はてなキーワード: 原則的とは
こういう粘液が出ている所にはデリケートゾーン用のソープを使うのはかなり有効なので覚えておいてほしい。
また、原則的に入浴介護は危険だし体力が必要だし、プライバシーの問題もあって難しいことが多いので、プロに任せた方が良いと言う事はまず述べておく。
特におむつやパッドを使う用になった要介護者の場合、どうしても股間が蒸れてしまったり、不潔になってしまう事がある。
これをそのまま放置しておくと、カンジダなどの病気になってしまったり、最悪の場合尿道炎などにかかって入院、さらに体中に影響が出て敗血症等と言う事もありうる。
そこで、きちんと清潔にする必要があるのだが、全身洗い用のボディソープでゴシゴシなんてすると、要介護者は皮膚が弱くなっているのですぐに悪くなる。
また、本人も当然ながら羞恥心などもあるので、さっと済ませたい。
そういうときに有効なのが、薬用の抗菌泡石けんである。デリケートゾーン用としても抗菌成分を含むちゃんとしたメーカのものを選ぶのが良い。俺の所ではほぼほぼ持田ヘルスケアのコラージュフルフルシリーズを使っている。
また、同様のシリーズに撥水クリームというのがあって、これもデリケートゾーンの保護に有効である。これを塗っておくと皮膚に汚れがつきずらく、弱い皮膚を保護してくれる。
国内における市民と兵士の関係において、兵士がどのように行動すべきかについては、国の法律、治安維持のルール、そして状況に依存します。ただし、以下のような観点で整理できます。
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原則的には、国内で兵士が直接市民に関与するのは例外的な状況です。たとえば、以下の場合が考えられます:
これらの場合でも、兵士の行動は厳格に法律や規則に従わなければならず、武力行使には非常に高いハードルが設けられています。
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市民が兵士から武器を奪う、あるいは奪おうとする行為は極めて深刻であり、兵士にとっては「一線を超えた」と判断される可能性があります。しかし、対応には以下の基準が重要です:
(1) 即座の脅威がある場合
市民が奪った武器を使用して兵士や他者に危害を加える明白な意図を示している場合、兵士が武器の使用を含む行動を取ることは正当防衛として認められる可能性があります。
(2) 脅威がない場合
市民が単に武器を奪ったが、即座に降伏の意図を示している場合、兵士がその市民を殺害するのは過剰な力の行使と見なされる可能性が高く、不適切です。
武器を取り返すか、拘束するための非致死的な方法を優先するべきです。
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日本の例では、自衛隊が国内で武器を使用することは非常に制限されています。自衛隊員が武器を使用できるのは、基本的には自身や仲間の生命が危険にさらされている場合に限られます(武器等防護措置や正当防衛など)。
海外の例でも、軍が市民に対して武器を使う際には、明確な法的根拠や命令が必要です。独断で武力行使をすることは重大な法的問題を引き起こします。
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武器を奪われた状況そのものが、兵士側のリスク管理の問題でもあります。市民に武器を奪われることを防ぐことが最善策です。
武力行使は最後の手段とされ、過剰な力を用いると市民の信頼を損ない、兵士自身や組織の立場を悪化させる可能性があります。
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国内において兵士が市民に対して武力を行使することは、法律や倫理的観点から非常に制約されています。
「武器を奪った市民を殺す」ことが正当化されるのは、生命の危機が差し迫った状況に限られます。それ以外の場合には、適切な手順(拘束や非致死的な対応)を優先すべきです。
JTCと言えば?と質問すれば真っ先に挙がるような巨大ジャパニーズトラディショナルカンパニーに転職してきて驚いたのがこれ。
聞くと、昔はどこそこに出張すると言う依頼をすると、切符からホテルまで全部手配すると言う部署で、その関係でJTBの代理店資格を持っており、さらにJRの端末まで繋がっていて、切符まで発券できると言う場所であった。
が、それがついになくなった模様である。
昔は必ずここを通せと言うルールがあったそうだが、今はそういうことは基本的には無い。ただ例外が海外出張と事前のJR切符の発券で、それは原則的にここを使うと言うルールがあった。
と言う訳で、一回使ったことがあるのだが、切符の発券所に自社の名前が載っているというレア切符が手に入るのであった。
当たり前だが、この部署が存在するが為に面倒くさい手続きがだいぶ増えていた。出張慣れしている我ら社畜が使うことは無かったが、あまり出張をしないひとが出張するときには相談にのって手配などをしてくれたらしい。最後でも全国で百人近いスタッフがいたらしいが、実際には出張計画をシステム登録すると、たかだか数百円のためにアラ探しして否決してくるただただ面倒クサい感じの部署で、お前の時給を削減すりゃ早割切符で変更できない縛りとかなくてすむのになとか思ったりもしたし、そんな無駄な人員を抱えてても潰れないってすげーなJTCと言う感想だったが、リスキリングして配置転換すると言うことで、廃止になった模様。
その中で海外出張の手配をやっていた人たちがひっそりと同じ業務で生き残り、残りは散ったが、幹部社員は根こそぎ再チャレンジ支援プログラムの対象になったらしい。要するにクビである。
こんな風にならない用に、美味く立ち回らないとならと、残り30年ぐらいはあるサラリーマン生活に思いを馳せる師走の夜であった。
まずそれが分からない
性の商品化と同じでいいんですか?
あとは異性を惹きつけるための広告とか、サービスシーンか? *2
直接的にはポルノじゃないけどカッコいい男や可愛い女の子を広告に使うのは男性性、女性性を利用して顧客を誘引してるよね
最近のドラマで「あのクズを殴ってやりたいんだ」ってのがあって唐突に男のシャワーシーンが出てきたけどああいうのも性的消費?
イケメンとか女優出すだけで性的消費だと大分意味合い変わってきそうだけど、原則的には性的消費?
これが一番性的消費って感じがする。
で、何が悪いんだっけ?
いや昔ながらの倫理観で「はしたない!」「不潔!」「性は神聖なものであって商品化されるべきではない」「公序良俗に反する」とかなら分かるよ
金払ってねえんだから
金払えよって話
でも買ってんならいいんじゃないの?
女も男を性的消費してんじゃん、とかはさ
いや、それを悪いとする価値観はもちろん昔ながらのアレであるんですけど
男女平等という観点からは性的消費そのものを悪とすることにはつながらないよね
そのほうがしっくりくるね
じゃあ悪い性的消費ってなんだろう?
これは悪かな?
じゃっかん悪よりだよね
でもこれは悪よりだけど許されると思う
じゃあ表現することは?これはかなりアウトに近いと思う
昔、中学生のころBL好きの友達が男の子と喧嘩したとき「あいつを〇〇とかけ算してやろうかと思った藁」みたいなことホムペで書いてた
あとは言葉だけでなくコラだのAIだので性的画像を作るともうアウトでしょ
自分の性的なことがらというのはその人の尊厳や名誉にかかわることであって、これを他人が勝手にあれこれするのは悪い事だ
これは全然セーフでしょ
③男→女の直接違法的性的消費(↑の違法利用、セクハラ、レイプ)
④女→男の直接違法的性的消費(↑の違法利用、セクハラ、レイプ)
⑤男→女の間接合法的性的消費(サービスシーン、可愛い女の子による広告など)
⑥男→女の間接合法的性的消費(サービスシーン、イケメンによる広告など)
でも明らかに男の方が女を求める数が多いので、数が平等ではない
これは主に性欲に起因する違いと思われる
①に関して、風俗で働かざるを得ない状況を維持するものとして批判することができそうかな?
そうすると人類の存続は非倫理的なものみたいな過激思想になって都合が悪いので性欲そのものは悪くないってことにしておくね)
問題は③だよな
これがなくなればいいんじゃない?大体満足なんじゃない
とくにポルノの違法的利用、セクハラ、痴漢、レイプは公正な取引や人間の尊厳を毀損するものなので悪いことです
よってこれらが行われないように対策をしていきましょう
当たり前じゃねえか!もうええわ
たぶん遊戯王エアプ勢だと思うけど、遊戯王には総合ルールが存在しないよ。
https://mtg-jp.com/gameplay/rules/docs/0006836/
https://www.onepiece-cardgame.com/pdf/rule_comprehensive.pdf?20240419
遊戯王のパーフェクトルールブックは総合ルールに似せた攻略本だ。また冊子になっているものは簡易的なものなのであちらも総合ルールとは言えない。
大きな違いは基本的な考えやルールや用語の定義が抽象化され明確になっていること。
一番わかりやすいものとしてワンピースにはこういう項目が1ページ目にある。
これはあらゆるカードゲームが採用している非常に汎用性に富んだ原則的なルールであり、黄金律の一つとされる。
仮に「モンスター1体を対象とする。そのモンスターを破壊する。そのコントローラーは1ドローする」という効果があったとしよう。
対象にしたモンスターAが破壊耐性を得て破壊できなかったする。この場合、遊戯王では1ドローできるかどうかは微妙なテキストの書き方(その後など)や裁定によって状況が異なる。
しかし、「可能な限りその行動を行う」という黄金律が総合ルールによって定められている場合、破壊できなくともそのコントローラーは1ドローする。
最初の破壊という処理が実行不可能で無視されてもそれ以外は可能だからだ。もちろんこうならない場合も存在し、例えば対象がすべて不適切(解決時に存在しない)ならばその後の処理はすべて行わない。
これらの処理はテキストと総合ルールによってどうするかが明確であり、なぜそうなるかは個別の裁定で決めることはない。なぜなら「実行可能だから」という理由があるからだ。
実行可能でも実行するかどうかはカードの個別ルールや過去の裁定基準が握っている。
この「同時に実行されるから」というのも実は明文化されているわけではない。
たとえ裁定があったとしてもそれは一種の慣例に過ぎないからだ。
除外と同時に行うという表現も、結局はカクリヨノチザクラが同時か異なるかの裁定を持っているかに左右される。
遊戯王は
それはテキストに付随する裁定に依存するのと、総合ルールなどで処理が明文化されていないからだ。
そもそも、総合ルールは遊戯王には存在しないことが多くの人に理解されていない。
例えばパーフェクトルールブックは最新版でもサイキック・ブロッカーのような禁止令構文を記載していない。
総合ルールが数年に一度発売される書籍に依存するとか現代カードゲームではナンセンスすぎるし、そもそも総合ルールとしての体裁をとっていないのだから同人誌や攻略本の類と区別できない。各項目にナンバリングすら振られていないんだから。
裁定はあくまでも挙動を個別に具体的に示すものであり、理由や根拠は別に存在する。その理由や根拠が曖昧なんだよ。
というか、最近は裏守備のルールや強奪系のルールも裁定の変更だけですませているし、総合ルールなんてもので「コントロールのルール」という項目が作られる気配もない。
こういうのが遊戯王の良くない点だ。
という2段階を想定しているように見えることが多い。
現行法やAI推進者の多くは文科省の出している資料などを見るに
という3段階を想定している。ここが一番違うところだなあと思っている。
反AIの人は
で話が完結してしまう。
AI派は
なので、雑な人は「学習生成は真っ白だろ」というし、慎重な人は「(3段階目がどうなっているかが前の段階に波及するので)ケースバイケースですね」とか「白寄りのグレーってとこです」って言う。
ここで問題になるのは学習元のコンテンツを享受する目的だとダメっていうのが反AIにとっては難しすぎる概念なのか、もしくは都合が悪くて無視されている事情のようなんだけど、「海賊版を作る目的でやるのはさすがにあかんでしょ」ぐらいに考えとくとわかりやすい。
プロンプトに「ドラゴンボールの1234コマ目」と書いたらそのまま切り抜いて返してくれるようなDB作って売ったり誰でも使えるように公開したらそりゃ学習元が差し止めに行けるようにしなきゃいかんでしょ、って話。
で、問題なのはこの3つ目の段階にこの世の全ての邪悪が詰まってるっていう運用なのよね現状の著作権って。
紙の雑誌とか買ってくるじゃん。記事ごとに切っていい感じにまとめてスキャンするじゃん。社内共有ファイルサーバに置いて社内のみんなに見えるようにするじゃん。みんなで見るじゃん。
「いい感じにまとめて」も「スキャンする」も一応ファウルなんだけど「社内のみんなに見えるようにする」が一番のアウト行為なのね。次点で「みんなで見る」がいかん。被害額の算定とかそういう感じでやるじゃん。
なので、生成AIのモデルがインターネットで配布されています。自分のPCにインストールして動かしてみてプロンプトを工夫したらミッキーマウスの絵が作れた。みんな見てくれ!生成AIはこんなに邪悪です!ってX(Twitter)に貼り付けた反AIの人がいたとするじゃん。
悪いのは「貼り付けた」行為なんすね。ディズニーを傷つけたのは生成AIのモデルを学習させた人ではなく、手元で生成した人でもなく、ネットに貼って公表した人になる。
あれっすよ、絵師さんの書いたちょいエロ画像をフェミさんがRTして広めたのを見て傷ついた女さんがいたとして傷つけたのは絵師じゃなくてフェミっていうやつと類似。
でも反AIの人はモデルの生成がけしからんってところから全然出てこないんだよなー。モデルの利用者の責任っていうところ一切触ろうとしない。というかそこ理解しちゃうと活動が成り立たないのかもね。
まあ現状の生成AIサービスはローカルのPCで動かすのが普通の人にはなかなか難しくて、WEB上でブラウザ越しにサービス触る感じになるから生成と公表発表公衆送信が同時に起きてるように見えちゃうのがいかんのかもしれないね。
それじゃあ、順繰りですから、本日は増田さんに発表してもらいます。任意のフィラー増田です。よろしくお願いします。任意のフィラー当番ということで私共の任意のフィラー事業部の取り組みについて簡単に任意のフィラーおさらいさせて任意のフィラーいただきますと、任意のフィラー匿名掲示板における維持管理コストとしての例外的リスクを定量的に評価してみようということで取り組んでいました、任意のフィラー取り組んでいます。この画面は見えていますかね、任意のフィラー当然ですがこの数式でお示ししておりますように、収益任意のフィラーこの場合は広告収入ということになります、が、任意のフィラー右辺つまりコストを上回るならば経営判断としてサービス継続ということになるかと思います。原則的にはということです。任意のフィラーここで右辺に着目しますと例外的リスクかけるピーつまり確率プロバビリティという項が特に難しいということで、任意のフィラーこれまで4つの方式を考えて来ているわけでして、
オタク野郎がくせーのは運動しないからだぜ。みたいなのをたまに見る。
ついでに調子こいて道徳の説教までしてたりもする。怠惰で他人に気を配れない生き方丸出しだぜ、的なの。
それで言ったら運動部の中高生はどうなんだよ。電車に現れるくせー奴の遭遇率で言ったらそっちの方が多いだろ。
ダサいオタク野郎は服を買い替えないし、定期的に煮詰めたりの処理もしないからくせーんだ。っていう。
服に無頓着な人間とオタク共がイコールであるかと言ったら、別にそんな事はねーだろって思うけどね。全体の一部を構成する傾向はあるかもしれんけど。
体臭に関しては食生活が結構デカい気がする。ワキガみたいに遺伝もあんだろうけど。
健康的な飯が好きなそれと一致してる人間なら別に良いんだろうけど、そうでなかったら原則的につまらん飯を食い続けるなんて苦行でしかない。
そうなったらもう迷惑教のコミュニタリアン共にガタガタ抜かされようが好きなもん食ってた方が良いよなって思う。
くせー奴に出くわしたら普通に死ねって思うし、死ねと思われようが好きな飯食って服のケアに気を遣わないのも別に勝手だろとも思う。
https://anond.hatelabo.jp/20240712184211 続き
(16)
nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。民主政は有権者に向かって「いまあるあなたとは違う人間になってくれ」と懇請するのである。「よけいなお世話だ」と腹を立てる有権者がいても不思議はない。そして、実際に多数の有権者が「大人になってくれ」という制度からの懇請に腹を立てて「オレはオレのままでいいんだよ。オレはオレが大好きなんだ」と口を突き出すようになったことで民主政は終わりに近づいている。
(17)
nippon.com版
帝政も王政も貴族政も寡頭政も、どれも「市民が幼稚で愚鈍である方が統治コストが安く上がる政体」である。だから、これらの政体は市民に向かって「成熟するな」というメッセージを送る。「難しいことは考えなくていい。考える仕事は私たち支配者が代わって行うから、お前たちは愚鈍のままでいい」という甘い言葉を送り続ける。中国の歴史書・十八史略に登場する、「帝力なんぞわれにあらんや」とうそぶいて、自分が支配されていることさえ気づかなかった「鼓腹撃壌」の老人こそ愚民の理想である。
帝政も王政も貴族政も寡頭政も、どれも「市民が幼稚で愚鈍である方が統治コストが安く上がる政体」である。だから、これらの政体は市民に向かってさまざまな機会に「成熟するな」というメッセージを送る。「難しいことは考えなくていい。考える仕事は私たち支配者が代わって行うから、お前たちは愚鈍のままでいい」という甘い言葉を送り続ける。「帝力なんぞわれにあらんや」とうそぶいて、自分が支配されていることさえ気づかなかった「鼓腹撃壌」の老人こそ愚民の理想である。
(18)
nippon.com版
その中にあって、民主政だけが、市民を甘やかさない。市民に対して「大人になれ」という面倒な仕事を押し付ける。だから、民主政は嫌われるのである。
その中にあって、民主政だけが、市民を甘やかさない。市民に対して「大人になれ」という面倒な仕事を押し付ける。だから、民主政は嫌われるのである。
(19)
nippon.com版
(無し)
たぶんこれからも民主政は嫌われ続けるだろう。有権者たちが「あなたがたは今あるがままでよいのです。成熟する必要も、自己刷新する必要もありません」という甘ったるいメッセージを言い交わしているうちに民主政は終わるのである。
(20)
nippon.com版
今回の選挙の混乱の再発防止のために、一部からは立候補時の供託金を高額に引き上げることや推薦人を一定数確保することを立候補の条件とする案も出ている。だが、私は立候補を困難にする条件をつけることには原則的には反対である。一部の「性善説制度をハックする人たち」を何とかするために、今私たちが享受している政治的自由を規制すべきではない。
というのは、性悪説に基づいても、違法行為も完全にシャットアウトできるシステムを作ることは可能だし、それに類するものを作ってみても、システムの設計と維持に膨大なコストがかかり、かつ効果は大してない。「ハッカー」というのは「穴を見つける専門家」なのである。性悪説にシフトすることが民主政にプラスをもたらすことはない。
規制を設けるなら、法律で網をかけ監視や取り締まりをしなければならず、システム構築に膨大なコストが必要になる。だが規制を設けても、相手は新たな穴を探してくる。おそらく終わりなきいたちごっこになるが、これによって民主主義に関する新たな価値を生み出すことは無い。
(無し)
(21) 最終部分
nippon.com版
私たちがなすべきなのは、「市民社会の常識」を再生させることである。「君がやっていること、それは非常識だよ」という言明が、現実に強い規制力を持っていれば、法律を作る必要はない。
米国では2016年の大統領選挙の時、ワシントンポスト紙が候補者たちのステートメントにファクトチェックをかけて、「ピノキオ」という単位でその真実含有量を表示したことがあった。「一部誤認や事実のつまみ食い」が1ピノキオ、重大な言い落としや誇張は2ピノキオ、重大な事実誤認や明白な矛盾は3ピノキオ、大うそが4ピノキオ。前大統領のドナルド・トランプ氏は「底なしピノキオ」の称号を贈られた。信頼できるファクト・チェッカーがその威信をかけて「誰が真実を語っているのか」を査定するならば、法的規制は要らない。
今回の都知事選が改めて示したのは、「常識あるまともな大人」が一定数存在しなければ、民主政は持たないということである。今は「大人になれ」も「礼儀正しくあれ」も「非常識であるのは恥だ」も、どれも強い指南力を持つメッセージではなくなってしまったが、それでも私はこれからも忍耐強くそう言い続けるつもりである。
(無し)
nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載。
適宜改行等を加えた。
nippon.com版
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/
https://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
(01)
nippon.com版
今回の都知事選では、「選挙は民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的な認識が今の日本からは失われつつあるようだ。
今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。
(02)
nippon.com版
知事選の当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党(NHK党)」が関連団体を含め24人の候補を擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利を譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙と関係ない人物や動物の写真、サイトに誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつな写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。
(無し)
(03)
nippon.com版
(無し)
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。
自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。
自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。
正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。
選挙の話をしているところだった。
今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。
(04)
nippon.com版
公職選挙法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的に振る舞うはずだ」という仮定の下に設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
(05)
nippon.com版
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権の立法府軽視が原因であると私は考えている。
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。
(06)
nippon.com版
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権は行政府を立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。
(07)
nippon.com版
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
(08)
nippon.com版
現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
(09)
nippon.com版
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通の市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。
(10)
nippon.com版
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
(11)
nippon.com版
NHK党は、暴露系ユーチューバーで有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員を国会に送り込むなど、国会の威信、国会議員の権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである。
(無し)
(12)
nippon.com版
今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を忠実に踏まえている。
今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。
(13)
nippon.com版
日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
(14)
nippon.com版
自民党派閥の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
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nippon.com版
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件のニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。
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nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。 Permalink | 記事への反応(1) | 18:42
この5年くらいで80kg超から55kg以下まで減量して維持できているので、心がけたことの一覧を書いていこうと思う。
それまでは母の作ってくれる食事と昼食は外食で賄っていたので、とりあえず全て自分で作ろうという話になった。
自分は沢山食べてしまう人間なので、人より多く食べるという点を曲げる気はなく、じゃあ何を食べていいのかと考えた時、第一候補に挙がったのは野菜だった。
イモ類は別にして、大抵の野菜はカロリーを気にする必要がないので、手当たり次第に野菜を常備して人の3倍くらい野菜を食べる生活が始まった。
なお食費は2倍くらいに膨らんだ。
タンパク質、炭水化物、脂質の中で最も不要なのは脂質だと判断した。
揚げ物は基本的に断ち、スーパーで買う肉もなるたけ脂身の少ない赤身を選ぶようになった。
料理に使う油もできるだけ上質なものを摂りたかったので、オリーブ油と米油を主軸に料理するようになった。
肉を調理する前に焼いたり湯通ししたりして油抜きをするという習慣もついた。
炭水化物は多くても少なくてもいけないと思ったので、計量機で150gを測って食べる習慣がついた。
肉より魚の方が体にいいイメージがあるので、週に2、3回は魚を食べるようになった。
煮魚って意外と簡単だなと気づいたり、塩焼きはフライパンにアルミ敷いてやった方が洗い物が少なくていいことなどを学んだ。
外食をとにかく減らしたかったので、昼食は基本的に弁当を持っていくことになった。
自炊は始めたが料理上級者ではないため、ご飯と生野菜と野菜炒め、みたいな小一時間で作れるものを持って行っている。
どうしても作れなかった日は職場の近くにあるデリカキッチンで一番カロリーの低い弁当とサラダを買うことにしている。
以前はコンビニスイーツや菓子類を食べていたが、これは原則的に禁止した。
コーラなどの清涼飲料水もアウトと認定。外で買うのは水かお茶かブラックのコーヒーだけになった。
ただ全面禁止というのはやはり難しく、アーモンドとヨーグルトだけはOKという謎ルールが生まれた。
弁当にも細かく切った果物を入れることでおやつの代わりとした。
大昔には水泳やサッカーなどをやっていたが、社会人になってからはほぼほぼ運動と無縁の生活をしていたため、手探りの状態から始めた。
当時はてななどで自転車ネタがやたら流行っていたので、流行に流されがちな俺はロードバイクを購入。
最初の半年くらいは没頭した。休みのたびにフル装備で遠出して、あちこちの峠を走り回った。
この時点で10kg以上減量に成功していたが、ある日突然熱が冷める。
機材に継続的にお金を使っていく覚悟もなく、休みの少なくとも半日を消費する趣味に疲れてしまった。
3ヶ月くらい続いた。
慣れてくると長距離を走るのは楽しく、どこまでも走っていけるような気分になっていた。
そしてある日調子に乗りすぎて走り過ぎ、足首と膝を痛めた。
病院にすぐに行くこともせず放置したので完治まで長引き、そうしているうちに熱が冷めた。
なお後から病院に行った結果、膝に爆弾を抱えている事実を知った。
足に負担をかけずに運動したいと医師に相談すると「散歩でもしたら?」と回答されたので、愚直な俺は散歩を極めようと思った。
毎日1時間早く起きて散歩し、休日には水と携帯を持って2時間ほど歩く生活が始まった。
この習慣は現在まで続いており、現時点では一番効率の良い運動だと思っている。
AppleWtachを信じるなら1時間歩くだけで150kcal以上の消費なので、ゆるやかに痩せていくだけならこれだけの運動量で十分だと思う。
ただ歩きすぎるとまた足を痛めそうなので、2時間を上限にしている。
歩いていると四季の移り変わりに敏感になり、植物や犬などを鑑賞しながら運動できるので、なかなか有意義な部類の趣味なんじゃなかろうか。
歩くだけじゃ単調すぎないか?という気分もあったので、途中で水泳にも取り組んだ。
この時点で体重は60kgほどになり、かなりのガリガリだったので、上半身の筋肉をつけるところから始めなければならなかった。
そして痩せた結果としてあまり筋肉のつかない体になってしまったので、昔のようにスピードを出して泳ぐような泳法は無理だと悟った。
数ヶ月定期的に通っていたが、市民プールが一月の休みに入ったところで離脱。
また始めてもいいんじゃないかと思いつつ、散歩だけで十分じゃね?という気分になっている。
世間の筋トレブームに倣って自重トレーニングはいくらかやったが、そもそも筋肉の必要性がわからなかったのであまり身に付かなかった。
唯一腹筋だけはなんだか楽しくなって、色んな腹筋を100回ずつとかやっていたので、一時期腹回りだけバキバキに割れていた時期がある。
筋肉が多いほど代謝がよくカロリー消費が多い、という原理はあるが、筋肉は基本的に重く、維持するためにはそれなりのタンパク質を食べなければいけないので、ダイエットという観点から重要視すべきかは正直疑問だと思っている。
しっかり体を作り込んで理想の体型を手に入れたい!という人は注力すべきだと思うが、軽くて細ければそれでいい、という自分のようなタイプは重要視しなくていいんじゃなかろうか。
そろそろ総括に入りたい。
痩せてみると初めて分かるが、体の太さは内臓脂肪が決めている。
内臓脂肪を限界まで減らすとモデル体型になるし、仮に体重が軽くても内臓脂肪がそこそこあると普通体型になる。
なのでダイエットの基本はこの内臓脂肪をいかに減らすかという話になってくるし、内臓脂肪を減らす方法が掴めれば皮下脂肪も自然と減る。
内臓脂肪や筋肉量まで測れる体重計を買って毎日乗るとダイエットは捗る。
何を食べたら脂肪が増え、どの程度運動したら減るのかが一発で分かる。
それらの数値はアプリで管理できて毎日眺められるのでダイエットのモチベーションにも一役買う。
ごくまれに大食いをしてしまっても3、4日でリカバーできることが理解できると精神的にも楽になる。
俺はダイエットを始めてから野菜をモリモリ食べるようになって大便もモリモリ出るようになったわけだが、それだけ腸がすっきりすると体の動きも違ってくる。
体を細くするという意味で宿便の解消は一つの鍵になるし、一日一回出るものが出ているかが健康とダイエットを両立できているかの一つの指標になる。
リバウンドという概念があるが、あれはダイエットを辞めたから起きる現象だと思っている。
世の中にはいろんなダイエット方法があるが、食事法にしろ運動にしろ、長期間やっていて苦もなく持続できるレベルのものを選んだ方がいい。
ダイエットの副産物として意外だったのが、服を着るという行為の面白さに気づいたことだ。
昔は服を選ぶのが嫌で嫌で、古い服をボロボロになっても着ていたり親が買ってきたものを脳死で着たりしていたが、痩せてみると「どんな服を着てもいいんだ」という事実に気づく。
あらゆるズボンがSサイズで収まるし、トップスはどのサイズを選んでもいい。
ここまでダイエットの成功談を書いてきたが、俺はどちらかというと「ダイエットをしすぎた人間」の側だ。
今は体重が55kg前後を維持しているが、一時期は48kgまで落ちていた。体脂肪率にすると8%くらいだったと思う。
その頃には会う人間全員に心配されるレベルで、けれども健康診断などでは何一つ引っかからず、「このままでいいんじゃね?」と内心思っていた。
しかし鏡で見るのと写真で見るのとではやはり違って、家族が徹底的に俺の写真を撮って見せてくれることで「このままじゃダメだ」と気づいた。
実際今あの頃の写真を見ると病的に痩せていて、あのまま続けていたらどうなっていたんだろうという怖さを感じている。
ダイエットはみんなが思っているよりとても楽しく、だから用法用量はきっちり見定めて健康を維持しながらやる必要がある。
個人的な経験則で言うなら、体脂肪率10%は割っちゃいけないと思う。
これからダイエットを始めようという人は頭の片隅にでもいいからそういうことを覚えておいてほしい。
身長は168cm。やや小柄です。
NHKのニュース見ただけで内容はちゃんと調べてないけど、今までと大して変わらないんじゃないかなと思う。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240516/k10014451041000.html
>> DV=ドメスティック・バイオレンスや子どもへの虐待のおそれがある場合は裁判所が単独親権にしなければならないとされています。
>> また法務省は、父と母が話し合うことができない状態となり、共同で子どもの養育を行うことが困難な場合も、単独親権になる可能性があるとしています。
これって家庭裁判所が『DVのおそれあり』と判断する基準が極端にゆるかったら今まで通りってことでしょ?
一度だけ手を強く握ってくることがありました→暴力に発展する可能性あるので男性に親権は渡せません……みたいな事例が多発しそう。
ルールとしては共同親権ができ、建前としては原則的に共同親権。ただし実運用としては今まで通りに母親の方が親権を獲得しやすい、となるんじゃないかなー。
今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。
と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。
元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、
おいしくないものが我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分が料理をするようになった。
ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、
別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活の最初の方は、かなり適当な食生活をしていた。
だから、今回の話は、必ずしも生まれつき料理が好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。
自分で料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、
自分はそもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。
自分で料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。
①節約になる。
②健康になる。
③好きなものが食べられる。
⑦妻に喜ばれる
以下、順番に説明する。
これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊はお金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。
短期的に見れば、確かに一定の初期投資は必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。
料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。
ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理で日本人が使用する食材や調味料のレパートリーは限られている。
また、そのレパートリーを大別すると、
(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜、牛乳、ヨーグルト、など。
(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎ、ジャガイモ、にんじん、ねぎ、にんにく、生姜、昆布、鰹節、味噌、醤油、酒、ワイン、蜂蜜、塩、砂糖、コショウ、その他種々の調味料、など。
となる。
ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオンの場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、
常に一定数以上確保しておくようにすることだ。
(b)の分類の食材が常に冷蔵庫にストックされており、調味料なども揃っていれば、
あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。
肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、
特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料を調達できる。
こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材を無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。
これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。
むしろ、調理済みの惣菜や、飲食店の食事で、一日に必要な野菜の摂取量を十分に確保することは難しい。
調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物が使用されている。
昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品の成分表示を確認するようになった。
具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。
が、実際にコンビニやスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、
加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。
また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、
自炊をする中で、それぞれの分量や性質が自分の体調に与える影響の度合いを、実経験で観測していくことができる。
こうしたPDCAが自炊をしていると自然と回るようになるので、自然とダイエットにもなり、体調管理にもつながっていると思う。
これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。
コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的な選択肢だった。
ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。
また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。
その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。
また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画の凄さだと思う。
誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。
Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか。
上記のように、Youtube動画でちゃんとレシピや工程を確認しながら多くの料理を経験していくことで、料理全般を下支えするセオリーが体感的にわかるようになってくる。
例えば、
・どのようにして旨味を構成するか?
・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?
・なぜこの順序で食材を投入するのか?
など、無数に論点がある。
もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。
「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。
また、それに対する考察が、日常の料理にもフィードバックされるために、自分と家族の食の経験がより豊かなものになっていく。
これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。
これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理や食材は、「人間と自然との強力な接点の一つ」だ。
「サラリーマンは一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」
というようなことを言っていた。
これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、
やはり現実的にはこれはなかなか難しい。
一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。
例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。
また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感を総合的に用いたプロセスを、自然と経験する。
これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。
料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理を提供する必要がある。
・おいしさ
・栄養素
・原材料費
・在庫管理
・洗い物の段取り
これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。
私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般に経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理の管理に活用している部分も色々ある。
こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程を俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。
ここまで色々語っているが、自分が料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。
このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質のアウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。
結局、これが一番大事だ。
よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから、外注した方がいい」などというものがある。
確かに、資本主義の原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。
「自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方そのものを規定する哲学だ」ということだ。
それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。
料理を外注化すること、子育てを外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味を外注化すること。
技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。
原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。
しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。
食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。
まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います。
…
いや誘致はしたほうがええんよ、原則的には
追記じゃなくて、投稿を分けて仕舞えばいいかなと思ったので、こちらで解説します。
letitbomb78 増田のレビューは削除されており、それらしいレビューがあるかを目印にできないとなると、ヒントとして成立するのは「デマ本である」「欧米Amazonでは発禁」のみだと思うが、この2つで辿りつける人がいるのか?
Amazon removes 92 books promoting Holocaust denial - The Jewish Chronicle
アマゾンは、ホロコースト記念日を前にユダヤ人団体から賞賛を浴び、ショア(ホロコースト)否定を助長する92冊の書籍を削除した。
アマゾンは近年、この問題に対する世論の圧力の高まりに直面していた。アマゾンは現在、17カ国にまたがる数多くの書籍と850以上のハイパーリンクを削除している。
いわゆる「ホロコースト否定(Holocaust Denial)」です。
上のブコメの人が、ヒントを出してあっても気付かないほど、日本ではほとんど話題に上らない分野です。
ホロコースト否定が日本で話題になったのは、おそらく今まででたったの2回程度です。
一度目は、西岡昌紀という神経内科医が、1995年1月に、文芸春秋社の若者向け月刊誌だった『マルコポーロ』にホロコースト否定の記事を書いてちょっとした騒ぎになったことがありました。
その記事のせいで、売れ行きのよかったその月刊誌は速攻で廃刊になってしまいました。
二度目は、2015年10月に、高須クリニックの高須院長が「南京もアウシュヴィッツも捏造だと思う」とツイートして炎上して話題になったのを記憶している方もいるかと思います。
高須院長が〈アウシュビッツは捏造〉ツイートに抗議受け酷い反論! ご意見番扱いするメディアはなぜこの問題を報じないのか|LITERA/リテラ
しかし、欧米では1970年代頃からだと思いますが、何度も問題になっていました。細かい話を入れると1950年代からと言ってもいいかもしれません。
欧米ではベストセラーの歴史家として人気のあった、『ヒトラーの戦争』などを著したデヴィッド・アーヴィングが、自身を「ホロコースト否定者」だと、歴史学者のデボラ・リップシュタットにレッテルを貼られて名誉毀損で訴えた事件は、『否定と肯定』なる変な邦題がつけられた映画でも有名です。
欧州では20カ国弱で、ホロコースト否定の主張を公に行うことは法律で規制されています。
米国では憲法修正第1条で言論の自由が厳格に認められているため、規制はされていませんが、米国のAmazonやFacebook、Twitter(現X)、Google(YouTube)等の大手ネット企業は世界的企業のためか、ホロコースト否定を原則的に違反行為として規制しているのです。
フェイスブック、ホロコースト否定の投稿を禁止 - BBCニュース
さて、ここからはいきなり私的な話になりますが、どうして私がホロコースト否定に対して異常に反感を持ち始めたかというと、2019年頃だったかと思いますが、たまたまNetflixやAmazonプライムなどで配信されていたホロコースト関連の映画に少しだけハマったからです。
そこからどういう経緯を経たかは覚えていませんが、日本でもホロコースト否定の主張をネットで行う人がそこそこいることが見えてきたのです。
おそらく一番反感を覚えたのは、YouTubeにある『ホロコースト論争』なる動画チャンネルの動画です。多分、「ホロコースト」関連の動画を見ているうちにおすすめに出てきたからだと思います。
私自身は、その詳細な内容は分からなくとも、いわゆる歴史修正主義者(ホロコースト否定派)たちがネット上で嘘(=誤り)ばっかり言っているのを朧げには知っていたので、「なぜそんなにデマを広めるのか?」と憤ったのです。
しかし、その時にもっと驚いた(というか呆れた)のは、その動画のコメント欄ではその大半が主張の賛同者で占められていたことでした。
それで、Yahoo!知恵袋に「どうしてホロコーストを否定しようと思うのか?」みたいな質問をしたりしていたら、何人ものホロコースト否定論者が当時知恵袋に巣食っていたことも知りました。
それら否定論者は、どこで知ったのか、とんでもなく細かい論点を事細かに幾つも示して、「証拠も全くない上に、これだけたくさんの疑問があるのだからホロコーストなど嘘である」と主張していました。
直感的に、それらの細かい論点は全部出鱈目なのだろうとは思ったものの、あまりに細かい話ばかりで、当時無知だった私には具体的な反論はほとんど不可能でした。それは、『ホロコースト論争』の動画に対しても同様でした。全然知らない話ばかりなので、どうしようもありません。
しかし、日本語で細かくホロコースト否定へ反論したサイトもほとんど存在せず、ホロコーストの歴史自体をざっくり学ぶのは容易ではあるものの、否定議論のような細部の話には打つ手がなかなか見つかりません。
ただし、日本のネットでのそれらホロコースト否定派が使っている情報自体は、日本語のものがありました。「歴史修正主義研究会」だとか、「ソフィア先生の逆転裁判」(※現在はwebアーカイブ以外には存在しない)だとかいうサイトです。
どうすれば反論できるのかと考えあぐねていたら、知恵袋である人から、外国語のサイトに有名な反修正主義者のサイトがあると教えてもらったのです。
私は英語すら全然ダメで、Google翻訳ではちょっと意味がわかりにくかったところ、2020年の半ばごろにDeepLという翻訳エンジンが日本語化対応したとはてなでも話題になったのです。早速使ってみたところ、とんでもなくわかりやすい日本語を生成することがわかったので、「これなら理解できる!」となったのでした。ただし、当時のDeepLの翻訳品質は、2024年現在よりかなり低品質です。
また、その方は、過去に日本でもホロコースト否定への具体的な反論をしていたサイトが Webアーカイブに残っているとも教えていただきました。
どうにかこうにか、そのようにしてホロコースト否定へ反論するための武器を整えていった結果、約4年経過後の現在、note上には300記事以上もの反ホロコースト否定関係の記事があります。
noteは英文記事の翻訳が中心で、多すぎて何から読めばいいか分からないという諸兄には、現在休止中ですが、自分で起こした記事を中心としたはてなブログもあります。
ちなみに、noteで最もアクセス数の多い記事は、なぜか以下の記事です。なぜこの記事がダントツでずっとアクセスが多いままなのか、理由がさっぱりわかりません。
ナチスの縮んだ頭、人皮のランプシェード、人体から作った石鹸、人毛の織物? 伝説から真実を見極める(1)|蜻蛉
まぁ、最近ではホロコースト否定派に正面から反論しても大して意味はないか、と諦めています。単純にホロコースト否定派は頑迷なまでにホロコースト否定を信じており、新興宗教から脱会させるのが至難の業であるのと同じように、本当に無意味です。
ですが、Amazonレビューでは本当にそこそこ「参考になった」票を貰えていたので、その程度には役に立てたかなと自分なりには満足だったのです。100個以上付いてたものもありましたしね。
たまーに、それらホロコースト否定主張に反論していた私のAmazonレビューをTwitter上で評価してくれる人さえいました。
永久にレビューできなくなったのでその楽しみもなくなってしまいました。
あとは単に細々とこの趣味をnoteやブログで続けるだけですね。もしよろしかったら、noteでサポート(投げ銭)ください 笑
追記:
hazlitt 翻訳と称して他人の記事を転載してる note の記事は元記事の著者・掲載メディアの許諾と訳文の権利者を明記してください。権利関係が不明だと訳文の利用にもリスクがあるのでまともな人は参照しません
とありますが、もちろん著作権上の問題は認識しております。著作物を勝手に翻訳して公開することは著作権法に抵触するのは知ってます。
が、翻訳公開しているものは無料で読めるネット上の不特定多数に向けて公開された情報に限定しており、Google翻訳等の自動で翻訳してくれるサービスとやってることは変わらないと考えています。
もし仮に私の翻訳公開がダメというのであれば、Google翻訳等の自動翻訳サービスもダメなのではないのでしょうか?
日本にはフェアユースを認める判例はありませんが、とある場所で海外の方(著作者ではありません)に聞いたらフェアユースだからいいのでは?と返されています。
別に私の翻訳文を利用してほしいとも考えておらず、単なる情報の提供に留まります。私の訳文を例えば研究論文などに利用する人がいるなどとは考え難いことでもあります。
元リンクは示しているのですから、引用したいのであればそちらを利用して自分で翻訳するのが当然だと思いますが。
要は。
日本語で情報公開しないと、日本の多くの人が理解しづらいだろうから、単にボランティアでやってるのです。
それでもダメだとなるのであれば、Amazonレビュー同様、私はネットから去ります。そうなったら、もはや絶望しかありません。
共同親権自体に反対するなんて、原理原則から見ても世界から日本に突きつけられている状況から見ても、受け入れられるわけないじゃん。
共同親権反対派自身が言ってるように、海外の共同親権制度と日本で提案されている共同親権制度とのギャップ(政府による養育費の徴収とか、より充実したDV対策とか)があるんだから、それを埋めることに集中して取り組んでいれば反対派も納得できるより良い共同親権制度を作れただろうにね。
もしくは、考えたくはないけど、世界から日本人による実子誘拐が大きく問題視されていて共同親権制度が要求されている中で、あえて実現不可能な要求をすることによって与党へのアンチを大量に生み出して野党が共同親権反対派の人達を自党に引き込もうとしているのであれば非常に悪質だと思う。
単独親権を持っている人達の不安を煽って、現実的な解決にたどり着かない道を示すというのは一見優しいようで非常に悪質。
念のため書いておくけど、原則的に子どもが男女両方の親と等しく親子関係を築ける仕組みにさえなっていれば、政府による養育費の徴収とか、より充実したDV対策とか不幸を最小限にする仕組みについてはオレも賛成というかむしろそれを希望しているよ。
どうも、お久しぶりです。
東電が電力料金の値上げをしたときに解説増田(anond:20230123193135)を書いた人です。
原発に言及したらクッソ叩かれて致命傷を負ったのでしばらく書いてなかったんだけど、
あまりにもおかしいこと書いてあるからそこだけ訂正させてくれーーー
再生可能エネルギーは、施設の製造・建設・設置、さらに運営のノウハウが溜まってきて再エネが安定した投資先と見做されてきており
これは眉唾。再エネは採算の取りやすい良い立地から開発されて行って結局後のほうで開発されるのはあまり採算の良くないところになって、あまり儲からなくなってきてます。
例えばこれとか見てもらえると https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC221NG0S3A520C2000000/
既存電源と再生可能エネルギーの違いは何かと言うと、限界費用が全く違う。再生可能エネルギーは、燃料費がないと言うところが大きくて、0円以上で売却できれば利益になる。というか、勝手に発電されるので止める意味が無い。
0円以上で売っても利益にはなるとは限らないです。もしかして新聞は紙とインク代まで値下げしろってごねる人ですかね?固定費とかってご存知ないです?
あとね、原発も限界費用は0円です。逐一燃料投入しないからね。どっちも勝手に発電されるって書いてるのにおかしいと思いませんでした?
止める意味が無いっていうのもおかしいです。ネガティブプライス導入している時は止めるのも良くあります。
むしろ風力の場合だと上方の調整力供給という意味でも止めることは欧州とかでもよくありますね。
そんなものと価格競争しても意味が無いので、例えば火力発電所は再エネの供給が大きくなったら発電を止めて、採算より高くなったら稼働すると言う事を行っている。
いや、そこが問題なんですよ。製造業の人とかじゃないとわからないかもしれませんが、設備稼働率がそんな再エネに合わせて押さえつけれられるものを、
誰が好き好んで運用するんですかね?誰もそんな火力発電所なんて使いたくありませんよ。
ここはその通りでもう電力会社は採算合わないので、脱炭素電源オークションみたいな補助金が入る形でしか火力発電所は新設できなくなってますよ。
ちなみにその結果が日本で2021年とかにあった電力逼迫だったんですが、もう忘れました?
電力価格の決定が統括原価方式なので、例えば発電所を30年使うと設定して投資した場合、原則的に建設費などの初動費は30年間固定されて電力価格に転嫁することが認められている
あのさぁ。。。電力自由化って理解してます?原価総括はもう終わってますよ。
あくまで名残として規制料金が残ってますけどあれは旧一電が赤字で電気を供給させられてる料金メニューですよ。。。
再生可能エネルギーの固定価格買取制度によく似ているが、そちらとの違いは、稼働していない発電所の維持費も電力価格に転嫁できる仕組み
あとこれもさあ。。。そもそも限界費用が0円の電気だから0円以上で売れば利益が出るっていうなら固定価格買取制度なんていらないよね。
なんでこの制度が必要なのかは結局維持費も含んだ固定費を賄って早期に投資回収させるために作った制度だよね。
電力料金も一緒で、結局発電所って毎日使えるわけじゃないから使えなくなったらバックアップが必要なわけで、でそのバックアップにも固定費がかかるから
あくまで冗長性確保のためのコストじゃないんですか?はてなーって普段は冗長性の大事さよく言ってるのに電力会社相手になったら無駄とか言い出すのは勘弁してほしいわ。
あとね、あえて「発電していない発電所の維持費」っていう書き方は良くないよ。まるで無駄遣いをしているように聞こえるしね。複数の発電所を束ねたシステムとしての維持費として理解してほしいな。
ほんとぉ?ソースほしいな
なんというか、電気の話題にしろ経済、ジェンダーの話題にしろ二項対立で考えすぎなんだよね。
電気の話題だと 再エネはクリーンで安いから善で旧一電は火発も原発もやっていて再エネを妨害している悪みたいな。
完全な悪なら警察とか政治も動くでしょ?動かないのは献金しているからとか考える人は陰謀論に片足突っ込んでいるから気をつけたほうがいいよ。
働いている人ならわかるけど世の中ってそんな単純じゃないよね?もしかして社会人なの俺だけ?みんな学生?え、怖いやめて
この人は言い方がムカつくけど仕事はできるから頼ってるみたいなのってあるじゃん。
結局いいところ悪いところ天秤にかけていいところが上回っているから選ぶわけだよね。
エネルギーの問題もそう。原発は放射性物質があるし、火発はCO2を出す。太陽光は森を切り開くし、風力はレーダーを妨害する。
全部悪いところはあるわけで、だから一つの悪いところを取り立てて反対するのは間違ってる。その中でメリットと照らし合わせてその中で一番マシな選択肢を選ぶのが重要なんだよ。
そうやって清濁合わせ呑んだ上で一番良いものを選ぶという考え方がエネルギーを考えることでは大事だと思うし、日本人にはそれができると思ってます。
考えをまとめるために書いているので長くなってしまった。
投資マネーが再エネに集まり、既存電源に行かない状況が続いている模様。
再生可能エネルギーは、施設の製造・建設・設置、さらに運営のノウハウが溜まってきて再エネが安定した投資先と見做されてきており、潤沢な資金供給が続いている。
例えば、利回りなども、再エネ設備の耐用年数を従来は20年などで計算していた。これは公的補助が20年だったと言う前提だが、次々と公的補助が終了した結果、耐用年数を30年以上で計算するところが増えていて、それらをミックスした投資商品が登場、安定した資金調達に繋がっているようだ。
一方で、相対的に既存電源に対する投資が減っている。欧州でもエネルギー安全保障の観点から、イギリス、フランスなどで原発の新規計画が出てる。
今時、国の金だけでやると言う計画をイギリスが建てるはずも無く、資金を募集しているのだが、全然投資が集まらなくてかなり苦戦している。
これとは別の話として、エネルギー安全保障の観点だと言っているのに、当初目論みの建設費で手を上げたのが中国企業(中国"系"ですらない、中国の国営企業)しかないと言う状況で、これだとまずいと言う事で、新規設置の原発が生み出す電力の買取保証価格をつり上げたところ、なんと再生可能エネルギーの2倍から3倍の価格になってしまって問題化している。
エネルギーの安定供給・安全保障の観点という点では色々な電源をミックスするのは当然で、そういう点では単価の高い電力が混ざっても仕方が無い。
が、その国のエネルギー価格は、その国の国際競争力に直結する。製造業はもちろんのこと、ITのデータセンターの立地、研究施設の立地など情報系にも影響してくる。
国策である程度電力価格をコントロールできるからと言って、上げれば今度は国際投資が逃げていくということで、苦しい状況が続いている。
欧州と言うより主にフランスでの問題なのだが、フランスは原子力発電所で発電した電力を他の国に売ると言うビジネスを行っていた。
ところが、再生可能エネルギーが市場を荒らすようになってしまったため、もくろみが崩れてしまって採算性が悪化している。
既存電源と再生可能エネルギーの違いは何かと言うと、限界費用が全く違う。再生可能エネルギーは、燃料費がないと言うところが大きくて、0円以上で売却できれば利益になる。というか、勝手に発電されるので止める意味が無い。
そのため、他の電源では燃料費が上回って赤字になるケースでも電力を市場に流す事ができる。そんなものと価格競争しても意味が無いので、例えば火力発電所は再エネの供給が大きくなったら発電を止めて、採算より高くなったら稼働すると言う事を行っている。
特にLNGのガスタービンは即応性が高いため、再生可能エネルギーに追従して運転をするのに適している様だ。
一方、そんな器用なことができない電源がある。
それが原発。
原発は燃料を燃やしているにもかかわらず、再生可能エネルギーと似たような性質を持っている。発電を始めたら勝手に発電されるので止められない、出力調整が難しい、燃料費に比べて設備費・初期投資の割合が大きいといったことだ。
そのため思いっきり市場を食い合っている。再エネがピークで安い時は下手するとマイナスの金額(つまり、売買に関わる諸経費を発電側が持つというようなもの)で売却される電力に対して経済面で追従を迫られる。
それでも、再エネが担う割合が低いころは、それ以外の時間帯で収益を出すことが可能だった。しかし、段々と再エネだけで賄える時間帯が増えてしまい採算性が悪化しているのである。
また、原子力発電所など大規模電源は30年以上の耐用年数を見込んで採算が取れるように投資商品にするのが一般的で、原発の場合は40年以上も当たり前だ。その間当然リスクを見込んでるんだけど、変化が急激すぎてそのリスク範囲を超えてしまっていている模様。
これは時限爆弾みたいなもので、実はちょっとヤバいと思われる。
電源関係の投資ってかなり安定的な投資と見做されてる影響で、年金など公共性の高い投資商品に基礎的なものとして組み込まれていることが多く、吹っ飛んだら電力関係だけじゃ済まないと思われる。
そしてここが不安定なので、従来型の大規模電源開発に投資が集まらない状況が続いている。
環境 テロリスト 団体はESG投資の結果だとか宣伝するし、それに呼応するように原発 村の盲信者 関係者が陰謀論じみたことを言ってるけど、実際には経済的なリスクが大きい一方で、利益が少ないことが要因だと思われる。
もはや後戻りができないぐらい進んでしまっている。この流れは止まらないだろう。
ただ、各種のデータを見ると本当にこれで電力の安定性大丈夫なの?と心配になるんだが、進んでいる源が経済という祟り神なので止めらんない。すると安定化する方法はそれに対応する電源開発なり大規模蓄電なり水素・アンモニア製造するなりしかないと思われる。
実は、原子力発電所も、負荷変動に柔軟に対応するようなものは設計可能らしく、そういったものが出てくる可能性はある。が、投資基準は再生可能エネルギーに対してになるので、それより優位なものが作れるかはわからない。
日本は電力の自由市場の中にはいないので、急激な変革に巻き込まれてはいない。
また電力価格の決定が統括原価方式なので、例えば発電所を30年使うと設定して投資した場合、原則的に建設費などの初動費は30年間固定されて電力価格に転嫁することが認められている。
ある意味、再生可能エネルギーの固定価格買取制度によく似ているが、そちらとの違いは、稼働していない発電所の維持費も電力価格に転嫁できる仕組みであるということ。
例えば原子力発電所で再稼働出来てない発電所は多くあるが、発電して無くてもそれらの費用は電力価格に乗ってきているし、原発が稼働してない分だけ維持している旧式の火力の維持費なども当然ここに乗っかってくる。
これによって電力価格の上昇を抑え、安定化すると言う効果があるのだが、ここ15年ぐらいの急激な環境変化に対応できなくなってきているのも否めない。
ただ、制度を続けていけば、急激な市場の変化は発生しないと思われる
と、国内だけを見てればいいのだが。
既に書いたが、その国のエネルギーコストは、その国の競争力に直結する。国際競争に晒されている今、エネルギーコストが高いと企業立地などを逃すことになるので投資が集まらなくなる。
直近の動きでは原発を再稼働させようという取り組みが継続して行われている。
原発は燃料費よりも建設費・維持費がかかる。それらは再稼働しなくても電力料金に乗っかってる一方で、それに加えて燃料費の割合の大きい旧式火力を回さなければならない。これが電力料金を上げる要因になっているのは確かだ。
だから短期的には原発を再稼働させるということはあっているのだけれど、長期的に見ると、ライバルになり得る欧州が再生可能エネルギーという安いエネルギー源を苦しみながらも獲得しつつあると言う事には追従出来ていない。
さらに、欧州は環境対応を大義名分に、自分たちの有利な点を伸ばすような、再エネを使った製品では無いと追加の関税を課して保護政策を実行してくるのも間違い無い。自由貿易どこいったって思うが仕方が無い。
環境問題への対応はもちろんしていく必要があるが、今一度、エネルギーコストをどうやって下げていくのかと言う基本に立ち戻って電源の選択を考える時に来ていると思う。
その点では、洋上風力発電を巡る汚職が痛かった。かなり安い入札が行われていたのに、なんだかんだと理由を付けて不可とした。
その結果、国内の商社と組んでいた海外の電源開発会社が投資を引き上げちゃったんだよな。
せめてそういうことは二度と無いようにしたい。
こう言う人が勘違いしてそうなのが特に健康保険だけど、健康保険って、使う月だけスポット加入とかは不可能なんで大人しく払っとく方がいいぞ。
また、公的年金も利回りが無茶苦茶よい金融商品なので、iDeCoとかNISAとかの前にこちらを使った方が得。まぁこっちは健康保険ほど致命的じゃないけども。
若いうちは健康だからと未加入、そろそろ医療費が嵩み出すからと加入しようとすると、未加入期間分全額の支払いを求められる。これ結構知らない人多いよな。指摘するとびっくりされる。普通の人は知らなくて好い知識だし。
支払わされるときは、通常遅滞金も含めて払わされる。分割払いなども認められるけど、破産しても支払い義務は消えない。また行政が自動的に督促する仕組みがあるからそのたびにリセットされ時効にもならない。
不注意や貧困などのやむを得ない場合では3年前まで徴収というルールにしているところがあるが、未払いの場合無限に遡られる可能性がある。
例えば事故を起こして全身を強打、救急車で運ばれ緊急手術、となった場合、そのままだと手術だけで数百万円の支払い請求が来て、その後リハビリが必要になると標準でも1ヶ月あたり100万以上の請求になる。保険に加入していれば3割負担、さらに高額療養費制度という一種のキャップ制で自己負担10万程度で済むが、加入していないと人生詰む。
そうなると加入せざるを得ないが、過去に遡って支払いを求められる。金は無いと居直ったところで、月数千円でもいいから上乗せして払えと分割組まれるのが普通。
一方で、今まで全額払った医療費の請求権は2年で消滅するため、そのギャップから払い損になる・
ざっくり計算してみるとわかるが、一般的な人の場合、一生かけて支払う健康保険料と、実際にサービスを受けた健康保険料はほぼトントンになる。まぁ当たり前で、そうじゃなきゃ制度が成立しないんだけど。
老人を若い人が支えている、と言うのは、日本の健康保険や年金制度は積立型ではないと言うことを比喩的に表したものに過ぎない。
計算してみるとわかるが、年金はもちろん、健康保険も一生分計算すると、自分が払い込んだ金額と使った金額がほぼトントンになるようになってる。
また、これから日本経済が継続的にマイルドインフレしていくようになるとすると、払い込んだ額より自分が受けるサービス額の方が高くなることは確実だ。
公的値金は、年金収入と運用益に従って支払額が決まる仕組みになっているため、破綻する事は無い。
これ基本中の基本だと思うんだけど、公的年金は払っても破綻するから無駄、と未だに言う人がいて、特に若い人でこれを真に受けて払ってない人がいてびっくりした。
これ、「現在受け取っている人より下の世代は不利だ」という意味ならその通りなんだが、そう言う話を「年金は払うだけ無駄」って受け取ってる人がいるよう。
だけどこれも間違いで、年金は
健康保険では、手続き無しで未払い期間であっても、後から今までの分の保険料を支払えば保険金が出るにはでる。しかし、年金の方のはもっと厳格。成人の場合、障害の原因となる治療が加入期間に入ってないと対象にならない。後から払いますでも無駄。
なので、払わないなら払わないで猶予手続きをやっておかないと詰む。
いざとなりゃ生活保護うけりゃいいと言う人がいて、よく「国民年金は満額払っても生活保護費より低い」ことを根拠に払わなくて良いと言う人がいるんだが、生活保護費って、貯金・金融資産はもちろん、各種の資産を処分するとか自助をやりきった後じゃ無いともらえない。蓄財が一切できない。原則的に、自動車や土地建物はもちろん、趣味の品物も換金できるなら全部売り払わないと受給できないケースが多い。
用途も限定される。10年前はエアコンすら贅沢品にカウントされていて、購入費が出ないと言う話もあった。
更に額も違う。よく「国民年金を満額支払っても生活保護費より低い」と言われるかが、生活保護費の方は住宅補助などを入れた金額なので、純粋に現金で支給される金額は低い。
更に住宅補助も公営住宅を想定した金額で各地設定されているため、国民年金だけの人は必ず住民税非課税家庭になることから、家賃はほぼタダ同然になり、公営住宅に入居する方が使える金は多くなることもある。
なので
と言う状況を自ら望むならそれでもいいけど、と言う世界になる。
私は元々積極的に結婚したいと思ったことはなかったが、共同親権が導入されたら間違いなく結婚を人生設計から除外すると思う。もし結婚したいと思うような異性が現れたとしても法律婚は絶対にしない。(当然現代の日本は法律婚を前提に制度設計されていて、結婚はするが、法律婚をしないことのデメリットは把握してている。だから基本的には人生設計からすべての形の結婚を排除するという姿勢である。)
理由は2つある。
まず、共同親権が導入された場合、実質的にモラハラやDVをする相手を結婚前に完全に見抜かなければならないことに対して責任を持てないということである。
経験上、モラハラやDVを行うタイプは必ず「結婚後」「出産後」「家計の統一後」といった「逃げることの難易度が上がったタイミング」でモラハラやDVを開始することが多い。それまでは本性をひた隠しにして、ある時点から突然態度を変える傾向にあるのだ。これは私が私の両親や親戚の実体験や報道された実体験をもとに経験則として実感している傾向である。当然「本性を見抜けない目利きスキルの低さ」を問題として指摘する人もいるだろう。そしてその様な部分は実際にあることで、当事者かつ被害者の立場からばかりから話を聞いているバイアスがあるだろう。実際私の親戚は周囲から止められた結婚でモラハラにあったと言っていた。しかし、必ずしもそういう事例だけではないことも実体験として見てきた。例えば、母は経済的に自立した強い女性で、結婚前の人生でほぼ常に「正解択」を選び続けた様な人だ。そして、そんな人でもモラハラをする可能性のあった相手を見抜けないことがあるという事実は私の「目利きスキル」も本当に十分であるのかという疑問を浮かび上がらせる。(もちろん私が母に高すぎる信頼を置いていることもあるかもしれないが、母方の祖父母や兄弟も相手の性質を見抜けなかったと声を揃えて言っている。)つまり、どこまで「目利きスキル」が高ければ問題がないのかわからないということである。少なくとも、私はこれまでそれなりに恋愛で失敗しながら「目利きスキル」を上げてきたつもりであって客観的に見ても並以上ではあると思うが、それでも十分だと確信できたことはない。これを根拠に結婚後の私や産まれるかもしれない子供に対して責任を持つことはできない。
次に、法律的に結婚した場合に子供に対して責任を持てないということだ。これは特に私が女性である特有の事情が関係している。
結婚していても原則的には夫婦間で合意がないと子供はできない。はずである。しかし、それはあくまで原則であって、婚姻後の家庭内の強制性交など私の合意なしに子供ができてしまう場合というのは想像に難くない。私の理解では、婚姻中の中絶には夫の同意が不可欠であってそれは家庭内でのレイプの場合でも同様である(間違っていたら指摘してください)。もしかするとショックを受けて事後対応にもたついてしまって、中絶可能な期間が終わってしまうかもしれない。私は私に対してその可能性を否定できない。
また、私は家庭内というその場で助けてくれる他人がいない私的空間においてレイプを高い可能性で回避できる手段がない。特に体格が男性並みに恵まれているわけでも、武道の達人でもない。スタンガンの効果的な使い方も催涙ガスの見つからない隠し方も知らない。決して自分を棚に上げるわけではないが、最終手段として自己防衛に使えるこうした機会や知識は普通に女性として生まれて20年間生きていて巡り合うことが珍しい。それは30歳の女性でも40歳の女性でも変わらないのではないだろうか。
これだけ確実性がもてない状況でレイプを防げず、中絶もできず、生まれてしまった子供に対して私は責任を持てない。
配偶者に対してモラハラやDVを行う人物は必ず子供にもその一面を見せる。まず家庭内で配偶者に対して暴言を吐いたり、暴力を振るったりしているところを同じ家庭内にいる子供に隠し通すことは難しい。実際私も夜中に起きてしまったとき母が暴言を吐き続けられている様子や叩かれている様子を目にしたことがある。子どもが家族間での暴力を目の前で見た場合の悪影響は否めないだろう。
また時に、子どもの暴言や暴力が及ぶ場合もある。その時に私が必ず身を挺して子供を守りきれるか、否と言わざるをえない。これは親として産んだ子供に対して当然の責務であると私は思うが、それについて必ず責任を持つことはできない。
この様な状況でも共同親権導入がなければ、モラハラやDVを行う配偶者から逃れ、子どもの安全まである程度の確実性を持って確保することができた。その蓋然性が高かった。しかし、導入後、私自身が配偶者の暴力から身を守ることができても、子供は難しいだろう。また、子供の進路などの面における合意形成も難易度が高いと推測され、その様な社会的に必要な資源を子供に与えられるかも疑義を持たざるをえない。子供に後に社会的な虐待と言われてもおかしくない状況になることを否定できない。
最後に、この理由については私が合意をしていない妊娠・出産であるから子供に対してそれほどの責任を持つ必要はないのではないかと思われる方がいるかもしれない。たしかに、合意をしていないのだからその様な立場があっても良いとは思う。しかし、私は私自身がその状況になったとき、子供を見捨てることができない可能性が高いと思っている。
これら2つ理由から、私は共同親権が導入されたら結婚をしない。
全編を通して、共同親権が導入された場合私の結婚に対して私が結婚しない理由を述べた。男女問わず、「もし結婚相手がヤバイ人格だったら」と自分自身に置き換えて具体的に考えるきっかけになればうれしい。ここまで読んでくれたことに感謝する。