はてなキーワード: 芥川龍之介とは
アラサー女だけど、毎日ほぼすっぴんで日常を過ごしているので、すっぴんでも気兼ねなく着れるレギュラーカラーやワイドカラー、なんの装飾もないスタンドカラーのカジュアルなシャツを普段愛用している
すっぴんでレース立て襟ブラウスなんて着てしまったら、すっぴんでアクシーズファムを着てる痛い女と同じになってしまう
ピンク大好きでピンク色の服を着せないとブチキレる4歳11ヶ月の娘に
ブラウスは白だけど、ピンクのジャンスカの下に着せれば着てくれるのではないかと思ってやってみたら
う、嬉しすぎる~~!!娘ちゃんもこのブラウスのかわいさをわかってくれるんだ!!ママ、文豪ストレイドッグスの芥川龍之介みたいなフリフリ大好きだから娘ちゃんがそういう服を着てくれて嬉しい~~!!!!!フリル立ち襟の娘ちゃん最高ひかわいい~!!!!!!
それにしても、すっぴんでかわいいブラウスが着れちゃう子供が羨ましい。子供はすっぴんが当たり前だもんな。七五三とかダンスの発表会でメイクするとかならともかく
便乗して書くぞ
汚いヨルクラその1。ヨルクラはSupercellとかYOASOBI的なものだったけど、こっちは美少女版東海オンエアといった感じか。主人公がガチクズなのがいかにもYoutuberっぽい。警察に捕まらないようにね。
汚いヨルクラその2。こちらはVtuber。佐倉綾音に下ネタを言わせるのが目的っぽくも見えるけど、あの人若手の頃にちんこもいじゃうからとか言ってたしな。Vtuber文化よく知らないので、いまいち何をやっているのか理解できていない。てっきりジャージにメガネのすっぴんで中の人が出てくるかと思ったら、Vtuberのガワまんまという演出だった。
「地方都市で女の子が集まってなんかやる」系。チアリーディング。P.A.Worksのお家芸。ただ背景美術はPAっぽくないポップな感じ。群馬なのにゆず。チアとパルクールなのに鉄壁スカート。別にパンチラが見たいわけじゃないけれど(短パンでも履かせればよくね?)、チアリーディングで鉄壁スカートは不自然。それ以外はよい。
こちらは鎌倉パルクール。いや、時代背景的にパルクールじゃないんだろうけど、人生ゲームとかやってるしパルクールでいいだろ。
岐阜日常ミステリ。こちらは背景美術が実写的でEDは完全実写。シネマスコープ・サイズで菜なれ花なれとは色んな意味で対象的な印象。米澤穂信と神戸守なのにところどころ西尾維新とシャフトみたいな演出を感じる。
P.A.Worksって今期3本もやっていて、それぞれ作風がぜんぜん違う。キャラは一番アニメ的なのに、背景は一番実写的。原作ゲーム未プレイなので「おお、これ鉄腕ダッシュでやってたやつだな」ってなってます。これシリーズ構成花田十輝なのね。
汚い着せ替え人形(ビスクドール)。ビスクドールからスパダリ成分抜いてキモオタカメ子成分注入した感じ。前田佳織里と鬼頭明里ってこの手のに大体いるよな。消費型オタクはどう頑張ってもカッコよくはなりません。
よくある同居ものラブコメから外して、やたら静かに質アニメ的に作ってる。ラッキースケベとかはないので、そういうのが嫌いな人も安心して見れます。ただこれ、ここから面白くなるんだろか?
ロシアのウクライナ侵攻に日本で最も頭を抱えたのはこのアニメの関係者だろう。上坂すみれがロシア語喋ってるの久しぶりに見る気がする。内容は普通のラブコメ。ヒロインがEDでJ-POP歌うのは定型。
OPがわたせせいぞう感(または久米田康治感)。安部公房全集が出てきただけで満足。普通この手のアニメの文芸部は太宰治か宮沢賢治か芥川龍之介しか出てこないから。
村上春樹なんか読む小学生なんかいないし、ガルシア・マルケスなんか読むJKなんかいない(偏見)。いや、安部公房なんか読む高校生も今どきいないだろうけど。
反出生主義を信じるようになったのはなぜ? すごく苦しい経験をしたから? 悪徳にあふれる世界を見て? それともベネターやシオランとかの哲学書を読んで? 同じ本でも小説で?
(ちなみに俺が最初に明確に反出生主義に触れたのは芥川龍之介の「河童」だな)
→理由は沢山あるけど、モテない、仲良い両親(家庭)を見たことがない、出産でババひきたくない・ひかせたくないの比重が大きい
友人・知人に反出生主義を広めようと思ったことはある? どうだった?
→ない
安楽死ってどうよ? 反出生主義そのものじゃないけど、増田で話題になるから聞いてみた。
→身内がいない人生になるだろうから、人の邪魔になる前に苦しまずに死にたい
反出生主義者がアニメなんかで悪役にされがちなの、どう感じてる?
それこそ人殺しがバンバン出てる推理小説だって面白けりゃいいし
出生主義者、
→子供かわいいよね、分かる。(友達の子どもはめっちゃかわいい)
→よ!
今の気分はどう?
→そろそろ寝た方がいいなぁと思ってる
趣味は?
ちなみに俺は久しぶりに食った牛肉が旨かったので嬉しかったぞ。
→職場のエアコンが壊れてて、暑い中汗かきながら(物理)働いてたら楽しくなってきた
南国の国の人は陽気って言うけどこんな感じでなんかわからんけど楽しくなってくるのかな?と思ってる
早よエアコン直してほしい
→色々あるよね。夢と出会ったあの日とか、うまい唐揚げ屋と出会ったあの日とか
これからどんな風に生きていきたい?
そういうこともあるだろうか…って読んでたけど、弱者男性の対義語が「美人ではない女性」と書いてあるのを見て、増田も弱者女性に対する認識はちょっと甘いな?と思いました。
自分から見てより遠い存在である異性に対して想像力が及ばなくなることは誰にでもあることかもしれませんね。
確かにブギウギではお金に困ってスズ子からお金をせびろうとした小田島をその子共々家に雇い入れるというような描写もありましたね。
他にもアホのおっちゃんやゴンベエ、おミネなど性別問わず様々な社会的弱者が登場しました。
そういう人々に希望を与えた歌手というテーマだったので特に描かれたというようなこともあるかもしれませんね。
虎に翼で言うと、よねの父はかなりそれに近い立場の男性なのではと思います。よねの回想の中でしか出てきませんが。
あと他の人も言っていますが優三さんも比較的。彼も早くに両親をなくし昼間働きながら苦学生をやっていましたが夢叶わずでしたね。
あと花岡も特殊ではありますが、彼の性格なのか環境なのか他人に弱さを見せて適切に助けを求めたり自分に折り合いをつけることのできなかった不器用なところなど、何か弱者男性と通じるものはあるように思います。
しかし花岡の描写についてはなんとなく唐突というか、大学時代の花岡にそういう伏線は特になかったような…実際の事件を織り込むのに突然花岡が引っ張り出されたような印象は否めませんでしたが。
それについては轟の突然のアウティングも、そんな感じあったっけ…?よねエスパーすぎんか?と私は思いました。まあ余談ですが。
弱者男性をよく描いた作品でまず思い出すのは芥川龍之介や太宰治ですね。
女流作家では樋口一葉…もっとも当時は多くの人が生活に困っていたでしょうから、何を描いてもそのうちの誰が真の社会的弱者であるのか?という定義も難しいものなのかもしれませんが。
あとは向田邦子や幸田文あたりも男女問わず様々な社会的弱者が登場します。
私もそれほど詳しくはないのですが…
漫画やラノベもよろしいですが、昔の文学などもたまには手にとってみられるのはいかがでしょうか?
ああでも最近のものでも蛇にピアスなど男女ともに社会的弱者のような人しかでてこないような作品も…彼らを社会的弱者と言ってはならないような気もしますが…
なるほど現代の弱者男性をこれこれこういうものであると具体的に示すことは個人の名誉を毀損しかねないのでポリコレ的に難しい、というのはあるのかもしれませんね。
気が付いたら匂いがしなくなっていた。
確実に老化がすすんでいる。いつの間にか50歳になっていた。
10代の頃、部屋のゴミ箱から放たれる使用済みのティッシュのあの強烈な匂いは今はもうしない。
先日、興味本位で自分の男の匂いを試しに嗅いでみたときのことだ。
今月初めのGWに、妻と二人、新緑の山のふもとの温泉に出かけた。
青空のもと、山々は一斉に咲いたシイノキの花の淡黄色で見事に彩られていた。
シイノキは5~6月頃に穂状の花を咲かせる。
極相林となったシイノキの開花は圧巻だ。山の色を塗りたての油絵の絵具のように大胆に変えてしまう。
そんな新緑の美しさに気が付いたのは、つい最近のことだ。
どうして今までこの美しさを知らなかったのだろう。風が気持ちいい。
若い頃放っていた青々しい匂いが、つーんと頭の先のほうでよみがえる。
ひょっとすると、だからこそ、新緑の生命力がより強く感じられるのかもしれない。
冷静な言い方をすれば、新緑の美しさのなかに、自分自身の老いを鏡のように見つめさせられているのだ。
そういえばシイノキを詠んだ万葉集の歌があったような気がした。
検索したら、こんな歌だった。
家にあれば笥(け)にもる飯(いい)を草まくら旅にしあれば椎の葉にもる
小さな椎の葉しかなくとも旅の途中だ、しょうがない、という状況。
状況に応じて満足しなければならないという人生の不変の真実が垣間見られる。
検索ついでに目に入った芥川龍之介は、この歌を次のように評していた。
やれやれ、わかるのだが、ますます年相応の生き方を考えなければいけないと説教された気分だ。
いまよりもっと年を取って、生活のダウンサイジングを真剣に考えないといけないときがくるだろう。
新潮文庫の芥川龍之介『地獄変・偸盗』を読んで表題のようなことを思ったのでちょっと書いてみる
どうやら偉い学者のようだが、「何言ってんだこいつ」と思えるところがある
この人によると収録されている『六の宮の姫君』は出典元の今昔物語集と筋はほぼ同じで、あとは若干の創作が付け加えられているだけだそうだ
芥川龍之介が話の筋を重要視してないのは素人の自分でも知っている
この人は「わずかに潤色をほどこしているにすぎない」と芥川の創作部分を評価してないようだが、
出典元と読み比べてみると、むしろ筋以外はほとんどが芥川の創作で、描写される景色や人物の言葉は今昔物語集には存在しない
芥川が生み出したところに目を向けず、筋だけを取り上げて大したことない作品に貶めるとは、こういうのが文学研究なのかと、いったい何をしているのかと思う
『六の宮の姫君』は芥川が自殺する5年前に書かれた作品だが、自分には作中の死にゆく姫君の言葉は将来の芥川の自死を予感させるもののように読めた
こんな素人ぽい分かりやすい読みを超えた、専門家らしいもっと深く鋭い解説を読みたかったが、それともこれこそが専門家らしい読み方なのだろうか
俺自身は反出生主義がそこまでヤバい思想だと思ってない。苦しみを絶対悪としてそれを避けようとするなら、最初っから生まれなきゃいいじゃんって理屈になるのは筋が通ってる。俺自身も、最大の苦痛である死がいずれ必ず訪れると知った七歳のときの絶望感を覚えている。あの時はどうして俺は生まれてしまったんだと叫びたかった。
なぜ生きている/生きてしまっている/生かされてるのかって驚きこそが、哲学の始まりだ。
それに野良犬なんかの管理で「不幸な犬を増やさないために」って去勢するのと理屈とどう違う? あるい出生前診断や重い障害を持つ人々を重荷とみなす世間のまなざしなど、生命が完全に平等で尊いという考えに疑いをさしはさむ発想は結構身近だ。実は言語化されてないだけで、今まで多かれ少なかれ反出生主義的な発想はあったはずだし、自分は出生主義者だと思ってても、反出生主義的な考えをまったくしたことがないってことはないだろう。ちょっとくらい「なんで生まれたんだろ」「生まれさえしなければ」と考えたことくらいあるんじゃない?
ときどき反出生主義主義者がやべーやつ扱いされるのは、興味ない人を無理やり説得しようとするやつがいるからなんじゃないかって推測してる。
で、当の俺自身は生まれる事の善悪を判断する能力を、そもそも人間は持っていないと思っているんだけど、反出生主義者に聞いてみたいことは結構ある。だからまとめてみた。