はてなキーワード: 現場とは
普段はほとんど芸能ネタに興味のない人間である。ドラマは全く観ないし、アイドルにもぜんぜん興味がないし、M-1などのお笑い番組も、観ても面白さがほぼ理解できないレベルで疎い。当然ながら芸能に関する知識も全くない。
しかし、今回の中居正広「女性トラブル」問題については、リアルタイムで情報を追っている。その理由は芸能スキャンダルにとどまらない、日本社会の大きな転換点・分水嶺を感じるからだ。
1980年代以降、日本社会の世論はほぼテレビで代表されていた。日本の政治や社会問題で何が争点で論点なのかは、テレビが取り上げるかどうかや、テレビのフレーミングですべて決まっていたと言っても過言ではない。1993年の自社さ連立政権も、2005年の小泉郵政選挙も、2009年の民主党政権とその後の転落も、大袈裟ではなく全てがテレビ発のイベントだった。平成期の政局で最も大きな影響を与えたのは、明らかに小沢一郎でも小泉でもなく田原総一朗だろう。
1980年代当時の、子どもだった私たちにとって「たけし」「さんま」「とんねるず」などのテレビスターは既に総理大臣よりも偉い人だった。その後20年を経て、国会議員や総理大臣の権威は地に堕ちた一方、彼らテレビスターの権威は、本当に総理大臣以上になっていた。実際、彼らは上の世代の芸人がそうしたような、さらなる高みを目指して国会議員に進出する、という道に全く関心を示さなくなった。テレビ芸人の権威が、国会議員をはるかに上回るようになったからである。
しかし、ジャニーズ、松本人志そして中居が次々と性加害報道で凋落していったように、テレビで売れている人が日本社会で最も社会的地位が高い、という2010年まで続いた強固なヒエラルキーは、2020年代に入って急激な勢いで崩壊しつつある。誤解してはいけないのは、SNSやYouTubeの影響、というだけではないことである。ネットの配信者は基本的にネット記事を紹介するだけの「コタツ記者」であり、取材能力は全くの皆無である。週刊誌の取材力とSNSの拡散力が連動して、はじめてテレビの力を打ち倒すことができたのである。
もともと芸能事務所やテレビスターの性加害事件スキャンダルは、週刊誌や夕刊紙で頻繁に報道されていた。かつて中居も堕胎強要事件が報道されたことがあったが、週刊誌の読者に隅っこで読まれるだけで、「週刊誌はデマでも記事にして商売する」というイメージもあり、テレビで報道されない限り社会的影響力は皆無だった。
しかし現在は、状況が一変した。週刊誌の記事がネットで配信され、SNSとYoutubeで瞬く間に拡散するようになった。結果として、松本や中居などがSNSで大炎上し、Youtubeで詳細な解説動画が膨大に溢れているにも関わらず、テレビをつけても全く報道されない、という風景が繰り返されるようになった。少しずつ報道するようになっても、「痒いところに手がとどかない」レベルの報道であるため、「テレビは報道しない自由を行使している」という非難をより強めるものになっている。
結果として、「テレビが報道しない真実」を常套句とする、質の悪い陰謀論的なYoutubeチャンネルが溢れかえるようになっている。中高年の主婦がより陰謀論にハマりやすいと言われるが、これまで彼女らが家の中で一日中テレビをつけっぱなしにして生活してきた層であることとおそらく無関係ではない。SNSでは質の悪い情報ほど拡散力が高く、インフルエンサーの社会保障の理解などは絶望的にひどいものが多く、今後日本はますます衰退・崩壊していくのだろうという悲観的な未来が予想される。
最後に、テレビ局はこうした変化に柔軟に対応してアップデートしてこなかったことを指摘しておく。松本も中居も1990年代半ばから既にテレビで見ない日がないテレビスターだった。言い換えると、「テレビの顔」が30年も更新されてこなかったということである。そして、テレビ制作の現場の価値観も、テレビ画面上で公然とセクハラで笑いをとっていた90年代のノリを引きずっていたことが、今回改めて明らかになってしまった。metoo運動以降に就職した、Z世代の高学歴女性アナウンサーからすれば、松本と中居の女性に対する価値観や扱いと、それに積極的に同調して性加害を隠蔽するテレビ局員と幹部の姿は、ほとんど現実とは信じがたいものと映っていたはずであり、彼女たちが精神を病んでしまうのも当然と言えるだろう。
本当は女性のキャリアを考えればさっさと出産してさっさと職場復帰するのが一番なのにな
ある程度経験を積んで、これから責任の重い仕事を任せるぞ~ってタイミングで出産・育休で数年間現場から離れるんだから、そりゃ管理職も増えないし所得も増えるわけない
wikiwikiはユーザごとに制限等をかけるという概念ではないので、荒らしユーザの破壊行為を完全に回避することは容易ではない
仮にIPアドレス等で制限しても、Tor等による偽装に耐えられないという事情もある
このため本気で対策等をするのであれば、移転ぐらいしか無いと思われる(他のWiki等ではユーザ登録しないとページ編集すら出来ない設定も可能なので、荒らしへの対策はかなり強くなっている)
どこまでやっているのかは不明だが、ノーガードっぽいのでこちらを見て対処するように
https://note.com/nebeltal/n/n8206f47bdcdd
というか管理している奴はそういうのに得意な奴なのにこれらの処置もせずに荒らされているのでがっかりだわ
公式ページを見ると次の日付が怪しい
今までは転生でループする仕様だったのが、W9から今のところ14までが判明しているようになっている
2024-2025の最後の1時間では以下の仕様が搭載されていた
もしかするとこうした仕様だけでなく、以下の仕様も限定で搭載される可能性がある
プレイヤーが出現するカプの仕様に少し疑問を抱いていたためか、もしかすると一定のレベル以上じゃないと専用カプセルが出現しないようになるかもしれない(下手すると転生必須になる恐れもある)
現状ですら国からの補助で成り立ってんだから地方医療成立させたいならもっと税金出すしかないんだわ
ついさっきの出来事
金曜深夜に荒川区の明治通り沿いでクルド人の若者に絡まれた。(先入観による断定だが)
今日は彼女の誕生日だったので、足立区(千代田線の某駅)でお祝い&イチャラブして22時半過ぎに荒川区に戻ってきた。
もう少し飲みたかったのもあって、2時間くらい近所の馴染みのカラオケバーで常連さんと一緒に騒いで帰宅する途中。
24時半過ぎ
明治通り沿いのセブンイレブンでホットのおーいお茶濃い茶を買おうとしたら、ホットドリンクの棚に外国人ぽい若者がいる。
インド系か、スリランカ系か、ベトナム系か、みたいな感じで見てると動かない。
ちょっと笑顔を交わし、ホットの濃い茶を横から手に取りカウンターに行くと、なぜか彼もついてくる。(ここであれっ?と思った)
会計が終わり外に出て自宅に向かい歩くと、彼も出てきてついてくる。(どういう系かな?荒川区の路上で外国人に絡まれるのは初めて。お店で飲んでる外国人にこちらからウザ絡みすることは2、3度あったけど汗。最初はフレンドリーなインド系の人かなと思ったが、犯罪に巻き込まれるのも嫌だなとも感じた。)
数メートル歩いて、犯罪を警戒して後ろを向くと相変わらずついてきてたので、首を横向きのコケシ振り(インドではYesの仕草)すると日本語でもなく英語でもない言葉が彼から出てきた。
「コル・・・なんちゃら、コト・・・なんちゃら」(記憶は怪しいが、コで始まる言葉だった。)
最初、彼の同郷人に間違われたかと思ったが状況的に違うと思い、「What’s going on?」みたいに返すと、相変わらず英語でも日本語でもない言葉を繰り返す。
「分からない」
と日本語で返して歩き出すと、またついてくる。
コミュニケーションがとれないなら追い返すかと思って、睨むような表情で振り返ると、少し困った表情で「コル・・」と話しているので
「What do you want? English OK? Japanese OK?」と会話を試みるが、英語も日本語も分からないようだった。
このタイミングで、向かい側車線のタクシーに向けて彼が「Hey!Hey!」というように声を挙げたので、もう関わりたくないと思って、無視して歩き出すとタクシーは諦めてまたついてきた。
「What do you want?」
彼は今度は無言で手のひらを開いて、持っているだろう小銭を見せてきた。10円玉が数枚と1円玉が数枚のみだった。
ここで東京の深夜の路上で困り果てているアジア系の若者にタクシー代をせびられていることに気づいたが、割と酔っていたこともあって、英語も日本語もできないコミュニケーションのとれない彼に渡すような金はないと思ってキレ気味にこう言ってしまった・「You don't speak English! 日本語も分からない!」・
もう一度大声で繰り返した。
「You don't speak English! 日本語も分からない!」
そう言って歩き出すと、彼はもうついてこなかった。
ニット帽をかぶり、イヤホンをつけて深夜ラジオを聞きながら、冷える夜道を歩きながらもう一度さっきの出来事を振り返ったとき、川口のクルド人のニュースを思い出した。
彼らは難民(という名の出稼ぎ、事実かどうかはさておき)であるがゆえに、日本語も英語も分からない状況で建設工事現場に出てきている可能性があるのではないか。
帰りの日当も渡されずに、明治通りに放り出されたのかもしれない。
だけど、欧州のドイツやスウェーデンの移民問題はこういう経験の積み重ねで起きているのかもしれない。
その責任は、無計画な移民受け入れ先や自治体、不本意ながらも働いているかもしれない就労先にあって、私のせいじゃない。そう言い聞かせながら家路を急いだ。
何かを求めるなら。
掃除の仕事は若い時からホテルの客室清掃やってたので慣れてます。
全くイヤイヤではありません。
反論しますが、貴賤を考えてたら清掃の仕事は出来ないと思います。マンションやビル清掃で、なかなか落ちない汚れを床に這いつくばって落としてたら
座ってるんじゃないと男性に後ろから無防備な背中を蹴られた事があります。
職業の貴賤の話でしたら、客室清掃とビルやマンション清掃は下請けや孫請けだったので、予算がないからと壊れたままの道具で掃除を強制されたり、自前で軍手とゴム手を買わされたり壊れた道具で怪我しても
追記は以上です
ビジホ朝食調理に落ちた。
もう死にたい
無職じゃん!専業は怠けていて働きが足りないと採用担当男性に説教され
やや圧迫面接?を受けた。
履歴書に記載した企業でどんな仕事をしてきたかや部署名も事細かく聞かれて
肉体労働を求めていた様子。
学生の時は客室清掃や結婚式場やファストフードで何年も働いてたとアピールしたが
何十年も前のこと言われても〜みたいに
ダメ出しされた。おそらくビジホの客室清掃は ノルマがキツくて腰を痛めて何人も辞めるので
客室清掃は人手不足なんだろう
順調だったので、
こんなに小馬鹿にされるのか
とショック
調理が人気なら仕方ないと
他の清掃も応募するも、マイナビ、マイナビミドル、indeed、求人ボックス、主婦系の求人サイトあと2つ、全てに某ホームセンターとスーパーの清掃が全て同じ派遣会社で
連絡すると「定員いっぱいです」と断られる。
勘違いして応募したお前が悪いと回答が来た。
年末年始挟んで、年始に年末求人が載ってるのは当然分かるが、さらに翌週、また更に翌週も
どうして削除しないのか本当に謎。
また昨日も、定員いっぱいの求人が新着で
募集しており、その同一の派遣会社は不動産業もやっており、賃貸の囮と釣り物件みたいないい加減な求人なので
求人元に上記の件を問い合わせても、派遣会社に直接文句を言えよ、と開き直るホームセンターとスーパーにも不信感を感じてる。悲しみ
長子が小学校に入った頃、いつの間にか一番の仲良しママ友という奴が
よく遊びに来るようになり、しばらくすると2人のガキが頻繁に泊まりにくるようになる
休みの日でも朝から騒ぎ、どこかへ連れてけと妻にも急かされ家族ですら無い連中に家族サービスに駆り出させ
ロクな休みも取れず、平日も泊まりに来ては、図々しくも夜中まで騒ぎ、安眠妨害される
妻に文句を言っても「子供達も楽しんでるし、子供達も楽しんでいるから」と子供を盾にされる
新築したばかりの俺の家には、俺の居場所がなくなり、床や壁は落書きだらけの汚い家になった
三年後、ママ友にすっかり洗脳された妻は、ママ友の子供をほぼ毎日預かる様になった
家にもママ友夫や何故かママ友両親らに怒鳴り込まれたりと色々トラブルがあったが、離婚
ママ友は家を追い出されたが、親権はゲットしてしまい、家の近所にアパート借りて、相変わらず入り浸る毎日
あっという間に託児所になっていった
その内自分達の子供の世話よりもママ友との遊びやママ友子の世話を優先させる様な事もあり
真剣に離婚考えたんだが、自分の子供は可愛いし、ママ友の例から言っても子供の年齢的に親権を取る事は困難だったし
弁護士からのアドバイスもあり、他人が原因で即離婚というのもおかしいので、我慢していた
何故か妻は俺が犯人と疑っており(ママ友の関係に不満だった俺が当てつけでやってたと思っていたらしい)
これだけ我慢して、家庭にも尽くしてるのに妻には冷たくされる様になり
俺も妻を信用出来なくなり、完全に冷めた関係になっていった
数年後、中学生になったママ友長女が、妻の財布から抜いてる犯行現場を妻が目の当たりにした
怖くて声が出なかったらしいが、見られたことに気づいたママ友娘は、それ以降来なくなった
それでも妻は、ママ友には何も言わないでくれと泣いて懇願された
やっと目が覚めたのか、ママ友一家とはいくらか距離を置くようにはなったが
向こうはモンペの総大将なんで、妻とママ友は相変わらず何事もなかったように接している
二人で飲んでたとかで朝帰りする事もよくある
子供らが同級生だから、中学卒業までは我慢しなくちゃいけないんだが
毎日くるママ友のライン着信音聞くたびに、殺意が沸いて仕方がない
妻は気づいてなかったのか気づかないフリしてたのか知らんけど
ママ友子に色々虐められたり物盗られたりしてた子供たちも、その原因である妻を恨んでいる
それかママ友一家に依存するのかな?それで搾取され続けて便利な存在として扱われるのかな?
もう一切同情ないけど
ママ友が諸悪の根源だという事は分かっているが、こちらが何度説得しても、家族よりもママ友を優先して
ママ友の好きな様にさせてきた妻も大概だし、愛情も無くなり最早憎しみしかない
家庭を壊したママ友と妻が憎くて憎くて仕方がない
・「後悔してる…」「もっと理解らせしていれば通報されてなかった」の下りは目茶苦茶よくて「ナーメテーター案件でこの後見てるこっちが痛い位の「暴」が吹き荒れるんや…!」とワクワクしたがそんなに常識を外れた暴力は無くヌルーッと侵入フェーズが終わり「え?」って思ってるうちにエンディングを迎えていた
・前科の理由は「性暴力を受けて抵抗のためにやり返したら不本意な結果になり世間の理不尽を浴びた経験」的なものかと思ったらそんなことはなかった
・フランクなお礼として犯罪への手がかりを紹介してくる同僚、嫌すぎる
・「犯罪の指示役」と「いつでも切れる現場要員」の関係からヌルッとステディな関係になるの、海外の恋愛脳が大変すぎる…ってなった
骨格ウェーブじゃない骨格すき
インフルエンザ診断されて家で寝てたんだけど暇なんでぶっちゃけ話書き出しとこう。Xに書けねえし。
AI驚き屋はインプレッション稼ぎ、コンサルは使って欲しいんでAI使いこなしてますよアピールするけど、じゃあ現場はどうなんだよって話ね。
まず隠す方。これは色んなレベルで行われてる。外注は聞く限りでは使ってるところが多いし、社内請負系でも塞いでないところは使われてる、社員もまあ使ってる。
一番面白かったのは、割と大きめの企業で社内で大々的に社内向け生成AIチャット作って使ってる(話聞く限りはAzureベースの検閲ありChatGPTクローン)話。が、対外的には何も言ってない。
これなんで隠すかっていうと、セキュリティだの情報漏洩だのも理由なんだろうけど、一番大きいのは「単価を下げられたくないから」。
簡単な話で、派遣でもバイトでもなんでもいいんだけど、自分が雇ってる立場だとして、雇われる側の処理速度が2倍になったら2倍金払う?払わないよね。
ラッキー、いい人が入ってくれたと思って2倍仕事を振るか、色々やってもらうよね。
日本の場合は特に、職務範囲が曖昧だし、(遵法意識が曖昧な企業なんかは)外注だの請負だのでも、一定期間雇ってる意識でいるところがあるよね。
というあたりで、全社的に生成AI活用するぞってやってるところでも、社外にはアピールしてない企業がまあまあある。完全に緘口令敷いているところはあんま聞かないけど。
生成AI活用しましたって馬鹿正直に申告して、良いこと特にないんだよね。だから隠すし、使い方も共有しない。今はライバルに差をつけろ(自分の時間を持つぞ)みたいな状況。
あと使わないって企業もまあまあある。個人でもあんなん使い物にならないよって人も、まあまあ業界にもいる。わからんでもない。
社内でGoogle検索できない企業は存在はするし、github使わないとかそこまで珍しくもないし、あと自分の使い方に合わないから使わないって人も普通にいる。
靴に自分を合わせる必要はないし、そういう人が割といるおかげで、生成AI使う方は差別化にもなっているところはある。
何をどう使ってるかは恨まれたくないし大っぴらに書くつもりないから、まあ想像してくれ。
ただ、AI驚き屋さんが言うみたいにホワイトカラーの仕事がなくなることはないし、プログラマーも別にいらなくならないし、曖昧な仕様でゴリ押ししても生成AIは完成品を出力しない。
逆に、今はまだ発展途上で使い物にならないみたいなのも正しくないと思う。ごく具体的に言うと、月単価100万の仕事なら、2〜3万円って一人日以下だよね。月に5時間も節約できれば元が取れる。
つまりは、その程度には使い物になってる。
この辺、他の業界も変に浮かれずに、うまーく導入していかないと、単にコストカットできるとしか思われなくて地獄を見ることになると思うよ。
もう他業種だから恨まれても関係ないから書くけど、家庭教師業界とかね。
生成AI凄いんですよアピールとかしちゃったら、もうChat GPT-4で良いじゃん先生いらない、みたいなね。
合格というゴールに向かって、一貫してちゃんと伴走できるのが良いんですよ作り話もしないし確実なのは参考書をもとに解説できる私なんですよアピールが必要になる。
でも確認テスト作ったりとか、相手によって異なるモチベーションをどう維持させるかのアイデア出しとかは、使えるよね。
隠れて使ってる時って「生成AIは嘘をつくから教育には使えない」とか主張してくれる人がいると助かるんだよね。その主張を信じる人は、人間を雇ってくれるから。
というわけで、テック関係者は生成AIを使ってんのかよって言われると、半々かな。
一撃でアプリが作れますみたいな使い方してる人は多分いない。書いたコードにコメントつけさせてるやつはいるだろうね。
ぬいぐるみ隣に座らせてプログラミングしてたら効率が上がるような業界だぞ。そりゃあ使えるものはなんでも使いますがな。
ぜひこっそり、うちの業界でも使ってるけど黙ってるみたいな話を聞かせて欲しい。
転勤準備休暇で10日は欲しい。
部屋探しで4日(検索で1日。現場調査で2日+往復移動1日)。
退去手続き(クリーニング立ち会い含む)、入居手続き(光熱費等の契約含む)で1日ずつ。
荷造りで3日。
およそ2週間の休みをくれ。
世間では「時間停止もの」なんて言ったところで、どうせ大半は撮影テクニックや編集、もしくはカメラ外での演出トリックで作られた“疑似”現象にすぎないと思われているらしい。実際、ネットの掲示板や動画サイトのコメント欄を見ても、「いやいや、絶対こんなの嘘だろ」「カメラが止まってる間に位置調整してるだけじゃん」といった声が大半を占めているわけだ。俺だって、そういう意見や憶測が出ること自体は否定しない。映像制作の現場に少しでも触れたことがあるなら、どのように編集して“それらしく”見せるかは、割と想像がつくものだからだ。けれど、俺はそんな世の中の風潮にあえて逆行してでも言いたい。「時間停止ものの九割は偽物かもしれないが、俺が作るのはその残りの一割、本物なんだ」と。
そもそも、どうして俺が「本物」を撮ることができるのか。その理由は簡単に言えば「俺自身が時間を止める能力を持っているから」にほかならない。……といっても、いきなりそんなぶっ飛んだことを言われても誰も信じないだろうし、下手すれば「都市伝説的なジョークだろ」「SFかファンタジーの話?」と片付けられて終わりだ。だが、俺は高校生の頃にその力に目覚めて以来、その“特殊技能”を使ってさまざまな実験を重ねてきた。もちろん、当初は「まさか自分がそんな非科学的な力を持っているわけがない」と思っていたから、これは自分だけの妄想ではないのか、本当に世界が止まっているのかどうかを確かめるために、あらゆる手段を講じたものだ。
たとえば、最初は時計を手に持ち、周囲の秒針と自分が認識している時間感覚とのズレを確認してみた。時間を止めたつもりで周りに何らかの変化を与え、それが再び動き出した後にどういう結果として表出するのかを丹念に観察した。結果は自分が期待していた以上に「本物」だった。針は確かに停止していたし、俺が止まっている間に手を伸ばして動かしたものの位置は、そのままの状態で再開後の世界に引き継がれていた。さらには友人や家族といった“他人”の意識や行動が、一瞬の遅れや戸惑いすらなく自然に続行されているのを目の当たりにしたとき、「これは俺の気のせいでは済まされない」と思ったわけだ。
しかし、この力を本当に「作品」として世の中に発表しようと思ったのは、もっとずっと後になってからだ。最初のうちは「この能力を人に見せたらどうなるか」なんて、怖すぎて考えもしなかった。国に連れていかれて研究対象にされるのではないかとか、社会から隔離されてしまうのではないかとか、そういうSF映画さながらの展開を想像しては自分の力を隠して生きていた。だけど自分の中で色々あって、ようやく「もしかしたらこの力を面白い形で世に出せるかもしれない」という発想に至った。どうせバレたって信じる人間は少数派だろうし、大半の人は「撮影トリックです」と言われれば素直に納得する。ならば、“時間停止もの”というニッチなコンテンツを通じて、この能力を遠回しに表現できないか……と、思い立ったわけだ。
最初に手がけた映像作品は、いわゆる自主制作の短編映像だった。役者は大学時代の演劇サークル仲間に頼んで、「ちょっと協力してもらえない?」と半ば強引にお願いした。もちろん彼らにも「時間を止める」なんて話はしていない。役者たちは俺が示す演出プランを、単に「このシーンでは合図をしたら全員ピタッと止まってね。息とか目線もできるだけブレずに」という程度の指示だと思っていた。俺はスイッチを入れて、本当に時間を止める。すると、役者たちは「命じられた通りにそのポーズを保っている」ように見えるけれど、実際には全世界が静止している。ただし、俺の目から見れば「止まる瞬間」を観察することはできるが、その後は俺が自由に動けるわけだ。その間にカメラの位置を変更したり、人物の配置をちょっと変えてみたり、まるで“セット”を自由に組み替えるような作業を行って再び時間を動かす。そして役者たちは元に戻った世界で何の違和感もなく演技を続行する……という算段だった。
撮影を続けるうちに分かったのは、俺が止めた時間の中でどれだけ動いても、その“しわ寄せ”は自分の身体にだけきっちり返ってくるということだ。要は、自分が動いている間の疲労や消耗はそのまま残る。一方で、周囲にいる人々は一瞬のうちに次の瞬間へ飛んだ感覚になるから、俺がやっていることには全く気づかない。結果、撮影が終わるころには役者たちは「いやー、一発撮りだから緊張したよ」なんて笑う一方で、俺は何度も繰り返し止めたり動かしたりをしているからぐったりと疲れ果てているわけだ。それでも撮影映像を見ると「これは明らかに“ただの演技”や“編集”じゃ再現できないだろうな」というほど、微妙な物体の配置や空気感が変わっていて、そのギャップが俺としては最高に面白かった。
作品を完成させたあと、俺は“ある種の実験”として、それをネット上で発表してみることにした。当然ながらコメント欄には「意外に完成度高い」「こんな自然に止まるのはすごい編集技術だな」といった評価もあれば、「いや絶対CGとか加工だろ」と冷静なツッコミもつく。でも、そのどちらも俺にとっては「しめしめ、狙い通り」と思える反応だった。最初から“本物”としては受け入れられないだろうという予想はあったし、むしろ「すごい特殊効果」として話題になれば十分な手応えがある。なによりコメントを読みながら、「自分が本当に時間を止めてるなんて想像もしてないんだろうなぁ」と密かにほくそ笑んでいた。
そこから次第に俺は“時間停止もの”を撮り続けるようになっていった。制作資金を捻出するために、撮影手法を“商業用”にアレンジして提案したりもする。具体的には「編集で繋いだようにしか見えないが、実は役者はリアルに止まっていたんですよ」と、企画書やプレゼン時に“冗談交じり”でほのめかすのだ。まあもちろん、誰も真に受けやしないけど、「この監督は演出のこだわりが強い」という評価になり、それが逆に営業トークとしては効果的に働いているらしい。実際にクライアントから「なんかすごい集中力で一発撮りをさせているらしい」「カットを割ってないのにアングルが妙に変化してるがどうやってるんだろう」といった不思議な噂が広がり、俺の下には「ちょっと不思議な映像を撮ってほしい」という依頼が舞い込むようになった。
もちろん、その全てを受けられるわけではない。実際問題、時間停止の能力を使うには俺の集中力と体力が相当必要だし、一度の撮影にどれほど長時間も止められるわけではない。あまり力を乱用すれば、どういう副作用が起きるか分からない危うさも感じている。それでも、普通に撮ったらちょっとしたVFX(視覚効果)やポストプロダクションが必要なカットも、俺が時間を止めれば“生撮り”でいけるというメリットはでかい。しかも役者たちには「本当に止まってる」とは言えないから、「カメラ外でしっかり指示を出して完璧な静止をしてもらいました」なんて体裁を装っている。現場では「監督、どうしてもピタッと止まるのって難しいですね」「いえいえ大丈夫、大変そうなところはうまく編集しますから」なんてやり取りが行われているが、実際には俺が時間を止めた世界の中でちょこちょこ微調整しているのだから、演者は“少し止まったつもり”なだけでOKなのだ。
こうして撮りためた“時間停止もの”の作品群を時々まとめて観返してみると、まるで俺自身が異能の魔術師になったみたいな気分になる。世の中の大半の人は「時間停止なんてSF。現実にはありえない」と考えている。だから、たとえそれが本当に時間を止めて撮影された映像であったとしても、皆、「よくできた演技」か「巧妙な編集」で片付ける。俺はそれで構わない。むしろ「そういうものだ」と思われたほうが、余計な疑いをかけられずに済むし、俺自身も面倒なことには巻き込まれない。しかし一方で、いつかは「いや、これは何かがおかしい。絶対にリアルだ」と確信してしまう人間が現れるのではないかという予感も、どこかにあるのだ。
その予感を後押しするかのように、最近、俺の作品を見た人の中に「これは本物に見える」と断言する人物が出始めている。ネット上では「これって実は違法薬物とか使って被写体を眠らせてるんじゃ?」「催眠術の一種だろう」といった妙な憶測も飛び交うが、それらを超えるレベルで「このカットの影の位置、物理的におかしくないか?」とか「人の髪の毛が微妙に揺れている瞬間が、どう考えても止めただけじゃ再現できない動き方をしてる」といったマニアックな指摘をする人が出てきた。映像に関する知識が豊富な人ほど、逆に“不可解”な点に気づいてしまうらしい。これをどう受け止めるかは難しいところで、俺の立場からすると「まあそこまでマニアックに観察されても困るな」と思う一方で、「もしかしたら俺の本当の力に気づいてしまったのか?」と少しドキリともする。
ただ、だからといって「作品を公開するのをやめる」なんて考えは今のところない。むしろ「この力を最大限に活かす」方向で、作品のコンセプトをさらに突き詰めていきたいという気持ちが強い。なにせ俺だけに与えられた唯一無二の能力だ。使わない手はない。それに、俺は単に“時間を止められる”って能力が面白いから映像にしているだけではなく、この不思議な現象を通じて「世界の見え方」を問い直したいとも思っているのだ。人間の認識や常識をちょっと覆すような体験を、たとえ疑似的なものだと思われてもいいから作品として提示してみたい。その過程で「実は本当に止めているんじゃないか」なんて思う人がいたら、それはもう観客の自由な解釈だし、それで世界が少しでも豊かに感じられるなら嬉しいじゃないか。
もっと言えば、この“時間停止もの”というジャンル自体、実は昔から根強い人気があるように思う。マンガやアニメ、ドラマ、映画……どのメディアを探しても「時間が止まる」設定は数多く散見されるし、人はそれを観るたびに「もし本当に時間を止められたら何をするだろう」と想像する。だからこそ、多くの人が「本当に時間を止められるわけがない」と一方では知りつつも、“その可能性”にちょっとだけ夢を見てしまうのかもしれない。で、現実に「時間停止もの」は大半が小細工や演出だとわかっていながらも、いざ映像としての完成度が高いと「本当に止まっているようにしか見えない!」と感嘆し、同時に「いや、やっぱりウソだよな」と理性を働かせる。その矛盾をはらんだ感情こそが、このジャンルの魅力かもしれない。
そういう意味で言えば、俺が提供しているのは「本当に時間を止める」映像作品であると同時に、「どうせトリックだろう」という疑いも楽しんでもらうためのエンターテインメントでもある。事実、観客からは「どうやって撮影してるんですか?」と質問されるし、「このシーンは編集で切り張りしたんですよね?」と探りを入れられることもある。そのたびに俺はニヤッと笑って、「企業秘密です」と答える。まさか相手も「実は僕、時間を止められるんですよ」なんてセリフが返ってくるとは思っていないだろう。だからこそ、その“すれ違い”がまた面白いのだ。
さて、「時間停止ものの九割は偽物って言うけど俺はその残りの一割を作ってる」というのが、今の俺の胸を張った主張である。もちろんこれはやや誇張を含んでいる表現だ。実際には“時間停止もの”が100あったとして、そのうちの何本が“本物”であるかなんて誰にも分からないし、他にも俺と同じような能力を秘めている人間がいるかもしれない。でも、現状では俺は「自分だけが本物を作っている」と思い込むことで、この面白い世界を存分に遊んでやろうと決めている。大袈裟に言えば、それが俺の生きる意義のひとつになっているのだ。
いつの日か、もしかするとこの秘密が公になる時が来るかもしれない。誰かに能力を見破られたり、あるいは俺の側が意図的にバラすことだってあるかもしれない。だけどそのときは、そのときだ。今はただ「本物の時間停止もの」を撮り続けることに喜びを感じ、そしてその映像を観た誰かが「おいおい、また嘘くさいけど面白いぞ」と言ってくれることが、俺の創作意欲を支えている。例え“嘘くさい”と思われたとしても、真偽の境界線が揺らぐ瞬間を作り出せるのなら、それはまさに映像表現の醍醐味だろう。
そういうわけで、俺はこれからも「時間停止ものの九割は偽物って言うけど、俺はその残りの一割を作ってる」と胸を張って言い続けるつもりだ。世間がどう思おうと、ネットがどう騒ごうと、俺自身が“本物”であると信じている。それは単に俺に特異な能力が備わっているからというだけではない。俺自身がこの“時間停止”という概念に誰よりも魅了され、“嘘か本当か”を超えたところで映像を創り出すことに情熱を注いでいるからだ。疑う人は疑えばいい。信じる人は信じればいい。このグレーゾーンのどこかで、俺の映像がほんの少しでも視聴者の心をくすぐり、世界の見え方を変えてくれるなら、それで十分。そう思いながら、今日もまた俺はカメラを抱えて撮影現場に向かうのである。誰にも気づかれないように、ほんの数秒だけ世界を止めながら。
「働きたいけどなかなかチャンスが無くて・・・」
みたいな人がいる。
とにかく土木作業からなんでもいいから猫の手も借りたい人手不足のところにスポットで入ってもらう。
A.そうかもしれないけど
費用削減や、精神病患者への迫害や偏見、差別的意図で、精神病での障害年金廃止を言っているのではありません。
精神病を障害として認めると、かなりの患者が意識的/無意識的に「精神障害者」に留まることにメリットを見出し、結果、患者が精神病でずっと長く苦しみ、精神病から回復できないため精神病患者のために障害年金廃止が必要です。
精神病、特に、鬱病患者に多いのが、「お金が山ほどあれば鬱病から立ち直れると思う」と鬱病患者自身が言うことです。
これはある意味事実で、古いデータですが、年収8万ドル以上は鬱になりにくい調査結果や、15年前には7.5万ドルまでは収入と幸福感が比例すること、いや20万ドルを越えても年収と幸福感が共に上昇していく調査結果が示されています。
しかし現実には病気で思うように働けなくなり収入が低く留まることが多いです。
思うように働けないままの状態が長く続くと、精神障害者となって、障害者年金を受け取るという選択に進みます。
ここが問題です。
精神障害での障害者年金を獲得するために、患者は、自然と、自分を精神病に追い込んでしまうのです。
結果、患者は精神病で長々と苦しみ社会復帰できないまま、患者は精神病で苦しみ続けてしまうのです。
もうこれを終わりにしましょう。
私は保険医療従事者ですから、そういった患者で生計を成り立たせている面もあります。
しかし、このまま患者を精神病に留めて、患者を精神病で苦しませる時間を何十年も続けることには、もう明確に反対します。
精神障害者の障害年金を廃止しても、回復せず、困窮してしまう患者/元患者の方もある程度はおられると思います。
国民皆に平等に与えられている制度、生活保護を積極的に活用しましょう。
障害者加算は無しです。
それでも回復しない人は、国民皆に平等に与えられている制度を使って、精神病を引きずっていても得することはないことを自然と自覚し、回復と自立の道をその方のペースにあわせて歩んでいくべきです。