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はてなキーワード: 生計とは

2024-12-14

VCR GTA3についての簡単意見

こんなもん誰が見るのかとも思ったが、書かないと頭の中で堂々巡りしてほかの事が手につかないので記す。ここに辿り着く人は殆どいないだろうが、良ければここで頭を冷まそう。そもそも知らない人は、昼ドラ好きでもなければ面白くないだろうから、敢えて事前知識を全く記さないので、早くブラウザバックしましょう。

今回でVCRGTAは3回目、前回から実に約1年ぶりであり、私もとても期待していたし、初日から多少ではあるが観て、程々に楽しんでいた。正直2回目の時点である程度マンネリ化していたので、そもそも3回目はないだろうと思っていたので驚いたし、かなり精力的に新要素を設けようとし、それに応じてメンバーも増えていたので、さぞ面白いことになろうと思った。私の総合的な感想としては、まあ面白いという感じである

まず始めに述べておくが、私は単に整理のつもりで書いているが、多少否定的立場から、そこを踏まえてみてほしい。また、他のメディア、要は配信自身とか、全く第三者、果てはアフィカスブログまでが色々と書き立てているが、彼らはこのことを通じて金を稼いでいることをゆめゆめ忘れてはならない。無論、それは悪い事では無いが、それは私たち生活時間占有し、それで生計を立てていて、全くの部外者たりえないのである

今回の問題は広く「土井ストーリー」と呼ばれていて、要は最初から大手人達警察ギャングなど「花形」の職に割り当てられており、そのためそうでない人たちが多く新要素のスーパーなどに割り当てられた。その結果、警察ギャング過去2回結果既に地位確立されていたが、一方のスーパーはその性質ファームが多く、新要素のためバランスが悪かったことによりあまり輝けなかったということだ。確かにそうかもしれないが、そもそもどうしてこうなったのか。結果としてそのような構造になったしまったのではないかそもそもファームが良くなかったのは、スーパーシステム確立よりギャング警察バランス調整を優先してしまたからだろう。要は新要素を多く追加する中でスーパーが後手後手になったのではないか。考えてもみれば、警察ギャング弾圧する存在だし、忙しいので美味しい役どころではない。単に第三勢力システム調整をミスった、それだけなのだ。つまり原因はハンロンの剃刀である個人的には、スーパー施設を狭く、業務を少なくする、またはファーム場所を一つにまとめ、難易度を軽減し、もう少し街の近くに設け、雑談他界隈との交流を促進すればよかったのではないか

マンネリ化を防ぐには新要素と人を呼び込む必要がある。そうなれば開発費と人件費、そしてサーバー維持費が増えるのは当然だ。今回は宣伝が多かったし、化け物新人発掘より、安定して皆が和める、つまりお金が生み出される環境を求めたのだろう。そしてそうしなければvcrは存続出来ない。しかシステムのもの大手同士の絡みに飽きた人や大手でない人のファン逆鱗に触れ、しかスーパーシステムが洗練されておらず更に不快感を買う形となった。

それでは私たちはどうすればいいのか。ほぼ部外者なので言ってしまえばやれることなど何もないのだが、怒って叩くのは無駄しかないので、せめてフィードバックするとか、自分が一応彼らの報酬の源泉であることを理解してサブスク渋るとか観ないとかすれば良いだろう。それと共に、自身を省みて、そもそもこのことに執着しすぎていることや、人間関係や力関係の在り方について今一度考えるいい機会かもしれない。

最後に、勿論嫌な人は見るなというのはある。しかし誰も一所に留まらない世の中で、新しくやってきた人がこの言葉を聞いて果たして面白いとおもってくれるかは考えるべきだろう。

週休3日制を導入して1年経ったので書いてみる

すいません、タイトルちょっと盛りました。

週休3日制なんていうと、暦とした制度みたいに聞こえますが、一人法人フリーランスです。

スペック

アラフォーIT系フリーランスエンジニア

フリーランス生計を立てられるようになって12年くらい、法人化して7年が経過した。

いわゆる、つよつよエンジニアではない。

強みは技術力ではない。ディレクター意図を汲み取って、空気読んでいい感じに仕上げるのが得意なだけ。

都内在住。配偶者と二人暮らし。自宅でフルリモートで昼寝し放題。

宣言

ちょうど一年前くらいに、金曜日休み宣言をした。

昨年11月取引先各位に以下のように連絡した。

「来月12から金曜日原則稼働しないことにします。

リリース時などは柔軟に対応しますので都度ご相談ください。よろしくお願いします。」

取引から特に反発も驚きもなかった。

いや、驚いてたのかもしれないけど、ほとんどSlackメールで連絡したので、反応はよくわからん

理由

理由はあまり聞かれなかった。

理由を聞いてきた人も迷惑がっている感じはなく、素朴な質問だった。

ちょっと働きすぎだと思っているんですよね」と言っておいた。

実際そう。

これまで依頼がきた仕事可能な限り受けていて、時期によっては昼夜兼行で仕事してきた。(平日の昼間から昼寝したりするわけだけど)

フリーランスの働き方は自分に合っているので、長時間仕事し続けるのはそれほど苦ではない。

仕事自体は好きだし、それなりに楽しくもあるのだけど、

クライアントから依頼されて作っているものは、自分のものではない、自分がやらなければいけないことではないという思いが強くなってきた。

さらに言えば、大元クライアント大資本だったりするわけだが、正直この社会になくても構わないものばかり作っているなと思ってきた。(依頼を受けた以上はしっかりやるけどね)

お金はそれなりに稼いだのだけど、実はそんなに使いどころがない、というのもある。

家は買わない主義。車は10年前に中古で買ったのを大事に乗っている。愛着が湧いて手放せない。

接待されて嬉しいタイプではない(むしろ居心地が悪い)ので、どかんとお金を使うところがない。

外食行った時に値段を気にしないで注文したり、旅行の際に気軽にグリーン車タクシーに乗ったりできるのは嬉しい。

で、昨年イギリスで週休3日制の社会実験が行われたというニュースを耳にして、

これはいい、私もやろうと思った。

結果

良い。

単純に自由に使える時間が増えた。

フリーランスなんだから、ほんとうは全ての時間自由に決められるんだが、この日は仕事しないと宣言することには意味があった。

収入は前年の8割くらい。でも、私の収入は毎年2-3割のブレがあるので、通常のブレの範囲内。

始めた頃はさすがに金曜に稼働しなければならない状況は結構あった。

これは私が仕事を終わらせることができなかったのではなく、先方の都合で仕様の確定や素材提供が遅れてしまうのが原因であることが多かった。

あと、私が金曜に働かないというのを忘れてたり、知らなかったりする人が金曜にタスクを投げてきたりしていた。

でも、ここ数ヶ月は私が金曜日働かないマンであることがかなり浸透してきて、ほぼ休めている。一応Slackの通知は見ているけど。


お付き合いいただいている取引先の皆さまに深く感謝

どなたも二つ返事でご理解いただけてありがたい限り。

余裕ができた時間は、主に趣味創作活動に充てている。

もっと本読みたい。アニメ映画もみたい。ゲームもしたい。たまに旅行もしたい。

時間は、いくらあっても足りない。

2024-12-10

年金8号

年金3号の廃止きっかけに、年金制度が続々と新設される世界。そして特別に強大な年金制度には識別番号が付けられていた。

年金整理会社ペンションスイーパー」に入社して生計を立てていた日々ギリギリは、何時かはアレとの出会いきっかけに、諦めかけていた年金徴収隊に入隊するべく試験を受ける決意を固める。

しかし、その矢先に謎の年金制度規制されたことで年金8号に返金する力を身につけてしまう。

anond:20241210020406

そもどんな人が働くことを想定してる職種なんだろうね

一人で生計立てない小遣い稼ぎのおばさんがやる仕事みたいな位置付けにされてんの?

いやでも彼女が3倍稼いでるんなら小遣い稼ぎだと思えばいいんじゃね

2024-12-08

anond:20241207175805

内容が消されてるので何が書いてあったのか知らない上で書く。

精神的寄りかかりなら良いが、金銭面を享受したいという話ならやめとけって話にしかならない。

正確に言うと、気の合う人間生計を共にすることによって得られる利益享受したい。

23歳男オタクvs結婚強迫

結論

結婚ができる気がしない」一方で、「結婚し」なければならないという強迫観念がある。

なるほど「気の合う人間生計を共にすることによって得られる利益享受(共有)」するのは幸せことなのだろう。少なくとも周囲の大人たちはその信念を奉じて生きてきたようであって、同時に、幸せな家庭人生活を送っているようにも見える。

一方で、私は「結婚ができる気がしない」。先述の通り「結婚し」なければならない、という観念があって、かつ、「気の合う人間生計を共にすること」に対し何らの疑念を持たないにもかかわらず、である。私は夫としても、あるいは父としても、その適格性を著しく欠くように思われる。

どうしてこの結論になったのか、振り返ってみる。

スペック

23歳・早慶政経法のどっか・4年(浪人した)

実家:都外。奥多摩山中やどこぞの島よりは皇居に近い。

上っつら:少なくとも面と向かって悪し様に言われたことはない。中学生と比べると大きく、高校球児の中なら目立たず、プロ野球選手に混じれば小さく見える(はずだ)。人並みには気を遣っているつもりでいる。

私には2つの強迫観念がある。そのうちの1つは「結婚しなければならない」というものだ。もう片方についてはあえて述べない。

かかる珍妙にして時代遅れ時代錯誤と言うべきだろうか?)の価値観を、いつから我が身のものとしてしまったのか、詳細な事情記憶していない。ただ、誰かの「家を継げ」とか「孫の顔を見せろ」という種の明確な言葉あってのことではなかったことだけは、はっきりと断言できる。他者からの影響が思い当たらない、本能的に自然発生したと説明するほかない感情からこそ、我ながら奇妙だと余計に思う。ともあれ、私が「結婚しなければならない」という価値観に囚われていることだけは確かだ。

結婚の前提条件を思い切り単純化するとして、最低限パートナー愛情喚起する資質を有すること、とした場合、幸いにもその適格性はあると考えられる。何度か愛されたことがあるからだ。それが私の外形的諸条件に起因したものだったのか、はたまた精神領域と関連するものだったのかは今となっては知る由もない。もっとも、その辺の機序はよく分からないし、検討する実益にも乏しいように思われるから、詳細には立ち入らない(拒絶されたこともある。少なくとも愛されたことの同数はある。こちらの方が問題としてはるかに重大だと思う)。

あるいは大前提として、そもそも私は他人たる異性を心から愛すことができるのか、という根源的な問題も考えうる-イエスだ。中学校高校(・予備校)・大学と、それぞれの段階で心から愛した/希求した女性は、少なくとも一人ずつは存在した。逆に言うと、何人もの異性とすれ違う中で、(性的昂奮は別として)特別な心情を惹起するに至った人々は、極めて少数しか存在しなかった。

結婚に対して、心理的阻害要因存在しない-少なくとも大きな問題はないはずだ。むしろ結婚しなければならない」というくびきに囚われているのだから、前のめりでさえあるべきだ。にもかかわらず、私は「結婚できる気がしない」。

長くなりすぎた。問題本質を簡潔に述べる。「結婚できる」と思える人に巡り会えない。

私の愛情の抱き方は、一目惚れに近いものがあると思われる。顔がどうとか精神性がどうとかではなくて、いつの間にか好きになって、彼女(たち)の自慢のアピールポイントや隠したい欠陥といった具体的な要素には一切立ち入ることなく、総体として「好きになって」しまう。このことは、私が好きに"なりうる"人々を類型化することを非常に困難にしている。酸いも甘いもというと身も蓋もない言い方だが、彼女のどこに惹かれて好きになったという具体的な点の説明ができない以上、共通点見出してその特質を有する人々を探す、ということのしようがない。慣用句的に言うなら「恋は盲目」ということなのだろうか。

逆に、「総体として」好きにならない女性存在する。むしろ「好きになった」人々が極々僅かな例外にすぎないのであって、今まで出会ってきた何千何万という人々のほぼ全てはこちらにカテゴライズされる。この「好きにならない」人々の中にも、もちろん友人(であると信じたい)は何人か存在するし、有り難いことに好意を抱いてくれた人もいる。私が「好きになった」人々と何らかの点で似通っている人もいた。しかし、私はこの範疇の人々に親愛以上の心情を抱くことができなかった。提供できる親切は、親しき友人としてのものが上限だった。否、それすら私の怠惰ゆえに、とんでもなく低いレベルのものにすぎなかったとも思う。

「愛することができる」人を探すために、アトランダム努力はそれなりに重ねたつもりだ。他学部開講の講義に片っ端から出てみる。同年代の異性が多いバイトを探す。時には友人に紹介を頼んだこともあった。マッチングアプリだってした。並行して2、30人の知らない異性とパラレルに知り合うある意味刺激的な生活を3ヶ月ほど続けた-何人かの「友人」と知り合っただけに終わった。いいねの数が身長を優に越してしまったあたりで、少なくともパートナー探しではない別の作業になってしまった気がして、やめてしまった。

これから先の人生で、心から愛することができる女性に巡り合える気がしない。おそらく巡り会えないのだろう。仮にいるとしても、既に「売り切れている」可能性すらある。私はもう23なのだ!私は恋愛市場上のまさに完全な敗者として、20代前半の若者が集まる場所としては日本で最も大きな部類に入る学舎を去ることになる。偏差値市場上の敗者として押し込められて、恋愛市場上の敗者にして立派なインセルとして出荷される。

結婚自体可能ではあるのだろう。「結婚しなければならない」という心情へのアンサーとしては、最も安直だが直裁な解決策でもある。私一人で家庭全体を食べさせることができるかどうかは別として、その大部分を担うことに対しては、現実として可能であろうし、別段おかしなこととも思わない。

ただ、私は、結婚生活しろ親としての生活しろ、その本質の一側面は自由の縮小であると強く信ずる。期待や喜びの総量をはるかに上回る失望と失敗の連続であろうと確信している。いざ焼かれる時にどう思っているかは別として、存命中常に家族とやらに関する何らかの心配をし続けていることだけは確かで、幸せな家庭生活というものが仮にあるとしたら、それは常駐する100の心配事と同時に0.01の安寧を自覚できるかそうでないか、という程度の話でしかないのだろう。

そのとめどない苦難の道程を、愛することのできない人と共に歩いて行けるのだろうか?より直接に言う。「妥協できるのだろうか?」決して少なくはない人々が「できる」ことは知っている。それどころかたった100年前、それこそがセオリーだったことも知っている。ただ、私は「できる」とは思えない。途中で投げ出してしまうという確信がある。親しき友人としての親切が上限で、それを超える困難と直面したら、逃げ出す。「結婚しなければならない」という私のエゴと人としての欠陥ゆえに、罪のない他人のことをこれ以上不幸にしたくない。

諸先輩方はどのように折り合いをつけたのだろうか。「後から好きになる」ようなことがあったのだろうか。「子供が生まれたら変わる」のだろうか。はたまた「みんな結婚してるから、流れに合わせてそれっぽく振る舞ってるだけで、相手特別感情はなかったし、何なら今は少し幸せに感じることだってあるよ」というのが真実なのだろうか。もしそうなら、どれほどよいのだろう。

鬱屈とした諦観けがある。"愛することすらできずに"家庭を放り出し、エゴのために他人を有形無形に傷つけたクズ烙印を押されるよりは、生涯部屋のアガベサボテンどもと共に、好きな音楽映画世界観だけに閉じこもって、屈折した強迫観念を胸に秘めたまま朽ち果てて死んだ方がマシだ。最大多数の最大幸福希求するなら、それが社会的に最善でもあろう。闘争領域本来、縮小されるべきなのだ

泣き言を書き散らし、日記とすることで、何らかの整理がついたように思う。この乱文を書く直接の動機となった、『22歳女オタクvs結婚願望』 https://anond.hatelabo.jp/20241207175805 の筆者が良きパートナーとなりうる人と巡り会えることを切に祈り貴女可能だと思う。私はそう確信するし、本心からそう願っている)、終いとする。

2024-12-07

22歳女オタクvs結婚願望

結論

結婚ができる気がしないのに微妙結婚したい。

正確に言うと、気の合う人間生計を共にすることによって得られる利益享受したい。

追記

思ったより多くの人が読んじゃったのでだいたいの内容を消しました

思想の部分はともかく他にかなり特定できること書いちゃったからね 

いくつか気になったやつだけ返信しようと思います

1. 長文連投すなカス

すまん、初めてはてな使ったらわからんかってん

2. 23歳男オタクさん

最後メッセで優しい人だな~と思いました ありがとう

3. 共同生活には恋愛感情より信頼、感謝尊敬大事だよ 恋愛以上に疎そうだけど

3-2. 斜め読みして抱いた感想は、これだな。元増田相手幸せにできる人間ではないので、スペックの高低を問わず、見る目のある男は元増田を選ばない。元増田にも人を見る目が無いので、結婚できないか、雑に結婚してここに全部相手のせいにした不満を言いに来るようになるか、まあ、どっちかだろ。

めちゃくちゃ耳が痛い 耳が痛いで賞すぎる(茶化さないとやってられないくらい耳が痛いです)

4. 160cm60kgの化粧品最低限でearth着てる自称『ブスではない』香ばしい

これは私の説明が悪かった、157cm55kgです 誤差ではあるがまだマシ

ただ身長体重のスぺ差し引いても化粧品からあとの部分で何の申し開きもできないので反省しようと思った 私も他人文章でこの説明見たら香ばしいなって思う

5. 親がうるさいから家を出たいがバリバリ働いて全部一人でやって自活する自信がない。親代わりに養ってくれる(精神的にも金銭的にも)人が欲しいってだけでは

耳が痛いで賞その2 これその通りかも……など思ったのでまず自活能力つける必要あるな……になりました

6. その他結婚応援派の人たちへ

やさしいな~~と思いました マッチングアプリあんまり考えてなかったけど使ってみるのはありだなと

7. 実家なんか変じゃない?系コメ

それに気づいたの一か月前なんだわ……22年気づかなかったよ

2024-12-06

皮肉なことに金を払って読んだ記事情報商材ではなく無料で公開されている情報の方が生計の用に立っているのであった

2024-12-04

賃金労働に向いてない人間の方が生殖に有利なシステムおかし

同期が仕事を辞めた

曰く、彼女職場パワハラなのもあるが、メインの理由は「フルタイム労働正社員責任にに向いてないから」。

この先どうするのか聞けば、正社員彼氏同棲して派遣で食い繋ぐとのこと。たぶんそう遠くないうちに結婚する気なんだろう。

もともと子供を産んでパートで働くつもりといっていたし、彼氏も両腕を挙げてとはいわないまでも反対はしてないっぽかったので、それが早まったと思えば確かに何の問題もない。

でも生まれ子供賃金労働をして生きていかなきゃいけないんだよ。実家が太いわけでもなく、フルの共働きじゃないのに都内に住むつもりなら奨学金を借りないと大学に行けないかもしれない。女の子たまたま運よく生計を支えてくれる男を捕まえられればいいけど、それができなければ苦しい人生を生きるしかないんだよ。負の再生産以外の何者でもなくないか

自分の母も専業主婦で、母のことは好きだし仲もいいけど、産んでもらってありがとうなんて思ったことがない。働かないと生きていけないこの世界なんてクソ喰らえと思っている。そこから離脱した気かもしれないが、労働力の再生産という女の古典的仕事に逆戻りしただけ。

子供可愛いと思うけど同じぐらい子猫も同じぐらい可愛いと思う。見ての通り私は捻くれているので、子育てよりは賃金労働をしている方がまだ社会に与えるダメージは少なくて住むだろう。

素直な友人に育てられた子供はそれなりにまっすぐ育つだろう。わたしのようなひねくれた人間出会って傷つくこともあるだろうが乗り越えて生きてほしい。

けれども私はとにかく、再生労働だけは絶対にしたくない。してはいけない。恋人と話し合ったとき、「私たちのような人間子供を持ってはいけない」と思うことは、優生思想でもあるよ 世の中にこどもをもってはいけない一定性質をそなえた人間群なんて

ないんだよと諭したけど、わたしは、私だけは、子供を持ってはいけない どんなに賃金労働に向いてなかったとしても。

[] テレビなんか見ない。ネット無料配信されたら見る

テレビANN系列ドキュメンタリー番組テレメンタリー』を見た。

多摩トキワソウ団地で暮らす漫画家の卵達。

エロ漫画生計立てつつ、メジャー少年誌での連載を目指す2人。

本名で紹介されペンネームは明かされず。

1人は「DL販売で9万3000部以上売れて2000万儲かった」と。

DLsiteで累計販売数を見る。

マ○チ博士の「人権破○工場」か。

番組内でぼかしかかってたタイトル画像とも合致

もう1人は作画風景を映されてたが、絵柄見ても誰か分からない。

ググったりX(旧Twitter)で検索しても、テレメンタリー言及してる人ほぼいない。


後日、改めて検索するとYouTubeANNnewsCHに当該番組が丸ごと公開されてた。

多数のコメントの中にエロ漫画ソムリエがいて、もう1人のペンネームも判明。

p○hs(ぺろ○す)って人らしい。

電子書店では何度もランキング上位になるほど売れてるそうだが知らんかった。

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ここまで書き、後日に投稿しようと寝かせてたら後出しなっちゃった


当該番組一場面を静止画キャプしたX(旧Twitter)のポスト(旧ツイート)がバズる

そのポスト(旧ツイート)をソースに5ちゃんねるでスレが立つ。

そのスレソース複数の5ちゃんまとめサイトがまとめる。

anond:20241204155726

この文章趣旨を要約すると、以下のようになります

1. 兵士への挑発武器の奪取は危険無責任行為

武装した兵士に対して武器を奪おうとする行為は、たとえ一時的成功したとしても、周囲の兵士から反撃され、結果的に命を落とす可能性が高い。そのような行動は、無益危険である

2. 兵士個人を責めるべきではない

兵士基本的命令に従って任務遂行しているだけであり、多くの場合、それが生計を立てるための手段である。彼ら全員が高い職業倫理を持っているわけではなく、単に仕事として従事している者も多い。

3. 不用意な行動が社会全体に悪影響を与える可能

武器を奪おうとするような行動や挑発は、兵士の反撃を招き、犠牲者を出すだけでなく、大規模な内乱に発展する危険性もある。そういった行為社会全体の安定を脅かす。

4. 無謀な行動を正当化する風潮への批判

一部では、そのような危険な行動を「民主主義」や「正義」として称賛する風潮が見られるが、それはむしろテロリスト的な行動と見なされ、批判されるべきものであると主張している。

結論として、この文章は、武装した兵士挑発的な行動を取るべきではないという警告と、それを正当化する風潮に対する批判を含んでいます

2024-12-03

去年まで実家の手伝いで生計立ててた俺。廃業により無事穀潰しレベルアップ

「もう35だぞ。あまえるな」

とか怒られても

28から5年近くお前の下で最低賃金スレスレふで働いてたんだが?拘束時間とか時間外労働考えたら普通に割ってるんだが?文句言わない労働力必要なくなったら出てけって都合良すぎだろ」

となりむしろ俺がイライラするだけというあれ

出てけ言うなら相応に金でもくれよといえば甘えるな、となり、金も行く当てもない俺は近所にバイトする場所もない片田舎から車で1時間かけてバイトにいき1時間かけて大してうまくもない晩飯が出る以外魅力がない家に帰るしかない生活をする

ストレスは溜まるが金なんか貯まらねよ。バイトするためにバイトしてるようなもんだわ

2024-12-02

次の文フリで出してみようかと思ってる小説がある

小説を売ったことがないんだけど、読みたいって人いるんだろうか

あらすじ

============

主人公40代独身女性若い頃痛々しい失恋をして占いにはまり、全財産を失って実家に戻ってきた過去がある。今は親に面倒を見てもらいつつ時々バイトして生活している。

占いからスピリチュアルに傾倒しており、占い師/宗教家/慈善である欧米人女性主催宗教(ユニテリアン・ユニヴァーサリズムを参考)の活動に応募し、内定を受けてアイルランドの某地で寮生活をはじめる。

寮では「仕事をするもしくは現地で生計を立てること」がルールなので、出身も年齢もバラバラの人々がその地で見聞きした体験を共有し、週に1回のミーティング信仰生活について語り合う。

主人公はツテで女性支援団体会計仕事を得る。そこで全く支援したいと思えない相手支援しないといけないこと、あらゆる問題の根幹に貧しさがまずあって余裕のある人がちょっと寄付するだけじゃ全然足りないことなど、人を支援することの難しさを学んでいく。

そんな毎日の中、主人公乳がんにかかる。治療費は全額宗教団体が出してくれ、療養中の生活にも心配はなく、進行も初期ではあったが切除は避けられない。命の危険はないものの、まだ愛してくれる人にも出会えていないのに自分の体が変わっていくことに強い不安を覚えるが、寮の仲間やうっとうしいと思ってたルームメイト献身的に支えられて少しずつ安定していく。

元気なときは若干胡散臭く見えていた団体宗教臭さが、自分が落ちているとき病気ときは心地よく、しっくりと感じることに気づく。

最終的に主人公団体に深く受け入れられ、自己肯定感を得て日本に帰る。終わり

anond:20241201095729

好きと仕事を混ぜたらいかんと散々いわれてきたでしょう?

仕事してる側は好きでやってるわけじゃないだろうことは考えてもらいたい

あなた消費者側として好きだからメーカーもそれを好きで提供してるのだと思うのでしょう

経営者目線を持つべきとはいわないけれども、自分が好きなものを売る立場になったらどうなるかくらいは考えてみてほしい

あなた推しコレクション他人に売って生活する事を考えられますか?

一人売れたからそれで生計を立てようという事がどれほど無茶かは、売れ続けている商品などそうあるわけでない事から察してもらいたい

たった一つの商品で成形を立てることができるのは個人くらいなもので、売れてる個人を抱えてる事務所ならばその客を実態として離さないようにするしかない

一人が売れなくなってももう一人、アタリの作り方、客の維持の仕方、そのための庶務となれば巨大化していくしかない

なぜって成功の仕方がわからいからだし、そんなものはないから常にアタリに近い位置に立ち続ける予備が必要から

好きなもの商品にしている事については大きくメリットがある

それは脚目線アタリを探れる市場調査的に一番近い位置社員がいることはメリットである

からといって当人が買う事は自爆営業だしそこで消費して終われば収益にはならない

モテと同じ

自分パートナーモテになれたら、それを所有している自分評価は上がる

しかパートナー自身個人的にモテ使用したならば自分の所有ではなくなる

パートナー当人モテ実益に変える事・自分パートナーモテ評価価値として得る事・第三者モテ接触する満足感、それらのどれを選ぶかという事

今、放送法協定に縛られない情報発信としてのVが大きく活躍している

それは個人SNS情報発信する威力も高まっているという事

各種端末からそれぞれ個人情報を取得する事ができるのは時代の大きな変化でしょう

個人自分の売り方を見つけることができれば、自分自身を無店舗収益を上げる方法存在しうるのは情報化の極みでしょう

一般収益目的としている会社想像してみてほしい

方向性の違い」で退職したり独立する人がどれほどいますか?

商品の売り方に疑問を感じるとか、サービス提供方法自分提案があるとか、そんな事で独立して起業をする人がどれほどいますか?

会社組織としては、そうやって離れてくれる事で組織体を維持できるし、個人個人ひとりの生計くらいは自分で立てることができる助走は組織体の売り出しでつくれる

これはWIN-WINでしょう

労働者としてのアクター業界への貢献という企業体のさまはとてもよいものだと思います

推しがうまれてきえていくのをただ眺めるのはむなしく、自分がそれに投げ銭だけでも関わりたいという気持ちもあるでしょう

その人の人生までも、ただの客としてみている分しか見えていないのに気になることもあるでしょう

ですが、それらも商品としてある限りはコンビニお菓子と同じです

あなたがよみもせず破いてすてている包装紙に書き込まれている色や文字にも給料が支払われています

産地や味付けに関心をしてそこに入れ込む事もあるでしょうけれども、それらの生産供給、運輸や企画のほかプロモーション計画性などまで人が関わり給料がでています

うりもの商品についてそれそのものに入れ込む気持ちは客としてはとてもありがたい熱中ですが、おとどけできているのは大きく全体のかかわる組織体のほんの一滴であることは感じてください

アイドルの作り方も解らなかったし、放送のあるべき姿も確立されていない、接客業というものの正解もわからないし、人気や流行もどうやって作るのかなんて解らない

全方向的に確立されていない暗闇のなかで手探りをして落とし穴を避けてアタリをみつける作業に、人数を増やすしか次のアタリをみつける方法はないんです

今年の新入社員の食費を出すのは誰か、来期の予算をねん出してくれるのは誰か、先月課金してくれた人は今月も課金してくれるのか

それがわからない完全な暗闇の中で経営をするためには、人海戦術で四つん這いの手探りをするしかないじゃないですか

会社は大きくなっていって、投資材料として「商品銘柄関係なく予算を確保できる」とか

その人気を利用して銀行融資を得られるとか、それらを確保するために人員が増え続ける事は商品としておとどけし続けるためには必要な事なんです

Vはみんな商売なんです

人間としてならば、生活を含めるなら水揚げをしてもらえれば済む話なんです

彼らの収益はその参加している組織体の今月、来月、来年のためのお金を稼いでいるという仕事をしているんです

2024-11-30

ただ存在するだけで、他の誰かの機会を奪っている。

私が居なければ、あなた大手を振ってご活躍されたであろうに、私のような者が場所を取っているから、無駄に気を遣わなければならない。

私としては、私がここに居ようが居まいが、大差ない。

なら、道を譲るがごとく、あなたに譲るべきではないか

そうやって、譲って、譲って、羽振りがよさそうでいて、余裕がありそうでいて、その実、なんら報われることはない。

水や空気のように、ありがたがられつつ、侮られる。

それの繰り返しで、ついに大功はおろか、自らの生計すらなりたたない。

コミュニティ新陳代謝しなければ存続しない。

ゆえに、私のような異物ははじき出される側である

何ら恩恵報酬も預かることがなかったにも関わらず、もう十分でしょうと引導を渡される。

どのみち、こんなことを逡巡しなければならない時点で、私の居場所として安定しない場所であることは明らかであった。

2024-11-27

児童手当の仕組みがあほなので区役所突撃してみた

児童手当の制度改正に伴い、ようやく所得制限撤廃され児童手当がもらえることになったので、その書類が区から送られてきて申請をした。

すると返送(不備がある)があり離婚した証明を添付しろという。

そもそも日本には離婚証明などないので、戸籍筆頭者が私、そして子供しか入っていないのだから、これが最も離婚している証明になるはずと、戸籍の全部事項証明を取得しました。

全部事項なので、子供の父の名前は表示されるし、親権者を定めた日(=離婚日)もわかるし、その人がこの戸籍の中にいないことも一目でわかる。偽装していないことは一目瞭然であるので問題ない。

住民票ももちろん私と子供の二人だけ。

振込先の銀行口座戸籍筆頭者であるである

と思ってサクッと提出したのに離婚した日付が記載されていないか戸籍謄本では不可と返事が来た。

どうやら調べてみると離婚日がわかるのは除籍謄本らしいのだが、これはコンビニで取れない。

戸籍謄本でもらえない手当ってなんだ。パスポートも取れるのに。

そもそも離婚日提出などしなくても、子育て支援給付金かいう別の補助は既に区から振り込まれているのだけど・・・

そして更にややこしいことに子供親権者は私なのに、離婚すると子供戸籍としては父の方に残る。うちの子離婚後に父の戸籍から抜けて母の戸籍にあとから入籍しているのだ。そのため娘の戸籍は常に私と一緒になっていおらず、離婚日がわかる除籍謄本には私と子供の親子関係証明できる情報記載されてこない。

両方出せ、と最初から書いてあるならまだわかるが、そもそも何故離婚日が必要なのか。法律やら色々調べてみたが、離婚日が法的拘束力を持つような記載発見できなかった。

これが再婚したとか離婚協議であるとか、旦那外国人戸籍がないなどの特殊理由ならまだわかるが

10年以上前離婚したその日付が、住居生計を一緒にしている証明ある子供のための児童手当を受け取るために必要理由が全く理解できない。

もちろん除籍謄本を取るためには平日区役所に行かねばならないし、そのうえ750円も取られる。

受付の職員さんには全く非はないのだが、あまりにも腹が立ったので、離婚日が必要理由と、離婚日を証明するのに本当に除籍謄本で良いのか答えよ、と言うと調べてみますのですこしお待ちくださいと言われ、旧戸籍を調べるために、除籍謄本請求書類とは別の書類サインさせられ、ようやく除籍謄本には離婚日の記載記載されると保証していただけたので、費用を払って除籍謄本印刷してもらった。

ただ、児童手当に離婚日が必要理由については説明してもらえなかったので、区の児童手当のコールセンター電話した。

どうやら児童手当支給用のデータベースには離婚日を記載する欄があるらしい。

しかし今まで区の子育て支援対策特別給付金離婚日なしで同じ口座に振り込みもらっているのに、何故児童手当になったら離婚日の証明必要なのだ、と問い合わせたら、すみません、折り返しご連絡で・・・となった。

既に除籍謄本は入手しているので、本当は戦う必要はないのだけど、他にも困っている人がいるかもしれない。

折り返しをお電話をいただくと、私の場合戸籍謄本離婚事実確認できることが分かったので、ほんとは離婚日なんていらなかった、ということで謝罪を受けた。戸籍制度がややこしくて、同じ状況でも戸籍謄本だけでは離婚事実確認できない人もいるので、謄本以外もの要求するのが通例になってしまっていた、ということでした。除籍謄本を手元においておいても別にいいことはなにもないので、両方送りますとして本件は一件落着なんだけれども


マイナンバー戸籍問題は概ね解決できるんじゃなかったのかよ!!!!!

2024-11-23

ルフィーたちが他の船を襲って積荷の強奪とかしてると思いたくないけど、どうやって生計を立てているかよくわからない。

anond:20241123001829

最低限の生活費として最低賃金があるなら

それは生活保護などで保障されるものであって、最低賃金労働条件改善、言い換えれば労働者側と使用者側の大きな権力勾配を調整するためのものだよ。

必要となるお金の額がいっぱいな人により多くのお金が渡るようにといった生活費的なニーズ対応の話ではなく、使用者労働者をあまりに買い叩いて労働者生活が立ちいかなくなることを防ぐためのもの

提供する労働力が同じなのに子育てなどの提供者の属性によって賃金を変えるべきだというのは、最低賃金趣旨にあわないし、そもそも非常に危険な発想だよ。たとえば世帯の主たる生計維持者でない者の賃金は、同一労働でも世帯の主たる生計維持者の賃金より低くすべき、なんていう不平等政策として推し進めることはできないしやるべきでないのと同じ。

2024-11-22

高学歴高知能の発達障害者に該当しない人でも、普通に働けている例はいくらでもある

そもそも発達障害の診断自体を受けずに無自覚に定年まで働いている人もめちゃくちゃいる

でも、そういう人たちの話をしても、きっと無限に働けない理由をあげてくるだけだよね?

(絵が上手くなりたい~https://anond.hatelabo.jp/20241121004956#話題の時とは真逆だよな?)

 

なので、発達障害があり、さらに広範囲知的な困難もある(通常学級への進学が難しいレベル)けれど、

一般企業正社員として働き、自立した生活ができる収入を得ている人や、パラアーティストとして生計を立てている人の話に話題を絞る

 

まず、支援アプローチには雑に大きく分けて二つの考え方がある

 

Aパターン

『この子は生涯誰かの支援必要からこそ、常に礼儀正しく、正直で、ルールを守れる人になってもらおう。

たとえ泣き叫んでも、決して譲らず、叱らず、生きていく上で必要なことは、たとえ嫌いなことでも、できないことでも、できるようになるまで訓練を続けよう。

将来、少しでも自由に外の世界で過ごせるように、人としての尊厳を持って生きられるように、必要な力を育てていこう』

 

Bパターン

『型にはめることよりも、子どもの楽しむ心、ゆっくりでも自ら成長する力を信じて、やりたいことを徹底的にサポートし、興味や才能を伸ばしていこう』

 

 

Aの有名な例は『トモニ療育センター』だよね

国立特別支援教育総合研究学校教育に期待すること

第一節 自閉症の人の早期養育-幼児期から学校教育への意見

https://www.nise.go.jp/josa/kankobutsu/pub_d/d-210/d-210_03_01.pdf

 

実際にAのアプローチ成功している例を紹介する

ある方は、発達障害特有の極端な手先の不器用さ(微細運動が困難)があり、中度の知的障害もあるにもかかわらず、現在16年間も正社員として働いている。時には朝9時から深夜0時近くまで働くこともある

 

通常の認知能力があれば、PCを使う仕事を選ぶことで手先の極端な不器用さの問題回避できるが、この方の場合知的障害もあるため、生活できる収入を得るにはどうしてもフィジカルワークをする必要があった。フィジカルワークでは常識的な手先の器用さは必須

 

そこで小さい頃から毎日欠かさず手先を使う訓練を続けたそう。運筆練習折り紙ビーズ編み、絵を描く、日記を書く、ピアノ(これは20年も続けたそうです)などなど

この気の遠くなる積み重ねによって、仕事必要な手先の器用さを獲得したわけだね

 

あと、発達障害によくある極端なこだわりやパターンを変えることへの強い抵抗感も、幼少期からの訓練で克服に取り組んだ

からこそ、突然の残業にも柔軟に対応でき、作業所ではなく一般企業正社員として働けているわけ

 

正社員として働いているおかげで、単なるお小遣いではなく、自分給料で電動自転車を買ったり、ゲーム機ソフトを購入したり、両親にプレゼントを贈ったり、好きなアニメ映画を観に行ったりと、自由尊厳ある生活を送れている

 

結局のところ、特別な困難があっても、極端に才能がなくても、時間コスト度外視で、真摯に積み重ねていけば、ある程度の水準には到達できる

これは絵の上達と同じで、要はやるかやらないか問題*1

 

から、通常学級に進学できる程度の能力がありながら、単にやりたくないことを "できない" と言い換えるのは、率直に言って誠実ではないし、単純に嘘つきだよね

正直に『やりたくないからやらない』『タイパ/コスパが合わないからやらない』と言うべきだ

 

範囲知的な困難がなく、一定以上の応用力がある人なら、自分が出来ること/出来ないことを見極め、自分に合う仕事試行錯誤で見つけるべき。それが社会人になるってこと

それがどうしても難しいなら最初から障害者向けの求人を探すのも一つの選択肢

これもやるかやらないかだけの問題*2

 

 

まぁ、何がなんでも『嘘なんかついてない!!通常学級に進学できるけど、知的特別問題はないけど、発達障害から働けないんだ!!』という主張でも別にいいよ?

それは一概に否定はできない

だって自分の本当のことは自分しかからないし、人それぞれに個性があるし、そういうケースもあるのだろう

 

なので、Bタイプ支援方法で素晴らしい成長を遂げたケースで特に印象的なケースを2つ紹介する

(具体的な団体名の記載はやめておく。パラアーティストについては検索すれば多くの事例が見つかるし、不得意なことへの向き合い方は団体やご両親の考え方それぞれなので)

 

1つ目は、発達障害と重度の知的障害があり、文字の読み書きが出来ない方のケース

この方は自分の興味に従って試行錯誤を重ね、驚くべき適応能力を身につけた

 

特筆すべきは、これらのスキルを誰かに強制された・教えられたわけではなく、自分で楽しみながら習得したこと

例えば、

 

まさに、人間の『ワクワクする力』が生み出した創意工夫だよね

 

 

2つ目は、発達障害と重度の知的障害があり、幼い頃からスピーチセラピーを受けている方のケース(この方の詳しい話は、はてなブログで見ることができる)

たくさんのことをして日々楽しんでいらっしゃる

 

こういった例を見ると、本当に人間可能性は無限大だなと感じるよね

 

 

結論として、もし『通常学級に進学できるけど、知的特別問題はないけど、発達障害から働けないんだ!!』という主張に嘘偽りがないのなら、

出来もしないこと(働く)を無理にしようとはせず(無理なものは無理)、自分がワクワクすることを見つけて、それを楽しみながらのんびり続けていくのがいいんじゃないの?

それが、どこかで仕事にいつか繋がるかもしれないし、べつに経済的自立を焦る必要性はない

 

 

 

*1もっとも、頑張れば絵が上手くなれる、気合いで絵が上手くなれるとか言ってる人たちに、才能がない場合にかけなければいけない膨大なコスト認識、やり抜く覚悟、どちらもあるとは思っていないけどね

 

*2 既に二次障害があってSADだったり鬱状態なら、気合いでどうにもならないので、専門家相談しよう

 

 

anond:20241122115642 anond:20241122123006 anond:20241122120305

anond:20241116102523

俺の字は汚い。まともに発達していない。

パソコンがあるから生計が成り立ってるだけで、

昭和に生まれていたら、そのオカンの言う通りで成り立っているはずがない。

からしたら、いい時代になったという他ない。

この調子排除される人間生計が成り立たない人間が減るのはいいことじゃないの。

パソコン仕事にする必要はあるけど、なぜ排除をぶり返さないといけない。

2024-11-15

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

NHK解約RTA

まずは親族を無くされた方にはお悔やみ申し上げます。ご愁傷さまです。

NHKはクセのある組織で、解約をスムーズに行うためにはいくつかポイントがあります

ただでさえ相続で大変だと思うので、以下を抑えてスムーズに解約してください。

まず結論から

世帯で、住んでいない家の、亡くなった方の契約は、返金を要求しない場合、すぐに解約できます

契約者が逝去したがどうすればよいか

テレビ等の受信機を設置した住居にどなたもお住まいでない場合受信契約は解約の対象となります

https://www.nhk.or.jp/faq-corner/2jushinryou/06/06-06-04.html

なぜこんなことが起きるか

NHK基本的に一度契約したら解約させてくれません。

そのため、"家"単位対応され、契約主体の方が亡くなられても、家に住み続ける限り解約は困難です。

なぜ解約できるのか

例えばお父様が亡くなられた後、実家にだれも住まない場合は、空き家になるのでスムーズに解約できます

田舎だとこういうケースは割と多く、向こうも慣れているので、結構簡単に解約までもっていけます

ポイントテレビの有無では無く、その家にだれも住まない空き家になるかどうか。

大きくわけて2つのパターンで案内されると思います

  • 亡くなった日付以降の支払いについて、返金を求めるか
  • 亡くなった事実確認した時点で解約して、返金を求めない

自分は、解約を優先して2番目を選びました。(解約の連絡したのが半年後くらいなので勿体無かったが、諦めた)

いろいろあって家に住み続ける場合

介護相続の片づけなどで、しばらく実家に住んでそこから仕事に行く方もいるかと思います

そういう場合は、世帯同居の手続き可能ならば亡くなられる前に行うのが良いです。

介護場合、主たる生計費を自分が全部出しているので、親の契約自分にしたい、という連絡で一本化できます

(あまりよろしくないが、例えばお父様が亡くなられた後に、亡くなられたお父様の契約と、自分契約とを、自分側に一本化する、という連絡をいれてまとめるのも手)

まとめ

NHKはクセがあり、把握していないと解約や変更は困難です。

ネットなどで良く言われる、NHKが映らないテレビとか、テレビを持っていないのを確認してもらうとかは、かなりハードモードです。

世帯が別である、家が別である、この場合は2契約必要になります。(二世住宅や別荘など)

役所書類上では別世帯であっても、同じ家に住んでいて、生計費を自分が出している場合契約を1つにしてもらえます

逆に言えば、その家に誰か住んでいる限り、その家にくっついている契約を解約するのは困難です。

既に実家空き家であるので、亡くなった親の契約を解約したい、という話が一番スムーズです。

なお、ちゃん受信料を払いたいので、亡くなった名義人を、生きている名義人に変更したい、契約を一本化したいのだ、という話でも通るようです。

(ただ実家分と自分の家との2契約分を一人で払うことになるパターンもある(というか身近であった)ので、解約が良いと思います

法律上厳密に言えば、受信機が無ければ契約必要は無く、また受信機があれば空き家であっても払わなければならないはずですが、運用はそうなっていないです。

あと、亡くなられた方の契約のまま銀行口座が解約 or 凍結で引き落としできなくなっても、普通に請求は続いて延滞料金もかかるので、放置はおススメしないです。

2024-11-14

家事手伝い愛人契約によって得たお金投資に回し、毎月の生活を賄えるようになった女性場合生活スタイル心理的影響に基づいて、以下のような性格傾向が見られることがあるかもしれません。 

自由志向自己中心的な傾向

金銭的な自立を得ているため、自分のペースで生活する自由を求め、他者社会ルールに縛られたくないと感じる場合があります。そのため、自分意見を優先し、自己中心的な傾向が強まる可能性があります

周囲に対する冷淡さや無関心

投資収入生活が成り立つことにより、他人社会と深く関わる必要が少なくなるため、他人に対する共感力や関心が薄くなる可能性があります特に競争努力によって生計を立てている人々に対して無関心になることもあります

変化への適応力が低い

金銭的に安定した環境長期間いることで、新しい挑戦や変化に対する適応力が低下する可能性があります自分にとって快適な生活を維持することに重点を置き、変化を避ける傾向が強くなることが考えられます

人間関係希薄

自由生活特定義務がない生活スタイルに慣れることで、信頼できる深い人間関係の構築に意欲を感じにくくなる場合があります自分を守る手段として表面的な関係を築きがちになり、本音で話し合える友人やパートナーを見つけにくくなるかもしれません。

依存的な傾向

自分生活や決定を他者に委ねる癖がつき、自己主張や自立した判断力が少ない傾向があります。これは、長期間他者依存して生活を成り立たせてきた場合に起こりやすいです。

柔軟性の欠如

長期間特定役割に固定されていると、新しいスキル適応能力が発達しづらく、生活に変化が訪れた際に対応が難しくなることがあります。このような場合、対人関係職場環境の変化にも適応しにくい可能性があります

他者への感謝共感力の欠如

金銭的支えが当たり前だと感じてしま場合他者の労力や犠牲への感謝が薄れることがあります。そのため、周囲の人に対して共感する力が低くなり、自己中心的な行動をとる傾向が生じやすくなります

2024-11-09

子育てから逃げることによる自由時間価値

親が教育熱心で、進学塾習い事スケジュールが埋まっててインターネットフィルターソフトかけられていたから、進学で一人暮らしを始めて、就職して生計自力で立てられて、時間自分の好きなように使えるようになったのは大きな喜びだったし、仮にこれから結婚して子供ができて親の義務として子供を最優先に時間を使うべき立場になったらキツいなあって思う

でもこういう自由のありがたみって時間をかなり拘束されて自由を奪われていた経験がないと感じないものなのかもしれない、自由をすばらしいものじゃなくて誰から役割を期待されず放置されている寂しい時間だと認識するものなのかもしれない

周りの独身貴族然とした人って中学受験組で親にぶん殴られて机に縛り付けられてたような教育虐待まがいの状況の経験者が多いように思う

縛られて苦しい思いをしないと自由の本当の価値って分からない気がする

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