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はてなキーワード: 市井の人とは

2024-12-11

上澄みの人たちの手練手管が高度になり過ぎて、市井の人間が時間をフルに使って哲学しても刺し違えるどころか蚊に刺されるレベルしかないという現実

2024-11-23

広報担当が追及されてるのは追及頑張れーってなるけど

担当者男性だったときと同じような追及の仕方をして欲しい

市井の人間すべてにそれを求めるのは無茶だと思うけどさー

2024-11-18

民主主義を虚無に捧げないために――印象批評の試み

 これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。

 

 むしろ市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである

 それでも、虚言や流言罵詈雑言猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である

 

 以下に続く文章は、主語デカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。

 もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである

 この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である

 つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプ当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。

 しかし、メディアネットパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。

 

 尤も、自分最初認識そもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。

 このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。

 選挙結果が出てから兵庫県知事選立花某にハックされたということや、あるいはネット真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNS選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。

 もちろん、我々はアメリカ大統領選ロシアイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジアナティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。

 しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストラシーを実現するのか、リベラル思考をもった等質的市民たちによる思想ゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。

 

 各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通民主主義国家における市民と同じくらいの能力感覚を持ち、それなりに各候補者比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。

 ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道気持ちいから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。

 何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。

 少し前に国民民主党の玉木代表不倫問題が報じられた。不倫責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。

 その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。

 筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちから願い下げである議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。

 どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党政治資金収支報告書記載問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えからまれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベル不見識なのではないか。)。

 

 とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫家族当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取り台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見大勢を占めているのではないか

 そしてこれは、斎藤公益通報制度度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティ相通ずるものがあるのではないか

 もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉問題別にあるということにほかならない。

 このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証であるそもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義要諦なのかもしれない。

 この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。

 だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。

 

  「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」

 大人になってからのび太結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有人間であったと痛感せざるを得ない。

 立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。

 斎藤投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義レジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。

 日々の生活に汲々として自分人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。

 

 この文は、「あの時できなかった」筆者が「次こそは」という気持ちを奮い立たせるために書いたものである

2024-11-05

人気ジャニーズグループチビがいてもリアルでは低身長男性ショタ男性は女に需要がない理由

女は推しに「非日常」要素を求める

から男が集まり人間関係競争やその歴史を眺めて楽しむ綺羅びやかなステージというコンテンツを用意して厚化粧して歌って踊るなどのパフォーマンス披露する特殊世界と違い、スーツを着た一般社会人という条件になると低身長は全く相手にされず切り捨てられる

昭和時代から自由恋愛でも結婚相談所でもお見合いでと低身長男性は不人気という話題定番

同じくアルフィーなど熟年バンド有名人若いファンがいても、一般社会の熟年男性若い女に相手にされない

マツケン歌舞伎をはじめとする伝統芸能宝塚はもちろんの事、日韓女性アイドルグループスポーツ女性ファンは多数存在するが、彼女達はあくまで「選ばれた」若い男や女達が同性同士チームを組んだり競ったりする外連味溢れる華やかなエンタメを消費しているのであり、それを構成する人物と同じ年齢や性別市井の人間を結婚恋愛対象にする事はない。

同じくデビュー前のジャニーズJr商売になる程度にはファン存在するが、女性が魅力的だとも思う異性の年齢は全年齢において自分と同年齢〜やや年長で一貫している

逆に男は50代でも一貫して四捨五入20歳の女を求めている

https://president.jp/articles/-/29794?page=2

人気アイドルグループバンドチビがいてもリアルチビ男性婚活市場アプリで余り、業者チビ男性自身が「人気ですぐ売り切れる高身長男を選ぶ女は贅沢、余ってるチビ妥協しろ」と主張する

野球 ジャニヲタ」で検索すると、多数のジャニヲタプロ野球に流れたり掛け持ちしているのがわかる

一般人チビは相変わらず婚活恋愛足切りされるのに、男が集まり娯楽を提供するコンテンツなら、高身長でもブサイクでも女性ファンが集まり彼女たちに向けたグッズが多数販売される

逆に白人ハーフアイドル日本では需要がないのに、美容目的若い女性が多い皮膚科患者の付き添いで顔はフツメン以下の背が高いだけの白人男性が付いてきただけで、窓口の事務を始め従業員若い女性全員が色めきたちはしゃいでいた

アイドル現実に伴侶に選ぶ男のタイプは別なのがよくわかる

2024-10-24

ヤングサンデー史上最も重要マンガ5選

週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ20選 - https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
週刊ビッグコミックスピリッツ史上最も重要マンガ5選 https://anond.hatelabo.jp/20241014232424
週刊ヤングマガジン史上、最重要漫画10選 - https://anond.hatelabo.jp/20241016182953
月刊アフタヌーン史上、最重要漫画10選 - https://anond.hatelabo.jp/20241017235116
月刊コロコロコミック史上、最も重要漫画10選 - https://anond.hatelabo.jp/20241018225514
漫画アクション史上、最も重要漫画10選 - https://anond.hatelabo.jp/20241020163403
週刊少年サンデー史上、最も重要マンガ10選 - https://anond.hatelabo.jp/20241021181149
モーニング史上最も重要マンガ10選 - https://anond.hatelabo.jp/20241023001913
ビッグコミックスペリオール史上最も重要マンガ5選 - https://anond.hatelabo.jp/20241024031536

ヤンサンだけは、当時欠かさず購読していた俺が書かないと、という義務から書いた。

異論は受け付ける。順不同。

ザ・ワールド・イズ・マイン新井英樹

この作品を世に遺せたことだけでも、ヤングサンデーという雑誌存在した価値がある。世界規模で暴力正義等価値に描いた、怪作にして超名作。マクロ視点テーマ性や劇的なストーリー展開と、市井の人々のエゴディテールたっぷりに描いたミクロ視点の描き込みの両立が天才的。「宮本から君へ」はモーニング連載だが、この作者で一作だけ選ぶならこれだと思う。

殺し屋イチ山本英夫

のぞき屋」の頃から片鱗が見えてはいたが、変態的なキャラクター造形と淡々とした描写が素晴らしい。そして前作から画力進化にも驚く。海外でも評価が高い。この作風スピリッツ連載の次の怪作「ホムンクルス」へと繋がっていく。

Bバージン山田玲司

ヤンサンは、山田玲司を育てた雑誌でもある。個人的には『アガペイズ』の方が圧倒的に好きだが(最高傑作だと思う)、知名度重要作品としてはこっち。オタクモテ男に変身していくHowToマンガの側面もありつつ、純愛志向することでバブル期の軽薄な恋愛観へのアンチテーゼになっているメタ的な作品。ちなみに作者はヤンサン廃刊後、「山田玲司ヤングサンデー」という人気のYouTubeチャンネル運営していて(後から出版社公認に)、マンガ評論がかなり面白い

「ムジナ」相原コージ

共著の「サルまん」を除けば、これが相原コージ最高傑作だと思う。白土三平的な王道忍者マンガと、「勝手シロクマ」「コージ苑」的な不条理ギャグと、「サルまん」的な実験アプローチとを高度に融合して、両立どころか鼎立させた奇跡的な作品

ANGEL遊人

遊人は、青年誌エロマンガにおいて未到達だった性表現の境地を切り拓いたので、漫画史的にも取り上げる必要がある。散漫なストーリーはともかく、今見ても女の子の絵が抜群に上手いし、性的描写のお下劣さが限界突破している。新宿風俗店イラスト無許可で使われ続けてて可哀想

次点

最初ベスト10作品にしようかとも思ったが、逆に絞るのが難しかった。

本当は、柏木ハルコ作品を入れたかった。

原秀則作品

冬物語シーソーゲーム、SOMEDAYなど。ヤンサン看板作家だとは思うが、これといった新規性は感じられない。

柏木ハルコ作品いぬ、よい子の星、ブラブラバンバン

どれも安定した名作揃いで、ほぼ外さないのが凄いのだが、逆に言うとヤンサン時代には、まだ突出した作品がない。

海猿

他誌で『ブラックジャックによろしく」があるからなー。名作だが、ドラマ化されるまでは割と知られていなかった。

移籍した作品

アオイホノオおやすみプンプンDr.コトー診療所クロサギイキガミ土竜の唄などの名作・人気作が、廃刊と同時に他誌へと移転している。本当に、こんな良い作品が集まってた雑誌廃刊にするとか、何考えてんだよ……。

これらをヤンサン作品として見てる人はもういないだろう。

おしゃれ手帖

よくある不条理ギャグと思わせつつ、後半から哲学的ヤバい展開。しりあがり寿弥次喜多に通じるところがある。

長尾謙一郎作風は、ヤンサン以降の「ギャラクシー銀座」などで完成されたので入れなかった。

ちなみに作者は、最新作ではギャグを完全封印して、爽やかな青春空手マンガ三日月ドラゴン」を書いていて、これもめっちゃ面白い

お〜い!龍馬

前身の「少年ビッグコミックから移籍だし、代表作は他誌で『あずみ』があるからなー。

同じ月を見ている

土田世紀は他誌の「編集王」かなー。

デカスロン度胸星

ここは、かなり迷ったが、入れなかった。作者で入るとしたら、「へうげもの」「望郷太郎」かな。しかし、とんでもない傑作SFになる可能性を秘めていた度胸星を未完結で打ち切った当時の編集部の罪は重い。

北崎拓作品(なんてっ探偵アイドルクピドの悪戯など)

絵は可愛いのだが、どれも作品としては小粒。

月光の囁き

喜国雅彦は独特すぎて扱いづらい……。「月光の囁き」はシリアス路線作家史的には価値があるが、基本的ギャグ漫画。どうなんだろう。

他の作品ブレイクした作家の初期作

忘却のサチコブレイクした阿部潤帝一の國などで知られる古屋兎丸さそうあきらなども、漫画家としての初期は、この雑誌で育てられたという印象が強い。

2024-09-19

NHK連続テレビ小説が流れていると、あのわざとらしい「市井の人々の生き生きした様」みたいなのにうんざりする

仕事行って家帰って飯食って寝るを繰り返しているだけの現代人の人生に当てつけられているようでイライラする

金も頭脳学歴も実績もないような庶民あんなにイキイキとしている嘘くささがとてもいやらしく感じる

あんフェイクストーリーなら最初から異世界なろうとかにしてくれた方が余程さっぱりと気持ちいい

2024-08-13

へなへな

エロインフルエンサーにDM送るスポーツ選手政治家作曲家が沢山いることを暴露していた

しかもそれぞれアプローチが違うがナルシストのような誘い文句が多いみたい

権威を傘に女を誘うってそんなに行われてるのか

から興味ないけどふつうスポーツ選手とか政治家とか見たくなくなってきたわ

市井の人間がそういうやつらに権威もたせてるのもっと理解してほしい

2024-08-06

生成AIに反対するならば、徒党を組み、勉強をし、デモをし、市井の人問題を訴え、理解者を増やし、国政への影響を増やしていくほかない

でも反AIの中でまともに活動しているのが、おもらしぼっちちゃん公式に無断で二次創作商売してた放射線被ばくで鼻血が出るとか考えてる原発2世なの、反AIを罵って悦に浸ってるだけの反反AIの俺でも「もっとまともな人を探してきて盛り立てた方が良いんじゃないですか…?」って戸惑ってしまう。

AIのことを罵りがいのある気色悪い社会クズ共だとは思っているが…しかし…もうちょっとこう、せめて真面目に活動したらどうだろうか

anond:20240806021114

なるほど〜市井の人はこういうところから情報を得てるのか

2024-07-05

百年の孤独関係なくただ逆張りがしたい奴に薦める海外文学5冊+α

https://anond.hatelabo.jp/20240703191053

https://anond.hatelabo.jp/20240704181200

岡田知子&調邦行 訳「現代カンボジア短編集2」(カンボジア)

早速だが大同生命がやってる“アジア現代文芸”シリーズマジですげえよ。インドネシアとかスリランカラオスイランみたいな東南アジアから南アジアくらいまでの、日本じゃ見過ごされがちな国の文学しか訳してねえんだからしか電子書籍として無料で読めるしな (https://www.daido-life-fd.or.jp/business/publication/ebook) この「現代カンボジア短編集2」なんかクメール・ルージュ以前から90年代まれまで、ガチ現代作家短編しか入ってねえ。マジでこんなん読んだことねえわ。将来、浪漫主義とかフランス現代思想とかじゃなくて「アジア現代文芸に影響を受けました!」って新世代の小説家、現れねえかなあ。

キンキントゥー/斎藤紋子「短編集 買い物かご」(ミャンマー)

同じく大同生命の“アジア現代文芸”シリーズからなんやが、今も大変な状況にあるミャンマー文学もこのシリーズでは10冊くらい読める。特にオムニバス短編集がかなり出てて「ミャンマー現代女性短編集」やら「二十一世紀ミャンマー作品集」やらオススメなんだけども、より読みやすくかつ俺が一番最初に読んだって意味思い入れあるこの「買い物かご」薦めたいね市場って空間と買い物って行為を通じて、ミャンマーに生きる市井の人々の息遣いを知れるんだ。ニュース報道見ると同時に、こういう文学を読むのも重要やね。

カルロスフランス/富田広樹「僕の目で君自身を見ることができたなら」(チリ)

これはアレや、男と男のチンコ比べ本や。そしてその男と男ってのがドイツ人画家のヨハン・モーリッツ・ルゲンダスとイギリス人生物学者チャールズ・ダーウィンで、それだけでもスゲーのに、そのチンコ比べでチリ大地震まで起こるから超壮大や。体長の何倍もデカペニスを持つっていうフジツボまで出てきて、近年稀に見るほどのチンコ本だよ、コイツは。正直ミソジニーキツくてそういう意味じゃアカンけども、流麗華麗な文体で男たちのチンコ比べが描かれる様は一読の価値ありや。読んでどんな思いを抱いても責任は持たんけどな。

ジェス・ウォルター/上岡伸雄「ザ・ゼロ」(アメリカ)

この人はどっちか言うと、サスペンス小説方向性で受容されてるんだが、俺はこの本を“ドン・デリーロが書かなかった最良のドン・デリーロ作品”みたいに思ってる。テロリズムパラノイア不条理……訳者上岡伸雄、実際デリーロ訳者だしね。デリーロの「墜ちてゆく男」とエイミー・ウォルドマンの「サブミッション」と、この「ザ・ゼロ」で上岡9.11三部作や。中でも娯楽作に舵切ってるからこれがいっちゃん読みやすい、分厚いのにリーダビティ満載や。だが「美しき廃墟」以降、ウォルター作品が訳されてねえ。

レーナ・クルーン/末延弘子「スフィンクスか、ロボットか」(フィンランド)

レーナ・クルーンの本はね、読んでると涙ちょちょぎれちまうのよ、これが。この子供たちに向けて書かれた本なんかは少年少女の瑞々しい姿を描いていて微笑ましい一方で、俺ら大人が読むと、こう大人になるってこと、成熟するってことで失われる何かについて思いを馳せざるを得なくなってさ、それで俺、涙ちょちょぎれるんや。3つの短めな中篇が入ってるんだが、中でも表題作の「スフィンクスか、ロボットか」が一番いい。ラスト、マジ残酷すぎやろ。読んで言葉失っちゃったよ。

にしても児童文学ってのは扱いがムズいよ。児童文学ってのは何よりも子供たちに真摯に向きあうからこそ生まれる素晴らしい存在だが、その児童文学って括りが大人にとって読むに値しないように思わせる。かといって、例外的大人がその素晴らしさを語る際に「これは児童文学以上に“文学”だ!」とか言いそうになるが、こりゃ結局児童文学を下位のカテゴリーに入れてるからこその物言いだよな。児童文学出版に関わる全ての人々、そして何よりも子供たちに礼を欠く態度や。俺はこういうのに陥らんように、児童文学オススメしていきたいよな。

https://iuraichiro.com/perkthim.htm

あとイスマイル・カダレ、とうとう死んじまってこれまた泣けたよ。そんな今だからこそぜひともアルバニア文学翻訳者の井浦伊知郎のサイトを見てくれ。カダレの自伝小説「石の町の記録」や代表作「大いなる孤独の冬」の翻訳がこっから読める。他にもカダレに並ぶ大小説家ドリテロアゴリの「裸の騎士」とかアルバニア文学の名著がめちゃ置いてある。マジで信じられねえよ、これは。

2024-04-28

[]4月27日

ご飯

朝:なし。昼:ポテチ。夜:ラーメンチャーハンキムチ。生中。瓶ビール。間食:アイス。豆菓子

調子

むきゅーはややー。おしごとは、おやすみなりー。

ANGEL WHISPER

1999年ゲーム2023年にフルリメイクしたあノベルゲーム

舞台はノストラダモスの大予言を翌年に控えた1998年

フリーゲームプランナー由島博昭が翌年のノストラダモス予言を元にしたゲームの開発を依頼されるところから始まる。

色々な諸事情があって短い開発期間限られた人員でのゲーム作成になるが、仲間たちに恵まれ奮闘していく。

そんなお仕事ものっぽい導入だが、これは本当に導入に過ぎず物語ドンドンと転がっていき、壮大な世界設定と共に大河的なストーリーが展開される。

更に、この作品自体内包するメタ展開、そして2023年リメイクしたことすらも踏まえたメタメタ展開と、最初の印象はどこへやらの大きなストーリーになっていく。

ただ、良くも悪くも、良く言えば啓蒙的、悪く言えば説教臭い、そんな展開になっていく。

勿論、そのようなストーリーが悪いわけではないのだけど、地に足を付いた基盤の描写が薄く、そこの部分の空中戦が続くのはちょっと辟易してしまった。

好みの問題なのはそうなのだけど、1999年2023年比較すれば明らかに人類は終末に近づいていると急に断言されても言葉に詰まってしまう。(否定したいわけでも肯定したいわけでもないが)

キャラクタ同士の交流や、市井の人々の有り様を示してこそ、人類未来みたいな大きな問いが生きてくるのであって、そこを一気に飛ばししまうのはちょっと

ゲームの中で作っているゲームについても、もう少し掘り下げが欲しかった。

それと、割とゲームシステムにはおおらかな方だと思っているが、流石に今作は基本的な部分がイマイチだった。

これは僕の環境問題かもだが、ノベルゲームで処理落ちするのもキツいし、なによりゲームエラー強制終了タイトルに戻されることが短いプレイ時間の中で二回あったのは残念すぎる。

ちょっとシステムイライラさせられたせいで、ストーリーを正常に評価できていないかもだけど、流石に強制終了は勘弁して欲しかった。

システムセーブすらされていなかったらしく、復旧作業に相当の時間を使わされた。

しかも、このゲームメタフィクションを扱ってるせいで、そういうトリックなのかと真面目に考えてしまったのも腹立たしい。(スチル絵が表示される良い場面だったし)

2024-03-26

スターウォーズ外伝で「銀河帝国は皆さんの平和安全を守ります」的な描写が入ったりするけど、自分とこの船をスターデストロイヤーとか呼んどいてそれはちょっと無理があるだろって思う

実は市井の人々による蔑称だとか内々の呼び方なんかなと思ったけどそうでもないっぽいし

2024-03-25

昔の日本ではハート形を何と呼んでいたのだろう

気になるねえ

何故気になったのか

昨晩の鉄腕DASH自然薯を掘っているのを見たか

自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

調べましょうね

とりあえず「ハート 昔 日本」でぐぐってみるか……

なるほど、西洋からいわゆる「ハート概念が伝来する以前から土器織物ハート形の文様存在する、と

神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と

なるほどねえ

じゃあ昔の日本自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~

……とはならない

西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様存在した」イコール自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない

芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語日常的に使用するか?という点を疑う

農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?

勘だけど逆なんだろうな

すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

の問いの答えは「自然薯山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる

農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?

さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか

とりあえず昔の植物図鑑記述を探してみるか?

いろいろぐぐってみるか

……「大和いも」のwikipediaのページの記述

大和いも - Wikipedia

1911年明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理菓子蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。

20世紀初頭時点で「心臓形」という表現が使われている

キリスト教伝来から300年以上経過しているかハート形という概念が浸透していても不思議じゃない

キリスト教伝来以前の記述を探したいところだが……

いや、リンネ分類学著作日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?

西洋植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……

『日葡辞書』になんか自然薯記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線記述から意味いか……

江戸時代アサガオ流行したようだ

園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ

この呼称江戸時代からあったかどうか?

もし当時からそう呼ばれていたとすれば傍証にはなるか……?

時間切れ、また夜に調べるか……

しかハート形の葉っぱなんて芋に限った話じゃない

例えば徳川家三つ葉葵紋とかもハートの形しているし

三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……

いも限定で探すのは筋が悪いかもしれない、再考すること

これは日記です

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追加で調べたメモ書きを追記しましょうね

葉身 - Wikipedia

Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い

自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている

その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている

へえ……カタバミの方が逆位置扱いなんだ?

きっと西洋メジャーハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう

ヨーロッパメジャーハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ

知らんけど~

おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている

色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆

葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある

ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉不要だった……とか

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」

となる

本当に?ちょっと怪しい理屈な気がする

そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)

市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか

それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか

検証できるかどうか

うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか

本草学」という昔の日本学問ジャンルがある

博物学医学薬学中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい

そういう文献にはきっとハート形の葉の説明文章があるはず

ただなぁ~、学者先生が使う言葉認識と、市井の人々の使う言葉認識って別だろうからな……

自分が欲しい情報じゃないかもな

とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう

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ああそうだ、江戸時代には和算というものがあった

面積を求める和算問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな

もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも

一応調べること

→軽く調べてみたが無さそう……こち方面調査頓挫

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調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう

■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

調べがいがありそうなテーマだし、焦らずゆっくり調べていこう

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メモ

こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある

インターネット上で閲覧できる古辞書を調べる事

また、現代語訳された古辞書書籍として売ってあるなら購入も検討すること

辞書で「猪目」をひいて何と書かれてあるかを確認したい

辞書辞典であるならば形の説明文章でしている可能性がある

また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない

ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる

神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別

例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか

似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ

トランプハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説

それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか

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■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる

直接的な物証発見できず

しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた

(余談だがアサガオヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ階層分類体系は偉大っすなあ)

であれば別の植物の葉の形で例えるのがまあ自然か……

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

→これは猪目、家紋で描かれるカタバミや葵あたりが該当

芋って家紋モチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)

♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念存在しない……か?

猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)

からこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html

トラバ言及いたここに詳しい(情報提供感謝

調査がひと段落したのでクローズ

2024-03-23

テロの人たち

コンサート見にきてるような

市井の人達を殺して何が変わると思ってんだろう。

目的がよくわからない。

言うことで聞かないとやっちゃうからね!こう変えて!

ならわかるけど

すでにやっちゃってから

僕たちがやりましたーーー!って

テロリズムって全く理解できない。

2024-03-07

ひらがなに騙されないように難読漢字を読む練習

わ…婉曲

し…漸く

あ…忽ち

そ…早急に

ぼ…凡例

い…逝去

き…訃報

て…定石

い…市井の人

け…権化

よ…暫く

2024-02-24

anond:20240224224816

そうならないために慎重かつ理性的姿勢を見せるべきって意見で、かつ自分作家としてその姿勢を見せてるのだと思ったけどな

ネットいうかXでは大きな問題になってるように見えるけど多分そこまでフェミニストの力は強くない気がするよ

でもやり方によっては話題が拡大して自らそれを名乗ってる人以外の市井の人の目にもさらされるわけでね…今回のはこの人にとっては決断をするに足るレベルの話だったんじゃないかな、知らんけど

2024-01-19

アニメ主題歌漫画本編に逆輸入された「ぼくらの」

ぼくらのOP主題歌アンインストール」は当時ネット流行ったので、本編は知らないけど歌だけ知っているという人も多いだろう

EDLittle Bird」はOPと同じく石川智晶が歌った

歌詞は「道しるべとなる枝をくわえて その足下に落としてあげよう 向こう岸にいるあの子が迷わぬように」から始まる

原作半ばでのアニメ化のため途中からオリジナルルート突入したが、原作ではその後にED歌詞逆輸入され、作中で歌われた

見開きのページで大きく歌詞が書かれ、おっさんが歌うのである

ぼくらのロボット作品である

15人の少年少女(うち14人は中1、残り1人は小4)が、未知の巨大ロボット契約し、謎の巨大な敵が現れるたびにパイロットとなって戦う

なぜ15人も必要とするかといえば、1回駆動するごとに1人の魂をロボのエネルギーとして消費するからで、毎回子供たちが死んでいく

通常ロボットアニメのロボは数十メートル級だがぼくらののロボは500メートルで、デカイので普通に戦うだけで市井の人たちをガンガン踏み潰してしま

「ロボとの関係子供たちだけの秘密」ということにしていたが、戦闘5回目ぐらいで軍人の娘が耐えられなくなって父に全部打ち明けて子供たちは政府監視下となる

ぼくらの舞台日本だが、アメリカへ反乱を起こして自衛隊ではなく日本軍に変わっている世界である

歌うおっさん軍人であり、30代ぐらいで優しいお兄さんという感じで戦闘随行し、子供たちの世話を焼く

おっさんは「アイドル防衛隊ハミングバード」を見たのがきっかけで軍人になり、若干アニオタ気質がある

後ろの方の戦いで、敵はロボットに多数の針のようなものを刺す攻撃をした後で飛んでどこかに消えてしまった

ロボットは飛行能力はなく後を追えない

やがて、敵はハワイ沖にいることがわかった

針をGPS装置みたいにする能力によってロボの位置マーキングした上で、遠距離からロボをレーザービーム攻撃する作戦だった

ロボ側にもそういう能力はあるが敵をマーキングできてないので一方的攻撃を受ける

コックピット内と外への瞬間移動が可能」「戦闘パイロットは外へ逃げられない」「パイロットは近しい人をGPS装置みたいに遠くにいても認識できる」

このようなルールの上でおっさんが立てた作戦は、パイロットの世話を焼く近しい人であるおっさんを敵のそばに瞬間移動させ、おっさん位置を目印にしておっさんもろとも敵をビームで倒すというもの

そうしておっさんは、露骨マーキングではなく調査班のようなふりをするために他の軍人数十人と共に敵の足元に飛ばされる

おっさんたちを殺さないといけないことに苦しむパイロットのもとに、「なにかのアニメの歌」を歌うアニオタおっさんの声が通信で聞こえる

それが「道しるべとなる枝をくわえて その足下に落としてあげよう 向こう岸にいるあの子が迷わぬように」で、その歌と共におっさん死亡

もう一度アニメ化してこのくだりをやってくれ

2024-01-05

[]1月4日

ご飯

朝:なし。昼:なし。夜:マクド。間食:チョコハッピーターン

調子

むきゅーはややー。13連休9日目。

魔法使いの夜

・前提

僕はタイプムーン作品インタビューなどを網羅的、横断的に追うことはしておらず、本作品以外の情報仕入れていないので何か過不足があった場合それは悪意ではなく無知なので、ご指摘していただければと思います

・はじめに

奈須きのこの未発表小説として度々インタビューなどで言及されていた作品を元にしたノベルゲーム

1980年代後半、町の発展が進む三咲町舞台に、そこを魔術的な意味管理する蒼崎青子久遠寺有珠が、山から降りてきた純朴な静希草十郎と出会うことから始まる、公称ジャンルジュブナイルストーリー

ノベルゲームながら静ではなく動を意識したルックがめちゃくちゃすごかった。

ストーリー伝奇物のバトルシーンの痛快さに、衒学趣味たっぷりの小難しいパートと言ったエンタメらしい部分と、山から降りてきた少年目線で見た都会の息苦しさとそこに住む市井の人々の魅力を情緒たっぷりに読めて非常に面白かった。

群衆劇めいた部分が強くあるわけでもないのに、町そのもの主人公のように思えるのも印象深い。

そして、タイプムーン作品として横断的な言及必要となる第五魔法を巡るエピソードも、この作品を点だけ見ても面白いと、どこを切っても面白しかないすごく大好きな作品だ。

・凝られたルック

まず目を引くのが真正面以外の立ち絵と背景を利用した多角的ビジュアル

ビジュアルノベルという立ち絵と背景で構成されたゲームながら、様々な表現でそのときそのときのシーンに応じた絵作りをしている。

大量のスチル絵を用意しているのではなく、背景と立ち絵の組み合わせでカットごとの構成を魅せる作りは圧巻。

かい動きがあるシーンも多く、常に動き続けるアニメよりもむしろメリハリが効いて効果的とまで思える。

ヒロイン達がおでんを食べる何気ないシーンですら、たっぷり工数がかかっている手の凝り様で、終始飽きずに楽しめた。

伝奇物らしいバトルシーンの魅力

そんな絵作りが特に生きるのが、伝奇物をベースにした魔術バトル。

魔力を打ち出す蒼崎青子童話怪物を具現化する久遠寺有珠などの、特徴的な戦闘描写がスチル絵一枚だけでなく、それぞれのパーツが効果的に動きの演出で魅せてくれるのが楽しい

特に久遠寺童話怪物にまつわるエピソードは非常に魔法使いの夜らしい映像映えするシーンの連続で、バトル面での活躍では大好きなキャラクタになった。

ビジュアル面だけでなく、作中の魔術が一定ルールを持ったものであり、それを打ち崩すために知恵も使う展開があるのもとても良い。

最初の山場である久遠寺率いるフラットスナークの居場所にまつわる幾つかのシーケンスは、ビジュアルノベルらしさが光るシーンで、ここで一気に伝奇バトルパートも好きになれた。

衒学趣味パートの小難しさ

そのように魔術バトルはルックだけでなく、テキストでもたっぷり楽しめるのだけど、伝奇物らしく衒学趣味らしい解説パートも沢山楽しめる。

ここはタイプムーン作品として色々な作品と繋がりがある部分らしく、新参者としては全てを理解できなかったのが惜しい。

しかし、そんな小難しいパートは、主人公の静希草十郎は田舎から出来てきた魔術を何も知らない青年であるため、彼の目線でわからないものはわからないとしてストーリーを楽しめたのも良く、入門にはピッタリだったかもしれない。

作中で何度もわかるところだけわかればいいと繰り返されているので、ある程度はそういうものとしてフワッとした理解のまま読み進めれた。

とはいえ、要してしまうと、その様な設定の妙を直接的に理解することよりも、それらの設定が魔法使いの夜視点人物の一人静希草十郎の理解を進めるための要素になっているのが面白さの重要な点だった。

・街に馴染めない田舎者の情緒たっぷり

から降りてきた静希草十郎は町の常識が何もない。

電話すら知らないという導入だが、本当に何一つ知らないらしく、貨幣概念に関心するぐらい常識から外れた人間

彼の目線物語は進むのだけど、この点は情緒たっぷりで読んでいてひたすらに面白くて、一番好きな部分だ。

街に馴染めず田舎を恋しく思うのだけど、それでも街を理解しようと試行錯誤色々と模索していく様が面白い。

アルバイトを頑張ったり学生生活を頑張ったりといった日常的なパートと、魔術を使った伝奇バトルなパートが、同価値の未知さで描かれている彼の特異さあってこそなのが面白い。

ここがとても楽しくのめり込める。

作中の世界では魔術は秘匿するもので、魔術師と呼ばれる特異な人たち以外はその存在を知らない。

また魔術師達は独自価値観で生きており、一般人とは生死の考え方からして大きく異なっている。

そのため、蒼崎青子はまだ日が浅いながら自身魔術師として律して一般人とは異なる価値であることを強く主張する。

しかし、山育ちの草十郎にとってみれば、町に住む大勢人間そもそも価値観が合わないのだから、当然魔術師とも合わない。

これが皮肉の効いた良い情緒的な描写になっていて、たまらなく面白かった。

自身特別視するキャラにそうでないよと悟らせるような読み方もできるのだけど、そうではなく、近代化していく町と同じように人の思想価値観も移り変わって行き、変化することは当たり前で、青子が魔術師になるような大きな変化は確かに希少だけれど、大なり小なりあるものだと思わせられる丁寧な描写が続く。

この丁寧さは本当にしっかりしていて大好き。

発展して近代化する町を、何も知らない山から降りてきた純朴な少年の目で描写する。

そこに伝奇物としても作者独自の設定を、同じように未知のものとして紛れさせる。

そうすることで、ヒロインの特異な価値観すらも並列に扱え、二人のジュブナイルが瑞々しい読感になるのが素敵だった。

そんな価値観を相互理解しようと、様々なエピソードが尽くされており、コメディありバトルあり衒学趣味あり情緒的なただの日常ありと、一貫してこの点に着目した文量が費やされているのも好きだ。

・魅力的なキャラクタ

主人公以外にもメーンヒロイン二人蒼崎青子久遠寺有珠を筆頭に沢山の魅力的なキャラが登場する。

個人的に気に入ったのは、青子の姉であえう蒼崎橙子とその姉弟子の周瀬律架の二人。

絡みのあるシーンはワンシーケンスのみだが、印象深くもっとこの二人の絡みが読みたかった。

なお周瀬律架が本格ミステリを好んでいる設定も面白く、番外編での推理をしたがりゴネるパートの可愛さは一押し。

三咲町

キャラクタにばかり着目したが、本作の真の主人公は町そのものだった。

群衆劇ではありがちな感想になるが、本作は主な視点人物は二人の三人称視点なので、色々な登場人物いるから街が主役だと感じるのではない。

相互理解必要な多様な価値観が生まれるには、生きていくだけでない余暇が生まれる町があってこそだからだ。

田舎自給自足でも物々交換でもない、町の資本主義貨幣経済が発展することで、はじめて彼らが自身独自価値観を持つことが出来、伝奇物らしい魔術師という独自価値観さえもその一種にすぎない。

から、草十郎と青子の二人が相互理解を深め、それでもまだ理解し合えない魔法使いの夜の主役は町なんだと思った。

・謎を残す蒼崎の魔法

そんな特異な魔術師の中でも更に異端魔法使いの青子。

彼女が使う蒼崎の魔法は全容が明らかにならないまま終わっている。

消化不良なわけではなく、草十郎よろしくからないものはわからないまま理解をしたので、作品として不満があるわけではない。

ただ、作品を通うじて、価値観の相違と理解、それが生まれる土台には住む町の文明化が進むことが不可欠である主張などから、人の関係値をエネルギーに変換するみたいなことかなあと思いました。

・おわりに

ビジュアルノベルとしてルックテキストの両面が優れており、ジャンル代表するような世間一般評価も納得だった。

ストーリーも発展が進み近代化していく町で、それについていこう理解していこうと草十郎が試行錯誤するパートがよかった。

彼にとって、伝奇パートにおける魔術も、日常パートにおける電化製品乗り物も同じぐらい未知の物なのが、よくできた設定で面白く読めた。

非常に面白く大好きな作品でした。

2024-01-04

追記】暇空は左翼理想

こういう事を書くと発狂する増田ブクマカは多いと思うけど

バイアス抜きに客観的事実だけを抜き出せば本当にその通りで笑えるのが俺なんだよね。


・ふとしたきっかけで公金の使われ方に疑問を持ち、調査した所大規模な不正疑惑が発覚

相手政治的なバックを持つ権力者であり、疑問を追求した者に恫喝めいた嫌がらせを行う

権力者側と戦う為に住民訴訟を起こし、様々な人間を巻き込み広範囲拡散していく

・リア凸や個人情報晒し等の野蛮な妨害を嫌い、あくまでも正しい戦い方、リーガルのバトルのみで正々堂々と戦う

政治的なバックは一切無く、戦う為の資金は自前や支持者のカンパのみ

・戦う事による報酬は一切求めないお金に対しては清廉潔白姿勢


報酬を得る事無く自前の資金市民からカンパという浄財で

横暴な権力者と戦う一般市民活動家というヒロイックな像は、まさしくリベラル理想のものである


かのアカデミー賞受賞映画新聞記者」も、筋書きとしては

「巨大権力者に疑問を持った市井の人間が立ち向かう」というものだったけど

今暇空がやっている事を、どこぞの自称新聞記者女性では無く、

本当にただの一般市民しかオタクオッサンに盗られた事が非常に悔しいんだろうな。


暇空批判には、どうにもヒステリックだったり感情的過ぎるもの散見されるが

中には「本当は俺たち私達がやる筈だった事・得られる筈だったポジションを奪いやがって!」

という嫉妬も多分にあるのだろう。



[追記

案の定極左はてサブクマカ連中が発狂してるみたいだけどw(どこで火ぃついたか知らんけどさ)

1バイトも書いて無い「暇空を左翼押し付けやがって!」みたいな文脈を起点に「これは負けそうだから云々~」ってゲスパーするのは正気なのだろうか。


この増田で言いたいのは、「暇空は左翼と同じ(且つ理想としている様な)手法権力者側と戦ってるのに、どうして自称左翼は毛嫌いするんだ?」という皮肉ですよ。

ここまで書かないと分からないものかね?いや分かってて敢えて激怒しているだけなのかな?知らんけど。


左翼が使ってた武器を反左翼が使った」というのには同意

ってか暇の人は反左翼ではあるかも知れないが右翼でも無いとは思う。

安倍首相が亡くなった時、相棒と一緒にアベ擦りしててすっげー不愉快ブロックしたもの

俗に言う「ネトウヨ」だったらそんな事しねーよな?って事で。


個人尊敬するに値しない人物なのは百も承知なのだが、権力側に与した自称リベラル界隈へのカウンターとしてあの様な人物(勢力)が現れるだろうな

というのは予期していた事だったけど、既存左翼はどう反応するのかなーと高みの見物してたら案の定で笑ってしまったわw

もうちょっと、冷静で賢い識者の振りが出来ないものかね。ヒステリックに「お前みたいな人間には市民活動をする権利など無い!」と言わんばかりの言動はどうかと思ったよ。

オンブズマンでもないのに住民監査をした、リーガルハラスメントである」みたいな物言いとかさ、あれを一般オンブズマン左翼親和性のある人達が同じ事されたら一体どう思うのか、よーく考えた方が良いのでは?


まさか「我々の行為は正しいか問題無い、暇空のは間違っているかNG」とは言わないよね?

そういう姿勢から左翼リベラルが腐った権威象徴に成り上り傲慢で腐敗していったし、その結果、市井市民達に引きずり降ろされようとしているのが今でしょ


[追記2]

現代左翼は一昔前の所謂ネトウヨ」化しているという事は、暇空個人に対する人格属性批判、単なる誹謗中傷が「反論」として目立つ点で改めて感じた。

何故ロジカルに「暇空のやっている事は~~~~という理由から左翼理想等では無い」という反論が出来ないのか。

暇空がミソジニーから悪い?まず彼が「ミソジニー」という根拠を上げてから言えば良いのに。

(個人的には奴は間違ってもフェミじゃないしアンチフェミ寄りだとは思うが、ミソジニー女性差別主義者、とまで言われる程強烈な差別思想言動があるとも思えない。

ミソジニーに限らず、ネトウヨだのヘイトだのナチスだの◯アノンだの、重いパワーワードを平気で相手にぶつけてレッテル貼る事で言葉定義ガバガバに軽くなってしまうのは、現代左翼非常に悪い特性だろう。)


結局、やってるのが一般男性でオタク中年から正義では無い、みたいな言説にしかなっておらず、現代左翼の悪い癖がそっくりそのまま出ていますね。

まるでネトウヨが「〇〇人のやる事は全て悪いんだー!」と叫んで差別をしているかの如き乱暴な主張だ。

恐らく一昔前の所謂ネトウヨやってた人間が、反転か逆張りして左翼リベラル自称して騒いでるのが、現代左翼リベラルが「ネトウヨ的」と呼ばれる理由の一つなのだろう。

そしてそんな彼らからネトウヨ」と呼ばれる集団から、従来の左翼リベラル手法社会活動を行う者が現れたというのは、何とも皮肉ものですね。

2023-12-30

暇空茜はリベラル理想像だった

こういう事を書くとマジ切れ発狂顔真っ赤になる人達いるだろうけど

バイアス抜きに客観的事実だけを抜き出せばマジでその通りなんだよね。


・ふとしたきっかけで公金の使われ方に疑問を持ち、調査した所大規模な不正疑惑が発覚

相手政治的なバックを持つ権力者であり、疑問を追求した者に恫喝めいた嫌がらせを行う

権力者側と戦う為に住民訴訟を起こし、様々な人間を巻き込み広範囲拡散していく

・リア凸や個人情報晒し等の野蛮な妨害を嫌い、あくまでも正しい戦い方、リーガルのバトルのみで正々堂々と戦う

政治的なバックは一切無く、戦う為の資金は自前や支持者のカンパのみ

・戦う事による報酬は一切求めないお金に対しては清廉潔白姿勢


横暴な権力者と戦う市井一般市民というヒロイックな像はまさしくリベラル理想のものであり

こういったドラマ映画・劇は割とありがちなテンプレート

リベラル界隈(の間だけ)で持て囃されていた、かのアカデミー賞受賞映画新聞記者」も

筋書きとしては「巨大権力者に疑問を持った市井人間が立ち向かう」というものだったけど

今暇空がやっている事を、どこぞの自称新聞記者女性では無く、

本当にただの一般市民しかオタクオッサンに盗られた事が非常~~~~に、悔しいんだろうな。


暇空批判には、どうにもヒステリックだったり感情的過ぎるもの散見されるが

中には「本当は俺たち私達がやる筈だった事・得られる筈だったポジションを奪いやがって!」という

一方的且つ身勝手嫉妬もあると思うよ。

2023-12-29

市井の人が一矢報いる正当なやり方を知りたい

実体験だけど、痴漢にあって警察通報しても何もしてもらえなかったり、上司セクハラされて役員に言っても総務に言っても誰も助けてくれなかったり。

こういう体験子供の時も成人しても何度も経て学んで、週刊誌とか海外メディアとかガレソで告発しないとどうにもならないという認識になるんだよな。規律法律ちゃん犯罪権力に立ち向かえる成功体験が重なってたらこういう認識にはならない。

2023-11-28

ジャニーズ崩壊始まったな……

当事者の会の橋田康スマイルアップの補償に月内に合意の見通し。

 

これに対してネット意見は「素晴らしい姿勢」と賛の意見大勢を占めている。

特に当事者の会のトップ層の「理外の補償要求」に、

一般人は「結局金やんけ」と嫌気がさしているところに

金じゃない。被害を認めてもらい、今後この事件を風化させないようにしていきたい。

というバランス感覚に優れたコメントは絶賛されている。

 

おそらくこの件は引っ張れば引っ張るほど、お互いの印象が悪くなるだけなのだ

スマイルアップ側からは既に補償の内容は提示されている。

もろちん、被害者側に所属証明しろとか意味不明なことを求めていたり、十全ではない。

いや返品対応じゃねーんだから、お前のところのタレント管理どうなっとんじゃ。

それはそれとして、これ以上、当事者の会が補償条件よりも補償内容で引っ張れば

今以上に当事者の会に対する風当たりは強くなっていくのは想像に難くない。

元ジャニーズファンではなく、ピーピー言いながらその日暮らししている

市井の人からの風当たりも強くなる。

 

たぶん、今回の橋田康補償合意に対する反応を見て合意に動き出す被害者は少なくないと思われるが

当事者の会の特にトップ層はそんなことをされては足元を見られるので非常に困る。

被害者同士で足の引っ張り合いというか綱引きが始まる。

2023-11-26

anond:20231126115335

ネッシーなんかは捏造って分かってから実在しないってなったよね(今でも探すイベントはあるけど)

ユニコーンドラゴンはそういう捏造系ではないから、ある日突然「いない!」となったわけじゃないだろうし、徐々にいないと感じるようになったんじゃないか

そのきっかけは、やっぱり航海技術が向上して、各大陸を回ってもいないと分かったくらいかなと思う。だいたい17世紀まで。

市井の人がどう思ってたかは、たとえばゆにこーんに言及してる過去の文献を漁るしかなさそう

すごい地道で大変な作業だね

伝説の生き物、例えばユニコーンドラゴン

どうやら実在しないようだぞと人々の考えが変わったのはいつ頃の出来事なのだろう

これらは大昔は実在していると信じられていたはずだと思うのだけど

これを調べようと思ってもなかなかいGoogle検索キーワードが思いつかない

もちろん伝説の生き物それぞれでその時期は異なるだろうけれど

例えばユニコーン、イッカクやセイウチの牙がユニコーンの角として売られていた時代

獲る側売る側はともかくとして、買う側はユニコーン実在を信じて買っていたはず

江戸時代にイッカクの牙がユニコーンの角として輸入されたとWikipediaにある

じゃあだいたい1600~1900くらい……ちょっと期間が広いが

世界がだいたい探索されたくらいで人々の考えが変わったのかな~と予想していろいろぐぐっている

世界が探索されたANDその結果を人々が広く知ることが出来る時代……

北極南極到達競争とか山の初登頂を競ってた時代らへんか?

ちょっと確信を持てる情報がなかなか引っ掛からない

しか実在が信じられていたといってもどのレベルわからん

現代ツチノコくらいの温度感で「多分いないけどひょっとしたらいるかもね」なのか

前人未到の地にはきっといる」「遠き異国にはきっといる」くらいの温度感なのか

「昔はいたけど今は数が減って見なくなったらしい」くらいの温度感なのか

こういう「当時の市井の人々がどう思っていたか」って調べるの難しいなあ

日記

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ひとつ方法を思いついた

昔の動物図鑑的な文献にユニコーンなど伝説の生き物の記述があるかもしれない

その記述実在する動物であるという体で載っているかどうか

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以下の本を読む

『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジー誕生amazon在庫あり、近隣の図書館に蔵書あり/20231128時点貸出中

ヴィジュアル一角獣の文化史百科』amazon在庫なし、近隣の図書館に蔵書なし、近隣の紀伊国屋書店在庫僅少

amazonプレビューで見れる範囲を見る限り、昔の人々がどのように幻想生物認識していたかが書かれているかもしれないと少し期待できる

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メモ:関連して「昔は虹が生き物だと認識されていた」についても調べる

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メモ:関連して「昔の人は月にウサギがいるとマジに信じていたのかどうか」についても調べる

おそらくそうではない 勘

言い換えると「昔の人は月を何だと思っていたのか」

昔の日記に同様の疑問を書いたまま調べるのを忘れてしまっていた

いい機会なのでまとめて調べよう

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ヴィジュアル一角獣の文化史百科』を買った

素晴らしい本だ、少なくともユニコーンについて疑問が氷解した

考えをまとめるために読書ノート的に日記に内容をまとめてもいいかもしれない

2023-11-21

anond:20161218031848

ロックスターが一番資本家奴隷になるからロックスターはみんな資本家攻撃するんだよ

なに地下ドルあつめるヤクザみたいな薄っぺら~いことぬかしとんねん

市井の人々が一番偉いねんでアホが

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