はてなキーワード: 健全とは
「財政」の圧迫は直接的には問題じゃない。 (間接的には問題がある。)
生活を豊かにするのは物やサービスであって、物やサービスを生産する能力、行き渡らせる能力が社会にどれだけあるかの問題なんだ。
財政だけを健全にすれば結果として医療業界の規模は縮小することは避けられず、医療の能力が低下するということが起こる。
つまり金を出してもサービスが得られないか大幅な高コストになりうる。
(アメリカを見ればわかるが医療を市場に任せるとコストはとんでもない高止まりする。)
これは厳しい規制では押しとどめられない。 実際にコストが掛かるものを規制で押しとどめれば単に経営が成り立たなくて潰れるだけだ。
公的な資金のバックグラウンドがないと現在の医療水準・コストを維持したままで窓口負担は十割というようにはできない。
やるとしても負担割合を徐々に変更するなどして軟着陸させるべきだろう。
要するに、公的医療保険制度をほぼ廃止し、10割負担を基本としたうえで、民間主導の医療サービス市場を整え、必要に応じて超限定的な公費支援を行うモデルは、財政の健全化と国民の健康意識向上を同時に狙える。
日本の通貨システムと外債に依存してないことを考えれば全く必要がないと分かる財政健全化とかいう財務省のプロパガンダを前提にしてる時点で話にならない。アメリカにおける医療保険の失敗を全く踏まえていない上に目的が前述のプロパガンダと健康意識の向上とかいう極めて曖昧なもので全てがジャンク。
まず、現在の日本における公的医療保険制度をざっくり振り返ろう。
国民皆保険制度という「世界に誇る」仕組みは、確かに戦後復興期から高度成長期にかけて国民の健康と安心を支え、平均寿命の延伸や医療水準の向上に寄与してきた。
しかし、その一方で少子高齢化が顕著になり、医療費は年々増加。結果、国や自治体の財政には深刻な圧迫要因となっているではないか。
誰しも無制限に医療サービスを受けられるなら嬉しいだろうが、それを永遠に続ければ誰かが支払いのツケを負わねばならない。
ここ数十年、その「支払い担当」は次世代に回され、国家財政全体はむくむくと膨れ上がっている。
公的医療保険も、基本的に「定額制食べ放題」のような構造を孕んでおり、国民が必要とする以上の医療を必要以上に消費する誘因にもなっている。
そこで私が考えるのは、思い切って公的医療保険制度を原則廃止し、窓口負担を10割にするというものだ。
もちろん、これが本当に実現されたらショックを受ける方も多いだろう。「病院に行ったら全額自費?そんなの暴論だ!」と。
それは理解できる。しかし、今まで「一律低負担」で医療を享受してきたツケが、今まさに財政を食い尽くそうとしている現状を直視すべきだ。
代わりに、民間保険会社や医療関連ビジネスが各々の健康サービスを提供する。
健全な市場競争があれば、医療サービスの質や価格はある程度合理的な水準に収束するだろう。
もちろん「民間に任せたら、詐欺まがいのぼったくり保険や、ありえないほど高額な医療費が横行するんじゃないか」と不安に思うだろう。
その点は、国や監査機関が厳格なルールや罰則を設けることで、徹底的に対策できるはずだ。
民間への委託は、あくまで国が無法地帯を放置するわけではない。
むしろ現行よりもしっかりした規約を課し、悪質な業者は即刻市場から退場させるような統治を目指す。
たとえば、これから社会を支える子どもたち、経済的余裕のない家庭など、真に手を差し伸べるべき領域には公費負担を限定的に残すべきだ。
これは「未来への投資」であり、子どもたちが健やかに成長すれば、将来の労働力やいのべーしょんの源泉となる。
広く薄くばらまくのではなく、超重点的に「ここぞ」という点に絞る。
肥満対策に悩む人がライザップを使うように、「本当に必要なところ」に公的資源を集中投下すれば、効果的かつ財政効率的だ。
財政面でのメリットは明確だ。まず、国民皆保険的な一律負担軽減が薄れることで、公的支出は大幅に縮減できる。
国や自治体が負担していた莫大な医療費が下がれば、赤字国債を積み増し続ける現状にもブレーキがかかる。
財政改善は国の信用力向上にもつながり、長期的には金利コストの低減や資本市場の安定にも寄与するだろう。
加えて、民間保険や医療産業が自律的な市場として成長すれば、関連ビジネスからの税収増も期待できる。
要するに「国が全部面倒を見る」状態から、「国は最低限、民間が活躍できる健全な土台を整える」にシフトすることで、財政はより健全性を回復していく。
もうひとつのメリットは、国民が自分の健康状態により高い意識を払うようになる点だ。全額自己負担、あるいは自己責任の下で医療サービスを利用することになれば、人は自然と日常の生活習慣に気を配るようになる。
医療が安ければ気軽に病院に行くが、高くなれば「そもそも病気にならないように気をつけよう」となる。
健康な生活が、結果的に自身の経済的負担を減らす構造を作れば、人々は自然と健康的な行動にシフトするだろう。これは長期的に見れば疾病予防、ひいては社会全体の医療負担軽減につながる。
むろん、「病気は運が悪かっただけ」というケースもある。
しかし、一定割合で生活習慣起因の疾患は存在し、それに対して個人が責任を持つ仕組みは、医療費をゼロサムで考えるよりも健全だと言えるかもしれない。
究極的には、医療が「必要な時に使う最終手段」ではなく、「健康維持・増進のための投資」として再評価されるかもしれない。
要するに、公的医療保険制度をほぼ廃止し、10割負担を基本としたうえで、民間主導の医療サービス市場を整え、必要に応じて超限定的な公費支援を行うモデルは、財政の健全化と国民の健康意識向上を同時に狙える。
さらに分かりやすく言うと、「健康管理はあなた自身の手に」「国はサポート役、でもおせっかいな給仕はやめます」といった感じだ。
もちろん、これは政治的ハードルが高いアイデアであり、一挙に導入することは残念ながら現実的でない。
しかし、増え続ける医療費の前で「国民皆保険は不滅」と唱え続けるだけでは、いずれ破綻が訪れる。皆でもう少し制度について考えていこうではないか。
新NISAは税制上の優遇で、インデックス投資は資産をリスクに晒した上での指標の意味するところへの賛同(往々にして『健全な資本主義社会において経済は成長し続ける』)でしかない。
みんなものごとを複雑に考えすぎだ。
旧NISAなんかみんなでアジア開発銀行買ってたぞ。もっと適当でいいんだよ。
どの期間のスコープで見るか。NISAの性質上、日単位ってのは神経質かと思う。1年ごとの再考(しかも年末で固定されている)が意味のある区切りになる。そこで売りたきゃ売れ。
結局メンタルの話になる。日々気にしていたら狼狽するが、情報収集の頻度は高い方が良いのは確かだ。
損益が確定した時も、それを単なる数値と捉えるメンタルが強みになる。資産をリスクに晒して結果を享受しただけ。数値は今後の判断へのフィードバックになるだけ。損を取り返すことなんかできず、少し減った資産で再び投資判断を行うだけ。結果的に損がなくなって益になる。こともある。
LINEヤフー株式会社の開発部長とされる人物が、自身のSNSにおいて、会社の方針変更に対する従業員の不満表明を「恥ずかしい」と表現したことが波紋を広げている。この発言は、同社が標榜する従業員の心理的安全性への配慮と矛盾するとして、批判の声が上がっている。
問題の発言は、同部長のSNS投稿において、「全く面識のない社員がSNSでブチギレしてるのもめちゃくちゃ流れてくるようになっていて、自社の話なのにSNSで騒げば自分の要望が通るという認識の人が同じ会社にいっぱい在籍しているという事実がかなり恥ずかしい」というもの。この投稿は、会社の方針転換、具体的には出社日の増加に対する従業員の不満がSNS上で表明されている状況を受けてのものと見られる。
この発言に対し、SNS上では批判が相次いでいる。「会社の方針転換で割を食う従業員から不平が出ることぐらい普通のことだろうに、それに対して部長職にある人がこういう言い方をしてしまうの、LINEヤフーという会社は従業員の心理的安全性というものを軽視している会社なんですね」といった指摘や、「本当は上位職ほどこの手の発言には気をつけるべきなんですよね。社外からは「会社としての考え方」と見做されるし、社内の人には「自分の上長も同じような考え方を持っているかもしれない」という疑念を抱かせることになる。会社として何らかの火消しをしないと収まらなそう。」といった懸念の声が上がっている。
さらに、「貴社は人材戦略の中で多様性(相互理解・尊重、議論と対話)を重点領域として挙げていますが、下記開発部長が述べている出社日へ不満を持つ社員へに対する『恥ずかしい』という公開投稿の内容はLINEヤフー社の統一見解なのでしょうか?」と、同社の掲げる理念との矛盾を指摘する声も出ている。従業員による正当な権利行使である労働争議を「SNSで騒ぐ」と矮小化する表現についても、「こんな風に騒いだりするの、普通に考えれば正当な労働争議の一種なので恥ずかしいどころか歴史的に根拠のある正当な権利なんだけど『SNSで騒ぐ』と書くだけで一気にしょぼい感じになるの不思議感あるw」との意見が見られた。
企業において、従業員が安心して意見を表明できる環境、すなわち心理的安全性の確保は、組織の健全な発展に不可欠である。今回の発言は、LINEヤフーという大企業において、管理職の従業員に対する認識、ひいては企業文化の一端を露呈したものとして、今後の同社の対応が注目される。
情報ソース: https://megalodon.jp/2024-1215-2153-27/https://x.com:443/potato4d/status/1867763685189726653
男性向けっていつまでも少女趣味で自分の年齢だけが相対的に上がっていくから冷める人は冷めるよ。当たり前と言うか健全なんだと思う。
ガルパンの母親世代とか成人〜熟女の人気が集まるのはそういう人がいる証拠。実際AVも熟女人気だし。でも世間の大半はあくまで少女趣味が主流だから中々ついていけないんやで。
女性向けは体感でアラサー向けどころか30代のキャラが跳ねる傾向が年々高まってて高齢化を感じるし規制もあって商業BLから男子高校生とか消えたしね。
と言っても編集も何もない、配信から任意の時間を指定するだけで作れる切り抜き動画だ。
そして『推し』と言わせていただくには私の情熱は半端だと思うのだが便宜上『推し』と言わせていただく。
予め……
私には推し配信者が複数いるが、2窓以上で配信を見られるような聖徳太子にはなれない。
推しが同時に配信を始めると嬉しいが何方かに絞って見るしかできない。
しかし、そこに!
推しが切り抜き動画を投稿してくれたので有難く見させてもらった。
ノットフォーミーだった。味がしない情報を詰め込まれたような感覚。
別視点から見た推しには面白い場面が沢山あったのに推し視点の切り抜き動画ではピックアップされていなかった。
私が魅力に感じて推している部分は、推しが見せたい部分ではないのだと寂しくなった。
そんな寂しさは独りよがりに過ぎない。オタクは勝手に楽しませてもらう。
いや……
こんなに面白いのにあの切り抜き動画だけを見た初見さんに「ふーん、コイツってこんなもんか」って思われたら悔しいよ!!
いやこれはあくまで私の感覚で、あの切り抜きが一般的に面白いとされるのかもしれないが!慣れない連日の長時間配信でいっぱいいっぱいなのに頑張って作ってくれたから味がしないんじゃないかななんて可能性も邪推してしまうわけですよ。自分に都合のいい方に考えてしまうわけです。
好きなものが伝わらないのって本当に悲しくて悔しい。
推しが見せたくない部分だったらすまない。
こんな言い訳を書いてる暇があったら切り抜き動画作れたな……でも濫造しても邪魔になるよな……等と、一人のオタクに過ぎない癖に色々考えずにはいられない。
これは違うんだ。結婚生活と深夜アニメは相性が悪いんだよ、単純に時間がバッティングするから。
一人の時は22~27時の深夜アニメ帯って完全に自由に使える時間だし身なりとかも整えなくていいから朝もギリギリまで寝てられるし家族を起こす心配とか全くないけど、
「まともな家庭生活」を送りながら深夜アニメをリアタイ視聴するのは厳しいんだ。とくに婚前にたくさん見ていた人なら。アニメはリアタイでたくさん見るのは習慣化してしまえば割と容易なんだが、「空き時間に見る」だとたくさん見るのは厳しい。
なのでさっき別な投稿でも書いたけどアニメ以外の健全な時間でできるような別の趣味(俺の場合クルマとか)に走ってしまうんだよね。
https://anond.hatelabo.jp/20241211175102
身も蓋もないけどまず大前提として大人になって知り合う対象として漫画アニメが趣味っていう男性は絶対避けた方がいい!!!
私自身もオタクなので同族の彼らに対して申し訳ないんだけど、自分を含めてオタク趣味の人って発達傾向があったり社会性に乏しい人の率が跳ね上がると思う。
だから「趣味がアニメ漫画です」って人を最初の母数にしちゃうと、そこからまともな人を選別するのが非常に困難になる。
なのでオタク趣味の男性の中からパートナーを探すのはやめた方がいい。
趣味がスポーツとか音楽とかだとしてもパートナーのオタク趣味に理解がある男性はたくさんいるし、ヘルシーな趣味を持ってる人の方がこっちの好みにとやかく言わなかったりして接しやすい。
将来の家族としてもそういう人の方がコミュニケーション取りやすい。
全く漫画もアニメも見なくてオタクを毛嫌いするとかなら避けた方がいいだろうけど、今時大抵の男性って「趣味はサッカー観戦です。君は漫画読むのが好きなんだ。俺も鬼滅とか読むよ!」みたいな感じで、最低限の漫画とかアニメに理解ある人がめちゃくちゃ多くないですか?
増田さんはパートナーと一緒にオタク趣味を楽しみたいって気持ちがあるのかな〜という気がしたのですが、さほどオタクじゃない男性でも交際していくうちにこちらの趣味に付き合って楽しんでくれたりすることもあるし、その逆もあったりするのがまた楽しいですよ。
そもそも男性って惚れてくれたら大概のことは受け入れてくれますから…。
「オタクである自分」を好んでくれる男性は意外と同じオタクではなかったりしますから。
https://anond.hatelabo.jp/20241211175102
身も蓋もないけどまず大前提として大人になって知り合う対象として漫画アニメが趣味っていう男性は絶対避けた方がいい!!!
私自身もオタクなので同族の彼らに対して申し訳ないんだけど、自分を含めてオタク趣味の人って発達傾向があったり社会性に乏しい人の率が跳ね上がると思う。
だから「趣味がアニメ漫画です」って人を最初の母数にしちゃうと、そこからまともな人を選別するのが非常に困難になる。
なのでオタク趣味の男性の中からパートナーを探すのはやめた方がいい。
趣味がスポーツとか音楽とかだとしてもパートナーのオタク趣味に理解がある男性はたくさんいるし、ヘルシーな趣味を持ってる人の方がこっちの好みにとやかく言わなかったりして接しやすい。
将来の家族としてもそういう人の方がコミュニケーション取りやすい。
全く漫画もアニメも見なくてオタクを毛嫌いするとかなら避けた方がいいだろうけど、今時大抵の男性って「趣味はサッカー観戦です。君は漫画読むのが好きなんだ。俺も鬼滅とか読むよ!」みたいな感じで、最低限の漫画とかアニメに理解ある人がめちゃくちゃ多くないですか?
増田さんはパートナーと一緒にオタク趣味を楽しみたいって気持ちがあるのかな〜という気がしたのですが、さほどオタクじゃない男性でも交際していくうちにこちらの趣味に付き合って楽しんでくれたりすることもあるし、その逆もあったりするのがまた楽しいですよ。
そもそも男性って惚れてくれたら大概のことは受け入れてくれますから…。
「オタクである自分」を好んでくれる男性は意外と同じオタクではなかったりしますから。
それは完全に小売に問題があるって話だよな
小売店が転売ヤーと結託して商品を横流しすることは、一般的に以下の理由から認められていません。
* 契約違反: 小売店は、通常、メーカーや卸売業者との間で、一般消費者に対して商品を販売するという契約を結んでいます。転売ヤーへの横流しは、この契約に違反する行為となる可能性が高いです。
* 不当な利益獲得: 転売ヤーは、入手困難な商品を買い占め、高値で転売することで不当な利益を得ようとします。小売店がこれに協力することは、消費者を欺き、市場をゆがめる行為として問題視されます。
* 公正な競争の阻害: 転売ヤーとの結託は、他の小売店や消費者に対して不公平な競争を生み出し、市場の健全な発展を阻害する可能性があります。
* 独占禁止法: 転売ヤーとの結託が、特定の事業者に不当な利益をもたらし、競争を制限する場合には、独占禁止法違反となる可能性があります。
* 不正競争防止法: 転売ヤーとの結託が、虚偽の表示や不正な競争手段に該当する場合には、不正競争防止法違反となる可能性があります。
* その他の法律: 場合によっては、契約法違反、詐欺罪など、他の法律に抵触する可能性も考えられます。
なぜ横流しが行われるのか
* 高額な買取り: 転売ヤーは、小売店が販売するよりも高額で商品を買い取ることを提案することがあります。
* 在庫処分: 売れ残りの商品を早く処分したい小売店にとっては、転売ヤーとの取引が魅力的に見えることがあります。
* 人手不足: 小売店が人手不足で、商品管理が徹底できていない場合、横流しが行われやすくなります。
横流しを防ぐために
* 厳格な商品管理: 商品の出入庫を厳密に管理し、不正な流出を防ぐ必要があります。
* 従業員の教育: 従業員に対して、横流しの不正行為がいかに重大な問題であるかを周知徹底し、不正行為への関与を防止する必要があります。
* 取引先の選定: 信頼できる取引先と取引を行い、不正な行為に関わる可能性のある取引先との取引を避ける必要があります。
* 内部告発制度の導入: 社内で不正行為を発見した場合に、安心して報告できるような仕組みを導入することが重要です。
まとめ
小売店が転売ヤーと結託して商品を横流しすることは、法律に違反し、社会的に問題となる行為です。企業として、倫理的な観点から、このような行為に関わらないことが重要です。
補足
両方働いて、完璧主義を求めない家事をすればいい。技術も使ってね。日本人って何で乾燥機や食器洗浄機、自動調理器、食材の配達使わないんだ?あと、家事だって自分で全部やるのが間違いで、月1、2回くらい外注して、手分けしてやって貰えばいい
教育を受けた女性がずっと自宅に引き籠るのは社会として不健全だよ。あと、パートタイムとして作業だけするのも良くない。時短勤務でもいいけど、正社員として能力に見合った仕事をすべき。
この状況に対処するためには、問題の背景とコミュニティの特性を考慮しながら、以下のようなアプローチを検討できます。
行動規範の制定
コミュニティの性善説に基づく運営が問題の要因となっているため、行動規範やポリシーを明確に制定し、以下を含むガイドラインを作成するべきです。
攻撃的な言動や嫌味、中傷、侮辱的なコンテンツの投稿を禁止する。
不適切な行動があった場合の具体的な対応手順(警告、投稿の削除、一時的な参加停止など)。
モデレーターの設置: 問題行動を監視し、必要に応じて投稿を削除したり、警告を発する役割を担うモデレーターを設置します。
AIツールの導入: 投稿内容をチェックするAIツールを使い、攻撃的な投稿を検出しやすくします。
教育と対話: 生成AIのハルシネーションや利用ルールについての教育を行い、彼が問題点を認識できるよう試みる。
段階的な対応: 初めは警告や注意喚起を行い、それでも改善が見られない場合は一時的な参加停止を検討します。
コミュニティの再建
現在のコミュニティを一旦停止し、新しいプラットフォームや規範のもとで再出発することを検討する。
問題行動者を除外した新規メンバーの募集や、健全な環境づくりに注力する。
早期介入の重要性
攻撃的な言動を「流す」文化が問題を長引かせた可能性があります。以下のように早期対応が必要です。
初期の段階で嫌味や攻撃的な投稿に対して毅然とした対応を取る。
誰もが不適切な行動を取り得る前提で、規範やルールを整備しておく。
初期段階からモデレーション体制を整え、問題行動者に依存せず健全なコミュニティ運営ができる仕組みを構築する。
生成AIは有用ですが、その誤用によって問題が拡大しました。以下のような教育が重要です。
問題がすでに深刻な段階に達している場合、以下の選択肢を検討します。
新しいコミュニティの立ち上げ: 既存のコミュニティを放棄し、新たなメンバーと共にゼロから再構築する。
既存コミュニティの再生: 問題行動者の排除や、新しいルールの導入を行ったうえで、新規参入者を積極的に迎える。
コミュニティ運営は常に人間関係や技術の進化に直面します。このような経験を通じて、より強固で健全な運営方法を学ぶ機会と捉えるのも大切です。
じゃあアジア人が肌を黒く塗ったからってそれもまたやりたいだけじゃん
でもそれで納得はされないだろ
描いてみれば?じゃないよ、なんでわざわざ自ら叩かれに行かなあかんねん
インスタもFilmarksもnoteも、いいねが付いたと思ったら大手のアカウントが自分の投稿に誘導してるだけみたいなのが大半で素人がどうやって健全にアカウントを育てていけばいいのかみたいな悩みに陥る
人の容姿でしかものを見ることができない人たちを啓蒙して、社会契約説を説明したり民主主義の重要性を説き、全ての戦争とジェノサイドに反対して、より良い世界へと人類のステージを高めるのに
実際には顔のいい人たちは顔が良いことで安心してあまり精神を発達させないまま不特定多数におっぱいを見せたりして金を稼いで満足してしまうよね
イケメンやおっぱいやセックスは慰安になってもプーチンやネタニヤフのような為政者の抑止力にはならない
イケメンやおっぱいってすぐ為政者に操られて民衆の力にならないよね
顔がいい人たちの精神も顔くらい素晴らしければ頭の悪い人たちもそれに従えられるのに
意思決定の権利は有権者にあり、意思決定の結果は絶対的に正しいものである。
この世に絶対に正しい真なるものがないと思ったら大間違いだ。意思決定は絶対的に正しいものなのである。
例えば斎藤知事の再選について、アンチの方が言うのが、SNSにはデマも多く、斎藤信者and支持者はそのデマ情報に影響されて投票行動をしたという「アンチ型の紋切型の固定観念」だ。
だが、例えばアンチをテレビメディアに影響を受けた人物だとすれば、これもまたテレビの発するデマ(偏向・『偏情』報道)を信用していたがために、アンチ行動に走っている者だという事になる。
何が言いたいかといえば、どちらも共通点は自分では意思決定をしたと思い込んでいるが(何かある否認すべき)メディアの情報に乗せられている典型的な人物像だという事だ。
だが、この主張自体に問題点があって、それはそれがどちらであるにせよ主張者の想像上の話でしかないという事だ。メディアに現れた結果に対する解釈でしかない。
しかし、実際の民意はそんな所で動くのでは無い。メディアの情報が事実だろうがフェイクだろうが、その情報を元に判断をするのは有権者である。情報の信ぴょう性を判定する訳でも、与えられた情報により何かを選択する訳でもなく、有権者自身がそうした情報環境の中で意思決定をする。
何が正しいか考えた結果が常に意思決定の答えである。それなら間違える事はあるだろうか?無い。無いと断じて言おう。ここに信を置かないことが間違いで不信の始まりである。それにそのプロセスは永続的に展開するのだ。
だから、間違いなんてものもなく、正しいものがあるなんて事もない。存在するのは常に疑問と肯定だ。
この基本状態をまず徹底的に民主主義者の腹の底まで沁みつけること。
会話はそれからよくやく成り立つ。
この成人たちの政治的な意思決定の方法に現在民主主義的形式を用いている(他の方法でも構わないが、これは神の用意した器みたいなもので変えられず、変えることに意味がない公式的なもの。自然の変動により変化する。)とすれば。
そう、目的は方法の千差万別に依らず原理的に一つであり、同じなのだ。
それは意思決定である。究極根底的、そして普遍的に意思決定のプロセス自体が目的であり、常に意思決定は下される。意思決定の永劫回帰が人類的な目的であって、社会的な各制度はその都度の決定の方便たるに過ぎない。
だから、何にせよ肯定的であるはずの意思決定の結果を、その意思決定性の時点から否定すると反発が生まれる。それは人格否定と同等だからだ。
それを前述の考えは犯している。もしメディアが反感を生んでいるとすれば、そのような態度を取ってはいやしないだろうか。
特定の方向に何かを引っ張ろうとしたり誘導したりするような事は役割とも違えば、健全な世論形成に寄与する目的に適った事でもないのだと思う。