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はてなキーワード: まなざしとは

2024-12-01

anond:20241201214946

とうさんがのこしたあついおもい

かあさんがくれたあのまなざし

2024-10-26

暗い嵐の夜だった。

窓を叩く激しい雨の音に目が覚め、深い闇の中、ただ時計の針が進む微かな音が響く。

真夜中のはずなのに、異様な緊張感が部屋を包んでいた。

胸騒ぎがし、なにかに引き寄せられるようにベッドから起き上がると、窓の外に薄ぼんやりと人影が見えた。

「…誰かいるのか?」

うつぶやいても返事があるわけもない。

だが、なぜかその影は視線を外せないほど、異様な存在感を放っていた。

怯えながらも窓に近づき、ゆっくりカーテンを開ける。

そこに立っていたのは、見知らぬ女性だった。

ずぶ濡れの髪が雨に濡れて闇に溶け込み、ただ大きく見開いた目がぎらぎらとこちらを見つめている。

そのまなざしに囚われた瞬間、体が動かなくなった。

「助けて…」彼女が低い声で呟いた。唇が微かに震えていたが、それ以外に彼女感情は読み取れなかった。

動けないまま、なぜかその声には抗えないものがあった。

ドアを開けると、彼女はふらりと室内に入り、ソファに崩れ落ちた。

薄いドレスに包まれ彼女の体は冷たく、触れた指先が驚くほどの冷気を帯びていた。

意識朦朧としているのか、彼女はただぼんやりと空を見つめていた。

「…どうしてこんなところに?」

彼女は答えなかった。

ただ、手を差し伸べた先に、古びたペンダントが握られていた。

細かな彫刻が施されたそのペンダントを手に取ると、不思議既視感が湧き上がった。

「このペンダント…知ってる気がする」

突然、彼女がぼそりと囁く。「…あの夜、私もそう思った…」

奇妙な言葉に身震いする。まるでこの場にいるはずのない、彼女存在のものが、どこか歪んだ記憶の一部であるように思えてきた。

あなたは…誰なんだ?」

彼女ぼんやりと笑みを浮かべ、目を細めた。「…ただ、戻ってきただけ」

心臓が跳ね上がった。

彼女が語る「戻ってきた」とは何を意味するのか。

しかし尋ねようとするたび、彼女はただ微笑むばかりで、言葉を交わすことはなかった。

雨が止み、夜が明け始めると、彼女は薄れるようにその姿を失い、消え去った。

部屋にはあの古びたペンダントけが残されていた。

握りしめると、手の中に残る冷たい感触彼女存在実在していたことを示しているようで、胸の奥に重く沈む何かが残された。

それ以来、彼女記憶が鮮明に脳裏をよぎる。

彼女は何者だったのか、何を求めていたのか。

そしてあの「戻ってきた」という言葉意味は…深まる謎と共に、その夜の暗い影が私をつきまとうのだった

2024-10-24

はてな匿名ダイアリー哲学的考察する

はてな匿名ダイアリー哲学的考察すると、そこには現代の「実存危機」が表れていると感じます

匿名というシステムは、人間存在における「個」のあり方を曖昧にし、普段は隠されている無意識の深層をさらけ出す舞台になっている。

これは、普段社会生活での「仮面」対照的な、真の自分、もしくは抑圧された自分が表出する場と言えるでしょう。

匿名性は、表現の自由を促進する一方で、責任を伴わない発言可能します。

この無責任言論空間は、ニーチェが指摘した「価値真空状態」に近いものがあり、秩序や道徳が薄れることで人々の真の欲望不安が露わになる。

そして、その欲望不安は、他者に対する攻撃性や嫉妬無力感として現れることが多い。

まり匿名ダイアリーは単なる愚痴の吐き出し場所にとどまらず、現代社会が抱える構造的な問題、例えば孤独や疎外感、自己認識葛藤といったものを映し出しているのです。

さらに言えば、匿名性によって自己解放したはずのユーザーたちも、結局はその書き込みを通じて「他者に見られること」を求めています

存在認識されることで初めて実感できる「存在意味」を、彼らはこのダイアリーで探し求めているのではないでしょうか。

これこそ、サルトルが言うところの「他者まなざしから逃れられない人間性質のものです。

結局、はてな匿名ダイアリーは、無数の「匿名の個」が集まって形作る現代の「群衆孤独」を象徴しているのです。

そこで繰り広げられる言葉交錯は、ただのつぶやき以上の意味を持ち、私たちが「何者であるか」という問いを再考させる場所でもあるのかもしれません。

2024-10-22

名作といわれる昭和映画「はなれ瞽女おりん」(1977年)を観たので感想を書く

最近昭和ドラマ映画を観るようになった。解像度の高い映像で当時の作品をじっくり楽しめる環境が整ったこともあり、作品の細部にある仕掛けや意図が見えるようになり、改めて面白さを感じている。そんな中で観た「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、篠田正浩監督の名作といわれる一本だ。

正直、この年齢になるまで篠田監督作品を観たことがなかったが、この映画は素晴らしかった。明治から大正にかけての日本の「原風景」を映し出すという監督意図は、見事に画面に現れていた。しかし、単に美しい風景を描くにとどまらず、登場人物人間性時代矛盾を深く掘り下げた内容に感銘を受けた。おそらく20代若いころにみていたら、おりんカワイソス以外の感想が残らず、忘れさられてしまっていただろう。年齢を重ねて初めてわかる名作というのがある。

映画の中心となるのは、瞽女であるおりん(岩下志麻)と脱走兵鶴川原田芳雄)の物語だ。二人とも社会から周縁化された存在だが、その中でもおりんの「はなれ瞽女」という立場は二重の周縁性を持っている。彼女瞽女共同体である高田の一座から追放された理由は、禁制の「男との関係」があったためだが、それは彼女自身選択ではなく、レイプによるものだった。

そんなおりんに寄り添い、導き手となる鶴川は、物語が進むにつれてその人物像の不整合が明らかになっていく。「天涯孤独」と語りながらも、家族存在がほのめかされ、ついには母親存在告白するシーンは映画クライマックスとなる。この告白が、おりんにさらなる絶望をもたらす。

時代背景と家制度矛盾

この物語が描かれる背景には、明治維新に始まる天皇を頂点としたイエ制度による国民統合矛盾がある。家父長制のもと、人々は家や国家という枠組みに縛られていた。おりんと鶴川共通するのは、このイエからの周縁性だ。

天皇を頂点としたイエ制度は、乱暴にいってしまえばそもそも江戸時代の「家中=藩」にならって編み出された。江戸時代においては「家中」が人を従わせ、結束させる機構だった。幕末の志士たちが思いつくことのできた次の時代国民統合の在り方は、やはりイエだったということだ。この点が王を承認する倫理的な神を持つヨーロッパ統治と異なっている点だ。国の危機を前にしても藩同士がいがみ合うならば、ということで、もっと大きな家中=イエにしてしまえばよい、という発想が明治維新だ。天皇を頂点として、家父長制に結合させ、国、地域共同体世帯すべてのレベルで上から下まで論理的整合する入れ子構造にするために、寺子から氏子へと転換する廃仏毀釈という荒業まで行った。イエの主従関係は、現代にいたるまで日本人のDNAとまでいえるほど根深い。嫁姑上司部下、先輩後輩など。どんなに言っていることがおかしくても絶対である、という点で共通倫理だ。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠すことになった。

大正デモクラシーはそうした不条理解決する機運として盛り上がりを見せたが、やがて不況日本を襲い、財閥と大地主の利害を代弁した立憲政友会に幻滅し、人々の失望とともに大正デモクラシーは終焉を迎えるのだ。当時、腐敗した政治毎日新聞をにぎわせた。

脱走兵であることが官憲についにバレて拷問されたとき鶴川叫び「何が、国民皆兵だ。金持ち徴兵逃れで、俺が引き受けただけだ」というセリフは、その矛盾を端的に表している。明治維新で構築された家制度矛盾を背景に、映画鶴川叫びやおりんの境遇を通じてその時代不条理を描いている。

また、瞽女たちが社会の中で次第に居場所を失っていく様子もこの映画は巧に表現している。鉄道の普及が、農村部を含め人々の娯楽へのニーズの変化をもたらし、ひいては彼女たちの文化を衰退させたことや、彼女たちが生き残りをかけて変化を迫られた様子は、急速な近代化による価値観生活の変化を象徴している。

そうした社会状況のなか、おりんは一座から破門され、「はなれ瞽女」となってからは一人で生きてゆく覚悟を決めた女性だった。旅の途中で長岡のはなれ瞽女若いころの樹木希林)と出会うシーンでは、斜陽化する瞽女文化のなかで自立を模索する様子がうかがえた。またおりんも同じ境遇のはなれ瞽女出会いを通じて、自立して生きてゆく勇気と自信を得ていたように見えた。しかしやがて愛する男との別れを契機に、おりんは猛烈な不安に襲われる。それは周縁であるがゆえの存在論的な不安だ。

男女の非対称性

この映画特に印象的だったのは、男女の「帰る場所」の非対称性だ。

鶴川官憲連行される直前、おりんは鶴川から思わぬ告白を受ける。

鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけたおりんの手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。このとき岩下志麻の演技すごい。

このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station降旗康男監督1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。

水商売やってる子には暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる? 男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人もこの時期は家庭に帰っちゃうからね。

好きな男には帰る場所別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。

おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないかあんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。エンタメ的には、涙腺崩壊のシーンだ。

鶴川がなぜうそをついていたのか。おりんを深く愛しながらもなぜ夫婦になるのを鶴川は拒んでいたのか。これは推測だが、おそらく母親瞽女を娶ることを認めないことを鶴川はよくわかっていたからだろう。失恋でつきつけられる差別社会現実瞽女文化の衰退、はなれ瞽女であるおりんの存在論的な不安定はここに極まってゆく。

鶴川には母親という寄る辺があり、天皇を頂点としたイエ制度の中で一定の救いが残されている。しかし、おりんにはそのような場所がない。かつての瞽女共同体も失われ、彼女はどこにも属することができない存在だ。この非対称は、映画終盤の「親不知の岬」で息絶えるという結末に象徴されている。

女はひたすらアウエイを強いられ帰る場所はない。これは同時代の歌でいうと、中島みゆきの「生きていてもいいですか」「エレーン」や山崎ハコの「望郷」と同じ世界線だ。一方で同時代男性歌手では、何気に上京してもふるさと愛にあふれている、という世界線の歌が多い。男には、失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれる、というまなざしだ。「母に捧げるバラード」の海援隊松山千春の「旅立ち」が典型

この男女の人生の非対称は、先日来観ていたドラマおしん」でも同様にみることができた。

おしん物語では、農民運動に熱を入れていた浩太は官憲拷問され転向余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家父親貴族院で太かったのだ。事業に失敗したおしんの夫・竜三を救うのも佐賀実家だ。一方、おしんにはセーフティネットとしての故郷はない。振り返るという選択肢は存在せず、ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。

水上勉の描く世界と非常にシンクロした世界観だと思う。



映像表現演出の巧みさ

「はなれ瞽女おりん」の映像表現は見事で、セリフに頼らず映像感情や状況を語る部分が多い。例えば、鶴川告白した後のおりんの行動や、瞽女屋敷を訪れるシーンの演出は、彼女の焦燥や絶望を鮮烈に伝えている。

男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい自分の育った場所を確かめに行く。しかし、時がたち、すでに瞽女時代は終わりを告げていた。屋敷がもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになって、一人はなれ瞽女として宿場町を回る日々。おりんの着物がボロキ状態になっていることから、はなれ瞽女としての暮らしが何年も経過していることがうかがえる。この映画終盤のテンポ絶妙だ。

また、ラストシーン親不知隧道での描写は、観る者の解釈に委ねる余韻があり、深い感動を呼び起こした。私の解釈になるが、ズームアップされるトンネルの測量機器と遠くの岬に見えるおりんの着物の切れ端の遠近感は、鉄道の普及と瞽女文化終焉を見事に演出している。さすがだわ、この演出家、そしてカメラワークに感嘆ぜざるを得なかった。映像を学ぶ人にはぜひみてもらいたい作品

おりんの物語は、単なる一人の女性悲劇ではない。社会の中で周縁化される女性たちの象徴であり、家制度という枠組みの中で矛盾を抱える日本近代のものを映し出している。家父長制のもと、妻には銀行口座を持つ権利すらない時代、周縁化された存在であるはなれ瞽女の自立と恋、その挫折を通じて、その背景に潜む不平等や抑圧を丹念に描いた篠田監督の手腕に心から感服した。

篠田正浩監督が描きたかった「日本原風景」とは、単なる美しい日本風景ではなく、矛盾や悲哀に満ちた人々の生き様のものだったのではないか。この映画を観て、初めて彼の作品に触れたが、もっと多くの作品を観てみたいと思った。そして、昭和ドラマ映画が描く時代背景の奥深さに、改めて心を動かされた。

また、ドラマおしん」と時代が重なるところでは、国民統合や周縁性に関して、もう少し思うところがあるので、またそのうち増田で。


anond:20241022091729

でも❶レズビアンが ❷バレないように、という条件なら性的まなざしを向けられた公衆浴場女子からは何もマイナスされないのでは、というのが元増田の話だと思うが。

anond:20241022073015

犯罪ではなくても、性的まなざし相手尊厳をおびやかしてると思う

いわゆる性的消費ですよ

2024-10-20

女性バスト問題

漫画アニメに出てくる「貧乳コンプレックス女性」はファンタジーだと指摘されて久しいが、その反面、豊胸手術に臨む女性も少なくない。

女性バストは「他者からまなざし」と「自己表現」がせめぎ合うフィールドなのだろうか?

ちなみに私はバスト100超えてます

2024-10-07

anond:20241007105808

フェミニズムの答えはTPOなんて関係なく着たい服を着るのが女性自由

だけど「男の性的まなざし」という外部の変数が全てを狂わせてる。

ジェンダーレス水着だってプール女性のお尻をみてくる男子がいなければ発明されることもなかったよね。

たまにネットフェミ論で誤解広まってるのを目にするけど、気になってるロジックから「男」をマイナスすればスッキリ理解できるのが多いと思う。

anond:20241007094101

いや、女性服にポケットがないのは男性による性的まなざし元凶

そしてそれを内面化してるからこそ、「私は女性らしいかな? 女性らしくなかったら、なんて思われるかな?」のように怯えるんだと思う。

しか男性自身には、そうした性的まなざしが向けられるという前提がない。

それ故に、服のシルエットには無頓着で、『らしさ』から解放されて生きづらくない人生を生きられる。

まりに横柄に振る舞えるから、すね毛をケアしないままに短パンで外出して女性心理的安全性を損なうこともある。この男女の迷惑かけやすさの違いは女性差別かと。

2024-09-24

暇空茜の堀口英利への感情、ついに一線を越える

これまでのあらすじ

暇空茜(41)、堀口英利(26)と運命的な出会いを経て粘着するようになる

国際情勢を題材にした渾身の作文を「書き手の頭の悪さがよくわかる」と堀口に品評され、誹謗中傷だとして訴えるも一審でも二審でも暇空敗訴

係争中も負けを予感していたのか、他にも堀口に嫌がらせするためネタ探し

堀口は、学習院大学に通っていた時期に先輩に未成年飲酒強要され学習院側にももみ消されたと先輩たちを実名告発していた

暇空は先輩に接近し500万円ほどの費用自分弁護士の渥美陽子プレゼント

先輩に名誉毀損で堀口を訴えさせ、そちらでようやく堀口を負かす

暇空、仁藤や石丸など他の粘着対象にはそうでもないのに、堀口相手にはやたらと性的ネタを絡めて叩く

堀口の肛門に物を詰め込む妄想、堀口を裸にする妄想、堀口に半ズボン姿の写真を載せるよう要求、堀口がどんなセックスしているか様々なパターン想像して小説風に書く、など

今回

堀口はアルハラ先輩に裁判で負け、「告発文を削除するまで1日につき3万円支払え」と裁判所に命じられるが意地になって無視

最終的に神原元に抱きしめられて説得され消すが、けっこうな額の借金ができた

暇空、更に私費を費やし、先輩に堀口への財産開示、動産執行などをさせる

ついでに堀口家の戸籍謄本も取らせ、堀口の祖父母名前を知り歓喜する

堀口の汗とにおいがしみついたマッサージ機とコンラッドベアクマぬいぐるみ)が動産執行オークションに出される

暇空、即座に落札し堀口の私物を全て購入し我がものにする

堀口アンチスレ大荒れ

アンチたちも堀口の私物がほしかったのに、関係者で売りに出される日付を知っているからと独占した暇空への愚痴と不満が渦巻く

暇空信者を兼ねている者も多いため暇空叩きはやめろと反論する者もおりレスバの嵐へ

俺A「堀口から買い取ったものはこれでーす!って晒し動画つくって更なる金儲けするだけだろ」

俺B「暇空の堀口への性的まなざしを考えるに、絶対オカズ目的だぞ」

2024-09-11

anond:20240911082900

今、それらの趣味の腕がある人って尊敬まなざしだぞ?

カードゲームとかも賞金とか発生しだしてから

完全に市民権を得た

いつまでオタクは虐げていいものだと思ってるの?

そろそろ価値観アップデートしてこ?

2024-09-10

anond:20240910114334

いうて結婚式呼んでくれてたまに飲みに行く友達グループがいるってだけで

弱男界隈じゃかなりの強者からむしろ羨望のまなざしやで

2024-08-21

バスケに興味持って,シーズン始まるし見始めるかーと思ったのだが,クラブリーグテレビネットメディア選手個人キャラとして消費する風味がきつすぎる.

公式TikTokやらインスタやら,人気の高い選手推しカプ‥を大々的にフィーチャーしすぎでは.臆面なさすぎ.

アイドルですら,そういう視線向けすぎるのはいかがか?というこのまなざしお気持ち時代に,選手の仲良し画像あげてキモい二次創作暗喩してるのは,人権侵害ギリギリなんでは?と思ったりする.

TikTokには痛いファンがいて,公式供給する選手の仲良し(笑)画像を組み合わせて,謎のキャプションBGMつけてキモキモ物語つむいじゃってるし.

からそういうファンはいたけど,キモキモ創作って,腐女子自虐する人々が人目につかないようにひっそりやるもんじゃなかったの.普通にクラブ公式とか選手タグとかの続きにあるから本当にびっくりする.

日本スポーツマーケティングて,こっち重視しすぎでは‥

2024-08-18

好きな芸能人を答えたら「骨と皮じゃん」と言われた

10年くらい前の話である

友人に「好きな芸能人は?」と聞かれたので、私は「桂歌丸」と答えた。

そうしたら友人は驚いた顔で「骨と皮じゃん」と言ったのだ。

解せぬ。私は内心そう思ったが、曖昧に笑って別の話題をふった。

なぜ好きなのかをうまく言語化できず、言い返すことができなかったからだ。

子供の頃、毎週日曜は家族で晩ごはんを食べながら笑点を見ていた。

よく喧嘩をしていた両親も、笑点を見ている間は笑っていた。

私は漫画でも小説でもゲームでも映画でも落語でも、人間の作るものが好きだ。

それらの根っこにある生と死に対するまなざしが好きだ。

そのまなざしを通して見ると、生きることも死ぬことも悪くはないように思えてくる。

私はもうすぐ40歳になる。

数日前、ガラス窓に映る自分の姿を見てギョッとした。

顔のシミやら首のシワやらよりも余程目に付く、曲がった背骨

慌てて姿勢を良く保とうとしても、筋肉が衰えていて数分経てば元通りである

自分の曲がりくさった骨とだらけきった肉を目の当たりにして、思い出したのは歌丸さんの佇まいだった。

「骨と皮じゃん」と言った友人に、今ならこう言い返したい。

あの年齢であれだけシャンとしているなんて、素晴らしい骨じゃないか

骨と皮だけに見えても、あの姿勢を保てるということは静かに燃える肉がある。

私はその肉が、そこから見えてくる意地が格好良くて好きだったのだと。

私がいつ死ぬかは知らんが、死んだら天国笑点を見たいと思う。

笑点テーマを聴いて、それから歌丸さんと楽太郎さんの掛け合いを見たい。

背骨が曲がっていたら見るのに難儀しそうだから姿勢はこれからなんとかする。

姿勢を良くするおすすめ方法、もしくは笑点の好きなエピソードがあれば教えてほしい。

anond:20240818134054

この件は怖いことがあり過ぎてホラー

山田さんというスーパーマンには感謝しかないけど、逆に言うと、なぜ問題が解消したのか? 山田さんが居なかったらどうなってたのか? クレカ会社の頼り切ってる状況が怖いと言われてるけど山田さん一人に頼り切ってる状況はなぜ怖くないのか…?

海外クレカ会社は何を恐れているのか? あるいはクレカ会社周辺の企業が恐れているのか? 海外での一件の裁判を恐れていると言う説がなぜ信じられてるのか? 海外クレカ会社が足並みを揃えてるように見えるのはなぜなのか? JCB なら安全となぜ言い切れるのか? JCB 安全神話を信じて安心していられる呑気さはどこから来るのか?

未成年性的まなざし絵画何が悪いのか? 逆に何が悪くないと思われてるのか? 実際に及ぼす影響も、恐怖の影の大きさも不明。どうして大人対象にしたエロ問題ないのか。実は戦いの前線に過ぎないのではないか

2024-08-10

SNSフェミニズムを語る女性たちが、男にも女にも嫌われる決定的理由

なぜ女性差別をめぐる論争はたびたび炎上するのか。性問題解決に取り組んでいるホワイトハンズ代表理事の坂爪真吾氏は、「多くの問題は、原因をジェンダー還元するだけでは解けない。しかし『ツイフェミ』と呼ばれる動きは、すべてをジェンダー還元するため、『被害者加害者』という二元論に陥っている」

ここ最近、「ツイッターフェミニズム」(ツイフェミ)と呼ばれる動きが一部で広がっている。一見すると、ツイフェミミサンドリー男性嫌悪)によって突き動かされているように思える。だが、ツイフェミミサンドリストという理解は、決して正確ではない。

ツイフェミ言動過激化する背景には、「男が許せない」という怒りに加えて、もう一つの大きな怒りが存在する。

ツイフェミ攻撃するのは、女性嫌悪に満ちた男性だけではない。女性嫌悪に染まっておらず、フェミニズムに対して理解を示すリベラル男性たちもまた、彼女たちの攻撃対象になる。女性への性暴力に反対するデモイベントに来た男性に対して、主催者が「男性の方もこんなに来てくださった」「賛同してくださる素敵な男性もいらっしゃった」と感謝の意を述べると、「少しでもまともな男出会った時に感謝する癖は見直すべき」「被災者ボランティア接待をさせられているのと一緒だ」といった批判が飛び交う。

フェミニズムから派生した学問であり、男性に対して「男らしさの呪縛を解き、女性とお互いを尊重する対等な関係を築こう」という視点から啓発活動を行っている男性学も、一部のツイフェミからは「男性フェミニズムの言葉簒奪して自己弁護をしているだけ」と、親の仇かたきのごとく敵視されている。

なぜ彼女たちは、女性搾取するヤクザホストDV夫といった「明らかな敵」ではなく、「明らかな味方」=自分の身近にいる、フェミニズムに理解を示すリベラル男子たちを執拗に叩くのだろうか。

最大の理由は「自分たちの攻撃が最も通じる相手からである。「何でも斬れる刀」としてのフェミニズムは、基本的に近距離戦でしか使えない。フェミニズムの理論は独特の言い回し専門用語に満ちているので、使い道を間違えると、同じ文脈や言説空間を共有している人(=フェミニスト!)にしか届かなくなる。

そのため、フェミニズムに親和的リベラル男子は、ツイフェミ言葉理解・共有できてしまうがゆえに、最もツイフェミから被害に遭いやすい。

2020年4月22日馳浩文部科学大臣を含めた国会議員らが、一般社団法人Colaboが虐待や性暴力で居場所を失った少女たちのために運営しているカフェを視察した際、10代の少女に対するセクハラ行為があったとして、同法代表の仁藤夢乃(@colabo_yumeno)は、参加した議員ら全員に文書謝罪することを求めた。

この事件はツイフェミの間で大規模な炎上を巻き起こし、安倍晋三首相は同月29日の参院予算委員会で、馳元文部科学相厳重注意する意向を示した。

女性支援に取り組んでいる男性政治家社会起業家ジェンダー平等を目指した政策提言署名キャンペーンを行う男性社会活動家やジャーナリストは、ツイフェミにとって格好のターゲットだ。

彼らの言動事業の一部を恣意的に切り取って、「差別無自覚」「儲け主義」「自己顕示欲を満たすために、女性を利用している」といったレッテルを貼って炎上させる。

燃え盛るタイムラインを眺めながら、「コスト優先で人権感覚のない人たちの運動って、やはりこういうことだよね」「化けの皮が剥がれたよね」とうなずき合うことが、彼女たちにとって至福の時間になる。

実はフェミニズムそのものが最も許せない

しかし、ツイフェミが最も激しく攻撃するのは、女性差別無自覚男性でもなければ、リベラル男子でもない。フェミニズムそのものである

ツイフェミが抱く「フェミニズムが許せない」という怒りは、「男が許せない」という怒りと同様、あるいはそれ以上に激しく燃え上がる傾向がある。

著名なフェミニストによる記事ウェブ上でアップされると、待ってましたとばかりに、すぐに発言の一部を切り取ってSNS上で拡散させ、「この発言は、○○への明らかな差別だ!」「こんな人がフェミニストと名乗るなんて、絶対に許せない」と一気に怒りをヒートアップさせる。

普段は「女性はこうあるべき」という性規範否定的に捉えているにもかかわらず、「フェミニストはこうあるべき」という規範にがんじがらめになってしまい、その規範から1ミリでもはみ出した言動をする人が許せなくなる。

ポルノや性産業批判しない者は、フェミニストではない。女性の客体化を批判しない者は、フェミニストではない。男性性的まなざし迎合する者は、フェミニストではない。性暴力被害者の声に共感しない者は、フェミニストではない……などなど。

そして、「誰が本当のフェミニストか」という問い=「何でも斬れる刀」の正当な使用権相続権をめぐって、フェミニスト同士で壮絶な斬り合いを演じるようになる。

2024-07-31

anond:20240731022116

しろ個人的には表現の自由だと思うよ。

コンビニでの成人雑誌撤去を皮切りに、社会がようやくファミリーの生きづらさを直視し始めたんだと思う。

ネットユーザーのメイン層、オタクギークたちに弾圧されてた声が、力を取り戻しはじめた。

未来を担う人たちの声が可視化されて、クリエイターに届く時代になった。

公共の場での性的消費は、いままでは野放しにされてた。

ジェンダーレス水着も浸透しつつある。

性的強調無関係に、子どもの目に触れる場所での性的まなざしの表示は言語道断っていう社会合意ができた。

2024-07-26

anond:20240726213926

???「これは弥助を見た日本人が弥助は神だと思い、まなざしに畏怖しているさまを表現している。史実に忠実だ。」

2024-07-19

anond:20240719094810

??

から見分けられなくても、先生本人は、女子を見るまなざし性的消費のそれだと自覚してるんでしょ?

anond:20240719093741

ロリコン教師がまったく手を出さないって、

その先生女子を見るとき目線は、性的まなざしでは無い、という意味

2024-07-15

anond:20240713090125

自分性別を変える方が度胸が必要

かにこの意見理解はできます。手術や親や友人との関係、今後の生き方etcハードルは高いと思います

その人のトランス欲求バイアスによるものやこの社会の、その身体性に向けるまなざしによるものであるなら、社会自分を変えれば解決する。社会を変える(女らしさや男らしさとされているものを変えて、それから逸脱した自分普通の女、男、とされるようにジェンダーバイアスを消していく)か、自分を変える(自分欲求を押し殺し社会要請に応えられる人間に変わる、もしくは自分欲求がより受け入れられそうな性別に変える)のどちらも勇気がいる。

ただいくら社会を変えたところで自分身体性を変えることはできないから、手術やホルモン治療?に踏み切るのは確かに強い気持ち必要と思います

2024-07-12

女っぽくないトランス女性はいるのか

トランスジェンダーのことがよくわかりません。

わたしは女ですが性自認が女だと思ったことはないし、誰かに女として接してこられるのが嫌でした。

子どもの頃からスカートよりズボンピンクよりブルー、おままごとよりチャンバラが好きで、欲しい服を選ぼうと思うと必ず男性的なファッションになってしまい髪も短く切っていました。

乗り物宇宙植物が大好きで理系に進学し、特に数学が好きだったので物理系に進みました。(数学科は落ちた)

色恋に興味を持った時は好きな男の人とセックスする夢を見たこともありますが、なぜか自分ちんこが生えて犯してるときもあればひっくり返ってまんこに入れられてるときもあり、当時はびっくりしたものです。

大学生の頃は女としてセックスすることに猛烈な嫌悪感を抱いたこともありますが後々それは母子関係に原因があることがわかり(本題から逸れるので割愛しますが母親から性的な過干渉を受けており親子仲が悪かった)、すごく好みで相性のいい男性とは嫌な気持ちになるどころか全然良かったです。セックス最高!ちんこも欲しいけど

今は社会的要請にしたがって大人しくメイクしてますが、本当はメイクなんてしたくないし実際かなりすっぴんに近い格好で出勤しておりストレスがないとは言いません。

ただ会社服装規定がゆるいためすっぴん気味でも許されるしユニセックス服装で働けており、プラマイプラスくらいに捉えています

数々の好ましくない経験から自分ジェンダー的に男性スタイルの方が向いてるなとは思いましたが、だからと言って性自認が男だとも女だとも思いません。

わたし女の子っぽくないけど女として生まれてきたので、そういう女として誇りを持っていますし、今の自分が数多の女性の紛れもない一サンプルである以上そう生きようと思ってるし、自分が女らしくないことを気にしたことは一度もありません。性別が性染色体によって決まる以上現在医療技術では性別セックス)を変更できないので、女になるとか男になるとかいうことは根本的に不可能です。

そもそも自分性別がしっくりくる、と思いながら生活している人は本当にいるのでしょうか?

なぜトランスジェンダーの人たちは、性自認というよく分からない"自認"が存在するのか理解できません。

結局、元の性別で生きる度胸がないだけではないか?と思うのです。

その人の中に存在する、男はこう、女はこう、という思い込みにその人自身が反するので、偏見レッテルにそぐう方の性別になろうと頑張ってしまうのではないか

男は筋肉ムキムキで髪を短く刈り上げて男装して男らしくあるべき、女は髪の毛がサラサラで美しくメイクして女装して女らしくするべき、そういうステレオタイプジェンダーバイアス強く内在化させているために、"ジェンダー"自認がそのまま"セックス"自認に結びついてしまっているのではないか

SNSテレビYouTubeでは、ものすごく女性らしくあろうとする美しいトランス女性や、頑張って見た目を男に近づけようと筋トレしまくってるトランス男性大勢見かけます。それを見るたびに、そういうことをするのが好きな男性女性と何が違うんだろうと思います

手に違和感があるから一本斬り落とすとか、尻尾がないことに違和感があるから移植するという人がいないように、性器に関してもその違和感はなにか別のところに原因がある気がしてなりません。

自分みたいな、メイクにも"女装"にもあまり興味がなく女っぽくないトランス女性メディアsnsで見たことがないのは何故でしょうか?

また、もしそういうトランスジェンダー当事者の方がいらっしゃいましたら、何か根本的に勘違いしてるとか指摘コメントをくれると嬉しいです。



追記 7/13

トランスジェンダーは臆病なのではないかとか、女っぽくないトランス女性はいるのか?(いないだろ)みたいな攻撃的で失礼なことを沢山書いてしまったのに、丁寧にコメントくださってありがとうございます

昨夜から返信できてないけど後で読みますありがとうございます



追加2 7/15

読みました。自分意見のすべてを今すぐ否定できる何かが分かったわけではないですが、

身体性への社会的まなざし役割ジェンダーバイアス)を理由性別を越える人もいる。強固なジェンダーバイアスがなくなればトランスしなかったかもしれないが、今は不明

ジェンダーバイアス関係なく身体性がしっくり来ないのでトランスする人もいる。らしい服装、振る舞いで暮らす人もいるが、そうでない人もいる。(女っぽくないトランス女性存在する)

性自認があるシスジェンダー存在する。男性女性より性自認が強い可能性がある。(シス男性から二人、男として性自認があるとコメントあり)

・その困難がジェンダーバイアスから来るかどうかに関わらず、みんなそれぞれ困難がない方がいいよね……の社会になりたい。

シスジェンダー性自認身体のしっくり感?がどれくらいあるか調べると面白そうと思った。

いろいろありがとうございました。

2024-07-07

anond:20240707223646

男子が何に興奮するかというと、結局は体のライン

からジェンダーレス水着で目立たせないようにすれば、おのずと性的まなざしは収まる。

水着デザインを変えようと男は適応して何だってエロがれる」とは何だったのか

anond:20240707223646

ジェンダーレス水着は本邦版子供ヒジャブだと思ってる。

自由意志選択するのは止めちゃダメだけど、押し付けるのは違う。

性的まなざしって男子たちと、許せる空気を作ってる大人たちが悪い。

増田では女性専用車両話題が出るたび口を酸っぱくして言ったけれど、被害者側が対策しなきゃならないのはおかしい。

2024-06-22

女性キャリア問題、クソほどどうでもいい

女性キャリア問題仕事出産育児を両立させるにはどうしたらいいか?みたいな問い)が職場話題になったり、Twitterでそれを見かけたりするたびになんか不愉快気持ちになっていた。

で、その理由がわかった。

俺が出産/育児はおろか、結婚すらできないからだ。

生物学的に出産はできない。

子供を育てるためには誰かと番わなくてはいけないが、その相手がいない。

俺には労働をするしか選択肢が与えられていない。

キャリア問題について語る女性らを見ていると、贅沢者め、と思う。

少なくとも、俺より選択肢は多い。

仕事に打ち込むという道を選んでもいいし、自分の子を産み育てる尊い行いをしてもよい。

自分が恵まれ立場にいながら、欲をかいて両方どりしようとするその姿勢に、俺は腹が立っていたのだ。

彼女たちの目には、おそらく上手いこと二兎を得た同性や、あるいは出産キャリアを途絶されない異性のことしか見えていないんだろう。

わかるよ。羨ましいよな。

でも、その目が見てないところには俺がいるんだよ。

そもそも同じ土俵に立てていない俺が。

俺も同じ羨望のまなざしを向けているよ。

俺が不愉快気持ちになるのは、たぶん自分が眼中にないっていう状況もあるんだと思う。

女性キャリア問題の話になると「社会職場が悪い」みたいな構造の話になるけど、俺に彼女がいなくて結婚する見込みがないのも社会のせいにしていいか

…おそらくそれは許されないだろう。

モテないのは個人責任になってしまう。

そういう、救われなさというか、見捨てられたような気持ちを抱きながら、職場Twitterでは善人を演じている。

女性は考えることが多くて大変ですよね」

男性ももっと育児に関わるべきですよね」

俺は正直、女性キャリアがどうとか、そんなのクソどうでもいいと思っている。

「こんな性格から結婚できない」は禁止な。

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