はてなキーワード: 対処とは
https://anond.hatelabo.jp/20241215222347
これ良いね
パパとして200人くらい会って、テンプレ化できてきたので書いてみるわ、マチアプも同じだろ知らんけど
さすがにマチアプで100人以上会ってる人いないやろ?居たら逆に心配になる
人は最初に見たものを正しいと思う癖があるので、たまに「この方法が正解であとは間違い」と思ってる人がいるので注意が必要
ただ、どちらにせよするのは「条件すり合わせ」だと思う
この水準じゃないと会わないみたいな条件があるはずなので、そこをすり合わせる
パパ活なら外見的な話、マチアプならプロフィールに全部書いてることがそれだと思う
自分側に条件が追加であるなら聞く、会ってから「違ったわ」となるのはかなりしんどい
どこに惹かれたか言う
いつ暇か聞く(土日/平日、朝昼夜)
というかとにかく丁寧な対応見せて良いと思う、その後相手に丁寧な対応見せるシーン無いじゃん?
「!」はちょいちょいつける、「。」はつけない、絵文字はできるだけ少なめで
「うん」と「うんうん」は使い分ける
連投しない
(これ意見色々ありそうだけど、最初の店選びでキャラ出すのつらくない?相手のこと知るのがいちばん大事なんだから)
オープン席/半個室/個室を確認する、密室になる場合は許可を取る
できるだけ相手のエリアまで行く、ただし知り合いに見えられたくない人も居るので注意する
「いきなりお互いの共通趣味の場所に行く」は有り、お互い慣れてる場所だから、ただし会話できない場所はNG
駅から遠すぎる場所は避ける(歩くのしんどい、夏暑い、冬寒い、雨だとしんどい)
迷ってたら迎えに行く
会ったら正直に褒める(褒める点無いなら会うな)
相手の靴確認、ヒールの場合は歩けそうか確認する(たまにヒールだけど余裕な人いるんだよね)
会話デッキ
・天気
・場所について、よく来るのか、詳しいのか
・相手の見た目
・お店
・感謝
・疲れてないか
個人的にはいきなりタメ口でいいと思う(文面は丁寧語、会ったらタメ口。人によるかも)
店入ったら良い席を譲る
・お互いのことを知る
・共通点と違うところを見つける
改めて自己紹介する
・自己紹介
・趣味、何が好きか
→出てこない時は、休日何してるか、家で何をしてるか、YoutubeやTikTokで何を見るか
・出身
・動物は好きか?猫は好きか(俺の場合、猫カフェデートへ繋げる)
・お酒は飲むか(俺は聞かない)
・体動かすのは好きか
・勉強は得意だったかなど(勉強得意勢の会話と、勉強苦手勢の会話を分ける)
・最近のとりとめもない話
・連絡先交換
パパ活だと「別に」「別に」「寝ること」「わかんない」みたいな地獄だと30分で話題尽きるけど、マチアプならないよね?
あとマチアプならもっと深いテーマあると思うんだけど、そういうのは2回目でいいよね
俺は「いい人いる?他の男どうやってんだろ」みたいなのよく話すけどどうなんだろうね
最初ぐらい払ったら?
普通にバイバイ、都内なら駅まで見送る、可能ならホームまで行く
1回目に必ず「じゃあ次は◯◯か◯◯しましょう」まで行く、これがないと普通に切れる
都合いい日(土日/平日/朝昼夜)を確認しておく
・映画館(会話がない)
・混んでる場所
おすすめは
・好きなもの食べに行く
・甘いもの食べに行く
・おしゃれカフェ
・猫カフェ
女子がある程度着飾れる場所で、お互いのことが知れる(会話しやすい)場所がよい
ちょっと深い話になっても、いつでも外部からの情報で話題が切り替えやすい場所ならなおよい
あと女子が「かわいい〜〜」とか「あーこれ好き!」って言える場所がよい
3回目でも良いと思うけど、早ければ2回目で深い話をしちゃえるのが良いよね
2回目ですごく仲良くなってから、3,4回目で新情報出してガッカリみたいな展開によくなるからね
知らん
下ネタは控えるべき
・その他の会話デッキ
流行語とか、紅白とか、そういう当たり障りないニュースめっちゃ使えるんだよね
「じゃあこれから一緒に見つけていこう」
これしかない
これ、俺はパパ活だから聞くけど、マチアプなら聞くタイミング難しそう、でも大事だよね情報として
てか何なら「彼氏いるの?」って聞くわ、そこから彼氏の愚痴が始まる
・お手紙
気を使ってくれるのはありがたいけど、時には甘えるのもスキルだと思う
タイトルの通りです。
色々な意見や考え方を知りたいので、コメントを残してもらえるとありがたいです。
自分の意見や考え方について他の人がどう感じるか、あるいは自分と同じように感じた人がどう対処しているかを参考にさせてほしいため、この文章を書きます。
「男だからそう思うんだろう」「女だからこういうことを言うんだろう」というバイアスを避けたいため、
できる限りフラットな文章を心掛けて書きます。また、筆者の性別は言及しません。
(本題)
例えばの話ですが、一人の映画監督が作った映画がとても好きだとします
その映画監督が、例えばセクハラやパワハラで告発されたとき、皆さんはその作品を今後の人生二度と見ないようにしますか?
映画に限らず、近頃では宝塚の先輩から後輩へのパワハラがありましたが、自分の好きな物に関わる人間にそのような事実が発覚したら、どんなに好きなものであっても二度と足を運ばない、お金を払わない、手に取らないようにしますか?
自分は、ハラスメント加害者を応援することはないし、起こったことに対してすごく気分が悪くなります。映画監督ならもう二度と映画を撮らなくていいと思います。
ですが、例えばその加害者が作った映画や漫画、音楽、物語などが自分にとってとても思い出深く、かつ作品自体もとてもいいものだとずっと思ってきた場合、もう見ないという選択をすることは自分にはとても難しいです。
先に書いている「もう映画を撮らなくていい」という思いはありますが、これまでの映画が見たいという気持ちもある。
でも、例えばサブスクリプションなどで自分が見ることによって映画監督の収入になるのは嫌だと思うし、「再生数が多いから大衆からは許されているだろう」という裏付けにされるのは心底嫌だとも思います。
そういう考えと同時に、「あの作品また見たい」という気持ちが生まれることもあります。「あの人のあの作品、見たことなかったから見てみたかったな」という気持ちになるときもあります。
要するに、自分が復帰などの言い訳(再生回数の一因とか)にされるのが嫌だけど、でもその作品は楽しみたいという非常に自分勝手な気持ちです。
ハラスメント加害者が関わったものは絶対見ないという強い意志を持っている人たちに「そういう行動を取るから復帰できるかもしれないという幻想を抱かせる、実際に復帰させてしまう」と言われるとぐうの音も出ないです。
そういう人たちに批判されるのが嫌だから、表面上は絶対見ない、見たくもないと思うようにしている気がします。
ちなみに、自分はハラスメント加害者や性犯罪者が更生するのは無理だと思っています。多少の反省はするかもしれないけど、そう簡単に変わらないと思います。だから、ハラスメントで告発されたらもうその人にその仕事はできないと思うし、それでいいと思っています。
でも、現実として「金になる」と判断されればどんなにこちらが反対してもまた出てくるだろうと思います。
それを防ぐためには、やはり加害者のプラスになる行動を取らないことが自分達に求められていると思います
それを頭で理解しながら、性懲りもなくその作品を見ようとする自分が最低な奴だと思い、もし自分と同じように考えたことがある人がいたら、どう考えて行動しているのか、どう考えるようにしているかを聞かせてもらえるとありがたいと思い、これを書きました。
イメージとして強いのはFFT(古いのは大戦略、オウガバトル、カプセル戦記)
これはチェス将棋の拡張だ。戦略ストラテジーとも? 重複してるか。
1ターン1手だとゲームとしてつまらない(真剣味が増しすぎる)ので?
チェ棋の駒の通り、戦争を模している
勝利条件
将を討つ、王道。ゲームでは、拠点(味方重要ユニット)死守、敵拠点○○(だどりつく、破壊)などがある(将スだと討伐)。
これらも戦要素が強すぎる。
戦争以外を色々考えてたら、スポーツってほとんど、敵陣にゴールするが目的だと気づいた。
テニス等も敵陣深くまで敵を抜いてたどり着くのが目的。ボール等だけでよい。
これは矢やミサイルが届くとかいう近代戦よりも、祭りでありがち? ご神体とか
勝敗がありそうな祭りのルールはゲームに活かせそう(スプラ、トマト祭りとか)
リアルタイムのゲームもあるが、一人では対処しきれず、戦術がざっくりになりそうでターン制。
たどり着く系だとTDとかも多い。
初期のゲームは、避ける(生存)か倒す(殲滅)か、ゴールに行くだったか(タイム)
自軍と同等系の能力を持つCPU軍だと、倒し合いになる。カードゲームでも。
カードじゃないがだと五目並べなど(五目ではなく設備を先に作ったほう勝ちとか)
せっかく争いから離れる(経路の違うゲームを作りたい)のだから、もっと牧歌的な目的に向かいたい
祭り、カードゲーム、クラフト、見逃してるスポーツ、このあたりにいい感じの主要素ないか?
アトラスとかシム系だと、敵のような存在と交互に戦うのがあったが。相手が破壊好きがち。
役(設備)設営が目的でこいこいのようにどこで区切るかの選択ができるのは面白そうだ。
https://newrepublic.com/article/150687/professor-parody
この記事は、アメリカの学術的フェミニズムの変遷を批判的に分析しています。特に、ジュディス・バトラーの影響下でフェミニズム理論が実践的な社会変革から遠ざかり、クィア理論やトランスジェンダリズムといった非現実的で抽象的な議論に偏っていると指摘しています。
実践的な社会変革:キャサリン・マッキノンやアンドレア・ドウォーキンなどの理論家は、レイプ法の改革や女性の経済的機会の拡大など、具体的な問題解決に取り組んでいました。
現実との結びつき:彼らは女性の実際の状況や苦境に焦点を当て、法律や制度を通じて不公正を是正しようとしました。
言語と象徴への偏重:バトラーは、ジェンダーが社会的に構築されたものであり、そのパフォーマンスを通じて再現・抵抗できると主張しました。
批判点:
難解な言語:彼女の文章は専門用語や複雑な理論で満ちており、一般の読者には理解しにくい。
実践の欠如:具体的な社会問題や法的改革への言及が少なく、抽象的な議論に終始している。
規範的基盤の欠如:不公正に対する明確な基準や、何を目指すべきかの指針が示されていない。
実践的アプローチの減少:バトラーの影響で、フェミニズムが象徴的な抵抗やパフォーマンスに重きを置き、具体的な社会改革から距離を置いている。
批判的視点:この記事の著者は、この傾向が現実の不公正に対する対処を遅らせ、結果的に現状維持や静観につながると懸念しています。
行動の重要性:フェミニズムは象徴的な抵抗だけでなく、具体的な社会変革を目指すべきである。
バトラーへの評価:彼女の理論は学術的には影響力があるものの、現実の女性の生活改善には直結していないと批判しています。
この記事は、フェミニズム理論が再び実践的な社会改革に焦点を当てる必要性を訴えています。ジュディス・バトラーの象徴的なアプローチは、具体的な不公正の是正には不十分であり、女性の権利向上のためには行動と制度的変革が不可欠であると強調しています。
モテない人生を送ってきたせいもあって、20後半で初めてできた彼女と結婚してから初めて知ったんだけど、昨今の若い女ってマジで甘やかされてきたんだなというのが言葉の端々から感じられる
向こうが必死で伝えようとしてくる、私は大変だったのよ話がぬるすぎて全然大変じゃなかったりする(想像力がなさ過ぎて逆にぬるま湯にいたことを補強する材料になってる)のはまぁいいんだけどね
すっごい典型的なのは、モテないって言いながら実は数人に告白されてました(キモいから却下)みたいなやつね
俺に言ってくる文句も最初は全部ちゃんと聞いて対処しようとしてたのに、よくよく考えれば俺だけじゃなくて全部相手の女にも当てはまるなみたいな話ばっかで最近真面目に取り合うのがダルくなってきた
簡単に言えばいつどこにどのタイミングで来なかったとか、お前が来なかった回数は両手の指の数じゃ足りねーけどなみたいな、いや俺は文句言ったことないから向こうは認知してないのかもしれんが
妻の友人の話を聞いていても似たような話が多い
で、別にそれ自体は性別によって腹立つポイントも違えば大変なところも違うんだろうけどさ、最近ちょっと言い返したら信じられないみたいな目で見られたんだよね
言い返された経験がなかったっぽく、個人的にはここまで他人を攻撃しておいて一度も反撃されたことがない・・・?っていうのも衝撃だった 男性陣やさしすぎないか?
で実家の家族を思い返してみても、女性ってやたらと自分だけが我慢してるみたいな行動しがちというか、やっぱ言わないと気づいていない・・・?
どっちの性別もいろいろあると思うんだけどさ、男は気が利かないみたいな話を見るたび、女も"男なら気を利かせないといけないところ"で全然気が利いてないけど文句言われてないだけだぞって
まだ初心者マークみたいなものだと思ってます。一応病名は適応障害で、休職を少しして、今はリハビリ復職中。
自分としては、少し疲れたところに色んなストレスが集中してかかったことがきっかけで抑うつ状態が一気に加速した状態だと思ってるので、おそらく対応を間違えなければ、このまま回復できると思ってます。
ただ、「まだ初心者マーク」と言ったように、主治医からは、このまま良くならなければ、うつ病という診断名になるよと言われているから、いまはとりあえずゴースの状態で止まってて、ゴーストへの進化を一生懸命Bボタンでキャンセルしてる状態だと思っています。
もっと適切なポケモンいるかもしれないけど思いついたのと世代が赤緑なんで…
で、適応障害もうつ病も症状としてはあんまり変わらない気がするんだけど、私がかかった時にいちばん顕著な症状は睡眠障害と希死念慮だった。あとは仕事への集中力、思考のまとまりがなくなるとか、急に涙が出るとか。
睡眠障害は、途中で目が覚めちゃったりとか、一睡もできずなにか悪いことを考え続けちゃうとか。
これへの対処は、比較的容易だと思っていて、というかしっかりしたクリニックであれば適切な服薬を処方、定期的な通院で寝れてるかをモニタリングして、服薬調整。
容易というよりは、標準化された治療がある、対処可能な症状だと思う。
問題は希死念慮の方で、これって人によって何によって引き起こされるかが全然違うし、それにどう対処すればいいかも全然違ったりする。
だから、私がどういう時に希死念慮が発動しやすく、どうしていたかっていうのを書き残しておこうと思ってこの文を書いてる。
発症して2ヶ月以内くらいの間は、休職してて仕事のストレスがなんにもない状態にも関わらず、1週間に1回、もしくは4日に1度くらいの結構な頻度で死にたい衝動が襲ってきた。
たとえば、もうジムとか遊びに行けるから元気なんでしょ?くらいの感じで、夫から雑にからかう言葉をかけられた。
仕事への復職が近づくのに、仕事へ戻って同じ仕事をこなせるかわからない。
あるいは、何にもきっかけらしきものがないのに、夜になって急に全部リセットしたい衝動がやってくる。
今書いてても、俯瞰して見ても、自分で振り返っても、なんでこんなことで?って思うことばっかり。
夫が雑な言葉かけるのなんてこの10年そうだし、夫からしたら「僕何言った?」みたいな感じだと思う。
強いて言えば、自分の辛さを理解してくれない、と感じたことが、いつもの何十倍もの辛さにブーストされてのしかかってきたんだと思う。
仕事にしたって、配慮のある職場で、いきなりフルで復帰させることはしないよとはっきり言われていた上でのことだ。
近所の子どものくだりは、私が不妊治療をしていて、そのストレスが適応障害の引き金のひとつになったことと関係してるけど。
あとはシンプルに、なんか不意にやってくる、なんだろう、電波障害?天気予報外れの雨?みたいな感じの予測できない不調が週一かそれ以上で来て、その度に、この世の終わりかのような絶望感と、なんか自己の存在への諦めというか、いてもしょうがないじゃん、みたいな理屈で説明できない感情に苛まれる、それが私にとっての希死念慮というやつだった。
これを経験するまで、私は、うつの人が死にたいっていう気持ちを心底は理解できてなかったなと思う。
そうは言っても、そう言って気を引きたいだけで死ぬ気なんてないんでしょ?って思ったり、ましてそれで実行に移して死んでしまう人なんて最重度のごく一部の人なんだと思ってた。
多分夫とかうちの家族にしてもまだそのくらいの解像度なんじゃないかと思う。
これはこの負のブースト状態を体験してみないとなかなか察しにくい。
対処すれば過ぎ去る短時間のものだったり、頭にこびりついて何日も引きずるものだったり、私が経験したものも程度は色々だったけど、紛れもなく、その全部が「死んじゃいたいー」だった。
家族もいるし、友達もいるし、職場の在籍も保証されてるし、励ましてくれる存在はいっぱいいるのに、その希死念慮に苛まれてるあいだはそれを一足飛びに飛ばして「我思う、故に我死ぬべき」が頭を支配するんだよ、不思議としか。
私は仕事で精神医学とか心理学とかをかじっていて、なんならそういう人もたくさん仕事で相手にしてきたから、まさか自分がそんな状態になるなんて思ってなかった。
いちばんひどい状態の時は、家にある死ねそうな薬を集めるのを試みたりネットでしらべたり、近所のタワマンの一番侵入できる高いところまでいってみたりした。
(その時は気づいてなかったけど夫が過去の病気で処方されて飲んでなかった睡眠薬がいっぱいあった事に後で気づいた。あの時気づいてたら危なかったなー。あれ隠しといてもらわないとな。)
どこかで理性は残っているから、そうなってる状態のことを、Twitterに書いたり、仕事中の夫にLINEで書いて伝えたりして、誰かに止めてもらえるようにはしてたと思う。
その行動が、はたから見ると「構ってちゃん」になるんだろうし、すごく矛盾した行動だけど、いけない行動だと分かってるのに思考と行動が死に向かう、その状態を自分だけでどうしようもないから、他人に知らせるんだと思う。
さてこの希死念慮の時の振り返りはけっこう再体験に近いので今書いてても涙が出るしリアルに思い出しそうになるので、この辺で私がその希死念慮にどう対処したかとか、どんな対応がありがたかったかに話題を変えようと思う。
とりあえずは、すぐに医療にかかれたこと、処方薬がもらえたこと。わたしはこれが大きかった気がする。
精神科や心療内科って絶望的に予約が取れなくて、初診だと1週間後ですとかざらに言われたりする。
今このどうしようもない希死念慮をなんとかしたい!って時に一週間後だったら、確実に間に合わなかったんじゃないかと、ぞっとする。
処方してもらったのはごく軽い睡眠導入剤(抗うつ薬)と、不安になった時に飲むようの少し強めの抗不安薬。
まずはしっかり寝ることと、仕事は問答無用で休み、そして一人にならない環境を作ることを主治医に言われた。
休んでても、一人になった時に希死念慮が来て,抗不安薬も効かなかった時に、ポーンと境界線を超えることがあり得るからだといわれた。
まさにそうで、誰かがいてくれる、誰かと約束があるという状態の連続が、私にとっての抑止力になった。
そして、先に書いたようにそれでも境界線を超えかけて「我死ぬべき」になった時はどうしたか。
やっぱり、自分の今の状態を知ってもらえる人を作ることだった。
Twitterに死にたい状態であることを書いて、紛らわせられるような動画とかがほしいことを添えて書いた。
実際はもっとやばい状態だったけどさすがにそこまでを全部さらすのはやばいと思ってまだ余裕のあるポーズをしたりするから、よけい構ってちゃんに見えただろうなぁ。
でも、全くそれまで交流のなかったフォロワーの人からくすっと笑える動画とか、猫の画像とか送られてきて「生きてくださいね」って声かけてくれたりして、大袈裟なんだけど、ほんとうにそれだけでも飛び越えるハードルは一個上がった。
あとは、投稿見て心配してLINEやDMを飛ばして来てくれた友達がいた。その人達には、自分の今の状況や気持ちをもう少しありのままに話せて、実況みたいにしてたけど、そうして話しながらぐるぐる歩いてるうちに疲労してきて、家に帰ろう、ってなれた。
本当にありがたかった。
とりあえず些細なきっかけに理不尽なブーストがかかっていて訳の分からない状態の私の話を聴いてくれる人がいて,共感してくれたり、とりあえず寝ようよ、不法侵入て言われないように家に帰りな、って促してくれたり、それぞれの言葉で私を心配してくれると思うだけで、あの世へのハードルはだいぶ上がった。
あとはうちの夫は本当に言葉が雑で不器用な人なんだけど、とりあえず私が休んでる間は何も仕事のこととか聞かず、たまに元気が出そうな食事を出してくれたりした。その放置具合が逆にありがたかった。
けど、上記のように私が些細な冗談で死にたい状態になったり、火のように怒ったりする泣いたり、喧嘩になっちゃうもんだから、話し合って1週間くらいお互いに距離をおく(物理的に話さない状態を作る)をした。
身近な人に理解してもらう、実はこれが一番難しいかもしれない。これは長い時間かけてお互い努力と配慮をするしかないと思っている。
あとは、休職期間中に読んだこの記事も,自分の中の得体の知れない希死念慮につながる状態を俯瞰するのに役に立った。
https://note.com/kaerukoakeno/n/nb3d72b72b3b0?sub_rt=share_b
この記事でも言われてたり、友達にも言ってもらって安心したのは「こういう思考になったり、傷つきやすくて家族と衝突したりするのも、自分のせいではなく病気の急性期症状のせいだよ」と言ってもらえたこと。
もちろん,病気のせいに何もかもしていいわけではない。私の寂しがりのパーソナリティは病気のせいだけではなかったりするんだけど、要は、自分をなるべくその状態に持っていかない環境設定をすること、だと思う。
あとは、症状が落ち着いてきた今、自分の中に溜まってもやもやしている気持ちとか、不安への向き合い方を教えて欲しいなの目的でカウンセリングにもかかるようにしている。
自分の思考のくせを他人に共有して,受け止めてもらった上で、違う視点をもらえるのは受診だけでなくカウンセリングならではのメリットだと思う。
だから何で世間の会社の多くがハラスメントに対して対応が迅速なのか正直わからない
自殺と短期離職がお家芸みたいな会社に勤めてる人なんかでも「役員ルートに乗ってる次長が新卒に毎朝求愛LINE送って一発レッドで左遷されてた」と言ってた
会社がハラスメントに対して懲罰的な対策とることって何が怖くてそう動いてるんだろ?
アットホームな弊社は
「グループリーダーから何度断っても土日に競馬にしつこく誘われ、やむを得ず一度行ったらどんどんエスカレートしていき、ついに忘年会の夜にホテル連れ込まれそうになった」
女性社員ですらかなり冷ややかというかその同期の勇気ある行動に怯えていたようで
「すっごいいい人なんだよ?仕事で助けられたことあるでしょ?」
と諭すような態度に終始していたとのこと。
それでも同期が折れずに頑なな態度でいると、
ホテルに入らず済んだのにこうして周りを巻き込んで大騒ぎしたこと
を指摘され
「ごめんね、本音言うね。俺、君に今相当頭きてるんだよ」と人事部長に凄まれたと泣いていた。
それでも弊社は回っている。
最終的に同期の親まで出てきたけど弊社はこれといった大ダメージを受けることなく回った。
セクハラ加害者であるグループリーダーは処分無しでたまにこの騒動をネタにし、件の同期のモノマネを交えて笑いをとっている。
そんな現実を目の当たりにしながら疑問が浮かんだ。
役職者が苛烈なイジメやパワハラをかましてニュースになった某巨大自動車メーカーとか、某大手自動車メーカーとか、某巨大電機メーカーとか、相変わらず学生から大人気だし、大企業ゆえにニュースになったけど経営は盤石だし、法人にとっては小銭のような慰謝料で済んでるだろうし。
ハラスメントを放置して被害者を無視するのが合理性高いのでは(よしとは言っていない。個人的には同期を苦しめた連中は一族郎党死んだほうがいいと思ってる)?
政府効率化っていうのはリバタリアニズム的な考え方の一部だけど、マイナ保険証っていうのは完全移行されれば手続き効率化の側面があるとはいえ、本質的な考え方は政府の裁量により把握・管理できる部分を肥大化させる社会主義寄りの政策だよ。デジタル監視社会が進展してる中国を想像したらそっちに近いことが分かるはず。リバタリアニズムであればこういった国家による強制保険みたいな個別制度は生まれず、より上のレイヤーで統合的に最低保障をする、つまり負の所得税ベースの給付内で各自対処させるような考え方になるはず。保険会社も民間のしか存在しなくなり各自がちゃんと調べなきゃいけなくなる。それが小さな政府。
イスラエルによるハマスへの攻撃は、ハマスがイスラエルの民間人を標的とした一連のテロ攻撃に対する正当な報復行為として位置付けることができます。一方で、ハマスの行動は、いかなる立場からも正当化することはできません。以下にこの立場を説明します。
イスラエルは、国民の生命と安全を守る責任を負っています。ハマスによるテロ攻撃では、民間人が標的となり、多くの命が奪われました。このような攻撃に対して反撃し、テロの再発を防ぐ行為は、国際法上の自衛権に基づいて正当化されます。
ハマスは、意図的に民間人を標的とし、社会に恐怖を広げることを目的とした行動を取っています。これに対処しないことは、さらなる暴力を助長するリスクを伴うため、国際社会もイスラエルの防衛行動を支持することがあります。
ハマスの攻撃は、明らかに非戦闘員である民間人を標的としています。これは国際人道法(ジュネーブ条約)に違反する行為であり、いかなる状況でも正当化できません。
多くの国や国際機関は、ハマスの行動を「テロ」として非難しており、これを抵抗運動ではなく犯罪行為として見ています。特に民間人の大量殺害や人質の利用は、国際法上重大な戦争犯罪に該当します。
ハマスの攻撃は、意図的に民間人を標的とした無差別テロであり、どのような文脈においても正当化できません。一方、イスラエルの行動は、自国民の安全を守り、テロ行為を防ぐための自衛措置として正当と見なされます。しかし、報復の過程で民間人が巻き込まれるリスクを最小化する努力は、イスラエル側にも求められるべき課題です。この立場は、国際法と人道の観点からも支持されます。
うちの尸魂界(ソウル・ソサエティ)でも死神代行については問題視されており、半虚(デミ・ホロウ)の対処もままならない新卒が死神代行をつかって退職している日本の現状が心配になります。
この状況に対処するためには、問題の背景とコミュニティの特性を考慮しながら、以下のようなアプローチを検討できます。
行動規範の制定
コミュニティの性善説に基づく運営が問題の要因となっているため、行動規範やポリシーを明確に制定し、以下を含むガイドラインを作成するべきです。
攻撃的な言動や嫌味、中傷、侮辱的なコンテンツの投稿を禁止する。
不適切な行動があった場合の具体的な対応手順(警告、投稿の削除、一時的な参加停止など)。
モデレーターの設置: 問題行動を監視し、必要に応じて投稿を削除したり、警告を発する役割を担うモデレーターを設置します。
AIツールの導入: 投稿内容をチェックするAIツールを使い、攻撃的な投稿を検出しやすくします。
教育と対話: 生成AIのハルシネーションや利用ルールについての教育を行い、彼が問題点を認識できるよう試みる。
段階的な対応: 初めは警告や注意喚起を行い、それでも改善が見られない場合は一時的な参加停止を検討します。
コミュニティの再建
現在のコミュニティを一旦停止し、新しいプラットフォームや規範のもとで再出発することを検討する。
問題行動者を除外した新規メンバーの募集や、健全な環境づくりに注力する。
早期介入の重要性
攻撃的な言動を「流す」文化が問題を長引かせた可能性があります。以下のように早期対応が必要です。
初期の段階で嫌味や攻撃的な投稿に対して毅然とした対応を取る。
誰もが不適切な行動を取り得る前提で、規範やルールを整備しておく。
初期段階からモデレーション体制を整え、問題行動者に依存せず健全なコミュニティ運営ができる仕組みを構築する。
生成AIは有用ですが、その誤用によって問題が拡大しました。以下のような教育が重要です。
問題がすでに深刻な段階に達している場合、以下の選択肢を検討します。
新しいコミュニティの立ち上げ: 既存のコミュニティを放棄し、新たなメンバーと共にゼロから再構築する。
既存コミュニティの再生: 問題行動者の排除や、新しいルールの導入を行ったうえで、新規参入者を積極的に迎える。
コミュニティ運営は常に人間関係や技術の進化に直面します。このような経験を通じて、より強固で健全な運営方法を学ぶ機会と捉えるのも大切です。
そうか! 疲れたなら休むことだ! それが唯一の対処法だぞ! 休めない環境や状況にあるなら、そこから逃げることをマジメに考えよう!
生きるのに疲れたと言うが、それはきっと今じぶんを取り巻く人間社会の中で生きるのに疲れたということだろう!
人は社会の中で生きるもの、それも一つの考え方だが、疲れたときは社会から距離を取るのがいいと思うぞ!
それが休息を休息たらしめるために重要な鍵となる可能性も高いはずだ!
増田のようなインターネットサイトやディジタルデバイスも、ある種の社会につながるゲートと言える!
疲れているときはここを離れ、スマホを手放し、プライベートな空間にしばし籠城するのもいいだろう!
君に必要な休息時間が数日なのか数ヶ月なのか数年なのかはわからないが、ただしく休めば疲れはかならず取り除ける!
その時にはきっと今と異なる心境を抱ける自分が待っているはずだ!
それを楽しみに、よりよい休み方を考えていこう!
書いてある通り読めないのはなんでなん?(2回目)
個性の範疇に無いとはどういう意味ですか?
↓
「個性の範疇に無い」とは、ある特定の個性や特徴に含まれない、という意味です。「範疇」という言葉は、同じ性質のものが含まれる範囲や部類を指します¹。したがって、「個性の範疇に無い」とは、その個性や特徴のカテゴリーに入らない、ということを表しています。
例えば、「彼の行動は私の理解の範疇に無い」と言う場合、その行動が自分の理解できる範囲を超えている、という意味になります²。
他に質問があれば、どうぞお聞きください!
↓
「個性の範疇にない」という表現はAIにとって理解が難しいですか? Aが極端過ぎることに驚いています <文脈> A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる たぶん、個性の範疇に無い
↓
「個性の範疇にない」という表現は、AIにとっても理解可能です。この場合、BはAの極端な無頓着さが一般的な個性の範囲外であると感じていることを示しています。つまり、Aの行動や態度が通常の人々の行動パターンや価値観から大きく外れていると考えているのです。
Aの極端な態度に驚くのは自然な反応です。Aが他人に対して無関心であった理由や、その変化のきっかけについてもっと知りたいと感じるのも理解できます。
この文脈での「個性の範疇にない」は、Aの行動が一般的な人々の行動や価値観の範囲外であることを強調しています。
他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。
↓
人全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。 - 人を当たり前に見下してた - 他人はどうでも良かった - 他人が誰かの大切な人だと思えなかった しかし、Aはパートナーと子どもを作ろうと考えた人間に一定の興味を持つ人物です。 それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的な個性ですか? また、Aがここまで他人に無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか? 通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います
↓
Aの行動や態度についての疑問は、共感性や人間関係に対する無頓着さに関する心理学的な視点から考えると理解しやすいかもしれません。
まず、Aが他人に対して無関心であった理由として、共感性の欠如が考えられます。共感性の欠如は、発達障害や自己愛性人格障害などの心理的要因によって引き起こされることがあります¹²。これらの状態では、他人の感情や立場を理解する能力が低下し、自分の欲求や感情を優先する傾向があります。
Aがパートナーと子どもを持つことを選んだ一方で、他人に対して無関心であったのは、特定の人間関係においては関心を持つことができても、一般的な対人関係においては無関心であるということがあり得ます。これは、自己中心的な行動パターンや、特定の状況下でのみ共感性が発揮される場合があるためです²。
また、Aが自分の無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか、無視されていた可能性があります³。
Aの行動が極端に見えるのは、一般的な社会的規範や期待から大きく外れているためです。しかし、これは必ずしも病的なものではなく、個人の経験や環境によって形成された行動パターンであることもあります。
もしAの行動や態度についてさらに深く理解したい場合、心理カウンセリングや専門家の意見を求めることが有効です。これにより、Aの行動の背景や原因をより明確にすることができるでしょう。
他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。
¹: [共感性の欠如についての解説](https://www.touch-wood.jp/understanding-empathy-lack/)
²: [自己愛性人格障害と共感性の欠如](https://psy.selfe-study.space/empathy-lack/)
³: [人間関係における心理学的視点](https://liberary.kddi.com/liberalarts/relationships/)
(1) 人の気持ちに寄り添えない病気とは?大人の共感性欠如を徹底 ....
(2) 共感力の欠如とは?自己愛性人格障害の特徴|自己防衛心理学.
(3) 共感性が欠如する「大人の発達障害」の特徴と対処方法 ....
(4) 人間関係とは?心理学的観点からみる定義と良好な関係を築く ....
「個性の範疇にない」という表現はAIにとって理解が難しいですか? Aが極端過ぎることに驚いています <文脈> A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる たぶん、個性の範疇に無い
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「個性の範疇にない」という表現は、AIにとって十分に理解可能です。ただし、その理解は文脈によります。
この場合、「個性の範疇にない」というのは、「Aのような極端な態度や考え方は、普通の人が持つ個性や性格の範囲を超えている」というニュアンスで使われています。つまり、Aの考え方や行動が、一般的に想像される「個性」の幅を逸脱している、という意味です。
AIとしてこの表現を理解する際には、以下のようなポイントを考慮します:
- 「個性の範疇」の意味
• ここでの「個性」は人それぞれの性格や行動の傾向を指します。
• 「範疇」は、その枠組みや許容される範囲を指します。- ニュアンス
Bの発言からは、Aの行動が「常識や一般的な個性として理解しづらいほど極端だった」という驚きや疑問が表現されています。
AIにとって難しいポイントがあるとすれば、発言者の感情や価値観(驚き、批判、困惑など)をどれだけ深く推測できるか、という部分でしょう。しかし、基本的な意味や文脈は問題なく解釈可能です。
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人全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。 - 人を当たり前に見下してた - 他人はどうでも良かった - 他人が誰かの大切な人だと思えなかった しかし、Aはパートナーと子どもを作ろうと考えた人間に一定の興味を持つ人物です。 それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的な個性ですか? また、Aがここまで他人に無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか? 通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います
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Aの言動や考え方については、いくつかの観点で理解できますが、その一部は確かに異常または極端に見えるかもしれません。
Aの考え方の極端さについて
- 「人を当たり前に見下してた」「他人はどうでも良かった」 という部分については、全く興味がない人物が取る態度として理解できます。社会的な共感や他者に対する思いやりが欠けている状態は、自己中心的な性格や共感性が欠如していることを示唆します。こうした態度はある意味で一般的な個性の範疇にあるかもしれませんが、極端に見えるのは確かです。
- 「他人が誰かの大切な人だと思えなかった」 という発言も、冷淡で他者に無関心な性格を示しています。この部分も個性の範疇であるとはいえ、他人を「大切な人」として認識できないことは、一般的には不自然に感じられるかもしれません。特に他人に関心がない人物でも、家族や親しい人に対する愛情や共感は存在するのが普通だからです。
Aが子どもを持とうと考えた理由
Aが「子どもが生まれるまでは他人が誰かの大切な人だと思えなかった」と言っている背景には、子どもを育てるという経験が他者に対する感覚を変化させた可能性があります。子どもを持つことによって「他者の存在」や「他者の感情」に対する理解が深まることはあります。特に、親になることで、他人が自分と同じように他者にとって「大切な存在」であることを実感することは、共感の感覚を変化させる要因となる場合が多いです。この部分がAの変化を説明しているのかもしれません。
しかし、それまで他人の重要性を認識しなかったことは、確かに極端に感じられる点ではあります。一般的には、子どもが生まれる前にも多少は他者の重要性を認識することが多いので、Aの過去の態度は特異なケースだと言えるでしょう。
なぜAはここまで無頓着でいられたのか?
Aがここまで無頓着だった理由については、いくつかの可能性が考えられます。
- 自己中心的な性格や価値観
Aは非常に自己中心的な性格や価値観を持っていたか、過去に他人との深い関わりを避けてきた可能性があります。自己中心的な人は、他人の感情や存在に無頓着であることが多く、自分の生活に他人の影響を最小限にしたいと考えがちです。- 過去の経験や環境
Aが過去に他人と深く関わる経験がなかった、または社会的なスキルや共感を養う機会がなかった可能性もあります。例えば、孤独だったり、家庭環境が共感を学びにくいものであったりすると、他人への無関心が続くことがあります。- 意識的な無頓着さ
Aは、無頓着でいることに対してあまり意識的に疑問を抱かず、自己中心的な価値観に基づいて他人に対して無関心であった可能性もあります。自分の考えや行動が極端だとは思わず、むしろそれが自然だと感じていたかもしれません。
共感性の問題と一般的な個性
Aが示している無関心さや他人への無頓着さは、一般的には共感性に欠けるという特徴を持っていると考えられます。人は通常、他人の感情や存在にある程度の共感を持ち、理解しようとします。Aがこの点で極端に無頓着だったことは、共感性の欠如や、他人との関わりを意識的に避けていたことが背景にあると思われます。従って、Aの行動が一般的な個性の範疇に収まるとは言い難く、むしろ特異な性格や心理的な背景があると言えるでしょう。
結論として、Aの過去の態度は極端かつ無頓着に見えますが、それがどのように変わり得たのか、またその理由について考察すると、心理的または環境的な要因が影響していることが考えられます。
「ポイントカードお持ちですか?」「袋大丈夫ですか?」「お箸何膳付けますか?」
これらに対し自分はちゃんと口頭で答えてはいるが、相手に伝わればいいんだから首肯やジェスチャーだけでも良いと思うよ
だって声が出ない人とか声出しちゃ駄目な人(声優で喉労り中とか声帯の手術したばかりの人)とか居るかもしれないし
「なんで声出さねーんだよ」って言い募るのはどうかな?
この恐ろしい世の中であらゆる可能性を考慮しないというのは迂闊
出来る範囲で「もしかしたら」っていうのを考えていきたいものだね。後から考えるんでもいいから
(というか、「腹立つなあ」って思ったら「もしかしてあの人は●●なのかもしれない」って自分が納得いくような理由を捻り出してみると楽に生きられるかもね)
自分だって常識として声出してるけど、ほんとは口ききたくないもん
挨拶とかどうでもいいもん
幼い頃から引っ込み思案
親は「分からないことがあったらちゃんと訊きなさい。口があるでしょ」と言うけど、口開きたくないからなるべく自分で対処出来る様にする
親が一生懸命「躾」しようとしても、本人の性分が社交性を拒絶する
世間がどんなに多様性とか叫んでても、こういうのは受け入れられないんだよね
それに折り合い付けられないと引きこもるよね
多めについて!「何と比較して?!!!」日経平均!!「そんな指標ないよっ!」ん"お"っプライム市場なのっ!
中二病、小二で消費
・後衛でやることなくなったら自分が前に突っ込んで相手の後衛(相手が【く】の字の陣形だった場合の曲がり角)を無力化する。自分の背後を取らせてしまった相手が2人いたとしても旧前線のやつらが対処する。自身のいるところを新前線の後衛にすべく支援体制の構築を始める。
・自律行動するユニットを作るには脳を擬似的に作る必要があるが、それを避けたいなら小動物の脳ミソとナイフを合体するだけでよいぞい
警察と司法がクルド人の犯罪に対して(もちろん法律の範囲で)厳格に対処するのと同時に、
自治体など行政がクルド人コミュニティーに「その倫理観では日本人とは共生できないから改めろ」と粘り強く改善を働きかける必要がある。
日本のゲーム開発企業って所属してる従業員もだけどやたらとゲーム業界経験に拘るのやめたほうがいいと思うんだけどね
拘るせいで業界内でロートル知識でのさばるやつがぐるぐる回ってるだけ
理由はマスターアップ前の体育会系のノリについてこれるかどうかぐらいでそこがすでに前時代的な思考だし
よくコンソールゲーム機はメモリやスレッドに癖があるから知ってないと云々言い出すアホいたりするけどあんなのドキュメント読ませればバカでもわかるだろし、デバイス固有の変な挙動なんかだいたい特定の人に回されるぐらいには開発やってるやつ全員が対処できるわけでもない
もっとも御社はそのあたりに適したアロケーターを用意したりライブラリやコンポーネント化せずに都度書いてるんですか?って感じだけど
PUBGが流行ったらフォートナイト、荒野行動がすぐにでた。その後にでたバトルロイヤルで生き残れたのは本当に数が少ない。
ゼルダ BoWが流行ってそんなに時間が経たない間に原神がでた。今はパルワールドやHorizonに続くゲームがでようとしている。一気に量産して出せる体制が非常に重要。— alwei (@aizen76) December 8, 2024
トラバで『正直に言え』って書いてる増田もそうだけど、プライバシーについては別に開示する必要性がないのよ
嘘は、人間関係/信頼関係/自己認識を壊して、人生を困難にするから、常に嘘をつかず正直でいることが何よりも大切なのだけど、
プライバシーに関わることセンシティブなことについては、正直に答えることがかえって問題を引き起こすことがあるのよ
これらについては、あえて情報を伏せて、軽いジョークでかわしたり、話題変えても良いのよ
けど、たぶん、『Aの時は嘘をついてよくて、Bだと嘘をついてはダメなのか!』ってなっちゃうんだろうな
あと、「隠すこと」を学歴コンプレックスと結びつけて考えたりもしそうなのよな
中卒とか高校不登校の情報を積極開示しないのは、恥ずかしいからではなくて、単純にそれを話す必要がないだけなのよ
残念だけど、学歴を極端に重要視したり、学歴や不登校を能力と結びつけて判断する人って存在するわけね
そういう人たちの悪意を適切にいなすには、ある程度の自信やスキルが必要な訳よ
現時点では、それに対処する力が十分じゃなさそうなので、余計なトラブルを避けるために伏せておいたほうがいいってだけの話
職人や経営者としてそれなりの立場を確立できたとか、虚勢ではなく心から自分を肯定できていて、周囲と波風立てずにやっていけると確信があるなら開示してもいいけど、
現段階で増田はそうじゃ無さそうなので、自信がつくまではやめた方がいい
ロシアは、ただの一度として北朝鮮軍の派遣なんて認めたことがない。
仮に派遣が事実だとして、なら、その作戦は、一切極秘のはずだ。
なのに、派遣された北朝鮮軍と見られる動画は、唯一、その北朝鮮軍が撮影して、どうしてか漏れた映像しかない。
なぜ極秘作戦のはずなのに、そんな映像を撮影していたのか、説明は一切ない。
ウクライナは、すでに北朝鮮軍と交戦していると主張しているのに、ウクライナ側から、その北朝鮮兵士を映した映像が公開されることは、今のところ全くない。
捕虜になった北朝鮮兵士とやらまで居るらしいのに、不思議な話しだ。
ウクライナは、ロシア軍の捕虜を、殺人罪で裁判にかけているはずなのに、北朝鮮兵を裁判にかけた、なんて話も一切ない。
北朝鮮軍の存在を主張する情報は、ウクライナの諜報機関の証言しかない。
にもかかわらず、マスコミでは、もはや既成事実かのように言っている。
交戦国の諜報機関の発表という、まず疑ってかかるべきソースしか存在しないのに。
挙句の果てに、なぜかこのタイミングで、北朝鮮が、韓国に挑発行為を行っているという報道まで出てきた。
一体なぜ、ウクライナに軍隊を派遣しているこのタイミングで、北朝鮮が、二正面作戦を誘発するような行為に出るんだろうか。
要するに、韓国側の挑発行為は、西側メディアで報道されないから、報復として行っているだけの北朝鮮側の行為だけが報道されているわけだ。
韓国軍や、在韓米軍が、北朝鮮に挑発行為を行っている事実は、ジェンキンスさんの著書『告白』にも載っている。
どうも、この派遣デマ自体が、韓国側に、今こそ手薄だぞと思い込ませて、戦争誘発行為を助長させることが、最大の目的なのではないか。