はてなキーワード: 文学フリマとは
先日行われた文学フリマで発行された某アンソロジーに私は寄稿した。
きっかけはTwitterで「公募でエッセイを募集します」というツイートを見たから。ただのエッセイ集ではなく、ひとつのテーマが決められているエッセイ集であり、「面白そうだな」「ちょうど書きたいことがあるな」と思って参加することを決めた。
限られた文字数制限の中、決められたテーマに沿ったエッセイを執筆し応募した。そしてありがたいことに掲載が決定した。内容次第では掲載出来ないと書かれたいた中でその連絡はすごく嬉しかった。特に報酬はなくアンソロジーの献本1冊のみだったが、読みたい本を頂けるだけで非常にありがたかった。
自分の文章が載らなかったとしても購入したいと思っていた。なんでもない、自分となんら変わりない人間の考えていることや人生だったりをエッセイやブログを通して読むことが元々好きだった。同じテーマでみんなは何を書くのか、気になって仕方が無かった。「匿名で掲載することも可能」と応募要項に書かれていたことから、かなり癖のあるエッセイが読めるのではないかと密かに期待していた。(特に尖っていなくても大抵面白いと思って読むが)
文学フリマ開催2週間ほど前に、企画アカウントからイベントに向けた告知ツイートがされた。
見てみると、告知画像に私の名前は無かった。たくさん並んだ執筆者の名前の最後に「他」と書かれていただけ。
たくさん参加者がいたんだなくらいにしか思っておらず、特別自身の名前をアピールしたかったわけでも無かったので、この時点では不思議に思っていなかった。
この告知ツイートの直後、企画主催者から「出来れば告知ツイートを拡散してほしい」という旨の連絡が届いた為、自身のアカウントで引用ツイートした。
告知画像に自分の名前が載っていないのに「このアンソロジーに寄稿しました」というのはなんだかおかしい気がしたが、なるべく多くの人の手に渡って欲しいと思ったので喜んで協力した。
企画アカウントの方で参加者と思われる方の宣伝ツイート(「寄稿しました」「是非お手に取ってください」等)がリツイートされて回ってくる。しかし私の告知ツイートはリツイートされることは無かった。まぁ見逃してるのかな、別に告知の宣伝を全員分リツイートしなくてもいいしな、とあまり深刻に考えていなかった。
リツイートされているアカウントをふと眺めていると、全て告知画像に名前が載っているアカウントばかりだった。リツイートされたアカウントをひとつずつチェックすると、全て1万人以上フォロワーがいるアカウントだった。
一方私のアカウントは、日常をツイートするだけのフォロワー数3桁のアカウント。
それから「力になれば」と思って告知ツイートを何度かしたが、もちろん企画アカウントにリツイートされることはなかった。その間も万単位のフォロワーがいる、名前の掲載されたアカウントばかりが企画アカウントにリツイートされていた。
動けば動くほど、恥ずかしかった。
文学フリマ当日、アンソロジーは完売したらしい。それは非常に嬉しく思ったが、なんだか恥ずかしくてあまりちゃんとツイートは見れなかった。
文学フリマ開催日から数日後、企画主催者から献本が届いた。恥ずかしく思ってはいたが、本自体は楽しみに思っていたので読み進めていく。そして異変に気付く。
自分が応募した際に規定されていた文字数制限を大幅に超えて執筆している人ばかりなのだ。
おや、と思いつつもエッセイ自体が面白かった為、あまり気にせず読み進める。6人のエッセイを読んだが、どれも文字数制限を大幅に超えている。
そして7人目のエッセイを読み進める。公募募集時に「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きがあったにもかかわらず、このエッセイは自分語りだらけで、なんならテーマにも沿っていなかった。
あまり面白くないなと思いつつ最後まで読んだ。そして最後の文章は以下の通りだった。
"普段文章なんか全然書かない。お金貰わなきゃ一生書かなかったと思うから、今回この機会貰えて嬉しかったすw"
ああ、なるほど。
企画主催者が自分の好きな著名人に文章を書いて貰う為の口実として作られた企画だったんだ。
本をパラパラとめくると、企画主催者がお金を渡して文章を書かせたであろう十数人には、来歴についてのページが用意されていた。映画監督、写真家、小説家など。何年生まれでどの大学を出た、こういう大きな仕事をしている等、書店で売られている本に掲載されているような紹介ページが個々に用意されていた。
一方自分の掲載されているページを見た。もちろん後ろから数えた方が早い位置に掲載されており、名前のみの掲載だった。
恥ずかしいというよりも、やるせなさがあった。
私はこのアンソロジーを、一読者として楽しみにしていたのに、「私が好きなクリエイターに文章を書かせるためのきっかけ」でしかなかったことをハッキリとわかってしまった。
企画主催者が公募でエッセイを募集したのは、本のボリュームを出したかったからであって、「このテーマで色んなエッセイを読みたい」という気持ちからの募集ではなかったのだ。企画主催者は特に著名人でもなんでもない素人の書いた文章に、ページを割きたくはなかったんだろう。
公募募集時の「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きも、素人の自分語りは聞くに堪えないが、自分の好きなクリエイターの自分語りなら大いに結構というスタンスだったのであろう。
別にお金を貰いたかったわけでもないし、来歴ページを用意して欲しかったわけではない。献本を頂けただけでも非常にありがたく思っている。
せめて、せめて自分から頼んでお金を積んで文章を書いて貰った人にはそうとわからないようにして欲しかった。参加者全員平等に扱って欲しかった。
「このテーマで文章を書きたい!」という強い気持ちがあるわけでもない、ただただお金を貰って文章を書いている人ばかりのアンソロジーだとわかってしまってから、ひどく陳腐なものに見えてしまって以降この本を読めていない。
テーマが魅力的で期待していたばっかりにガッカリしてしまった。
所詮趣味の同人活動なので、別にこの企画主催者のようなやり方があってもいいと思うが、一参加者として良い気持ちではなかったということをここに残しておく。
話題になっていたこれを読んだけど、納得する部分と「そうじゃないんだよなあ…」という部分とがあった。
https://anond.hatelabo.jp/20241201202854
◯「あそこに集ってるのはみんな『書きたい人』であって『読みたい人』ではない
一部では当たっている。この間の39はスペース数が1500、来場者が14967人。来場者にはサークル参加の人たちも含まれているので純粋な「買い専」の人は2/3もいない。これを少ないと見るか多いと見るか。
でもリアルイベントの楽しさは「交流」でもあるし、売ってる本がつまらなければ買わなければいいだけの話だろうと思う。それだけのコストを払う「付き合い」の価値があるか。
◯「そのコミュニティでしか通用しない価値観」みたいなもんだけ先鋭化
これはコミケとかティアとか評論系同人イベントでも思うのだけど、結局話題になってそれなりに売れる本ってそれなりの切り口と目線が必要になる。
だから手掛けている人は実は本業が出版業だったりして(フリーの編集者だったりライターだったり)商業ではできないけど同人ならある程度ペイできるし、という感覚でやっている人が結構いる。文フリも年々、独立系書店や本格的な流通をやってるリトルプレスだったり、小さな出版社の参加が増えている印象。そうなると同人誌全体のレベルがボトムアップする分、「素人が情熱だけで作ったもの」は見向きもされなくなる。結局、「好きなものを作って売るのは自由だけど、“売れる”ためには別の努力が必要だよね」という現実の話なんだよね。だから個人的には先鋭化というよりは「売れる本と売れない本が2極化していく」になるのではと。
ちなみに評論系界隈だと、最近は「コミケだと売れない」という話をよく聞く。固定客以外が他の専門イベントに流れてるんだろうけど、長く続いてる分「場」が飽和したんじゃないかなと思っている。
自分は文フリに参加している側だけど、本業が出版系。「赤字にならない程度のコストで作りたいもの、かつイベントで売れるだろうと見込んだ本」を作るスタンス。
売上は毎回40〜50冊くらい。ちゃんと儲けも出るように作ってるので、いい(副)収入?にはなってます。
だから個人的に思うのは、商業やトレンドからは大きく乖離してはいかないのではと。なぜならあの場には「プロ」が多くいるから。
でも「作りたい人の純粋な情熱の発露の場」ではなくなっていく可能性がある。そしてそうなるとイベントとしてはつまらなくなる可能性がある。そうなったときに文フリがどういうスタンスを取るか、かなあ。
すっかり行かなくなってしまったが文学フリマ東京が年々、盛り上がりを増して規模を拡大させていると聞く。評論系の島は特に人口を増やしているらしい。
XのTLで、「文学フリマは盛り上がってるのに出版不況は終わらない」みたいな対比で語っている人のツイートが流れてきたのを見た。
そこって対置されるもんなんかな、と疑問に思った。文学フリマで金を使うのと、商業の書籍に消費者として金を落とすのはぜんぜん違う事だ。
あそこに集ってるのはみんな「書きたい人」であって「読みたい人」ではない。そこを兼ねている人、ですらないと私は思っていた。
私が文フリに行かなくなったのはそのしょうもなさを感じていたからだ。
商業じゃねえんだからみんな好きなように書きゃいいさ、というのは当たり前なのだが、しかし「俺の話を聞いてくれ!同調してくれ!褒めてくれ!」という承認欲求と、「読む人が楽しんでくれたらいいなぁ」というサービス精神のバランスが著しく前者に寄っているテキスト、端的に言えば「お客さんを想定してそこに媚びる」という作業があまりにもない作品は読んでて疲れるし恥ずかしくなってしまう。
とくに評論系、たとえば素人で映画などのエンタメや文芸のたぐいを批評してる人の文章。「ああー、この人は物知りで鋭い視点を持った賢い人だと思われたくてしょうがないんだろうなぁ……」という剥き出しの、内容に釣り合ってない自己愛で見てられないことが多い。
私が哀しいのは、みんな自分を褒めてほしくて何か書いて文学フリマに持っていくが、誰かを褒めたくて文学フリマに行く人はそうそういないということだ。あそこは店しかない商店街だ。
一見、活発に紙幣が飛び交って何冊も同人誌が売れて「完売しました!」のポストがSNSで踊っても、しかしそのほとんどは(横のブースで本を出したりしてる)同じコミュニティの友人・知り合い同士で挨拶がてらにお義理に買ったり互いに購入し合ってるだけなんじゃないか。自分が相手に買ってもらいたいから、褒めてもらいたいからしゃあなしに相手のものを買ってやってる、何の広がりもない循環。
少なくとも私は、友達に同人誌に誘われたりして文フリに出てた時分には、そうやってネット上の知り合いや大学の後輩が出してる興味のない本を5、6000円ぶんも買って鞄を重くしてげんなりしながら帰っていた。一冊も読んでない。
そんな循環の中で買われた本だから、もちろんSNSでは褒めてもらえる。知ってる人から。おざなりな言葉で。「俺はちゃんと褒めたんだからお前も俺のことをちゃんと褒めろよ」あるいは「この人は買ってくれたしポジティブに言及してくれたから私も褒めとかないとな」という強制コミュニケーションとして。
そんなポトラッチみたいに金と賞賛をぐるぐる回し合う、何もかもが社交辞令の薄笑いで回ってる場所でその社交辞令に気づかず「褒められた~嬉しい~」とヘラヘラできる人は良いのだろうがしかし、そんな馬鹿が何百人もいるとも思えない。
だんだん、みんなにとっても「自分の居場所になっているコミュニティからつまはじきにされないように、内心イヤになってても行っとく買っとく」場みたいになってく(あるいはもうなってる)んじゃないか。そうなるとどっかで一気に、今の膨張の揺り戻しが来るよ。
まぁ別に、「インディーズでやってる界隈」ってぜんぶ多かれ少なかれそういう部分があると思うから、ことさらに文フリを悪く言う必要もないんだけどね。小さいライブハウス借りて音楽やってる人とか、地下芸人なんて言われるお笑いの人とか。客席にプレイヤーしかいない趣味のお稽古事発表会みたいな現場はどんな界隈にもある。
そこで、プレイヤー同士で品評し合って褒め合って気を遣い合って、どんどん「そのコミュニティでしか通用しない価値観」みたいなもんだけ先鋭化して、商業とかトレンドみたいなものから離れていくのに快感を覚えたりしてね。
いくらでも身内のエコーチェンバーなコミュニティに閉じこもってられる時代だからこそ、本当に義理じゃない、虚しくない言葉とかお金を使ってもらえる方向で作品を発表してった方が絶対いいよ。自分に気を遣う必要がない人がわざわざくれた誉め言葉って、すげえ嬉しいよ。マスに向こうよ。商業を目指そうよ。
そんなことを思う今日この頃です。ま、商業出版特に活字の文芸・批評とかいうオワコン産業(どころか別に始まってた時期もないキッズリターン産業)を目指せってのも無責任なポジショントークなんだけどね。
https://togetter.com/li/2293203
この方はn=1としてC99の体験の話をしているけれど、C99に限らず直近のC103(冬コミ)まで参加して相性悪いよなあ、と思ったので書こうと思います。
C99に矮小化してしまってるので、「あの回は特別で他のジャンルも似た感じだった」というコメントが散見され、自分もそこを加味してしまうとよくないなあ、と思ったのと、
書いているのはC100まで女性向けサークルでサークル参加(と日によっては一般参加)、以後は一般参加のみの人です。
また便宜上女性向け・男性向けという呼び方を使い、比較として現在女性向けの主流である赤ブーブー主催イベントの内容を書いています。
あくまで個人の見解であり、これもまたn=1の話というのは念頭に置いておいてください。
まず筆頭として「午後チケット」というものが女性向けと相性が悪すぎます。
公式によると午後チケットの人は12時30分から入場とありますが、C103は午前チケットで11時頃着の12時頃会場入りできたので、実際はもう少し後だったのではないか、と思います。
Togetterのコメントなどにもありますが、女性向けサークルは撤収が早い傾向にあります。
これは
という理由がよく挙げられますが(最後は男性向けもそうじゃないかと思いますが)
・搬出で並ぶのが大変
というのもあります。
マンレポでも「箱を持って並んでいたが台車に乗せてもらえて助かった」というのは鉄板の投稿内容です。
https://www.comiket.co.jp/info-a/MR/mr.html
箱1個でも本(紙)がみっちり詰まっていると重たく、腕力のない女性は搬出大変です。それを抱えてずっと並ぶのは結構きつい。
コミケの搬出は並びます。この辺りも過去のマンレポを参照してもらえると明白なんですが、閉会間際に出そうと思うと1時間は見込まないといけなかったです。
なので、早めに撤収し、列が出来る前に搬出してしまいたい、というのがあります。
昔はウエストウイングもHakoBookもなく、翌週にある赤ブーブーのイベントの搬入がクロネコヤマトのみというものあり、長蛇となっていました。しんどかった。
赤ブーブーは現在セルフ出荷といって予め専用伝票を受け取り、それを貼った箱を搬出場に持っていって渡して完了というシステムがあります。すごく楽です。
長くなりましたが、「女性向けの場合は撤収が早い為、一般参加者の中で午後チケットという選択肢は除外されてしまう」という話でした。
それはそうだろう、と言われそうですが、赤ブーブーのイベントは現在でも10時開始で遅くとも12時には一般待機列はなくなります。
規模が小さいイベントだったけれども、一番早かった時は10時30分に一般待機列が解消していた記憶があります。
コミケも以前は12時~13時頃にはフリー入場になっていたと思いますが、現在は上記の通り午前チケット・午後チケット別で並ばなければいけません。
並んでも買いたい本があれば別ですが、女性向けサークル数も減ってる現在ではちょっと遊びに行く程度では参加がしにくくなっています。
それならば通販を使って並ばず確実に手に入れたい、となってしまうのも道理です。
また、コミケの一般参加者は男性の方が比率が高いです。少し古い情報ですが、下記の資料が公開されています。
https://www.comiket.co.jp/info-a/C81/C81Ctlg35AnqReprot.pdf
女性向けが減った今では更に男性の比率が増えているのではないかと推測出来ますが、それは一度おいておきます。
もうこれはどうしようもないですが、それが参加者がほぼ女性の赤ブーブーのイベントと比べて忌避される理由になります。
個々の体格差の問題ではなく、女性が1000人より男性が1000人の方が質量が大きいです。またパワーもあります。
一般入場列が来ると机が揺れます。揺れるだけならいいですが、ずれます。机上の本が落ちます。押さえていても負けます。
「走らないでください」と言われてもお目当てを目指して早歩きになるし、あちこちに方向転換することによってえらいことになります。
また、一般参加で動くにも男波に揉まれると移動が大変です。容易に埋もれます。あとリュックが顔に当たります。
それと抽選というのもコミケを避ける要因になっていると思います。
ただでさえお盆・年末なのでスケジュールのやり繰りが必要になるのに、当落が出るのは1~2ヶ月前です。
C103ですと12月30日31日の開催で11月10日に当落が出るスケジュールでした。
シフト制の職の人はもうシフトの締切後かもしれないですし、遠方の場合は繁忙期なので新幹線や飛行機、ホテルを早く手配しなければなりません。
また、予約を万全にしておいても落選していたらキャンセルをして行かないということも充分あり得ます。
一方赤ブーブーは基本先着順で、満了近くなるとSNSやサイトで告知もあります。申し込めば不備などを除きスペースは用意されます。
つまり申し込んだ時点から参加に向けてのスケジュールなどのやり繰りが出来るのです。
スケジュールといえば盆・年末という日程がそもそも無理という人もいます。ジェンダーバイアスになりますが嫁仕事というやつです。
逆に「コミケは申し込みから日が長いからジャンルスパンが短い女性向けにあっていない」ということについては懐疑的です。
例えば2024年6月に開催される赤ブーブーのイベントがもうすぐ満了と告知されています。
こちらは募集スペースが倍になってからの早期満了であり、特定のCP(ジャンル)のみのイベントです。
https://twitter.com/AKABOO_OFFICIAL/status/1739187539360260448
https://twitter.com/AKABOO_OFFICIAL/status/1744545230106599600
ジャンルスパンについても昔は男性向けの方が短いと言われていた(「クール毎に嫁が変わる」など)ので、差はないと考えています。
つらつら長くなりましたが、元々C99以前から女性向け参加者が減っていたところ、更に追い打ちとしてチケット制で更に減ったというのが個人的な意見です。
減ったのはサークル参加者が先か、一般参加者が先か、については不明ですが、因果がスパイラルになって減っていっていることは確かだと思います。
ではコミケはこのままでいいのか、ということについては個人的にはこのままでいいと思っていますし、今更女性向け参加者を増やすことは難しいでしょう。
確かにコミケと赤ブーブーのイベントでは空気感も違いますし、評論系の同人誌などは後者ではあまりありません。
しかし、コミケは規模が大きくメディア露出などもしていますが、いってしまえば同人即売会の一つです。
先述の評論系ならば「文学フリマ」「おもしろ同人誌バザール」「コミティア」、さらに特定ジャンルに絞れば「技術書同人誌博覧会」「めしけっと」などのイベントもあります。
なんでも一強の時代というのは長く続きません。色々な同人即売会が存在し、それぞれが盛り上がっていた方がいいのでは、と個人的には思います。
結局、周囲のサークルも一般も参加が減る=会える人が減る、買うものが減る、手に取ってもらう機会が減るってのを考えると、儲けを狙っているわけじゃないにしろこの時期に参加費1万円かあ…と思うよ。わかる。
自分は女性向けジャンルだが、一昨年・去年に出した新刊はオンリーイベント3割→Booth5割→残り2割は次のオンリーやBoothで捌けてたが、今回の冬コミでは0.5割だった。6分の1。
昔は「コミケ以外に代替イベントがない」ジャンルが多かったけど、
今はもうコミティア・文学フリマ・技術書典・例大祭…等々のほうが強いジャンルが増えた。
女性向けジャンルはコロナの前からその傾向があったが、C99/100/101と加速している。
個人オンリーの衰退とともに企業オンリーが優勢になり、赤ブーがオールジャンルイベントではなく「ジャンル・カプオンリーの集合体」イベントになった。
今回の女性向けの島、サークル参加者の年齢層が赤ブーイベントと明らかに違う。
先日開催された冬コミに3年ぶりに参加した。コロナ対応のためチケット制になり、入場者数がかつてと比べて減っていることを、情報として知ってはいた。知ってはいたんだが…。
しかしそれがここまでダイレクトに売り上げに直結するとは思わんかった。具体的に書くと三分の一くらいになった。へこむぜ。
8年前から冬コミで新刊を出して、それをチャンスがあれば文学フリマなんかに持ち込んで…というサイクルで参加していた。
刊行をそこにあわせているのもあるんだろうけど、やっぱり数を頒布できるのはコミケ。目を引く表紙にしていたこともあって結構ジャケ買いっぽい人に手に取ってもらえてた印象がある。
そんでTwitterの知り合いの人が20~30人くらい毎回きてて、その人たちにも手にとってもらえたりする。
ありがたいことに、継続しているうちにだんだん部数がはけるようになり、コロナ直前のコミケでは新刊をxxx部くらい頒布できていたのよ。
これ大手サークルとかと比べればみそっかすもいいところの数だとは思うんだけど、体感としてはxxx部頒布するってなると(開場直後、大手サークルに長蛇の列ができる1時間くらいを除いては)断続的に人がきて、まあぼちぼち対応していると終了時間になっている、という感じなので、結構「売れている」感がある。うれしいことに。
今回もだいたいxxxxくらい刷ってコミケで頒布、その後文フリとかで残りを…というサイクルを想定していたわけです。
甘かった。見通しが。人が来ないことの影響をもろに被った。
物理的に人がいるということが、増田のような零細サークルにとってめちゃくちゃデカかったんだと再認識した。
2019年の冬コミの累計入場者数が75万人(4日間開催)で今回が入場制限の結果18万人(2日間開催)だから、一日あたりの入場者数はだいたい半分くらいになっていると思うんだけど、まさにそれがダイレクトにきた。
知り合いもたぶんいつもの三分の一くらいしか会場には来なくて、ゆるいオフ会みたいな雰囲気もだいぶ減った。
批評を読むような層にとっては優先度がコミケ<文学フリマなのかなあ。確かに文学フリマは入場料タダだし、人もめっちゃくるようになっているみたいだし、昨年5月の文学フリマ東京はたしかにゆるいオフ会みたいな空気が継続している雰囲気はあった。
今回ははじめてBOOTHで通販もはじめてみて、意外と売れてるんで驚くんですが、それでもかつてのコミケでの頒布数には到底およばない。
やはり増田のような零細個人サークルを支えていたのは、偶然目にとめてもらった結果のジャケ買いなのだ。BOOTHでジャケ買いは発生しようがないからな。
たくさん売るためにやってるんじゃない。自分の納得したものをかたちにできたか否かが大事なのだ。
それでも、終了時間になっても在庫の山がうずたかく残っているのは、やっぱりつらかった。
会場の様子をふりかえってみると、相変わらず成人向けのあたりはわりとたくさん人がいて、まあ評論島はいつものとおり真空地帯だったんだが、真空ぶりに拍車がかかっていたんよな。成人向けのところも以前のような芋を洗うような混雑ぶりではなさそうだったし、知り合いにきいたところ、11時ごろには人気サークルはほぼ完売御礼で、最速の入場時間以外だと消化試合もいいところだったそうだ。
コミケで数を頒布できていたのは、ある種のおこぼれにあずかれていたが故だと今回強く実感しました。
でもそのおこぼれこそが全体としての即売会を(特に評論のような非メジャージャンルを)活性化させていたんです。
今年からはまた準備会の対応も変わってくるんでしょうが、入場制限のある限り、コミケは大手サークル以外には厳しい場所であり続けると思う。
以上、一参加者からの雑感でした。やり場のない気持ちを書き残したくてはじめて匿名ダイアリー使ったわ。
ほかの参加者からコロナ禍のコミケがどうみえていたのか、わたし気になります。
(追記)
こんな読まれると思ってなかったんで部数だけ隠しました!恥ずかしい!
yakitori-siro この増田は儲からなくて辛いんじゃなくて、トラフィックがないから「ちょっと興味があるかも」な層に手にとってもらうことすらできない、同好の士になりうる相手にリーチできない辛さを言ってるんだよね
これはほんとにその通りで、意を汲んでいただいて涙出ました。あと人が来ないと暇な時間が増えるんすよ。それが切実につらくかなしい。
いや。凄いわかるよ。今は知らんけど、昔は告知らしい告知も自分のアカウントでだけみたいな弱小評論でも、それなりに通りがかりに面白いと思って買ってくれる人が居たし。そこにコミケの価値があったよ。
評論なんて手間考えたら、元々合理的では無いんだから。手に取ってもらえる人数が減った事がメインの話なのに。知りもしないのに「電子にしろよ時代遅れ!」みたいな茶々は本当にゴロツキの言い草でしかない。そういうヤツがでかい顔している所がはてなのろくでもない所だよなぁ…
おわかりいただけてとってもうれしいです。まじで、「手に取ってもらえる人数が減った事がメインの話」なんすよ。それが金銭とどうしても関係しちゃうからめんどくせえあれが発生するとは思うんだけど…
https://twitter.com/wind_steed/status/1609957333576351745
前回に比べたら今回相当人の流れあったんだけど、適度に空いてるからコロナ前の倍以上の速度で人が移動してたんよ。その速度で移動してるとサークルに目を向けるのは無理。ポスターとかあっても無理。
あー、これ意識してなかったけど人がいないと人間の移動スピードあがるというのは確かにそうかも。
他、コロナで運動不足→体力減退で巡回できなくなっているとかはその発想はなかったんでおもしろかった。検証できるもんでもないし流石に妥当な推論とも思えないけど…。あとなんでもかんでも少子高齢化に結び付けるのはちょっと安易すぎでは?と思いつつ、参加者の高齢化はたしかにあるよね。
razik C99〜101までマイナー島でサークル参加してるけど、おおむね同じ感想。島自体が閑古鳥なのに周りが早めに撤収するから、後半は尚更人が来ないという負のスパイラルに陥っている。
odakaho 2日間とも行ったけど、午後入場だと過疎島回る時間が全くないのよ。15時くらいにはみんな撤収始めてるし・・。
そうそう、書き忘れたけどご指摘の通りサークルの撤収がめっちゃはやいんすよね。体感、15時くらいにはほぼおしまいの空気になってる。
いままでは、打ち上げでサークル参加組と合流するために非サークル参加の人もだらだら居残ってたりしたんだけど、まあ気楽に打ち上げというのもまだちょっと厳しいし、それならだらだらせずにさっと帰るわな。
ka-ka_xyz "今回ははじめてBOOTHで通販もはじめてみて、意外と売れてるんで驚くんですが" 評論島、通販してるとこが他のジャンルと比べて少ない気が。もっと通販して欲しいの。
これまではTwitterの知り合いには自家通販してたんですけど、BOOTH使ってみたら思いのほか手に取ってもらえてるんで、なんかいままですまんかった…という気持ちです。正直ここまでインフラみたいになってると思ってませんでした。pixivがあんまり影響力強めるのもよくないなとは思いつつ、やっぱクレカ決済とかできると楽ですもんね。頒布するほうも金銭トラブルを避けられるし、そこらへんの安心を手数料分で買ってるとおもえば、まあ仕方ないのかなあ、という気持ちになりつつあります。
amunku この増田はまだ見栄張ってるかもしれなくて今やほとんどの島中は参加費1万だして一部もはけない。買い手も金がないから大手しか見ない。コミケはアマチュア作家の祭りではなくなり大手と芸能人と企業のイベになった
「ほとんどの島中は参加費1万だして一部もはけない」はさすがに盛りすぎでは?「ほとんど」のサークルが一部もはけてなかったらさすがにみんなのむせび泣きが会場に響いてると思う。
deztecjp 以前の1/3ならxxx部程度かな。それだけ売れていても「大手サークル以外厳しいと思う」といわれると、「あー、そうですかー」な感想を持つ。人間は、すぐ高い水準が当たり前になって、満足するということを知らない。
三分の一に減ったことをショックだったっつってんの!xxx部でたから売れてんじゃんとかそういうのではないわけ。
IthacaChasma ずっと参加してる人によると、一昨年の冬の売上が一番悲惨で、去年の夏で少し回復、この冬はこれでも大分回復してきたらしい。夏はもっと入場できるようになると良いね。
たしかに一昨年は去年より入場絞ってること考えるとマジでやばそうですね。私個人のことを書いておくと、一昨年はコロナでそもそも中止になるんじゃないかと思って申し込みせず、また開催時の感染状況から一般参加も見送りました。
いちばん苦しい時期に逃げ出しといてなにいまさらつらいつらいいってんねんみたいな論評をみかけましたけど、この判断自体が不適当だったとは今でも思ってません。自分や家族の命を危険にさらすリスクを負ってまで「場の継続」に奉仕することは、ちょっとできない。つらい時期を支えたことを誇るのはいい。でもそれを他者をくさす道具として使うのはくそダサいですよ。
gooeyblob チケット制となるとかなり億劫度が高くなるよね 自分も完全に行く気無くしてしまった/評論系でxxx部って相当売れてる方じゃない?
おっしゃる通り、どちらかといえば売れているほうだと思います。マジで表紙に気合い入れてジャケ買いしてもらえるようにしてたので…
ジャケ買い狙いのようなことやってるから参加者減少の影響をダイレクトに受けてるだけじゃないの
ジャケ買い狙いなのに増減に一喜一憂できるの本気で謎なんだけど
中身で勝負すれ、中身で
ext3 評論をジャケ買いさせてる時点でなんか詐欺臭くないですかね?今まで騙せてたのが騙せなくなって正常なレベルに戻っただけでは?
あのですね、「目を惹く表紙であること」は、書籍を手に取ってもらうための必要条件だと思います。たくさん本が並んでるなかでまず入ってくる情報って表紙だけでしょ?
「中身で勝負すれ」って、まず中身に触れてもらえなきゃお話にならんわけ。表紙で興味をもってもらい、手に取って中身をみてもらえるかがまず超重要です。これは前提。
加えて、わざわざ批評を本という物質にするんだから、その物質がなにかしらの批評性をおびてよいわけで、すなわち「どのような表紙にするか」というのも一つの批評なの。「目を惹くこと」・「批評の内容を端的に象徴するようなものであること」、この二つの緊張関係のなかで表紙を設定することはまさしく批評的実践なのであって、だから増減に一喜一憂するのは批評的実践のある部分の成否がそこに託されているからなんですねえ。だから表紙も「中身」の一つといえる。表紙/中身などという単純な二分法を自明のものとする素朴さにやすらっているうちは、もう少し謙虚な態度でインターネットをなさったほうがよいかもしれませんね。
刷っても損しかないんだからnoteにとうこうとかでいいじゃん。
なんならそこに有料記事入れれば印刷と違って赤字0だし、金払うやつが可視化されて承認も満たされるだろ。
なぜわざんざ刷る?
あのねえ、書籍として物質化すること、そしてそれを誰かに手に取ってもらえることのうれしさを舐めすぎ。
きみもわざわざ刷ってみたらわかるよ。
https://twitter.com/puyotaroh/status/1609816866356342785
この評論サークル主の発言も、「これまで当日の偶然買いの成功体験に頼りすぎてて、事前のSNSでの告知を怠っていたのでは。そもそも普段からどんな批評本を書いてるか発信してたの?」との感想にしかならないんだよなぁ。
インターネット軍師、乙です!!!!!SNSで宣伝しとらんかったらコロナ前にxxx部も頒布できるわけねえやろがい!
それを踏まえたうえで、入場制限のせいで偶然性がもろに縮減していることの厳しさをいってるわけ。
https://twitter.com/soramimi__cake/status/1609867980325937152
この増田自体は(特にブコメに反応してる追記)大変嫌らしい書き振りで、こういう自分のノリに合わせてくれないとあからさまに不機嫌かつ見下しモードになるような人が表現活動(笑)から撤退していくなら日本の言論はなんぼかマシになるんじゃないかと思いましたまる
おめえ、コミケが思わしくなかったところでお気持ち表明してみたら雑言及の雨嵐を食らってんだから「不機嫌かつ見下しモード」にもなろうってもんですよ。こちとら匿名だしここでしか反論できないわけだからね。「表現活動(笑)から撤退していく」ことはないんで、そこんとこよろしく。
気持ち悪くなってくれてなにより。お前はインターネットで文章読むの向いてないよ。
https://twitter.com/taka_humo/status/1609916648844308481
ボクの知り合いのサークルは大手でも何でもない所でもしっかり完売してたし別に大手だから厳しい・厳しくないとかでないんじゃないかなあ(しかも1人は評論島)
「あの場の空気を楽しむ」って、もし全然頒布できなかったら地獄みてえな空気になると思うんだけど、それを楽しめるのはいかれたマゾかサイコ野郎だけやろがい!まったく手に取ってもらえなかったけど、コミケの空気が楽しめてよかったなあ、ってなるわけあるか!皆目見当違い!
空気を楽しむためにも手に取ってもらうためいろいろやったりするわけだし、コミケ自体が人たくさんいたほうが偶然性が高まって手に取ってもらいやすいでしょ。
大手の苦労とここで書いてる「そもそも手に取ってもらえなくなってる」厳しさは別問題でしょ?でかいお金を動かすシビアさから生じる問題の話をしているわけじゃない。それを関連づけちゃうのが豊かな想像力ってわけね。ファックユー!
まあタイトルはバズ狙いであれしたのは認めます。結果アテンション集めたからセーフ!
https://twitter.com/yellow_0918/status/1609889858520240128
バズろうとして滑り散らかした事をここに堂々と書ける精神も凄いし、隅から隅までキモ過ぎる文章の書き方や中身も含めて過去の栄光に縋ってるだけの老害にいつ気付けるんだろうという哀れみしか出てこない
既に400もブックマークついてんだから、「バズろうとして」るんじゃなくて現にバズってんだよタコ。文体含めての芸だからね。それで狙い通りバズらせたわたくしの力量を素直に称賛なさいな。こんなことくらい誰でもできらあってんならやってみなせえ。「キモ過ぎる文章」に「哀れみ」を表明せずにはおられなかったお前が「キモ過ぎる」し「哀れ」。
その他、脊髄反射でろくに読みもせずコメントするやつわらわらで引くわ。本を読みなさいね。
せっかくですし、わたくしからは蓮実重彦『映画からの解放―小津安二郎『麦秋』を見る』をおすすめしておきましょう。
予備校生向けの講演を書籍化した短いパンフレットですけど、わたしたちがいかに映画を「みそこなっているか」がわかる、とっても啓蒙的な本です。
思った以上に拡散してしまいましたが、これはわたくしの出した本がコロナ前より手に取ってもらえなくて悲しいな~以上のことではないです。そして「厳しいと思う」のは気持ちの問題以上のことではない。でもその気持ちこそがやっぱり大事なのだ。しょせん戯れにすることなのですから。
適当に書き散らかしたやつが長年やってるはてなブログと比べてあまりに簡単にアテンション集めるのでビビる。ビビります。はてなブックマーク、ほんといやなサービス!
気に入らないやつらに全レスしたろうかと思ったけど正月休みの使い方としてあまりに不毛なのでやめます。が、安全圏から石投げられんのも気に入らんので、適宜こちらからもボール投げ返すわね。
貼れるリンクの数に制限あるみたいだったんで、コメント返信続きは以下のエントリで。一部をこっちに移しました。
今日のオンライン定例会議は夜9時から。突然の仕事で遅くなって今は10時。これまでは2時間位掛かるのが普通だったから、もう議題の半分位は終わっているだろう。
しかし、帰宅してPCを立ち上げると、既に会議は終わっていた。
「もう、やめたい。もう、あの会議には出たくない」。
*
シノブは同人サークルを立ち上げたばかりで、今日は同人誌を執筆したメンバー達と打ち合わせをする事になっていた。
私、カヲルも同人サークルを運営している。サークルと言ってもメンバーは一人だ。
「フォトショップ持ってるよね? 印刷所に入稿する原稿を作れるのはカヲルさんだけなんだから! お願い!」
本当は自分自身もコミケ合わせで作りたい作品があって、スケジュールはギリギリ。
でも、何もかも初めてのシノブのこんなお願いに、私も重い腰を上げて手伝う事になったのだ。
「冬コミって今から申し込めば大丈夫?」とシノブ。「締切りはもう過ぎたよ。でも売り子を手伝ってくれるなら、うちのサークルスペースに作品を置いてもいいよ。もし当選したらね」。
シノブをはじめメンバー達みんなも生き生きとして原稿を作成し、薄い本の実物の姿がだんだん見えてくるにつれて、熱狂は最高潮に達した。
そして「マイナージャンルなので、献本分を除き十冊程度売れればいいでしょう」と、その何倍かコミケに持って行ったら、二時間で完売してしまったのだ。
*
しかしそんなシノブが、同人サークルをやめたい、オンライン定例会議にも出たくないと突然言い出したのだ。
これは本当にきりの悪いタイミングだった。
「あの完売した本、私も欲しかったんだけど、再版はあるの?」と何人かに聞かれていて、「今検討中です」と答えていた。
シノブも「通販と、1月の文学フリマ京都や夏コミでカヲルさんのサークルスペースに出す予定です」と答えていた。私からはまだちゃんと「いいよ」とは言ってないのに、ちゃっかりしてるなあ、でもまあいいか、と思った。
ベーシックインカムだと何もしないでお金をもらうという話なのだが、
コンピュータを使って何かしら作ることはできる時代になったので、こちらの方法で大儲けはできなくとも、そこそこ稼げるようにならないものだろうか。
高齢者が増えていくなかで、体力が落ち、年金のみで生活するのに不安があり、消費に回すお金もない、
といった状況を変える1つの方法としてニーズはありそうに思う。
これまでのWebは、グローバル化と価格競争、広告で進んできたわけだが、期待値のわりに日本全体でパイの拡大ができていない。
(政策が悪いという意見はもちろんだが、他の方法もあるだろう)
Amazonの個人出版や、同人誌やオリジナル創作物の販売サイトはあるが、今のWeb構造だと埋もれてしまう。
コミケ、文学フリマ、技術書展といったイベントがトリガーで販売という方法もあるが、結局大規模なものしかネットで浮上しない。
だいたい創作界隈というのは二次創作の方が賑わってて、同人誌と言えばエロ二次漫画というイメージの人も少なくない。その中でもイラスト・漫画じゃない一次創作ときたらそれはもう手に取って貰いづらい供給過多のジャンルで、ちょっと検索すれば「小説同人誌は読んで貰えない」「小説同人誌は不人気」系の話題はぞろぞろ出てくる。
そんな界隈でファンタジー+SFな世界観で活動してきた。これまた供給過多のジャンルだが、狭い界隈には狭い界隈なりの交流とか面白さがあって自分なりに楽しんでやってきた。別にプロになりたいわけじゃなく自分の書きたいものを書いて形として残すのが楽しいだとか、売れるかどうかじゃなく自分の頭で一から考えた世界を作品にすることに意味があるだとか。
そりゃもちろん人気が出ればそれに越したことはないから、負け惜しみがなかったとは言わないが。人気絵師さんに挿し絵描いて貰ったりウェブ小説を見ていた編集者の目にとまったりとか妄想したことがないとは言わないが。
さて、オリジナル小説は読んで貰いにくいという話を最初にしたが、そんな状況は最近ではずいぶん変わったと感じる。オリジナル同人誌の即売会と言えば40年近い歴史のあるコミティアだったが21世紀に入って文学専門の文学フリマが始まり、2010年代からは東京だけでなく日本各地で毎年開催されている。なろう・アルファポリス・エブリスタ・カクヨムなど小説投稿サイトも多数登場した。
そこに行けば「オリジナル小説を読みたい!」という読み手が確実にいるのだ。もちろん今でもオリジナルは読まない・読んでも漫画だけ・二次創作でも小説は読まないなんて人はいっぱいいるんだろう。でもウェブ小説(オリジナルの)を読んで貰える場所は確実に広がった。小説投稿に特化しただけあって読みやすい&使いやすい&検索しやすい&感想をフィードバックしやすい優れた環境が用意される時代になった。
そういう恵まれた環境がある時代、素人がウェブ小説の投稿をきっかけにプロデビューするのが妄想ではなくなってきた。だって実際にデビューしてるし。書籍化タグがついた作品は本当に紙の書籍になって店頭に並ぶのだ。あの有名絵師さんに表紙とカラーイラストと挿し絵を描いて貰えたり漫画化やアニメ化されたりすることが本当にあるのだ。
そうやってウェブ小説というジャンルがメジャーになっていくとその中にも流行があるのが見えてきた。中世風ファンタジーが人気で純文学は不人気だろう、というようなイメージではなくもっと具体的に「平凡な俺が異世界に転生したがスキルを生かして英雄になる」とか「乙女ゲーの悪役令嬢に転生したので破滅エンド回避したい」が人気らしい、とか。その逆を張った「異世界に転生したけど一市民として平和に暮らす」とか「破滅エンドで追放されたから自由に生きる」も既に出現してる、とか。
流行ってる設定があるということは、同じような設定で書かれた作品がいっぱいあるということだ。いくつも読んでいくとこれ前も見たな……というシーンがどんどん目に付く。確かに登場人物や世界観はオリジナルでも流行ってる設定に乗っかって書くのに一次創作の意味があるのか?と思った。
それがそのまま自分の身に返ってくることに気付いてしまった。自分の書いてるのは確かに今流行のパターンではない、でもファンタジー+SFでライトな雰囲気の冒険ものなんてこれまで山ほどあるじゃないか、と。流行り物に乗っからずに自分だけの世界を作ってるつもりでいながらオリジナリティなんて胸を張れるほどなかったんじゃないか、と。
正直、一次創作やってる人にはどこか二次創作を見下してる部分があると思う。あっちは他の人が考えたキャラや世界観を借りてるけどこっちは自分で全部考えた自分だけのキャラと世界観なんだぞ、と。どんなに稚拙でも売れなくても借り物じゃない自分の作品なんだぞ、と。
でもオリジナル創作だって、すべてを一人で産みだしたわけじゃない。これまで読んできた作品の影響は誰だって受けているし、あんな作品を創りたい!と思って創作を始めることは別に珍しいことじゃない。トールキンみたいにエルフ語を自分で作りましたなんて人は滅多にいない。
自分で考えた自分だけのオリジナル作品です!という看板には思ってるほどの権威なんてないんじゃないだろうか。どこかで見たような設定でも流行りまくってる二番煎じの設定でも読者は面白ければ読むし本は売れるし商業で出るしメディアミックスはされる。趣味だから別に売れなくてもいいもんという話に戻るなら、大事なのはやってる本人が楽しめるかどうかだ。アマチュアが自分の頭だけで一生懸命考えたつもりのオリジナリティなんて、そこでどれくらいの意味が持てるんだろう。
1.ほかでもいわれてたけど「自己顕示欲」というものほどつまらないものはない
おまえがみせたいものはもう知ってる
到底だれにもみせたくないようなフェティッシュを出せ(あれば)
自分でわからなくてもなくてななくせ、家族にきいて自分の「困った」部分があればそれを磨く
2.なんでもひとりでやろうとしない
今、よいものはすべてチームでできている。ポケモンにしろアイフォンにしろ。小説も編集者がつく。
転生もの!死ネタ有り!女体化あり!時間遡行アリ!レイプシーンあり!犬が死にます!主人公は実は信長!実在しない毒薬がでてきます!犯人は外国人!
こんなに書いたら読むとこ残ってないじゃん、コワイって思う?
タグ読んだらマジであらすじが全部わかるようなうっすい内容のもんを、だれもわざわざ読まないのは事実だしな
タグと最初の3行くらいでだいたいほんまにタグ通り進行するかがわかるのあるわ・・
文章に耽溺する感覚がない人ってのはそうでもない(文章から面白さ、文脈みたいなものが匂い立ってくる感じがない)んかね?
前回までのタマスジ
https://anond.hatelabo.jp/20130830202223
https://anond.hatelabo.jp/20130901102804
https://anond.hatelabo.jp/20160813154757
交通費と昼食を出してくれるというので、一日体験入学に行ってきました。
場所(校舎)は都内の一等地。年110万円の学費を払うとこんなとこに校舎が作れるのだなぁ。
学校法人だから税制面での優遇もあるし、これ学校経営ポシャっても不動産収入だけで食っていけるんじゃないか?
Webでも紙のパンフでも、デビューした作家が一人しか載っていない。
ノベルズ学科が書いた小説の表紙をグラフィック学科が書くみたいな。
早い話が学芸会だね。
あとは文学フリマに出展したよとか。そんなの金払えば誰でもできますけど……
それに学園提携の教育ローン。年利3.5%(オリコ)。返せるの?
話がラノベから逸れるんですけど、素人目にもはっきり分かるほどイラスト系・ゲーム系のレベルが低い。2年間勉強してこれ?って感じ。卒業したあとどうなるんでしょうね。
余談ですが待合室には大量の声グラが置いてありました。声優コースは儲かるのでしょうか?
積極的に私が他の参加者に話かけようとすると「やめてください」とスタッフに制止される。
「弱い子が多いんです」というのがその理由。何が弱いのか? 頭? 自尊心?
あと、全体的に顔が幼い。未熟さを感じる。
「脚本家をコーディネートする仕事」に就いている謎のおじさんが講師。
募集要項を守れ、下手な原稿は下読みに弾かれるぞ、推敲しろといった当たり前の内容。
ちなみにこの先生の下読み時代は手書き原稿を読んでいたとのこと。いつの話だよ。
ラノベの書き方やハリウッド式脚本術といった類の本を座学で教える感じ。
もうこれ本読めば分かるじゃんといった内容で途中で眠くなっちゃた。
今回のレポはこれでおしまい。どうだい、進学したくなってきただろ?
愚者(あほ)が出てくる、村外(とかい)が見える――『屍人荘の殺人』批判に答える
第28回鮎川哲也賞を受賞した今村昌弘『屍人荘の殺人』が話題になっている。私も読んだ。
夏休みに大学生たちが山荘を訪れて、その場が閉鎖状況となって連続殺人に発展するという、設定だけなら片手で数えられる以上の似た作品を諳んじることができよう。
しかし、本作はその閉鎖状況の構成要因が変わっている。それが閉鎖状況下で発生する第一の(一見平凡な)密室殺人や第二の殺人を、この状況下「だからこそ」の、より不可解な謎を生じさせている。
(余談になるが、この構成要素に関して、小説の興趣を削ぐからと箝口令を敷く空気が流れているが、要素そのものが真相でもなく、そこから推理小説としての面白みに繋がるわけだから、過敏になる心証がよくわからない。だって、みんな有栖川有栖『月光ゲーム』の内容紹介に火山噴火のことが書いてあるからって怒らないでしょう?)
そして、謎解きの段に於いても、用意された設定が存分に活かされたうえで意外性のある真相へ導かれていくのだから、新人のデビュー作としては文句のない出来だ。
選考委員の一人である北村薫氏が選評でも書いているように、年末のミステリ・ランキングにもランクインすることだろう。江戸川乱歩賞受賞作が出なかった2017年に至っては最大の新人である。票が集まる可能性は高い。
なお、これより先の文章は『屍人荘の殺人』の結末に言及することになる。よって未読の方は注意されたい。そうは言うものの作品分析とは違うので、そういうものをお望みの方には本文章は無用である。ほかの小説や評論を読んでいるほうが、よほど有意義な時間の使い方というものだろう。本格的な『屍人荘の殺人』論は私も読みたいので、その仕事はほかの方にお任せしたい。
それでは本題にはいろうと思う。
あらゆる作品に言えることだが、普段そのジャンルの読者を標榜する輩が仲間内で褒めているうちは、実際の読者数はそんなに多くないというのが常だ(そういう輩は自分の村の外には碌に目を向けられない田舎者で、声だけは無駄におおきい)。
一方そういったジャンル読者のなかから以下のような記事(詳細はリンク参照)を書く者が現れ始めると事態は変わってくる。田舎者が批判するのは他所者と相場で決まっている。つまり、彼らの仲間以外の人々がその作品について(読んで)語っていて、その感想へのカウンターとして下記のような記事は生まれてくる。これはより多くの読者を獲得しつつある、要は売れる兆しと言える。
https://rikuriaikawa.blog.fc2.com/blog-entry-28.html
本人のtwitterを拝見する限り、文学フリマでは200頁超のミステリ評論も頒布したらしい。熱心な書き手である。残念なことに自分はミステリ評論のほうは手に入れていないのだが、それほどの分量なのだから、すくなくとも労作であることは間違いないだろう。
もし、そのミステリ評論も先に紹介した記事と同程度の読みの確度であるなら、物を書くことに徒に時間を浪費するより、余生は別の趣味を見付けることをお勧めしたい。
読者の疑問に対して、作者が答えられる機会はそう多くない。作者一人に対して読者は数千数万といるわけだし、アホな質問にいちいち答えられるほど作者も暇ではない。
なので、ここでは氏の疑問に対して僭越ながら自分が答えたいと思う。
もちろん私は『屍人荘の殺人』の作者ではない。ましてや作者の知人でも、インタビューして伺ったわけでもないので、あくまで氏と同じ読者の立場から作者の意図を拾って回答するかたちとなる。ここでの回答が作者の望むものとは同じでないことは(こんなこと本来は言うまでもないことだが)留意してほしい。
「『屍人荘の殺人』を読んで16の疑問」という記事を書いた藍川陸里氏は、冒頭を読む限りでは、まず『屍人荘の殺人』が「過剰に絶賛されて」いる状況に疑問を持っている。本作が完成度以上の賛辞を得ている点には、私も反論はしない(とはいえ、その現象に対して私が差し挟む疑問や意見もない)。氏は本作に関して「さすがに不備が多すぎるんじゃないか」と、本人曰く「辛口のレビュー」を展開している。
しかし「レビュー」とは言ったものの、「手落ち感のあった16の箇所」を列挙しているだけなので、いわゆる書評の体裁からは程遠い。「手落ち感」という予防線を張った書き方も気になるが(明確に「手落ち」と言えるのであれば手落ちと書けばいい。取って付けたようにオブラートに包むことで批判を「雰囲気」に回収して最初から退路を用意する書き方は、物を書く(それによって批判する)者のスタンスとしては最低である)、ここは氏のやり方に倣って自分も箇条書きにて回答したい。
念のためもう一度注意を促すが、これより先の文章は明確に『屍人荘の殺人』の結末に言及することになる。よって未読の方は、このくだらない文章を読む前に、興味があるなら作品を読むことをお勧めする。世評や他人の感想ばかり集めて読んだ気になるのは、読書に於いて最大の愚行である。
……登場人物のひとりが話す(映画における)ゾンビの特徴を実際に発生したゾンビに当て嵌めて話を進めるのは納得いかない、と氏は批判している。しかし、謎解きの道具である特殊設定(現実では有り得ない設定)の説明に筆を割けば割くほど、物語における主従が逆転して本末転倒になっていく。氏の指摘は尤もだが、これは特殊設定を活かしたミステリ全般が孕む問題であり、本作に限ったものではない。ほかにもそういう作品があるから本作でも問題にならないというわけでは勿論ない(こういった問題をクリアしている作品もちゃんとある)。本作はミステリ研究会の会員が作中でミステリについて言及するなど「お約束」を踏まえた舞台づくりになっていて、更にそこに加えられた異常な状況を、ゾンビ映画の「お約束」で説明している構図になっている。自己言及的なこういう遊びは、すれっからしのマニアもにやりとさせるためのサービスなのだと考える方が多少は面白く読めるというものだ。読書はすこしでも楽しい方がいい。
当該記事のなかでは数少ないまともな指摘なので、あまり長くなっても仕方ない。ここで止めておこう。
……記事から引用しよう。「第一の殺人ではゾンビがなぜ部屋から消えたのかは犯人からの自白によって落下したということが明らかになるけれども、さすがにそこは落下したという証拠を元に推理をして探偵が独力で辿りついて欲しかった」
端的に言って、この指摘は誤りである。まず、犯人指摘より前の段階、第一の殺人の真相が明かされた直後に探偵役は「詳しい状況はわかりませんが」という留保のうえで、「星川さんは進藤さんと揉み合いになり、手すりを越えて下へと転落したのでしょう」と推理している(267頁2-3行目)。この推理は厳密には真相と異なるが、星川麗花(ゾンビ)の落下に関しては自白の前に既に推理が為されている。何より、第一の殺人直後の現場検証に於いて「ベランダの窓は外に向かって開け放たれ、足跡というほど明確な形ではないが何者かが歩いたような血の跡がベランダの外へと続き、手すりにもべったりと付いていた」と手掛かりまで書かれている。
また、この項目のなかでは「最後に犯人を指摘する際、葉山か静原のどちらかが犯人だというところまで来て、結局しズはらの自白により犯人が決定したのも手落ち感があります。この腐対rのどちらが犯人なのかという所はちゃんと推理で絞って欲しかったです」と指摘が続く(誤字まで原文ママ)。
しかし、これに関しても、用心深い読者なら頁を遡って「彼女に見送られて俺は部屋に戻り」(191頁8行目)という記述を見付けたことだろう。この記述から、最後に自室に戻った人物(=犯人)が静原美冬であることは明白である。語り手の意図によって一部欠落した記述はあるが、彼は嘘はついていないので、上記の箇所も手掛かりとしては有効だ。ここまで親切に手掛かりが用意されてあるにも関わらず、確認もせずに批判する人間がいるとは思えない。もし確認したうえで上記のような批判を出しているのであれば、氏は真に恐ろしい書き手である。
……探偵役が提示した「全員が死ぬか生きるかという追い詰められた状況で、わざわざ密室の中の進藤さんを殺す必要があるのか」(142頁6-7行目)という謎の提示に対して、氏は「その真相が「こんな状況じゃなくても元から殺す予定だった」っていうのはさすがにしょぼすぎる」と批判しているが、これも正しくはない。
まず、第一の殺人(進藤殺し)の犯人は「元から殺すつもりだった」(290頁16行目)静原ではなく、ゾンビとなった星川である。よって静原の動機は、ここでは本来関係ない。
また、第一の殺人における眼目は「なぜ殺したのか?」に見せかけた「誰が殺したのか?」である。犯人が人間ではないという真相が明かされることによって「なぜ殺したのか?」も明らかになる。明かされる事件の構図から考えても、「動機がしょぼい」という批判は的外れとしか言いようがない。
……「推理の根拠となったのがただ1つ「布団の裏側に血がついていた」というものだけ」とのことだが、2.の回答でも書いた通り、そんなわけがない。
そもそも、この疑問自体がほとんど2.の重複で、さして意味のないものである。きっとこの項の手前で氏は一度記事を書くのを中断したのだろう。途中まで書いた内容を忘れて、同じ疑問を書いてしまったに違いない。
5.1つめの殺人の顔が食べられた謎
……このあたりから、箇条書きの見出しも日本語が怪しくなってくる(係りが不明瞭である)。
進藤の顔がゾンビとなった星川に「噛みちぎられた」理由は解決編で犯人が話している通り「星川さんに口づけをした」からである(292頁14-15行目)。氏は本当に解決編を読んだのだろうか。
……この項にいたっては、該当頁の典拠さえ誤っている。他人の文章をあげつらう労力の何割かを自分の文章に向けることをお勧めする。
7.登場人物の名前をゴロ合わせで覚えやすくしているけれども意味がない。
……難癖以上のものではない。
8.キャラの書き方が雑すぎる
……言い方を変えてはいるが、新本格に対する「人間が描けていない」という批判と何が違うのか。ここで繰り返すのも馬鹿らしいことではあるが、謎解きを主軸に据えたパズル・ストーリイに対して、心理描写の多寡をあげつらうのは的外れも甚だしい。こういう時に出てくる「深み」という言葉は、どうしてこれほどまでに浅薄に聞こえるのだろう。
9.音楽の伏線の回収は面白かったけれども、伝聞であるのが良くない。
……このあたりから作品評を離れて、遂に難癖をつけること自体が目的となってくる。氏によれば、探偵役とワトソン役が体験した以外に集めた手掛かりはぜんぶ信憑性はないそうだ。それでは、探偵役が証言を集める事自体が意味はなく、安楽椅子探偵は頭から存在を否定されることとなる。
10.最初のワトソン役の推理がものすごく適当な推理をする意味が分からない
……氏曰く「偽の推理をさせる場合は最低限納得できるものにしてほしい」とのことだが、こういうのは可能性の消去であって、推理に於いては当たり前の手順である。
……だから、どうしたというのだろう。
読者を驚かせることが推理小説の第一義でない以上、犯人の予想がつくことは瑕疵とはなり得ない。
何よりメタ読みは推理でもなんでもないので、それで犯人がわかることを殊更に主張する真意がわからない。
……叙述トリックが本筋でないことは誰が読んでも明らかだ。これもまた的外れな批判である。
……「――あげない」
強い口調。
「彼は、私のワトソンだ」(302頁15-18行目)
この箇所にすべてが書かれてある。氏が、こういうロマンティシズムに感興の湧かないひとなのだと思うだけである。
14.3つめの殺人の毒の入手方法は面白かった。けれども、毒を仕掛ける部分の描写がさすがに不足している
一から十まで書かれていないと理解できないのだろうか。書いてあることも理解できていないのだから、仕方ないのかもしれない。
15.屋上まで逃げた時に、丁度ヘリコプターが来るのはさすがにずるい
……「救助のヘリが現れたのはそれから四時間後」である(303頁18行目)。
何がずるいのかさっぱりわからない。
それでは、何時間後にヘリコプターが現れるのが現実的だというのかご教示いただきたい。
……読みやすさは、ひとつの美徳である。「引っ張ってくれない」と作者の「もてなし」を求めるのは、「お客様は神様だ」と宣うことと何が違うのか。こういう考えを抱く読者が改心することを願って已まない。
ここまで氏が指摘した「手落ち感のあった16の箇所」に対して回答したが、その後も熱心に指摘が書き連ねられている。
それらのひとつひとつに付き合う程私も暇ではないが、看過できない指摘もある。
「選評で北村薫が「奇想と本格ミステリの融合」と評しているのだけれども、ただゾンビを出しているだけだと思います。化け物が出てくれば何でも奇想とするのはさすがにどうかとは思いました」
……恐ろしい。とうとう選考委員の北村薫氏まで批判の対象となるのである。
推理小説に於いて「奇想」という言葉が謎の不可解さや意外な真相を形容する語として用いられることは、多少推理小説を読み慣れている者には周知のことだろう。もちろん北村氏も、ここではゾンビの存在を踏まえたうえで事件の不可能趣味や真相の意外性を以て「奇想」と評して、それが本格ミステリの作法に則って書かれているから「融合」と賛している。
決して「ゾンビ」が出てくる事自体を「奇想」と評しているわけではないことは、前後の文章を読めば大半の読者にはおわかりのことと思う。文脈が読めない読者というのは、作者にとっては脅威以外の何物でもないだろう。
田舎者も村の外を一歩でれば、自分の価値観や考えが偏ったものと知ることとなる。
そこで考えを改めるか、それともこれまでの考えに固執するかで人間は分かれる。
すくなくとも、村の外に出ることなく、出ていった者や訪れてきた者を思い込みで批判する人間は、内と外どちらにとっても害悪以外の何物でもない。
まずは卑小な自意識を捨てて、村の外に出ることを勧める。(WY)