やはり休日は暇つぶしが必要だと思い、Kaggleでmovielensデータセットで実験を行った。
最もシンプルなモデルとして、ユーザー×アイテムの行列に対する類似度を算出する方法で、類似ユーザーTop n人のレートの平均値を算出し、Top mのアイテムを出す。
これでNDCG@100で0.36ぐらいなので、ベースラインとしてはまあそのぐらいだろう。
実際、SOTAモデルを見ても、NDCG@100=0.4253ぐらいしか達成していない。
https://paperswithcode.com/sota/collaborative-filtering-on-movielens-1m?metric=nDCG%40100
Kaggleでのコンペは、精神を疲弊しそうだし、自信もないので参加する気はない。
こう、なんというか、それなりの精度のベースラインモデルをササッと作るぐらいで丁度いい。
ところで、自分の7年の業務経験のスキルセットがどの程度なのかというのを視覚化してみたら、多分以下のようになると思う。
genre | level |
コーディング | ★★★★ |
アルゴリズム | ★★★ |
インフラ | ★★ |
機械学習 | ★★★ |
コミュニケーション | ★★ |
ビジネス理解 | ★ |
データ視覚化 | ★★ |
統計学 | ★★ |
実のところ「機能要件をどう実現するか」というエンジニア思考なので、あまり統計科学的な思考は身についていない。
といっても薬学研究の発表があれば「薬の作用・副作用の効果なのか、病気の症状によるものなのか区別がついていない」ということを指摘できる程度の批判的思考は持っているので、
「科学」と名のつくところに科学とは程遠い政治が存在することは知っている。
つまりエンジニアリングが好きで、科学が嫌いなのは、その政治性である。エンジニアリングは、作って見せればそれで実証できるのが好きである。
日曜日に巨大な虹を家の前で見た。ユダヤ教徒によれば、虹を見るのは行いが悪い証拠らしい。
私の行いが悪いとすれば、ネット上で軽率な発言が多いことかもしれない。しかし非ユダヤ人が守るべきとされるノアの法は破っていない。
ところで、岸辺露伴も全シーズン見終えてしまった。他に面白いTVシリーズはないものか。「気力がない」「刺激が欲しい」が同時に引き起こっていて、動画鑑賞は趣味の妥協案である。
仏教では「知足」という言葉があるらしいが、要するに持っていないものではなく、持っているものに満足するということだ。
「人から認められたい」などといってアウトプットを増やすのは、労力を使うだけで、何の意味もない。煩悩である。
何が「欲」ではないのか、という点について三木大雲が話していたが、要するに人の幸せを願ったりするようなものは「欲」ではないらしい。
しかし人のために何かをするとしても、プロの慈善組織に資金を投じればいい話であり、自分から立ち上げる必要はない。
さて...どうせリモートワークでパソコンをぱちぱちやってるだけなんだし、気楽に行こう。
そう、朝が辛いだけなのだ。
朝食 コーヒー
昼食 インドカレー
夕食 うな丼
ヤング・シェルドンロスでアマプラで観るものを探していたが、以前たまたまNHKで岸辺露伴を観て面白かったので一話から観ている
日本のドラマはどことなく仏教の匂いを感じるのは気のせいだろうか
運動やヨガ、食事をするのは許容範囲だが、パソコンの前でカタカタやるというのがどうも精神に堪える
何かで大成功するようなことに全く興味はなく、現状に満足し、スローライフを過ごしたいのである
おそらくユダヤ教の休息日のように、デジタルから意図的に距離を置く時間が必要だろう
パソコンの前にいると「これを使ってなーにか面白いことできねぇかな」と考えてしまい、疲弊する
朝食:はちみつパン、昼食なし、夕食: ごはん, 麻婆豆腐, ナス, いちごヨーグルト
今日は嵐なので家に籠もりっきりだった
そういえばヤングシェルドンのシーズン4を見終えた。人間関係をカオスとビリヤードの玉に喩えるシェルドン、様々な人間関係のトラブルに悩まされる
ヤングシェルドンを見ていた時間を別のTVシリーズを見る時間にしたいが、レンタルや購入は避けたいところ
購入するのであれば、レナードニモイがスポックだった頃のスタートレック全シリーズを大人買いするという方法もある
現状でアマプラで見ているのはこのすばだけだ。正直、日本のアニメの「原作」というやつを見たことはない
これは私だけかもしれないが、プログラミングや心理学、物理学、健康法などの書籍は理解できるのだが、文学書は読んでいても全く理解できない
そういうものを読んでも視覚的イメージが全く湧いてこないので、映像やゲームのほうが楽しめる
ただ、ゲームが楽しめるというのは高校生までの話で、最近はゲームのストーリーだけをYoutubeで見る以外にはゲームに触れることもなくなった
少し前にFF7のリメイクをSteamからDLしてプレイしたが、それをクリアしたあとはまともにゲームというものをやったことがない
マジックザギャザリングアリーナやリーグ・オブ・レジェンドなどにも手を付けたことはあるが、すぐに飽きた
というか、色々なものに楽しめなくなっているのは、投薬量が増えているからだと睨んでいる
こう、挑戦する前のワクワク感、みたいなものを以前は感じたのだが、最近はやる前から面倒臭さを感じてやめてしまうのだ
昨日はインドカレー屋に行った。ベジタブルカレー中辛、サラダ&スープ無し、というのが私の頼み方である。
これは私が呑気症であることに関係する。一定以上の食べ物を食べると空気を飲み込んでしまい吐き気がするので、量を減らす必要があるのだ。
散歩をして外に出るためには、食べ物で自分を釣る必要がある。美味しいものを食べるという誘因があれば体を動かすことができる。
さて、ヤングシェルドンのシーズン4がもうすぐ観終わりそうだが、アマプラではシーズン5以降が公開していないので少し寂しい。
ビッグバンセオリーのフルシーズンを日本語で購入するか。しかし、金額もそこそこするので、アマプラで無料で見れる他の作品を見るべきか。
そういえば、アマプラで見ているもののいくつかは、Abemaなどでも見れることを知った。このすばがアマプラよりもAbemaで公開される方が早いので、そちらを見ている。
読書でもいいのだが、読書という形態は実用的なことが書かれていることを欲してしまうので、フィクションを読むのは疲れるのだ。
ところで、私の親や祖母が私にもうそろそろ結婚しろと言ってくる。統合失調症であり、収入も低いのに、結婚などする必要があるのだろうか。
朝食はTKG、昼食はなし。
今日は早朝にランニングしてから冷水シャワーを浴びた。やはり、一発ガツンとこうやってパワーを注入しないと朝の眠気は取れない。
仕事は淡々とこなしている。仮に会社が潰れてもその時はその時だと思うことにしている。というか、そういう事態に陥らなければ転職はしない。
ところで私が何かアウトプットをすることで世間から評価されようとすることは、精神の浪費だろうか。
というのも、他人から評価されたいという本能的感情が私の脳内で駆け回っており、理性の方の自分がいくら「他人の評価など無意味」と言っても聞かないのだ。
好奇心旺盛で刺激を求めている自分がいるのに、面倒くさかったり不安だったりして一歩を踏み出せない自分もいる。
身近な些細なことで楽しむことを良しとする自分がいるのに、大成功を収めてガッポガッポ儲かるべきだと考える自分がいる。
「精神が分裂している」というと、FF7みたいだが、本当にそういう感じだ。
たぶん、自分がそうしたい、そういう価値観でいたいと思うことや、逆にそうはなりたくない、そういう価値観は避けたいと思うようなことを書き下したほうがいいかもしれない。
学ぶことに対して柔軟であるということは良いことに思えるが、信念が足りないという側面も持っている。
最近の本はつまらない気がする。例えば「頭が良くなる本」というテーマの本があるとして、新着の本を見てもありきたりな本しか見つからない
これはたぶん、私が30歳になるまでの間に一通り色々なテーマでどういった内容があり得るのか見てきてしまっているから
アルゴリズムの世界では「探索と活用のトレードオフ」というものがある
初期フェーズでは情報集めのために探索をするのが良しとされるが、後半ではむしろ集めた情報を活用するのが良しとされる
未熟な若者が馬鹿なことをやろうとするのは、単に探索のフェーズにいるからで、情報が足りないから
一方歳をとった人たちが保守的になるのは、探索によって学習済みだから
私は年齢的に「探索」のフェーズではないのかもしれない。この年齢になって、何か大成功しようという気は起こらないのだ
欲しい、必要、と思う量が少なければ満足は増えるし、それを超えるものを持っていても満足は増えない
ブラック企業が社員に「足るを知れ」と言った場合は注意が必要だが、個人的なレベルでは、足るを知るのは満足に生きるために良い指針だと思うわけである
本をたくさん読んでも、実践できなければ意味がないし、実践できる事柄は限られる
そう思うと、私のような負け犬を釣るための自己啓発本など、もう買う必要がないことがわかる
といっても、限度はある。必要な量は固定だし、欲しい量も人生を充実させるにはある程度は必要である
結局、私を悩ませているのは「満たされない何か」という本能であり、これが本を買ったり数学をやりたくなったりする誘因になっている
githubでなにか作ったものをアップロードするのは、自分向きではないことに気がついた。
私が仕事で作っているようなwebアプリケーションというのは、誰でも使える一般性の高いものではなく、もっと特定のビジネスに依存した特殊なものである。
だから一般的な誰でも使えるようなものを作るというのにはあまり慣れていないのだ。
なにか作る場合はkaggleのほうが遊び場として向いていると思っている。
kaggleで「コンペ」に参加するつもりはないし、あれはBERTが出現したぐらいからは、少なくともNLP(自然言語処理)界隈は不毛な場となってしまった。
指標があれば不毛なハックがある。それが現実というものである。
それに業務で実用レベルで使えるモデルというのは、もっと運用のしやすいシンプルなモデルである。
モンスターアンサンブルで精度がSOTAでーすピロローン!なんてことには興味がないが、コンペはそれを目指している。
ではなぜkaggleが良いかと言うと、データセットが転がっていて、notebookも簡単に作成できるからである。
「このデータをこうやって使うとこういうツールが作れる」「このデータをこうやって分析するとこういう知見が得られる」というのは、「web開発用のMVCフレームワークを作ります」よりも具体性がある。
そして特定のデータに対するモデリングをするために論文を調べるようなことになった場合は、勉強にもなる。
私は昔、自然言語処理のブログを書いていたが、実験したことのコードを載せるタイプの記事が多かった。
ところが自称データサイエンティストや自称NLPエンジニアがツイッター上で「ゴミのようなブログを書くな」と言っていて、自分が言われている気がして怖くなったのでブログを閉鎖した。
そういう「政治おじさん」との接触を最大限減らすには、ブログというフォーマットではダメだと思うわけである。
私のマグカップには"Talk is cheap, show me the code."と書かれている。
これはリーナストーバルズの名言だが、政治おじさんが近寄らない場所というのは、具体的なコードが存在する場所であると言えよう。
今日は体調不良で仕事を休んだ。ゼプリオンという薬を月に一回打つが、打ってから一週間ぐらいは酷い眠気に襲われる。
さて、ヘルシープログラマーを読み終えたが、自分には実行できそうにないことがいくつか書かれている。
例えば「米国の運動能力の上位半分を目指そう」とか、「毎日記録を更新しよう」とかそういうやつである。
腕立て伏せを今日1回やるとしても、明日記録を塗り替えるには2回やらなければならない。1年で365回、無理な話である。
そもそも私は健康のために運動を取り入れたいのであり、マッチョマンになりたいわけでも、運動神経がスポーツ選手のように良くなりたいわけでもない。
そうすると必然的に運動プランは「早朝のランニング」「休憩時間のストレッチ(ポモドーロワークアウト)」「休日中の散歩」ぐらいに落ち着くだろう。
ちなみに本の末尾には「Ingressを使って散歩をしよう」というのもあったが、ポケモンGOと同じようにこの種のスマホゲームはダメな臭いがするのだ。実際、消費者庁でも注意喚起がされている。
運動も重要だが、栄養も重要である。ビタミンDの話が書かれていたが、サプリを買うか、あるいはビタミンD入りの牛乳を飲むようにしてもいいかもしれない。特濃というのが売っている。
頭痛と眼精疲労についての予防は実践する価値はあると思った。20分ごとに6mの距離のものを20秒見るようにするとか、水を適量飲むようにするとか、そういう話である。
個人的には、コーヒーにポリフェノールが多く含まれるという理由で積極的に摂取していたが、カフェインは頭痛の原因にもなるらしいので、飲みすぎは避けたい。
久しぶりに読書を一通りやってみた感想は、一人の著者が体系的にまとめた本というのは、インターネットであちらこちらを飛び回るよりも説得力を感じたということである。
さて、このまえ「Elasticsearchのpython版を趣味で作ろうかな」と迷っていたが、作らないことにした。
やはりプログラミングは仕事で飽きるほどやっているので、楽しむための趣味にはならない。
趣味というなら、もっとこう、受動的なものがいいのだ。動画鑑賞、読書、ネットサーフィン、等。
なにかアウトプットをする趣味というのは、基本的にゴミやCO2を出しているだけだと考えていい。
いや、コンピュータを使っている時点で、すでにCO2を出しているか。書籍も資源を使っているしね。
料理ならば自分で摂取するのでまだ良いと思ったが、料理動画や画像をSNSでアップなんてことをすると、自称グルメのクソジジイに叩かれるのでやめたほうがいい。
ウォーキング、ランニング、筋トレ、ヨガ、水泳、など、一人でできる運動を趣味とする場合はその爽快感で完結するので社会との繋がりを意識せずに済む。
傷病手当で休んでいるときは脳トレとして数学を趣味としてやっていたが、仕事をしている生活だとそのぐらいの気力がない。
たまにゲストプレイでchess.comを使うこともあるが、本格的にやっていないのでずっと初心者レベルである。
自作のTODOリスト管理ツールを作って、少し仕事が楽になった。頭に「すべきこと」を溜めておかなくていいので、精神を浪費せずに済む。
あとついでに作ったポモドーロタイマーも、休憩のタイマーがなるたびに階段を登り降りしたり、ストレッチしたりするようにしたので腰痛が軽減したと感じる。
そういえば、朝食がここずっとTKGだけだ。
グリゴリー・ペレルマンは昔から政治が嫌いだったらしい。
友人と会話して政治的なことが出ると「◯◯君、それは政治だよ」とピシャリと指摘したと聞く。
ミレニアム懸賞問題の論文を提出し、それが評価される過程での政治が発生したときは「俺は政治家じゃねぇ!」とキレたようだ。
賞金も辞退し、数学会から手を引いてからは、オペラの鑑賞を趣味として質素な生活をしているらしい。
誰も解けない問題を解き、arxivに成果を出すことで出版社に存在する政治を避け、数学的証明の正しさだけで勝利を勝ち取った男がペレルマンその人である。
このストーリーを聞いて私は、この人こそ尊敬に値する数学者だと思った。
研究助成金をもらうための政治的活動に熱を入れる数々の自称研究者とは格が違う。
数年前はgithubでOSSを公開することがそういう趣味だと思い込んでいたが、スター数で評価されるという政治が存在することに気が付き、消極的になった。
社会でなにか評価されようとすることが政治なのだろう。ポアンカレ予想ですら中華が業績を奪おうと政治工作したのだから。
私はプログラミングを趣味と仕事の両方でやっているが、コンピュータはインターネットを通じて社会と繋がりすぎている。
まためんどくさそうな要件だなぁと思って実際に手を動かすと案外1時間ぐらいで終わったりする。
たくさんに見えたTODOも一気に片付いていく。
気になるのはTODOがありすぎることではなく、TODOがないことだ。
仕事が一通り終わって、生産的に過ごそうにも次の仕事がない、そういう状況に陥ることがある。
給料を貰っているからには、利益に貢献しなければならない。そういう責任を感じる。
ところで、ヘルシープログラマーという本を数年前にBookoffに売ってしまっていたが、また読みたくなったので再購入した。
健康本は色々あるが、プログラマーという職業に適した健康本は少ない。
座りすぎの問題、眼球疲労、リモートワークによる運動量低下などは私にとって重大な課題となっている。
本当はスタンディングデスクを使うのが良いかもしれないが、ポモドーロタイマーの休憩時間に立って歩き回るぐらいが私にはちょうどいい。
大切な人と一緒に楽しむために人生があるとすると、私にとっては両親と過ごす時間は貴重である。
私は婚活をするつもりがない。統合失調症で低収入なので結婚相手や子供に迷惑をかけたくないからだ。
一方友人たちはというと、みんな結婚して家庭を持つようになった。友人関係より家庭にかける時間を優先するので、私との関係性は希薄になりつつある。
仕事はどちらかというと人間関係に疲れを感じるので、愛情のようなものとはあまり近くない位置にいる。
といっても、礼儀ぐらいは守るべきだと思っているので、仕事の人間関係の愚痴をもらすようなことはない。というか、愚痴を言うほどのトラブルはない。
結局、本当に大切と思える人間関係というのは、人数的にとても少ないのだと思う。
今日は入院している祖母に会いに行く日だ。入院前はもう呆けて風呂も入らないぐらいひどい状態だったが、入院してからはちゃんとしているらしい。
それはそうと、lispでpython環境を構築する話だが、結局オートコンプリートはうざいし、使う機能といったらautopep8とisortぐらいなので、以下を.emacsに組み込んだ。
(defun python-autopep8-and-isort () "Run autopep8 and isort on current Python buffer." (interactive) (when (eq major-mode 'python-mode) (shell-command-on-region (point-min) (point-max) "autopep8 - | isort -" nil t))) (with-eval-after-load 'python (define-key python-mode-map (kbd "C-c C-r") 'python-autopep8-and-isort))
.emacsファイルには他にも様々な設定を付与したが、ここではコードを書ききれない。
さてそういうわけで週末コーディングが趣味としてちゃんと機能することはわかったが、毎週作るとなると、いくつも何かを作るよりは一つのタフなものを作りたいと思うわけである。
それで、最有力候補は「Elasticsearchのようなものをpythonで実装する」という話がある。
Elasticsearchが徹底された設定外部化によってjsonを多用するのだが、これがあまり柔軟性がないので、コードを直にいじれるようにしたいと思ったためである。
例えば自作の日本語トーカナイザを組み込みたいときElasticsearchプラグインをJavaで書かなければならない。私はJavaが嫌いであり、プラグインを「インストールする」という手順も冗長に感じる。
それよりはpythonで作られた検索システムに、適当なトーカナイズ関数を実装して呼び出すことができればかなり柔軟であるように思うわけである。
難しい点があるとすれば、大規模分散システムへの対応で、金をかけなければそういうシステムをテストすることができない。
できるだけ金をかけずに趣味をやるというのがモットーなので、これではまずいわけである。
まあ何事も困難というものはある。まずは手を動かすことが重要だ。Linus Torvaldsも"Talk is cheap, show me the code"と言っているではないか。
今日は家に引きこもり続けている。これから散歩へ行こうと思うが、その前に冷水シャワーで気合を入れたい。
普段からブログ記事なんてそう頻繁に見ているタイプではない。ドッグフーディングの失敗である。
というのも記事推薦ツールを作ってみたが自分では使わないことがわかった。
自分で作ったもののほうが世間で誰かが作ったものよりも使いやすい、というタイプのツールはそう多くはない。
こう考えると自分の仕事の具体的状況に対して最適化すると、自作の意味が出てくるように思う。
ポモドーロタイマーについても、CLIツールとして最もシンプルな形にしたものを作りたかった。タイマーの時間も自分の仕事の時間に対して最適化できる。
TODOリスト管理ツールについては自作する価値があった。なぜなら、履歴をプレーンテキストにできるし、その履歴でグラフのプロットも簡単にできるからだ。
次に作ることになりそうなのは、emacsの自分用python開発環境モードだ。elpyよりもフィットしたツールを作りたいわけである。
4連休が始まり、専ら散歩とインドカレーを楽しんでいる。「インドカレーのスパイスで頭がおかしくなるのではないか」と思ったことはあったが杞憂だった。
家で過ごすときは、自分の気力のレベルでも作れる程度の簡単なプログラムを書いている。今日作ったのはポモドーロタイマーとTODOリスト管理ツールだ。
何かを作るとしても、自分が使えるようなものでないとやる気が出ないので、便利ツールとして作っている。
作ったものを自分自身で使って試すのは「ドッグフーディング」と呼ぶらしい。ドッグフードが犬にとって健康的で安全であることを示すには実際に食って確かめろ、というわけだ。
次に作ろうと思うのはブログ記事推薦ツールである。廃人日記を読み込み、ふさわしい記事をピックアップするツールである。
1. ブログ記事を収集しその集合をS1とする。廃人日記を収集しそれをS2とする。
2. S1, S2をベクトル化する。S2は時間減衰関数で重み付けして線型結合し、これをTというベクトルとして保存する。
3. Tのベクトルに最も類似するベクトルを数件S1から取得する。
仕事とは違い、趣味のコーディングはルンルン気分だ。期限もなければ収益もない。自分がほしいかどうかだけがモチベーションである。
世間はGWだが、私は昨日・今日・明日は仕事がある。その後は4連休だ。
ところで午前だけ活発に過ごすという習慣を始めてみて、かなり調子がいい。
早寝早起き、21時には寝る。早朝にランニングして冷水シャワーを浴びる。仕事や勉強は午前のうちに終わらせる。この3つをやるようにしている。
長距離走タイプではないので午後は体力がもたない。リラックスのために仕事が終わってからテレビを見ようとするが、テレビの音のストレスにすら耐えられない。
食事は一日2回ぐらいがちょうどいい。朝と夕である。昼に食べると睡魔が襲うことが多い。
リーナス・トーバルズが健康のために部屋でスタンディングデスクとウォーキングマシンを組み合わせて仕事しているという動画を見たことがあるが、部屋にこもりきりのプログラマーという仕事は、そうでもしないと運動する機会が無い。
私も自宅から仕事をしており、一日の歩数が少なすぎて健康に対する危機感を持っている。
それで朝のランニングというわけだが、聞く話によれば、効果を維持したまま運動の時間を減らすには強度を増やす必要があるらしい。だからウォーキングでは時間がかかりすぎてしまうので走るというわけだ。
ランニングの距離は、息が切れてくるタイミングに応じている。私は体力がなく、500mをそれなりの速度で走ればすぐに息が切れるので、そのぐらいで丁度いいと思う。
雨の日はさすがに外へ出ることはないが、そういう日もあるさと思うことにしているし、家の中で筋トレするようなこともない。
体力的に言って、趣味を行うのは休日だけになる。趣味でなにをやるかについてずっと悩み続けてきたわけだが、週末コーディングと銘打って何か作ってみるのも悪くないかもしれない。
私は統合失調症患者で、人生に迷いを感じることがある。そのため、自己啓発本を買ったこともある。
しかし、生活で実践するレベルの話だと、本を読まずとも英語でググって「こういう習慣を身につけると○○に効果があるというエビデンスがある」ぐらいの情報は山のようにある。
そして有限の精神と時間の中では実践できる内容にも限りがあるから、あまりたくさんやろうとしても疲弊するだけである。
それこそ謙虚さを身につけるという意味において、よくわからない自己啓発本より聖書の箴言のほうが実りは多いだろう。
私はプログラマーなので技術書も読むことはあるが、周辺の本屋で売っているような本を買うぐらいならオライリーを探したほうが良い。
オライリーの時代背景としては、ヘルシープログラマーが売られていた頃の空気感が好きだ。「生きていく上で健康に気を配る必要がある」というあたりまえのことに気がついていなかった当時。
そういえば人間関係は幸福度のために最も重要な要因の一つらしい。私にとって両親や兄弟、そして飼っている🐶は大切な存在である。
といっても私はすでに結婚することは諦めている。統合失調症患者の遺伝子を残しても、誰も喜ばないだろう。
今日はまず朝起きて冷水を浴びた。最近この習慣を続けているが、眠気が一気に冷めてパワー全開になる。
そして行こうか迷っていたインドカレー屋に行った。ベジタブルカレーの中辛を選んだが、これまた旨い。
帰りに本屋へ寄ったが、買いたくなるような本は見つからなかった。正直、自分でもどういう本を求めているかはっきり言語化できない。ただ「これじゃない」ということがわかるだけだ。
時々、行動を起こすことが重要だと思うことがある。
私は障害者であり、ハロワの職員に勧められて自立訓練施設で訓練していたことがあった。そこでの人間関係は楽しいものだったが、訓練が役立ったことはない。
教えられなくとも料理はできるし、裁縫を学んでも実生活で役立つことはないし、OfficeSuiteの使い方なんてものは教わるまでもない。
訓練の一環と言って、無賃で工場勤務をしたこともある。たまに巨大組織に金をむしり取られる夢を見る。これは自立訓練で金と時間を奪われたトラウマと思っている。
「足るを知る」がその組織の哲学だったが、個人の哲学として優れているとしても、企業がそれをやれば「低賃金?障害者のお前たちが働けるだけありがたく思え」という態度になるだろう。
それで...行動を起こすとはどういうことか。例えばそれは自立訓練を抜け出して自分の力で転職活動をするということだ。そして結果的にフルリモートで働くプログラマーになれたわけである。
さてこの先、収入を高めるために転職活動をするべきだろうか。私は箴言の一句を思い出す。
フルリモートで自由度が大きいのに、仕事に対する態度がかなり真面目になってしまい、精神的にもストレスは溜まっている。
真面目に働こうと思うわけである。GWも火曜日からは仕事がある。
ところで、仕事と余暇が同じ部屋であるからか、寝ているときにコードを脳内で走らせるような悪夢も見る。
おそらく代わり映えのない部屋の風景に浸り続けるのがいけないのだろう。今日は散歩でモスバーガーまで行ったが、こういう気晴らしが必要だ。
今日は美容院に予約している。もう長年行っているところなので常連だ。
といっても美容院の人員は移り変わっている。ある人は公務員になってやめてしまった。
だから「指名」なんてシステムは大して機能しない。毎回安定したスタイルを提供するようなこともなく、辞めてしまうからだ。
美容院では、話を積極的にかけてくる美容師と、そうでない人がいる。そうでない人のほうがありがたい。
「宮くんって知ってます?彼と同級生でしょ?あの人も美容師やってるよねー。彼と仲いい?」という話をかけられたときは、
「彼のようなスポーツが得意なタイプは苦手です。私達は地味なので、中学生の時は彼のグループにジミーズと呼ばれていました。」と、いらぬことを言ってしまった。
私が精神錯乱状態のとき、自由自在に髪を伸ばせる魔法を使えたことがあった。その魔法を使いすぎてとんでもなく髪が伸びきってしまったのだ。
そのとき美容院へ行ってカットしたが、さすがの美容師も「なんでこの短期間にこんなに伸びたんですか」と驚いていた。
まあ美容院へ行くときは高確率で精神がおかしくなっていることが多い。今回は大丈夫そうだが、いらぬことを言わぬようにしたい。
GWが近づいてる。去年のGWでかなりトラウマになる体験をしたので、睡眠薬は常備してる。
どういうことかというと、まず文字通り「一睡もできなくなる」という状況を1週間ぐらい続けた。なぜか覚醒して寝られなかった。
など様々な異常な体験をした。これが恐怖なので、今回は医者からもらった睡眠薬は常備している。
立て続けに異常な幻覚を体験すると、シミュレーテッドリアリティや多世界の一つや二つ、信じてしまいそうになる。
今回のGWは、適度な運動をして寝られるように整えようと思う。もしかするとインドカレー屋のスパイスが良くなかった可能性もあるのでインドカレー屋には行かない。
早寝早起きをして、朝食をたくさん食べる、5分のランニング、冷水シャワー、掃除換気、勉強、これを全部早朝に終わらせる。
仕事は午前のうちに全力疾走する。午後は怠ける。今日も8:30から10:00の間にやるべき仕事をすべて終わらせた。
午後4時からのスケジュールを設定しようとしたが、やはり気力の限界があった。
YoutubeやTVシリーズの鑑賞など、受動的なことならギリギリできる。
最近のお気に入りは「このすば3」だ。コメディアニメは見ていてスッキリする。
異世界転生系はお笑い要素がないとつまらない。「チートスキルを使って真面目に無双してモテモテです」ではダメ。
最近はアマプラで笑える作品を見ている。Jimmy Yangのコメディショーはかなりおすすめだ。
追記: