はてなキーワード: 製造とは
新規顧客を獲得するようなサービス開発、プロダクト開発はアジャイル開発でないと失敗する
新規顧客を得るための方法論について人類は知見を持っていないので試行錯誤する必要があるし
バグがあったとしてもスピードを優先しないと顧客獲得を逃すのでアジャイル開発しないと死んでしまう
サービスを規定する仕様についての不確実性が高い分野ではアジャイル開発が成功する
この場合、いわゆる外注などの業務委託として作業を切り出すことが難しく
製販一体の体制を築くために内製なりスタートアップ化なりを行うことが多いし
コミュニケーションコストを削減するために少人数チームを構成するために
こういった経験をした開発者は少なく、ネットの世界では少数派になっているのが現状である
一方で既存サービスの改修や置き換え、他社サービスの模倣などはウォーターフォールで開発する必要がある
仕様漏れがあった場合の副作用の影響範囲について不確実性が高く
以前の機能がなくなった・バグで利用できない、というときに顧客喪失の影響範囲について予測が難しく
基本的には全ての仕様を確実に動作させる必要があるため、事前に仕様策定の時間を確保せざるを得ない
amazonとかの通販でなんでも適正価格で安く手に入るほうがいいにきまってるだろ
転売ヤーは
「定価でしか転売できなければ注文キャンセルすることにより、製造元に損害を与え、二度とその商品をつくれなくする」
それで今は転売可能性のあるキャラ商品などは受注生産販売方式(キャンセル不可)にスライドしてる。何ヶ月も待たされるけどな。
転売ヤーもがんばって高額転売できるように複数アカウントつかって購入して「即座にうりきれました!こんなめずらしい商品は50万円でも適正価格です!」ってな演出したりしてるけど
そんな善意の転売ヤーがいるわけねえのよ。いわゆるサクラです。
海外だと転売者に頼むしかないけど、日本の常識や法律が通じないのに金いれてもちにげされ、通報しても日本の警察は動かない。
怖いだろ?
いいか、娘さん、魚焼きグリルは魚を焼くもんじゃない。うすい鉄プレート(ニトリでうってる)をのせて弱火にして餅やらピザやら油揚げやら厚揚げやらを一人分ずつ焼くもんだぞ。スチームオーブンは一人前にはデカすぎる。
あと干物とか魚は焦げ目がうまいけど発がん物質が出ちゃうからフライパン推奨。
グリルの下についてる魚焼きは本当にちいさすぎて一人分でしかないんだよ、10匹って豆アジかよ
海老とたらこは魚焼きグリルでよし、でもあの火力なんなんだよ過剰だよ
でかい魚、たとえばタイだのマグロのカブトだのブリあらだのを焦げ目つけつつ生焼けにならずにしかも切り刻まずに焼きたいならスチームオーブンなんだよ
グリルの下のプレートが無加工アルミなのももう魚油がオレンジになって樹脂化してこびりつくのがあたりまえすぎて腹が立つんだよ、使ってるやつが作ってるとは思えない仕様
熱いうちは手で取り出せない・洗えない(水で急冷しようとすると脂がシンク中に飛び散る)から放冷してとりださなきゃってなるだろ、そのころには食べ終わって忘れてるんだよ
スチールたわしでこすりおとすとヘアライン加工かよくらい傷が入るよそりゃアルミ柔らかいもんな
洗い替えのために2枚ずつつけてくれるわけでもないし取り寄せもできない(買った直後でもよく製造中止になってる)からほんと不便
だから魚焼きグリルにあわせたフッ素かせめてシリコンの表面加工してあるニトリのプレート買え、軽くて丈夫で熱伝導よくすぐ焼けてこびりつかないやつを
魚油は適当な牛乳パックに新聞紙つめたやつとかにしみこませて、すぐ冷めてすぐ洗えるし
はてななら覚えてる人沢山居ると思うけど、昔って(30年とか前よ)車の排ガス規制がガバガバでトラックとか真っ黒な煙吐き出しながら走り回ってて洗濯物が外に干せないとかそんなんだったのよね。
それが石原慎太郎が都知事になって東京都で強力な排ガス規制を敷いて、その規制を守ってない車は東京都に入れないってやったのね。
そしたら、当たり前だけど東京に入れない車なんか売れないわけで一気に全国的に排ガス規制対応の車ばかりになって黒煙上げてたトラックは絶滅し、東京だけじゃなく日本中の空は綺麗になった。
当時はピュアだったからあたまの良い人がいるなあ。さすが慎太郎や!とかおもったもんだがいまとなっては首都とはいえ、一地方自治体が規制を実施したら全国的な規制になるのおかしくね?となる。あとまあ自動車とか世界的な大企業しかつくれねえわけで東京に入らんでもいい地方専用カーを製造するなんてのはむりってのも後押しになったわけで、ほんとなんというかこのあとのいろんな、たとえば有害図書指定された本がamazonで売れないとかそういうバレにくい強力な規制のモデルになったんだなあと思う。
いま話題のクレカ規制なんてこの手のやつの世界版なわけで、アメリカで訴えられたら負けるものは世界で動いてる企業では扱えないし、クレカの会社なんて世界にいくつもないわけで、リスクおかして扱うまでもねーやってなったら完全に干上がっちゃう。かんたんすぎる。いまはエロとかばっかりだけどすぐに新聞あたりをしめあげるんじゃないかな。もうなってるのかな。エロはユーザー多いからはてなあたりだと話題になるけどもうとっくに消し去られてるのもあるんだろうな。
また昔の話になるけどこんなひどいエロゲーあるんですよって国会に持ち込まれて、おおさわぎになったけどそのへんのはクレカを締め上げられるような連中からしたら下手糞あつかいなんだろな。しかし何の得があんだろなそういう連中。なんかものすごいカネになるんだろうけど。
X(旧Twitter)を眺めてたら、「蛍光灯が2027年に生産終了!LED照明に移行しましょう」といったWeb記事を貼り付けて、「地獄の始まりだ」とコメントを付記しているツイートが流れてきた。
一見して何が地獄なのか意味不明だったのでツリーを掘っていくと、要するに「LEDは目に悪いというのに、今後照明は全てLEDに置き換わっていくのでもうこの世の終わりだよ」という主張のようだ。
もっと言えば、蛍光灯の製造販売の禁止は条約で定められたことなので、LED置換の流れは世界が強制していることになる。
あぁ、やっぱり陰謀論か。
と切って捨てることが出来ず、むしろこの陰謀論は初めて触れて妙に面白いと感じてしまったので少し調べることにした。
そもそもLEDが目に悪いという言説自体、増田は聞いたことが無かったのだが、どうもLEDというよりLEDの発するブルーライトが健康リスクなのだ、ということらしい。
ブルーライトは知っている。スマホが急速に普及し始めた時期に結構騒がれた事を覚えている。
じゃあブルーライトは目に悪いのか、となる。論文を参照する能は増田には無いので、ネットで軽く検索を掛けると、一応そういう研究はあるらしい。
らしいのだが、どうも根拠が薄い。あくまで動物実験で、20~30時間直接網膜に照射してダメージありました!程度の話で、じゃあ人間ではどのくらい影響があるのか、そもそもそこまで極端に目に入ってこないだろとか、いろいろ言いたくなる。
先述した通りブルーライト自体は騒がれてから久しく、人類は何十年もテレビ・パソコン・スマホ等で散々浴びてきたように思うが、ブルーライトに起因する有意な健康被害の報告は見たことが無い。
じゃあ蛍光灯はブルーライト出してないのかと思い返せば、当然出しているわけで。
これもネットで少し検索すれば蛍光灯とLED照明のブルーライトを比較したサイトがたくさん出てくるが、有意な差はないどころか蛍光灯の方が強いまである。
テレビやスマホに対する有機ELも同じような検証がされていて、これも同じような結論である。
このあたりの検証報告は結構豊富に見つかり、ブルーライト界隈では以前から騒がれてて既に否定されていることも見て取れた。
世界の陰謀に行き着く前に、その前提となるLEDは良くない論が破綻してしまった。
増田はこの陰謀論に満足している。陰謀論を通してブルーライトについて少し詳しくなったからだ。
調べる前はなんとなく目には良くないけどまぁ気にするほどではないのかなと思っていたが、実際気にするレベルではないことが分かった。
目の強度は正直個人差があるので、一概に無防備で良いだろとは言わないが、増田は生まれつき目が強いようなので気にしないことにした。
目への影響とは別に、ブルーライトは体内時計を狂わせるのでそれが良くないという研究結果があることも知った。
だから寝る前のスマホはやめましょうと言われてるのだが、増田はその生活を10年以上続けていて困っていないのでやっぱり気にしない。
これで話が終わればいいのだが、本当にこれで陰謀論が否定できたかと言えば、全然そうではないというのが陰謀論もといデマの怖いところなんだよな。
陰謀論を主張する者も、それを否定する者も、いくら根拠を並べ立てても、各々が都合良く情報の取捨選択をしてしまうのでお互いの溝は埋まらない。
100年後、実は長年のブルーライトの過剰摂取により人類のDNAが不可逆的で致命的な損傷を受けて変異してしまいました、となる世界線を主張されたら、それを完全に否定する術も人類は持ち合わせていないし、未来になって初めて分かることは今誰にも分からない。
功利主義という言葉がある。どんな主義かというと、「全人類の幸福を全て足し合わせた総量が最大になるように判断/行動していこう」という主義である。その主義を支持する人は一定数いる。
それに似た考えで、私は「全人類の労働の総量が最小になるように判断/行動していこう」という主義を持っている。驚いたことに、どんなに調べてもその主義には名前がついていないのだ。誰でも思いつきそうな考えなのに、誰も命名していないのだ(私の調べ方が悪かっただけかもしれないので、名前を知っている方がいたら教えて欲しい)。これを「怠け主義」と名付ける。
怠け主義を意識することがいかに重要か、例え話を通じて説明しよう。
例えば、小さな小さな島国があるとしよう。その島国には、労働力人口が100人いる。100人は、水汲み、漁、狩猟、農耕、調理、林業、埋葬、建築、製造、修理、流通、あらゆる「それがないと生きていけない労働」をこなしていて、おかげで生活が成り立っている。労働時間は一日あたり4時間程度。貨幣制度はあってもなくてもよい。
やがて、彼らは日々に退屈し、エンタメを欲する……音楽家、噺家、大道芸人が現れた。エンタメ需要は高まり、やがてエンタメだけで食っていける人が続出する。楽器職人、イベンター、広告代理、音楽教師も現れた。手の込んだ服の生産や、手の込んだ料理をする人も現れた。←なくても死にはしない職業という意味で、エンタメに含める。人々からのエンタメ需要はどんどん高まっていったために、職業も多様化した……気づくと労働力人口100人のうち、50人がエンタメに依存する職業になっていた。人々は、なぜか疲れを覚えていた。なぜかはわからないが、自分の労働量が倍に増えた気がするのだ。彼らは一日あたり8時間働いていた。
岡目八目である。神目線から見ると「そんなの、本来100人でやってたはずの ”死なないための労働” を、今は50人がやることになってるのだから、労働力は倍くらいになるだろう」と思うかもしれない。でも、島民目線から見ると、「エンタメのために金を払う行為が、自分の労働量を増やすことに繋がっている」というのは、気づかないのではないだろうか。その2つは一見繋がっていないように見える。
現実世界も、この例え話と同じである。娯楽を消費することが自分の労働時間を増やす事に繋がっているとは誰も思っていない。
そう思っているので、皆が「趣味で消費すること」を「経済が回る」と呼称し、ポジティブなイメージを付与しようとしていることには違和感がある。
よく「人々が○○を消費しなくなると、所得が減るし、働き口が減る」と言われるが、冷静に考えて、減った所得というのは減った支出に等しいのでメリットとデメリットが釣り合っているし、働き口が減ったなら、それまで毎日8時間かけてやっていた仕事を6時間にすれば働き口が33%増えるだろう。
趣味での消費なんてしなければしないほど労働時間が減って安らかな生活に近づくに決まっているじゃないか。←これが本記事のメインの主張である。
現代、労働時間が長すぎて精神や体を壊す人間がたくさん観測される。私の友人知人にもたくさんいる。贅沢している場合ではない。皆、消費をするのを(=この世に発生する労働を増やすのを)やめてくれ。
具体的にはどのように行動していけば労働総和を減らしていけるのか、それはこの記事への反応があったら詳しく追記したいけど、とりあえず一つだけ挙げておこうと思う。
・よく、課金に多額を費やす人は正気を疑われ、狂人かのように扱われる風潮がある。
例えば旅行に毎年40万使う人と課金に毎年40万使う人を比べると、一般的には後者の方が疎ましい人に思えるのかもしれないけど、怠け主義的に考えると前者の方が疎ましい人に思える。後者の方が、その趣味を消費することによって世の中に追加で発生する労働が少ないと思われるためである。
私の趣味は古い名作をデジタルで鑑賞することだ。過去の人が作った本や映画のデジタルコピーをしまくるだけで無限に未来の人類の欲求を満たせるなら、それが一番楽じゃないか。
コピペで引用なのここまで明確に示してるのになんで内容の不満が俺に向けられてんだよ
1964年「うず潮」
1966年「おはなはん」
林謙一「おはなはん」
1977年「いちばん星」
1978年「おていちゃん」
1979年「マー姉ちゃん」
1981年「本日も晴天なり」
1984年「心はいつもラムネ色」
1986年「はね駒」
1987年「チョッちゃん」
1990年「凛凛と」
1994年「春よ、来い」
最愛の夫を見送るまでが描かれている。
1997年「あぐり」
2000年「オードリー」
DVD未発売。
2003年「てるてる家族」
2006年「芋たこなんきん」
ソフト化されていない。
2010年「ゲゲゲの女房」
2011年「カーネーション」
ファッションデザイナー「コシノ三姉妹」の母、
2014年「花子とアン」
2014年「マッサン」
2015年「あさが来た」
2016年「とと姉ちゃん」
2016年「べっぴんさん」
2017年「わろてんか」
2018年「まんぷく」
2019年「なつぞら」
「漫画映画漂流記 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一」
2019年「スカーレット」
2020年「エール」
古関著書「鐘よ鳴り響け」
2020年「おちょやん」
2023年「らんまん」
2024年「ブギウギ」
2024年「虎に翼」
三淵嘉子関連書籍
2025年「あんぱん」
2025年「ばけばけ」
昨日面接した人は機械設計の応募できたんだけど、大学卒業後▲▲の設計を8年やってきました!って言うんだよね。
けど所詮▲▲じゃん。基本的な、鉄の種類や焼入・表面処理、自分が描いた部品を実際どのような機械でどのように製造するのか聞いても、それはまったく知らないと。新車でるたびに、すでにある過去の▲▲のモデルを▲▲で寸法変更して構造解析して対応してましたと
構造解析っていうけど、それって▲▲とか見てるだけで、解析ソフトに▲▲入れるだけやん。で弱いところのR面を増やしたりするだけ。R1をR1.5にするとか。てことは君は8年R面を増やしたり減らしたらする仕事だけさせられてたの??どこの会社やねん!そんな酷いところはって聞いたら☓☓☓☓☓☓☓☓だと・・・。
これねえ、すっごい罠なんよね。
この手の技術者派遣会社に知らんと新卒で入ると、こんん感じでなんの技術的成長も得られないまま時間だけ消費して転職するとき死ぬんだよね。
どちらも18金で、いくつか石がついている。条件は同じと言っていいだろう。
30年で物価も金価格も上がっているのに、4℃の指輪の値段は変わっていない。
代わりに大きく変わったものはというと、地金の量とコレクション内の構成が挙げられる。
石も込みになるが、手持ちの2つの重さを計ってみた。
去年のものは軽すぎて何回か計測し直したが、0.5gだった。
まあつけた感じ明らかに重量が違うとは思っていたが……
装飾のない裏の部分をぱっと見て、地金の部分だけを比較しても、太さがかなり違う。30年前の方が去年買ったものの1.5倍はある。
一般的に、ジュエリーブランドはシーズンやデザイナーごとに決まったテーマのコレクションを出す。コレクション内で指輪やピアスなど様々なアイテムの商品が発売され、指輪の中でもいくつかランク違いの商品が出る。ランク違いの商品では、石の質や量、地金の種類、質に差を設けてある。
今回比較している2つの指輪は、どちらも当時発売されていたコレクションの中で最も良いランクのものだ。
(30年前の方の購入には立ち会っていないが、母が遠慮して少し低いランクのものを希望したところ父が一番いいのを買ってくれたということである)
30年前の指輪は、最高ランクに値する商品だ。なにせ2.5gあるので、デザインの雰囲気を維持しつつ装飾を減らしても商品として成り立つ。余地があるのだ。
母が少し低いランクのものを希望 "できた" ということからも、2番目、3番目のランクの商品まで18金で作られていたと推測できる。
去年のものはどうかというと……もう余地はない。か弱い地金をこれ以上減らすと、加工の費用で逆に価格が上がりかねない。
となると、2番目のランクの商品は、ゴールドフィルドのシルバーで製造されることになる。
ゴールドフィルドなどと書いたが、要するに金メッキのことだ。これは「CHANELのコットンの進化版」のようなもので……自分の趣味で普段使いに買うならご自由にどうぞ、でも社会人の記念日に買うものとしては、避けたほうが安全だ。
実質、
4℃は物価上昇の中で、質の維持より価格の維持を選択した。結果、質はガッタガタに落ちたし選択肢もなくなった。人気も信用もガッタガタである。
今4℃が毛嫌いされているのは、そんなに変な話じゃないと思う。
以下、ごちゃまぜという意味の言葉は「ちゃんぽん」、料理のほうは「チャンポン」と表記する。
まず辞書では、
1 2種類以上のものをまぜこぜにすること。また、そのさま。「日本酒とウイスキーをちゃんぽんに飲む」「話がちゃんぽんになる」
たいていは先に書かれるほうが古い用法なので、ごちゃまぜの「ちゃんぽん」のほうが先にあったということだろう。
しかしWikipediaで「ちゃんぽん」を調べると、いくつかの語源説が出てくる。
なかでも「攙烹」説「吃飯」説「喰飯」説などは、明らかに料理が前提にあるので、「チャンポン」が先でないとおかしいように感じる。
ざっと検索したかぎり、「どちらが先にあったか」を明言しているところがほとんどなかったので、ちょっと調べてみた。
「ちゃんぽん」は江戸時代からあった言葉で、三好一光『江戸語事典』や、
ちゃんぽん 交互、又は両天秤にかけるをいう。
ちゃんぽん ①彼と此と入り混じること。まぜこぜ。ごちゃまぜ。文政五年・花街鑑 下「芸者の滑稽、チリツンテン、ちやんぽんの大さはぎ」②交互。かわるがわる。文政九年・契情肝粒志 二上「何時でも下馬一枚を棒組とちやんぽんで」
ただ、前者は「鉦」が中国の楽器、「鼓」が日本の楽器だから、という説明がくっつくことがある。
また後者は、中国人を「ちゃんちゃん坊主」などと言ったのは「鉦の音」に由来するというので、この2説は薄っすらとつながっていることになる。
一方、料理の「チャンポン」が生まれたのは明治30年代だとされる。
長崎で明治32年に創業した「四海樓」という中華料理店の「陳平順」という人が中国人留学生向けに作ったというのが定説である。
ちゃんぽんのルーツは福建料理の『湯肉絲麺(とんにいしいめん)』である。湯肉絲麺は麺を主体として豚肉、椎茸、筍、ねぎなどを入れたあっさりしたスープ。これに四海樓の初代 陳平順(ちんへいじゅん)がボリュームをつけて濃い目のスープ、豊富な具、独自のコシのある麺を日本風にアレンジして考案したものが『ちゃんぽん』である。
今日では缶詰や冷凍など保存技術の発達により食材が年中あるが、当時は、そういうわけにもいかず苦労していた。そこで長崎近海でとれる海産物、蒲鉾、竹輪、イカ、うちかき(小ガキ)、小エビ、もやし、キャベツを使い、ちゃんぽんの起こりとなった。
ただ、これもなかなか難しいところで、「支那うどん」と呼ばれる同種の料理は他にもあったらしい。
四海樓でも当初は「支那うどん」という料理名で出されていて「チャンポン」とは呼ばれていなかったという。
以下、チャンポンや支那うどんに関する、明治末から大正にかけての記述を並べてみる。
「チヤポン」(書生の好物)
今は支那留学生の各地に入込めるが故珍しきことも有らざるべし。市内十数個所あり。多くは支那人の製する饂飩に牛豚雞肉葱を雑ゆ故に甚濃厚に過ぐれば慣れざるものは、厭味を感ずれども。書生は概して之を好めり
「チャンポン」ではなく「チャポン」になっているのは誤字なのかわからないが、後述の「吃飯」説の傍証としてよく引き合いに出される。
明治41年『中學文壇』では「支那うどん=チャンポン」であり、長崎固有の料理だと言っている。
明治41年『ホトトギス』でも同じく「支那うどん=チャンポン」。やはり「チャポン」は誤字だったのではないか…?
大正3年『長崎一覧』には「支那饂飩の元祖は三角亭だ」と書かれている。
支那うどんも亦長崎名物の一つである 名の如く支那より伝つたうどんである 日本人の初めて製造せし人は大波止三角亭の上田百十郎氏である。氏は初め今の九州日の出新聞の所で飲食店を営んで居た、支那うどんを創めたのは明治三十二年であつて、創めた当時はあまり歓迎せられなかつた
大波止の三角亭は大正年間に「支那うどんノ元祖ハ大波止角三角亭」という広告をあちこちに出していたようだ。創業年の明治32年は四海樓と同じ。
大正7年『漫画巡礼記』の著者は「近藤浩一路」という人で静岡育ち東京住まいらしいが「支那うどんについては皆さんご存知だろう」という書きぶりである。
長崎名物のうちにチヤンポンといふがある。チヤンポンとは支那うどんの異名と聞いたら何だつまらないといふかもしれぬがこれが仲々莫迦に出来ない代物である。エビ豚、牛肉、蒲鉾、ねぎ其他種々のものがチヤンポンに煮込んであるから其名が起つたのであらう、先祖支那うどんと銘うった家が長崎市中到る処に見られるが、これが皆なチヤンポンだから驚く
また四海亭(四海樓のことか)の紹介もある。
しかし其中でも支那町の突当りにある四海亭が最も代表的なチヤンポンを食はせるといふので我等はK君の案内で此四海亭に始めてチヤンポンなるものにお目通りしたのである。見た所は他の支那うどんと大差はあるまいが、何せい材料と料理法が違ふ。
ちなみにWikipediaには「明治初年には既に長崎人の本吉某が長崎市丸山で、支那饂飩をちゃんぽんの名で売り出していたともいう」と書かれているが、これは昭和13年『長崎談叢』がソースらしい。
チャンポンの濫觴は明治の初年我が長崎人本吉某が丸山にて支那饂飩をチャンポンと名づけて開業したるものにして終にチャンポンは支那饂飩の固有名詞となり了りぬ。
総合して、
といったあたりが気になる。
いずれも確証はなく「発音が似ているから関係があるかもしれない」程度の話に尾鰭がついただけのようだ。
「吃飯」説だけは、四海樓が主張しているという点において説得力があるが、それにしたって確証はなさそうである。
以上。
「ちゃんぽん」と「チャンポン」に関係があるかどうか、については結論が出なかったが、普通に関係がない可能性もあるということがわかったので、とりあえず良かった。
Wikipediaの説明がまさにそうだが、「ちゃんぽん」の語源説と「チャンポン」の語源説がごちゃまぜになっている、つまりちゃんぽんになりがちなので、そこだけは気をつけたいところである。
日本のジェネリック医薬品を取り巻く状況は、いくつかの課題を抱えており、一概に「良い」とは言えない状況です。
主な課題
品質問題の発生: 過去に、複数のジェネリック医薬品メーカーで品質不正問題が発覚し、国民のジェネリック医薬品に対する不信感が高まりました。
価格競争の激化: ジェネリック医薬品の普及に伴い、価格競争が激化し、メーカーの収益が悪化しています。そのため、研究開発や品質管理への投資が抑制され、品質問題のリスクが高まる可能性があります。
後発医薬品比率の伸び悩み: 政府は、2023年度末までに後発医薬品の数量シェアを80%にする目標を掲げていましたが、達成は困難な見通しです。品質問題や医師・患者の不信感などが普及を阻害する要因となっています。
情報提供の不足: ジェネリック医薬品に関する情報提供が不足しており、医師や患者が十分な知識を得られない状況です。そのため、ジェネリック医薬品への理解が深まらず、不信感や不安を抱く人が多いのが現状です。
改善に向けた取り組み
品質管理の強化: 厚生労働省は、薬機法の改正やGMP(Good Manufacturing Practice:医薬品の製造管理および品質管理に関する基準)の強化など、品質管理体制の強化に取り組んでいます。
適正な価格形成: 後発医薬品の価格設定を見直し、メーカーが安定的に収益を確保できる仕組みを構築することで、研究開発や品質管理への投資を促進する必要があります。
情報提供の充実: ジェネリック医薬品に関する正確な情報を、医師や患者にわかりやすく提供することで、理解を深め、安心して使用できる環境を作る必要があります。
まとめ
ジェネリック医薬品は、医療費抑制や患者の負担軽減に貢献する重要な役割を担っています。しかし、現状では品質問題や情報提供の不足など、多くの課題を抱えています。これらの課題を克服し、国民が安心してジェネリック医薬品を使用できる環境を整備することが急務です。
「例えばイギリスでは、ジェネリック医薬品は、どうなってるの?」
イギリスではジェネリック医薬品は非常に普及しており、国民医療制度(NHS)において重要な役割を担っています。
高い使用率: イギリスでは、処方箋の約80%がジェネリック医薬品で占められています。これは、政府が積極的にジェネリック医薬品の使用を促進してきたこと、そして国民のジェネリック医薬品に対する理解と信頼が高いことが背景にあります。
NHSによる推奨: NHSは、ジェネリック医薬品を積極的に推奨しており、医師は特別な理由がない限り、ジェネリック医薬品を処方することが求められています。
厳しい品質管理: イギリスでは、医薬品・医療製品規制庁(MHRA)がジェネリック医薬品の品質を厳しく管理しています。そのため、国民はジェネリック医薬品の品質について高い信頼を寄せています。
情報提供の充実: NHSは、ジェネリック医薬品に関する情報をウェブサイトやパンフレットなどで提供し、国民の理解を深める努力をしています。
日本との違い
国民の意識: イギリスでは、ジェネリック医薬品は「新薬と同じ効果で、より安価な医薬品」として広く認識されています。一方、日本では、ジェネリック医薬品に対する品質への不安や不信感を持つ人がまだ多く、普及の妨げとなっています。
医師の意識: イギリスでは、医師がジェネリック医薬品を処方することに抵抗感はほとんどありません。しかし、日本では、新薬を処方する方が安心だと考える医師も少なくありません。
政府の政策: イギリス政府は、長年にわたりジェネリック医薬品の使用を促進するための政策を積極的に展開してきました。一方、日本では、ジェネリック医薬品の普及に向けた取り組みは、イギリスに比べて遅れていると言えます。
今後の展望
日本は、イギリスの経験を参考に、ジェネリック医薬品に対する国民の理解を深め、医師の意識改革を促進し、より効果的な政策を展開していく必要があります。
ジェネリック医薬品の普及は、医療費の抑制だけでなく、患者の経済的負担の軽減にもつながります。日本がイギリスのようにジェネリック医薬品を有効活用できるようになれば、国民の健康と福祉の向上に大きく貢献できるでしょう。
「日本の他に、ジェネリック医薬品について、うまくいってない国の例はある?」
ジェネリック医薬品の普及は、世界的な潮流ですが、日本と同様に、様々な課題を抱え、普及が進んでいない国もいくつか存在します。
1. フランス
低い使用率: ジェネリック医薬品に対する国民の不信感や、医師の処方習慣などが原因で、ジェネリック医薬品の使用率は低い状態です。政府は普及促進に取り組んでいますが、なかなか成果が上がっていません。
2. イタリア
地域格差: ジェネリック医薬品の普及率には地域差が大きく、南部では低い傾向にあります。これは、医療体制や経済状況の格差が影響していると考えられます。
3. 韓国
品質問題: 過去の品質問題や、ジェネリック医薬品メーカーによる不祥事などが影響し、国民の不信感が根強く残っています。
4. カナダ
価格競争の激化: ジェネリック医薬品メーカー間の価格競争が激化し、収益性が悪化しています。そのため、研究開発や品質管理への投資が抑制され、品質問題のリスクが高まっているという指摘もあります。
国民の意識: ジェネリック医薬品に対する品質への不安や不信感、新薬の方が効果が高いという誤解などが、普及を阻害しています。
医師の意識: 新薬を処方する方が安心だと考える医師や、ジェネリック医薬品に関する知識不足などが、処方を妨げている場合があります。
制度的な問題: ジェネリック医薬品の価格設定や、薬価制度などが、普及を促進するような仕組みになっていない場合があります。
これらの課題を克服し、ジェネリック医薬品の普及を促進するためには、各国政府が、国民への情報提供、医師への教育、制度改革など、多角的な取り組みを進めていく必要があります。
上記の国々と日本は、ジェネリック医薬品普及における課題に共通点が多く見られます。特に、国民や医師の意識改革、そして品質に対する信頼回復は、どの国においても重要な課題と言えるでしょう。
日本は、これらの国々の状況を参考に、より効果的なジェネリック医薬品普及政策を推進していく必要があると言えるでしょう。
Gemini Advanced便利だな。
日本のジェネリック医薬品を取り巻く状況は、いくつかの課題を抱えており、一概に「良い」とは言えない状況です。
主な課題
品質問題の発生: 過去に、複数のジェネリック医薬品メーカーで品質不正問題が発覚し、国民のジェネリック医薬品に対する不信感が高まりました。
価格競争の激化: ジェネリック医薬品の普及に伴い、価格競争が激化し、メーカーの収益が悪化しています。そのため、研究開発や品質管理への投資が抑制され、品質問題のリスクが高まる可能性があります。
後発医薬品比率の伸び悩み: 政府は、2023年度末までに後発医薬品の数量シェアを80%にする目標を掲げていましたが、達成は困難な見通しです。品質問題や医師・患者の不信感などが普及を阻害する要因となっています。
情報提供の不足: ジェネリック医薬品に関する情報提供が不足しており、医師や患者が十分な知識を得られない状況です。そのため、ジェネリック医薬品への理解が深まらず、不信感や不安を抱く人が多いのが現状です。
改善に向けた取り組み
品質管理の強化: 厚生労働省は、薬機法の改正やGMP(Good Manufacturing Practice:医薬品の製造管理および品質管理に関する基準)の強化など、品質管理体制の強化に取り組んでいます。
適正な価格形成: 後発医薬品の価格設定を見直し、メーカーが安定的に収益を確保できる仕組みを構築することで、研究開発や品質管理への投資を促進する必要があります。
情報提供の充実: ジェネリック医薬品に関する正確な情報を、医師や患者にわかりやすく提供することで、理解を深め、安心して使用できる環境を作る必要があります。
まとめ
ジェネリック医薬品は、医療費抑制や患者の負担軽減に貢献する重要な役割を担っています。しかし、現状では品質問題や情報提供の不足など、多くの課題を抱えています。これらの課題を克服し、国民が安心してジェネリック医薬品を使用できる環境を整備することが急務です。
「例えばイギリスでは、ジェネリック医薬品は、どうなってるの?」
イギリスではジェネリック医薬品は非常に普及しており、国民医療制度(NHS)において重要な役割を担っています。
高い使用率: イギリスでは、処方箋の約80%がジェネリック医薬品で占められています。これは、政府が積極的にジェネリック医薬品の使用を促進してきたこと、そして国民のジェネリック医薬品に対する理解と信頼が高いことが背景にあります。
NHSによる推奨: NHSは、ジェネリック医薬品を積極的に推奨しており、医師は特別な理由がない限り、ジェネリック医薬品を処方することが求められています。
厳しい品質管理: イギリスでは、医薬品・医療製品規制庁(MHRA)がジェネリック医薬品の品質を厳しく管理しています。そのため、国民はジェネリック医薬品の品質について高い信頼を寄せています。
情報提供の充実: NHSは、ジェネリック医薬品に関する情報をウェブサイトやパンフレットなどで提供し、国民の理解を深める努力をしています。
日本との違い
国民の意識: イギリスでは、ジェネリック医薬品は「新薬と同じ効果で、より安価な医薬品」として広く認識されています。一方、日本では、ジェネリック医薬品に対する品質への不安や不信感を持つ人がまだ多く、普及の妨げとなっています。
医師の意識: イギリスでは、医師がジェネリック医薬品を処方することに抵抗感はほとんどありません。しかし、日本では、新薬を処方する方が安心だと考える医師も少なくありません。
政府の政策: イギリス政府は、長年にわたりジェネリック医薬品の使用を促進するための政策を積極的に展開してきました。一方、日本では、ジェネリック医薬品の普及に向けた取り組みは、イギリスに比べて遅れていると言えます。
今後の展望
日本は、イギリスの経験を参考に、ジェネリック医薬品に対する国民の理解を深め、医師の意識改革を促進し、より効果的な政策を展開していく必要があります。
ジェネリック医薬品の普及は、医療費の抑制だけでなく、患者の経済的負担の軽減にもつながります。日本がイギリスのようにジェネリック医薬品を有効活用できるようになれば、国民の健康と福祉の向上に大きく貢献できるでしょう。
「日本の他に、ジェネリック医薬品について、うまくいってない国の例はある?」
ジェネリック医薬品の普及は、世界的な潮流ですが、日本と同様に、様々な課題を抱え、普及が進んでいない国もいくつか存在します。
1. フランス
低い使用率: ジェネリック医薬品に対する国民の不信感や、医師の処方習慣などが原因で、ジェネリック医薬品の使用率は低い状態です。政府は普及促進に取り組んでいますが、なかなか成果が上がっていません。
2. イタリア
地域格差: ジェネリック医薬品の普及率には地域差が大きく、南部では低い傾向にあります。これは、医療体制や経済状況の格差が影響していると考えられます。
3. 韓国
品質問題: 過去の品質問題や、ジェネリック医薬品メーカーによる不祥事などが影響し、国民の不信感が根強く残っています。
4. カナダ
価格競争の激化: ジェネリック医薬品メーカー間の価格競争が激化し、収益性が悪化しています。そのため、研究開発や品質管理への投資が抑制され、品質問題のリスクが高まっているという指摘もあります。
国民の意識: ジェネリック医薬品に対する品質への不安や不信感、新薬の方が効果が高いという誤解などが、普及を阻害しています。
医師の意識: 新薬を処方する方が安心だと考える医師や、ジェネリック医薬品に関する知識不足などが、処方を妨げている場合があります。
制度的な問題: ジェネリック医薬品の価格設定や、薬価制度などが、普及を促進するような仕組みになっていない場合があります。
これらの課題を克服し、ジェネリック医薬品の普及を促進するためには、各国政府が、国民への情報提供、医師への教育、制度改革など、多角的な取り組みを進めていく必要があります。
上記の国々と日本は、ジェネリック医薬品普及における課題に共通点が多く見られます。特に、国民や医師の意識改革、そして品質に対する信頼回復は、どの国においても重要な課題と言えるでしょう。
日本は、これらの国々の状況を参考に、より効果的なジェネリック医薬品普及政策を推進していく必要があると言えるでしょう。
Gemini Advanced便利だな。