多くのブクマカが「育休後復帰が前提だから退職はおかしい、給付金を返せ」という本音をブコメで炸裂させていますが、なぜ彼らはそんなにも「ズルい女」にブチ切れずにいられないのでしょうか?
そこには、生活保護叩きのように、単に他人が楽しているのが許せないという感情を超えたものがあると思われます。
最も大きいのは、「育休後復帰の枠を空けているせいで自分の仕事が増える/人員補充がされない」という、よくある苦労話との結びつきでしょう。これは即座に類似事象である「時短や子供の突発的ケアで職場を空ける女性へのいらだち」にリンクし、彼らの怒りを増幅させます。
これに対してよくコメントで書かれるのが「個人が悪いんじゃない、会社が悪い」というものです。確かに、育休で空いた穴に即座に人員を埋めてくれない経営者、職場を空けがちな女性をカバーする他の社員の負荷を認識できない上司はまったくもって無能であり唾棄すべき存在でしょう。
……本当でしょうか?
hamachanこと濱口桂一郎氏の「新しい労働社会」および彼の類書では、日本企業に特有のメンバーシップ型雇用システムの本質を「空白の石版としての雇用契約」であることだと説明しています。やや端折った説明をすると、「空白」とはあらゆる制約が書き込まれていないことを指します。つまり、職務内容、勤務地、そして労働時間でさえ無制約なのです。昭和のモーレツサラリーマンにとって「ワークライフバランス」の「ライフ」とは「生活」ではなく「生命」を指していました。メンバーシップ型雇用システムの中で全員が管理職候補、社長候補とハッパをかけられ、命を落とすギリギリまで働くのが美徳とされていたわけです。
とはいえ、この「労働時間の無制約性」は、2018年に法律で罰則のある上限規制が設けられついに法的にも規制されることになったわけです(それまでの月80時間の過労死要件はあくまでも裁判になったときに使われるもので、行政…労働基準監督署の指導根拠ではありませんでした)。この労働時間の法的規制ができた今となっては、経営者は従業員に無制限な残業を命じて育休の穴を埋めさせることはできないはずです。しかし、実際には部署のデキるメンバーや管理職が分担して肩代わりすることで、補充なしで職場を回している現実があります。
ふたたび、濱口氏の説明を引用します。多くの従業員が恒常的に残業しなくても済むような状態、家庭では父母としての役目を果たせる状態、これを「第1次ワーク・ライフ・バランス」と定義します。
https://toyokeizai.net/articles/-/163073?page=3
濱口氏の説明によれば、日本では「第1次ワークライフバランス」を確保するための規制や制度が薄すぎる、あるいはこれを実現しようという労使双方の意識がなすぎることが問題です。労働時間が無制約だった時代が長すぎ、残業することが経営者にとっても従業員にとってもデフォルトになっているため、これを根こそぎ変えるには相当な苦労が必要です。
一方で、「育休」や「時短」、「子供の看護で早退」は「第2次ワークライフバランス」と定義できます。この2つの違いは、第1次が一般的な従業員に対して受動的に与えられるシステムであるのに対し、、第2次はそれでは不足している労働者がみずからフレキシブルに労働時間を短くできるシステムであるということです。日本特有のアンバランスさは、この第2次ワークライフバランスへの規制が比較的強く(1年の育児休業を男女ともに法的に保障しているのは先進国でも日本くらいです)、それに比して第1次ワークライフバランスへの規制・意識が弱い点にあります。
この第1次ワークライフバランスへの規制・意識が労使ともに弱いことが、経営者の付け入る隙を与えています。育休で抜けた穴に一時的な人員を配置するのが容易なジョブ型雇用制度とは異なり、メンバーシップ型雇用制度では、「育休で1人2人が一時的に抜けたくらいなら既存の社員を残業でがんばらせる」ほうが意思決定として合理的なのです。
結論です。
俺たちが育休後退職女にブチ切れずにいられないのは、企業が無能でも悪意があるせいでも、ましてや「フェミニスト」が女性優遇のシステムを作ろうとしているからでもなく、日本の社会全体に「第1次ワークライフバランスへの規制・意識」が不足していることが問題です。これを解決するためには、労働組合を中心にインターバル規制や「残業のオプトアウト化」を行っていく必要があります。そのために一人一人が声を上げていきましょう。
https://career.y-aoyama.jp/article/childcare-leave-retirement
なんか100ワニみたいだな
新社会人だった頃の俺に言いたいことがある。
学校でもそうだが自信がないやつはプライドを守るために不要な戦いを仕掛けてくるから無視して欲しい。社会人になったいい大人がそんなことするのって思うだろうけど普通にいる。
でも無視するのはめっちゃ難しい。無視できるようになるまで6年くらいかかったし事あるごとにめっちゃムカついてた。
無視する方法は言い合いしないで相手の言うことを常に肯定すること。そのうち自分で墓穴を掘って勝手に大人しくなっていく。ただそれでも大人しくならない人もいる。でもそういう人はみんなに嫌われて孤立してるから安心しろ。自分は常に余裕を持ってニコニコしていれば周りから話しかけられて自然と話し相手に恵まれる。
そういった戦いを好む人は背が低い男性に多いと思う。だから俺は今でも背が低い男性は警戒する。距離が近くならないようにしている。
あとどうしても精神的に辛くなったら病む前に会社を辞めていい。会社なんて他にもいっぱいあるから大丈夫。もっと好きになれる仕事が世の中には転がっている。
物心つく前に両親は離婚していて、育ててもらった親とも仲が悪く社会人としての考え方を一切教わらなかったので新社会人の頃は苦労した。タイムマシンがあったら昔の自分に伝えたい。
ビッグウェーブは眺めても面白くないが乗ると一体感があって楽しいんだよ。
タコピーがコンテンツ的に増田とNotForMeなのではなく足りてないのはリアルタイム性や。
毎週金曜日に先週の内容を思い出しながら最新の内容を読み込んで自分の予想と当てっこする。
「そうきたかー!」「この発想はなかった!」
特に何も下調べせずに予約した。一応予約後にGoogleのクチコミを見たが、美容診療はボロクソに言われていたもののワクチン接種へのネガティブな投稿はなかった。
本流の予約サイトからも普通に予約できるようだったので、このキャンセル待ち通知の仕組みをうまくハックして人を集めているのだろう。
エレベーターを降りた途端、人が溢れていた。
ビル共用スペース、トイレ前の薄暗い廊下。幅1メートル程度の狭い通路に、白い段ボールの仕切りと椅子がいくつか置かれている。
即席の待合室か?と思ったらどうやらここで打つらしい。
ちなみにトイレは利用禁止になっていた。「近くのコンビニに行ってください」らしい。
30分ほどその通路で待たされた後、院長が予診表のチェックをしにきた。問診は「何か質問ありますか?」のみで終了。会話は当然ながら周りに丸聞こえ。
打たれた後は絆創膏も貼られず、渡された脱脂綿で接種箇所を1分以上押さえるように言われる。が、次の組がつかえているからすぐ出ろとも言われる。
奥の人は否応なしに他人を横目に見ながら廊下を出ることになる。この季節、脱がずに肩を出せる服を用意するのは難しいだろうに、他人を気にせず着替えられるスペースもなかった。
追い出された後は、次の待機組が即案内される。入れ替え時には椅子等の消毒処理も行われていなかった。
その後、患者用の待合・受付スペースで15分待つように言われた。診療待ちの患者と接種後待機組と病院スタッフたちとでかなり密。
本棚には「院長お勧め書籍」がズラリ。ビジネス本が多いと思ったら、院長はATカーニーの出らしい。
一応、厚生労働省が定めるところの基準は全てクリアしていたし、打てるだけありがたいとも思うけど、大人しくかかりつけや集団接種会場の空きを待てばよかった。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_iryoukikanheno_oshirase.html
パラリンピックって障碍者が健常者に劣ってないことを証明するための大会だったと思うんだけど、これじゃあむしろ健常者の方が障碍者よりやっぱり優秀なんだなって証明してるだけじゃね?
ソ連・ロシアの戦争映画って言うと第二次大戦(大祖国戦争)ものばかりでなんか食指が動かないよねという増田に対照的な2本をお勧めするよ。
キービジュアルは『トランスフォーマー』を連想させるような巨大ロボがドーンとでてきているけど、これは空想の中でしか出番がない。
主人公の息子が、勇敢な巨大ロボットと共に闇の帝王と戦っている、という空想に耽っている。
なんやかんやあって南オセチアとグルジアの国境で戦争が始まってしまい、離婚していた父親に会いに行った息子ちゃんとが巻き込まれて、モスクワにいた母親(主人公)が息子を助けに…というお話。
CGでのロボ変形シーンはトランスフォーマーばり。ジェネリック。
ロシア政府全面協力だけあって、プロパガンダの匂いが強烈。実物の戦車もカッコよく描かれてて、敵軍を吹っ飛ばすとやった~ってなるほか、当然ながらロシア軍人が外面も内面もイケメンで、惚れてまうやろ…となる。
ロシア的マッチョさは少年が「空想の世界(≒逃避)」を捨て、現実の世界に戻ってくるところにも表れている。
2)『あの日の声を探して』(2014年フランス・グルジア映画)
1999年の第二次チェチェン紛争が舞台。ダブル主人公制度。(最近のメジャー映画で言うとノーランの「ダンケルク」みたいな)
Aパート:チェチェンにおける虐殺で家族を殺され、一人生き残るものの精神的ショックから失語になってしまうチェチェンの少年。難民キャンプなど、行く先々でむき出しになった戦争の結果そのものに直面する。
Bパート:ロシアの普通の青年。町を歩いていたらささいなことで警察に言いがかりをつけられ、そのまま懲罰的に兵隊にさせられてしまう。
大日本帝国軍のシゴキ・イジメを思い出させる軍隊描写から始まりこっちのパートも実に刺さる。AB交互に進んでいく作品。Aの方、赤十字に引き取られた生活が善意の制度でありながら少年にとっては却って辛い描写とか、もうね…
こちらはロシア政府が協力したわけではないのですが、寒々しい荒野をあるくこどもと実機の戦車の進軍の対比など、何とも言えない「リアル」さが力強い。
Twitterにいる「みんな」がタコピーの話をしはじめて、とにかく衝撃的!毎回えぐられる展開!と聞いてワクワクしながら読んだら感想が「フーン」しか出てこなかった。
描き込まれている絵なのは分かる、構図が凝っているのも分かる。これでもかとセンセーショナルな要素を詰め込んであるのも分かる。ドラえもんってあんなに上手くいかないよ実際はこんなもんだよ、みたいな読み方も分かる。作者が何を意図しているのかは伝わってくるのに、ついていけなくて気持ちは凪いだまま。好きでも嫌いでもない、よくある話だとしか思えなかった。読みやすかったけど、波に乗り損ねて取り残された感じ。
やっぱり歳をとったからなんだろうな、あと「可愛い絵柄で残酷な展開」の作品を幾つも読んで慣れてしまったからだ。
昔働いたところ、若者が自分一人でちやほやされ続けてたんだけど
自分が努力して得たものではない要素で持ち上げられるのは窮屈かつ悪気はないだろうから怒れないのが辛すぎた
あれが一生続くと思うとぞっとする
そんな感じ×5000くらいかな 怖え
まずは本人に希望額聞きなよ
先日子供の入学式用に持っていくカバンがカジュアル過ぎないかという話題になった。
私から、じゃあ買ったら、と促したのだが、使用頻度が少ないものだから…ゴニョゴニョと言う。
それとなく確認すると、本当に必要なもの以外は家計から出すのが憚られるとのこと。
なるほど。気持ちはわかる。
自分に裁量がある「財布」がないと、そういうものは買いづらいよなぁ。
そこで、妻にも小遣い制をとることにした。もちろん私も小遣い制で、月2万円だ。
さてここで皆に聞きたい。
妻は専業主婦だが、いくらが妥当だろうか?はてなのみんなは、今の暮らしは妻の家事もあって成立しているのだから、私と同額にしろと言うだろうか。