はてなキーワード: ラフとは
というか、宝具5レベル120アペマフォウマを完全体とか勝手に決めつけてたのがそもそも間違いだった
アペンドクラス追加の可能性はステータス欄見てれば分かることだった
復刻ガチャの回転が悪いから切られた施策だってのは生放送見てれば分かるしあれがうまく行けばそれこそ間延びしない第3部の可能性、ないしFGO2開発もじっくり取り組める資産になりえたが、実際は推し活と言う名の乞食というかラフムの群れが騒ぎ立てる始末
インフレしない環境で完全体でサ終するまで推しつえーしたいとかバカバカしくてやってられんだろ開発は
とっととインフレして宝具5旧キャラにトドメ刺して新しい時代を始めるしかない
そいつらは宝具8にする気なんかないんだから将来的にはカネを落とさない
現状レベル150の道もなくなったと見ていい
ベルリンの、秋だった。
穏やかで大きな家が立ち並び、お行儀よくベンツが玄関先に停まっている。
道路は日本における未開の地、名古屋のように広く、礼儀正しく整備されている。
空がひらけている。
彼は相変わらず、といってもその時は初対面だったが、眉尻の下がったあまりにも優しい世捨て人のような風貌で、パンクな黒いパーカーを着ていて、手をあげ、私にやあという合図をした。
彼はたぶんそれをどこかで気にしていて、同時に気にしていないと私は思う。
今、二人が出会ったことを思い起こすと、その時から3週間は経っているのに、胸が張り裂けそうで、ただ喧しいくらいの大きな声で「アイシテル」と叫びたい。まるでサンボマスターのボーカルの人みたいに。愛してる、フロ。愛してる、愛してる、愛してる…。
そのくらいに彼は衝撃を、私の人生を大きく変えた人だった。
彼は本当に誠実だった。真摯で、当然ヨーロピアンさながら紳士で、真剣すぎるくらい真剣で神経質だ、人生の事柄に対して。
愛している。
私がアプリで彼に寝ようと誘った。
彼は、後から聞いた話でいえば、ただ友達として出かけたかったので、面食らったと言っていた。
それでも彼は、パンクな骸骨の描かれた、着古した彼の黒いパーカーを着てやってきた。彼は27歳なのだが、そのラフな歩き方、なんて可愛らしいんだろう。
さて、なぜ彼がそんな尻軽な女の面食らわせてきたメッセージに応じてのこのこやってきたかといえば、もう簡単だった。答えは、「僕は日本の女の子が本当に本当に好きだから…」だそうである。幸あれ、フロリアンの天国。
そうして私たちはルドウの夜に邂逅した。今は彼を深く愛している、しかし、私はその時彼を愛していなかった。
暗い、暗い地方の闇夜だった。小さいガス灯を思わせるオレンジの道路灯が目に滲んだ。幼いころ、行楽から帰る首都高速の、父の運転する後ろからまなじりに涙を溜めて眺める首都高の街灯みたいに。私は、ただ地方のような広く、文化的に浅く、人の暮らすただの町にいた。(ルドウは正しくは村だ)
そしてベルリンのマツモトキヨシであるDMドラッグストアの前にいた。23:45。シャッターは降り、背後にはバス停が寂しく光り、完全に町は休息して沈黙していた。
今、私の股から男の精液が零れ落ちる。私は先ほど過ちを犯したばかりだ。さあ、今、書かなければ。私を、ルドウにこのパソコンが連れて行ってくれる。繋ぎとめて。フロリアン、フロ…。しかし不義を犯した女に彼を呼ぶ資格などない。ああ。
そうして私たちは、ルドウを歩き始めた。
散歩がよかった。そしてそれを伝えた。
彼は非常に控えめな口調で自分が散歩を愛していることを告げた。
私たちの英語は拙かった。フロリアン、あなたはドイツ人なのにね。(ドイツ語と英語は非常によく似ている。)
愛している。ああ、繋ぎとめて…。
さて、我々は拙い英語のようなものを駆使し、日本について話した。彼は日本の庭園が好きだと告げた。
侘び寂びの話をした。
ルドウの秋の道が流れていく、私たちの歩が進む度に。私は非常に感嘆の声を上げ、何度もルドウという町を称賛した。
私たちは寝た。
そして寝た男女の例によってピロートークをした。
翌朝私たちは新しい白い朝、ルドウの退屈さを前面に押し出したみたいな住宅街の朝を歩き、彼はその時に私に伝えた、ルドウに生まれたんだ、と、そう言った。
そうだ、いい調子だ。パソコンとキーボード。そうだ、私たちは寝た。
我々は非常にアニメの話で意気投合し、彼は私を気に入った(ように見えた、少なくとも。)
そしてふっと、道が交差点になったところでフロリアンが言った。僕の家はここから歩いてすぐなんだ。
私は彼のお眼鏡に適ったようだ。喜んでお受けし、我々は本格的にルドウの住宅地の画地に割き入りこんでいった。
彼の家は普通に平屋でびっくりしたのを覚えている。あ、普通に実家?!と。
部屋に上がる。玄関にハリウッド映画で見たアメリカの居間のようなものが広がっていて恐縮した。似顔絵がある、おそらくフロではない誰か家族の…。バラ。活けられている。奥に見える暗い、秩序と富を感じるキッチン。
フロはいきなりキスをするようなことはしない。彼は真摯なのだ。
そのため我々はお馴染みのオタク的ゲーミングPCの前に、ゲーミングチェアによっかかり、当たり前にYouTubeを広げ、検索語句を伝え合い、タイプし、そして、たまに肘を触れ合わせ…。きゃあ。修学旅行のイケてる男女みたいだ。ははは。
そしてやっぱりときめいてしまう。あなたを愛している。好んでいる、かな、正しくは。
話はお互いの好きな音楽ジャンルの話になり、移り、成り、そして宴もたけなわになった。彼はふとベッドを見、ベッドに腰掛け、私はベッドにあったぬいぐるみを彼から受け取り、ぬいぐるみの鼻で彼の鼻にキスをした。彼は大変可愛らしく笑い声を立てた。ふふっ。そう、顔は笑顔だった。ああ、フロリアン。
そして一度ハグし、それから…。ああ、私は自分の取ったアクションしか仔細に書いていないではないか。
フロリアンには強い、強いエンパシー(共感性)がある。私は共感する力はとても弱い。
おそらくフロリアンだったらもっとこの文章を違う風に書けただろうなと思う。しかし、私は書いている。今、私は書いているのだ。
トラウマが目の前を歩いてよこぎる…。垂れゆく精液…。ああ、ああ。嘆かわしい。
しかし私には私の視点でしか思い出すことはできない。恐縮だ、ご容赦あれ。
私たちはそ…っと、本当に自然に、風のように、しかし照れくさく、春風のように、期待を孕んでキスをした。直後めちゃくちゃ口臭が気になって、私から頼み込んで歯磨きを二人して始めた。なんて滑稽な。
満を持してキスをする。交わされる腕。彼の口元は本当にふんにゃりと湿っていて心地が良く、性感において気持ちがよかった。要はキスがうまい質の口に生まれついていた。
彼は全身全霊をキスという言語で伝えるかのように私を愛した。本当に、驚異的な宇宙が彼の中と、二人の間にこだましていた。
そして私が横たわりたいと言った。
二人は横になった。フロリアンが私にまたがり、彼が心をキスで満たし、伝える。私は口臭を気にしながら、少しづつ応える。息が上がっていく。
彼は自分から私の服を脱がせなかった。なぜかはこうして今になっても分からない、不可思議だ。
しかし彼は私の背中にそっと手を差し入れ、円を描くようにさすった。私は感じた。
我慢ができなくなるまでそれは続いた。
卑怯な言い方だったと思う、だがまあ、私は問うた。何かしたいことはない?あなたがしたいこと、なんでも、私は叶えたい。
すでにその時彼のことを大分好ましく思っていた。
服脱ぐ?と彼は言った。愉快な話である。
私がオーダーし、彼が私の服を脱がせた。スカートとパンツは自分で脱いだ。
ああ、私はとても眠い。
寝ようと思う。
私たちは愛し合った。
そして翌日の飛行機でももう何もかもをかなぐり捨てて彼を、おそらく彼も、昨夜ってやつを反復した。舌で、心の目で、何度も、何度も。何度も何度も。
私は、もう彼に恋に落ちていた。
そして私は彼に付き合いたいと迫る。
彼は私に愛を返そうとし、しかしいろいろな私の自分勝手さに嫌気がさす。
私は自分を見つめなおす。
私の新しい、喜ばしい生が彼の作品として私が生き続ける間続く。
彼に連絡先をブロックするように話し、それは実行される。
私、男友達と寝る。
でも、おいしいものを食べて、生きていくよ。あなたが生命をくれたから。
愛してる。
完
俺の中ではバイファムでやられた
偉大なるメカデザイナーだ
でも決定までのラフなんかを見るとだいたいどれも紆余曲折あって
ああこれ自分を殺してとにかく相手の要求をこなすだけの本気の職業デザイナーなんだなと感じるようになった
客の要望についてクソダサデザインの要求されることやとにかく題字を大きくとか料金をもっと目立たせてとか
高い紙質を選べないから素材集から高級な紙の写真を背景に敷いてとか箔押し風に見せてとか
そういうクソダサ要求とわりと接してきて
大河原邦男もそんな気持ちだったのかなどうだったのかなと考えることも出てきた
同じだったとしたらラフの初稿付近が多分多少気持ちがこもってるデザインなんだと思う
修正を重ねるごとにだんだんクソになっていくデザインを見て校了の頃にはこれの作者が俺なのはちょっと恥ずかしいかもって
全然知らんけど
むかしむかし、銀河系の片隅、砂漠の惑星タトゥイーンにルーク・スカイウォーカーという若者が住んでいました。彼は日々の平穏な生活を送りながらも、どこか冒険に憧れる心を抱いていました。
ある日、ルークはトスカン・レイダーに襲われていたドロイド、R2-D2を助けます。その中から投影されたホログラフには、オルデランのレイア・オーガナが映し出され、「銀河の平和のため、あなたの助けが必要です。惑星オルデランへ来てください」と訴えかけていました。
ルークはミレニアム・ファルコンの船長ハン・ソロとその相棒チューバッカの助けを借り、帝国の追撃をかわしながらオルデランへ向かいます。到着したオルデランでルークを迎えたのは、優雅で知的なレイアでした。彼女はルークを導き、フォースの神秘を教えます。
「フォースは全ての生命と宇宙を繋ぐ力。あなたはその素質を持っています。しかし、この力を使うには代償が伴います。フォースに目覚めることで、あなたの知る時間と世界は大きく変わるでしょう。」
ルークはフォースの力を得るために訓練を始め、ついにその能力に目覚めます。
フォースの力を用いたルークは帝国の脅威を退けることに成功しましたが、タトゥイーンに戻ったとき、彼が知る世界は変わり果てていました。時間が大きく進み、彼の家族や友人はすでに遠い過去の存在となっていたのです。
それでもルークはフォースと共にあることを受け入れ、新たな使命を胸に銀河へ旅立つのでした。
この物語の教訓は、「Droid」という名称は商標登録されていることです。
ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.
増田達の言うリベラルやフェミニストと、実際に交流のあるリベラルやフェミニストの像が全く一致しなくて、誰の話をしているのか分からなくなる。
増田:リベラルとフェミニストは漫画やアニメを目の敵にしている
リベラル/フェミニストの友人達:会うと最近のおすすめ漫画やおすすめアニメの話をする。ただその際に、ジェンダー観やマイノリティ描写のよさは重要視される。
フェミニストの友人達:男性も含め貧困問題やホームレス排除問題、不当な逮捕・勾留の問題などに意識的で(それが女性やマイノリティにとってはより厳しい問題だからと言うのもあるけど)、男性も含めて貧困者支援に参加したり、多くが男性であるホームレス達の権利を訴えてたりする。
増田:Xで男叩きをしている。
リベラル/フェミニストの友人達:仕事の合間に互いに連絡を取り合って読んだ方がいい本の情報を共有したり、デモやパレードに参加したり、勉強会をしたり、広まって欲しいけど売れそうにない本のクラファンをしたりといった運動をしている。マイノリティは就職が困難なことも多くてあんまりお金がない人が結構いるので、みんなでカンパしあったりして頑張ってる。
友人達もXとかのアカウントは持ってるけど、大抵嫌がらせやウザ絡み(自分も含めて、男性ユーザーから局部写真を送られたり、レイプやその他の暴力をちらつかせた脅迫DMが突然来たりする)が嫌で、もうあまり見なくなっている人がほとんどだし、増田達の言うような人々もいるのはいるのだろうけど、Xとかで煮詰まった少数の変な人達なのではないかと感じる。
漫画のネームって実際は絵コンテとか下書きと呼ぶ方がふさわしいよなと常々思う
なぜネームと呼ぶんだ
とりあえずwikipedia見るか……
語源は英単語「name」の「指定する」と言う意味で、写植の書体やQ数を指定するために、台詞を事前に抜き出しておく必要があったところから。つまり、個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業が本来の「ネーム」であり、そこから台詞そのものをネームと呼ぶようになり、ネーム作業の効率化のために事前に用意するようになったコマ割りしたものにラフな構図や台詞だけを描いたものまでもがネームと呼ばれるようになっていったのである。[要出典]
[要出典]か……
マンガの「ネーム」はいつから描くようになったのか? - Togetter [トゥギャッター]
先人のまとめがあった
1969年頃、「若草」で知り合った年上の漫画家志望者たち(担当さん付いてる)は、いつも編集部にネームを持って行ってました。当時の少女雑誌編集部はどこもそうだったかと。私は70年(中学生です)に別マ編集長に「次はネームで持ってきて」と言われました。
『石ノ森章太郎のマンガ家入門』(1965年)にもストーリーマンガを描く準備として、プロット→シノプシス→コンストラクションときて、コンテ(今でいうネームに相当)を作りましょうと書かれてますね。「物語の細部をかきこみ、コマわりまで完全にしましょう」「めんどうなようですが、この段どりが、もっとも重要なのです」
昔だとやっぱりコンテって呼ぶケースもあったんだな
用例として信頼できそうなのはここらへんか
本来のネームである「個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業」は今もやっているのかな
詳しくない
死んだ概念かもしれない
複数人で分担するからこそ指定する必要があり、ひとりで作業が完結するならネーム(真)指定は必要ない
デザイナーとかが活躍する業界の仕事とか業務の流れを全くイメージできない 門外漢すぎる
生きている概念だとしてもネームとはもう呼ばないのかもしれないな
こういう「よく考えると何故そう呼んでいるかわけわからん名前」の語源を調べるの大好き
second(秒)とか なんで2ndが時間の単位やねん、みたいな
おわり 日記
Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。
なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。
これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AIが存在するこれから先の未来に不安を抱いている絵師に向けたものであり。
小説家界隈に住む私が、実際にイラストを勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。
これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。
ただ単にオリジナルのイラストを量産せよ、という意味ではない。
あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間に認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターのイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。
乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。
Vtuberのママ(キャラクターデザイン)を想像してみてほしい。
だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。
なぜ、絵師はオリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。
絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?
むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。
だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。
ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。
(以後、市場や、顧客、マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)
そして、私が見るに絵師も小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。
その違いは
『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。
この一点に尽きる。
誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合「作品」を求めていない。
絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。
(一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)
この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。
例えば、ある無名の絵師がイラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。
その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。
だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものがマネタイズの中心にはならないと思う。
あってせいぜい、短期的な限定グッズのデザインになる程度のはず。
おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。
だが、小説界隈は違う。
企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。
2003年にスニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在も市場に流通し続けているのが代表的な事例だ。
受賞した作品を脇に置いて、その出版社の編集が提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家側からはあまりいい印象は持たれないだろう。
つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。
「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で
「印刷、流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)
つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。
さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。
ここで一旦、生成AIの話に戻そう。
『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。
また一つ具体的な事例を挙げよう。
かつて、「ハリーポッター」シリーズを学習したAIにオリジナルの「ハリーポッター」シリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。
もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法は容赦なくこの第三者を断罪する。
では、それを避けるためにキャラクターの名前をオリジナルに変え、タイトルもオリジナルのものに変えて販売したならどうか。
ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。
書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ、無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。
むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。
「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。
「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法の領分になるが、特許の理念は「知財でビジネスを支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。
これまでの話を統括すると
・現代の絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。
・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護はアマチュアに優しくない。
これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。
そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか。
という話だ。
企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係性から、企業が「自社製品をあなたのオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?
仮に企業がお金をケチって生成AIでそのオリキャラを勝手に使えば、容赦なく著作権法で断罪できる関係性になる。
(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会でイラスト集を売っている人たちで、後者はお絵描き系配信者としてファンの投げ銭で生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)
逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。
絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ。
YouTubeでは多くの絵師がプロアマ問わず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。
おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産を提供していたことで出来あがった土壌だろう。
無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想の個性を形成できる。
私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。
ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。
(しかも生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。
ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)
例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼の技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。
だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家の個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。
我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。
我々小説家は今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかわからずに美少女を描いている。
「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。
では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。
それは「作品の作り方」だ。
現在、小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。
これもまた絵に例えるなら
「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。
それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。
SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も
「自分達が教えられるのはいわば『就活の履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」
みたいなことを常々言っている。
(で、まあ「特定の効果を与える技術」ではなく「作品を作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念が適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)
つまり、小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ。
私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会』からの圧力と発展によるものだろう。
絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。
極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。
だから『社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。
「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。
「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。
だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。
私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。
まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。
その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。
「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。
2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。
これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。
そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。
一般の新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レースは過去に落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。
だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。
賞レースの選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レースは過去に落選した作品も継続して応募されている。
つまり、玉と石の比率が一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。
そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。
ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。
選考員を増やせば個人単位の負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営の出資が増える。
必ずどこかしらが負担を負うことになる。
そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソースの限界をとうの昔に迎えてしまっている。
だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。
ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。
連載継続するかどうか早めに決めよう。
といったふうに。
ざっくり言うと「プロ作家のサポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。
私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。
作家が出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家を使い捨てられるようになる。
これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。
「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。
「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。
これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。
ついこないだ自分で使うために自分の絵柄loraを一応ライセンスの事も考えてanimagine使って作ったのよ。
実際使ってみるとテキトーに学習させた割にマジで自分が描いたことのない自分が描いたようなイラストが出てくる。スゲーな…っての同時にコレを他人に勝手にやられたらまあ嫌だよなあとはやっぱり思ってしまう。でも無断学習なんてのは流石に無理筋だよなあとも思う。たったの数行のプロンプトから俺の絵柄の癖と同じ癖を余裕で読み取れるイラストが出てくるのは、やっぱり変な気持ちにもなる。きっと便利に使えるはずだと思っていてもそう。
ちゃんと触ってるのはstablediffusionだけだからその話になるけど、一応1.xのcontrolnetが出る以前からなんか上手い事使えねえかなぁと思ってアレコレ試してはいたんだよね。
controlnet以前は案出しとか色を適当に選ぶとかなら使えなくもないか……?位だったけどcontrolnetの登場でかなり流れが変わった感じだった様な思い出。当時特にあぶぶ氏のnoteが大変参考になった思い出。
実際に線画を与えて自動着彩とかラフを渡して自動線画とかはこの時点でローカルで出来るようになってた、手直しはいるけど。あと背景生成も、適当にアタリをとって雰囲気掴む用の仮背景とかはまあボチボチ実用的だったかなぁ。
それでSDXL出てすぐ位はなんだ重い割に微妙だなあとか思ってたけどその後、animagine、pony、そしてつい最近illustriousと来て精度が割に高くて自由度もあるようなのが出揃った。もちろんXL用のcontrolnetの存在は欠かせない。
1.xの時点でもパッと見きれいな塗りは得意だったし、更にそれもよりコントロール出来るようになったと思う。
それで更に自分の絵柄loraが加わってより自分にとって使いやすいモノが生成出来るようになったと思いたい。
そんな風に画像生成AIを実用的に使う事を模索していた身でもAIが吐き出す絵の手軽さとクオリティの塩梅に喰らってしまう時もあって、若干メンタル崩しかけたタイミングもあった。絵もAIもモノにしてやるつもりでいると思って居ても喰らった。そんなだからAI嫌がる人らの気持ちもわからんことはないんだよね。
でも絵描きを煽るような真似をする過激な親AI派もちょっとでもAIが関わるとキャンセルを始める反AIもそれに便乗して火に油を注ぐイナゴ達にもウンザリしてるんだよね。
生成AIをうまく活用して工数減らしたりクオリティアップに努めたりしたいって所は沢山あるだろうにと思うとともに、ガッカリな感じの雑にAIを使った仕事を表に出してしまうのはもう少しどうにかならないのかなとかも思う。
今のツイッターがAIがどうのこうのでやれ削除だウォーターマークだ垢消しだとアレな盛り上がりかたしたのもなんだかなあ。
せっかくAIで自動線画とか自動着彩とかも出来るようになってきたのにあちらこちらで煙が立って余り気持ちの良くない話題が目につく。
こちらの続きです。
https://anond.hatelabo.jp/lucky-happy/20241115
Xは捨て垢ROM専に徹する決断をした人もここに含む。この決断をした人はAIはトドメに過ぎず数々の改悪(Ex:API制限とそれによる企業連携の停止、ブロック貫通、収益化による過激な発言やインプレゾンビの跋扈、5ちゃんみたいな不快な広告、いいね非公開(これ悲しむのネトストだけでは)、汚染されたおすすめ欄など)の積み重ねの末に痺れを切らしたパターンが多い。ただ「とりあえず移行先なら平気でしょ」とよく考えないで移ってる人も多い。各移行先の特徴をちゃんと把握しておくべきである。ブルスカはAI放置で外からの対策は無だぞ。丸ごと載せてこれなら大丈夫と思ってる奴が理解できない。でもリンクはXと違って怒られないからこっちに学習対策サイトに載せた絵のリンクを繋げておけ。
理由が「AIに学習されたくないから」ということでインスタやThreadsやTikTokに移るのは尚更理解に苦しむ。あそこ下手したらXよりAI学習用にユーザーのデータ好き勝手してるぞ。具体的に言ってないだけで。恐らく一番ダブスタと罵られやすいのはこういう人たち。
自分がなんで移行したいかについてはちゃんと考えて言語化しておくべき。ただの中身なき便乗だと思われるぞ。フォロワーのこと一方的に仲間だと思ってても向こうはそう思ってるわけじゃないからな。これを機に人間関係リセットも兼ねてるんだよ。
アカウントあるだけで残留組に都合いいところだけどXに寄生していると思われるので、決別を覚悟しながらX残留公式を追いたいなら誰にもバレないようにやろう。啖呵切っておいて実はやってましたとかダサい。情報収集程度ならいいがせめてアカウントセルフ凍結させておけ。
人が少ない環境でのびのびやりたいので向いている人と、反応が少なくて心が折れる人に分かれる。ただ知名度伸ばそうとするとすぐにいろんな層が入ってきて今のXみたいになるよ。Twitterだって黎明期はのんびりしてたじゃない。threadsのTLが地獄なのも流石にユーザー億抱えてたらこうなるんだよな。強制的におすすめ見せてくる理解が足りないUIのせいもあるが。
なんとなくだが、特にブルスカはCEOもその傾向にあるのか反イーロンとしてヘイトを溜めてる人が多い気がする。国内外問わず。既に居心地いい場所ではなくなってる。
AIを憎むなら一番あるべき姿。同居人や友人に裏切り者がいない限りAIに学習されることはまずない。 iPhoneのカメラロールからAppleに「品質向上目的で」データ抜かれてる可能性はあるが。外には漏らさないよって言ってくれてるけどそれすら嫌な人はスマホもやめてくれ。For youとかまさにAIの賜物だよね
ここまで徹底してるなら逆に好感度がある。承認欲求とは切り離された、「お客様は私だけ」という考えの人。イベントもオフでしか出さないし、絵のデータも絶対にローカル環境以外には出さない。信用できる人にしか紙頒布しない。LINEで友人に絵を送るときにも十分に警戒する。まさにどんな手段を使ってでも作品を守ろうとする筋の通った人たち。
裏を返せば新しいことに適応できない病的なテクノフォビアとも言えてしまうが。本当にAI学習されたくないならネットにしがみついてないでここまでやってくれ。対価も払わず中途半端にXの恩恵だけ受けようとしてるテイカー気質が気持ち悪いので。
SNSは気軽にできる場所だから決断も個人の自由だし一番守るべきなのは自分の精神だとは思うが、他人の心まで侵害してたり、自分を棚に上げた言動をしてないかについては今一度考える必要がある。
絵師の皆様方は、自分自身が本当に著作権違反に抵触しておらず、クリーンで清廉潔白な存在と胸を張って言えるのだろうか。
私は、そうは言えない。
何故なら二次創作はもちろん、昔はFC2でアニメ見てたし、明らかに黒に近いグレーな人力ボカロや音MADも見てゲラゲラ笑ってたし、淫夢本編も見たし、TikTokの流行りも特に否定してないし、ネットミームで遊んでるし、アニメのキャプチャ見て感想思い出してるし、クソコラが送られてきても(寒いなと思いつつも)特に咎めなかったし、夢の国チキンレースで面白がってたし、なんならmeituやmimic、copainterなどのAIツールに興味本位で触ったこともあるからだ。
それら全部やってません、もしくは足を洗いましたという人だけ石を投げる権利がある。考えは変わる。だが今もAIや知的財産権侵害の全てを批判する覚悟はあるか?何今更優等生ぶってるんだ?インターネットに身を置いた時点でお前はアングラなんだよ。
猫ミームとかまさしく権利侵害だよな?月曜が近いよbotとかまさか見てないよな?二次創作で半分版権キャラをオリキャラ化してないか?野獣先輩のことフリ素だと思ってないか?おとわっか削除(アレはネタバレで消されたが)で悲しんでないよな?
そういう余罪が明らかになった瞬間、AI批判の言葉は急速に説得力をなくす。例として、反AI活動をしてる漫画家が過去に出した同人誌で原作のコマをまるまるぶっこぬいてそのまま載せる(もはやトレスとかではない)蛮行が掘られたが、そういうのだ。今の心持ちがどうなのかわからないが現在の当人はその件について徹底的に無視を決め込んでる。タチが悪い。
これもきっとキャンセルカルチャーと言われてしまうのだろうが、そういった先鋭的な活動をするのであれば証拠隠滅と禊が基本ではないのか?
こんなんだから、結局自分さえ良ければ全部良くて他人の権利は平気で侵害する害悪ダブスタ呼ばわりされるんだよ。
もし本当にAI学習という権利侵害(実際学習だけなら権利侵害ではない)が嫌なのであれば、自分自身も権利侵害から手を引くべきなのではと思う。実際二次創作こそウォーターマークを!という発言に対して「いや、そもそも二次創作自体が黙認でどうにかなってるだけだよね?」ってツッコまれてたし。スクショのノイズかけとかも話題になってたけど逆に私物化甚だしいと思います。実際公式無加工画像上げてるじゃんね。そういうのにも凸るのか?凸ったから各所が声明出してるのね。
まぁ、思うよね。量とスピードと再現力が尋常じゃないもの。仮に映像記憶完全再現マンとかいたらどうなってたことやら。
男作れ男。女でもいい。
社畜になってもいい。楽しければ。くれぐれも体は壊すな。
さっきも言ったがフォロワー=味方でも友達でもないからな。お前のこと人生のスパイスだと思ってる程度だぞ。
今回で痛いほどわかっただろうが人はみんな基本自分のことしか考えてない。他人(それこそ家族も友達も推しもフォロワーもみんな)は自分の人生の踏み台に過ぎない。ただのネームドモブだ。認めろ。自他境界なんて最初からなかった。
みんなそう思ってるんだから誰もお前一人消えようが尊重しないしお前自身も誰も尊重してないことを自覚しろ。せめて(私の人生の彩を与えてくれる道具として)尊重してますぐらいにしとけ。
私も脱オタしてまともになった友人をたくさん見て悲しくなってた時があったが、今回の件でオタクがとんでもなく話の通じない化け物であることを痛感した。そんなことするぐらいならオタクなんか上がっちまえ。
なんなら自分自身が抜けられない化け物であることを分からせられて今かなりつらい。
普通の人はたかがネットでレスバなんかしないし漫画やアニメやゲームには触れても一般人の分際でクリエイター気取って吠えたりなんかしません。
日夜レスバを続けたり移行先準備に必死になってた人、現実世界での生活はいかがですか?
別にオタク趣味が認められてもオタクの生き様が認められたわけじゃないからね?
創作する趣味を持つとボケないとか言うけど、今回の君たちの振る舞いは耄碌老人とそう大差ないからね。
恋愛に夢中になればメインジャンル:彼氏になってAIどころか絵にもネットにも興味無くなる。
そんなの自分じゃない!と言いたくもなるだろう。
君たちがそんなに必死になるのはさっきも書いたが居場所がなくなるから、つまり依存先がイラストやネットにしかないからだ。
プロのイラストレーターは仕事≒趣味になっているところがあり(これはフリーランス全般的に共通するが)境界線が溶けかけてる人としっかり線引きして「万が一の移行先はここですよ〜」程度に留めてる人に分かれてるイメージがある。後者はたとえ失ったところで他の鎹が存在するぐらい強い基盤があるのだと思う。BL出版社所属の作家よ、上を振り回して恥ずかしくないのか?お前に忖度した上での決断だぞ。
逆に前者は仕事をもらってる立場でありながら視野が狭くなって周りが見えなくなり、自分のことしか考えられなくなった状態だと思われる。
依存先は増やしておけ。悪いことは言わないから。今騒いでる人たちなんか居場所は家(冷えてるし飽きてる)、職場(ビジネスライク)、Xしかないんだろ?だから奪われまいと喚く。
パンピの友達に今回のAI学習の件について学習経路も説明した上で聞いてみよう。大抵は「えー何それ面白そう便利そう」で終わると思う。オタクがTikTok嫌って陽キャが親しんでるように、あいつらは多分AIに肯定的だし技術に強い()君たちより先に使いこなす。そのうちインスタにi2iフィルターとか実装されるんじゃないのか?発狂だね。
実際一般人妹に標準カメラなんかじゃなくてビュープラ(ゴリゴリAI加工)で写真撮れよと怒られた。変なパックみたいなフィルターも使ってた。そんな認識だ。
まぁ、パンピもパンピでアレン様をロック画面にする因習が流行ってる時点で宗教的なものがないと生きられないのは変わらないか。
とにかく、認知の歪みは正しておいた方がいい。リアルの友達も類友しか集まらないようであればエコーチェンバーの治療はできないが。
先ほど氷河期が過激化しやすいと書いたが、年齢的には40〜50代あたりだ。ちょうど家族というものが冷めてくるし仕事でもポストオフでお荷物になる。だからって不倫はやめようね。
そうか、二次元に触れることで不倫欲を解消してたのか。おっさんが風俗行くのと同じように。
これを一般の非オタおばさんの場合ワイドショーを元にしたエッグい井戸端会議になる。あの年代は全体的に厄介だ。精神年齢が中学生レベルの悪口言うことしか癒しがない人たちばかりだ。自分が20年後ほどこれになると思うと末恐ろしい。早く死んでしまいたい。
自分の暴走の抑止力のために創作は機能してたんだね。それが失われちゃ、爆発するよね。ようやく理解した。適切な福祉が必要だ。好きなものを守るより加害することがメインになってるようであれば。
余談だが、AIに関して考えると元彼のことを思い出す。デート中に私のことよりも掲示板やオークションばかり見てて痺れを切らして別れた。一生ネットやってろオタクが。だから非モテなんだよ
それはさておき、彼はなかなか香ばしかった。
こうして見れば自分が侵害者であることを受け入れその通りに振る舞ってるが、シンプルに人間性の部分の合わなさが浮き彫りになって別れた。
みんなも交際相手のAIに関する価値観はチェックしておかないといずれ取り返しつかないことになります。
自分は男脳なんだなと思っていたが、いざ典型と関わるると腐っても女なんだなというのがわかって悲しくなった。理屈的にも感情的にもなれないので男とも女とも仲良くなれない。
しかし、これを見返すとAIを嫌がる人は絵を描く"過程"やイラストやオタ活によって形成された人間関係を重視しており、反面AIを活用する人は成果物さえできればそのルートはなんでもよく、技術そのものの発展や利便性を重視してる。見ているポイントが違うのだ。そりゃあ分かり合えない。
男は狩り、女は集落で家を守るの時代からなーーーーーんも変わってないね。こんなに技術が進んでも。遺伝子にそう刻み込まれてるのだろうか?
それに今回で騒いでるの日本人だけなんだよな。中韓の神絵師はだんまり。男性向けジャンルの男性絵師も比較的通常運転。ウォーターマークの有無が日本人とその他を分ける手段になるなんてな…
またこういうところで大陸クリエイターにシェアを奪われるのは、こんな感じに日本人絵師が日和って敗北を認めてしまうところにあるのかもしれない。GHQの教育が現代までしっかり生きてるね。
ともかく、くれぐれも付き合う人間関係は精査したほうがいい。
少なくとも倫理観や善悪の基準の合わない人間とは付き合ってはいけない。
今回の件も正直AIが技術がSNSがとかではなく、結局人間関係やお前個人の考え方の問題なんだ。
絵師もレスバマンも、早く大人になってください。心の子ども部屋から卒業してください。
おもちゃなんて、たまに懐かしむぐらいでいいんです。
まぁ、みんなでじわじわとXから抜けてアクティブアカウントを減らしていけば企業も自ずと移行先に移るだろうし、広告収入が足りずサービスとして成り立たなくなりいずれ本気で滅びる時がするから、その時期を待ちましょうや。
メルカリの件といい、アプリやサービスの存在価値がどんどん疑われる時代になっていくね。
前後編に至るほど長くなりましたが以上です。
当たり前だけど全て主観です。
戦後から現代に至る女性向けのハイファッションのベースを作ったと言っても過言ではないと思う。
ココ・シャネル以降、ハイファッションが多様化しドレス服に限らない仕事や遊びにも使える自由でモダンな服が広がっていった。
彼女がいなかったらモードの世界も欧州に閉じたローカルで予定調和な文化に留まっていたかもしれない。
シャネルのショーウィンドウ見るたびに思うけど分かりやすい流行を取り入れようとしない。
一見するとコンサバに見えるんだけど一方でちゃんと新しさを感じる。
ハイファッションというか上流階級のファッション。ドレスの再定義をした人かな。
実際現役時代の写真を見ると素材使いと仕立てのバランスがめちゃくちゃいい。男目線でもドレスの膨らみと丈のバランスとか神がかったセンスだと思う。
と思ったがサンローランがデザインしてた時代かもしれん。古すぎてよく分からん。
のちにエディ・スリマンのディオール・オムで再ブレイクしたのはもう別物と思ったほうがいい。
あれは元のクリスチャン・ディオールとはほとんど連続するものがない。
80年代から90年代にいたるモード不毛の時代に数々のレガシーブランドを若返らせることに成功したらしいがあんまり知らない。
初代デザイナー引退後にブランドを畳まず再構築するために外部からデザイナーを雇うことは今では当たり前だがこの人がそのテンプレートを作ったんだと思う。
彼がいなかったら業界全体がオワコンになり昨今のラグジュアリーブランド全盛時代(最近中国の不況でまた陰ってきてるみたいけど)はなかったかもしれない。
素っ気ない服でも素材や仕立てによってラグジュアリー足りうることを示した。
「アンコン(ストラクテッド)ジャケット」といって肩パッドが入ってないジャケットを作ったのもこの人。
一度ジャケットを試着したことがあるが軽くて仕立てがきれいで買おうかと思ったけど想像の2倍近い値段で諦めた。
ボロファッション、左右非対称、切り替え、脱色、縮絨、製品染め、ジェンダーレスなどあらゆる手法を使って既存のファッションを脱構築してきた。
パリコレデビューから40年以上経つのに未だ健在。コムデギャルソンのフォロワーも出身デザイナーも多い。
一時期ハマったがジェンダーレス風味が強くなってきて手を出さなくなった。
ハイファッション史上ということでアントワープ勢から一人は選ばないといけないんだけど自分はマルタン・マルジェラでもラフ・シモンズでもなくドリス・ヴァン・ノッテン。
革新性という意味では他の5人と比べると穏やかで分かりにくいが、彼も伝統服やワークウェアの様式を持ち込んでハイファッションとして昇華するという重要な役割を担ってきた。
少しひねりがあるがいわゆる「着れる服」でハイファッションのリアルクローズ化を進めた。
グッチの起用で大ブレイク。80年代完全に死んでいたグッチを蘇らせた。
本人の見た目通り男性向けにはマッチョな服、女性向けにはセクシーな服で現在のジェンダーレスな世界とは一線を画すが、ハイファッションらしく仕立てがよく品が漂うのはやはりセンスの賜物だろうと思う。
日本人の平板な体型には最も似合わないであろうデカいピークトラペルのジャケットには憧れた。
あのラペル見ただけでトム・フォードって分かる。
ハイファッション史上というとちょっと役不足な感もあるが、2000年代のタイトファッションの潮流を作った人で当時抜群の人気を誇ったので挙げざるを得ないか。
オーバーサイズ全盛の今では信じられないが、当時スキニーじゃないジーンズなんてアメカジ好きなコンサバおじさん以外は見かけなかった。
それくらい人気が高くハイファッション内外への影響力が絶大で、セレクトショップオリジナルでコピー商品をよく見かけた。
ディオール評でも触れたがブランド再構築というよりブランドクラッシャーだと思う。
今はセリーヌでフィービー・ファイロ後の後始末をやってて残念な感じ。
ここ10年のモードとストリートファッションのクロスオーバーはキム・ジョーンズがきっかけだったと思う。
単にストリートの形式を流し込むだけのパイプ役に留まらず、非常に有能なデザイナーでもあり固有の世界観とセンスを持っている。
ブランドイメージを壊さないギリギリのところで着地させるセンスはとても現代的でブランドからも使い勝手が良いのだと思う。
マーク・ジェイコブスと似てる。というかルイ・ヴィトンがそういうデザイナーをうまく見つけてるのかな。
今はディオールをリブランディング中でちょっと落ち着いてしまった印象。
もう1人誰だろう?
30歳なんて若い若い。超若い。あなたがファッションを楽しみたいのなら楽しんだ方がいい。
何が一番やるべきかは貴方が今どれに対してどれだけの興味とスキルを持っているかにもよるけど、手っ取り早いのはやっぱりパーソナルカラー診断と骨格診断。似合うものが解ると勝負服を失敗せずに買えるようになるから節約になるし、中年になればなるほどトレンドか否かより似合ってるか否かが大事になる。
その辺はある程度抑えてるなら髪とメイク(特に眉)に力を入れる。髪と眉がキマってりゃラフな服装も「あえて」に見える。
あとはやっぱりスキンケアかな。高いものを買えって事ではなくて、今のスキンケアが本当に合っているのか考えてみたり、今のスキンケアを少し丁寧にしてみる所から始めてもいい。日焼け止めは必ず塗ってね。