はてなキーワード: 鉤十字とは
都知事選のポスター問題について、実効性があり、なおかつ選挙の自由を脅かさない規制にはどんなものがありうるだろうか。
いま、ウクライナにおける市民の損害は図形構造的進捗を見せており[和訳者註: 多角形に拡大しているということか]、我々への抵抗は強まるのみである。歩兵による市街への進入はすでに試みられており──20の空挺集団のうち、"限定的"成功を収めたものは一つのみである。モスルの侵攻を思い出してほしい。これは法則である──すべての国家で発生する。新しいものではない。籠城戦をする? ヨーロッパにおける直近の十年紀において──セルビアが最も好例であり、都市は籠城下においても年単位で機能を維持できる。ヨーロッパからの人道的支援車列は時間の問題である[5]。我々の条件的締切日は六月である。条件的というのは六月にはロシア経済は存在しないからである──何も残らないであろう。概して、来週には(ロシアにおいて)、二大勢力(主戦と反戦)のいずれかで崩壊が起きるであろう、単純に現在の緊張は持続不可能であるからである。我々は何らの分析も持たず、我々はこの混沌への予報を出せず、誰も何も何らの確証を持って言うことはできない(ロシアにおいて)。
直感に頼って行動するのであれば、そして高ぶった感情とともにするなら、それがポーカーゲームということにはならない。しかし我々はなんらかの選択肢が奏功することを祈って賭金を積み増すしかない。これにおける悲劇は計算違いを起こして全てを失うことは容易にあり得るということだ。概して、ロシアに出口はない。勝利の可能性のある選択肢はなく、敗北しかない──ここが瀬戸際だ。(英訳者註: 休憩。続きはあとでやる)(英訳者註: 続きの後半はもっと面白く、前向きなおどろきで終わる)
100%、我々は前世紀の過ちを繰り返したのだ、"弱い"日本を足蹴にして素早い勝利を得ようとして、わが陸軍がまったく壊滅状態にあることが判明した時の。そして我々は勝利まで戦い、そしてボリシェヴィキを陸軍で再教育のため徴兵した。そしてこれらかろうじてもののわかるボリシェヴィキどもは反戦標語を拾い上げあのようなことを始めたのだ…… :kyoumokawaii:
前向きな点の中から: 我々は懲罰部隊を前線に送ったようなことは徴候もないようあらゆることをなした。もし政治犯や社会的不要分子を徴兵したならば陸軍の士気は負の領域に入る。
敵(ウクライナ)は動機付けられている。怪物のように動機づけられている。戦いを知り、潤沢に有能な指揮官をもつ。彼らには武器と支援がある。我々は単純に人的破局(human catastrophe)の先例を樹立するであろう。
我々が最も恐れていることとは: 首脳部は古い問題を新しい問題で覆い隠そうとしている。大まかにこの理由により、2014年にはドンバスが起きた──我々は西側に対してクリミアでのロシアの春を攪乱せねばならず、ためにドンバスのいわば危機が西側の注意をすべて引き付けてくれねばならず、そして交渉材料になったのだ。しかしさらに大きな問題がそこで起きてしまった。そして我々はエルドアンにサウス・ストリーム(ガス)から4本のパイプを引き込むよう圧力をかけることを決断してシリアへ進入した。これはスレイマニ([イラン・]イスラム革命防衛隊)が自分たちの問題解決のため我々に意図的に誤情報を渡した後のことだ。結果として、我々はクリミア問題を解決することができず、そしてドンバス問題も去ることはなかった。サウス・ストリームは2本パイプに後退し、シリアは[和訳者註: ロシアの支援に]ぶら下がっている──我々が去ればアサドは転覆し我々はまぬけに映り、とどまることは難しくまた要点をなさない。
筆者はなにものが"ウクライナ電撃戦"を考えついたのか知らない。我々があらゆる事実の入力を受け取っていたならば、我々は最低限でも初期計画に議論の余地があり、大部分は再検討を要することを指摘していたであろう。大量の再検討がなされなければならなかった。
いまや我々は首まで[英訳者の表現]に埋まっており、我々は何をすべきかも理解していない。"非ナチ化"や"非武装化"は強固に定式化された変数をもちそれにより目的達成度を評価しえるものではなく解析的分類たりえない。[6] いまや我々は、いずれか精神的に破綻した助言役がヨーロッパに対して衝突を仕掛け、制裁緩和を要求するよう首脳を説得するまで待ったまま動けない状態にある──彼らは制裁を緩和するか、あるいは戦争になる。そしてもし西側が拒絶すれば? その場合において筆者は我々が、1939年のヒトラーのように真の国際紛争に引き込まれる可能性を排除しない[7]。我々の"Z"は鉤十字と等しくなるであろう。
局地的核攻撃の(ウクライナにおける)可能性はあるか? ある。軍事的目的のためではない。かような兵器は防衛突破の役に立たない。しかし他のすべて(西側)を恐怖させる目的を伴う。
Changelogを入れたら末尾が切れてしまった…Changelogはリプにします。https://anond.hatelabo.jp/20220308162009
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https://twitter.com/igorsushko/status/1500301348780199937
最初はTwitterに流しましたが(https://twitter.com/Vorspiel2/status/1500677825044819971)、誤訳を修正し、追加情報を入れて清書しました。
なお、この文書の真正性について、まずこちらの評価をご参照ください。(イギリスの情報サイトBellingcatの幹部Christo Grozev氏による)
https://twitter.com/christogrozev/status/1500196510054637569
以下はその翻訳です。
昨晩[日本時間3/5早朝]、FSBの内部告発文書と称するものが公開された。そこには、ロシア軍のウクライナでの失敗と、今後数週間~数ヶ月におけるロシアの惨状の予測が記されていた。これが本物かは分からない—ウクライナは以前に、心理戦の一環として偽のFSB文書をリークしたことがある。
だがこれはそれとは違うようだ: 情報源は信頼できるもので(gulagu.netの創始者)、偽造にしては遥かに長い文書だ(長くなるほどボロが出やすくなる)。
私はこの文書を、知己のFSB職員2人(現職または前職)に見せた。2人とも、これは間違いなく同僚が書いたものだと判断した。彼等は結論のすべてには同意しなかったが、それはさておき。
文書はこちら。一読の価値がある: https://www.facebook.com/vladimir.osechkin/posts/4811633942268327
内部告発というのが仮に真であったとしても、内容に虚偽が含まれている可能性にご注意ください。
更に、私はロシア語は分からないので、露→英訳時に意図的か否かを問わず誤情報が紛れ込んでいる場合にはそのままになります。この点について、ロシア語が理解できる方はチェックをお願いします。
以下本文です。
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[冒頭は英訳者Igor Sushko氏のコメント。氏はウクライナ出身・アメリカ育ちのレーシングドライバー]
以下は、現職のFSB分析官による、ロシアの現状分析を英訳したものである。長いスレッドになるので心して読んでいただきたい。シェア歓迎。全文で2000語以上になる。カーテンの裏で起きていることに対する高度な洞察であり、幅広い題材を含む。
文意を明確にするための補足を、必要に応じて括弧書きで加えている。[日本語訳時に、追加の補足を角括弧書きで入れている。] では始めよう:
最近はろくに眠れていない。ほぼ24時間勤務で、頭に靄が掛かったような状態だ。過労なのだろうが、まるでシュールな世界の住人になったような気分だ。
パンドラの箱は開いた—本当の世界規模の惨劇は今夏までに始まるだろう—全世界の飢餓は避けられない。ロシアとウクライナは小麦の主要産地なのだから。(コメント: 世界規模の飢餓が起きるという予測には同意しない。)
我が国の指導者層に本作戦(ウクライナ侵攻)を決断させたのが何かは分からないが、彼等は揃って我々(FSB)の責任だとしている。我々の分析は非難され、もっと沢山報告を出すよう、最近はますます圧力を掛けられている。
こういう政治コンサルタント、政治家、権力者ども全員が混乱の元凶だ。何より重要なのは、誰もこんな戦争が起きるとは知らなかったということだ—開戦は誰に対しても秘匿されていた。
一例を挙げる— ロシアに対する隕石攻撃(コメント: 西側諸国による制裁を指すと思われる)[これは露→英訳時のミスと思われる。詳細はhttps://anond.hatelabo.jp/20220322231355を参照]があった場合の結果と影響の分析依頼があったとしよう—
そこで攻撃のモードを分析するが、一方これはあくまで仮説であって細部を強調するな、とのお達しがくる。なるほどこのレポートはどこぞの官僚がチェックリストとして使うもので、分析結果はロシアにとってポジティブなものでなくてはならない、
そうでなければ「仕事ができていない」と詰問されるんだな、と理解する。したがって、我々にはどんな攻撃にも対抗手段が揃っている、という結論を出さざるをえない。もう完全にやりすぎだ。
ところが、蓋を開けてみればこれが仮説ではなく現実に起こっており、こんな仮説に基づいた分析など全くのゴミ屑になってしまった。制裁に対抗できていないのはこのためだ。こんな戦争が起きることは誰も知らず、従って制裁への対抗策も準備していなかったのだから。
これは秘密主義と裏表だ—誰もが知らされていないのなら、準備のしようがあるだろうか?
カディロフは激おこだ。ウクライナが「FSBからキーウのチェチェン部隊の情報をもらった」と吹聴したことで、我々(FSB)と連中は一触即発になりかけた。
カディロフの部隊は戦闘に入る機会すらなく壊滅し霧消した。FSBからウクライナへのリークがあったという情報を私は持っていないので、推測するにその可能性は1-2%だろう—とはいえ、可能性を完全に排除できるものではない。
我々の電撃戦は完全に失敗した。そもそもが完遂できないタスクだ: ゼレンスキーと部下を開戦3日で確保し、主要な建物をすべて占拠し、城下の盟を誓わせたとしたら、
ウクライナの抵抗は最小限に抑えられただろう。理屈上は。だがそれがどうした? こんな「理想的な」展開であってさえ、解決不能な問題が残っている: 我々は誰と交渉する気だ?
ゼレンスキーは排除するとして、よろしい、では合意に署名するのは誰だ? ゼレンスキーが署名するなら、彼の排除後は合意は役立たずだ。ОПЗЖ(ウクライナの親露派野党)は協力を拒否している。
臆病者のメドヴェドシュク[実業家。プーチンの友人]は逃亡。指導者は他にもいるが—ボイコ[野党党首]は拒否、彼の支持者も理解しないだろう。ツァリョーフ[DPR・LPR議会議長]を呼び戻そうにも、ロシア国内ですら不評。ヤヌコーヴィチ[前大統領]を戻す? どうやって?
占領は不可能、ということになれば、我等の撤退後、[ウクライナ]新政府は10分ももたずに倒されるだろう。
占領するにしても、必要な人員がどこにいるというのか? 司令部、軍警察、防諜、諜報—ウクライナ人の抵抗を抑え込んだとしても、50万人は要る。これに更に補給と兵站が加わる。
こんなのは決まりきったことだ—質の悪いリーダーシップを量で補おうとするなら、何もかも分が悪くなる。繰り返すが、これは「理想的なシナリオ」での話だ。現実はそうではない。
それでどうなっているのか? 総動員を掛けることはできない。理由は2つ:
1)総動員を掛けたらロシアの国内問題で自壊する: 政治でも経済でも社会でも。
2)我々の兵站は今日ですら伸びきっている。これだけ巨大な分遣隊をウクライナに送り込めたとして、何が得られる? ウクライナ—広大な国土を持ち、我々に向けられる敵意は半端ない国において。
我々の道路はこんな大部隊の補給に耐えうるようできていないから、何もかもがストップするだろう。現在の混乱状況を鑑みれば、指導者層がどうにかできるものでもない。
この2つの理由が同時に存在している。どちらか一方でも、失敗には十分だというのに。
ロシア軍の損失について: 実数は分からない—誰にも。開戦から2日間は何がしかの情報が入ってきたが、今となってはウクライナで何が起きているのか誰も把握していない。主要師団との連絡は途絶えている。(!!)
通信は回復するかもしれないし、攻撃を受けて散開しているかもしれない。司令官ですら戦死者数・負傷者数・捕虜数を把握できていない。戦死者の合計数は千人単位だろう。1万人か、5千人か、2千人ですんでいるか。
こんなことすら、司令部の誰も知らない。もしかしたらロシア兵の戦死者は1万人近くかもしれない。しかもここにはDNRとLNRの戦死者は含んでいない。
ゼレンスキーを殺害ないし捕縛したとしても、状況は変わらない。我々に向けられる敵意はチェチェンのそれ並だ。今となっては、ウクライナの親露派ですら公然と我々に反抗している。
それもこれも、(ロシアの)トップがすべて決めたから。こんなシナリオ(ウクライナ侵攻)など、先制攻撃を受けない限り起こらないと聞かされてきたから。
我々が脅威を高めていくのは、戦闘によらず交渉で結果を出すために必要と聞かされていたから。ウクライナ国内でのゼレンスキー批判の準備も、ウクライナ侵攻など考慮にも入れていなかったから。
今日、ウクライナ市民の死者数は幾何的に増加しており、抵抗は強くなる一方である。歩兵部隊は都市侵入を試みているが—落下傘部隊20隊のうち、わずか1隊が「暫定的に」成功を納めたのみ。
モスル侵攻を思い出してほしい。まるで同じだ—どの国でも起こることで、何も新しいことなどない。ここ数十年のヨーロッパでは—セルビアが一番良い例だろう—都市を包囲しても数年は持ち堪えられる。ヨーロッパからウクライナへの人道的支援が始まるのも時間の問題だ。
我々のひとまずの期限は6月だ。というのは、6月になったらロシアには経済というものが無くなるからだ—何にも残らない。
大局的には、来週には(ロシアで)(戦争賛成派対反対派の)両者の一方が崩れるだろう。こんな(ロシア国内の)緊張状態は長続きできない、というだけのことだ。
分析のしようもなく、混乱状態で予測の立てようもなく、何が起きるか確度を持って言える人間など(ロシアには)誰もいない。
直感に従って、しかも強い感情に動かされて行動するなどというのは最早ポーカーではない。だが賭け金は釣り上がってしまい、どれかしらの手段はうまく行くだろうという望みに掛けるしかない。悲しいけれど、人間は往々にして計算違いを起こすし、そうなればすべてを失うことになる。
見渡してみれば、ロシアにはアウト[ポーカーにおいて「これを引けば勝てる」というカード。「勝ちの目」]が無い。勝ち筋などなく、どうやっても負けるしかない—ということだ。(ここで一旦中断。小休止後に再開する)
(ここから後半。こちらはもっと興味深く、ラストには喜ばしい方向で驚くべきことが記されている)
我々は前世紀の失敗を100%なぞっている。「弱っちい」日本を蹴散らして瞬く間に勝利するつもりが、実は我々の軍はずたぼろだった。[日露戦争]
その後、また勝ちを目指して戦争[第一次世界大戦]をおっ始め、軍隊再教育のためにボリシェヴィキの徴兵を始めた。当時よく知られていなかったボリシェヴィキは戦争反対のスローガンを掲げ、ああいった行動に出た…
プラスの面も見よう: 懲罰部隊を前線に送り込むなんてことは考えもしないよう、我々は手段を尽くした。政治犯や社会不適合者を徴兵したら、前線の士気は下がるだけだ。
敵軍(ウクライナ)の戦意は高い。恐ろしく高まっている。戦い方をよく知っているし、有能な指揮官も多数居る。武器も補給もある。世界的な人道破局の舞台を整えているようなものだ。
我々が最も恐れていることは: 首脳が古くからの問題を新しい問題で糊塗しようとしていることだ。ドンバスで2014年に起きたことの大きな理由がこれだ—我々は西側諸国をクリミアの「ロシアの春」から引き剥がす必要があった。それで、いわゆるドンバス危機を演出し、西側の注意を逸らして
交渉材料にするしかなかった。だがそれで問題はさらに大きくなった。そこでエルドアンに圧力を掛けてサウス・ストリーム(ガスパイプライン)を4本引かせた上で、シリアに侵攻した。
ソレイマニ(イスラム革命防衛隊)が自分側の問題を解決するために、わざと偽情報を我々に流したために起きたことだ。その結果、クリミアの問題は片付けられず、ドンバスの問題も無くなっていない。
サウス・ストリームは(ガスパイプライン)2本に減らされ、シリアは宙吊り状態だ—我々が撤退すればアサド政権は倒され我々は無能扱いされるが、我々が駐留し続けるのも困難だし意味もない。
こんな「ウクライナ電撃戦」を誰が思い付いたのかは知らない。もし仮に我々が正しいインプットを受け取っていれば、少なくとも初期の計画には疑問点があり、大部分を再評価するよう指摘できただろう。それはもう大量に。
それが今や、我々はクソみたいな(PGな言葉遣いは英訳者による)ハマリ状態で、どうしたら良いかも分からない。「非ナチ化」「非武装化」というのは分析のカテゴリには無い。というのも、具体的に数値化されたパラメタが無く、目的達成を何をもって評価できるのか分からない。
今や我々は、頭のおかしい参謀がトップにヨーロッパとの紛争を決断させるのをただ待つだけだ。要求は制裁の緩和だ—制裁を弱めるか、それとも戦争か。
西側が拒絶したら? その場合、本物の国際紛争に巻き込まれる可能性も否定しない。1939年のヒトラー同様に。我々の「Z」[紀章]は鉤十字同様に扱われるだろう。
(ウクライナでの)局地的な核攻撃はありうるか? イエス。但し軍事目的ではない。こんな兵器は防御を崩す役には立たない。使うなら目的は我々以外(西側諸国)の恫喝だ。
我々はウクライナに全責任をおっ被せるシナリオの土壌を作っている。ナルイシキン(ロシア対外情報庁官)と配下のSVRは、ウクライナが密かに核兵器を製造していた、という証明をせっせとこさえている。クソったれ。
連中は、我々がとっくに分析し放棄した論を押し通そうとしている: [核兵器開発の]専門家やウランがあったことの証拠や証明など、でっち上げることは不可能だ。ウクライナには劣化同位体238[ウラン238。劣化ウラン]が1トンある—だが問題にはならない。核燃料サイクル上、作り出すことを秘密にはできない。
「汚い爆弾」にしても秘密裏に製造することはできない。ウクライナの古い原発では、それに必要な物質は副産物として最小限産出されるのみだ。アメリカはMAGATE[IAEAのロシア語表記]と共にこういう施設を監視しているから、こんな論など出したら馬鹿にされるだけだ。
1週間後には何が起きているだろうか? 2週間後でもよい。我々はドツボにハマり、古き良き、空腹の90年代を思い出すことになるだろう。
市場が閉じつつあるのに対抗して、ナビウリナ[ロシア連邦中央銀行総裁]は正しい措置を講じているようではあるが、所詮は船に空いた穴を指で塞ぐようなものだ。状況はどのみちどんどん悪化し続ける。3日とか5日とか7日、などのうちには最早解決しない。
カディロフが地団駄を踏んでいるのも故ないことではない。彼等には彼等の野心がある。彼は「無敵」として名をあげた—もし失敗したなら、自分の部下達に引き摺り下ろされることになる。
それからシリア。「諸君—耐えろ、ウクライナは片づける、そうしたら我らのシリアでの地位を強化する。」実際のところ、ロシアの分遣隊はいつ補給が切れるかも分からず、その後には熱波が待っている…
トルコは海峡を封鎖したし、シリアに物資を空輸するのはかまどに金をくべるようなものだ。しかもだ—これはすべて並行して起こっている。ひとまとめにして分析する時間すら無い。
我々の現状は1943-1944年のドイツのようなものだ—だがこれはウクライナでの「初期状態」にすぎない。
過労でくらくらするし、これは夢で、実は以前と何も変わっていないのではないかと思うことすらある。
監獄について—今後も悪化するだろう。ナットは血が滲むまで締め付けられるだろう。どこでも。有り体に言って、純粋にテクニカルな観点では、現状をコントロールし続けるにはこの手しかない。
我々は既に総動員体制だ。だがこんな体制は長く続けられない。タイムテーブルがどうなっているのかは分からないが、状況は悪化の一途だ。国家統治というのものは、総動員を掛けたら狂い始めるものと決まっている。しかもだ: 100mを疾走できるとして—それをマラソンでやったらどうなるか。
で、ウクライナ問題について100m競走よろしく飛び出したものの、よく見たら参加登録したのはマラソンだった、ということだ。しかもこれは、現状のかなり簡潔な要約でしかない。
更に皮肉なことを言えば、私はプーチンが核の赤ボタンを押して世界を終わらせるとは信じていない。
まず、それを決められるのは1人ではない。誰かが反対するだろう。このプロセスには多数の人間が関与している。「赤」ボタンを1個押すだけ、というものではない。
経験的に知られているとおり、制御構造に透明性があるほど、問題点は見つけやすい。誰が何をどうコントロールしているか混沌としているにも関わらず、虚勢を張った報告ばかりが飛び交う状況にこそ、問題が潜んでいるのが常である。
「赤ボタン」システムが言われているとおりに稼働するかは確信が持てない。それに、プルトニウム燃料は10年毎の交換が必要だ。
3つ目、これが最も唾棄すべきで悲しいことだが、私個人の信念として、側近や忠臣すら近づかせないようになったプーチンが、自分自身を犠牲にするなどとは思えない。
プーチンが恐れているのがCOVIDなのか暗殺なのかはどうでもいい。もしプーチンが、自分が最も信頼していた人々すら恐れているのだとしたら、自分自身と最愛の人々を破壊するなんてことができるものかね? (英訳終)
「なんで○○は駄目なの?」「これはOKなの?」など疑問があれど質問しにくい状態である。
もちろん大学などに所属しており、近い関係に識者がいれば質問できると思うが、
あいにく自分は普通のIT系会社員であり、そのような状況に無い。
優生学を馬鹿にするとか、優生学を馬鹿にする人を馬鹿にするとか、全くそういう意図が無いことは先にお伝えしておきます。
質問の本題です。優生学はなぜタブーとされているのでしょうか。
遺伝子が子孫に影響することはメンデルなどの科学が証明しているもので、これは正しいと多くの人が受け入れてると思います。
例えば競走馬や金魚、野菜などの品種改良はこれにあたると思います。
これら人間以外のものについては遺伝的な観点から改良をすることは許容されているが、
これを人間に当てはめて考えるのはタブー、という理解で合っていますか?
以前 RADWINPS の方が
前も話したかもだけど大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる。
お父さんはそう思ってる。
と発言して話題になりましたが、これの問題点は「国家プロジェクトとして」行う点にあるのでしょうか?
「大谷翔平選手がたくさん子作りをすれば、きっとスポーツに強い子が生まれる。」
これは前述のとおりおそらく真で、この時点では世間に許容されているものと思います。
男性が美女と結婚したいのも、婚活女子がスペック重視するのも、精子取引で高学歴な方の精子が高価なのも、
世間では一般的なものとして受け入れられているのでここは問題ではないと考えています。
ではなぜ RADWINPS の氏の発言が炎上したのか。それは国家プロジェクトとして行うから、でしょうか?
すると「スポーツが得意」「将棋が強い」など何らかの尺度で遺伝子に値札がつけられ、比較され、
例えばプロスポーツ選手のスポンサーをしている民間企業が、スポーツを盛り上げようとして
スポーツが得意な選手の遺伝子をたくさん残そうと子作りに関する手助けをした場合、
これはセーフなのでしょうか?それともアウトですか?
婚活パーティ主催者が「良い遺伝子を残したいという参加者の本能を満たすため、
男性は美男で高身長で筋肉質を、女性は美女で高学歴を集めました」などと謳うのはセーフですか?
実際これにかなり近いことは現状謳われており、世間に許容されているように見えます。
いくつかネット上の記事を読んではいるのですが、正直雑多な理屈が多いような気がしていて、
未だに優生思想がどのように悪なのか良くわかっていません。
詳しい方いましたら教えて頂けると幸いです。
皆様様々なご意見ありがとうございます。
純粋に知りたい気持ちで書いたのに、「そんなこともわからないとか、ネタ?」「本心は別にあるだろ」「自分で考えろ」系のコメントが多いのは残念です。
何かを知りたいという気持ちをあげつらって、私のことを「邪悪だ」などと揶揄するのは、優生思想についての理解が遠ざかる一方です。
このトラバが荒れていたり、ブコメでも私を馬鹿にするようなコメントが多いことからわかるように、
「ただ世間で駄目とされているから駄目」という考えの方が多いのではと思います。
また、id:n_kasei 氏などによる「本を読め」「自分で考えるべき」系のコメントが多いことも、
ことを表しているのではと思います。
私がネットで調べても明確な理由が無いことが概ね理解できました。
優生思想批判にナチスを持ち出す方が多いですが、ナチスが用いた優生思想による殺人が悪なのに、
優生思想も悪とされているところが不思議に思いますが、まぁそういうものと理解しました。
論理はどうあれ、ゲームオタクによる殺人事件が起きたらゲームが悪とされることと同じような理屈だと思います。
ナチスが用いた鉤十字マークを現代社会で使ってはいけないとされているように、ナチスが用いた優生思想も使ってはいけないと。
ここに明確な論理など無く、ただ「タブーである」と扱われており、多くの人がそう思っていることがわかりました。
https://anond.hatelabo.jp/20220122010439
そのような方たちも多くの人が問題の理解を間違っていることがわかりました。
世間が姦しくなっており、このまま放置するとどんどん創作物の漂白が進みそうなので、一応提言。
傷つく人がいるのは理解するが、それを理由に創作物が制限されるのは反対だし、より深刻な問題として、過去の作品まで添削対象になってるのは看過できないので、誰かの琴線に触れそうな要素は全部表示するようにすれば良い。
『この作品は不謹慎です』とか『この作品は中国批判が含まれてます』とか『この作品は偏見を助長する可能性のある表現が含まれてます』とか『この作品は暴力で物事を解決する内容が含まれてます』とか『この作品は鉤十字マークが出てきます』とか『この作品は海賊を美化しています』とか『この作品には差別用語が含まれます』とか『この作品には妊娠出産して幸せな家庭を築く展開が含まれます』とか『この作品は登場人物の数に対して黒人の比率が著しく低いです』とか『この作品に出てくる殺人者は精神疾患を患ってます』とか『この作品はレイプされて感じる表現が含まれます』とか『この作品は男らしさ女らしさに関する言及が含まれます』とか。
VTuberの定番ゲーム・一過性のゲーム(anond:20210625093912)の派生記事
交流にはリスナー参加型とVTuber同士のコラボがあって、それぞれに向いたゲームがある
一般的に炎上リスクの低いVはリスナー参加型コラボに使えるゲームの幅が広く
(ときには信用できるVTuber同士のコラボに使うようなゲームでも参加型ができる)
炎上リスクの高いVは安全にリスナー参加型コラボのできるゲームが少ない
(不運にも最大級のリスクを抱えたVは、V同士コラボ向きのゲームで自身のみならずコラボ相手にもリスクをもたらしてしまう)
リスクは大雑把には人気に比例して大きくなる
・雀魂
・スマブラ
・世界のアソビ大全51
・Dead by Daylight
・PUBG
・Gartic Phone
基本的にリスナーの声が入るゲームは実現難易度が高め。特に女性Vファンは(自分もオッサンなのに)オッサンの声を聞きたがらない。それでもやっているVはいる。にじさんじはリスナーの音声を入れるのに禁止令が出ていたはず。
次いで絵や文字でやりとりできるゲームも鉤十字・猥褻物・放送禁止用語などを書き込まれるリスクがある。
・Minecraft(数十人以上。同時に入れる人数はサーバーごとに制限あり)
・雀魂(2~4人)
・UNO
・スマブラ
・世界のアソビ大全51(2人対戦)
・fall guys
・Gartic Phone(4~30人:実用的には十数人か)
・Unrailed!(2~4人)
・Hand Simulator Survival
・NKODICE(一人プレイだが複数人で一緒に楽しむことも多い)
・VALORANT
・壺おじさん(見守り):追記
・Untitled Goose Game(イタズラガチョウゲーム 2人):追記
V同士の信頼関係の上で行われるので、交流に利用できるゲームの幅が広い。また、これらのゲームを通して親密になることも多い。
多くの参加者を集めることのできるV、欠員が生じたときにすぐに都合を合わせて参加してくれるVなどはおそらく界隈内部でも評価されている。
・雀魂
・スマブラ
・世界のアソビ大全51
・Gartic Phone
事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。
現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品)
しかも殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件に関係がない。
この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。
劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督との子供を妊娠中だった。
この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。
とても誠実な描写だと思う。
実行犯に殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字のタトゥーを入れているが、タランティーノは過去のイングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優がポランスキー監督の映画おとなのけんかで主演してる)
そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画の小道具を使って」焼き殺す。
1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。
しかし監督のタランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画=ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドやアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国や香港や日本などアジアの映画に多大な影響を受けた人間である。
キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズ・オデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの)
(タラがオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンもイタリア産のマカロニウェスタンでアメリカ映画ではない。ちなみに監督のセルジオ・レオーネが撮ったワンスアポンアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストのデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)
ブルース・リーの話が出てきたが、タラはキル・ビルでは死亡遊戯の衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットでブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーのワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。
キルビルで描かれる復讐や暴力の虚しさは、燃えよドラゴンでブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。
そして敵役のビルには、ブルース・リーのドラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。
タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。
ちなみに、キルビルが前後編になった元ネタのチャイニーズ・オデッセイの主演はチャウ・シンチー(少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳のパロディや、少林サッカーやカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)
少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別な作品で、その点がワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドと共通している。
(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーもハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テートが自分の映画を見るシーンがあるが、ブルース・リーは燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)
ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)
あとワンス~作中のブルース・リーが調子こいてるのは、実際の彼がああいうキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手を文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいうチンピラのようなダサいファッション)
何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。
あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画からの知識だけで)玄人好みの渋い「中年の恋愛映画」すら物にしてしまう監督である。
落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。
(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)
(というよりもともと映画そのものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)
そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽なフィクションで熱く揺さぶった。
ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人の和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。
日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。
(タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼の変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)
タランティーノはフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。
(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルはキルビルでユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯→キルビル→ワンス~と考えてみても面白い)
(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミーに無視されてきたのはタランティーノも同じ)
もちろんワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。
油断していただけなのに。
それでですね、書いた直後は少しは粘ってみましたよ。
コメントを書いてくださる有難い増田に返信したりしましたけど。
半日以上たっても動かなかったから、まあ釣れないでしょうね、と思っていたわけですよ。
話題性で攻めたけど文章が凡百なら伸びないのが分かっただけでも大きい、精進しようって。
ちょうどエントリからも消えていたタイミングでアクセスしていたらしく全く認知してませんでした。
何をどうしたら750ブクマまで行くんだ。こんなにコメントが付くんだ。どちらもあえなく自己ベスト達成ですよ。
何故ここまで炎上したのか、誰か教えてくださるのであれば幸いです。
いや本当に理解できないので。
追伸.同様の題材を扱った作品など皆さん挙げて下さっているので興味がわきました。
・マクロス
・『ラブ・シンクロイド』
これに関しては感謝しかありません。今度読んでみます。本当にありがとうございます。
一般的な旭日旗の光線が十六条なのは、菊の御紋(十六葉八重表菊)に由来する。
戦後、軍の解体に伴って「軍旗としての旭日旗」の歴史は途切れたが、
1954年、自衛隊が発足するにあたり、帝国軍旗を受け継ぐ形で自衛隊旗として採用された。
近年、「韓国の旭日旗批判は2011年以降に作られた新しいもの」との風説があるが、
韓国や中国の過去のニュースを見ても、それ以前から「日本の軍国主義を思い起こすもの」として、
ただし韓国における「戦犯旗」という蔑称は2012年頃につけられたものである。
鉤十字。
ヒンズー教や仏教など、古くからさまざまな宗教や民間信仰で「幸運の印」などとして用いられてきた。
1900年頃から、「アーリア人」がヨーロッパ人の共通の祖先であるという思想(アーリアン学説)のもと、
ドイツ国内でハーケンクロイツは「最も優秀なアーリア人であるドイツ人の象徴」とみなされるようになり、
1919年に設立されたナチスもそれを踏まえて1920年に党旗をハーケンクロイツとした。
1933年にナチスが政権を掌握するとハーケンクロイツは国旗に準ずるものとされ、
終戦後、ハーケンクロイツはナチズムの象徴とみなされ、ドイツでは公の場での使用を禁止された。
1990年の東西ドイツ統一以降、ネオナチの活動が顕在化するにつれて、
ハーケンクロイツへの警戒も強まっている。
イギリスのヘンリー王子がナチス風の軍服を着ていたという2005年の問題をきっかけに、
ハーケンクロイツの使用をEU全域で禁止する法案が提出されたが、
これはヒンズー教徒の反対などにより阻止されている。
こうして見ると旭日旗とハーケンクロイツに大きな差はないように思われる。
特に「元は平和的な図案だったが悪質な政治に利用された」といった話は双方に共通する。
ただ、ハーケンクロイツが直接的に「(悪である)ナチスのシンボル」とみなされるのに対し、
旭日旗は「(悪である)大日本帝国の軍隊のシンボル」であるため、やや間接的な関係に思われる。
このあたりの印象の差があり、ハーケンクロイツほどには規制されなかったのだろう。
また近年のインターネットの普及によって、各国のナショナリズム的行動が可視化されたことで、
より大きく反発が起きるようになった面もあるのではないかと思われる。
旭日旗について言えば、
明治になってから軍旗として採用され、菊の御紋と重ね合わされる「十六条旭日旗」が、
皇国史観や軍国主義と結び付けて見られるのは仕方ないのではないか。
仮に旭日旗の使用を擁護するならば、「元は平和的な〜」や「奇誠庸が〜」などではなく、
「十六条旭日旗のみ」に問題を限定したり(この場合は海上自衛隊の自衛艦旗は変更することになる)、
「思想的なシンボルではなく軍旗にすぎない」ことを強調する(この場合は自衛艦旗としての利用は擁護するが平和的な場では使用を控える)、
といった点を前面に出したほうが良いのではないかと考える。
https://twitter.com/toriyu2/status/1063958653374353408
こういうのとか、急に増えたとかうんぬんじゃなく、ずーっと日本を下げる運動を彼らはしているんだよね。彼らの政治的な目的になっている。
旭日デザインを日本の戦犯旗のデザインである!ナチスの鉤十字デザインと同質であるという宣伝をし続けているんだから。デザインした人は全くそんな意図は無かったのに、韓国人に謝罪させて撤回させたりしているほかの例もある。新しく差別の種を作ったんだよ。そのへん西洋人にとっては知らない話だから「へぇ、そうなんだ。御免ね。デザイン改めるわ…」と撤回しちゃう例も少なくない。
内心の自由があるからそう思うことは別に咎められるべきことじゃないけれど、公式、または二次創作であるとしてもゾーニングもせずにそれを表現として表に出すのはどうなのだろうか。
私もここに文章として書いてしまっているから人のことは言えないのだけれど。
世界の歴史として戦争があったことは事実だし、今でも空爆は行われているし、何人もの人間が死んでいることは皆知っていると思う。義務教育でも教わる。
例えばドイツの軍服や鉤十字はナチスの行った残虐行為と結びつき、明確な嫌悪の対象になる。
軍服自体そのデザインが生まれた歴史やその軍服を着た人間たちの行為を背負っているようなものである。
だから「軍服格好いい!性癖!これを着たキャラクターが見たい!」みたいな理由で安易にその国の軍服をキャラクターに着せるようなことは、「格好いい」以外のメッセージを含んでしまうことになると思う。
戦争は過去のことだから今を生きる私たちに背負わせないでくれ、という意見もわかる。
でも国際的に戦争の負の遺産や遺恨が残っていることも多いし、被害者が今も生きている場合もある。
だから大正モチーフや実在の軍服デザインの衣装が出た時に燃え盛ることが多いのかなと。
逆に軍服を着たデザインが許されるのはどんな場合かというと、WW1やWW2を舞台とした作品群や、仮想軍服を使った作品群である。
Dies iraeはナチスモチーフだし、HELLSINGだってそうだ。帰ってきたヒトラーやスターリンの葬送狂騒曲だって。
こういった作品は軍服の持つメッセージ性が作品内にしっかりと反映されている。ただ格好良いというだけでデザインを使った作品とは意味合いが違う。
また、仮想軍服を使った作品もとても多い。けれどそれは仮想軍服でその作品世界にしか存在しないので、私たちの住む世界では格好良い以外の意味合いを持たない。
個人的に軍パロはどの国のデザインもモチーフにしていない仮想軍服を使うべきだと思う。そうすれば私たちはただ単に「軍服デザインかっこいい!」と消費できるはずだ。
今の時代、誰だって文章やイラストを描いてそれを表に出すことが簡単になっている。
何かを表現として表に出す時に、格好良い!描こう!ではなくて、一度立ち止まって、その表現は本当に大丈夫なのかということをしっかりと考えてからものをつくることが表現者の倫理なんじゃないのか。
そして自分の表現したいものが何か差別的な意味合いを持ったり、犯罪助長や人権侵害を含む場合、それを愛好する人だけがアクセスできるようにゾーニングすることも同じくらい大事なことなんじゃないか。
某アイドルグループはネオナチバンド(ナショナルソーシャリストブラックメタル)に見えたのと違う?
特に政治的主張がなくても、デザインがカッコいいからといって街宣車にのっていたらその手の団体と勘違いされるでしょ?そんなかんじ。
「思想がネオナチっぽいかどうか」「ネオナチが好きそうかどうか」かなあ。ナチス賛美とか、外国人排斥とか。
「はてさが叩きそうな作品」「ネトウヨが好きそうな作品」はなんとなくわかる気がするでしょ?
鉤十字とか、日本国旗とか、そんな表層的なものではないと思うよ。