はてなキーワード: 甲虫とは
虫の話で思い出してごめんなさい🙇
嫌いな虫ランキング
1位 スズメバチ
怖いから。毒も凄いらしい
2位 蚊
アシナガバチと言いたいところだけど、ススメバチの下位互換なので、別路線で行くと蚊。
5月ぐらいから湧き始め11月まで普通に居る。12月でもちょいちょい刺される。
痒いし、蚊取り線香とか効かない。油断してたらやられるので油断しないようにするの大変
3位 コバエ
実際は、もっと嫌な虫沢山居るけど、虫扱いでよいのか(ムカデ、ヤスデ、蜘蛛)とか、下位互換だったりするので、うっとおしいだけのコバエがランクイン。
ハエはあまり見なくなったが頻繁に見かけるならハエのほうが汚いしでかいし、潰せないから嫌い。蚊とコバエはギリギリ潰せる
そういえば、引っ越してゴキブリとかほとんど見なくなった。(近所のデカい団地の横の道とか駅前の飲食店多い道歩いてたらウロウロしてるけど)
結局、
中:痛みや分かりやすい危険(感染症除く)ないが体に不快な影響与えてくるやつ
の3つに分かれる(最後のは、寄ってくるから嫌、と見るだけで嫌に分けれるかも)
セミは嫌いじゃないけどおしっこかけてくるから中と下の間だったりするか、うるさいし
上で日頃関わり合いになるのは、スズメ、アシナガ、アブとか。くまんばちは優しいらしいしちょっと慣れた。
中系は、蚊と足登ってくる蟻
無害ではないがほぼ無害判定してるよく見る虫は、カマキリバッタ、甲虫の幼虫、トンボ(好き)、蝶(癒される)、蛾とかテントウムシとかのほとんど
カメムシもどちらかというと気にならない(夜中の自販機にたかりまくってるのは蛾も嫌だけど
祖父や父が紐付けて飛ばしてたって話を聞くし、親しみのあるやつ
ただ、数が増えまくってるのか、網戸に激突してきたり、部屋入って来て追い出しにくかったり
洗濯ものに止まってたり、自転車で走ってるとぶち当たったりで、ちょっと嫌いめになってきた
蜂捕獲罠(スタバのでかめのカップに匂い液入れて吊るしとくようなやつ)を女王対策で春に多めに吊るして
その後も場所は絞ってだけど継続的に設置してるのだが、とある箇所では、ほとんどカナブンで埋まってしまった
罠の匂いに釣られてではなく、罠設置してる果樹の匂いにひかれて寄ってきて、ぶち当たったのか、そこだけめちゃくちゃ捕獲してしまった
春に実家の庭に設置した罠にいきなり飛び込んだのがヤモリさん(その瞬間を目撃もしてしまった)だったのもカナブン大量捕獲もちょっと可哀そうだと思った
伊藤匠が同世代の藤井聡太を破ったというニュースがあったようだが、こういうライバル関係は大好物だ。
将棋のことはよく知らないのでこの件についてはここまで。あとは好きなライバルを発表していくよ。というより自分用のまとめだね。
ライバル関係といっても、多くの共通点と少しの大きな違いがあるのが私は好きだ。
年齢や種族や得意なものは近いといい。しかしあまり似すぎると微妙。
生い立ちは違ってると面白い。英才教育を受けた天才VS野生の天才、的な。
ライバルなので思想や敵味方は違うことが多いね。後に共闘すると熱い。
こういう要素がその作品を読んだり見たりするきっかけになることが結構あった。
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193038
学生時代は、健康づくりのために、鹿渓館(学生棟)という建物の地下2階にある【トレーニングルーム】に通っていた。授業が終わった後に、週に三度くらいかな。
ここでは、体育会部活の支配(?)が圧倒的だった。柔道とか空手とか陸上とかラグビーとかウェイトリフティングはもちろん、数多くの部活がトレーニングルームを使用していた。めちゃ狭かった思い出がある。
自分のように体育会でない者は、ひたすらにベンチプレスの順番を待つしかなかった。でも、なかなか空かないんだよな。ベンチプレス。あとは、体育会の利用者が優先という空気があったし、実際そっちの方があるべき姿だと思っていた。
ただ、自分の番が周ってきて、ベンチ台でバーベルとか持ち上げたりするじゃん。その時にさ、ガーーーンッ!! という大きい音がするのだ。見れば、隣のスペースでアップライト気味に胸~頭上にバーベルを上げていた柔道部の人が、バーベルを放り投げるようにして床に落とすのだ。
あれは、マジでびびったわ。重さが50kg以上もある物体を放り上げるだけの筋力が俺にもあれば、驚かずに済んだのかもしれない。
結局、夕方以降にトレーニングルームを使うのはやめて、早朝にトレーニングする派に転向したんだっけ。朝だったらベンチプレスも、腹筋台も、エアロバイクも、大型鏡の前も空いている。
確か、カブトムシその他の甲虫類が、クヌギやコナラの樹液を深夜に吸うのって、スズメバチを回避してるんだよな。日中にスズメバチとやり合うと甲虫側がボロ負けするので、彼らは仕方がなく時間帯を変えて樹液を吸うのだ。俺もその仲間だった。正体は甲虫類である。
ただやはり、体育会の人たちはバックグラウンドが違うこともあって、正直無理なことがあった。特に野球部や柔道部といった上意下達のイメージがある部活は、当時の自分からするとヤベーことばかりしていた。
夕方以降にキャンパスから下宿に帰ろうとする時、北側キャンパスの中庭付近で、体育会の人たちがバイオレンスなことをしていた。例えば、誰かのTシャツの胸あたりを両手で掴んで、ブンブン振り回していた。後は、後輩にエレベーターかトイレの前のタイル貼りのところで、床オナをさせていた。あれは振りだったと信じたい。通りすがりの人は普通にスルーしていた。
基本的に、体育会の人達はやりたい放題だった。2024年現在と比べれば、あの頃の世界は「実績があれば何でもよかろう」の世界だった。実際、彼らはある程度の実績を出している。
例えば、先ほどの鹿渓館の中にある部室棟について、2階とか3階の日当たり良好なスペースは体育会が占めていた。部室の出入口は中がいつでも見えるように、目線の高さの0.5㎡ほどがガラス張りになっているのだが、彼らはそれすら張り紙で覆い隠していた。たまに、男性や女性の怒声や、うめき声や、金切り声が聞こえていた。一体、中で何が行われていたのだろうか……。
ちなみに、【文化系部活】は地下1~2階に生息していた。ジメジメとした暗い空間である。そこで毎日の部活動をしていた。最新の大学キャンパスを見る限りは、おそらく今でも其処に彼ら彼女らは生きているのだろう。
まあ、でもこの頃って、だいたい20才くらいだったからだろうか。なんでも楽しかった記憶がある。
大学の構内だと、学食でごく稀にだけど、同じゼミの人と一緒にご飯を食べることがあった。京都の山間部にフィールドワークに行く関係で、事前に同じチームで親睦を深めるのだ。半強制のイベントだったけど、ああいう体験って、あの時分じゃないとできない。
大学近くでも、例えば喫茶店がふたつあったんだけど、社会福祉のカフェの方に割と行っていた記憶がある。お値段が安いからだけじゃなくて、なんか、どんな人でも受け入れるというか。そういう感覚がよかった。
教授が言うには、昔は大学に接している市道の上に、お昼時にたくさんの屋台が出店していたらしい。むかし、食中毒みたいな事件があってからは締め出しにあったみたいだけど、人生で一度は観てみたかったな。
大学の構外だと、ちょっと北の方にはおいしいラーメン屋とか、南の方にはカフェとか、中華料理のお店とか、いろいろあったな。文芸サークルの皆でよく利用していた。
今はどうか知らないが、大学の授業の出席確認に際しては、出席カードを提出する形式だった。時代の先を行っている大学だと、学生証をピッとやれば出席したことになるらしい。
どうでもいいけど、今って授業は15回中10回以上出ないと単位をもらえないらしい。厳しいんだな。あと、年間に取得できる上限単位は42らしい。ちょっと少なすぎるよ。俺の時だと、大学3回生の前期終了時点で最低110単位は取っていたはずだ。
さて、あれは大教室での授業の時だったか。秋だったと思う。佛大の若き学生がこの日記を見ている可能性はほぼゼロかと思うが、5号館の101という大きい教室(余談だが同志社の講義室に似てる)で、中国明朝の歴史の授業中だった。当時の日記によると、倭寇とか康熙帝とか足利義満とか、そのあたりの絡みがある回だったとある。もちろん全く覚えていない。
授業が始まると、出席カードが前の席から回ってくるのかな~と思いきや、一番前の人が一番後ろの席まで配り切る形式だった。自分が出席カードを受け取ると、すぐ後ろには野球部と思しき人達がいた。彼らは、「すんません、出席カード追加で5枚くれる?」と発言していた。
出席カードを配ってる人が「すいませんね~」と言って去ろうとすると、「おいお前、待てやコラ!!」と野球部の人達が彼に絡み始めた。出席カードを配ってる彼も引かず、収まる気配がなかった。
これはいかん、と思って俺は、「ちょっと、ちょっと~」と騒いでいた。やがて中年ほどの先生がやってきて、彼らをひと睨みすると、何事もなかったように騒ぎは収まった。
上記のニュースは私が入学する前の出来事だが、大学の体育会というのは、どこもこんな感じだろうと思う。佛大野球部も、京滋リーグという枠ではほぼ無敵だった。その線でいくと、日本大学もそういう感じだったのだろう。結果だけは出していた。
結果を出しているうちはいいのだが、佛教大学だって、やりすぎるといずれは日本大学や福山大学のように、不祥事(大麻とか)>実績となってしまい、とんでもない結末を迎える。
https://www.bukkyo-u.ac.jp/news/info/20240213-26933.html
上記のように、今でも事件はあるといえばあるが、こういうのはいいよ。間違った人材(臨時雇いの研究者)を雇ってしまったんだろう。大学側はいわば騙されてしまったわけだ。次から気を付ければいい。
ただ、卒業生の一人としては、学生という本質的な存在についてはキッチリと管理して、自分のように不愉快な思いをする学生を無くしてほしいと感じている。
不満ばかりを書いてる気がする。
大学生活、楽しいことはいっぱいあった。例えば部活がそうだ。文芸部(サークル)である。
文章を書くのが好きだった。それこそ子どもの時分から。中学でも高校でも、そういう系の部活がよかったけど、運に恵まれなかった。大学生になって、ようやく文字で作品を創造する喜びを得ることができた。
あとは、学園祭だ。その名も鷹稜祭(おうりょうさい)というイベントなのだが、年に一度の楽しみだった。一度だけ実行委員になったことがある。みんなで何かひとつのものを作る、といったら大げさだけど、最初は何をしたらいいか全くわからない……という段階から、次第にステップを踏んでいって、尻上がりにイベントづくりが面白くなっていく。
最初の一歩を踏み出すのが早ければ早いほど、ドンドンと楽しくハイになっていって、最終日を迎える頃には、自らがイベントと一体になっている。自分と仕事がひとつになっていく感覚。
こういう感覚は、仕事はもちろん、趣味の活動にだってある。精神的な意味で、自分とナニカが溶け合ってひとつになっている感覚である。そのナニカは、人によって違う。パートナーや仲間だったり、参加してる社会そのものだったり、取り組んでいる事柄だったり、特定の空間だったりもする。
ひとつ、少なくともひとつ、大学に進学してよかったと思えるのは――これまでの人生で一番、没頭できるものを見つけられたことだ。これだけで大学に進んでよかったって、そう思える。
あとは、アニメがそうだな。それまでのアニメって、安っぽい作画が多かった。特に、子ども向けアニメはそうだ。ポケモンはまだいいけど、デジモンとかはひどいものだった。この頃から、なぜかはわからないが綺麗な作画が増えていった。
どのアニメかは忘れたけど、女の子がドンパチやる系の朝のアニメで、必殺技のダンスのバンクがあったのだ。サンバを踊ってたんだけど、最後に「ウー!マンボ」ってやるんだよな。「サンバなのかマンボなのかどっちなんだよwwwwww」と、当時は大笑いした記憶がある。
え、そんなものが面白いのかって? 当時はまだ20代前半である。箸が転んでも面白い年頃なのだ。
次
最近思ったことがある。多くの生き物って、人間にとって見た目がいいように進化している気がする。
哺乳類とかだったら、人間にとって気持ち悪いやつはあまりいないだろう。爬虫類とか両生類とか、特に昆虫類だったら気持ち悪いやつがけっこういる。
今回思うところがあったから、4つほどエピソードを語らせてほしい。
去年の秋頃だったか、近所の裏山に登って、入会地の傍にある栗林で農作業をしていたのだが、そこにひょこっとアナグマが現れたのだ。アナグマというのは……約10年前にやってた「のんのんびより」のEDだったかな。「あれってハクビシンとか、タヌキとか、アライグマとか、イタチですよ」とか、そういう歌詞があったのだが、だいたいそんな生き物だ。
アナグマはイタチ科の動物で、体長1m未満のずんぐりしたイタチみたいなやつだ。顔はハクビシンに似ている。※ようつべで検索するとすぐに出てくる。
で、そのアナグマだが、栗林で農作業をしていた私の方に寄ってきたのだ。まだ若そうな個体だった。当方だが、農業林業はこれでも10年以上やっている。これまで、数多くのイタチ・キツネ・アライグマその他の小動物が箱わなに引っかかり、漁師や地元住民に殺処分されるところを見てきた。
正直、あまりいい印象はなかったが、半径数メートル以内まで寄ってきたところで、「けっこうかわいいな」という印象が支配するようになっていた。このあたりにはアナグマが少ないのもある。あと、私が育ててるのは栗だから、こいつらには盗まれんだろうという感覚もあった。
そういえば、小学校高学年だった姪っ子が、同じようなシチュエーション(農地の中)で、狸っぽい生き物にポテトチップスやコンビニのホットスナック(ファミチキ)をあげていたのを思いだした。あれは遠目からだったが、やはりずんぐりした見た目だった。
結局、栗林に来たアナグマは、その辺りをちょっと掘り返しただけで山の中に帰っていった。もう二度と出会うことはないだろう。例えばもし、私が育てているのがイチゴだったとしたら、確実にその場でクワなんかを握りしめて、ヤツを叩き殺そうとしていただろう。
実際、うちの畑でサルを見かけた時は、全力で追い払うようにしているし、タヌキやアライグマだったら石を放り投げてぶつけた後、スコップで殴り殺したこともある。蛇とかだったら、毎年20匹以上は駆除してる。長靴で踏んづけて、もう片方の足裏で頭を叩き潰すのだ。ジャンボタニシだったら、毎年夏になると百匹以上は生き埋めにしてる。イノシシは……あれはプロの量子さんの領域である。農家は手を出さない。
私はこれでも専業農家である。大切に育てた農作物を捕る生き物は憎くてしょうがない(人間まで含めて)。蛇足になるが、農業従事者は漁師率がけっこう高い。昔の農家は、田植えや稲刈りの時期を除いては、鶏を育てたり、山に入って鳥獣を捕っていた。今でも、狩猟免許がある人もない人も、山でイノシシとか鹿とかを捕って食料にしている例はある。
私の祖父もそんなだった。私がまだ小学生の頃に、鶏小屋がキツネかタヌキかアライグマかはわからないが、そういうのに襲われてしまった。非金属のネット小屋だったから、鶏が何匹かやられてしまっていた。祖父は悔しそうな顔をしていた。
或る夜に、実家で夕食を食べていると、鶏が騒いでいる声が聞こえた。祖父と親父はすぐに実家を飛び出して、鶏小屋に行くと、キツネのようなものが鶏小屋のネットを破ろうとしていた。なぜか、祖父よりも自分と父の方が早く鶏小屋に着いていたっけ。
後ろでカチャッ、という音が聞こえた。祖父が目の前に出てきたと思ったら、パアンッ!! という音が聞こえた。※祖父が散弾銃を撃ってた。
キツネのようなものは、その場で転がって痙攣しながら逃げようとしていた。親父が、祖父に鍬を手渡していた。それで、祖父が走り出して、ほうほうの体で逃げるキツネに追いついて……後は、何度何度も鍬が振り下ろされた。ぐちゃ、べちゃという音が聞こえて、狐は何度か鳴き声をあげると……多分絶命したのだろう。※近づいてわかったが、縞々のしっぽだった。アライグマである。
祖父は「このバカタレが、バカタレがぁ、アアッ!!」って叫んでたっけ。愛鶏(?)を殺されたのがショックだったのだろう。とにかく狐に凄まじい恨みを持ってた。あの時の自分は、「すげー。銃かっこいい!! 撃たせて」って祖父にねだってたよ。それくらい衝撃的な体験だった。私にとってのエポックメイキングだった。
「なに、お前も撃ちたい? 大人になったら警察行って免許がとれるど!」
「わしはもっとらん。ひいじいちゃんはもっとった。でも、わしは撃てるけえええんよ」
「俺も撃ちたい」
「○○くんが撃ったらいけん。捕まるよ」
平成初期の話である。当時はおおらかな時代だったのだ……。今だったら普通に逮捕される。絶対にマネしないように。
さしもの私も、祖父の遺品である銃剣類は所持しているが、自らの敷地内であっても使おうとは思わない。なにしろ、狩猟免許もってないからな。ほかの地元民と同じく、鳥獣の駆除行為はひっそりとやりたい。
話があっちの方にいってしまったが、私は基本的に、うちの農地に入ってくる鳥獣類は殺そうとする。苦労して育てた農作物を食われるのは絶対に嫌である。しかし、たまに殺さない例もある。それが上の例でのアナグマだった。
その状況で見逃したのは、なんとなくという理由が強い。農場内でメシを食ったばかりで、ゆっくりしたかったのもある。しかし、珍しくこっちに寄ってくるアナグマが「かわいい」という感情もあったのだと思う。うちの地域では、アナグマが珍しかったのもあるかもしれない。しかし、不思議な体験だった。
今度は市街地での話だ。
まだ若いころ、農業者じゃなくてサラリーマンだった時代に、とある国道沿いの飲み屋街にいた。最初の一軒目を探していたのだ。ふわふわと路地をさまよいながら、国道に出たところで、そいつに出会った。
歩道の上に、もぞもぞと動く物体があった。よく覗いてみると、コガネムシだった。背中の色が特殊で、なんとベージュだった。限りなく白に近い真珠色といってもいい。レア甲虫である。いとおかし!! いとおかし!!
その真珠コガネムシは、あまり元気がなかった。しかも車道に向かってもぞもぞと進んでいた。このままでは自動車に轢かれて死ぬだろう。ぐしゃ、という音がするのだろうな。昆虫類が車に轢かれると、意外と大きい音がする。
私は、そいつの目の前に人差し指を延ばした。するとそいつは、六本の足でガシッと私の指を掴んで、勢いよく私の手を昇り始めた。
土の中から出てきたばかりのカブトムシとまではいかないが、元気な様子で私の手指を昇っていた。そのまま徒歩で飲み屋街に移動して、レストラン沿いの並木を見つけた。おそらく欅だったろうか。樹の表面にコガネムシをくっつけると、また元気そうにどんどん昇って行った。
どうしてあの時、コガネムシを助けてやったのだろう。そういえば、小学生の頃は甲虫が好きだったような気がする。懐かしい気持ちになった。
今でも、夏場で路上に転がってるセミとか見つけると、拾って助けてやる。すぐ近くにあるクヌギかコナラにくっつけてやる。
これは私じゃなくて、息子の話だ。当時は小5だったかな。夏休みだった。
ある日、家の庭の中にある小道(※田舎だから家が大きい)で、息子が「トカゲ見つけた」と報告してきた。「捕まえたの?」と聞くと、「捕まえてない」と言う。
現場に行ってみると、小道の上でトカゲが2匹、それぞれ離れたところに倒れていた。お腹を上に向けて。瀕死だった。おそらくだが、野猫にやられたのだろう。お腹に爪で引っかかれた跡があった。
息子がそいつらを触ったところ、1匹だけはまだ息があった。残り1匹について、「よい旅を」と私がその場に埋めてやっていると、息子が生き残った方に落ち葉や土を被せてやっていた。どうやら、回復を待つつもりらしい。「これ、おうち」と言っていた。
好きにさせるべきだと思った。息子に対して、「日光に当てないように木陰を作る」「できるだけ触らないように」「1日に1回は霧吹きで水をかけてやるように」「餌はやらなくていい」など最低限の指示をした。
私はトカゲが1日以内に死ぬと思っていた。木の棒で突いても、片方の足が全く動いてなかったし、どう見ても虫の息だったからだ。早い話、移動能力を失っている。
その日から、息子は毎日トカゲのところに足を運んでいたっけ。水やりは欠かさなかったし、日光を浴びて体がのけぞっていたりすると、木陰の位置を調整してやったりする。
3日が経って、私が現場を見に行くと、どうやらまだ生きていた。土くれと落ち葉を払いのけると、少しだけ体が動いた。体にはまだヌメリが残っていた。片足だけを動かして、体をのけ反らせて私から逃れようとしていた。「シャー」みたいな感じで、口を開けてこちらを威嚇している。少し気の毒になって、植物用の霧吹きをしてやったのと、一応、ミルワームを顔の近くに寄せてやったが、無反応だった。やはり餌は不用のようだ。
次の日だったか、息子が飛んできて、「トカゲが動かない」という。現場に行ってみると、そこには……「おうち」から出てきたところで静止しているトカゲの姿があった。口には小さいミミズのようなものが入っていた。目は閉じていた。
「餌をあげてしまったの?」
「うん。お腹すいてると思って」
「そうか。たぶん、びっくりして死んでしまったんだね」
「うん」
「……どう思った?」
「わかんない」
「うん」
そんなやり取りをしたかな。
そのトカゲは、結局何時間たっても動かなかった。生命活動を停止したのだ……。推測だが、ミミズが喉に詰まって息ができなくなったのかもしれない。放っておいても、数日中には死んだだろうが。
息子にとっては、トカゲがかわいかったのだろうと思う。私は、あまりそうは思わないが。大人になると、高速で動くトカゲはちょっと苦手だ。だがまあ、カナヘビはまだかわいいと思える。トカゲと似ているが、比較するとあまり動かないのもある。
先日、県道を車で運転していたところ、路側帯を走っていた自転車が急に停まった。その彼女はアスファルトにゆっくりと降りて、自転車を端に寄せると、足先でなにかを小突いていた。
ちょうど信号待ちになったので、その様子を眺めていると、どうやらそれはひっくり返ったセミのようだった。彼女が小突く度に、「ジジッ」という音でセミは鳴いていた。死んではいないようだ。
その子は、セミに向かって指先を伸ばした。セミは指を樹木だと思ったのか、ホールドした。その子の指に乗ったセミは、一緒に自転車でまっすぐの方向に進んでいった。
次の信号で、彼女に追いついた。自転車を降りて、民家の入り口に生えている樹にセミをくっつけようとしていた。指で押してやると、セミは樹にくっついて、もぞもぞと枝を張っていた。彼女はセミをちょっと撫でたかと思うと、また自転車に乗って県道を走り抜けていった……。
一応、セミもかわいい部類には入るのだろうか。丸っこい見た目だから好きな人もいるかもしれない。当方はどちらともいえないが、今度セミがひっくり返っていたら、死んでいるか小突いて確認してみようか……と思った。新しい世界が開けるかもしれない。
話は長くなったが、結びにしよう。
大昔から、それこそ多くの生き物がいたのだろうが、人間にとってかわいくない種の生き物がどんどん淘汰されていった。それで、今みたいに哺乳類や鳥類は可愛いのばかりが残った。
それは、全然定かではない。でも、かわいい生き物はというと、殺される場面でも殺されないことがあったのではないか。大昔から。よって、醜い種に比べて生き残れる可能性が高かったのではないか。と、先日『利己的な遺伝子』を読み終えたばかりの私は感じた。
あなたはどうだろうか。生き物は、やっぱりカワイイ方が生き残れると思うだろうか。しかるに人間の場合は、かわいげがあって、みんなに好かれる個体ほど早死にする傾向があるように思えるのだが。
「野生のモンスターを捕まえて友達同士で対戦するなんて斬新過ぎる!」
ホンキでそう思った人がどんな夏休みを過ごしていたのかと想像するだけで瞳が潤んでしまうよ。
きっと本当にやったことがない人は今頃コメント欄に「ムシキングはポケモンより後だろ!ばーか!」と打ち込んでいることだろう。
野生の昆虫を捕まえ、育て、競わせる。
命を平然と玩具にしておきながら、そこに友情や愛情があると信じきれる冷酷な子供心が産み出した対象年齢一桁台の小さなコロッセオ。
ポケモンはその遊びをデジタルな形で昇華させたに過ぎないわけだよ。
圧倒的知名度を誇ったことでさも「ポケモンこそがモンスター収集対戦ゲームの元祖である!」と皆が思い込んでいるが、その原点はもっとずっとずっと大昔に存在していたことを思い出して欲しい。
安心の住処にたまに出るあいつ、招いてもいないのにいつの間にかどこからか、長い触角を揺らし、ガソリンを塗りたくったような人工的なテカテカの体をもつあの生き物のことを、現代日本で知らない人はまずいないだろう。
一人暮らしの敵、家族で住んでても敵の、Gの呼び名で呼ばれるあれだ。
名前を冠した噴射タイプの殺虫剤、「巣まで皆殺し!」とかいう物騒なキャッチフレーズの置型殺虫剤は広く知れ渡り、恐怖と憎しみを一心に受ける虫だ。
メスのカブトムシやカナブンもほとんど同じ見た目をしているくせに、あの平べったいからだと長い触覚、何より自宅に現れるという点でこれだけ嫌われるというのもなかなか可哀想な話だ。
たしか中学生。夕方頃。いつものようにリビングにいて、ちょっとそこまでと廊下に出たときだった。普段はスリッパを履いているが、ほんの10mの移動だからと一瞬の素足の瞬間だった。
ぐねり
こう表現するのがおそらく一番近い。左足の土踏まずのあたりで何かを踏みつけた。土踏まずの部分は名の通りペッタリと地面を踏む形でなく半円状の空間ができるが、そこに”何か”はベストフィットした。
なんか踏んだな、とは感じたものの、そこまで硬いものではなく重力に従って私の足は踏み降ろされ、その勢いのまま
ずりゅん
”何か”がズレた。
巨峰くらいの大きさの粒から若干水分が抜けて薄くなり、それをまるごと踏みつけてしまった。ズレた感覚は皮から実が押し出されたのだろうと直感的に感じた。それまでの人生で一番近い感覚がぶどうだった。
あってるけど合ってない。
あとはそのまま、足を退けて目に入った明らかに果物とは違う毛の生えた脚に自分でもよくわからない叫び声を上げて垂直に飛び上がった。
叫び声を聞きつけた家族が跳ねる私と事故現場を見て混乱していたが、説明している余裕なんてない。
感覚を振り払いたくてビョンビョンと飛び跳ねながら風呂場に直行し、足裏を風呂掃除用の硬いブラシで力を込めて擦った。おいてあった掃除用洗剤やらアルコールやらをぶっかけて風呂椅子に腰掛けて片足の裏を半泣きで覗き込み、一心不乱にこすり洗いをする姿を自分で俯瞰して、そういう妖怪のようだと一瞬思った。砕けたパーツがくっついていなかったのが不幸中の幸いとでも言うべきか。
気の済むまで洗って風呂を出ると事故現場はもう無かった。聞けば兄が後処理をしてくれたという。「バラバラだったわ〜」とのコメントは余計だが、見なくて済んだのはありがたい。身体部分と羽部分が分離していたといい、つまり、あのときの「ずりゅん」は上から斜めに力が加わったことでソレが分解された感覚だったのだ。ぶどうと思った厚みと感覚の納得感とともにあの類の甲虫を踏むのはぶどうを踏むときに似ているという本当に要らない記憶が残った。
余談だがその後しばらくはひたすらインターネットで同じ体験を検索し、よくあることだと自分を納得させた。調べた中で多かったのは靴の中に潜んでて気づかず踏んでしまうケース。出勤前に勢いよく踏み抜いて「パンッ!」と音とともに弾けさせてしまった人もいた。スリッパの中にいたとの投稿もいくつか見られた。しかし、ネットをいくら探しても私と同じ生足で踏み抜いた人はいなかった。あれはゴキブリの警戒心と人間の迂闊さが合わさった一瞬の奇跡の出来事だったのだ。そんなレアな体験をしたいと頼んだ覚えはないのだが。
無理なお願いとはわかっているが、基本的に警戒心が強く薄べったくて危険からの反応速度が0.11秒とも言われる奴らのくせに、人間が必ず使う箇所に隠れるのはお互いのためにやめていただきたい。こちらも無駄に命を奪ってしまった罪悪感が残り、「力が強すぎてちょっとのことで人間を殺してしまう巨人」の気持ちはきっとこんな感じなのだろう。
以上、ゴキブリを素足で踏んだときの感覚は半乾きのぶどうを踏んだときと同じである。この文章を読んだ方もその感覚を想像してみてもらえると、あの時の私も浮かばれる気がする。
めちゃくちゃ殺しに来るし、殺し方が多様 子供心にトラウマ一杯だった(※父親の蔵書)
また、宇宙生物、SFメカ系、はたまた超越存在など、路線も多様だ!
植物型の宇宙人! 犠牲者の口から種子を埋め込み体に根をはり、操る! 根が育ちきったら死ぬ!
ピラニアマシーン! 四角い殺人ルンバ! 単眼恐怖症を植え付けられた!
宇宙生物! あらゆるエネルギーを吸収し、肥大していく! 人間に取り付いてチューチューもする! 原子炉危ない!
改造人間! ゴムボディで神出鬼没! 水道からにゅるーって出てくる! 空気吸って膨らんだら浮く!
甲虫集合体人間! 弾丸みたいに1匹1匹飛んでくる! ガラス窓に KILL YOUとか虫文字まで書いて脅してくる!
生きてる雪! 凄い凍死させてくる! 女王雪がいてギャースって鳴く!
小さいころに背中に入れられた刺青がドラゴンに成長して裏切ると首無くなる!…実は科学的なトリックだったと思いきや、バックにいたのはやっぱ悪魔でしたーー!!
虫の話、かつ大変に不衛生な内容だが、気づきがあったので書いておく。
毎日食う米について、ビニール袋の肩口の一方を切ってそこから米を炊飯器に注ぎ、ものぐさなため、それをそのまま台所の床の上に置く、翌日になって再び持ち上げて炊飯器に流し込む、ということを繰り返している。
今年はたまたま、梅雨ごろに米を炊かない日が続いており、久しぶりに白飯を食うことになったのが、おそらく3週間ぶりぐらいのことだった。
炊飯器に米を入れたあと、普段ならそのまま水を加える。ただ、このときは他の料理の手間もあり、偶然そのままキッチンの上に置いて、しばらく別の作業をしていた。
人間の眼というのはすごいもので、白一色のはずの敷かれた米の上を小さい茶色っぽいものがちょこちょこしているのを、無意識のうちに、脳に警告を出していたらしい。
「うん?」と思って、なんだか気色悪いな、なんだろうな、と思ってなんとなく炊飯器の中を見ると、よくわからない、米の害虫としてよく聞くゾウムシとも蛾とも違う、甲虫に似ているけどそうじゃないヘンテコな虫が、泡を食ったように米から出たり下にもぐったりしている(調べたところ、チャタテムシというやつだと思われる)。
泡を食ったのは人間側も同じなのだが、「これは、炊飯器の中にたまたま最初からいたやつじゃねえな」という嫌な想像力が働いて米の袋の方を持ち上げて検分してみると、はたして同じような虫の姿がときおり見える。湧かしてしまったのである。
普通はあきらめて捨てるだろうが、俺は不衛生なうえに吝嗇なので、かなり悩んだ。5kgの袋の中の米は、まだ半分以上残っていた。
さらに言い訳がましいが、異常に大繁殖してしまっているわけでもないのである。よく見ているとときどき、姿が見えるぐらいなのだ。
また、例えば甲虫類のいわゆるああいう幼虫がここにいて、それが口に入るとなると俺も抵抗が大きいが、チャタテムシ(仮)は不完全変態らしく、このちょこちょこしたやつが最初であり最後の姿らしい。
いずれにしても、この中で増えてしまっているのは事実だし、いさぎよく捨てるのが理性であり、文明である。これを食うのはもはやケチというか、どちらかというと、もう野人の領域かもしれない。
ふと、頭に思い浮かんだ言葉があった。「まあ、そりゃ食わんだろうが、それとは別に、とりあえず、水に漬けてみたらどうだろうか」。
悪魔のささやきであった。
期待した通りというか、水に漬けて、研ぐようにしてかき回すと(無洗米なので普段はやらない)、比重? の関係か虫が浮かんできた。これを2回繰り返すと、ぱっと見は何の問題もない白米になった。
そういうわけで、いま毎日無洗米を研いで、この米を食っている。
一つ気づきというか、さすがに考え直さないといけないかな、と思うようになった変化があったのは、ここ数日のことである。
これまで、2回すすぐと見えなくなった虫の影が、3回を要するようになった。
想像するに、米を炊飯器に注ぐときは米の袋の上層から食っているわけである。そして、虫はそれより下の領域をエリアにしているのではないだろうか。
俺が米を食い進むことで、ある意味で本丸に近づいているのかもしれない。
「近づいている」というこの実感が、(いまさら何を言うんだという感じだろうが)我ながら生理的に不快感があり、3回すすいでもまだ虫が残るようならもう食えん、ということになる気がする。
このように、人間の意識では「一様に汚染された米袋」だが、その中にもグラデーションがあること、文明に背を向けたような逸脱者の気持ちにも「これ以上は自分で自分に引く」という一線が、米袋を食い進んだ先にあることに気づいたので、この機会に書いておく。
東京暮らし東京育ちの増田が田舎暮らしをdisるエントリがちょっと前にあったと思う。
自分は首都圏生まれ育ち23区20年ぐらい在住から東京脱出した組だ。
今は地方都市に居を構えているんだが、転勤族で田舎を転々としたので田舎暮らしを楽しめるタイプがわかってきた。
田舎暮らしを楽しめるタイプっていうのは、興味を持って自分の周りの物事の解像度を上げていけるタイプだ。
例えばその辺に草が生えている。草、というくくりで見てしまえば草、で終わる。
草には虫がいる。うわぁ虫だ、気持ち悪い!で済ませてしまえば虫、で終わる。それ以上何もない。
でも草にも虫にもいろんな種類があるんだ。
その名前を知り、興味を持った時、自分を取り巻く世界の解像度がちょっと上がる。
草の中にネジバナの存在を認識したとき、植物系のポケモンを見つけたような気持になる。
ツユクサ。青いきれいな花。雨の頃に見かけるとしっとりと濡れて青が映える。
スズメノエンドウ、カラスノエンドウ。見つけて、本当にスズメってこんなの食べるサイズだったっけ、など思うとき、世界がまたぐっと広がる。
何なら鳥、というカテゴリで見ていただけだったスズメとカラスにも一緒に興味を持ち、よく観察するようになるだろう。
虫。虫はもっと躍動的だ。毛虫・芋虫が苦手という人も多いだろうがきれいな蝶になったりする。
特にアゲハチョウ系は蝶になるまでは見た目がグロテスクだが、大きな蝶になって羽ばたいているのを見るとはっとさせられるぐらい生命力を感じる。
ハンミョウ。きれいな甲虫。益虫のテントウムシ、すぐに花を食べてしまうコガネ虫、きらきらした外殻を見せてくれるタマムシ。
虫を取って食べるクモ。大きな美しい巣をはる。人間にとって益虫なのだ。家の中や外にいるクモを自分はいつも大事にしている。
そんな自然の在り様を眺めているだけでも世界にはぐっと色がつき、何気ない日常を鮮やかにしてくれる。
あとは食べ物。農作物のとれたての青い香り。みずみずしさを五感で味わいながら調理する。
自分で畑をしているとどうしてもとれすぎるので、調理方法を工夫するようになる。どんな風にしたらおいしく飽きずに食べられるんだろう?と考えるようになる。
それによってまた、解像度がぐっと上がるんだ。これをこんな風にして食べることができるんだ、これとこれは意外だけど合うな、って。
海が近くで海産物があるとなおよい。とれたての海産物の新鮮さは近くに住んでいないと味わえないと思う。
ちょっと書いてみたが、田舎暮らしを楽しめるのは上に書いたようなことを楽しめるタイプだと思う。
それにまずよく言われることだが、田舎と一言にくくっても田舎レベルは大きく変わる。
増田が住んでるいたのは限界集落みたいなところで、都内からそれだけ住環境を変化させたら日本の中での差で比べてしまうだろうし、不便さしか感じないのも無理もないだろう。
都会の生活はお金を出してサービスを受けることがベースになっていると思う。
都会の生活で人は与えられること、用意されている何かにのることに慣れていく。
でも何もない所では楽しめなくなる。そういう生活をしていないから。
あるもので楽しむことをできるのだ。
倒れた猿 https://note.com/itakuratoshiyuki/n/n9e7a6e7430f9 を読んで家庭菜園をしてた時のことを思い出した。
数年前、転勤が決まり、小さい子連れながら東京都心からとある地方都市に引っ越した。
それまで首都圏から出て住んだことがなかったので不安半分、でも小さい子連れで外出するといつもピリピリと気を張っていなければいけなかった都心の生活に疲れ果てていたので、地方だったらのんびりしてるかなと希望を持ちつつの異動だった。
うちが引っ越した先は日本でも下位5位以内に入る人口が少ない県で、まず引っ越した先の家でトイレを流したら床に水漏れしたのにびっくり。(大家さんに言ったらさすがにその日の夕方に業者が来て直していった)
引っ越した先は集合住宅は猫のたまり場で、猫の糞尿がそこらかしこにされてるのに誰も気にしてない様子なのにびっくり。(もちろんにおいがきつい。これは退去するときまで変わらなかった)
道を歩いてる人が全然いないし自転車の人すらほとんど見かけないのにびっくり。(みんな車でしか移動しない)
方言もきつく言葉もわからないことも多々あり、あらゆるところでカルチャーショックを受け、都会から着てきた服は地元のスーパーではカラフルで洗練されすぎていて目立ちすぎるのに気付いたころにはなんとか地元のコミュニティに溶け込もうと必死になった。(子連れじゃなかったらまた違う認識だったのかもしれない)
いつしか地味で無難な服ばかり着るようになり、言葉も聞き真似でイントネーションを合わせ、ついでに月500円で地元の農家さんに畑を借りることにした。(今考えると形から入っていこうとしていたのかもしれない)
さて、畑は20平米ぐらいの大きさで、どーんと土と雑草で覆われた畑だった。
好きなものを作っていいんだと思っても何を作っていいのかわからない。というかどうしたらいいのかわからない。
わからないのでまず家庭菜園の本を買った。揃えなきゃいけないもの、土をどうしたらいいのか、種や苗をどうやって植えるのか。土を鍬でめっちゃ耕した。(筋肉痛になった)苦土石灰をまいた。わからないながらもマルチングシートで畑を覆った。(これはめちゃくちゃ大事だったと後でわかる)
ホームセンターに行って苗を色々見た。時は春。失敗しなさそうなトマトやキュウリやピーマンやナスやオクラやサツマイモの苗を買った。植えて毎日様子を見に行った。
暑くなるにつれてどんどん苗は大きくなっていった。すくすくと育っていく苗を見るのはいいものだった。花がつくとうれしかったし、花が枯れた後に小さな実がついているを見るのが楽しみになった。
畑を往復してるのに使ってた車があっという間に中も外も土で汚れた。農家の人がみんなハイジェットに乗る理由がわかった。そして害虫と雑草の被害の大変さを身をもって知ることになる。
まず害虫。都会で生活していたので最初は芋虫にいちいち怯えていた。よく見かけたのはタバコガ、スズメガ、ヨトウガの幼虫だろうか。見つけたらとって中身が見えないように葉っぱをかぶせてふんづけるようにしていた。
こいつらマジで滅茶苦茶葉っぱや実を食っていく。オルトランをまくことでだいぶ減ったけどそれでもしぶといのが割とついている。
最初は怯えていたけれどそのうちにせっかく一生懸命育てた作物が無残にも食べられていくのに憎しみを覚えるようになった。じきに見つけたら即はさみでチョキンスタイルに変更になった。緑の中身が出てくるのにも慣れた。彼らに慈悲は無用と考えるようになった。
虫はほかにもいろいろついて、アブラムシやウリハムシ、ニジュウヤホシテントウにも本当に悩まされた。ちょっと葉が茂ってるところに踏み込むと、うわっとウリハムシが200匹ぐらい飛び立つスタイルが続いた。殺虫剤はまかなかったので羽虫系は最後までどうにもできなかった。
そして雑草。マルチングシートの重要性がわかる。ちょっと隙間があればあっという間に雑草がはびこってくるし、雑草には害虫がつくし、通路なんてあっという間に荒地化してしまう。
ナメクジにもいろんなものをよく食べられた。ハナムグリなどの甲虫類にも。蝶は卵を産み付けられるので害虫だし、自分の味方だと感じる虫はカマキリとテントウムシだけになった。虫ではないけど土蜘蛛も強い味方だった。
そんなでもそれなりの収穫物を得ながら試行錯誤を続け、冬には大根やニンジン、白菜などを収穫し、2年目の夏に向けては季節野菜のほかにスイカとメロンというなかなか難しそうな果実を作ることにした。
美味しいものは人間も好きだけれど虫や動物も大好き。それまでの乏しい経験からも果実なんて修羅の道だろうと思いつつ万全を尽くして苗を植え、手をかけて育て育てた。
スイカの実ってなりたては小さいスイカで本当にかわいい。ぷっくりしたスイカの実を害獣に食べられないように一つ一つにネットをかけ、地面の湿気で腐らないように実の下にトレイを置いた。陽があたらないと皮が黄色くなるらしいのでスイカの実の向きを太陽に当たるように毎日ちょっとずつ調整した。
米のとぎ汁をあげると甘くなるとのうわさも聞き、家からとぎ汁を持って行ってかけた。緑色の実がだんだん大きくなっていくのが楽しみで仕方なかった。
そんなスイカの実が20cmぐらいに大きくなったころのある日。事件がおきた。
食べられ方から犯人がわかった。カラスだ。ネットの隙間から鋭いくちばしでつついて突き崩したのだ。
中の実はちゃんと赤くてみずみずしくて、蟻がいっぱい行列を作っている。きっと甘いんだろうなと思った。
悲しかったけどやられた実は廃棄するしかなかった。残された数少ない実をさらに食べにくいように葉っぱで隠し、ネットをかけ、障害物を置き、カラス除けも設置した。
猟銃所持許可されてたらマジで付近を飛び回ってるカラスを仕留めてたかもしれない。
それぐらい憎かった。
農家の人たちはこんな思いをしながら作物を育ててるんだろうという一端がすごくよくわかった出来事だった。
そこから自分の生活を脅かす動物を害獣として割り切れるスキルが身についた気がする。
ちなみに当県ではアライグマも害獣としてメジャーな動物です。サルよりも見た目はかわいいと思うんだがやっぱり自分は割り切って対応してしまうかもしれない。
先週、入日。洗終、洗物籠前洗。水道水出途端、蛾飛出。店内客様、私思「!」叫。帽子鳩出唐突。
蛾飛出瞬間、蛇口出当水没。私過溺死寸前蛾頭上更強力誤射。瞬間溶蛾羽。慌慌強水流。蛇口動方向間違。最近、蛇口着誰掃除、水流、手当痛。蛾羽打破。!!
水止、排水口、蛾見上。目大、蛾正面見、鳥類知性心見……心痛……飛出、蛾方……。、普通洗物中、間蛾入込。
甲虫素手掴、蛾類私苦手、素手掴状態羽再起不能、蛾掴救出。虫前垂、普通掴、蛾。溺藁掴。
、……言蛾釣上、客様会計、私慌脇上蛾投捨振返。蛾「」言顔見気。何事顔商品、客様、蛾様子見、最中気。状況見、蛾釣上店員。
対応間、蛾上。雨空気、羽乾、店内置羽乾途端飛立困、生乾外出。店外、出入口少離所蛾置、蛾店内明惹窓、羽割。飛、暗闇向飛去、蛾運命。
中盤以降は蛾の位置がよく分からなかったし、もう一匹の蛾の存在やどこから来たかなどは分からなかったけど、
前半は思った通りの内容ぴったりで笑った。
(追記:「バイト日記」というタイトルだけは目に入ってしまって、バイトの話という前提知識はできてしまっていた。それがなかったら前半も難しかったかもしれない)
先週、オーナーとシフトに入った日のこと。カフェマシンのパーツを洗い終えて、洗い物籠をしまう前に洗おうとした。水道から水を出した途端、シンクからちょうでっかい蛾が飛び出した。店内にお客様がいるにもかかわらず、私は思わず「ぎゃあ!」と叫んだ。帽子から鳩が出てきたレベルの唐突さだったのでびっくりした。
蛾は飛び出した瞬間、蛇口から出たシャワーに当たって水没。私はびっくりし過ぎて溺死寸前の蛾の頭上に更に強力なシャワーを誤射してしまった。瞬く間に溶けてボロボロになる蛾の羽。慌てれば慌てるほど強くなる水流。蛇口のコックを動かす方向間違えてる。最近、蛇口に着いたシャワーノズルを誰かが掃除してくれたらしく、水流はフルマックスで、手に当たるだけでも痛いくらい。それが蛾の羽をビシビシ打ち破っていってる。たいへんたいへん!!
やっとのことで水を止めたら、排水口のところから、ボロボロになった蛾がこっちを見上げていた。目が大きいせいだろうか、蛾って正面から見ると、鳥類よりも知性と心がありそうに見える……心が痛む……いきなり飛び出てきたのは、蛾の方だけど……。しかし、さっきまで普通に洗い物をしていたシンクの中に、いつの間にこんなでかい蛾が入り込んだのだろうか。
甲虫なら素手で掴むけど、蛾の類いは私は苦手だし、もしも素手で掴んだせいでただでさえガッチャマン状態になってしまった羽を再起不能にしてしまったらあれなので、ペーパータオルに蛾を掴まらせて救出した。虫の前にペーパータオルを垂らしても、普通はなかなか掴まってこないものだけど、蛾はすぐにしがみついてきた。まさに溺れるものは藁をも掴む。
ひぃ、こわい……と言いながら蛾を釣り上げていたら、お客様がレジにお会計にきたので、私は慌ててシンクの脇のテーブルの上に蛾を投げ捨てて振り返った。蛾が「ひどい」って言いたげな顔をしているように見えた気がした。何事もなかったかのような顔をして商品をスキャンしたけど、お客様のところから、蛾の様子がめちゃめちゃよく見えることに、スキャンしてる最中に気づいた。ホールの状況を見ず、びびりながらペーパータオルで蛾を釣り上げる店員て。
レジ対応をしていた間、蛾はおとなしくペーパータオルの上にいた。雨がちで空気がじめじめしているせいで、羽は乾かなかったが、店内に置いておいて羽が乾いた途端に飛び立たれても困るので、生乾きのまま外に出した。店外の、出入口から少し離れた所に蛾を置いたら、蛾は店内の明かりに惹かれて窓にぶつかっていき、羽が割れた。それでもガラスにぶつかりつつジタバタ飛んで、しまいには暗闇に向けて飛び去っていったが、蛾の運命やいかに。
店内に戻って水道で手を洗おうとしたら、シンクのゴミ受けに蛾がもう一匹沈んでいた。おおう。こっちは小さかったので水をまともに受けて溺死していた。
という話を、次のバイト日にAさんに話したら、Aさんは、あのちょうでっかい蛾は月曜日にAさんが捕獲し損ねたやつだろうと言った。蛾はAさんに追跡されてお菓子の棚の奥に逃げ込んでしまったとか。
八、鳥を捕とる人
がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。
それは、茶いろの少しぼろぼろの外套がいとうを着て、白い巾きれでつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛かけた、赤髯あかひげのせなかのかがんだ人でした。
「ええ、いいんです。」ジョバンニは、少し肩をすぼめて挨拶あいさつしました。その人は、ひげの中でかすかに微笑わらいながら荷物をゆっくり網棚あみだなにのせました。ジョバンニは、なにか大へんさびしいようなかなしいような気がして、だまって正面の時計を見ていましたら、ずうっと前の方で、硝子ガラスの笛ふえのようなものが鳴りました。汽車はもう、しずかにうごいていたのです。カムパネルラは、車室の天井てんじょうを、あちこち見ていました。その一つのあかりに黒い甲虫かぶとむしがとまってその影が大きく天井にうつっていたのです。赤ひげの人は、なにかなつかしそうにわらいながら、ジョバンニやカムパネルラのようすを見ていました。汽車はもうだんだん早くなって、すすきと川と、かわるがわる窓の外から光りました。
赤ひげの人が、少しおずおずしながら、二人に訊ききました。
「どこまでも行くんです。」ジョバンニは、少しきまり悪そうに答えました。
「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ。」
「あなたはどこへ行くんです。」カムパネルラが、いきなり、喧嘩けんかのようにたずねましたので、ジョバンニは、思わずわらいました。すると、向うの席に居た、尖った帽子をかぶり、大きな鍵かぎを腰こしに下げた人も、ちらっとこっちを見てわらいましたので、カムパネルラも、つい顔を赤くして笑いだしてしまいました。ところがその人は別に怒おこったでもなく、頬ほほをぴくぴくしながら返事しました。
「わっしはすぐそこで降ります。わっしは、鳥をつかまえる商売でね。」
「何鳥ですか。」
「鶴や雁がんです。さぎも白鳥もです。」
「鶴はたくさんいますか。」
「居ますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか。」
「いいえ。」
「いまでも聞えるじゃありませんか。そら、耳をすまして聴きいてごらんなさい。」
二人は眼めを挙げ、耳をすましました。ごとごと鳴る汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水の湧わくような音が聞えて来るのでした。
「鶴、どうしてとるんですか。」
「鶴ですか、それとも鷺さぎですか。」
「鷺です。」ジョバンニは、どっちでもいいと思いながら答えました。
「そいつはな、雑作ぞうさない。さぎというものは、みんな天の川の砂が凝こごって、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ帰りますからね、川原で待っていて、鷺がみんな、脚あしをこういう風にして下りてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押おさえちまうんです。するともう鷺は、かたまって安心して死んじまいます。あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです。」
「鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。」
「標本じゃありません。みんなたべるじゃありませんか。」
「おかしいも不審ふしんもありませんや。そら。」その男は立って、網棚から包みをおろして、手ばやくくるくると解きました。
「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです。」
「ほんとうに鷺だねえ。」二人は思わず叫さけびました。まっ白な、あのさっきの北の十字架じゅうじかのように光る鷺のからだが、十ばかり、少しひらべったくなって、黒い脚をちぢめて、浮彫うきぼりのようにならんでいたのです。
「眼をつぶってるね。」カムパネルラは、指でそっと、鷺の三日月がたの白い瞑つぶった眼にさわりました。頭の上の槍やりのような白い毛もちゃんとついていました。
「ね、そうでしょう。」鳥捕りは風呂敷ふろしきを重ねて、またくるくると包んで紐ひもでくくりました。誰たれがいったいここらで鷺なんぞ喰たべるだろうとジョバンニは思いながら訊きました。
「鷺はおいしいんですか。」
「ええ、毎日注文があります。しかし雁がんの方が、もっと売れます。雁の方がずっと柄がらがいいし、第一手数がありませんからな。そら。」鳥捕りは、また別の方の包みを解きました。すると黄と青じろとまだらになって、なにかのあかりのようにひかる雁が、ちょうどさっきの鷺のように、くちばしを揃そろえて、少し扁ひらべったくなって、ならんでいました。
「こっちはすぐ喰べられます。どうです、少しおあがりなさい。」鳥捕りは、黄いろな雁の足を、軽くひっぱりました。するとそれは、チョコレートででもできているように、すっときれいにはなれました。
「どうです。すこしたべてごらんなさい。」鳥捕りは、それを二つにちぎってわたしました。ジョバンニは、ちょっと喰べてみて、(なんだ、やっぱりこいつはお菓子かしだ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が飛んでいるもんか。この男は、どこかそこらの野原の菓子屋かしやだ。けれどもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子をたべているのは、大へん気の毒だ。)とおもいながら、やっぱりぽくぽくそれをたべていました。
「も少しおあがりなさい。」鳥捕りがまた包みを出しました。ジョバンニは、もっとたべたかったのですけれども、
「ええ、ありがとう。」と云いって遠慮えんりょしましたら、鳥捕りは、こんどは向うの席の、鍵かぎをもった人に出しました。
「いや、商売ものを貰もらっちゃすみませんな。」その人は、帽子ぼうしをとりました。
「いいえ、どういたしまして。どうです、今年の渡わたり鳥どりの景気は。」
「いや、すてきなもんですよ。一昨日おとといの第二限ころなんか、なぜ燈台の灯ひを、規則以外に間〔一字分空白〕させるかって、あっちからもこっちからも、電話で故障が来ましたが、なあに、こっちがやるんじゃなくて、渡り鳥どもが、まっ黒にかたまって、あかしの前を通るのですから仕方ありませんや。わたしぁ、べらぼうめ、そんな苦情は、おれのとこへ持って来たって仕方がねえや、ばさばさのマントを着て脚と口との途方とほうもなく細い大将へやれって、斯こう云ってやりましたがね、はっは。」
すすきがなくなったために、向うの野原から、ぱっとあかりが射さして来ました。
「鷺の方はなぜ手数なんですか。」カムパネルラは、さっきから、訊こうと思っていたのです。
「それはね、鷺を喰べるには、」鳥捕りは、こっちに向き直りました。
「天の川の水あかりに、十日もつるして置くかね、そうでなけぁ、砂に三四日うずめなけぁいけないんだ。そうすると、水銀がみんな蒸発して、喰べられるようになるよ。」
「こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう。」やっぱりおなじことを考えていたとみえて、カムパネルラが、思い切ったというように、尋たずねました。鳥捕りは、何か大へんあわてた風で、
「そうそう、ここで降りなけぁ。」と云いながら、立って荷物をとったと思うと、もう見えなくなっていました。
「どこへ行ったんだろう。」
二人は顔を見合せましたら、燈台守は、にやにや笑って、少し伸のびあがるようにしながら、二人の横の窓の外をのぞきました。二人もそっちを見ましたら、たったいまの鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光りんこうを出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見ていたのです。
「あすこへ行ってる。ずいぶん奇体きたいだねえ。きっとまた鳥をつかまえるとこだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといいな。」と云った途端とたん、がらんとした桔梗ききょういろの空から、さっき見たような鷺が、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞まいおりて来ました。するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだというようにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片かたっ端ぱしから押えて、布の袋ふくろの中に入れるのでした。すると鷺は、蛍ほたるのように、袋の中でしばらく、青くぺかぺか光ったり消えたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、眼をつぶるのでした。ところが、つかまえられる鳥よりは、つかまえられないで無事に天あまの川がわの砂の上に降りるものの方が多かったのです。それは見ていると、足が砂へつくや否いなや、まるで雪の融とけるように、縮ちぢまって扁ひらべったくなって、間もなく熔鉱炉ようこうろから出た銅の汁しるのように、砂や砂利じゃりの上にひろがり、しばらくは鳥の形が、砂についているのでしたが、それも二三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。
鳥捕りは二十疋ぴきばかり、袋に入れてしまうと、急に両手をあげて、兵隊が鉄砲弾てっぽうだまにあたって、死ぬときのような形をしました。と思ったら、もうそこに鳥捕りの形はなくなって、却かえって、
「ああせいせいした。どうもからだに恰度ちょうど合うほど稼かせいでいるくらい、いいことはありませんな。」というききおぼえのある声が、ジョバンニの隣となりにしました。見ると鳥捕りは、もうそこでとって来た鷺を、きちんとそろえて、一つずつ重ね直しているのでした。
「どうしてあすこから、いっぺんにここへ来たんですか。」ジョバンニが、なんだかあたりまえのような、あたりまえでないような、おかしな気がして問いました。
「どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか。」
ジョバンニは、すぐ返事しようと思いましたけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうしても考えつきませんでした。カムパネルラも、顔をまっ赤にして何か思い出そうとしているのでした。
「ああ、遠くからですね。」鳥捕りは、わかったというように雑作なくうなずきました。
前回のシフトは休んだので、数日ぶりの出勤だった。私が休んだ日の翌日にシフトに入っていたAさんが教えてくれたが、
「あいつ、いつもは金曜には来ないのに来やがりましたよ。たぶん、増田さんが前日休みだったから翌日に来ればワンチャン会えると思ったんだと思います」
ということだった。あいつとは、いつもの、私のレジにしか並ぼうとしないお客様のことだった。あーやっぱりとしか言いようがない。
いつも通り、私がカフェマシン洗いに没頭していた時、私のレジにしか並ぼうとしないお客様が来店したので、Aさんが今日もまた来やがったと思ってレジで私のレジにしか並ぼうとしないお客様の動向を観察していた。そしたら私のレジにしか並ぼうとしないお客様は意外にもいつものように私がレジにつくまで店内をうろついて待つことをせずに、「実に流れるようなムーブで」アイスコーヒーのカップを買っていったので、Aさんは『そ、その手があったかー!?』と思ったそうだ。
その手とは、私がカフェマシンに洗ったパーツを組み込んでいる横に来て、アイスコーヒーを淹れて行く、という接近方法である。
「ここ使ってもいいすか?」
と、私のレジにしか並ぼうとしないお客様からいきなり話しかけられたので、私はびっくりしたが、これは目を合わせたらいけないやつだと思い、組み立て作業から顔を上げずに「どうぞ」と答えた。だが、お客様がアイスコーヒーを淹れてる最中にこちらをチラチラ窺ってくるのが視界の端の方に見えたので、目を上げなかったら上げなかったで勘違いされるパターンなのかもしれない。
私のレジにしか並ぼうとしないお客様が帰って、その後カフェマシンの組み立てが終わったのでレジに戻ると、Aさんが「またあいつ、来やがりましたね!」と大興奮していた。今度は予想外の手で接触を図ろうとしてきたのが面白かったらしい。そら他人事だったらおもしろおかしいネタか。私はさすがに引いているのだが。
すぐ横から話しかけるという、今までにない距離の詰めかたをしてきた挙げ句、三回に分けて店内のゴミ箱にゴミを捨てに来るということまでしてきたので、私のレジにしか並ぼうとしないお客様もさすがに今日は満足して二度目の来店はないんじゃないだろうか、と私とAさんは予想していたのだが、二時間半後くらいに私のレジにしか並ぼうとしないお客様はまたやって来た。今度はいつも二度目の来店の際に高確率で連れている高齢男性と一緒だ。レジで会計中に私のレジにしか並ぼうとしないお客様とそのお連れ様がハイテンションでしゃべくりまくっているので、ちょっとその会話に耳を傾けたが、会話の感じからどうやら二人は親子のようだ。仕事仲間っぽくない気がする。まあ、集中して聴いてた訳じゃないから外れているかもしれないが。
私のレジにしか並ぼうとしないお客様とそのお連れ様が騒ぎながらまたアイスコーヒーを淹れている間、私はレジ下にしゃがみ込んで(そこならカフェマシンの所から見て完全に死角になる)、迷い込んできた甲虫と遊んでいた。うっかり踏み潰しちゃうとキモい虫だけど、こうして掌を這っている姿を見るとかわいーなーと思いながら。
私のレジにしか並ぼうとしないお客様が帰った直後にAさんが事務所から出てきて、「さすがにあれはもう、完全にヤバい人ですよね」
と言った。さしものAさんも引いていた。もうこれオーナーに相談案件かもしれないが、出待ちとか店外でのストーキングみたいにクリティカルにヤバいことをしてくる訳でもないし、お客様がお気に入りの店員をかまうのは日常茶飯事な光景でもあるので、どうしたもんかなと話し合った。しかし、ここ最近の急な間合いの詰め様はやっぱり怖い、というのが夕勤メンバーの総意なのだ。