はてなキーワード: 墓所とは
dpzでも記事になってるというか、小田原のオススメスポットはこの記事読めばええんちゃう?みたいな。
>小田原にはトリックアートみたいな不思議な景色がある~地元の人頼りの旅in神奈川県小田原市~ :: デイリーポータルZ — https://dailyportalz.jp/kiji/170915200663
石垣山一夜城はちょっと遠いのだけど、行くなら坂の途中の堀秀政墓所にも寄るのをオススメ。景色がバツグンによいし、墓所の脇のオバケのような樹木も味わい深い。
明治天皇皇后が立ち寄った海岸。まあ、そういうの抜きにしても、海を見るのは一年中いつだってええものやないの。
大久保忠世・忠隣の親子が酒匂川の土手を整備し、小田原合戦で荒廃した土地を見事に復興させた。
のちに酒匂川は富士山の宝永噴火で大量の火山灰で土砂が堆積して水害が頻発するようになった。
自慢のイチモツをポロリして「ちんちんぶらぶら総世寺」と言えば彼女も爆笑まちがいなし。
近くに古墳群がある。
一号墳の主は百塚の王の異名を持ち、古墳からは足柄平野を一望できる。
dpzでも取り上げられている。なぜかGoogleマップでは早川港になっている。
どっかで見たよ~な要素がぶち込まれまくってひたすら車輪の再発名をしている感じ
あんたそれ以外描けないの?いや描けないであろうことはわかるんだけどさ
風立ちぬはいいよ?初めて(その年にして初めて!)「俺は結局はお坊ちゃんなんだよ」って言ったからね
でも二度も三度もやることじゃないでしょ
良くも悪くも心が動かされたのは序盤の風立ちぬ+トトロ再利用したような絵面に突っ込みいれているあたりと
終盤に入って爺さんから積み木の話聞かされて以降くらいだった
あっそっすよね
ペリカンさんも大変っすよね
たしかNHKドキュメンタリーの「終わらない人 宮崎駿」のなかだったと思うけど
鈴木敏夫がポニョについて「あまり好きじゃない」と語るくだりがあった
全編昔やったことだらけじゃないの
だってほぼ全てのひとが思ってるだろうけど
しかもその石の破壊も主人公じゃなくてインコがぶった切っちゃうし
いや、いろいろ読解の余地はあるよ
外界の住人である主人公ではなくて世界の住民自身の(誤った)行動によって世界が崩壊するとか
崩壊ではあるけどインコたちは外に出れてるわけで自らを束縛するものを自分たち自身の手で否定できてるとか
でもね、些末なのよ
味のないガムも楽しもうと思えば楽しめますみたいなものであってそれ以上じゃない
インコの王様の動きは「おっ!」と思わせるものがあってここで最後に主人公と大立ち回りを繰り広げてくれるのか!?と思ったら
剣でテーブルごと積み木ぶった切るだけ
マジか~
まぁ説明不足なのとか見てると宮崎駿が体力的に持たなかったってことなんかな
それならもう仕方がないや
でも「敢えて」描かなかったとかならエンタメ映画つくるのやめちまえよと思う
通俗エンタメにも作法があるはずで、ここでアクションをいれる!みたいのあるでしょ
昨今のジャンル映画がジャンルの型を否定するがあまりジャンルそのものを否定するのを見てると脱力する
そんなに枠組みを否定したいならそのジャンルでやんなきゃいいじゃんね
通俗エンタメならちゃんと観客をスカッとさわやかな気分にさせてくれ
いや個別にそういう作品もあるってんならまだ納得できるかもだが
ただまぁ時が経てば言及する奴は熱狂的なファンに限定されていくし
否定的なファンの感情も摩滅していくから結果的に味のある作品って社会的評価になるのかもね
宮さんお疲れさまでした
いやーあれはよかった
なんか国の王様がトチ狂って自城の地下墓所に国の軍勢派遣してお宝探しを始めるも地下墓所が超絶ヤバいトラップにモンスターだらけで軍勢壊滅しちゃって主人公の父親は偉い騎士で生存者を助けに向かうも力尽きて死亡し主人公は遺品として父親の愛剣なお石製でクソ重く切れない実質的に鈍器を拾ってなんやかんやあって国の守護神的な「森の竜」に遭遇したと思ったらクソ重くて使いづらい父親の遺品が超絶軽くて超切れてなんなら光波出せるムーンライトソードに変貌ししかも実は王様が探していたお宝はムーンライトソードと発覚して王様は実はモンスターでムーンライトソードでぶっ殺して主人公が国王に即位しハッピーエンドるもこれって対外的には単なる暗殺乗っ取り事件だよね。
ちなみにゲームバランス的にはラスボス以外の全ての敵がちょっとでもダメージ通ると一瞬怯んで動きを止める仕様だったためMP自動回復する装備具体的にはトリプルファングを手に入れた瞬間に最弱魔法のライトニードルでチクチク敵の動き止めつつ殴るだけのヌルゲーと化すが関係なく即死トラップで死ぬ。
あと人体のことを一切考慮していない歩き揺れっぷりで超絶3D酔いするってかこのゲームの最難関ポイントはこの3D酔いであるが3日で慣れる。
ムーンライトソードが盗まれてやべえよと思ったら実は「森の竜」の仕業でってか森の竜は実は「ギーラ」という悪い奴で放置するとヤバいぜってなって1の主人公の親友な隣の国の王子が純粋に善意でムーンライトソード取り返し&ギーラ討伐に向かって水没死しまくりつつなんとか進んで崖から飛び降りて日本刀拾ったりムーミン狩りまくって最強の刺突剣なお性能的には鈍器を拾ったり聖剣鍛えられるすげえ鍛冶師と出会ってギーラに対抗できる存在の「シース」て奴の力を込めたギーラをぶっ殺せるダークスレイヤーって聖剣を作ってもらってなんやかんやギーラぶっ殺してムーンライトソード回収してハッピーエンド余談だが実はギーラをぶっ殺さなくてもムーンライトソード回収可能だがギーラをぶっ殺さないとエンディングが始まらないためとにかくギーラをぶっ殺す必要がある。
ゲームバランス的にはKFの中で最も良いとされておりダンジョンの構造とトラップから感じられる作り手の殺意が芸術的な領域でかつそこまで長くもないのでRTAもやれたりするしファンの評価は高いがHPとMPの自動回復装備を拾った瞬間にかなりヌルくなるがそれはまあ仕方ないと言えよう。
ちなみに歩き揺れがかなりマイルドになったのとそもそも歩き揺れをオフにできるオプションが設定されたため3D酔いの心配はいらない。
ムーンライトソードがまた盗まれたと思ったら回収できたんだけど何故かムーンライトソード折れててあと1主人公がトチ狂っちゃったもんだから2主人公が命と引き換えに城ごと1主人公を封印してその前にギリ逃げてた1主人公の息子が成長して1主人公をぶっ殺しに行く話なんだけど城の封印を解くために手持ちの剣を成長させたりとか各属性の魔力を得る必要があるとか地味に遠回りさせられてる感は否めないものの崖から飛び降りて日本刀回収したりミーアの死体を見たりしつつ城の封印解除して折れたムーンライトソード回収してなんとなく1ダンジョンでもある地下墓所に行ったら2でぶっ殺したギーラの怨念漂っててムーンライトソードが直ってそれで1主人公をぶっ殺したら実は1主人公はシースに操られていたと発覚しなんだよシースも悪い奴じゃねえかとシースをぶっ殺してやっぱ得体のしれない強い力に頼っちゃならんよねって辻褄合わせてハッピーエンド。
ゲームバランス的にはマップ広がったりアイテム増えたり魔法増えたりした関係でプレイヤー側のやれることが増えて結果だいぶヌルくなったがブロミウス装備揃えて物理ダメージ無効にするとかプレイヤーのアクションスキルに依存しない対策が取れるようになってやってて楽しい。
まるっきり話を覚えてない。PS2でグラフィックキレイになったよなというのと水死しなくなったよなということしか覚えてない。なんかやっててダルかった。ムーンライトソードの光波は過去最高にカッコよく強かったがムーンライトソードのデザインが変わっちゃって端的にダサくなって残念だった。
四天王みたいな人と一通り対戦?したしなんか遊戯王のカードスロットみたいなのも付けたし多分クリアーしたと思う
でもまだ謎解きとかがわからんのよねー。初期の小屋の中でのカードの配置とか
第2ステージ?での墓所の中の棺のやつとか、P30戦での墓所エリアの鍵とか、わからんのが結構のこってるんだよなー
しかしなんだろう、やれどもやれどもゲームのルールが際限なく変わっていって、ゲームのルール把握できたかなーって思ったタイミングで
盤面をひっくり返さえて、カードを奪われて、むちゃくちゃすんじゃねーー!っていう気分になる
カードゲームプレーヤーはこういう公式のアナウンスに延々と付き合ってるのか?そういうことを再現してるのかな?みたいな気分になった
ただこのゲーム作るのめちゃくちゃたいへんだろうなーっていう、ほとんどの戦闘に専用演出みたいなのが組み込まれてて、8割ボス戦っていう感覚
アドベンチャーゲムに近いんだろうけど、なんていう作り込みなんだろうか、ここまでゲームのシステムを作り込んでてそれを平気で壊すような演出まであるし、
なんかすげーゲームしたっていう気分。多分 UNDERTALE の影響もバチクソ受けてるんだろうけど、私はこの作品のほうが好みです。
寒いギャグが無いのがいいですね。あと役者の人の演技がめっちゃうまいので好印象です
しかしなんだ。むちゃくちゃなゲームだな。なんだろうやってもやってもこのゲームのそこが見えない感じは。いいゲームだけど、なんだろう、これゲームなのかな?
ゲームっぽいことはやってたしルールも成立してるから、ちゃんとゲームとしてもっと対戦したかったなーっていう感じはする。なんか打ち切り漫画のど等のラストスパートみたいでもったいない。でもまぁ実際これだけのボリュームのゲームを作り続けるのはシンドいだろうししゃーないのかな
あとおばちゃんとモリゾーみたいな魔道士ともちゃんと戦いたかったな。エンディングは別の選択肢もあったのかな?よくわからん。とりあえずクリアーしたしネタバレ解禁ということで攻略記事でも見てこようかなー
まぁ面白かったかな?面白くなくはないかな。ちょっと意地悪な戦闘に辟易するところもあったけど、
って!再起動したらまだなんかあるみたいだな。もう少し続けるか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E6%A8%A9%E5%85%AB
1655年
死没 延宝7年11月3日
藩 鳥取藩
妻 小紫
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平井 権八(ひらい ごんぱち、1655年(明暦元年)頃 - 1679年12月5日(延宝7年11月3日))は、江戸時代前期に実在した日本の武士である[1][2][3][4][5][6]。講談・浄瑠璃・歌舞伎・映画等の世界では、白井 権八(しらい ごんぱち)として知られる[1][2][3][4][5][6]。
明暦元年(グレゴリオ暦1655年)に生まれた、とされる[1]。「享年25」からの推測である[1]。父は平井正右衛門。
因幡国鳥取藩士であったが、数え18歳の1672年(寛文12年)秋、父・正右衛門の同僚である本庄助太夫(須藤助太夫とも)を斬殺して、江戸へ逃亡(退去とも)した[1][2][3][4][5][6][7]。新吉原の三浦屋の遊女・小紫と昵懇となる[1][4][5][6]。やがて困窮し、辻斬り(強盗殺人)を犯し、130人もの人を殺し、金品を奪ったとされる[1][2][3][4][5][6]。権八は、目黒不動瀧泉寺付近にあったとされる普化宗東昌寺(現在廃寺)に匿われ、尺八を修め虚無僧になり、虚無僧姿で郷里・鳥取を訪れたが、すでに父母が死去していたことから、自首したとされる[7]。
1679年12月5日(延宝7年11月3日)、品川・鈴ヶ森刑場で刑死した[1]。享年25(満23-24歳没)[1]。小紫は刑死の報を受け、東昌寺の墓前で自害したとされる[7]。
[B! 司法] 「国民の一般的な宗教的感情」を害したので有罪。孤立出産で死産したベトナム人技能実習生、地裁判決の中身(望月優大) - 個人 - Yahoo!ニュース
この件、既にブコメでも言われてるから敢えて書く必要はないかもしれないが、「国民の一般的な宗教的感情」が持ち出されるのは仕方ないと思う。
誤解無いように言えば技能実習生だったリンさんに対して下された判決そのものを妥当だと言ってるわけではない。「国民の一般的な宗教的感情」の中身や適用範囲には議論の余地があるが、「国民の一般的な宗教的感情」という概念自体はやむを得ないというお気持ち。
Q. 「国民の一般的な宗教感情」概念自体は仕方ないにしても有罪に導くロジックはおかしいのでは?
A. 実際のところ実務的な論点はそっちの方が重要だと思うよ!このエントリは死体遺棄罪の保護法益は「国民の一般的な宗教感情」としか言えないしそこはしゃーないって話しかしてないからね。「殺人罪の保護法益は『人命』です」ってエントリだけじゃ実際の事件に対して殺人か傷害致死か過失致死か、正当防衛か緊急避難か、手術の失敗みたいな仕方ない事案なのか、責任能力はあるのか、そもそも被疑者が犯人なのかetcなんて語れてないというのと同じです。
ベトナム人元技能実習生に逆転無罪判決 死産児遺棄の罪 最高裁 | NHK | 事件
最高裁で逆転無罪判決が出たようです。かなり珍しい形ではないでしょうか。難しい判断だったかと愚考しますが個人的には良かったと思います。NHKのこの記事は論点を網羅していて良い記事ですね。技能実習生に対する妊娠・出産に関しての不適切な言動について「出入国在留管理庁が去年初めて……実態調査を行った」レベルなのは今まで行われてなかったのかと愕然とするものがありますが…。
制度に関する有識者会議が現在開かれています。この事件を通して技能実習制度が孕む問題について真剣な社会的議論が行われることを切に望みます。技能実習制度の抜本的な改革が叫ばれてもう20年以上経ちました。その間に訴訟が起き労働者性が認められ、法が変わり労基法も適用されるようになりましたし、外国人技能実習機構という新しい組織がなんかできたりもしました。もちろん状況の改善がなかったとは言いません。しかし一方でずっと同じ問題が指摘され続けてもいます。そろそろこの問題に決着をつけてほしいと願うばかりです。
第188条
1 神祠し、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
2 説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
第189条
墳墓を発掘した者は、二年以下の懲役に処する。
第190条
死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。
第191条
第百八十九条の罪を犯して、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
第192条
まず刑法の建て付けとして死体遺棄罪を含む死体損壊罪等(190条)は「礼拝所及び墳墓に関する罪」という章の中にあるんだよね。同じ章にある第188条は「礼拝所に対し、公然と不敬」をした人間を罰するもの(礼拝所不敬罪)だったり第189条は墳墓の発掘者を罰するもの(墳墓発掘罪)だったりで非常に宗教的な内容。なので190条も宗教的な項目だと見るのはそこまでおかしくない。もちろん猥褻関係の罪のように同じ章でも個人法益の保護と社会法益の保護と分かれてるものもあるので必ずしもというところではあるんだけど。実際192条は明らかに性質が違うので。
第1条
この法律は、墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的とする。
関連して墓地埋葬法では宗教的感情を理由に墓地や埋葬に関わる規制を行うと明示している。
しかし、それでも死体損壊罪等は宗教的側面から逃れられないだろう。と、その前に感情を保護法益にできるのかという話をしなければならない。
確かに刑法において感情を保護法益にするのはあまり好ましく思われていない。例えば侮辱罪について保護法益を名誉感情とする説もあるが人気はない。刑法は謙抑的でなければならないのに安易に感情を理由にした規制を認めれば際限なく広がりうるからだ。社会秩序としての「国民の一般的な宗教的感情」が云々と言った時も何とかして法益の最終地点を社会秩序とか宗教的風俗とかそういうところに落とし込もうという謎の努力が垣間見られる。
しかしはっきり言えば第188-191条は基本的に「宗教的感情」を保護法益とするものだと理解されることが多い。礼拝所不敬罪についての高裁の判例を見てみよう。
……思うに、同条は、国民の宗教的崇敬ないしは死者に対する尊敬の感情を害する行為を処罰するものであつて、そのいかなる行為がこれに該当するかは時代によつて同一ではないであろう。しかしながら、今日のわが国の公衆一般の感情としては、特に清浄を保つべき場所たる墓所の区画内において放尿するがごときはなお明らかに墓所の神聖を穢すものと観念されるのであつて、このことからさらに推して考えるならば、たとえ現実には放尿しなくとも、放尿するがごとき格好をすること自体、見る者をしてその墓所に対する崇敬の念に著しく相反する感を与えるものといわなければならない。……
いや、判例がそう言おうとも礼拝所不敬罪(188条1項)と説教等妨害罪(188条2項)についてはあくまで宗教的自由の保障なんだという意見はありえる。墳墓発掘罪(189条)についても確かにそう言えなくもない。これらは他者の宗教的行為に対して害をなしていると言う立論もできなくもないからだ。
しかし果たして死体遺棄や損壊は他人の宗教的行為に害をなしていると言えるのだろうか?やはり死者への崇敬の念という宗教的感情で説明せざるを得ないのではないか(通常189条に対してもこう説明される)。
これはつまりそもそも何故死体はここまで保護されるのだろうかという問題である。何故器物損壊罪では飽き足らず、死体損壊罪を特別に規定したのだろうか。感情を持ち出したくないなら死者の生前の人格権の延長と見なすという方法はある。それでも権利主体でもない死体が法益の帰属主体となりえるのかという疑問は湧く。しかもこれだと生前の火葬を拒否していた人間を火葬したら人格権の否定として死体損壊罪の構成要件に該当する可能性まで生まれてしまう。
実際のところ死体が敬意を伴って丁重に扱われ慰撫されるのは生きている我々でしかない。死体が傷つけられたのを生命への侮辱と見るのはそれこそ素朴な「宗教的感情」ではないか。無宗教を自認する人間の多い日本では宗教的感情と死者への敬虔を別と考えたくもなるかもしれない。ナイーブな気がするが、まあ宗教的でない普遍的な感情としてもやはり「感情」が保護法益であることを否定はできていない。「国民の一般的感情」としても問題は変わるわけではあるまい。
まあネットでは「お気持ち」カード切ればゲームに勝てる感じだしまあネット上の議論なんてそんなものでもいいのだが、現実を見るとそう簡単に割り切れるものでもない。今回は刑事なのでちょっと違うが民事の名誉毀損では「名誉”感情”」が保護されることになっている。「お気持ち」と法で言う「感情」は同じじゃないと言えるかもしれんが…本当にそうかなあ。実務的にはどういう感情というかお気持ちが保護されるべきかみたいな方が喫緊の課題なんじゃないかな。ネット上の議論はその辺り無視して話をできるからやりやすいですな。建設的になってるかは知らんけども。でもはてブのAPIも非建設的なコメントを建設的と認識してる気もするからまあヨシ。
「一般的」とか勝手に言うなというのは分かる。ところが刑法判例を見ると「普通人」だの「通常人」だのという言葉もそれなりに見る。
最高裁様が決めた悪名高き刑法175条「わいせつ」概念の定義を見てみよう。
「普通人」「正常な」ってなんだよ。そもそも羞恥心みたいな感情を害することを軽々と要件にしていいのか。何らなら「善良な性的道義」もよく分からないが、しかしまあこの定義は脈々と受け継がれている。ただ、正直に言えばこうした罪状はこういう言い方しかできない部分が無いではない。
もう少し言えば他の罪状でも「通常人」を持ち出すしかない部分はある。例えば過失の認定をするのに危険が発生することを予見できたのか、という思考実験を行わざるをえない時もある。その際に通常人から見て予見可能性はあったのかと考えるのである。そうでなければ、被疑者が「自分には危険は予期できなかった」と言えばそれに反する証拠を提出できなければ全て無罪になってしまう。過失犯は立証困難になり死ぬというわけだ。
それと実際上の問題としてわいせつ概念や死者への敬虔の発露の方法が時代や社会によって大きく異なることは留意せねばなるまい。わいせつに関しては女性の胸の扱いとか見ると分かる気がするんだけど、下着姿の女性が公然わいせつになったりというのはある時代ある社会ではありえないことだろう。今の日本では実際に逮捕されたりしてるけどね。死者の扱いもやはりその場所その時の習俗に大きく左右されるのは分かるだろう。だからこそ「一般」「普通人」みたいな限定をかけておいてあまりにも硬直的で時代遅れにならないようにしてる部分はある…のかは分からないんだけどたぶんそう。
ただまあ「一般」も「普通人」も「通常人」も裁判官の想像上の産物しかないので注意を向けなければならないのも確かではある。どうしても恣意的になるしそうなると罪刑法定主義からしてどうなんだって話にはなるし。今回の件も宗教的感情という言葉そのものよりそういうとこが問題なんじゃないかな。
これはもう労働法が妊娠による不利益取り扱いを禁じていて、その労働法が技能実習生に適用されるよう法改正した時点で自明なことなんだけど、何故か未だに妊娠禁止とか恋愛禁止とか決められてたりするんだよねえ…。技能実習生に対しては日本人労働者と同じ扱いしなくていいと思ってるのか、そういうヤバイ労働環境だから日本人が来なくて技能実習生で代替せざるをえないのか分からんけど。
裁判例としては最初期の2013年の地裁判決の内容を紹介しておく。
(事例)
中国人技能実習生の女性は中国の送り出し機関と妊娠禁止の規定を結んでいた。ところが来日し食品加工会社で働き始めてから6ヶ月後に妊娠が判明した。
すると日本の受け入れ団体(監理団体)は妊娠を理由に強制帰国させるべく抵抗する当該女性を拘束して空港に連行した。なおも女性は抵抗し空港で保護される。
こののち女性は流産。女性はこのことで記者会見を開いたため会社に解雇された。
(結論)
技能実習生に対しては非人道的な行為がわりと行われてたりするので法の限界事例みたいなのがしばしば起こる。会社所有の寮にカメラがあって盗撮されてたという事例なんかははてブでも話題になってたが実は日本の法体系の間隙を突いた問題なんだよね。迷惑防止条例は公共の場に限定してることが多いから会社所有の寮みたいな私的空間には適用できず、そういう時に拡張して使われる建造物侵入罪は所有者が被害届を出さないと適用できない。軽犯罪法の窃視の罪にはなりそうだけど、迷惑防止条例と拡大解釈した建造物侵入罪でとりあえず対応しておくという実務というかちゃんと法整備してないツケ。閉店した後の店とかも公共の場ではなくなるので実は真摯に議論する必要がある部分だと思うんだけど、まあこういうことが技能実習制度で分かるというのは平常人間が受けない仕打ちを技能実習が受けやすいということでもあるんだろうなあ。違法状態が常態化してるのおかしいですよ。
生まれてから高校卒業までを過ごしたこの街は県庁所在地というだけあって都会機能の一揃いがひとつまみずつ鎮座している
それは物理的距離や交通の不便から他の同規模以上の都市に気軽に移動できない(できてしまわない)ことの裏返しかもしれない
他市町村から吸い上げていてこれかとも思うが、東京という巨大なブラックホールを抱えたこの国では仕方のない自己相似なのだろう
学生時代は米より安いパスタを茹でるか、白飯おかわり無料の店へ行くか、絶食して寝るかの3択を繰り返していた
自炊は1人ぶんをつくるのが一番高くつくのを知った数年だった
逆に言えば数人分であれば外食よりも随分と自炊のほうが安くすむ
父の料理趣味もあって、よほど忙しくなければ外食をしないのが「うち」の不文律だ
日曜にもかかわらず年度末の怪物に忙殺されてしまった料理番が「昼は適当に食え」と令を発した
自分の食べるものを自分で決めなければならなかったのは、あるいは決めさせてくれたのは実に1年ぶりだった
町並みを夔動自転車で少しぶらついて、ふとオメガラーメンの真っ黒な看板が目に入った
オメガ系が「向こう」の学生街に入学当初なかったので私は仲間連中と駄弁りながら私鉄を乗り継いで「無謬屋」へ行ったものだった
去年「あるオメガ系チェーンが意識高い系ビジネスと悪魔合体した地獄のような店を47都道府県全部に展開する」と報じられた
実際我が街にも一軒建ったものの、開店早々食中毒によって閑古鳥を鳴かせていた
しかしまともなオメガラーメンを食べるに県境をまたぐ必要はない
ここは田舎でも都会でもないのだ
地下鉄やイタリアンファミレスこそないが、オメガ系の名店は数年前から既に「墓所」「縹渺」などがある
本家系列の店で修行したオーナーの腕が絶品と聞いたことがあり、私は好奇心とともに最後尾になった
完食した
「無謬屋」さえ引けを取ると思った
美味しかったのは確かだ
だけれど、学生時分に掻き込んだ思い出とは体験として異なっていた
歯の裏にこびりついた甘ったるい余韻に多幸感ではなく、くどさを覚えた
異様に温かい人々に飛び跳ねまわる元気すぎる子、憂鬱な感情を持っても周囲に発散しまくってお咎めなしな登場人物。
わけの分からぬ家族の談笑。だけのこの人のウソは美しい。夢を見たい人々には良い酩酊剤として働くのだろう。
実際の宮崎ワールドは風の谷のナウシカの原作に求められるように思う。権力と自分足りの理由に奔走して世界を悪くする人々。ただこの人には一つの抜けがあって、純粋に世界を壊すことを楽しんでいる下らない人間がいることを描いていない。人間は基本的に善性で動いており、成り立ちや理由によって悪になったり悪の如き正義を振るったりするのだ、という発想で描いている。まさかネットストーキングをするような糞がいるなんて想像だにしてない。もっとも人をおもちゃにするような人種を描くことに関して抵抗があるのかもしれないが。多分監督がリベラル左翼だからこその発想なんだろう。
この点高畑勲は妹への恋慕のあまり妹を餓死させてしまう火垂るの墓を淡々と作った。ここにある断絶はなにかといえば、人に対する信心があるか、あるいは人は単なる観察対象かだ。この意味で宮崎と知り合いの押井守はより人に寄り添っていない。彼にとって重要なのは人ではなく形式や構造のように思える。そもそも人間に対する信心という感性そのものが人間らしいという皮肉めいた構造があるように思える。翻って、リベラル左翼という思想は大変構造的だ。それは無機質にすべての人は許容され、すべての人や権力は批判されるべきだというフラットな発想に基づいている。むしろ思想であるからフラットでなくてはならない。実はこうした思想と宮崎駿の人間力は非常に相性が悪いのではないか。
宮崎駿的人間力は非常に理想的で恣意的で、思想的ではない。彼が言う老後の入院生活を描いた絵にはたくさんの欠点が存在する。理想を維持するのに多大なコストがかかる。しかも彼は革命家であったので、スタジオジブリを給料制にして一度は倒産寸前にまで追い込んでいる。宮崎駿が全てを仕組みと制度で考える人間なら人間の不条理もそのまま無感情に描いていたように思う。ナウシカ原作ですら全ては情熱によって動かされれており、無感情なのは墓所の先人たちだけだ(もっともこの墓所の住人は旧癖の形象化だとは思うが)。つまり彼はリベラル左翼的でありながら、リベラル左翼すら鼻白む感性で批判しているのだ。この点でむしろ非常に左翼的なのはアンビバレントな監督らしい。概ねあたっているとする予測でしかないが、インテリ左翼はムスカのように道化として描き、権力も嫌い、同じように抑圧的な共産主義も嫌い、それでいて人間には希望があるべきだという大矛盾の分断された心象を監督は内包していることになる。だからこそ宮崎駿のウソは今でも世界で輝いている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191112/k10012173811000.html
書類送検されたが、検察がまた時間をかけて飯塚幸三被疑者の寿命待ちをしそうな勢い
もちろんサクサク進んで刑事裁判の刑が確定するかも知れないが、内容的に懲役・禁錮間違いなしだが年齢を鑑みて恐らくは罰金刑に収まるのではないか
そうなると飯塚幸三は多くの家族に見守られながら寿命を全うすることになる
恐らく家の墓はあるだろうが、どこからか漏れ出て荒らされることは間違いないし、寺側も監視カメラや警備員を設置することも難しい
共同墓所や室内墓地はプライドが許さないだろう。室内墓地など嫌がらせの電話も頻繁にかかってくるかも知れない
海や大地に飯塚幸三が撒かれ、それが行き渡り、飯塚幸三を含んだ動植物が産まれ、やがて人の身体に入る。あれだけの事故を起こした人間に許されてはいけない内容だ!
追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄や石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士のあいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。
「本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。
三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。
治部少は石田三成(1560生)のこと。
「島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。
関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。
「佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。
「白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。
大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。
「津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。
火災のときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所七不思議」として知られている。
「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。
明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。
亀山とは、現在の三重県亀山市にあった、東海道の亀山宿のこと。
「伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠・伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。
「京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。
坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。
祖父が江島生島事件の江島の弟だったため甲斐に流罪となり、南柯は甲斐で生まれて岩槻藩士の養子となった。
儒学を学んだ南柯は、藩の要職を歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。
「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。
改鋳されたものが現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。
「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。
本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。
「原宿の山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。
「延寿太夫」とは、歌舞伎の伴奏音楽として発展した浄瑠璃「清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。
「鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。
一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在の岩手県一関市にあたる。
「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別に許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。
「建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。
これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。
八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの。地名から「松江城」とも言う。
熊本藩の本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である。
その気兼ねもあったのか、城は未完成で放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年に落雷で消失した。
「乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明。
保土ヶ谷とは、現在の神奈川県横浜市にあった、東海道の程ヶ谷宿のこと。
「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿の本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。
「花見寿司」は程ヶ谷宿の名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。
挙母城は、三河・尾張・美濃・信濃・遠江・伊勢・近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。
「海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名家当主の名跡で、落語家のことではない。
「だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。
「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣は1827年に焼失している。
松平定信に「昌平坂学問所で朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。
京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。
川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。
「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。
「茶壺」とは、二代目藩主・京極高豊が好んで収集した、陶工・野々村仁清の茶壺のこと。
「多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀家当主の名跡。
三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在の広島県三原市のこと。
その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。
三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用を許可された「葵の御紋」。
日光東照宮の工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。
「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。
第六代安中藩主・板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。
「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。
「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。
「更科の蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。
「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。
「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。
森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、
更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、
蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、
同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。
奈良生まれの儒学者・森田節斎の言葉であり、高取とは現在の奈良県高取町にあたる高取藩のこと。
「山のお城」は高取城のこと。
日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。
「谷の昌平」とは、幕末の儒学者・谷三山(1802生)のこと。
若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。
新城は、現在の愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主が安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。
「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在は存在しない。
「太田白雪」(1661生)は、地元の名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。
「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。
「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家は土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。
下総は下総国のことで、現在の千葉県北部と茨城県西部のあたりを指す。
「久保木蟠龍」とは、儒学者の久保木清淵(1762生)のこと。
伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。
「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。
そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。
しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。
悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎の演目になっている。
「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。
「佐野の桜」とは、旗本・佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。
「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。
秋元とは、現在の埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。
「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。
「岩田彦助」(1658生)は、川越藩の家老を務めた儒学者のこと。
「河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。
「千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。
「不動並木」とは、谷田部藩主・細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。
「広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物。
「飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学の知識を得ていたとも。
徳山は、長州藩の支藩で、現在の山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。
「藩主墓所」は、徳山藩毛利家の菩提寺である聚福山大成寺にある歴代当主の墓所のこと。
重く受け止めているからこそ、旧人類のした「生命をもてあそぶ」という愚行を責めていないだろう。それは仕方がなかったと言っている。それを重く受け止めた上で、現人類は別の道を行くと言ってるだけだ。
旧人類は「リセット」したんだよ。現人類は「リセットはしない」と言っている。そのことをもっと重く受け止めろ。
団塊世代は高度成長期という比較的過ごしやすい時代を生きていたのに後生のことは考えていなかったから批判されている。ナウシカたちの死ぬか生きるかの世界とは全然違う。雑な例を出すな。あと「ナウシカが正義」なんて一度も書いてないだろ。「ナウシカもそうするしかなかった」と書いてるの。
ナウシカは選択の是非を問われる立場にいたし、それまでの功績がどうであろうがその1点については人類滅亡まで問われ続ける。それは揺らぎようのない事実。
あなたはいつも「~なのは疑いようがない」とか「~は揺らぎようのない事実」とか書いているけど、根拠がないんだよ。「○○だと思う。なぜなら私がそう思うから」でしかない。毎回そうだ。
違う。未来への道筋を残すために今を生き残る必要があるの。現人類はあなたの言う「未来を作る確固とした意志」の上に今を選択した。
一方の旧人類は自身の改善を諦めた。旧人類は「未来の今を生きる人間のため」に新人類を作ったんじゃない。道筋なんて作ってないの。自分たちに絶望し、自分たちと未来との繋がりを切って捨てたの。旧人類が未来に残したのは音楽や詩だけ。卵には旧人類の積み重ねなんて残っちゃいない。
あなたは「旧人類の絶望が分かる」と言うが、これが理解できていないようでは全然分かってないんじゃないの?
私は最初はあなたに期待していたんだよ。「きっと別の方法が取れる」かのように書いているから「確かに選択肢は多い方がいいな。どんな手段を考えているんだろう」と読んでみたら「~は揺らぎようのない事実。~は恨むだろう」だ。
別にあなた一人がそう思うだけならそれで何の問題もないよ。でもその思考をもって他人を責めたり、他人の思考を代弁する気なら、それなりの根拠が必要だろう。
繰り返すが、私がここまでで一番納得いかないのは、あなたにはまともな根拠がないこと。あっても簡単に反論できてしまうものしかないことなんだよ。
ここでもう一度これまでにあなたが出してきた疑問点について書いてみたい。
ない、と私は書いた。それは物語から読み取れることであり、また「ある」とした場合矛盾が生まれるからだ。
1.現人類と新人類は共存できない。なぜなら現人類は新人類を簡単に滅ぼせる力を持っており、新人類は簡単に滅ぼされるほど弱い。
2.よって旧人類は、現人類をそのまま生かしておくことは考えていない。唯一の抜け道は現人類の新人類化。
3.しかし、新人類化=感情をなくした人間=「そんなもの人間ではない」と私は考える。
4.「それもまた人間である」派に「そんなもの人間ではない」派を止める力はない。あなたにその力がないように。
5.結果、現人類は旧人類の技術を受け入れない。墓の技術は使用されない。
現生人類が奇跡的に新しい環境に適応できる確率と、墓と和解する、墓の技術を使って適応できるよう変わる、新生人類と共存の道を歩む確率なら後者の方が高いことは疑いようがない。
同意しない。私はナウシカが言うように、血を吐きながらでも現人類の中から浄化された環境に適応できる人が現れると考える。なぜなら自然界の中で生き多様性を身に着けた人類の生命力は、頭空っぽの新人類には想像できないくらい強いからだ。
一方の新人類の生命力は恐ろしく弱い。あなたが言うように、敵を殺すぐらいなら自分で死を選ぶからだ。捕食して栄養を得る能力を持つ単細胞生物(粘菌)にすら及ばないのだ。墓所の技術で栄養はなんとでもなるし、不死身にもできるが、実際は寿命が設定されて次の卵と変わるだけだろう。一種のウイルスか、卵が寄生虫に乗っ取られるか、いずれにせよ同じ体に作り変えられたら現人類は一緒に全滅する。
なによりそれらの方法を検討している余裕がない。墓は現人類の存続を現在進行形で脅かしている。墓所を生かしておけば先に現人類が滅ぶ。そして何度も言うが現人類は滅びを選ばない。
現生人類が生き残ることではなく、火の七日間を再度起こさないと確信に値するものを示すしかない。
上にも書いたけど、あなたは旧人類の思考を理解できていないと思うよ。または「あなたは理解できた」かもしれないが、現人類の大多数には理解できなかったんだよ。そしてあなたには理解をしてもらえるだけの説得力がない。
全滅してから言え。
とかまだ言ってるし。人類は「今は絶滅しない」道を選んだんだよ。あなたの言うことは聞かない。
絶滅するしかない、という案を取るか取らないかはその時の人類が決めることだ。あなたが「現人類には絶滅してほしい」「新人類に希望を」と言ったところで現人類を説得できなければかなわないじゃないか。
私は、あなたの疑問に一つ一つ反論を出し、その根拠を書いてきた。なのにあなたはなんだ?パチンコが~とか本来日本人は~とか雑な例はいらないんだよ。疲れてたのは分かるけどさ。
私は、一応は人類としての回避策を出しただろ。現人類が踏みとどまり、どうにか戦争と自滅を回避し、新人類を受け入れられるだけの余裕を持てればよかったと。しかし今回はかなわなかった。私自身がその場にいても、協力らしい協力もできず、ナウシカに託すくらいしかなかっただろう。
多様性のない新人類はそのままでは王蟲のようにはなれないし、あの時点で現人類に新人類を受け入れる余裕もない。ナウシカが滅ぼさずとも現人類に滅ぼされる。
罪をかぶるなら全人類が被るべきであって、最後の決断をゆだねられたナウシカではない。あなたは自分なら罪をかぶらずに済んだのにと思っているようだがあなた自身も現人類であり、新人類を救えなかった一人だ。
私は先日、
「ナウシカは一人の人物ではあるけど、結局はそこに至るまでの過程を現人類が選択したんだよ。あなたならその時破滅を止めるために何か協力できただろうか?」
と書いたが、一番聞きたい回答はこれについてなんだ。あなたは、自身がどうすれば今回の悲劇を止められただろうと思っているのか。
「ナウシカがこうすればよかった」という例についてはこれまでに書いた通り「それはできそうにない」と私は思う。なので、ここではあなた自身、いや個人でできることなんてたかが知れてるので、あの場の「人類が」どうすればナウシカの行動を止めることができたか?ということについて聞いてみたい。
で、私は今後三週間くらい忙しくて増田を読んでる余裕がなくなる。もしこのダラダラと長い駄文に回答してくれる余裕があるなら、急がないんでのんびりどうぞ。
(実は上記以外に、もう一つ追加で文章を書いていて、長いので別記にした。anond:20180303232700 忙しいだろうし余裕があるときにでも)
とりあえず全部読んだ。
が疲れていて細かい返信ができない。
ナウシカ最大の責任は「『歴史は繰り返す』『お前達はその朝をこえることはできない』」
これに正しく答えられなかったところだ。
「その場限りのプーは気楽でええですねん!」
先のことを考えず今その瞬間でベストな選択をしてきた結果、墓所までたどり着いた、
だからナウシカは正しいことをしてきた、というのは結果論に過ぎない。
旧人類の長い歴史を顧みればその時代に当然ナウシカのような人間が一人や二人い無かったという方が難しい。
旧人類だって殺してでも生きなければ生き抜けない時代なんて経験してる。
その経験の果てに新人類の卵を作ったんだということをもっと重く受け止めろといっている。
歴史は繰り返すけど俺らプーだからパチンコ打ちにいくぜ!って連中にまじめにしろなんて言ったところで通じるわけがないよな。
特にそれまでパチンコで食っていけたパチプロのカリスマみたいにナウシカに言ったところで通用するわけがない。
墓所がナウシカと出会ったことが墓所最大の失敗であり敗因であったというならまさにその通りだろうよ。
でも墓所側が提供する環境に適応した改造手術と同レベルの救済の道をナウシカが示さない限りはナウシカの責任は残り続ける。
ナウシカは選択の是非を問われる立場にいたし、それまでの功績がどうであろうがその1点については人類滅亡まで問われ続ける。
それは揺らぎようのない事実。
迎えられない朝がきたときに、そのとき「今を生きる現生人類」は歴史を知ってナウシカを恨むだろう。
それは当然のことだろうよ、今しか生きてこなかった人間のツケってのは、
日本で例えるなら今を生きてきた団塊世代たちのせいで貧して今を生きたいはずの若者が背負わされてる姿だ。
説得力もなにも、今を生きるしか頭にないやつには、そりゃ未来なんて永遠に存在しない「今」だろうな。
そして、今しかいきれないというのなら過去の積み重ねという未来への道筋を自分らの功績かのように語るんじゃない。
未来を作る確固とした意志もなく、ただ過ごしてきた時間を過去として語るのは愚かですらない、単なる無知だ。
本来日本人は自分を犠牲にしてでも「家」、つまり一族の未来を重視する人間だったんだが
半端なアメリカ文化が到来してからは自分を守るもの、守るべきものという一族・家庭は崩壊して弱体化してしまった。
今を生きるのがずっとその先うまくいくなんてのは、宗教だよ。
特にずっと上手くいってきたナウシカがそういっても、それこそ説得力がない。
全滅してから言え。