はてなキーワード: 世捨て人とは
ベルリンの、秋だった。
穏やかで大きな家が立ち並び、お行儀よくベンツが玄関先に停まっている。
道路は日本における未開の地、名古屋のように広く、礼儀正しく整備されている。
空がひらけている。
彼は相変わらず、といってもその時は初対面だったが、眉尻の下がったあまりにも優しい世捨て人のような風貌で、パンクな黒いパーカーを着ていて、手をあげ、私にやあという合図をした。
彼はたぶんそれをどこかで気にしていて、同時に気にしていないと私は思う。
今、二人が出会ったことを思い起こすと、その時から3週間は経っているのに、胸が張り裂けそうで、ただ喧しいくらいの大きな声で「アイシテル」と叫びたい。まるでサンボマスターのボーカルの人みたいに。愛してる、フロ。愛してる、愛してる、愛してる…。
そのくらいに彼は衝撃を、私の人生を大きく変えた人だった。
彼は本当に誠実だった。真摯で、当然ヨーロピアンさながら紳士で、真剣すぎるくらい真剣で神経質だ、人生の事柄に対して。
愛している。
私がアプリで彼に寝ようと誘った。
彼は、後から聞いた話でいえば、ただ友達として出かけたかったので、面食らったと言っていた。
それでも彼は、パンクな骸骨の描かれた、着古した彼の黒いパーカーを着てやってきた。彼は27歳なのだが、そのラフな歩き方、なんて可愛らしいんだろう。
さて、なぜ彼がそんな尻軽な女の面食らわせてきたメッセージに応じてのこのこやってきたかといえば、もう簡単だった。答えは、「僕は日本の女の子が本当に本当に好きだから…」だそうである。幸あれ、フロリアンの天国。
そうして私たちはルドウの夜に邂逅した。今は彼を深く愛している、しかし、私はその時彼を愛していなかった。
暗い、暗い地方の闇夜だった。小さいガス灯を思わせるオレンジの道路灯が目に滲んだ。幼いころ、行楽から帰る首都高速の、父の運転する後ろからまなじりに涙を溜めて眺める首都高の街灯みたいに。私は、ただ地方のような広く、文化的に浅く、人の暮らすただの町にいた。(ルドウは正しくは村だ)
そしてベルリンのマツモトキヨシであるDMドラッグストアの前にいた。23:45。シャッターは降り、背後にはバス停が寂しく光り、完全に町は休息して沈黙していた。
今、私の股から男の精液が零れ落ちる。私は先ほど過ちを犯したばかりだ。さあ、今、書かなければ。私を、ルドウにこのパソコンが連れて行ってくれる。繋ぎとめて。フロリアン、フロ…。しかし不義を犯した女に彼を呼ぶ資格などない。ああ。
そうして私たちは、ルドウを歩き始めた。
散歩がよかった。そしてそれを伝えた。
彼は非常に控えめな口調で自分が散歩を愛していることを告げた。
私たちの英語は拙かった。フロリアン、あなたはドイツ人なのにね。(ドイツ語と英語は非常によく似ている。)
愛している。ああ、繋ぎとめて…。
さて、我々は拙い英語のようなものを駆使し、日本について話した。彼は日本の庭園が好きだと告げた。
侘び寂びの話をした。
ルドウの秋の道が流れていく、私たちの歩が進む度に。私は非常に感嘆の声を上げ、何度もルドウという町を称賛した。
私たちは寝た。
そして寝た男女の例によってピロートークをした。
翌朝私たちは新しい白い朝、ルドウの退屈さを前面に押し出したみたいな住宅街の朝を歩き、彼はその時に私に伝えた、ルドウに生まれたんだ、と、そう言った。
そうだ、いい調子だ。パソコンとキーボード。そうだ、私たちは寝た。
我々は非常にアニメの話で意気投合し、彼は私を気に入った(ように見えた、少なくとも。)
そしてふっと、道が交差点になったところでフロリアンが言った。僕の家はここから歩いてすぐなんだ。
私は彼のお眼鏡に適ったようだ。喜んでお受けし、我々は本格的にルドウの住宅地の画地に割き入りこんでいった。
彼の家は普通に平屋でびっくりしたのを覚えている。あ、普通に実家?!と。
部屋に上がる。玄関にハリウッド映画で見たアメリカの居間のようなものが広がっていて恐縮した。似顔絵がある、おそらくフロではない誰か家族の…。バラ。活けられている。奥に見える暗い、秩序と富を感じるキッチン。
フロはいきなりキスをするようなことはしない。彼は真摯なのだ。
そのため我々はお馴染みのオタク的ゲーミングPCの前に、ゲーミングチェアによっかかり、当たり前にYouTubeを広げ、検索語句を伝え合い、タイプし、そして、たまに肘を触れ合わせ…。きゃあ。修学旅行のイケてる男女みたいだ。ははは。
そしてやっぱりときめいてしまう。あなたを愛している。好んでいる、かな、正しくは。
話はお互いの好きな音楽ジャンルの話になり、移り、成り、そして宴もたけなわになった。彼はふとベッドを見、ベッドに腰掛け、私はベッドにあったぬいぐるみを彼から受け取り、ぬいぐるみの鼻で彼の鼻にキスをした。彼は大変可愛らしく笑い声を立てた。ふふっ。そう、顔は笑顔だった。ああ、フロリアン。
そして一度ハグし、それから…。ああ、私は自分の取ったアクションしか仔細に書いていないではないか。
フロリアンには強い、強いエンパシー(共感性)がある。私は共感する力はとても弱い。
おそらくフロリアンだったらもっとこの文章を違う風に書けただろうなと思う。しかし、私は書いている。今、私は書いているのだ。
トラウマが目の前を歩いてよこぎる…。垂れゆく精液…。ああ、ああ。嘆かわしい。
しかし私には私の視点でしか思い出すことはできない。恐縮だ、ご容赦あれ。
私たちはそ…っと、本当に自然に、風のように、しかし照れくさく、春風のように、期待を孕んでキスをした。直後めちゃくちゃ口臭が気になって、私から頼み込んで歯磨きを二人して始めた。なんて滑稽な。
満を持してキスをする。交わされる腕。彼の口元は本当にふんにゃりと湿っていて心地が良く、性感において気持ちがよかった。要はキスがうまい質の口に生まれついていた。
彼は全身全霊をキスという言語で伝えるかのように私を愛した。本当に、驚異的な宇宙が彼の中と、二人の間にこだましていた。
そして私が横たわりたいと言った。
二人は横になった。フロリアンが私にまたがり、彼が心をキスで満たし、伝える。私は口臭を気にしながら、少しづつ応える。息が上がっていく。
彼は自分から私の服を脱がせなかった。なぜかはこうして今になっても分からない、不可思議だ。
しかし彼は私の背中にそっと手を差し入れ、円を描くようにさすった。私は感じた。
我慢ができなくなるまでそれは続いた。
卑怯な言い方だったと思う、だがまあ、私は問うた。何かしたいことはない?あなたがしたいこと、なんでも、私は叶えたい。
すでにその時彼のことを大分好ましく思っていた。
服脱ぐ?と彼は言った。愉快な話である。
私がオーダーし、彼が私の服を脱がせた。スカートとパンツは自分で脱いだ。
ああ、私はとても眠い。
寝ようと思う。
私たちは愛し合った。
そして翌日の飛行機でももう何もかもをかなぐり捨てて彼を、おそらく彼も、昨夜ってやつを反復した。舌で、心の目で、何度も、何度も。何度も何度も。
私は、もう彼に恋に落ちていた。
そして私は彼に付き合いたいと迫る。
彼は私に愛を返そうとし、しかしいろいろな私の自分勝手さに嫌気がさす。
私は自分を見つめなおす。
私の新しい、喜ばしい生が彼の作品として私が生き続ける間続く。
彼に連絡先をブロックするように話し、それは実行される。
私、男友達と寝る。
でも、おいしいものを食べて、生きていくよ。あなたが生命をくれたから。
愛してる。
完
周知の事実だろうが少子化問題に関しては別に日本固有の問題ではなくて、あらゆる先進国で発生している事象だ。
ここに関して、国が悪いだの、なんだのいう考えなしはここでは無視する。
まず医療技術の発達が、子どもが生き残る確率を上げたのは言うまでもない。
そしてリベラルな思想の醸成により、口減らしみたい行為は表立ってはできなくなった。
どのような才能や出自を持ってこの世に生まれ落ちたとしても、あまねく子どもたちは育てられるようになった。
これが一つ、今では誰もが知っているだろう現代の大きな問題の要因だ。
ハンセン病を始めとする病気由来のものもそうだし、生来的な障碍者差別もそう。
周囲や、若い人の反応は気にならなかったようで、それよりもむしろ親や親戚などの身内が、
地域社会から自分の存在を隠そうとしていたということに傷ついた、と語っていたのを思い出す。
よく現代病などとして、最近は花粉症が増えた、とか発達障害が増えた、などと言われて久しい。
これはもちろん、科学や医療が発達して色々なことが分かるようになった、ということもあるし
昔からそういう素質を持った人はゴロゴロしていたよ、という話もあるだろうが、
一番の理由は、子ガチャが出来なくなった、許されなくなったからだと思う。
で、今になってグレーゾーンだとか、ひまわり学級だとかが見直されつつあるわけだ。
もちろん、社会全体として生物学的な多様性を保つことは、種全体としてもリスクヘッジになっているだろうし
倫理的な側面からも、人間社会が豊かになったことの証左であると言える。
だが、個人としての本人の意思はいかほど尊重されているのだろうか。
自分もとある身体的ハンディと、重度のADHDを抱えていたものの、そこそこの努力と
周囲の助けもあり、大学も卒業し、サラリーマンを経て、親の敷いたレール、つまり家業を継いだ(祖業は廃業したが)
クソボンボン野郎、という声が聞こえないでもないが、幸福度で考えても全く釣り合わない、と思う。
ノブレス・オブリージュなど聞こえはいいが、結局は社会の奴隷かつ、労働者の奴隷でもあるのだ。
はたまた巷にいくらでも溢れている成功者の自伝本のように、努力が足りない、
などという世迷い言をいいたいわけではない。
この努力、というものを、子どもに押し付けたいか?ということだ。
これからますます、勤勉で、清潔感があって、思いやりがあって、物事の分別がつく、聖人君子が求められる。
厳しくなりすぎたからこそ…自ら世捨て人となる人が増えているのではないか。
トラックに轢かれて別の人生を、自ら子ガチャをやり直すような妄想が、蔓延しているのではないか。
で、この少子化問題に関わる議論として、責任負いたくない問題がある
さらには、経営者、責任者、政治家の責任重すぎやしないか問題。
今では部長が悪い、課長が悪い、OJTが悪い、親が悪い、環境が悪い、国が悪い等と
終わりのない他責思考と、昇進拒否や退職代行のような責任回避思考が蔓延している。
そんな責任を負うのなら、JTCで怒られない程度にお茶を濁すが如く耐える方がいいと。
ただ、それすらも今は…
だって社会と法律が、どうあっても子供を殺すな、きちんと責任をもって教育しろ、と言っているのだから。
だが、お前ひとりで育て上げろとも言っていない。
そもそも人ひとりで育て上げられるはずもない。犬猫を育てるのとはワケが違い過ぎる。
人間は社会性の動物であり、文字通り、社会の中で、人々と交流することで全てを身につける。
そうした側面を無視して、新自由主義的な、自らの力で全て何とかしないといけないような考え方に囚われちゃいないか。
ただ、オギャーと産まれてくるのは、ただの動物だ。チンパンジーだ。
産まれてずっと親と暮らすわけでもない。社会性をどこかで身につけなくてはならない。
そしてそれは、才能にもよる。マセガキもいれば、少々社会性の獲得が遅い人間もいる。
何より実際のローグライトゲームのようにリセットなど出来ないのだ。
何も持たず生まれて、何も持たずに土に還るのだ。そうした自然な循環をしようじゃないか。
だからこそ、基本的には子どものしたいようにさせるのが一番だ。
時には殴ってでも止めないといけないこともある。
刺し違えてでも、社会に迷惑をかけないように体を張って止める。
それはお前の役目だ。それは覚悟しておけ。その責任を社会にだけ負わせるな。
今は教師も、近所のカミナリ親父も、その役目を負ってはくれない。
そういう意味で、精神的な子育てのハードルは上がっているのは間違いない。
ただ、それが出来ないと思うのならよく考えて親になってほしい。
躾をされないで育ち、大人になってから鬱になるか、反社として生きるかの二択を迫るのか。
大人になってから躾を身につけさせるのは非常に難しいし、個人主義の現代にそのようなお人よしはいない。
社会に出てから虐められてみろ。怒られてみろ。言いたいこと分かるよな。
いじめられるわけでも、怒られるわけでもない。
子供のうちはいくらでも挑戦させろ、失敗させろ、身内で迷惑を掛けさせろ。
一つだけ伝えておきたいのは、別に世界も社会もあなたの敵ではないということ。
そして、今は未曽有の危機、第二次世界大戦前後以来の混迷期だということ。
もっと言えば、明治維新と第二次世界大戦を同時に経験しているくらいの、
大きな変化の渦中にいるということを、頭の中に入れておいて欲しい。
産業革命以来の、"働き方改革"(強制)と、年間数十万人の人口減の同時発生。
そんな場面で、日本人同士でいがみ合って、責任を押し付け合ってどうする。
別に指をくわえてみてたって構わない。
けど、お願いだから、これに対処しようとしている人たちの足を引っ張ることだけはしないでくれ。
別に賛同してくれなくたって、協力してくれなくたって、疎外したりはしないから。
あまねくご先祖様、これだけの天下泰平を築いたものの、戦後最大の危機が訪れております。
妄想を炸裂させているはてブが居たので、本当かどうか気になっているけど私には事実検証ができないので詳しい人が居たら教えて欲しい。
→単純に商業作家なので出版社が原稿料からあらかじめ10.21%(100万を越える部分は20.42%)が源泉徴収されているから、その残りではないでしょうか?
3年で2億6000万だと税率はおそらく45%なので、そこから源泉徴収されている分+税理士が計算した経費等を諸々引いたら18%が所得税として計算されるのは妥当なところだと思うんだけど…
→法人化している証拠が見付からないんだけど、どこ情報なんだろう? 上述のはてブを鵜呑みにしてるだけ?
→不動産購入という報道はあるが、それを投資として見るかどうかは微妙。単に連載長期化を見据えてアシスタントが入りやすい事務所を構えただけかもしれない。
私の友人の漫画家は無難に事務所用にマンション買ってたが、中には個性豊かすぎる自宅を建ててしまい売ろうとしても売れずに途方に暮れてしまう漫画家も割りと居る。
脱税した金で不動産購入という報道もあるが、単に納税サボってたから残高にある金額を使っただけではなかろうか?
→(私が関係者からヒアリングした限りでは)ままれ氏本人は世捨て人のような生活をしていて、印税関係などの処理を親族に丸投げしてたら騙されていたとのことなので、ある意味大谷選手と似たような境遇かと。
ねこクラゲ氏とは脱税の仕方が違うとは思うが、見せしめ報道という意味で同じコースというのならこの発言も理解できる。
→本人のツイートからはそのような雰囲気は見て取れない。現代文で作者の意図を述べよ、という問題の必要性がよく理解できるはてブ。
→ハイスコアガール事件を誘発した編集部やぞ? 漫画家をきちんとケアする編集がいるなどというナイーブな考えは捨てろ。
私は友人に漫画家や小説家が複数いるが、彼等彼女等の大半はこの手の雑事が非常に疎かであることが多々ある。
私がまだ若い時に「毎日コツコツやれば苦労しないでしょ?」と酔った時に迂闊にも助言したところ「夏休みの宿題を計画的に進めることができる人間は漫画家なんかになってない!」と反論されてぐうの音も出なかった。
それでも妻帯者で子供が居る場合は子供を保育園や学校に通わせる必要性があるため最低限の社会性は持つようだが、独身の場合はかなり危ういと感じた。
私はねこクラゲ氏のことは著作以外詳しく知らないが、私の狭い漫画家の交友関係から帰納的に類推する限り、税金関係をズボラにしてたら遂にのっぴきならない状況になって役所から盛大にお説教を食らって慌てて納税したが、額が額だし話題性がある作家だから見せしめに報道された、というのがしっくりくる。
それも私の妄想でしかないが、少なくとも報道と本人のツイートのみが証拠なので、それ以外は妄想でしかないのでこのような妄想投稿場所でしか表明しないつもりである。
妄想を炸裂させているはてブが居たので、本当かどうか気になっているけど私には事実検証ができないので詳しい人が居たら教えて欲しい。
→単純に商業作家なので出版社が原稿料からあらかじめ10.21%(100万を越える部分は20.42%)が源泉徴収されているから、その残りではないでしょうか?
3年で2億6000万だと税率はおそらく45%なので、そこから源泉徴収されている分+税理士が計算した経費等を諸々引いたら18%が所得税として計算されるのは妥当なところだと思うんだけど…
→法人化している証拠が見付からないんだけど、どこ情報なんだろう? 上述のはてブを鵜呑みにしてるだけ?
→不動産購入という報道はあるが、それを投資として見るかどうかは微妙。単に連載長期化を見据えてアシスタントが入りやすい事務所を構えただけかもしれない。
私の友人の漫画家は無難に事務所用にマンション買ってたが、中には個性豊かすぎる自宅を建ててしまい売ろうとしても売れずに途方に暮れてしまう漫画家も割りと居る。
脱税した金で不動産購入という報道もあるが、単に納税サボってたから残高にある金額を使っただけではなかろうか?
→(私が関係者からヒアリングした限りでは)ままれ氏本人は世捨て人のような生活をしていて、印税関係などの処理を親族に丸投げしてたら騙されていたとのことなので、ある意味大谷選手と似たような境遇かと。
ねこクラゲ氏とは脱税の仕方が違うとは思うが、見せしめ報道という意味で同じコースというのならこの発言も理解できる。
→本人のツイートからはそのような雰囲気は見て取れない。現代文で作者の意図を述べよ、という問題の必要性がよく理解できるはてブ。
→ハイスコアガール事件を誘発した編集部やぞ? 漫画家をきちんとケアする編集がいるなどというナイーブな考えは捨てろ。
私は友人に漫画家や小説家が複数いるが、彼等彼女等の大半はこの手の雑事が非常に疎かであることが多々ある。
私がまだ若い時に「毎日コツコツやれば苦労しないでしょ?」と酔った時に迂闊にも助言したところ「夏休みの宿題を計画的に進めることができる人間は漫画家なんかになってない!」と反論されてぐうの音も出なかった。
それでも妻帯者で子供が居る場合は子供を保育園や学校に通わせる必要性があるため最低限の社会性は持つようだが、独身の場合はかなり危ういと感じた。
私はねこクラゲ氏のことは著作以外詳しく知らないが、私の狭い漫画家の交友関係から帰納的に類推する限り、税金関係をズボラにしてたら遂にのっぴきならない状況になって役所から盛大にお説教を食らって慌てて納税したが、額が額だし話題性がある作家だから見せしめに報道された、というのがしっくりくる。
それも私の妄想でしかないが、少なくとも報道と本人のツイートのみが証拠なので、それ以外は妄想でしかないのでこのような妄想投稿場所でしか表明しないつもりである。
↓
Reports: Shohei Ohtani’s interpreter fired after being accused of ‘massive theft’
https://edition.cnn.com/2024/03/20/sport/shohei-ohtani-interpreter-fired/index.html
Shohei Ohtani's Interpreterで検索するといいと思う
日本のメディア減らしたかったら、The issue with Shohei Ohtani’s interpreter
↓
こっわ
厨二というかなんかカッコいい(小並感)が必要なら、エリック・ホッファー、かっくいい(小並感)
まったく学校へは行かず、複数の言語(ドイツ語・ラテン語ほか)・化学、物理学、鉱物学、数学、地理学・植物学など様々な学問を独学(図書館)で修めるだけの才能を持ちながら、
炭鉱夫・日雇い労働者・季節労働者として放浪して何十年と働いて、
40歳になってようやく留まるようになっても、沖仲仕(おきなかし。船と陸の荷物の積み込みとかする港湾労働者)やって、
肉体労働とは無縁で、ただ頭だけで何事も理解した気になる知識人に対して、ホッファーは一貫して辛辣な批判を投げかけてた
これが本物ハードボイルドよね。アキ・カウリスマキ監督の作品も割とこれ感じる、カッケー
世捨て人になることなく、他者との関わりのなかに生きながら、他者に干渉しようとはしないこと。誰かを貶めるのでも、誰かに認めてもらうのでもなく、自らの価値を自分自身によって証明すること。それこそが、ホッファーの考えた「真に生きる」ことであり、「すべてが可能であると感じる」ための唯一の生き方だったのかもしれない。
教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー、田中淳訳『波止場日記――労働と思索』(みすず書房、2014) - うろたどな
様々な学問をぽんぽこ修める高IQは別にあってもなくても別にどうでもいいけど、肉体労働とDIYをこなせる器用さと筋力と体格、これはあったらな・・・とは思うよ
まぁ、極端に不器用でゴブリンでクソオタもやしでも、自分に出来ることやればいいだけなんじゃがの
自分に出来もしないことやって、楽しむ時間なくなったら、何の意味も無いもの
キャリアも家族も失い「死んだ鹿の目」だった俳優、東出昌大さんが、「また生きよう」と思えた山暮らしの魅力 「人間社会の『常識』が無駄に思える」 | 47NEWS
https://nordot.app/1141212995691463672
id:TakamoriTarou山暮らしは東出のような狂人だらけと紹介されるのすごい迷惑です。普通の人が普通に暮らしていける。犯罪者が逃げてくる場所というイメージがつくの本当にやめてほしい
まぁ、俺も元友人が出入りの女に唆されて会社でファックしているのを奥さんに見咎められたのを「こんなのよくあることでしょう?」と俺の妻に同意を求めてきた結果、友人であることを辞めたので、多分不倫する奴は脳がイカれているんだと思うけど。
本論はそっちじゃねぇ。
世捨て人生活するぐらいしか居場所がねぇ奴が俳優業を廃業せず生きていくにはどうすればいいか?
極端な解決策を3つね。
1.俳優業を廃業して世捨て人になる。まぁ、正しいわな。でも「こんな狂人山に来るな!」っていう言い分も分かる。だが、俺は差別も排除も迫害も「仕方がないことはある」ってタイプだ。人間は悪でしかないんだから、それは受け入れろよ、リベサヨ共。
2.去勢して山に行かず俳優業の仕事後マンション直帰の世捨て人になる。これも正しいと思うよ。チンポ無かったら不倫しねぇだろ、ってみんな思うし。でも実際は性機能不能からより異常な人間になる方が多いそうだけど(治療を受けない場合)。
3.自死する。まぁ、かなり大正解。他人に能動的に迷惑かけた奴の正しい責任のとり方ではあるよ。あの世への逃亡。死ねば仏様ってみんな思ってるけど、俺は思ってないから敵だったら墓石に塩ぶっかけに行く。命日の都度な。
まぁ1~3なんてどうでもいい。俺はコイツ(東出)に興味はないし、山に逃げたかったら逃げて、そこでケアしながら好きな俳優業でもやってりゃいいと思ってるから。
ただ「山暮らしは東出のような狂人だらけと紹介されるのすごい迷惑です。普通の人が普通に暮らしていける。犯罪者が逃げてくる場所というイメージがつくの本当にやめてほしい」という強いメッセージから感じ取るのは「山を降りろ近寄るなチンポ狂人!」ってことだけか。
それとも1~3だろうか。それぐらい強い言葉を感じたし、社会(都市、アーバン)生活的にはボコボコにされて「生きられる」場所が山ぐらいの東出にどうなって欲しいのか知りたくなったので、増田を書いているのだった。
エリック・ホッファーみてーに生きたいよな。選べるなら選びたい生き方のひとつよ
まったく学校へは行かず、複数の言語(ドイツ語・ラテン語ほか)・化学、物理学、鉱物学、数学、地理学・植物学など様々な学問を独学(図書館)で修めるだけの才能を持ちながら、
炭鉱夫・日雇い労働者・季節労働者として放浪して何十年と働いて、
40歳になってようやく留まるようになっても、沖仲仕(おきなかし。船と陸の荷物の積み込みとかする港湾労働者)やって、
肉体労働とは無縁で、ただ頭だけで何事も理解した気になる知識人に対して、ホッファーは一貫して辛辣な批判を投げかけてた
これが本物ハードボイルドよね。アキ・カウリスマキ監督の作品も割とこれ感じる、カッケー
世捨て人になることなく、他者との関わりのなかに生きながら、他者に干渉しようとはしないこと。誰かを貶めるのでも、誰かに認めてもらうのでもなく、自らの価値を自分自身によって証明すること。それこそが、ホッファーの考えた「真に生きる」ことであり、「すべてが可能であると感じる」ための唯一の生き方だったのかもしれない。
教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー、田中淳訳『波止場日記――労働と思索』(みすず書房、2014) - うろたどな
様々な学問をぽんぽこ修める高IQは別にあってもなくても別にどうでもいいけど、肉体労働とDIYをこなせる器用さと筋力と体格、これはあったらな・・・とは思うよ
まぁ、極端に不器用でゴブリンでクソオタもやしでも、自分に出来ることやればいいだけなんじゃがの
自分に出来もしないことやって、楽しむ時間なくなったら、何の意味も無いもの
SNS、YouTube、TikTok、ブログ。今や発信してリアクションを得られる可能性があるプラットフォームに触れていない人の方が少ないと思う。
鍵アカウントもあるが、公開範囲を限定しているだけで多くの人は少なくとも親しい友人やネットで繋がりのある人などが見られる環境を作っていると思う。
僕はまるで他者からのリアクションを求めていない、と言うような素振りをすることがある。まじ滑稽。
リアクションを求めないことは美徳でもなんでもないし、社会に生きる以上何かしらの発信にはリアクションが伴うし、誤解されては生きづらい。
リアクションから逃げることは「私は社会性がないです。」と言っているようなものじゃないか?言いすぎ?
とはいえ、リアクションを求めるがあまり、本心を隠したり言いたいことを歪めたりするのは不健全であると思う。
服を買う時、「これ少し自分っぽくないな」と思い手に取ることをやめたことはないか。自分みたいな人間がこんなお店に入るのは違うな・・・と入店を躊躇ったことはないか。
リアクションを求めないというスタンスに常に立って世捨て人のようなスタイルを保つことは非常に力のいることだし、この社会で生きる以上不用意にそんな振る舞いをすべきではないと思う。
しかし、たまには「うおぁぁぁぁ〜〜!!!!俺だ俺だ俺が全てだ!!!!」というムーブをすることも必要なんじゃないか。
我々はあくまでも個人。個人であることを忘れて集団のうちの一人であるという意識を強めすぎてしまうと、誰かが、もしくは自分が勝手に決めた自分が固着してしまって人生にセレンディピティが生まれないように思う。
自分では普段しなさそうだな、という選択をたまにすると人生がまるで豊かになったような気がしたことはないか。1人で旅行に行ってみる、
作ったものがない食べ物を作ってみる、なんかこれとこれでプリンみたいなもの作れるんじゃね?(レシピは知らない)とかなんでもいい。
自分の中に遊牧民を住まわせろ。そんじょそこらのノマドワーカーなんてものとはわけが違う。それはあくまで集団から少しだけ距離を置いて「特別なあたし」を楽しんでいるにすぎない。
ほんの一瞬でもいい、自分の精神的なパーソナルスペースをバカ広くして敢えて社会から隔絶したような心持ちで、自分の評価軸のみで物事を選択することをしてみる。
評価軸なんてない?やりたいことなんてない?小難しく考える必要はない。
例えばあなたの目の前に米が2合、野菜、肉、魚などなど様々な食材があるとしよう。普段なら米は2〜3食分に分けて、食材もいくつかのレシピを作るために小分けに調理するだろう。もちろんそれがあなたのやりたいことで、スタイルなのであれば好きなようにして構わない。そうでないのなら?
私は一介のサラリーマンで、特段見どころのあるような人間ではない。だが、眼前にそれらが広げられたら、今の私は豪農モード。全ての食材を余すことなく調理し、一食で食らう。
普段なら絶対にできないだろう。妻もいる、もちろん食費や向こう数日分の食材をまた買いに行かなければいけないという問題に豪農モード終了後にぶち当たるだろう。しかし、今の自分はその問題に直面しているだろうか?断じて否だ。
豪農がそんな生活をしていたか定かではないが、自分のイメージからかけ離れた存在になるということが重要で、それこそが日々社会で暮らす我々の数少ない寄る辺になると信じている。
今日は妻がいない。冷蔵庫には納豆がある。妻は納豆が大嫌いで家で食べることは普段絶対にない。なんなら結婚して以来初めて買った。
帰ったら大量の米と納豆、昨日こさえた温泉卵でパーティと行こうじゃないの。
そんなことをして何になるんだ?そんな問いは豪農モードの私にはナンセンスだ。普段自分がしないことをすること、無意義なことを行うことこそが肝要。
どうせ同じサイクルを繰り返して年老いていくだけなのなら、外界からは観測も接触も不可能な異質な自分を見出し、作り上げ、楽しむのもまた一興なのではないだろうか。