はてなキーワード: 玉ねぎとは
ちょうど実家で貰った大根が少し余ってたので、それと新しく買った大根を使った。
鮮度とか品質が違うので、実家大根が溶けかけて美味しくなかった。新しく買ったほうも、半分以上は美味しかった(柔らかさ、味の沁み方)が、ちょうどよい感じの手前や煮込みすぎが多発した。
鶏肉はだいたい美味しかったけど、皮が剥がれて皮だけ食べても皮と大根食べても美味しくない皮が生まれてしまった。
剥がれてない皮も、あったほうが美味しいのと、お肉と食べても微妙なのがあった。
鶏肉が余ったので、シチューを作ろうと思った。鶏肉を買い足そうと思って、ちょうど近所のお肉屋さんの金券があって、スーパーの返りに寄った。
様々な事情により鶏肉じゃなくて柔らかい牛肉になった。明日休みだしかなり安くしてもらったけど、本来シンプルに焼いて食べたほうがよいぐらいのお肉で割引されても結構なお値段。
せっかくなので大きめのサイコロ状に切って、焼いてちょっとスパイス塩かけて味見して、後は煮込んだ。
お肉はめっちゃ美味しいんだけど、脂率が高いところは噛んでて嫌になるし、鶏もものほうが安定はしてる。
ほんとに美味しく作ろうと思ったら、お肉を見て合う料理合わない料理を見極めないといけないし、同じ塊でも場所場所で切り方サイズを変えないといけないのだろうし、そもそも合わないというケースもある。
自分は結構どっちの食感も楽しみたいって感じで、カレー作るときには、めっちゃ炒める細めのたまねぎとほぼ煮込むだけの玉ねぎとか両方入れたり、具財も絞らずに多種使うタイプで、鍋とか八宝菜とか、ごまかしがききがちな料理だとそれでよかったんだけど
鶏と大根みたいに具が少なかったり、よいお肉の活かし方考えたら奥が深すぎると思った
しりしりの失敗は味が薄いか濃すぎか出汁が不足してるか、コク(油?)不足なので、簡単なほうなんだと思う。玉子入れる前の水分量がいい感じじゃなくて、玉子が美味しくならないのはあるけど
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。
野菜 斎藤元彦支持者のこと。兵庫県民全般を指す場合もある。語源は「種まき」「収穫」から
玉ねぎ 野菜と同義。淡路島たまねぎが兵庫県名産野菜として有名なため。春菊と呼ばれることも
耕作員 兵庫県知事選挙で斎藤元彦を当選に導くために兵庫県を耕した運動員やPR会社の人達
5chから拾ってきた
かっぱ寿司はテーブル席のパーソナルスペースが休憩と荷物整理にちょうどよく、お茶も飲めるので買い物先の昼食件セーブポイントとして時々利用する。
アボカドサーモンは二つセットで、トッピングの玉ねぎが二つのシャリの上で絡み合っていて、一つ箸で持ち上げると大体もつれてネタが崩れ、結局積み直しして食べることになる。
これずっとどうにかならんかなと思ってたんだけど、前回、もしかして二つ同時に食べるのか?と閃いて箸で二つ同時に食べようしたら崩れた。ダメだった。
今日、手でなら二つ同時行けるか?と思いついて試してみたんだが口に詰め込むところまではできたんだけど、口の中にぎっちり詰まって余白がなく、噛むというか砕くのでいっぱいいっぱいという感じ。口内に空気が通る空間がないと味がわからないんだと知った。
綺麗に食べるコツがあったら教えて欲しい
お前、何してんだよ。コンビーフと玉ねぎを炒めて、麺つゆで煮て、卵かけて…これが一体、何の料理だと思ってんだ?「玉子をトゥルルってかけて」って、まるで料理のプロがやるような気軽さで言うな。そんな手間かけて、あのコンビーフの油っぽさと甘辛さを出してどうすんだよ。
歴史的に見ても、料理に「シャッと炒めて」なんて手順、無駄にするだけだろ。江戸時代の料理人たちが、どれだけ手間をかけて味を調整してたか知らないのか?「煮る」「焼く」「蒸す」これらの技術を駆使して、味に深みを出すのが料理の本来の姿だろ。
そもそも、麺つゆだのコンビーフだの、安易に「時短料理」を求めるのが甘いんだよ。こんなことで満足してると、江戸時代の名料理人・村田吉三郎がどんな目でお前を見ていたことか。料理は手間をかけてこそ、魂が込められるんだぞ。
それと、「ホカホカの炊きたてごはん」って、いいわけじゃないんだよ。白ごはんを使うのは大事だが、それだけで満足してんじゃねぇよ。歴史上、米を食べることの重要性を理解していた者たちを見習え。天皇や大名の食卓でも、米一粒を無駄にしないよう、心を込めて食べてたんだぞ。
「甘めにクタクタになったのを」って、あれはただの味付けの問題じゃない。自分の手間や時間を無駄にするような食べ方をして、料理をおろそかにしているってことだ。