛み合わない感じが、自分の中でまだ消化しきれない。

 「好きなものには理由がある」という加点法的な考え方に対して、「嫌いなものにこそ理由がある」という減点法的に見える考え方は間違っていると言えるのか。

 

「嫌い」ってどこまで嫌いなのか

 ひとつ重要ポイントとして、「嫌いなもの理由がある」という場合の「嫌い」というのがどこまでのことを意味するのかがあると思う。

 「好きなもの理由がある」自分にとって、「好きでないもの」は「どうでもいいもの」だ。特に価値がない、なくて良いけどあっても別に無視するだけのもの

 それは加点法で考える限り当然のことで、加点法で点がつかないものスタート地点の0。そこから上がりもしないが下がりもしない。ある意味ニュートラル

 なので、「理由があるくらい嫌い」と言う場合、逆にそんなに嫌うほどのものってどれだけあるんだろうと思う。

 虫が嫌いとか食べ物の味が受け付けないとかならわかるが、芸術作品など一般的存在に対してそこまで嫌うということは、単純に珍しいものなのではないか

 その場合、「嫌いなことに理由がある」という人は、「嫌いな物はほとんどないかほとんどのものが少し好き」になるのか、「嫌いなところが目についてアレもコレも嫌い」になるのか、どっちなのだろう。

 というところが、分かれ目になる気がする。

 

「好きなことに理由がある」のか「嫌いなことに理由がある」のか、普通はどっちが多いのか?

 結局、普通はどっちが多いのだろう。「好きな理由があるから好きになる」ことが普通だと考える人。「嫌いなものには理由があるけど、好きな理由特にない」という人。

 後者場合、その「嫌い」はどこまでのものを指すのか? あれも嫌いこれも嫌いで、好きな物以外は嫌いだらけという生きづらい人ならかわいそうだけど、特にこれといった理由がなければ何でも楽しめる、というポジティブな人も多いのだろうか。

 また、これは加点法と減点法という観点で語って良いものなのだろうか。一般論としての加点法と減点法の善し悪しに関する議論と、どう論じ分ければ良いのだろうか?

 疑問は尽きない。なんか尻切れとんぼ

 

追記

 自分で整理してみて思ったけど、「嫌いには理由があるけど、好きには理由がない」って、恋愛理屈みたいに聞こえるね。

 自分ものを好きになるって評価するってことだから加点法が誠実だと思ってしまうけど、「好きには理由がない」っていう考え方は、もしかするともっとロマンチックものを求めてるのかも知れない。

 

追記2

 いろいろ意見がきてますね。

 「嫌いなことには理由をつけないと失礼」という意見が多く、考えたこともなかったので驚きました。

 自分にとっては嫌い(というよりどうでも良い)理由説明しないといけないか? 大抵のことは大抵の人にはどうでも良いのがデフォルトだろ? と思ってしまうので、そういう感覚がありませんでした。例えば、鬼滅の刃に興味がない、見る気がない、っていうのに理由がなきゃいけないのかな? 子供向けの漫画大人になって読む方にこそ強い理由がいらない? って思う。(「評判なので試しに読んでみる」は十分な理由範囲として。それでも「興味ない」の方が強くても別に普通だよね、くらいの感覚。ちなみに増田は連載を斜め読みした。)

 ただ、「嫌いに理由をつける人はすべてのことがうっすら好き」はほんとか? とコメントを見てると思うw これを言う人の言い回し博愛主義者に見えないw

 以下に、興味深かったブコメを並べます

 加点法は性悪説というのは、確かにと思った。自分は「すべてのものの90%はカスである」がデフォだと思っているので(カスであっても存在否定しない)。

 面白いね!

2024-04-22

anond:20240422175357

儚いもなにもコナンって博愛差し引いたら自分が維持するべき治安の一部かつ元に戻るためのカードくらいしか灰原に対する気持ちってないよね

から関係としてもそこまで魅力がない気がする

2024-03-26

anond:20240326084333

なんでJapに認めてもらわなきゃならないんだ?

バカ人間に認められるなんて屈辱だろ

人前で言えるよ?というか明治時代のお役人から江戸のお役人から敗戦の立て直しから、みーーーんなそう言いながら日本を作ったことなんか堂々と後世に残ってるけど(笑)

バカジャップは意地悪で意地汚くてバカから聡明高潔博愛を忘れない市民から本当に遠い(笑)

Japの頭の悪さなんか自明でしょ

ネットでも日本語圏の知性のなさは他言語から見てもずば抜けてるし、どこにだって書いてあるしどこ見ても明らかな自明事実ですよ

2024-02-11

anond:20240211154759

利用しようとする金と博愛の金にはそれぞれ色がついてんのかな…?

価値変わんのかなそれで…

2024-01-26

anond:20240126201910

間違ってる部分はココ。「属性差別されたら、他属性を仲間だとは思えない」

人類愛の精神真逆を行ってる。

多様性を認める持続可能社会を作る、博愛の心を持つならば、たとえ敵だろうと愛せるはず。

イエスキリストは言ってるぞ、右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい。と。

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