はてなキーワード: 採集とは
正しい人でありなさい。
それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。
幼い頃から、僕は常に「先生の家の子」であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人も子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。
今思えば、僕は他人の眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。
友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権を享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。
そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用でどんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。
だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。
あの頃の僕たちにとって、蝶の収集は最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。
はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。
だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由で遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。
それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかわからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずにはいられなかった。
ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。
十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。
彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛な空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。
不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。
彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこの感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。
それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日のコムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。
箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。
せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまったことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快なもの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。
僕は、彼のコムラサキの欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。
紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。
違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――
僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。
彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体を完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。
勉強や友達付き合いに割く時間を限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。
僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的な欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。
時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。
季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。
そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭から、クジャクヤママユが羽化したのだ。クジャクヤママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。
何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクヤママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクヤママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。
千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクヤママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。
僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクヤママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。
常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクヤママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり、大勢の少年たちがクジャクヤママユを見せてくれと押しかけてきた。
僕は彼らの頼みを「完璧な状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。
僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成の状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感がクジャクヤママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。
その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクヤママユだった。
翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。
どうして。何で。誰が。どうすれば。
絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。
日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクヤママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまいたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。
そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。
僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずにこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクヤママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。
僕はクジャクヤママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクヤママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。
僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクヤママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクヤママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクヤママユがつぶれてしまっていたこと。
彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。
「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」
そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。
彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。
僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。
僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事なクジャクヤママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識はゆっくりと沈んでいった。
次の日、僕は級友たちに、不手際でクジャクヤママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。
そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。
彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。
あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかいう基準から外れた場所にあるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。
思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧な優等生ではいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。
結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることなど不可能だということを悟り、自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。
彼とは、学校を卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。
それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクヤママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクヤママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ。
あのころは本当に寒かったなぁ。
毎朝起きると、テントの外は一面の氷。
俺たちはみんな、厚手の毛皮を着こんで、マンモス狩りに精を出してたもんさ。
マンモスが現れたときなんて、みんながワクワクしながら狩りの準備をして、「今日は晩飯が豪華だ!」ってな感じだった。
あのごっつい牙を避けながら協力して仕留めるのが、何とも言えないスリルでさ。
それから、鉄器の発明ってのはまさに俺たちの時代の一大イベントだったんだ。
みんな、木と石だけで戦ってたのに、誰かが突然「これ鉄だぜ!」って得意気に見せてきたんだよ。
最初はみんな「何それ?」って感じだったけど、一度使ったらもう戻れない。
槍も斧も一気に性能アップだ。
狩りの効率も爆上がりで、マンモスだってあっという間に仕留められるようになった。
ただ、そうやって少しずつ技術が進化して、俺たちの生活もだんだん便利になったんだが、同時に「こんな便利で大丈夫か?」って不安もよぎってたんだよな。
徐々に暖かくなってきて、氷が解けて、大地が豊かになると、今度は稲作が到来してきたんだ。
狩猟採集の時代が終わるっていうのは、まるで氷河期そのものが終わってしまうかのようだった。
あの厳しい寒さの中で、みんなで団結して生き抜いてきたのに、温暖な気候のせいで次の世代はすっかり農耕民族になっちまった。
今思えば、あの氷河期の寒さも、なんだか懐かしいもんだよ。
その発想捨てない?
狩猟採集の縄文時代にその日のご飯の予定を立てるのは難しい。何が採れるか分からないからだ。最悪食事にありつけないまである。
冷蔵庫がなかった時代も難しい。生魚や肉はすぐに食べないと腐るし、野菜もそのままでは長期間持たないものが多い。専業主婦の割合が高く、毎日買い物をして毎日作るのが当たり前の常識だった。
でも今は違う。農家のように消費しきれないくらいの野菜が旬に大量に採れて計画に影響を与える人ならともかく、スーパーには1/2や1/4カットした食材が並び、冷蔵庫は冷凍庫が大きく使いやすくなってサブまで持つ人が増えている。
そんな時代に残った食材と新しい食材を組み合わせてできるものを毎日考えて毎日作るって工夫しなさすぎだと思わない?
技術屋さんはどんな分野であれ一般的に最初に作るものと量を決めて材料表を作って材料を買って調達して作る。今は料理でもそれができる環境が整っている。
働きながら家事もこなす人が多数を占める現代、買い物を毎日してその日食べるものを決めて自転車操業的に材料を回していく不合理なやり方は時代にそぐわない。冷蔵庫に食材を眠らせて置くことは釣った魚をクーラーボックスに入れておくことと同じ。その場で調理して冷凍するのと、放置した食材で作る作りたて、どっちも大差ない。
食材を生で持つから腐る。だから1週間分の計画を先に立てて買い出しは週に一回。肉や魚はその場で冷凍して冷凍できない野菜はその日に使い切る。食材を生で持たなければ腐る心配はないし、作り置きにしてしまえばあとは食べる日だけを管理すればいい。いちいち、冷蔵庫の食材でできるもの、足りないもの、飽きを毎日考えて意思決定するパズルを毎日解くのは仕事できない人よ。献立を考えるのは週に一日。特売で得する額なんか知れてるんだから最初から買うものを決めてその日に使い切る。余計なものも買わなくなるから特売狙うより結局安くつく。
料理の上手い下手は色々意見あるけれど、味を評価指標にしたら必ず最終的には好みの差に行き着く。でも食材を腐らせないという評価基準は定量的に測ることができてなおかつ良いという方向性にコンセンサスが確実に得られる客観的なもの。毎日考えるというクッソ無駄な作業にお別れして一週間の献立を全部先に決めてしまうのが令和の時代のやり方だと思うわ。
https://anond.hatelabo.jp/20150324232028
何年か前、フェミニストのルームメイトとオランダ版の『サバイバー』を見て面白い経験をした。この番組は、二つの島に女だけのチームと男だけのチームに別れて、それぞれでサバイバルをするというものだった。フェミニストのルームメイトは、俺や他の学生達にこの番組について何週間も前から喧伝していた。彼女によると、「家父長制の悪から無縁の、女性によって治められた社会がどのようなものであるかを、この番組は見せてくれるでしょうよ」ということだった。
そして、始まった。ああ、番組はそれを見せてくれた。
番組はまず両グループがそれぞれの島に降ろされ、いくらかの食料や装備を渡され、あとは自力で生き残ってくれというものだった。両方のグループでまずチームの体制をどうするかで口論が起こった。それから男達は彼らが必要だと感じたことを何でもやっていくことにした。そこには命令を下すリーダーはいなかった。狩り、採集、漁が必要だと感じた男達はそれをやった。別の男は砂の上に座るのにうんざりしてベンチを作り始めた。他の男達は小屋を建てた。その小屋は徐々に大きく発展していった。別の男は毎晩調理をした。男達の島には数日の内に、小綺麗な文明が出来上がっていて、生活は日を追うごとに少しづつ豊かになっていった。
女達も同様にルーチンに落ち着いた。タオルを乾かすための物干し竿を掛けた後は、日光浴と口論を始めた。男達とは違い、女達はグループ全体のコンセンサス無しには何もすることができなかったからだ。そして12人の女達の間でコンセンサスが得られることは一度も無かった。続く数回の放送の間に、女達は最初に与えられた食料を全部食べつくしてしまった。暴風雨で何度もびしょ濡れになり、砂ノミに喰われ、どんどんみじめになっていった。一方男達は非常に満足していた。もちろん意見の相違もあったが、それらは徐々に解決されていった。
これをフェミニストのルームメイトと見るのは最高だった。彼女も始めのうちはこの男島と女島の違いをなんとか正当化しようとしていたけれど、その主張も段々弱くなっていった。結局、番組側が助け船を出すことを決めた。女達を助けるために、3人の男達が選ばれ女島に行くことになった。その代わりに、3人の女達が男島に行くことになった。この回を見ていた時のフェミニストのルームメイトの顔はプライスレスだった。
選ばれた3人の男達も当然有頂天になっていたんだけど、彼らが女島に到着し女達に迎えられるまでだった。
「小屋はどこだ?」
「小屋なんて無いわ」
「食料は?」
「全部食べちゃったわ」
それで結局3人の男達は犬のように働くことになった。彼らが最初の数週間のうちに試行錯誤して得たスキルを使って、小屋を建て、魚を捕った。女達にも食料探しをしてもらおうとしたが、女達は文句を言って日光浴を続けた。
男島に送られた女達3人は喜びに満ちていた。食料もあるし、雨風をしのぐ小屋もある。男達からはチヤホヤしてもらえる。彼女達もまた日光浴を続けた。
「膨大な時間をかけてできた重要なもの」を破壊する背徳感がたまらない。
詳しく説明しよう。私はもともと化石には興味がなかったが、ふとしたきっかけで、割と素人でも化石を発掘できることがわかった。
少し大型のハンマーとタガネを持って、ノジュールという化石が入っていることが多い石の塊を探し、ノジュールを周囲の石から取り出しハンマーで割れば化石の発見である。
ノジュールは素人目でも判別しやすく、ノジュールが出る地域の河川に行けば誰でも発見できる。
(なお化石採取が目的ならブラシもあってもよいが、私は持ってない。破壊が目的だからである)
そのノジュールを探し、割るとアンモナイトや恐竜の歯と思われる化石が出てくる。これを破壊するのが、なんとも楽しいのである。
生痕化石を発見した際も念の為破壊しているが、やはり骨の化石の破壊がびりびりと脳髄に来る。
長い年月を経て作られたものを、自分の手で破壊する快感。「この化石に関しては永久に学者が調査することは不可能」という実績を作った快感。
「ひょっとしたら新種かもしれない。それを破壊してやった」という快感。
この「化石を破壊したい」という執念はなかなか強烈で、勉強が苦手な自分も層序学を学び地層を読めるようにし、どれが堆積岩かも一目でわかるようになった。
化石採集系のコミュニティで共有されがちな、化石採集のスポットには移動費をかけて行っている。
福井はあまりに恐竜が有名になってしまったから、研究されつくされた感があって2度しか行っていないが、それ以外の有名どころを巡っている。
例えば串本町が化石スポットと知っている人は少ないのではないだろうか。わざわざ串本まで行って化石を破壊することは、単なる旅行ではない喜びがある。
三笠市にも行った。千葉にも行ったが、あれは中新世なのでそこまで興奮しなかった。
子供は大人とは違って変な倫理観とかそういう物がないから合理的だ。
子供は普通から外れた子供をいじめる。でも、普通の感覚、共同体感覚がない子供は大人になっても生きるのに苦労し、死にたいと思うようになる。そうであれば、まだ子供のうちに殺してしまった方が、本人も楽だし、周りの人間への負担も少ないだろう。
狩猟採集をしていた頃の人類もきっと、普通とは違う人間をいじめ、時には殺していたに違いない。それが、農耕をするようになり、普通とは違う、本来であれば生きるべきでない人間も、労働力として使えるようになってしまった。
1920年代には、優生学といって、国籍障害の有無で強制的に人を殺した方が良いと言う考え方が広まったらしい。私は、これには断固反対する。本人の意に背いて殺すことはよくないからだ。
ただ、そうすると、いじめられている子供のうち、死にたくないと思っている子供は殺すべきではないことになる。そして、その子供が大人になって、自ら死にたいと思うようになってから初めて死という救済を与えられることとなる。だが、これは無駄に苦しませるだけだ。
将来苦しむとわかっているのに生かすことは果たして人道的と言えるのだろうか。
本当
具体的に言うと
なので家に良いコーヒーメーカーと良い豆を常備しとけばスタバより美味いコーヒーがいつでも飲める
映画は撮りたきゃ撮ればいいし
家が広いのでデカいテレビやプロジェクターを置き、こだわるなら音響システムも構築可能。大きな音も出せる
化粧品は化粧しないので知らん
女ならドラッグストア行けばいい
田舎の女は都会出身者とか好きだし、都会に興味がない田舎の女はさらに最高
家が広いので子育てもできる
車が維持しやすいので子育てもできる(車なしで子育てするやつは毒親)
車があるのでレジャーができる
広くて整備された公園があるのはもちろん、寂れた公園も趣がある
ボール遊びもし放題
海が近いので海水浴もでき、潮干狩りやはまぐり採集などが楽しく
インドネシアの謎の民族だったか、南米の謎の民族だったか忘れたんだけど、なんかの少数民族であったよそういうの。いまだにITを拒絶して狩猟採集やってる民族。
男はただ日々を狩猟採集しながら生きてるだけで、女を口説くとかしない。一定の年齢、たしか10代後半か20歳くらいになったら自動的に結婚が決まる。
女同士が打ち合わせて、A子はB男に行く、C子はD男に行く、みたいに被らないように決める。女コミュニティの一存で決まる。
覚えてるのは、B男からしたら普通に生きていたら、A子から「魚料理を作ったから食べろ」みたいなことを急に言われる。
言われたら、A子の家に行って魚料理を食べることになっていて、食べたら自動的に婚約が成立して結婚することになる。そういうルールになっている。
食べないという分岐とか、食べたけど結婚はしないという分岐はない。A子に声をかけられた時点で一本道に入ってて、そこで生涯の伴侶が確定してしまう。10代後半から20歳で!
でも生き物として、女性のストライクゾーンが狭くて、男性のストライクゾーンが広いというのだったら、これが逆になるよりは功利主義的な気がしなくもない。
10代後半から20歳まで生きていたら、口説くような積極行動をしなくても、だれか女性から「魚料理を作ったから食べろ」と声をかけられて自動的に既婚者に、父になるわけだ。
非モテは不幸だ不幸だと言ってる受け身の男にとっての正解のシステムのようにも思う。ただなあ、日本のこういう男はポルノを見て目が肥えてるからなあ。
テクノロジー、メディア、といったものが全く入ってこない、選択肢が無く、すべてが理不尽で問答無用なことが当たり前だと思っている狩猟採集民族だからこそ成り立つんじゃないかという気もする。
日本人男性、こんなに日々選択肢を与えられて好きなコンテンツを見ることができていたら、妻を選ぶことができないなんて、女コミュニティに問答無用でピックアップされる存在だなんて、そんな不自由には耐えられないだろう。
実る道行
そして実りゆく案山子
つるむらさきと芹ならば
かえって心も気も楽か
紙が毛羽立つ筆先に
寝てもいいけど角度を変えて
どの交情が占めるかとか
雁は帰巣の頭を巡らせ
湯冷めのしない羽休め
気持ちをすべて言い当てられて
謎まだ解けず
声、小さいよ
もう眠そうな声
眠いのか、そう眠たいならね
薄暮れにひきあげて
体の幅で塞ぐ畦道
ゆくりなく渡り歩いて
抜き足を峠まで運ぶか
運んだ先の馬場で待つ蟻
夜の目も利く先導と
山裾からまた山裾へ
思い出したら話してくれる
何かと深めた信心を
あたらしい主になり代わる
鯰の潜む流れから
遠くから二十万騎のかちどき
おおむね好意を内に示して
尖底土器まで野心が巡る
ただ走り先走る尖石
雪が見えるの
なれの果て
それがおまえ
おびただしく連なるからたち
絶えずまわりにくべる火の
しらじら退いた機先
明日の天気は野を分けて
みだりに迫り来る老齢
昼のあずきとも関係ない
払えば道となる藪を
ぼうぼう伸びるにまかせていれば
北限に迫る脊梁
たかく道行き
洗いそそいで運ばねば
枯れるもなにも使う人のない枕木
向こうで咲いてたか
もうそこまで行ければいい気がする
ひとまず不慣れな先行きで
まずは燕をとらえるか
あぶみを離れるいななきの
鼻先まで香るうちに
まずは燕をとらえてみるか
『パッチ・ワークス』(港の人)より