はてなキーワード: 垣間見とは
ながーーーーーーーーーくすると伝わるのか?
そ れ と も こ う や っ て ひ ら が な に す る と つ た わ る の ?
透き通った心に一点の曇りが垣間見えた、とか変な比喩のほうがいいの?
馬鹿みたいだろ?
相手に問いかける言葉は無数に存在するし、それをどう表現するかは自由自在だと思う
だけど今俺がやったようにヘンテコな言葉を使ったところで「こいつは何にも考えないんだな」ってのがわかるよね?
個性も範疇も常用表現だから意味はわかるが、それらを組み合わせたものは存在せず単になる創作でしかない
知りたいことをきちんと聞こうとする人は、自分のオリジナル表現に頼ったりしない
相手が答えやすいように聞くし、相手の言葉を否定ばかりすることもしない
君は気になる気になるしか言ってないし、むしろ相手を否定する言葉ばっかり使うだろ
そこに君の興味関心なんて欠片もないんだよ
毎日一つのテーマが提示されて、それにちなんだ思想をつらつら投稿するサイトです。
匿名ダイアリーと違うのは、双方向のコミュニケーションがない事。完全に独り言。
最近思ったこととして、みんな普通に社会生活を営んでいる時は凡庸な人間を演じてるけど、意外と仲良くなってみると過激な思想を持っていたり、洞察に富んだ意見を持っていたりして結構面白いなぁと。
特に匿名ダイアリーは匿名だから言えるようなことがいっぱい書かれていて、いろんな人の考えが垣間見れるから好きなんだけど、その「考え」に特化したサイトが欲しいってずっと思ってて、今回作ってみました。
公開数日で、数人が投稿してくれてるんだけど、結構面白い(少なくとも、自分にとっては)
ユーザー登録不要で投稿閲覧できるので、みなさんの思想も見せて欲しいです
バグがあったらごめんなさい
これはそうしす🛡29 Advent Calendar 2024の 4 日目の記事です。
前日(3日目)は hoshi さんによる『プログラミングの基本その1【dllについて】』という情報提供でした。
Windows の基本は DLL であり、この基本概念はほかのプログラミングでも同じだよ~という理解を得ました(合ってるかなぁ?)。
Python や JavaScript とは違い、OSが持つ組み込みAPIに近い部分を触るのでセキュリティ的にも怖い部分がある一方で、うまく使えるようになればとっても強力な武器となりそうですね。
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人間の記憶力は年齢とともに衰えるとされているそうですが、本当なのでしょうか?
私自身も歳を重ねる毎、体感的には短時間で記憶するという事がやり辛いと感じてはいます。
知っている方は多いと思いますが、記憶には短期記憶と長期記憶に分ける事ができます。
短期記憶として海馬に収納された物事は、時間とともに大脳皮質に配布されて長期記憶に変化していきます。
短期記憶は思い出しが容易だが覚えられる量は少なく、長期記憶は長い間覚えていられるものの、思い出したくても上手くいかない事や、そもそも思い出せない事を経験した方は多いと思います。
この短期記憶で覚えていられなかった事や、長期記憶で思い出せなかった事を我々は「忘れる」と表現します。
忘れるという行為は、人間の脳を健全に保つためには必要な事だと言われています。
記憶の中で必要な事と不要な事を判断し、必要な事は覚え、不要な事は忘れるようにしているというのが一般的な考えのようです。
一方で、忘れる事が出来ない超記憶症候群と呼ばれる方々もいます。
一度見たり聞いたりした物事を生涯忘れず覚えていられるという羨ましいとも思える能力を持っています。
しかしながら、嫌な記憶も決して忘れる事ができないので、一概に良いとは言えないところです。
超記憶症候群の方々は症例が少ないため研究が進み辛いそうですが、健常者と比して脳の何が違うという点は見受けられないそうです。
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話は変わって、脳の働きについて作業療法(リハビリテーション)の観点から興味深い話があります。
脳は飽くまで臓器の一部であり、思考や記憶をはじめ、あらゆる行動に優劣を付ける事無く、ただ単純に効率化し続けているというものです。
観測された事象で、脳に損傷を受けた方がお腹が空いているにも関わらず、目の前に配膳された食事を食べられない事があります。
ご飯・おかず・小鉢・飲み物が同時に目前にあると、どれから手を付けて良いか分からなくなってしまうそうです。
その方に対し、ご飯のみの単品で配膳すると普通に自分で食事を取る事ができるというものです。
単品での食事に慣れてきたら、2品、3品と徐々に品数を増やして食事をするトレーニングをします。
当初は複数品目から食べるものを選択しなければならない事に脳がオーバーフローを起こすのですが、まず自分で食べるという動作に慣れ、徐々に食品を選ぶという事に慣れさせていきます。
少々強引ではありますが、この事から生命の維持に必要な食事よりも、選択できないという脳のオーバーフローが優先される事、慣れという効率化の結果が選択という判断に反映される事が垣間見えるのではないかと思います。
ここまでで、脳の記憶に関する機能に大きな差はなく、効率化するだけというならば、我々の持つ記憶力は効率化の結果の差異でしかないと言えるのかもしれません。
また、年齢による記憶力の減衰というのは、結果だけ見ると正しく見える気はしますが、長年の慣れや習慣を変えたりすることが不要であるとして、脳が忘れることを選択しているだけではないかと思います。
まだまだ脳の仕組みは解明されていないものも多いですが、原因と結果をロジカルに考えて今までの思い込みを排除できれば、案外簡単に良い結果を得られると思いますので老若男女問わず、色々と考えてみて下さい。
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本稿はそうしす🛡29 Advent Calendar 2024 - Adventarの 4 日目の記事です。
5 日目の記事は どうやって文書を書く/残していくのがいいのかな - 構造化文書とWYSIWYG となる予定です、お楽しみに!
(´へωへ`*)
面白すぎる
やっぱり40から50って大きく変わるもんだな。30から40とは全然違う。3人とも人生の大イベントこなした期間だからってのがでかいね
40だと「人生半分きたな」って感じだと思うけど、50は明らかに人生の終盤に片足突っ込んでる感ある。老い方が段違い
その先の10年はあっという間だろうし、還暦なんておじいちゃんだしな
老人見てると90でも余裕で元気に働いてる人とかいるからスーパーエイジャーかよと思うけど
あんなん生物として若さを保つポテンシャルがあるってだけだなとも思う
持って生まれた運でしかない(環境に依るって思うかもしれないけど運の方が割合でかいと思っている。遺伝子劣化しにくい)
(脳血管なんかやったら一発だし。若くて運が良ければ回復するけど。老いてたら、生き残れても体の片方動かない喋れない状態になったりする
脳血管系やっちゃうのはやっぱり男性が多いね。酒のせいかね。70代以上とかだとどうしたって「男の方が酒飲む時代」に生きてきた人だろうし
今の50代とかは女性も若い時から飲酒習慣があるから、これから女性も脳血管系増えるかもな。まあ、血管にプラーク溜まる率とか男女差あるのかもしれんから一概には言えんけど)
ほんで、年を追うごとに「若さを保っている老人は実年齢-20歳」みたいな状態になる
老いてる老人は逆に+20歳(老人に限らず、恐らく中年世代からこの差は徐々に開いていっている。当然だけども。それが本当の老人になった時に巨大な開きになっている)
これでアルツハイムの住人になどなった日にゃあ、70代でも90代みたいな状態になってしまう(でもストレスが無いせいか見た目「だけ」は若い。脳の時が止まると肉体の表面上も止まる様だ。疲労感や痛みを感じられないというのは大きい。ある意味超人だ)
「100歳でも歩行器で歩いて普通のごはんを自分で食べたり、人と普通に会話出来る」なんて人も居る一方、「70代なのに危険だという意識も無いから歩行器も使わずにコケる。コケて手術して入院して老人施設入って更に認知症進んで飯の食い方も忘れる」
この差は運によるところが大きいけど、それでも生活習慣等で少しでも老化を遅らせるっていう努力は必要だ。足掻くしかない
その点、世界に己を晒して生きている芸能人なんかはだいぶスタンスが違うだろう
生活習慣云々ではなく「人前に立ち、見られる者」として己を律することによって若さを保っているのだろう
ストレスは凄いだろうけど、それを解消する術を知っているし、それを凌駕する喜びが彼等の仕事の中にはあるのだろう
この番組の中では有吉50歳の誕生日にお子さんを抱いて「ありがとうー」と微笑んでいるリラックスした姿が一番印象的だった
「普通の幸せ」を体現した様な姿だった(でも「我が子を腕に抱く」というのは決して「普通のこと」ではない。神の恩寵だと思う)
3人共生まれたての子供と一緒に居る姿が映っていたが、矢張りこの上ない喜びが垣間見えた
増田氏(40代・会社員)は、多忙な業務の合間を縫って、個性的なランチタイムを楽しんでいることがわかった。今回、本紙が独自に取材したところ、そのメニューや午後への備え方に注目が集まっている。
この日のランチメニューは、サンドイッチ(カツ、卵、野菜の3種)、午後の紅茶キャラメルティーラテ、そして「はりねずみのメロンパン」と名付けられた一風変わった菓子パン。栄養バランスと甘みのアクセントを兼ね備えたこの組み合わせは、増田氏が「仕事のパフォーマンスを高めるため」と考案したものだという。
「カツサンドでエネルギーを、卵サンドでたんぱく質を補給し、野菜サンドでビタミンも摂取できます。午後の紅茶キャラメルティーラテは、ほっと一息つける甘さが魅力。メロンパンはただ好きなんです」と増田氏は語る。
さらにランチ後には、10分程度の仮眠を取るのがルーティンだ。「短い睡眠ですが、これで午後の集中力が格段に上がります」と効果を強調。多忙な日々の中で、効率を追求する独自のスタイルが垣間見えた。
増田氏のランチタイムは、一見普通のようでいて、工夫に満ちたパフォーマンス向上の秘訣が隠されている。こうした日々の積み重ねが、仕事の成果に結びついているのかもしれない。
集団ストーカー、テクノロジー犯罪、ハッキングなど、ネット上で調べても出てこない内容がある。
24時間集ストを受けるということは、仕事もプライベートも全ての時間をストーキングされるということだ。
カメラは場合によっては70個仕掛けられていることもあると、探偵の方から聞いた。
ということは、トイレにいる時間、風呂に入っている時間、顔を洗っている時間、歯を磨いている時間、着替えの時間、ぐだーっとしている時間、セックスしている時間、
電話している時間、ご飯を食べている時間、ネットをしている時間、趣味のことをしている時間、いつも行く店、いつも行く場所、買い物先など、全てにわたって監視されることになる。
だからウザいというわけだ。
これは女性と男性、既婚者と独身者ではかなり厳しいものがあると考えられる。
はっきり言って、一番困るのは、女性で独身者だろう。得体の知れない者たちにプライベートな姿をカメラで取られている、見られているという事は想像するだけでも可哀想だし、耐えられないことだ。
こういう話は集ストでは当たり前のことだが、あまりネットで出てこない。
もっと具体的に生々しく話すと、女性の場合、裸体は隅々までカメラに収められていると考えてほしい。
それは誰でも恥ずかしいことで、被害者でなくても同じだ。そしてこれも訴えると、統合失調症の症状だと言われる。
「誰かにいつも見られている」「誰かが自分を貶めようとしている」といった症状に似ているとされる。
集ストのやり口は全部そういうやり口だ。
警察官やストーカー相談窓口の方、ここはしっかり読んでほしい。
最近の脅迫事件で、前に付き合っていた男(警察官)が、別れた女性の付き合っていた時期の写真をばらまくぞという事件があったが、ただそれだけで脅迫に値するものだ。
集スト一味は愚劣で、誰でも持つ弱みを最大限に利用する。ここまで書けば賢明な方はわかると思うが、セックスに関わるあらゆる映像や写真を利用して脅しの道具にできる。
集ストの被害者に女性の割合が多いのは、その破廉恥な集ストグループの心情が垣間見えるからだ。
ここに被害を訴えにくい状況も生まれ、ブログやネットで発信することが抑えられる可能性も出てくる。
男性の場合で言うと、キャバクラや風俗関係(ソープランド、デリヘル等)の出入りが映像により集ストの材料となっていく。
カメラや盗聴器は昔と違い、いたるところに取り付けることができ、ホテルや風俗店でも、店の者が知らないところでほぼ完璧に仕掛けられている。これは弱みを握るための良い材料だ。普段偉そうなことを言っていても、こんなことをしていると脅すことができる。
男と女しかいない世の中だから、そういう仕事があっても警察も知っていてもお目こぼししている現実もあるが、逆にそれが集スト側の思う壺だ。
家庭を持っているターゲットなら、風俗に行った事実を家族に教えると言うだけで終わる。
好きな人がいるターゲットなら、その人に知らせるぞと言うことで脅しの効果がある。
また、これらの脅しにより集スト側の誘導に従わざるを得ない人もいるだろうし、集ストのグループの程度によっては、実際に脅して金品をせしめる類もいるだろう。
また、風俗業に従事する女性には様々な理由があるだろうが、表向きに隠している方も多いため、二次的に被害者になる可能性もある、
というか、すでに被害者と言ってもいい。割り切ってやっている人は別だ。
以上のような現実は、私も体験したことがあり、地方都市程度でも完璧に行われている。
キャバクラ、クラブ、スナック、風俗店、ホテル、ラブホテルには集ストが設置され、遠隔から捉える盗聴器、盗撮器が全店の全部屋にあるということだ。その情報量は莫大なものだろう。
また、普通の家庭でもほのめかしがある。
「昨日はおでんを食べた」「今日は何々をした」といったほのめかしがされるが、昨日は二回、今日は一回というほのめかしがセックスに関するものだ。
真面目な夫婦でも困る内容になる。
個人やその店の店主の趣味で盗撮や盗聴が行われることはよく噂に聞くが、これは組織的に行われており、これらの者たちが設置して脅迫の道具として利用しているものだ。
組織的に行っているため、つきまといやほのめかしと同じで証拠を取りづらいし、表に事件として出にくいものだ。
また、政治家、警察官、学校の先生など公務員を脅すことも、これによって簡単にできるということだ。
低レベルの内容だが、人間はプライベートな時間や、安らげる場所、ぼーっとする時間が必要だ。
プライベート空間をトイレに例える考え方もあるが、トイレに盗聴器やカメラを仕掛けてストレスを与えるという集ストのやり方は、廉恥心のない行為だ。
AB層について書く前にまずその前提となるB層という言葉について説明したい。
B層とは小泉純一郎が首相の時代に広告会社が郵政民営化の宣伝戦略に活用するため
有権者の傾向を分析し、A-D層の4つにタイプ分けをした内の一区分である。
それぞれ構造改革に
D層:反対する生活が苦しい層
に分けられる。
B層は小泉純一郎氏の人気や改革という耳障りのいい言葉に乗せられ、よく分からないまま小泉政権を支持する
社会的な影響力を持つA層がこのB層をいかに先導できるかが構造改革を進める上での課題とされていた。
SNS等で反野党の言説やリベラル的政策へのネガティブキャンペーンを発信する事で
俗に言う「ネトウヨ」と呼ばれる人達を育て、政権与党の座を盤石な物としてきた。
しかし度重なる不祥事により自民党は徐々に支持を失い、B層=ネトウヨの影響力が低下。
そんな状況の中で存在感を増してきたのがB層ではない、かと言ってA層にもなりきれない
「AB層」は、従来のB層に代わり台頭し、選挙をプランニングする立場の人間に重要視されていると思われる支持層だ。
自分たちをB層とは異なる賢い存在として自負しているが、C層ほど知識を持ち合わせてはいない。
そのため、メディアや政治的なプロパガンダに影響されやすい点では彼らがバカにしているはずのB層と類似しているのだ。
AB層は自民党を支持していたが、近年の不祥事で距離を置くようになった層を中心とし、
現在は維新の党や国民民主党といった「ゆ党」に関心を抱いている。
初期のネットで野党嫌いに→消去的自民支持→維新の党、希望の党→石丸伸二→国民民主党支持
大方このように変遷してきたと思われる。
先日の衆議院選挙は、いかにAB層の支持を得るかが重要な選挙だったと言えるだろう。
特に国民民主党は、AB層にアピールし「現実的な選択肢」であるという立ち位置を演出する事で、
自民党からこぼれ落ちたAB層を支持基盤に取り込むことに成功した。
AB層の人々は、自分がB層でもD層ないと考えある種の優越感を持つ。
またC層には賢しらに批判されて自身のプライドが傷つけられたと感じ、劣等感や敵対心を持っている事が多い。
それらを撥ねつけ自身のプライドを守ろうとすれば、常識や倫理を軽視する言動をとらざるを得ないのは自明の理であろう。
「不倫には興味はない」「どうでもいい」と、不倫という非道徳的な行いを普通に批判する事が出来ない所に彼らの辛さと歪みが垣間見える。
その中でもよりB層に近い人達は「財務省のせいだ」「ハニートラップ」などと陰謀論に走り、結局の所旧来のB層と同じ先鋭化の道を辿っている。
AB層は未だにネトウヨ的なレッテル貼りの一部を保持している。それが彼らの自尊心を構成する要素の一つだからだ。
自分はD層のアイツらとは違う、賢い人間であるという意識。お花畑のリベラル野党とは違う「現実的な選択肢」に引き寄せられ
今日もまた口先だけの有能そうな雰囲気さわやか男に騙され続けている。
彼らのような人間によりよい選択肢を取ってもらうためにはどうすればいいだろうか。
一つは地道な批判によって自民党や国民民主党の問題を伝え、政策を訴え、ひとまずは消去法で立憲民主党と言うまでに転身してもらう道だ。
これは現時点でもある程度効果を発揮し衆院選の結果にも現れているが、この流れが持続するかどうかは今後のたしかな野党の活躍にかかっている。
もう一つはAB層が彼らの原動力である自己愛に気づき、分不相応なプライドを自制し、事実に基づいた判断が出来るようになる事だ。
ワイ飲食業向け卸業者、たまたまベンチャーのアプリ開発の会社に行ったところ、
社員がみんなスネ夫みたいな目で死んだ魚みたいなポーズをとっていた。
女性社員はみんな口数が少ない。何かしゃべってぼろが出るのを恐れているのは明白である。
社長らしき人が応対してくれたが、すぐスネ夫みたいな顔付きになった。
なるほどスネ夫っぽい顔になってたのは社長のパワハラが原因だったのか。
(社長の表情や思考が社員に)感染(うつ)るんです by吉田戦車
つーか今時ブラックな人間が経営者やるってクソださいなと率直に思ってしまった。
女の子無言になってんじゃねーか。
私は特にどこの宗派が好きとか檀家であるわけではなく、主に御朱印や御首題をいただきにお寺巡りをしている。
そうなると様々なお寺の事情を垣間見れることがあるが、やはりお寺の厳しい状況を垣間見ることもある。
住職の高齢化も進み引退したりお亡くなりになったりするとそちらのお寺は他の同じ宗派のお寺の住職が兼務したり、後が見つからなければ廃寺になってしまうこともある。
私が知っている限りでもそのような事情で兼務されているご住職を知っているが、県を跨いでいたりすると双方の距離もそれなりにあり移動が大変で負担もかかる。
先日行ったお寺も元々は現在、そちらを管理されている方のお祖母様が始められたがお亡くなりになり遠くから同じ宗派のご住職を招いておられたそうだが残念ながら昨日でお寺じまいをされてしまった。
子どもなどがお寺を継ぐケースが多いがどこもなり手不足のようで、様々な事情で跡取りがいない場合がありそうなると前述の通り、他の住職が兼務したり廃寺となってしまう。
お寺の収入は主に檀家からのお布施であるが、最近は檀家離れが進んでいるようでそうなると収入も少なくなる。
懇意にさせていただいているお寺のご住職もお子様がいらっしゃり色々とお金がかかるとのことで、お義父様がオーナーをされているコンビニで週一でアルバイトされている。
また普段は一般企業に勤めながら住職の仕事をされていたり、自営業をされてそちらの収入で賄われている方もいらっしゃる。
お寺は幼稚園経営をされているところも多いが、近隣のお寺の幼稚園は少子化もあってか2年ほど前に休園(実質廃園)となり、一部の建物以外は取り壊して現在アパートを建設中である。
お寺は大きなところ以外はどこか近寄りがたい印象もあるが、それを払拭しようと御朱印に力を入れて凝ったデザインや限定のものを出したり婚活イベントや書展など様々な催しを行ったりと開かれたお寺を目指しているところもある。
御朱印をいただいたりご住職とお話をさせていただくと色々と勉強になることも多いので、まずは色々なお寺に訪れてほしいと思う。
10年ほど前、私がドクターコースの学生だった時に一度だけ教壇に立ったことがある。
私があるラッキーな発見を学会で発表した時に、ある教授が声をかけてくれて講義に呼んでくれたのだった。
学生達と当時の私は年も近く親しみやすいはずで、また教科書を読み合わせるだけの授業よりは、シンプルながらも効果的な測定に繋がった最新の事例はいくぶん興味を引くのではないかと思っていた。
いざ授業をしてみると、私の話す内容にも私自身について学生がわずかの興味をも持った兆しを見つけることができなかった。
私の問いかけに対して学生たちは応答を全く返してくれず、聞いているかどうかさえわからない、まるで真空の宇宙空間に向かって問いかけているかのようだった。
その様子を描写する説明をこの行に書いていたが、やめた。各位にも馴染みのある光景であるはずだと気がついたからだ。
余談だが、岩にしみいるセミの声でも、もう少し積極的に聴いてもらえてるのではないかと思われて、「静けさや 岩にしみ入る セミナー…」 と詠んだりした。
授業を進めるにつれ、私の気持ちは無反応への焦りから、無反応への怒りへと移った。
しかし思い返してみると私が学生の時も教室には同様の雰囲気があったし、ある授業ではそんな雰囲気に対して教師が苦言を呈したこともあった。
きっとこれは、おれごときになんとかできるような代物ではないと思った。
それで、やがて私の気持ちは無反応への諦めへと変わった。
準備した内容をチャチャっと話し終えると、教授は私の表情を見てとったのか、笑って2、3の質問をしてくれた。
教壇の前に広がる虚空、教師の孤独を垣間見て、これは洗礼か踏み絵だと思った。
学位を取った後も私は教員を目指すことはなくメーカーに就職したが、もしかするとあんな風に授業をし続ける職業人生が嫌だったのかもしれない。
今日、石破茂さんが国会で重大な場面にも関わらず、居眠りしているという趣旨の映像を目にして、ふと上記のような経験を思い出したので書いた。
起こしてくれない官房長も、あきれ顔の元首相も、茫然自失の元首相も、ひたすら時が過ぎるのを待つ学生のようになんとなく思われた。
一生懸命に選挙活動をしても半分しか投票してくれない様は、あちら側から見ると、真空の宇宙空間に向けて話しているかのような経験なのかもしれないと。
そう思うと、少し親近感が沸くのだった。
SB69でいうとデルミン。
原神でいうとリネット。
見た目の割に達観してて世界の諸事情に精通してそうな飄々とした雰囲気を纏いつつテンション低い落ち着いた声でボソボソ喋る淡色髪の線が細い少女なんだけど社交的でも内向的でもないよくわからないコミュニケーション力というか独自の意思疎通術をもっていて妙な口癖があったり特定のニッチな趣味にこだわりがあったりする電波あるいは不思議ちゃんの要素を一部もっているがそれで他人と考えが通じ合わなかったりすることに物怖じすることなく己のペースで表現する豪胆さを備えつつも付き合いにくいコミュ障にはならない程度にわきまえててラインを調整できる賢さや察しのよさもあってお茶目なユーモアセンスもあり時として次元の壁を超えてこちら側が見えてるかのようなことを言いかねない危うさもある奇才タイプの子で一見感情の起伏も乏しく世間離れしていそうに見えてポーズ的な側面でそう見せてる面もあって実際は妹や兄や同性の友人みたいな大事な存在に対し重量級の愛情をなんでもないような顔しつつ抱えてそうな感じもちょっとある自然体で澄ましたキャラ。
よりギャグに寄せるとぱにぽにの一条さん、明朗さを足すと絶望先生の風浦可符香、活発にすると苺ましまろの松岡美羽あたりの漫画キャラが性格的には一部重なるけど古い作品なせいか髪色がみんな濃いし人形みたいな線の細い繊細さはあんまりない。ニジガクの天王寺璃奈は髪は派手ピンクで真面目寄りだけどそれ系かな。より暗くすると長門有希だけど、もっと「ふざける」ことを知ってる感じがいい。逆におちゃらけすぎるとただの開けっぴろげなおっさんみたいになってしまい、そういう脱力・堕落系キャラは多いが、人間として枯れた干物感を自虐していくタイプとは真逆。ちゃんと少女と感じさせるしなやかな感性が残っており、女性になっていくことを感じさせる、荒い部分を決して見せず上手に繕い優雅に見せる品性の輪郭が垣間見えてることが重要。それが華奢な少女をして堂々たる振る舞いたらしめているはずだから。ただそれがちょっとズレていて、自覚がありながらも自他ともにそれを受け止めてる優しい世界あってこそイイ感じに成り立つ。
この手のキャラは現実には一番いなさそうなタイプの個性だと思う。超然としすぎてる。普通の感性では浮いてしまう恐怖に抗えない。きっとリアルにいたら世間に揉まれるうちに普通のノリで普通の受け答えをするようにノーマライズされてしまう。どれだけネットスラングを知っていても面接の場では誰もが同じような喋り方をする平均的性格のロボットに成り果てるように。でもキャラクターは人間として持ちうる絶妙なリアリティラインを守りつつカブいてみせる。たとえそれがコンテンツを作るおっさんの脳内にしか存在しえない個性だとしても、輝いて見える。
よく考えてみればこういうキャラは自分がネトゲでネカマ女キャラRPをしていた頃に目指したかったキャラでもある。馴れ馴れしすぎず、よそよそしすぎず、侮れないユーモラスな変な子と思われたかった。今ならVtuberとしてそういうキャラ作りする子が現実にいてもおかしくないが、往々にしてそういう場で活躍する人はキャラ付けが派手すぎて絶妙さからは程遠い。リアクション勝負の場だし現実的なぶっちゃけ感あるリアクションをする方が好感を持たれるのもあるだろう。
灬
部首は「烈火(れっか)」と言われる、漢字の下の部分にある四つの点です。これは「炎」が簡略化されてこの形になったものです。
点 烈 焦 照
なども同じ仲間です。でも、なぜ「熊」に「火」が関係するのでしょう?
いろいろな説があるようですが、『漢和大辞典』(学研)によれば、火の精と考えられていたことに由来するようです。クマの油はとてもよく燃えるので…、ということも関係するようです。
クマは古来から食用とされてきました。主に北海道から中部エリアまでですが、冬に収入源が激減する東北エリアの人たちにとっては、クマを捕獲するのは生命線とも言えました。特に「熊の胆」などは万能薬ということで高値で取引されました。
クマの肉の脂肪分は融点が低く、旨味も強いそうです。そういった特徴が「燃えやすい」というところにつながるのかもしれません。
マガジン20選を決める際、一人一作しばりを外した。ちばてつやと梶原一騎(高森朝雄)はどうしても二作選ばなければならなかった。週刊少年マガジンはちばてつやに育てられ梶原一騎に鍛えられた。特にちばてつやがいなければ今日のマガジンはない。
『ちかいの魔球』1961-1963『ハチのす大将』1963『紫電改のタカ』1963-1965『ハリスの旋風』1965-1967『あしたのジョー』1968-1973『おれは鉄兵』1973-1980『あした天気になあれ』1981-1991『少年よラケットを抱け』1992-1994
と三十年以上に渡りマガジンを牽引してきた生き神様のような存在だ。新人発掘のちばてつや賞選考委員として世に送り出した漫画家たちも数多い。Wikipediaを見るとあの人もこの人もちばてつや賞出身だったのかと驚く。漫画家初の文化勲章受章者になったのも当然すぎるほど当然の偉人。
梶原一騎は他誌でも書いているがマガジンでのヒット作が多い。『空手バカ一代』も『愛と誠』もマガジン連載作。
部活漫画の開祖。ガキ大将が剣道やボクシングやサッカー等様々なスポーツに挑戦する。後世への影響力は『あしたのジョー』以上ではないだろうか。アニメ化の際はガキ大将が大山のぶ代、メガネくんが小原乃梨子という配役だった。後のドラえもんコンビの原点という意味でも重要だ。
『墓場の鬼太郎』から改題。マガジン発ではないがマガジン連載で有名になり今もアニメがリメイクされる国民的キャラクターになった。
後世への影響力は間違いなくマガジンNo.1。苦悩する主人公、激しい特訓、写実的な絵でスポ根というジャンルを確立した。漫画界に地殻変動を起こした。その分パロディの対象にされることも多い。夏目房之介『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』と斎藤貴男『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』を読むと理解が深まる。
奇跡の名作。二つの異なる才能がぶつかり合い、週刊連載による偶然が積み重なり、梶原一騎的世界ともちばてつや的世界とも違う唯一無二の作品が完成した。日本漫画史はここで一つの頂点に達する。
日本最高の漫画を選ぶなら『あしたのジョー』と『デビルマン』は有力候補になるだろう。この二作が同時に載っていた当時のマガジンの恐ろしさ。永井豪は週刊少年漫画誌5誌全てに連載を持っていた。
アウトドア漫画の魁。前代未聞の高度な画力で釣りを啓蒙した。梶原一騎や時代の影響で暗くなっていたマガジンから明るさを取り戻す好機にもなった。当時10年間連載というのは非常に稀なことだった。
少年誌のラブコメの基礎を築いたというだけでも偉大だが、その後深刻なメロドラマへと変貌する。今の瀬尾公治や流石景はこの流れの中にある。柳沢きみおは過小評価されている。永井豪同様5誌全てに連載を持っていた。
熱血の時代から熱血を笑う時代へのパラダイムシフトを象徴する一作。小林まことと島本和彦は熱血する自分を高らかに笑いながらまた熱血し続ける。三四郎は『ハリスの旋風』のようにスポーツを転々とする。『青春少年マガジン 1978〜1983』を読むと壮絶な舞台裏が垣間見える。
かつてマガジン最長連載を誇っていた。超巨大学園の抗争から異種格闘技になったかと思えば突然ロックバンドをやり出して最終章ではどシリアスな展開に突入し「新」では柔道漫画に様変わり…と融通無碍な作風。マガジンのカラーそのものだ。「L」連載中マガジンSPECIALに移籍し2004年に中断。
峠の走り屋だった高校生が世界的レーサーへと成長するまでの物語。楠みちはる『あいつとララバイ』と共に80年代のバイクブームを盛り上げた。『バリバリ伝説』をバイブルと呼ぶバイク乗りは多い。後の『頭文字D』の布石にもなった。
森川ジョージはちばてつやの正統的後継者だ。『ハリスの旋風』を読んで漫画家を志し、ちば先生が描いているからという理由でマガジンに持ち込みデビュー。ちばてつや的世界を平成風にアップデートした『はじめの一歩』は途轍もなく面白い漫画だった。そんな時代があった。
世間への悪影響ではトップクラス。今でこそ「な、なんだってー!」をネタにしていられるが当時1999年人類滅亡に本気で怯えた子供は多い。70年代の五島勉の記憶が薄らいだ頃に再びノストラダムス大予言の恐怖を植え付けた。山本弘『トンデモノストラダムス本の世界』『トンデモ大予言の後始末』は解毒剤として有効。後者でのMMR批判は傑作。
ヤンキー漫画の集大成。同時期の『湘南純愛組!』『カメレオン』等と共にマガジンの治安の悪さに貢献した。これ以上不良を熱く描くのはもう不可能かもしれない。
1億部を超えるマガジン最大のヒット作。推理漫画というマイナージャンルを一気に隆盛へと押し上げた。雨後の筍のように模倣作が乱立しその中から『名探偵コナン』というもう一つの巨星が生まれた。影響力では『巨人の星』に次ぐNo.2だろう。福井健太『本格ミステリ漫画ゼミ』は推理漫画の歴史を概観した労作。これを読むと『金田一少年の事件簿』以前以後で全く景色が違うのがわかる。
『湘南純愛組!』の主人公の一人だったヤンキーが教師になって大暴れ。マガジンがジャンプを破り日本一の発行部数に君臨する立役者にもなった。TVドラマも大ヒット。反町隆史・松嶋菜々子のビッグカップル誕生のきっかけになったという意味でも影響力は大きい。
萌えをマガジンに定着させた。雑誌のカラーを変えたという点でかなり重要。これ以後の『スクールランブル』等の恋愛漫画にもつながる。一方でヤンキー漫画は減っていった。
正確なスポーツ描写の時代を象徴する一作。同時期の『あひるの空』はスポーツ弱小校を描くことによって、『ベイビーステップ』は現実的なトレーニング理論を取り入れることによってリアリティを追求した。梶原一騎の根性主義は完全に過去のものになった。
70年代しかあり得なかったはずの週刊少年漫画誌全誌連載が10年代に甦った。『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』『FAIRY TAIL』『魔法先生ネギま!』等のファンタジー漫画隆盛の象徴としても挙げておきたい。
障害にいじめという深刻な問題を描き大反響を呼び様々な議論を巻き起こした。マガジンは塀内夏子以来女性漫画家が多い。(最初は里中満智子だが流れを作ったのは塀内夏子)『シュート!』の大島司、『Harlem Beat』の西山優里子、『ゴッドハンド輝』の山本航暉、『トッキュー!!』の久保ミツロウ、『ベイビーステップ』の勝木光、『ヤンキー君とメガネちゃん』の吉河美希、『ドメスティックな彼女』の流石景等。
今、不良は現実でも漫画でも下火になっている。その状況で不良漫画を描くにはどうしたらいいか。タイムリープで不良が盛んな時代に行けばいい!という発想の転換で大ヒットになった。時代の移り変わりを象徴する一作。
『天才バカボン』も『男おいどん』も『野球狂の詩』も『三つ目がとおる』も『ミスター味っ子』も『シュート!』も『BOYS BE…』も『サイコメトラーEIJI』も『エア・ギア』も『FAIRY TAIL』も『五等分の花嫁』も『ブルーロック』も選外になってしまったが、マガジンの歴史の流れを重視して選んだ。
追記・返信
今回の20選は「後世への影響力」「時代の象徴」という観点から選びました。
>”柳沢きみおは過小評価されている。” 同意なのですが、すっきり終わるのがないからでしょうか。
今の流行と合わないというのもありますが、本人が自分のブランド化に失敗してる感じもします。
>ミスター味っ子はグルメ漫画の演出にだいぶ影響を与えたのではないだろうか。むしろアニメ版が大きいのか?
そうですね、『ミスター味っ子』の影響力はアニメの今川演出によるところが多く、原作は割と普通なので。
>巨人の星とあしたのジョーの連載時期が重なっていることを再認識して呆気にとられる
本当に恐ろしい。よほどマガジンの風が合ったのか。
>90〜ゼロ年代の読者には「週刊少年キバヤシ」みたいな印象があるが、こうして列挙されるとそこまででもない、のかな。いや
>バリ伝が入ってるのは嬉しい。イニDのキャラクターに感じられなかった生気のようなものがまだあった。
『バリバリ伝説』は絶対入れようと思ってました。『頭文字D』よりこっちですね。
>七つの大罪ってそんなか?とか所々疑問はある。
うーん確かに。『FAIRY TAIL』の方がよかったかもしれません。
>「コータローまかりとおる!」途中で訳が分からなくなって、読むのを止めた。それまでは楽しみに読んでたよ。私は20選に選ばない
まあ名作というわけではないけど、あのなんでもありな感じが実にマガジンらしいと思います。
> 味っ子IN大罪OUTだな、スーパードクターKは面白いけどブラックジャックと北斗の拳の悪魔合体だし
うーんやっぱり『七つの大罪』は外そうかな。Kを入れなかったのはまさにその理由です。
>つのだじろう「うしろの百太郎」は外せないのではないか。当時恐怖オカルトマンガ大ブームの立役者の一つだったよ。
> 私は良き読者でないのでどれを落とせとは言えないのだけど『天才バカボン』を外すのは納得できん。友人は「当時のマガジンはガロなんかよりよっぽど前衛的だった」と言っていた。ていうか全般に赤塚評価低すぎん?
『天才バカボン』も本当は入れなきゃいけないんですが……。かなり悩みました。赤塚作品はサンデー10選にもりぼん10選にも入ってるので全般的に評価が低い訳ではないと思います。
>「ミスター味っ子」は良くも悪くも王道の少年グルメ漫画なので、個人的にマガジンならではって意味では「将太の寿司」の方が重要かな。
同感です。入れるなら味っ子より将太。しかしただでさえ90年代が多いのでこれ以上入れるのは難しかった。
>ミスター味っ子は料理漫画としてエポックメイキングだったし、オフサイドは女性作家の描くスポ根漫画としてエポックメイキングだったと思う。
塀内夏子はマガジン漫画家20選なら入ると思います。かなり重要な作家。ただ作品で見ると20選は難しいかと。
>概ね同意ではあるんだが、さすがに真島ヒロが居ないのはおかしい。 迷うが、七つの大罪→FAIRY TAILはしないといけないかと。
そうですね。真島ヒロはここ四半世紀のマガジンには欠かせない……。『七つの大罪』と『FAIRY TAIL』を入れ替えるか。
Twitterでの反応も
https://x.com/FUNDOSHIMASK/status/1851540864256065548?t=4HG7KChe6go4rpZiQoj5uA&s=19
>しかしジャンプ版でもサンデー版でもそうだったけど、通史で語るとどうしても21世紀が弱くなっちゃいがち。というか流石に21世紀マガジン作家として、ばっちょ>真島ヒロは無くない?
通史という性格上今が弱くなるのは仕方ないかと。しかし確かに鈴木央を入れて真島ヒロを入れないのはおかしいか。
https://x.com/renge_kick/status/1851544678833025184?t=5xA6twKuvH1r8CV6s02t7g&s=19
>RAVEはマガジン史においてかなり重要だと思う(ヒット規模はFAIRY TAILのほうがデカいけどマガジンに能力バトルが増えたのはRAVEからだと思ってるので)
https://x.com/renge_kick/status/1851601194126614683?t=n_MMf633SxuDnTGjJXmTUQ&s=19
>厳密にはRAVEよりも先にゲトバやKYOが始まってるんだけど、人気に火がついた早さやその後のネギまやツバサなんかのファンタジーバトルもののノリを見るとやっぱ重要なのはRAVEだよなーって
https://x.com/npeofnpe/status/1851570584460910706?t=ZqperbBdCK13dY0B_N36cg&s=19
>ごとよめって確か巻割100万いってましたよね?ラブコメ史上最強といえるので入ってない方が変かな
聲の形は単発でパッとあたったけどマガジン史においてなんか重要かと言われると別に…
というわけで改訂版を出します。00年代漫画が一作だけなのも気になっていた。
驚異的な執筆量で21世紀のマガジンを牽引する真島ヒロ。本作は海外人気も非常に高い。『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』『魔法先生ネギま!』『七つの大罪』等のファンタジー漫画隆盛の象徴としても挙げておきたい。
ガロは書く人も居なさそうなので、元読者の義務感に駆られて書いてみた。リアタイで読んでいたのは80~90年代の一部なのでいろいろ偏っているとは思う。選択の基準としては、漫画史的な重要性や、後世に与えた影響を優先した。バックナンバーや単行本やアンソロジー、関連書籍(が多いのもガロの特徴ではある)などの知識も動員したが、記憶に頼って書いているので誤謬などはご容赦。むしろ先達からの突っ込みが欲しいです。なお、ガロ分裂後のアックス誌の作品にはここでは触れない。
まずはなにを差し置いてもこれ。そもそもガロという雑誌の創刊自体が長井勝一による「カムイ伝」を掲載する媒体を作りたいという並外れた理由によるもので、「ガロ」という奇妙な誌名も作中人物の「大摩のガロ」から取ったものだった。どちらかと言えば現在では「読まれない」作品になりつつある印象なので当時の熱狂を図るのは難しいが、漫画史的には「どうやら漫画という媒体は歴史的・社会的な諸問題を描き得る(と読者に思わせた)」点がエポックだったのではないかと思う。今であればそんなもん当然だろうと思われるかもしれないが、所詮我々はこのような巨人の肩の上にいる。
つげ義春がガロ誌に発表した短編は悉くが傑作なのでとても一本に絞りきれるものではなく、作品の完成度からすればむしろ「ゲンセンカン主人」や「赤い花」ではないかとも思うのだが、後世に与えた影響の大きさを考えればこれを選ばざるを得ない。「見た夢をそのまま描いた」という誤解を受けることも多い本作だが、実のところは多種多様なコラージュや巧みな漫画的技法に満ちていて、きちんとした作為の下に統制して作り上げられた「シュール」の傑作であることがわかる。
若い男女の同棲と破綻の物語と描けば無数の類例が思い浮かぶが、1970年の発表当時には極めて新しかったはずである。なにしろ婚前交渉などという言葉が現役だった時代だ。主人公の職業がアニメーターというのも新しく、しゃれていたのではあるまいか。この作品の画期は、漫画に「俺たちの等身大の青春(あるいはそのように夢想したいもの)」を持ち込んだ点だったのではないかと思う。林静一の洒脱な絵は上村一夫などによる後続作に比べても洗練されていて、今見ても色あせない。
漫画(に限らず表現)とはなにものかを描かなければならないのだというドグマがまだ有効だった60年代、漫画から意味というものを完全に取り去ってしまった佐々木マキの一連の作品はセンセーショナルであったらしい。画風はおそらく杉浦茂の系譜にあるのだが、もはやナンセンスという言葉も不適当だと思われるぐらいに徹底して意味や物語は排除されている。その衝撃は若き日の村上春樹にもはっきりと影響を与えたらしく、のちに佐々木は村上の著作の挿画を担当することになる。
簡素な絵でナンセンス漫画を濫作していた滝田ゆうが、心機一転、自らが少年時代を過ごした戦前の私娼街・玉ノ井の風景をおそろしく緻密な絵柄で描き出した。「三丁目の夕日」的なノスタルジアものの先駆ではあるが、最終回、戦火は玉ノ井の街を焼き尽くして終わる。ここに描かれているものは、卓抜した記憶力と画力により再構築された、失われて二度とよみがえることのなかった風景なのである。
ここまでは疑いなく殿堂入りの作品が並ぶが、ここからは判断に迷う。70年代ガロからは永島慎二や宮谷一彦を外してはいけないかもしれないのだが、活躍のメインはガロ誌ではなかった作家だし、やはり当時の熱狂を現在から嗅ぎ取るのは少々難しい。安部慎一や花輪和一、古川益三(のちのまんだらけ社長)の諸作品も思い浮かぶけれど、ここでは作品の強度と詩情、卓抜した画力を取って敢えて鈴木翁二で。
これも当時の衝撃をいま追体験するのは難しいのかもしれないが、ヘタウマや不条理がどっさり詰め込まれた本作が半世紀近く前のものと考えるとやはり衝撃的だし、こういうギラついた脳天気さは、結局は80年代「軽チャー」の苗床になったのではないかと思わされる。
80年前後のガロにはニューウェーブにカテゴライズされる作家も少なからずいて、例えば川崎ゆきお、蛭子能収、ひさうちみちお、奥平イラなどが挙げられるのだが、個々の作品への愛着はさておいて結局のところ今に至るまで強い影響を与え続けているのはむしろニューウェーブの埒外にいた丸尾末広ではないかと思う。圧倒的な画力は漫画のみならず演劇や音楽にも影響を与えたし、世代を超えたファンも多い。なお本作の初出はガロ誌ではないのだが、代表作として外せないのと単行本は青林堂だったのでご容赦を。
80年代ガロではこの人の名前も外せない。「過激な」作風と言われ「特殊漫画」を自称他称もしている人ではあるけれど、実のところは非常に息の長い物語を紡ぎ出せるストーリーテラーでもあり、日本の近代史や土俗性を容赦なくぶち込んでやるから覚悟しろよというぎらついた野心も垣間見える。その試みがもっとも巧くいった作品の一つが本作。水爆投下とともに発射された精子が自我を持つ話です……と書くと面白そうでしょ?
ガロ最末期の90年代から一人と考えて、古屋兎丸や山野一・ねこぢるなども思い浮かんだけれど、漫画表現の圧倒的な強度に鑑みて本作を選んだ。この地上には存在しないはずなのによく知っている風景がどこまでもどこまでも展開される。いつかうなされながら見た夢が、ここに具現化されているという驚き。「ガロがなければ世に出ることのなかった」作品の一つの頂点であると思う。逆柱作品はどれをとっても傑作なのに単行本の多くは絶版で、とんでもないプレミアが付いてたりする……。
・個人的にはつげ忠男の大ファンで、実際「無頼の街」「河童の居る川」など傑作も数多いのだが、漫画史的重要性を優先して涙を呑んだ。
・赤瀬川原平も言及に迷ったけど、ガロ誌での漫画作品(『お座敷』など)よりも、その外での活躍が多かった人という印象なので選外に。ガロ系の作家ではこういう人も多いのですが。
・「ガロにおける有名作家」という問題もある。水木しげるに矢口高雄に池上遼一といったビッグネームもあれば、のちのどおくまんも一度作品を掲載しており、末期ガロにも吉田戦車のような意外な面々が顔を覗かせる。珍しいところでは、SPA!誌で掲載を断られたゴーマニズム宣言の回を小林よしのりがガロに持ち込んで掲載された例がある。
・ガロ出身で他誌で活躍することになる人も多い。上記の他、新しい世代では花くまゆうさく・福満しげゆき・東陽片岡・古泉智浩あたりか。
・80年代ガロでかなり迷ったのは、トラバでも言及のある久住兄弟や泉晴紀・泉昌之、渡辺和博などの面々。このあたりのナンセンスな作品群はわりと影響も大きかったようなんだけど、作品単体でどうこう言えるものが思い当たらなかったので除外。
・つりたくにこ・やまだ紫・杉浦日向子・近藤ようこといった女性作家たちの極めて良質な作品についても言及しておきたい。特に津野裕子は最末期のガロに、寡作ながら優れた作品を残した作家で、機会があればぜひ一読をお勧めします。
・その他、この10選に選ぶには及ばないけれど間違いなくその人にしか描き得ない作品を残し、ガロという媒体がなければ目にすることもなかったであろう作家たちについても、その名をリスペクトしておきたい。淀川さんぽ、とま雅和、谷弘兒、三橋乙耶、菅野修、等々……。
・90年代ガロは文章ページが(文章ページのほうが……)充実してた感があり、呉智英や四方田犬彦など結構な面々が連載していた。
・投稿ページの「4コマガロ」も相当(雑誌のカラー的な意味で)レベルが高く、ここ出身の有名作家が福満しげゆき。
・同時期にやっていた「ガロ名作劇場」という好企画があって、90年代前半時点では入手困難だった作家を含め、ガロ出身の名作家を回顧的に紹介してくれた。林静一「まっかっかロック」なんてものすごい衝撃受けたし、楠正平や勝又進なんてこんなことでもなければまず読むことができなかった作家だったと思う。
・ねこぢるはやはり入れるべきだったかなーという迷いは今でもあり、代わりに削るとすればペンギンごはんか鈴木翁二か。リアタイ勢だったんだけど初読の際の衝撃は今でも覚えていて、90年代サブカル的にはわりとよくあった「無邪気な残酷さ」が普遍性を持ち得た希有な例だったんじゃないかと思う。(その点では山田花子には自分は少々点が辛い)
・>ビレヴァンいけば売ってる? >なんか漫画系のサブスクはこういうのの乗っかってどんどんセット売りとかして欲しいよな。
これは本当にそう思うところで、ガロの名作群はとにかく作品へのリーチが困難。古川益三の作品なんてマジで読めないし古書には衝撃的な値が付いてたりする。電書にするにしたってタダじゃないのは分かってるけど、なんとかならんかな。
・>「ガロ」はフォロワー・影響度では計れない作家作品が多すぎて。簡単に真似されるような作品はガロ的ではないとも言えるし
これも本当に同感で、孤立峰みたいな作家が多すぎるんだよなー。熱を込めて語られるけれど模倣はされない、って、表現としてはすごいことなんだけど。
・部屋が汚く整理整頓ができない女性。仕事もはかどらない気がする
・机の上が汚く、いつも探し回る
机の上に書類などが散乱していて必要なものがすぐに出せない。こういう女性は作業効率の悪さに気づいていなさそう。整理整頓する習慣をつけるだけで、もっと仕事も時短できることに早く気づいてほしい
・話が要領を得ない。自分が気になったところから話して順序立っていなかったり、さっきまでの話と全然関係ないところへポンポン話が飛んでいく……など
友だち同士の気楽な会話ならともかく、仕事の場では会話にも起承転結が必要。あっちこっちに話が飛んで、話している本人も何を言いたかったのかわからなくなるような話し方では、伝えたいことも伝わらない
・ポイントだけ教えれば、全体を把握して仕事をしてくれるわけではなく、一からすべて教えないとわかってもらえない女性
・なんか、何度言っても理解しなかったり、あとは聞いてこない。わからないときは聞くべきだろ
・正しい字の形を理解していない
・清潔感がない
・向上心がない
・注意力がない
・協応動作ができない
・体幹が弱い
どうして今まで字が汚いままでいたのだろう、という疑問がわいてきます。
自分で気がつかなかったのか、直そうとしなかったのか、など、特に大人の場合、字が汚い女性はあまり良い印象は持たれない
自分を良く見せるという事では無く、字が上手になりたい!という向上心のようなものが垣間見えてこない。
メイクを練習し美しさを保つのと同じように、誰もが読みやすい綺麗な字を書けるようになりたい!と向上心を持つ女性の方が、いい男としては惹かれる。
絵師やその取り巻きの界隈がよくいうセリフに「絵柄パク」ってのがあるけど、あれマジで意味わからん概念だよね
AI関係の議論が活発化したのと比例して「絵柄をパクるなー!盗むなー!」みたいな主張も増えたようだけど、そもそも反AIが蔓延る前から絵師界隈ではよく絵柄パクについて学級会が行われていたように思う
本気で不思議なんだけど、絵師様って自分の絵柄は自分だけのものだと本気で思ってんの?
もっと言えば、自分の絵柄は過去のどの絵柄も模倣していない唯一無二のものだと本気で信仰しているの?
芸術全般に言えるけど、あらゆるアートはスタイルの模倣から始まっている
例えば文学なら自然主義とか新感覚派とか派閥の中で相互にスタイルを模倣し合ってそのジャンル内で色々な創作物を作り上げてきた
映画だってヌーベルバーグとかヒッチコック風とかスコセッシ風とか基本的には先人の作った映画のスタイルを模倣してそれを受け継ぐことで新しい芸術を生み出している
絵師様はダリはキリコのパクリ!とかヒプノシスはマグリットのパクリ!とか言っちゃうわけ?
今の絵師様の描いている絵なんて大概は大友克洋の丸パクリだよ?
大友克洋が切り開いた漫画における写実表現の先に桂正和がいて、そして桂正和が切り開いた「顔はアニメ調で体はエロテックな写実表現」って画風の先に今の絵師様の絵柄があるわけで、そこらの絵師様の絵柄ってのは先人たちの模倣の域から全然脱していないわけじゃん
先人たちの積み重ねてきた画風を丸パクリしておきながらそのことを自覚せず「絵柄パクは犯罪!」ってのたまう絵師様は流石にいくらなんでも傲慢が過ぎると思うよ
じゃあ今すぐ自分がこれまで読んだ漫画の作者なり見てきた画集の作者なりに謝罪しなよ
自分の糧になっているはずの先人たちの芸術作品に敬意も持たず自分の絵柄を自分だけのものだと思い込むのは大げさに言えば芸術活動を貶める最低な振る舞いだよ
AIなんかよりもその振る舞いのほうがよっぽどイラストの価値を毀損しているし、何なら一般層に嫌悪される最大の要因だとすら思うわ
絵師様やその取り巻きが模倣という行為に対して発揮する敵愾心は本当に異常
あれって一体何なんだろう
まがりなりにも『絵師』を自称するなら絵柄をパクられたときには「俺の芸術のスタイルに追従者が現れた!やったー!」って喜ぶべきでしょう
俺自身、AIについては色々と議論すべき部分も多いだろうとは思ってる
でも、絵師様特有のこの内向きに閉じた教養のなさ、傲慢な思考ってのが垣間見えるたびにAI規制論は絶対に支持されないだろうなって暗澹たる気持ちになる
懐かしい夜の峠にやってきた。まもなくオリオン座流星群がピークを迎えるという。瞬く星空の下、久しぶりに日記を書き始めた。この場所で書くたび、いつも新たな発見がある気がする。
夜の峠には、昔から私を惹きつける何かがあった。人影のない暗闇の山道、ひたすら続く曲がりくねった道に誘われるように、一人車を走らせる。スピードを求めているわけではない。少しだけ開けた窓から流れ込む風が、自然の気配を静かに運んでくれるだけでいい。季節の変わり目には、その匂いや温度の微妙な変化が、峠をより新鮮に感じさせてくれる。
ヘッドライトだけが頼りの世界で私が感じるのは、寂しさや侘しさだけではなく、それらが心の奥底を満たしていく奇妙な充足感だった。普段は目を背けている孤独に身を委ねると、孤独は私を優しく迎え入れてくれる。曲がりくねった道を一つ一つ越えるたびに、この世界にただ一人存在しているという感覚が押し寄せる。それは恐怖でも不安でもなく、むしろ包み込まれるような安らぎだった。
故郷から峠を越えると、別の世界が広がっている。麓のコンビニの駐車場で飲む缶コーヒーから、その地での生活の一端が垣間見える。峠はまさに、異なる現実を分け隔てる境界線だった。深夜、その境界の真っ只中では、何にも囚われず、ただ私だけの時間が流れていく。郷愁と内省が美しく重なり合うこの場所の魅力は、何度訪れても色褪せることがなかった。
しかし、私の生活にパートナーが現れてから、峠での体験は少しずつ変わり始めた。かつての充足感はどこか薄れ、代わりに微かな違和感が芽生えた。その正体は掴めないが、何かが欠けているような感覚だった。景色も匂いも変わらないはずなのに、なぜか以前のようには心に染み込まない。それ以来、夜の峠へ向かう足は自然と遠のいていった。
気がつけば、私はもはや独りではなかった。自分とパートナーとの境界は曖昧になり、日々の充足感の源泉にはパートナーの存在が横たわっていた。相手の幸せを想う気持ちが、自分の幸せと繋がっていた。それは単なる依存ではなく、確かに愛でもあった。けれども、私にとって孤独もまた大切なものだったのだろうか。
時折、峠のことを思い出した。季節の星座に記憶された木々の匂い、エンジンの音と共に静寂の中へと溶け込んでいく体験。独りが故に触れることのできた神秘的直感の世界は、遠い記憶へと変わりつつあった。それでも、あの時間は心の奥底で密かに息づき、再び訪れる時を待っているようにも感じられた。
そんなことを考えているうちに、私たちは別れることになった。心にぽっかりと穴があいた。無意識のうちに広げられてしまった自分。そこにできた空白を埋めるものは見つからず、私はまた独りだった。そうなると、やはり峠が私を呼んでいるような気がした。あの安らかな時間が、再び私を癒してくれるに違いなかった。
車を走らせながら、胸の中には息苦しい緊張感があった。空っぽのはずの助手席が、車を重く感じさせた。やがて見晴らしのいい場所に車を停め、故郷の灯りを見下ろす。こうして今、私は再び峠にいる。しかし、ここには冬の訪れを予感させる冷たさが広がるだけで、私を満たすものは何もなかった。確かに独りでいるはずなのに、もうあの頃の独りには戻れない気がする。これほど人生が長く感じられる瞬間が来るとは思わなかった。かつてはここで未来への希望を映し出していたオリオン座も、今はただ無機質に私の涙を照らすばかりである。