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2024-11-20

シロクマ先生記事の書き方は、齋藤知事パワハラと同じである

インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。

シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります

もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。

シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事パワハラと全く同じです。

追記

皮肉が良くないと受け取られてしまったため、本記事趣旨追記します。

まとめると、「選挙民を馬鹿にし、自己批判は無く、現状を嘆き、陰謀論で締める」のは、インテリ層の振る舞いとして最悪なので即刻止めるべき、です。

シロクマ先生記事が、善意から皮肉と言う形で選挙民に気づきを促すという趣旨で書かれていたとしても、それは理路として齋藤知事パワハラと同じ構造を持つ、

"良い民意"を持つシロクマ先生が、"悪い民意"を持ってしまった相手を変えてあげようという意図をもって記事を書いたのであれば、その手法は、パワハラ正当化する構造と同じですよ、という指摘です。(そんな意図ではない、そういう文脈ではない、よく読めばわかるはずだという反論をされないために、具体的に個別例を挙げています

皮肉からは悪意を感じ取るのが通常の感性ですし、悪意を感じ取った相手嫌悪感を覚えることはあっても好意を持つことはありません。その結果、より立花氏に優位になる記事になっていますよ、という意味です。こういう記事表現の積み重ねが、立花氏の活動を補助しています

皮肉とは、「悪意ある民意との記載にそうだそうだと同調するキミら(私も含む)は、動画コメントした彼ら彼女らよりも選挙に至るプロセス理解していただろうか?」という、自己批判もしくは悪い感情を持っているぞと伝えたい相手(例えば齋藤兵庫県知事)にするべきです。

追記ここまで。

シロクマ先生記事のうち、記載を改めるべき箇所

インターネット民主主義が加速して良かったですね

ビバ! デモクラシー

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800

斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。

https://mainichi.jp/articles/20241119/k00/00m/010/159000c

小学生を含めて(個人的感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。

インターネット民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。

以下、具体的に指摘します。

民主主義が三度の飯より好きな人には、ともあれ好ましい選挙だったのではないだろうか。

「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。

なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しまたか

今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。

他の支持者との一体感体験やすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。

自分は、いいねシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?

なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現しまたか

他人選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。

SNS動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸コメントでも、論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判非難コメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったか重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。

「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったか重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?

どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?

なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?

他人コメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

それらは従来型のマスメディア機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。

「それらは従来型のマスメディア機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネット機能した結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?

もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディア機能とは異なり、より積極的他人干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?

従来型のマスメディアを超えることによるなにがしか危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?

「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネット貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか

その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。

みんな投票選挙活動に参加できて良かったですね

投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?

馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。

単独文言では無く、前後文脈から、この文章を読み取った相手が「投票選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?

「なるほど、コイツインターネット情報収集したり、いいね応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?

真摯相手人格尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います

インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的必要不可欠なことでしょう?

段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。

民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。

その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。

(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)

民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?

前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度限界だ」としか読み取れません。

それ以外の意図を持つ文章として文脈構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。

(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねますナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定了解があるはずです)

いまどきの民主主義理念を作り上げた人というと、ロックルソージェファーソンといった近世近代思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆選択までもが民意フィードバックされる民主主義想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?

少なくとも、ジェファーソン名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。

このall men (すべての人々)に、大衆シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。

トーマス・ジェファーソンが、いかマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、

ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままで不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。

彼らが、貴族選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民奴隷犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。

(その後の段落は、シロクマ先生想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います

個別選挙結果が未来制度設計材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義ドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。

この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。

ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。

(私はそれをアリストラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います

「ただし、制度設計改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?

「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。

未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。

また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか

なぜ齋藤知事パワハラと同じである

シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。

これを、面白おかしものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)

ただ、それはパワーハラスメントと全く構造が同じです。

パワハラをする側にとって、されたもの右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。

齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくした」と表現しています

知事時代パワハラ問題視した人は、この「業務上指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法問題があったのだと認識しているはずです。

愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これから社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います

その意味で、シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています

そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。

バカだと呼んだのは立花であるとか、選挙 Permalink | 記事への反応(24) | 13:00

2023-08-06

紙の辞書を買った

買ったのは新明解国語辞典(8版)

別に辞書趣味ではないが言葉を扱う機会が増えてきたので索引先を明解にするために買った

辞書的な意味ではこれはなんというのだろう、ということを日々考えていたので今更ではあるが

これとは別に10年位前に当時の会社上司や先輩から紙の辞書を勧められていたのを思い出す

ただし彼らは別に辞書のものを愛用していたり実際に所有・使用しているわけではない

たんにネット検索している自分への当てつけに言ったに過ぎない

いわく「紙の辞書だと雑学が深まる」「ネット検索しても紙のような発見はできない」のだそうだ

当時は鼻で笑っていたがそれも一理あるとは感じていた

だけど勧めている人が別に辞書に興味を持っていない時点でその言葉には大した重みはないと感じる

辞書書籍は単なる知識の塊でしかないので使っている人にのみその恩恵がある

読書は単に知識材料提供するだけである。それを自分のものにするのは思索の力である。』

イギリス哲学者 ジョン・ロック

2023-01-04

フェミニズムリベラルじゃなくないか

リベラリズムって自由生き方選択できることを後押しする思想だと思うんだよね。ジョン・ロックなんかは愚行権肯定していたわけで。

個々の特性に合わせたライフスタイル選択できる社会は望ましいけど、違う価値観を認めないのは問題と思う。政治的な正しさ規定され、はみ出るものは抑圧されるというのは反リベラルだと思うんだよな。

2022-11-08

勤労を美德する考えの起点がジョン・ロック以降に生まれたとか面白いですね。

デヴィッド・グレーバー読んでみます

既に亡くなってるとは...

https://anond.hatelabo.jp/20221108020558#

2021-08-05

抵抗権ってインターネットポチポチすることなん?

抵抗権ってフランス革命とかアメリカ独立戦争のことを指すものだと思ってたけど、

今はネットポチポチ政府批判することが抵抗権なん?

ジョン・ロックに見てもらいたいもんだ

2020-06-26

anond:20200625144805

あくまリベラリズム派生であるネオリベラリズムと、リバタリアニズム全然系統思想

リベラリズム」は最初ジョン・ロックアダム・スミスを元にする(消極的な)経済的自由個人的自由をともに重視する思想だった。

20世紀になり、積極的自由のために市場への公的介入や財の分配を許容する福祉国家的、社会市場主義的な「ニューリベラリズム」が派生し、

次第に優勢になるにつれて名前から"ニュー"が外れて「リベラリズム」と呼ばれるようになった。

その後、「リベラリズム(ニューリベラリズム)」に対して個人自由市場原理を再評価し、経済的自由制限を緩和する方向として「ネオリベラリズム」が派生した。

1930年代戦後期に「リベラリズム」という言葉が指すものが今で言う古典的自由主義から社会自由主義へと変化した後で、

1960~70年代古典的自由主義を基礎とする消極的自由を尊ぶ思想が再興した際に、積極的自由を尊ぶ社会自由主義(現代リベラリズム)との混同を避けるためにリバタリアニズムと呼ばれるようになった。

アメリカでのリバタリアン党結党1971年

という歴史認識一般的だろう。

まり、今の言葉歴史を書くと、リバタリアニズム(古典的自由主義)→リベラリズム(社会自由主義)→ネオリベラリズム(新自由主義)という流れで同じ系統思想

(ただし、現状のリバタリアニズム古典的自由主義に加えて最小国家主義無政府資本主義の大きく3つの派閥に分けられて、後ろの2つは社会自由主義よりも年代的には新しい)

もっとも、消極的自由を尊ぶ古典的自由主義積極的自由を尊ぶ社会自由主義は、同じ"自由"という言葉を使っていても思想根拠全然うから

リベラリズム」の中で古典的自由主義社会自由主義に変化したのではなく、

社会自由主義という全く別系統思想古典的自由主義からリベラリズム」という名前を奪ったという認識であれば、

リベラリズムネオリベラリズムリバタリアニズムとは別系統という言い方も出来なくはない。

が、多数派とは言えないかな。

【参考】

https://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/3S/si_neo_liberalism.html

自由主義 https://ja.wikipedia.org/?curid=1889353

古典的自由主義 https://ja.wikipedia.org/?curid=1004464

社会自由主義 https://ja.wikipedia.org/?curid=1061153

2017-10-22

リベラリズムって、単に経験主義や「科学主義」のことなんじゃないの

昨今、議論するほど取っ散らかって、結局ちっともまとまらないリベラルとは何か、ということについて

皆さん自由はもちろん、権利や、公正や、分配のことだと言うんですよ。でもね、それって本当にそうですか?そもそもなんでそんな考えが出てきたんですか?

遡るとリベラリズムジョン・ロックという人に行き着きます。ここまでは普通です。彼はイギリス経験論の人でした。そう、この時代までに経験哲学が生まれ、同時にそこから近代科学誕生したのです。

ロック氏は経験論を根拠に、国王統治権王権は“神”に与えられたものではなく、各人の持つ自然権を守るために委任されたものだ、という思想発明します。これがリベラリズム誕生です。本当です。

これってさ、科学じゃん。観測に基づいた帰納と仮説じゃん。リベラリズム自由の生みの親は、経験主義科学思考方法論なのです。

ブコメなどから社会契約説元ネタ聖書である、だから信仰一種である科学ではない)とのご指摘がありました。

私はこの時代科学宗教を、そんなに区別していませんでした。ガリレイキリスト教の“異説”を唱えたキリスト教徒であり科学者です。経験主義の祖のベーコンキリスト教徒です。

なので、ロックプロテスタント(だから王権神授説の異説を唱えた)であり社会科学者のプロトタイプなのではないでしょうか。

(続き)ロックから始まるリベラリズムは、この仮説をもとにして以後、市場経済功利主義ロールズ正義や公正などを発明していきます。また、自由科学知識をもった者は産業革命を担い、社会そして個人生活科学技術的に豊な方へと変えいきました。

でも私は思うんです。いつの間にが、現代リベラリズムからは「科学主義」が失われているんじゃないか自由のための公正や分配もいいけど、まずそれらを科学的に考えることがリベラルなんじゃないか

リベラリズムの遠戚である共産主義には、最初科学がありました。そしてその頃までは栄えていました(笑) これはリベラリズムにも言えて、現在低調と言われたりするのは、科学手法科学技術を援用し政治することが足りてないからなのではないのか!?

翻って日本リベラルを見てみると、どう思いますか。あれ、自民党の方が「現代経済学に根差し金融政策」してませんか?なんで理系ギーク系が自民党支持なんてすか?自民党リベラルと言うのは、なしです(笑)

日本、または世界リベラルが低調なのは、きっと保守科学手法を上手く使われているかなのだと、私は思いますリベラル革新的な利点そのものが無くなりますからね。必ずしもナショナリズム感情時代から、ではないのです。マイナンバー制度の根幹はIT技術です。IT技術であるツイッター世界でも保守言論がよく使っています

からリベラルは、ごちゃごちゃとリベラルとは何だなどと議論する前に、現代科学議論に基づいた政策と、科学技術振興策を取ってください。

そして物理科学社会科学者と科学技術者の信頼を取り戻し、本来科学進歩的リベラルに戻っていただきたい。 枝野さん、お願いしますよ。

2015-04-17

世界史人物概覧

世紀
前6孔子(前551儒教の祖)
孫子(前544・『孫子』著者)
前5釈迦(?・仏教開祖
ヘロドトス(前484・歴史の父)
ヒポクラテス(前460・西洋医学の父)
プラトン(前427・哲学者
前4アリストテレス(前384・万学の祖)
アレクサンドロス大王(前356・マケドニア王)
前3アルキメデス(前287・古代最大の数学者
始皇帝(前259・最初中華皇帝
劉邦(前256・漢の高祖)
ハンニバル(前247・包囲殲滅戦術確立
前2司馬遷(前139・『史記』著者)
前1カエサル(前100・ローマの終身独裁官
ウェルギリウス(前70・ローマ最大の詩人
オクタウィアヌス(前63・ローマ帝国の初代皇帝
イエス(前4・キリスト教開祖
1プトレマイオス(83・天文学者
2ガレノス(130・古代医学確立
張仲景(150・医聖)
曹操(155・三曹の一人)
3
4王羲之(303・書聖)
アウグスティヌス(354・古代最大の神学者
5アッティラ406・フン帝国の王)
6ムハンマド(570・イスラム教開祖
李靖(571・『李衛公問対』)
李世民(598・唐の第2代皇帝
7
8アブー・ムスリム(700・アッバース革命立役者
李白(701・詩仙)
杜甫(712・詩聖)
カール大帝(742・フランク王国
9
10フェルドウスィー(934・『シャー・ナーメ』著者)
イブン・ハイサム(965・光学の父)
イブン・スィーナー(980・アラビア医学を体系化)
11
12朱子1130・儒教の中興者)
サラディン1137・アイユーブ朝開祖
インノケンティウス3世1161・教皇権最盛期のローマ教皇
チンギス・ハン(1162・モンゴル帝国の初代皇帝
13トマス・アクィナス1225・『神学大全』著者)
ダンテ1265・イタリア最大の詩人
ジョット(1267・西洋絵画の父)
14羅貫中(?・『三国志演義』『水滸伝』編者』)
イブン・ハルドゥーン(1332・『歴史序説』著者)
ティムール(1336・ティムール朝建国者
ヤン・ジシュカ(1374・マスケット銃を使用)
グーテンベルク(1398・活版印刷発明者)
15ジャンヌ・ダルク(1412百年戦争聖女
コロンブス(1451・アメリカの再発見者)
ダ・ヴィンチ(1452・万能の天才
ヴァスコ・ダ・ガマ(1460・インド航路開拓者
マキャヴェッリ(1469・『君主論』著者)
ミケランジェロ(1475・芸術家
マルティン・ルター(1483・宗教改革
スレイマン1世(1494・オスマン帝国最盛期の皇帝
16エリザベス1世(1533・アルマダ海戦に勝利)
セルバンテス(1547・『ドン・キホーテ』著者)
ガリレオ(1564・科学革命の中心人物)
シェイクスピア(1564・イギリス最高の詩人劇作家
グスタフ・アドルフ(1594・三兵戦術確立
デカルト(1596・合理主義哲学の父)
17ルイ14世(1638・絶対王政最盛期の王)
ジョン・ロック(1632・イギリス経験論の父)
ニュートン(1642・科学革命の中心人物)
康熙帝(1654・清の第4代皇帝
バッハ(1685・音楽の父)
18オイラー1707・数学者
曹雪芹(1715・『紅楼夢』著者)
アダム・スミス1723・経済学の父)
カント1724・哲学者
ワシントン1732・アメリカ初代大統領
ワット1736・蒸気機関の改良)
ラボアジェ1743・近代化学の父)
モーツァルト1756・音楽家
ナポレオン1769・初代フランス皇帝
ベートーヴェン1770・音楽家
ガウス1777・数学者
クラウゼヴィッツ1780・『戦争論』著者)
スチーブンソン(1781・鉄道の父)
ファラデー(1791・電磁気学の父)
バベッジ1791・コンピュータの父)
19ダーウィン(1809・進化論提唱
ポー(1809・ミステリの父)
マルクス(1818・共産主義提唱
ヴィクトリア女王(1819・帝国主義最盛期の女王
パスツール(1822・近代細菌学の父)
ヴェルヌ(1828・SFの父)
モネ(1840・印象派の祖)
ロダン(1840・近代彫刻の父)
エジソン(1847・発明王
フォード(1863・自動車大量生産
ライト兄弟(1867・飛行機発明
アインシュタイン(1879・相対性理論を発表)
ピカソ(1881・画家
ケインズ(1883・マクロ経済学確立
グデーリアン(1888・電撃戦確立
ヒトラー(1889・ナチス指導者

2014-08-22

https://anond.hatelabo.jp/20140821220524

自殺を「犯人被害者が一致している、ちょっと特殊殺人」と考えればhttps://anond.hatelabo.jp/20140817233229

自殺はあるけど自殺する人が存在しないのかな笑自殺をする人が殺人犯ではないけど!自殺殺人キチガイ過ぎて笑えるわ

自殺殺人なら論理的に言って自殺を行う者は殺人を行う者なのでそこは否定はしないけど、ヒスるのはよせと言ってるだろう。

そうやって都合のいい所ばっかり拾い読みするからロックなんて引いてきちゃうんだよ。

ロックに始まる所有権概念ロック信仰による自殺への価値観を混合してるんすか?笑へーつまりロックに始まる所有権を支持する人はロック自殺への価値観と同一なんだー笑

所有権概念を学んでこいと言われたらロック自殺を支持してない!!!と言い出したバカはさ、ロックに始まる所有権はこういう理屈から違うよね?と言えるまではゴミロジカルのかけらもない妄言だと気付こうなお前の自殺した身内が殺人犯だったしか今んとこ明らかになってないから

ジョン・ロックの唱えた所有権ってのはそもそも王権神授説への批判から始まった労働所有権論の側面をもったものだったの。労働所有権というのは労働産物を所有する権利のことであるとともに、環境という限りある資源をいかにして自己他者で共有して生き延びていくか、そのために権利はどのように制限されるべきかあるいは制限されてはならないかについて議論するという目的においてキーになる概念なの。ざっくり言うと彼は生きるために自己決定する他人によって決定されない)権利について唱えたのであって、死ぬ権利ははっきりと否定しているの。

まりロック所有権概念を支持する人間ロックの論をもって自殺肯定は行えない。当たり前の話だわな。

何でこんな簡単な事が分からないかね?

更に厳密に言うなら、「ロックに始まる所有権」なる用語ロックの論から外れた所有権定義を用いているつもりなら、その定義の詳細を説明する義務はお前の方にあるんだぜ。

お前の理屈に反論する根拠として持ち出されたものがおまえの理屈だと思えるおつむの持ち主ってことだな

説明になってない。何?造語だったの?

自分に対する特殊殺人違法でないから問題いね所有権同一性決定権については何一つ反論ないし

自分に対する特殊殺人違法でない」っていう根拠は何よ?

ロック所有権は使えないよって言ったじゃん。「同一性決定権」は造語だし。お前無茶苦茶だよな。

自殺遺族が言うおかし理屈批判してるからね遺族を叩くなんて!ってそこだけピックアップして過剰反応すんのは自分が一番コンプ抱いてる表れだな一貫して主張してるなら途中から全然問題ない

それを「自殺遺族」と知れた途端に湧いたヒス野郎が言っても説得力が無いわけでね。

おかし理屈批判っていうけど、全然覆せてないしね。

おまえに提示しろと求めているのを確認しようか

「おまえの自殺=殺人論は所有権同一性決定権を無視批判したら、法治国家なので制限されるとお前は返した。法によって制限されるのはそのとおり。だが無視していい法律」がないとおかしい、法律がないのに所有権同一性決定権を無視していいことになるそんなのは法治国家ではない

ロジカルに答えたいなら論点をしっかりつかもうな

ヨーロッパでは自殺志願者も安楽死させてくれる国があるね

自殺を手伝って殺人罪の減刑類型に問われるんだから国は法的には自殺殺人と見なしているだろ。自殺適法だったら自殺関与罪は総崩れだし自殺を止めるようなあらゆる言動が法的に強要罪に問われることになる。

お前の造語の「所有権同一性決定権」とやらが何だかわからんが、自殺する権利というのは認められていないんだよ。自殺殺人殺人に手を貸すと罰される。それだけ。

ところで欧州安楽死施設はその対象を「身体の致死性の苦痛を伴う病気をもつ人間」に限っているそうだな。

おまえの腐った脳みそに合わせるなら殺人犯家族殆ど被害者ぶるなと叩かれないから自殺=殺人と思う人は少ないってことだな笑

そもそも、俺の発言は「被害者ぶるな」じゃないんだけど笑 俺の言ってる内容は"他の自殺者への攻撃理由として"被害者意識振り回してんじゃねーよって話だな。差異がわかったかな?ん?殺人犯と同じ扱い笑

殺人犯家族バカだと言われている、私はバカだと言われた、だから私は殺人犯家族と同様に扱われている、同じ叩き方=同じに見られているという発想に疑問をいだかないコミュ障なら論外だな

小学生同士で言い合ってても殺人犯家族と同じ扱いされてるそ!とか叫ぶのかなこのバカ

同じ叩かれ方してるだけで同じに扱われてるのではないと書いてるのに、そういう(同様に扱われる)場合(→前行の同様に扱われる場合以外指すものがない)があると認めたことにしてる捏造クソ野郎自殺殺人だと叫んでるんですね、わかりました

バカは例えだろ脳みそ腐ってんのかクソに変えても同じなのは明らかだろ

自殺=殺人の前提の時のみ差異必要って話だね、小学生同士の言い合いの例を見ても違うのは明らか、そして自殺=殺人は未だ所有権同一性決定権の観点から否定されていない

あーハイハイ自分でもそろそろ苦しいなって思ってるでしょ?

破綻してるもんね主張。隙間を必死罵倒語で埋めてる。

被害者意識を振り回す」は「被害者ぶるな」とどう違うんだ?言葉が同じなのに「同じ叩き方ではない」と主張する根拠は何だ?

たったこれだけに答えられないってのをごまかすために、よくもこんなに長文費やしたもんだね。

???勝手殺人量刑と同等かどうかで判断たかのように言うのやめてくんないかな?脳みそ腐ってる捏造クソ野郎からしたら当たり前なのかもしれないけど、全くロジカルじゃないじゃん。

自分の持つ所有権他人の持つ所有権剥奪は全く異なるのは明らかと言われないと理解できないのかな笑今更脳内空想されても困るんだわ、まぁ今回もロックから始まる所有権について学んでもいないし同一性自己同一性ではなく俺の主張のことか!?ときちがいじみたことしか言わないし決定権は苦しみから逃れるのは当たらないキリッ…というマイルール適用しだすし所有権同一性制限できる法律提示できないくせに決定権は判例がないからダメとか言うダブスタ繰り出すし何一つとして有意義議論できない人だとわかりました

自分のもつ所有権他人のもつ所有権剥奪はどう異なるのかな?

ここでの「所有権」は勝手生命所有権解釈しておくが、いずれにせよ生命という個人法益を著しく損なうという点ではどちらも同じ、殺人という違法行為だ。

シンプルな話じゃないか。何を長々とぶつくさ言ってるのかね。

これ以上のトラックバックは要らないよ。もうお前から悪態しか出てこないから、まともな議論は望めないとよくわかったからな。

2012-12-13

人権について便乗質問

烏蛇さんの「2012-12-12 天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか?」https://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20121212

について便乗質問

今ちょうどジョン・ロックの完訳統治二論を借りてきたんだけど(まだほとんど読んでない)

ロックが書いた時点では人は神の作品であって、何か存在するらしい神の目的を達成することが宗教的義務である

から人間には目的達成のため自身を維持、再生産する義務があり、その義務を果たすためにプロパティ(固有権)としての生命財産健康・自由などの権利がある(自殺は禁止)

そしてそれは神が定めたものから統治者の支配権より先立つものであり、上位のものであり統治者であっても不可侵のものであるって理屈だよね?

ただ気になったんだけどキリスト教圏じゃないところではこの前提が成り立たないよね

別にキリスト教の神を信仰してるわけじゃないか

これがどういう理路を通って脱宗教してもうちょい普遍的な権利としての人権になったのか知りたいんだけど

どこらへんを調べればいいのかな?

2011-10-22

東大大学受験参考書(1996)

伊藤和夫の授業をyoutubeで見て、都会の受験生ってこんなスゲー授業受けてたんだと、15年後にカルチャー・ショックを受けたので、田舎浪人生だった自分が使った大学受験参考書東大理系96年入学、いまではなんとか研究職)。

内容はスタンダードでよい。

重要なのは、すっきりしたレイアウト。これにつきる。

個人的にこれだけで必要十分だと思うし、これだけしかやらなかった。暗記科目とか非暗記科目とか言うけど、試験である以上、数学だろうが物理だろうが暗記科目だと思ってる(日本語能力だけはどうにもならないけど)。これくらいはマルっと憶えられないと応用もなにもないと思う。浪人生勉強だけしてればいいから、大学受験の範囲も泣きながらやれば3ヶ月で終わる。あとは、ひたすら復習。ペンだここさえて、ほとんど部活のノリだった。

逆に言えば必要十分しか勉強してなかったってことだけど……。

数学

大学への数学 一対一対応の演習

昔は一冊ものだった気がするが、いまは全6冊になってるな。

古文・漢文

日栄社のうっすいやつを適当に2, 3冊ずつくらい。おすすめすぎるシリーズ

英語

英文法標準問題精講

英文標準問題精講

和英標準問題精講

原仙作シリーズ。例文が教養主義でそそられた。

理科

物理標準問題精講

化学標準問題精講

網羅すれば完璧

旺文社の標準問題精講シリーズは、コンパクトで軽くて、本当にありがたかった。

社会

高校時代先生プリントが充実しすぎていたので、それだけ。

ジョン・ロック民主制とルソー民主制の違い、という話が印象に残ってる。別に先生と仲はよくはなかったが、田舎の、文系理系分かれてないようなふつーの公立高校で、唯一信頼できた授業だった。そのプリントはいまでもとってある。

先生、お元気ですか。

2010-05-17

社会科学ノートからの抜粋 (まおゆう感想

まおゆう読んだ。すごくおもしろかった。みんなぜひ読むべき。

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」まとめサイト

https://maouyusya2828.web.fc2.com/

ほかの人の感想はこちら。

魔王×勇者」が「その先の物語」を描けた理由

https://d.hatena.ne.jp/GiGir/20100510/1273472249

泣けるほどおもしろすぎるネット小説を読んだので熱烈推薦するよ。

https://d.hatena.ne.jp/kaien/20100423/

人生を変えることのできる物語魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」

https://d.hatena.ne.jp/izumino/20100422/

その先の物語~次世代の物語類型のテンプレート

https://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100429/

はじまりの物語

https://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/795

魔王世界を征服できない問題への一つの回答となる「まおゆう

https://d.hatena.ne.jp/lastline/20100517/1274022158


みなさん、すげーテンション気合の入った文章。実際、かなり面白かったので、興味のある人はぜひ。

そして以下は、読み終わったあと、テンションがあがりきって大学時代講義ノート引っ張り出して書きました。

たぶんネタばれはない、はず。(追記)スポイルするかもしれないので、読了後によむことをおすすめします。

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昔、ある人は考えました。

幸せってなんだろう?」

みんなは「お金があれば幸せ」っていうけど、何か違う気がする。

幸せの源泉は、お金じゃなくて、お金で買うことの出来る『モノ』だよね?

幸せお金』だと思っている人たちは、みんな奪いあいばかりしていて、

「誰かが得をすれば誰かが損する」っていうけど、それって、きっと間違ってるよ。

例えば農作物なんかは、みんなががんばって働けば増えるよね?

奪い合うことにつかうエネルギーを、みんなで『幸せの源泉』を生み出すことに使おうよ!!



この『ある人』の名前を、経済学の父、アダム・スミスと言います。

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まおゆう」は、みんなが幸せを求めて奪い合いばかりしているのに、

ちっとも幸せになれないでいる前近代社会で、

魔王アダム・スミスが「違うやり方もあるんじゃないか」

「みんなが幸せになれないのか」必死で模索を続ける話です。

結果、魔王は、人々の労働生産性を向上させることを通じて

「奪い合わなくてもみんなが幸せになれる世界」を目指し、ある程度の成果を収めます。

しかし、魔王は考えます。「何か足りない」「何かおかしい」

アダム・スミスが『国富論』を出版し、経済学スタートしたのは、1759年のことでした。

この『国富論』は彼の独創ではなく、多くの先人の思索の上に成り立ったものでした。

魔王が足りないと感じていたのは、おそらくこの『多くの先人の気付き』なのでしょう。

前近代においては、まず『国王国家』があり、その下に各人民権利を与えられます。

近代においては、まず『個人の権利』が前提として存在し、そのために国家が設立されます。

前近代社会というのは未だ「神様のいうことが唯一正しい」という世界で、

そこに突如現れた近代社会科学の申し子たる魔王のやりかたは、

過程をすっとばしていきなり答えを出しちゃったようなもので、

基礎となる考え方が共有されていない以上、いくら成果をあげても、なんか、ふわふわ。

それでも、「まおゆう」では、魔王を取り巻く登場人物が、

魔王に影響を受けて、少しずつ『多くの先人達の気付き』を埋めていきます。

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昔、ある人は考えました。

「どうやったら平和社会になるのかな?」

そもそも「人間はみんな善の魂を持っている、だって神様がそう決めたから」

っていうけど、そんなこと無いよね?現実みろよ!

みんな欲望むき出しじゃん!奪い合ってんじゃん!人間は悪だよ!

誰かが「恐れられる君主」になって、縛り付けないと平和に何かならないよ!

人間の一生は既に決まっている。奪い合うならそれは運命なのだ」

ってそんなことないよ!

運命に挑戦する強い意志が、事実を冷静に判断し、決断する強い心があれば、

運命だって切り開けるはずだ!!



彼の名をマキャベリと言います。

マキャベリが『君主論』で説いた『運命に挑戦する強い意志』=『徳』は、

主体的に道を切り開こうとする近代的個人のモデルとなりました。

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昔、ある人は考えました。

「国って何で必要なのかな?」

あれだね、人間ってほんと欲望強くて、いやになるね。

そりゃ、確かに人間には皆「幸せになる権利」があるよ。

でも、それを放っとくと多分、みんな自分利益のために奪いあいになっちゃう。

戦争とか最たるものだよ。馬鹿馬鹿しい。

きっと、みんなそんな世界には住みたくないから、

人間の欲望=『権利』を預けるところが欲しくなったんだろうな。

きっとそれが『国家』なんだ。人間が作った元気玉。別名『可視の神』。

でも、ちょっと元気集めすぎて、絶対的な権力になりすぎかも。

怖くて逆らえないし。でも、生きてくためには仕方ないか。。。ジレンマだなぁ。。。



彼はこの『可視の神』を、伝説の怪物『リヴァイアサン』に例えました。

彼の名前は、ホッブズと言います。

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そして昔、ある人は考えました。

人間のもつ権利って何?」

なんか最近人間マジクズっすわ」「あぶねえ」「あいつらの権利とりあげようぜ!」

って言う人いますけど、ぼく、それおかしいと思うんですよ。そんなことないんじゃない?

人間には、ぼくたちには『幸せになる権利』があるんだ。

生命』と『身体』と『自由』と、そして『財産』を持つ権利があるんだ!

人間が放っておくと欲望に取り付かれる、殺しあう」

そんなことない!

たとえ人間の行動は欲望からスタートしたとしても、『真の幸福』について思いを馳せて、

誰かを傷つける前に自分の欲望をとめられる、『真の自由』が人間にはあるんだ!

国に預ける権利は「誰かに傷つけられた時に報復する権利」だけで十分だ!

ぼくたちはいつだって白紙の切符を手に持って生まれてくる。

だから『真の自由』を持って平和に暮らせるような社会をみんなで作っていこうよ。

例えば、ほら、教育とかにちからいれてさ。



彼の名前ジョン・ロックと言います。

彼は、アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えました。

そして現在資本主義自由主義の考え方の源泉となっています。

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おれ、気付いたんだけどさ。『モノ』作るとき、一人で作るんじゃなくて、

みんなで役割分担=『分業』したら、生産性、めちゃくちゃ高まるよ!

だからさ、みんなで前よりたくさん『モノ』を作れるようになって、みんなで交換したら、

もっともっと幸せになれるんじゃね?



アダムスミスが『国富論』の冒頭で述べたこの考え方は、

近代経済学の基礎、『分業と交換の原理』と呼ばれています。

そして、この労働の分業化が進むと、他人の労働生産物との交換が不可欠となるため、

人々の経済的協力が要求され、結果として調和的秩序がもたらされる。

物語の始め、魔王が夢見て、商人が憧れた『あの丘の向こう』は、きっとこの調和的秩序なんだろうと思っています。

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まおゆう』は、僕らの生きる資本主義社会が、

多くの勇者運命に抗い、

『あの丘の向こう』を夢見て手に入れたものだということを

改めて再確認してくれる、すばらしい物語でした。

おれ、いい歳して、けっこういろんなところで、ぼろぼろ泣いちゃったよ。

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で、魔王勇者物語が終わって。『あの丘の向こう』の『あの丘の向こう』は何?

それを目指した別の『魔王』がマルクスだったりするんだけど。たぶんまたそれは別のお話

2009-06-27

新聞世界から消える日

▲老舗新聞が軒並み経営危機に陥る

ボストングローブの創設は1872年という老舗。廃刊の危機に直面している。

母体のNYタイムズ経営危機に喘ぐからだ。主因はネット時代に乗り遅れたこと。いまひとつは広告収入の激減である。

インターネットの迅速性、双方向性、広範囲で深い情報に、新聞テレビの印象広告では適わない。広告が目に飛び込んでくるのではなく、買いたいものを検索し、問い合わせ、ユーザーコメントを読むことができる。

米国政治家とて、議会決議をまえにNYタイムズワシントンポスト社説を読んでから投票態度を決めた。そうしたニュースの一方交通ネット時代には無効になりつつある。新聞が要らない時代になったからだ。

議会に危機感が飛び火した。

5月6日に米連邦議会上院「通信・技術ネット委員会」(ジョン・ケリー委員長)が開催された。

冒頭でジョン・ロックフェラー上院議員が「幾世紀にもわたって新聞ジャーナリズム民主主義の枕となり、政府企業・個人の行き過ぎへの番犬役をなし、真実を追究してきた。しかるに不況とともにビジネスモデルが変革期にさしかかり、部数は7%激減し、およそ4万1000名がマスコミ界の職を失った。これはゆゆしき問題」と演説した。

これを受け「新聞活性化法」を上程したのはベンジャミン・カーデン議員民主メリーランド州)だ。

カーデン法案は、「政府介入によるジャーナリズム産業の救済ではなく、これまでの教育病院学校の存続に政府が介入したように、利益を追求しない分野を救済するために購読営業、広告などを免税措置とし、将来のジャーナリズムビジネスモデルが生まれる移行期を乗り切らせる必要がある」という内容である。

自由主義市場原理にあれほど口五月蠅い議会が、味方のマスコミが消え去る危機を目撃し、リベラルジャーナリズムビジネスモデルの崩壊を前に巧妙に救済に乗り出したことになる。

GMを救済したように

GM救済のために税金を投下し、オバマ政権は巨大メーカーを一時的に国有化したように、同じく左翼大新聞を助けよう、というわけだ。

いずれも法案推進議員民主党リベラル議員が中心にあることに留意したい。

テレビ展望が暗い。嘗て「三大テレビ」と言われたのはABC,NBC,CBSだ。

90年代に世界を席巻したCNNは二十四時間ニュース局、FOXテレビ映画スポーツを抑え、これら新興局の登場により、三大テレビは衰退の一途となった。

三大テレビ視聴率は30%減少した。

 

全盛を迎えるまでラジオ慈善団体や、利益を追求しない機関で運営された。

嘗てデパートには新製品や憩いの場として買い物客が押し寄せた。ショッピング・モールや専門店ブティックの登場により、デパートは衰退傾向となった(日本でも池袋三越などの閉店が目立つ)。

1994年にラジオを聴く人は47%あった。それが35%に減った(英誌『エコノミスト』、09年5月16日号)。過去十年間に新聞を読む人は58%から34%に激減した。とくに18歳から24歳の若者世代では新聞を読まないばかりか、ニュースを見ない人が25%から34%に激増していた(PERリサーチセンター調べ)。

日本でも学生の三分の一以上は新聞を購読していない。新聞はこれまで攻撃し批判した政治家からも明日の運命を心配されている。

新聞は『危機に晒された種』だ」と前述の上院情報メディア委員会ジョン・ケリー上院議員が言った。明らかにダーウィン種の起源』に引っかけている。

NYタイムズ本社ビルを売り飛ばし、メキシコ高利貸しから借り入れ、それでもザルツバーガー家はオーナーを死守するが、山師デーブ・ジェフェンが出資を狙う。NYタイムズ傘下の『ボストングローブ』は冒頭に紹介したように廃刊の危機を逃れて延命中たが、危機は去ったわけではない。

左翼新聞を救済せよ、と左翼議員らが叫ぶ

新聞を救えと動き始めた議員らは民主党が主で、換言するとリベラル左翼メディアを救えと同義語である。GM救援に反対したように共和党は自由競争の原則から、こういう法案には反対である。

イギリスではすでに70の新聞廃刊し、名門『インデペンデント』紙と『ロンドンイブニングスタンダード』は外国投資家に買い手を求めている。

フランスは早々と政府支援を決め、事実上補助金を出した。すでに欧米では地方自治体ネットニュースレターを刊行し、独自に広告を就けている。

だが、そのネットとて右肩上がりの成長は終わった。

04年から07年までネット広告は15%から32%に上昇したが、08年から下降傾向がみられるようになり、個々の記事が有料でも閲覧される傾向が顕著となった。

新聞社テレビが何時までも『情報総合デパート』であり続ける必要はない」(前掲『エコノミスト』誌)。

ひとつの新聞天気予報からクロスワードパズルから漫画を連載する意味希薄となり、ブティック情報専門店が求められている。だからネットでもヤフーグーグル情報デパートだが、左翼専門ブログサイト(huffington postなど)や保守派ブログ集大成サイトの「FOX NATION」に急な人気が集まるのだ(後者ネット空間における米国版『諸君!』のような存在になりつつある)。

そしてネットユーチューブ国民に訴え、ネットで集金して大統領当選したオバマは、5月24日の記者会見で既存の有力紙からの質問を一切受け付けなかった。麻生首相朝日読売、毎日記者の質問を遮り、名もなきネットメディア記者の質問に応じたと想像すればいい。

オバマ大統領は真の世論がどこにあるかを知っている。

2008-09-06

https://anond.hatelabo.jp/20080905042139

本を読まない人間軽蔑していた。

こいつまったく勉強する気がないな、と。

「こいつまったく勉強する気がないな、と本を読まない人間軽蔑」する理由は明らかに自己肯定だよね.

単なる自己肯定で他人を軽蔑するほどではないと思うよ.

人生一生勉強だけど, 勉強学問したくない人もいるし, ニコ動から勉強できるすごい人もいるらしいし.

まあ学術系の知識や智慧はつかんだろうが

  • 人の品性は、その読む書物によって判ずることができる。スマイル
  • 書物なき部屋は魂なき肉体のごとし。キケロ

いわく、「そんな本読んでなんの役に立つの?」

月20-30冊ってレビュー書くわけでもないんだから多少趣味が入ってるよね?

役に立つかどうかと趣味関係ない.

  • 私が人生を知ったのは、人と接したからではなく、本と接したからである。アナトール・フランス
  • 書物は青年時代における道案内であり、成人になってからは娯楽である。コリア
  • 書物を読むということは、他人が辛苦してなしとげたことを、容易に自分に取り入れて自己改善をする最良の方法である。ソクラテス

確かに読んでも役に立たない本も多い。そんなにバリバリ読む必要はないのではないかと思う。

趣味ならバリバリ読む理由にはなるね.

いわく、「勉強してる気分になりたいだけなんじゃないの?」

趣味なら別に構わんだろうね.

読みたいから読んでいるんだが、なぜ読んでいるかと聞かれると、読んでないことが不安だから、勉強し続けてないと不安だから、というのもあるように思う。

継続趣味の一環だろう.

いわく、「実体験から積み上げたものじゃないと信用できないよ」

科学は実体験によらないけど信用できるよ」

  • すべて良き書物を読むことは、過去の最もすぐれた人々と会話をかわすようなものである。デカルト

本を読みすぎること自体、自分で考えることを放棄しているんじゃないかと自問することもしばしばだし。

確かに読むことに時間を取られると 考える時間が減るけど放棄とまでは言えないな.

まある程度考える時間を取るべきではあるが:

  • 読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。ショウペンハウエル
  • 紙上に書かれた思想は、砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。―ショウペンハウエル
  • 読書しているときは、われわれの脳はすでに自分の活動場所ではない。それは他人の思想の戦場である。ショウペンハウエル
https://anond.hatelabo.jp/20080905100608

でも、俺より稼いでる。(1個上なんだけど、月収で5万は違う)

能力給料は相関でしかないから気にするな.

で、俺、読んだ本を読書録的にブログにまとめてるんだけど、それをどうやら見られたらしくて。

それで、増田で書いたようなことを言われたんだ。

「恥ずかしいから辞めろ」「給料に繋がらない」「何の意味も無い」とも言われたかな。

「人のことなのに恥ずかしいとはどういうことか」「職場での居眠りが給料につながる理由を教えてくれ」「過去ログです」

資格試験の本だけ集めて、一回も開かないまま本棚に溜まってるの、俺、見てるよ?

彼は積読趣味なんだよ.

もしくはコンプリート

そう思ったら「○○さんも本の一冊も読んでから反論してくださいよ、エロゲばっかやってないで」って言っちゃった。

「○○さんも 実体験から積み上がったものじゃない脚本エロゲで、恋愛セックスした気になって、そんなにエロゲやって何の役に立つの?」

とでも言えばおk

所詮趣味

 
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