はてなキーワード: 呉智英とは
ガロは書く人も居なさそうなので、元読者の義務感に駆られて書いてみた。リアタイで読んでいたのは80~90年代の一部なのでいろいろ偏っているとは思う。選択の基準としては、漫画史的な重要性や、後世に与えた影響を優先した。バックナンバーや単行本やアンソロジー、関連書籍(が多いのもガロの特徴ではある)などの知識も動員したが、記憶に頼って書いているので誤謬などはご容赦。むしろ先達からの突っ込みが欲しいです。なお、ガロ分裂後のアックス誌の作品にはここでは触れない。
まずはなにを差し置いてもこれ。そもそもガロという雑誌の創刊自体が長井勝一による「カムイ伝」を掲載する媒体を作りたいという並外れた理由によるもので、「ガロ」という奇妙な誌名も作中人物の「大摩のガロ」から取ったものだった。どちらかと言えば現在では「読まれない」作品になりつつある印象なので当時の熱狂を図るのは難しいが、漫画史的には「どうやら漫画という媒体は歴史的・社会的な諸問題を描き得る(と読者に思わせた)」点がエポックだったのではないかと思う。今であればそんなもん当然だろうと思われるかもしれないが、所詮我々はこのような巨人の肩の上にいる。
つげ義春がガロ誌に発表した短編は悉くが傑作なのでとても一本に絞りきれるものではなく、作品の完成度からすればむしろ「ゲンセンカン主人」や「赤い花」ではないかとも思うのだが、後世に与えた影響の大きさを考えればこれを選ばざるを得ない。「見た夢をそのまま描いた」という誤解を受けることも多い本作だが、実のところは多種多様なコラージュや巧みな漫画的技法に満ちていて、きちんとした作為の下に統制して作り上げられた「シュール」の傑作であることがわかる。
若い男女の同棲と破綻の物語と描けば無数の類例が思い浮かぶが、1970年の発表当時には極めて新しかったはずである。なにしろ婚前交渉などという言葉が現役だった時代だ。主人公の職業がアニメーターというのも新しく、しゃれていたのではあるまいか。この作品の画期は、漫画に「俺たちの等身大の青春(あるいはそのように夢想したいもの)」を持ち込んだ点だったのではないかと思う。林静一の洒脱な絵は上村一夫などによる後続作に比べても洗練されていて、今見ても色あせない。
漫画(に限らず表現)とはなにものかを描かなければならないのだというドグマがまだ有効だった60年代、漫画から意味というものを完全に取り去ってしまった佐々木マキの一連の作品はセンセーショナルであったらしい。画風はおそらく杉浦茂の系譜にあるのだが、もはやナンセンスという言葉も不適当だと思われるぐらいに徹底して意味や物語は排除されている。その衝撃は若き日の村上春樹にもはっきりと影響を与えたらしく、のちに佐々木は村上の著作の挿画を担当することになる。
簡素な絵でナンセンス漫画を濫作していた滝田ゆうが、心機一転、自らが少年時代を過ごした戦前の私娼街・玉ノ井の風景をおそろしく緻密な絵柄で描き出した。「三丁目の夕日」的なノスタルジアものの先駆ではあるが、最終回、戦火は玉ノ井の街を焼き尽くして終わる。ここに描かれているものは、卓抜した記憶力と画力により再構築された、失われて二度とよみがえることのなかった風景なのである。
ここまでは疑いなく殿堂入りの作品が並ぶが、ここからは判断に迷う。70年代ガロからは永島慎二や宮谷一彦を外してはいけないかもしれないのだが、活躍のメインはガロ誌ではなかった作家だし、やはり当時の熱狂を現在から嗅ぎ取るのは少々難しい。安部慎一や花輪和一、古川益三(のちのまんだらけ社長)の諸作品も思い浮かぶけれど、ここでは作品の強度と詩情、卓抜した画力を取って敢えて鈴木翁二で。
これも当時の衝撃をいま追体験するのは難しいのかもしれないが、ヘタウマや不条理がどっさり詰め込まれた本作が半世紀近く前のものと考えるとやはり衝撃的だし、こういうギラついた脳天気さは、結局は80年代「軽チャー」の苗床になったのではないかと思わされる。
80年前後のガロにはニューウェーブにカテゴライズされる作家も少なからずいて、例えば川崎ゆきお、蛭子能収、ひさうちみちお、奥平イラなどが挙げられるのだが、個々の作品への愛着はさておいて結局のところ今に至るまで強い影響を与え続けているのはむしろニューウェーブの埒外にいた丸尾末広ではないかと思う。圧倒的な画力は漫画のみならず演劇や音楽にも影響を与えたし、世代を超えたファンも多い。なお本作の初出はガロ誌ではないのだが、代表作として外せないのと単行本は青林堂だったのでご容赦を。
80年代ガロではこの人の名前も外せない。「過激な」作風と言われ「特殊漫画」を自称他称もしている人ではあるけれど、実のところは非常に息の長い物語を紡ぎ出せるストーリーテラーでもあり、日本の近代史や土俗性を容赦なくぶち込んでやるから覚悟しろよというぎらついた野心も垣間見える。その試みがもっとも巧くいった作品の一つが本作。水爆投下とともに発射された精子が自我を持つ話です……と書くと面白そうでしょ?
ガロ最末期の90年代から一人と考えて、古屋兎丸や山野一・ねこぢるなども思い浮かんだけれど、漫画表現の圧倒的な強度に鑑みて本作を選んだ。この地上には存在しないはずなのによく知っている風景がどこまでもどこまでも展開される。いつかうなされながら見た夢が、ここに具現化されているという驚き。「ガロがなければ世に出ることのなかった」作品の一つの頂点であると思う。逆柱作品はどれをとっても傑作なのに単行本の多くは絶版で、とんでもないプレミアが付いてたりする……。
・個人的にはつげ忠男の大ファンで、実際「無頼の街」「河童の居る川」など傑作も数多いのだが、漫画史的重要性を優先して涙を呑んだ。
・赤瀬川原平も言及に迷ったけど、ガロ誌での漫画作品(『お座敷』など)よりも、その外での活躍が多かった人という印象なので選外に。ガロ系の作家ではこういう人も多いのですが。
・「ガロにおける有名作家」という問題もある。水木しげるに矢口高雄に池上遼一といったビッグネームもあれば、のちのどおくまんも一度作品を掲載しており、末期ガロにも吉田戦車のような意外な面々が顔を覗かせる。珍しいところでは、SPA!誌で掲載を断られたゴーマニズム宣言の回を小林よしのりがガロに持ち込んで掲載された例がある。
・ガロ出身で他誌で活躍することになる人も多い。上記の他、新しい世代では花くまゆうさく・福満しげゆき・東陽片岡・古泉智浩あたりか。
・80年代ガロでかなり迷ったのは、トラバでも言及のある久住兄弟や泉晴紀・泉昌之、渡辺和博などの面々。このあたりのナンセンスな作品群はわりと影響も大きかったようなんだけど、作品単体でどうこう言えるものが思い当たらなかったので除外。
・つりたくにこ・やまだ紫・杉浦日向子・近藤ようこといった女性作家たちの極めて良質な作品についても言及しておきたい。特に津野裕子は最末期のガロに、寡作ながら優れた作品を残した作家で、機会があればぜひ一読をお勧めします。
・その他、この10選に選ぶには及ばないけれど間違いなくその人にしか描き得ない作品を残し、ガロという媒体がなければ目にすることもなかったであろう作家たちについても、その名をリスペクトしておきたい。淀川さんぽ、とま雅和、谷弘兒、三橋乙耶、菅野修、等々……。
・90年代ガロは文章ページが(文章ページのほうが……)充実してた感があり、呉智英や四方田犬彦など結構な面々が連載していた。
・投稿ページの「4コマガロ」も相当(雑誌のカラー的な意味で)レベルが高く、ここ出身の有名作家が福満しげゆき。
・同時期にやっていた「ガロ名作劇場」という好企画があって、90年代前半時点では入手困難だった作家を含め、ガロ出身の名作家を回顧的に紹介してくれた。林静一「まっかっかロック」なんてものすごい衝撃受けたし、楠正平や勝又進なんてこんなことでもなければまず読むことができなかった作家だったと思う。
・ねこぢるはやはり入れるべきだったかなーという迷いは今でもあり、代わりに削るとすればペンギンごはんか鈴木翁二か。リアタイ勢だったんだけど初読の際の衝撃は今でも覚えていて、90年代サブカル的にはわりとよくあった「無邪気な残酷さ」が普遍性を持ち得た希有な例だったんじゃないかと思う。(その点では山田花子には自分は少々点が辛い)
・>ビレヴァンいけば売ってる? >なんか漫画系のサブスクはこういうのの乗っかってどんどんセット売りとかして欲しいよな。
これは本当にそう思うところで、ガロの名作群はとにかく作品へのリーチが困難。古川益三の作品なんてマジで読めないし古書には衝撃的な値が付いてたりする。電書にするにしたってタダじゃないのは分かってるけど、なんとかならんかな。
・>「ガロ」はフォロワー・影響度では計れない作家作品が多すぎて。簡単に真似されるような作品はガロ的ではないとも言えるし
これも本当に同感で、孤立峰みたいな作家が多すぎるんだよなー。熱を込めて語られるけれど模倣はされない、って、表現としてはすごいことなんだけど。
全年齢層で男が余る理由がこれなんだよね
女は人気者や有名人の上位男性にしか興味がないので一極集中する
無数にいる妾やセフレや財布ややり捨て肉便器扱いでも「あの人気者や有名人と繋がってる」「今日も私の推しはかっこいい」と満足できる
一方で男は、どれだけ美女や美少女で美脚巨乳でも、プロダクションやマネージャーや取り巻きにガッチリ守られて所有できないし触れない女や二次元の女よりも、触ったり所有できるデブスやおばさんを求める
無職で不美人で大金要求する木嶋佳苗やりりちゃんに結婚をちらつかされて大金を貢ぐし、ブローカーに大金を払って貧困大家族付きの日本語を話せない外国人女性を紹介してもらおうとするなど、所有できる女に巡り会えるまで際限なく条件を下げ続ける
https://anond.hatelabo.jp/20240926081732
→30に突入した途端に売れなくなった美人が大量に余って「誰でもいいから私を貰って!」と絶叫、婚活おじさんは選び放題
→40代で婚活を始めた男は大卒正社員でも30代の女性にすら会えず、44歳の女性に群がる
女44歳の婚活 「半年で44人と見合いして真剣交際ゼロです」(全員アラフォー&アラフィフ、平均身長162cm)
https://togetter.com/li/2076251
https://i.imgur.com/7mFWkCA.jpg
なぜ女余り現象が発生しないのかと言うと
まず男は生殖能力があっても女からの需要がないと価値が生まれない
女は優れたオスだと判断した男を捕まえてから初めて「この男の子供を残したい」という本能が発生する
なので不妊に悩むのも強者男性パートナーの子供を残せない既婚女性のみ
逆に男は女に相手にされたことがなくても、加齢で需要がなくなっても性欲や生殖欲や異性所有欲が収まらず苦しんでいる
子どもを産めないおばさんやデブでもブスでもいいから結婚に執着する男は有り余ってるからね
ドリカムの吉田美和やチビブス貧乳aikoが男とっかえひっかえだし
チビガリ貧乳高齢の上野千鶴子も彼氏がいた(没後整理の為に臨終の床で籍を入れるレベル)
黒人狂いで黒人と同棲中にシャブで2回捕まった宍戸錠の娘ですらおばさんになってからイケメンと結婚してヤリマン癌で死産になっても旦那と養子と暮らしてる
木嶋佳苗やりりちゃんみたいな得体のしれない無職低学歴売春婦に結婚して貰うために大金を払う男や、海外の貧困大家族の女性と結婚するためにブローカーに大金を払う男はいても同様の女はいない
小室圭母も近年も医者の爺に金を貢がせており、週刊誌記者に突撃されたら「お金目当てだったのですね」と悲しそうに呟いた
同じくガリガリ高齢女性のコラムニストの中野翠も大学教授など文化人にモテモテで、「中野さんを紹介してくれ」と長年しつこく迫られてると友人の呉智英が言ってた
知らない女相手でも射精できるので風俗やポルノ産業が盛ん、顔すら見えない盗撮動画が無数に溢れ返る
リアルでも窓口やレジの知らない女にしつこく話しかけてうきまとう、電車内でも知らない女相手にトナラーするのは男
vtuber相手はもちろん、女の多いコミュニティや話題に潜り込んでエロネタセクハラネタ連呼したり、貧乳いじり、BBAいじり、独身いじり
果ては金持ちの男からも需要のある美人に対して「すっぴん陸上部JKの方が需要がある、地味ブス巨乳の方が需要がある」
風俗、水商売、AV、グラビアなど性的サービス業の経験のある女も「男に何をされても仕方がない誰からも信用できない人間のクズ」呼ばわり(もちろん男は孤独耐性がないので、得体のしれない不美人な売春婦に純愛や結婚をちらつかされただけで大金を貢いでしまう)
「活動的な馬鹿より恐ろしいものはない」や「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」みたいな言葉をやたら好む人いるよね。
出典がナポレオンとかゲーテとか言われてるから調べてみたけどいずれも出典がない。
よっぽど周りに足を引っ張られてると感じてるのか知らんが、この言葉を好む人の方が問題があるんじゃないか?とふと思ってしまった。どういう人が使ってるのだろうか。
ナポレオンの言葉だとは断言できないとして堂々とwikipediaにも登録してしまった疑惑の格言。
ナポレオンは濡れ衣だと思うが石原慎太郎が都知事時代に政府のことを指して引用している。
ネットで調べて感心したのがwikipediaのクルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルトの項目。これが真相だと思う。つまり元々軍事ジョークみたいな扱いで、軍事ヲタが面白がってたのがいつの間にか広まってしまったのだろう。
この記事https://wezz-y.com/archives/74014は一応真面目に出典探して見つからなかったのにたどり着いた結論がおかしいのでは。格言でもなんでもないがべつにいいのだと開き直ってるとも言える。
ゲーテの言葉としての引用プログは大量にあるし、ドイツ語原文まであるのにwikipediaにすら書けないほど怪しい格言。偉人の架空の名言ジョークだと言うならそれでいいのだが「おやおや?」という人まで大真面目に引用して活動的なバカを憂いてくれている。適菜収という人はゲーテの本まで出してるけど真面目な研究書ならこれを出典にできるはずだが・・・。ちなみに適菜が得意げにこの言葉を引用していた対談の相手が呉智英だった。たしかに先代のバカバカ言う人、とでもいえる人物なので編集部がマッチアップさせたのだろうがあれだけ俗流教養を批判してた人なのでちと残念ではある。
こんなものは単なる消費行動上の選好にすぎない。
SMモノのAVで抜いたらサディストで、ロリ仕立てのを選んだらロリコンなのかといえば別にそんなことはない。
まいたび同じようなものばかりでは飽きるので、目先を変えるために今日はたまたま〇〇モノをチョイスしたというだけのことだ。
熟女モノとかJKモノといったパッケージは、本質的には似たり寄ったりのポルノコンテンツをささやかに差別化するためのフレーバーにすぎない。同じ女優が化粧を変えて出ていたりするし。
中には飽きもせず「自分は絶対ネトラレものしか観ない」みたいな消費者もいる。だからどうだということもない。そういう偏った傾向も、「どっちかいうと巨乳好き」とかの単なる好みの延長線上にある。
増田は単なるズリネタチョイスの傾向が己の「アイデンティティ」なのだという。
それと同時に「単なる好みなのだから不当に差別するな」という。
真っ向から矛盾しているようで実はしていない。これはごくありきたりなオタクのメンタリティなのだ。どういう商品が気に入ったかというだけの事を自分のアイデンティティだと、そしてそのチョイスは他人が侵すべからざる神聖なものなのだと、大袈裟に言い立てる。
傍目にはたかがどのフレーバーのドロップを選んだかというだけの話なんだけどな。
呉智英先生はかつて「血液型占いは差別の代償行為」だと喝破した。
ひと通り衣食足りてそれなりに平和な、のっぺりとした日常生活空間をドラマチックに彩りたい欲望が人間にはある。
そのお手軽な手段が、占いや陰謀論といったオカルトの類であり、また「単なる消費行動上の選好に過剰な意味付けをする行為」なのである。
似たりよったりの商品を手軽に表面的に差別化するためのトッピングと同様、周りの有象無象と似たりよったりの自分に「〇〇推しの自分」というフレーバーを施すのだ。
そういう「遊び」なんだという自覚がどっかにあれば、それは高度化した消費社会を軽やかにたのしく生きていくための知恵だとも言える。
でもなんかマジでその気になっちゃって「この性癖故に迫害される自分」みたいに被害妄想こじらすバカがいる。
お前は悲しきモンスターでも不当に迫害されるマイノリティでもない
ただのそんじょそこらのエロまんが好きのボンクラだ。あんま深刻がるな。
■それにしてもたかがお店で売ってるものを「命」「魂」にできるって本当に手軽でいいな。
そんなんじゃ到底満足できない者こそ身の処し方を考えなければならない
■「何が好きかで自分を語れよ!」何が好きかでなんで自分を語ったことになるのか。何が好きじゃないからですぐ喧嘩するし。幼稚な。
呉智英(ごちえい、くれともふさ)
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
「須らく」の誤用の話は呉智英が随分前からやっていて、高島俊男先生も「お言葉ですが」で「予告語」という概念を作って説明したりして、「須らく」を「全て」の意味で使うのは誤用であるということ自体は広く知られる様になっていると思うのだけれど、結局の所、ネットで目にする文章では誤用の方がずっと多いのよな。
書かれた文章読んでいると、呉智英が侮辱する様な「無教養で知ったかぶりの馬鹿」ではないと考えられる人たちでも誤用している例が多くて、これは書き手の知性とは別の部分に原因があるんじゃないかとも思えるのだよな。
「須らく〜〜すべし」が使われる文章ってのは、要するに漢文調の書き言葉って事になろうかと思うけれど、そういう文章が書かれる機会が減り、今の時勢で普通の書き言葉でものを書く時には、むしろ誤用である「全てのカッコイイ言い方」の方に耳馴染みが出来てしまっているということじゃないかとも思えるのよね。
NEWSポストセブン https://www.news-postseven.com/archives/20180807_734722.html
アンケート結果はリンク先を見てもらうとして、どういう識者がどの総理を選んだのかをまとめてみる
(※ただし、それぞれの識者がどの順位にしたのかは表記されていないので不明)
(※あと3人選んだ人がいないように見えるんで、全部列挙されていないのかもしれない)