○朝食:なし
○調子
はややー。
仕事は適当にこなした、まあよくよく考えると僕がそこまで気負うこともないわ。
ポケモンの感想は今日書き終わらなかったので、明日以降、できれば金曜日までには書き切ろうと思います。
現在44回クリア、実績解除が100回クリアなので、そこまではやろう。
が、ストーリーだの対戦欲だのといったゲーム的装飾が一切ないゲームは、終わった後時間の無駄感を感じてしまうなあ。
パズルゲームが意外と好きなのかな? 今まで全く意識したことないけど。
が、運が悪く進展はなし。
それと、ポケリゾートを全開放。
とりあえず旅パメンツ、サトシゲッコウガのレベル上げをさせている。
(A下げの木の実の栽培が終わってないので、まだだけど)
あと、ドンカラス用の闇の石目当てに探索。
とりあえず、ここら辺の要素はデイリー要素的に毎日こなしていこう。
未プレイ。
ノー課金。
○ポケとる
・バクーダのメガストーンイベントに挑戦、いちおうメガスキルアップがもらえるところまでは乗せた。マックスレベルアップはしんどい
以上をプレイした。
ログボのみ。
一週間もすれば皆目を醒まして逆に「面白かった」と言ってる人が叩かれるような空気になると思うんだけどそれもまたつれぇわ……
今の社会って印象論だけで動いてる所あるわ…
相手の内に貯め続けた抑圧がついに破裂して私の頬を切り裂いた瞬間に感じた、あの胸の軋み、頭と身体に血が逆流したかのような感覚。
この断絶される瞬間を私は望んでいたのだろうと思わざるをえない高揚。
私が幸せにならないように行動を抑制妨害してくる自分が確かに居るのだと知覚する。
社会的にも家庭的にも破滅してしまったことだし、もう許して幸せにさせてはくれないものだろうか?
(できることなら、失ってしまった社会的地位や家族を再獲得したい。幸せになりたい。)
(ああでも、マイナスから立て直すというのは酷く面倒だよね。頑張りたくないから壊したくなかったのに。)
自分で自分の足を引っ張るという性質は、弱者の“言い逃れ”のための衝動だとか。
確かに、“私の妨害をしてくる私”とのバトルを最重要問題にしているうちは、頑張らないと掴めない理想の幸せ獲得へ立ち向かわない言い訳になる。
誰からだろうと全ての電話に出ないし、全てのメールを読まない・返さないから、「あなただけ特別無視している」のではないのだと言い逃れしている。
(しかし実際のところ、電話やメールなどの予告ナシに他者から切り込まれる行為に対して、めちゃくちゃ磨耗疲弊するという部分はある。)
『逃げ恥』原作の「なんだか 俺はいつも逃げている」からのくだり、すごく好きなんだよね。身に染みた。
(女だけども、感情移入自己投影するのは圧倒的に平匡さんの方で、みくりちゃんは理想の王子様に見えている。)
私だって、もう戻りたいよ。(でもどうすればいいかわからないんだ)
教会とかで懺悔をすることで、自罰衝動が癒されることもあると聞く。
試す価値あるのかなぁ…という考えを今こうやって増田にぶつけてる。
涙が流れるほど心震えるのは、“正しいこと”が肯定されるシーンと、美しい男性が自意識拗らせて破滅する物語、に触れた時。
“正しいこと”を正しいと認め合うことってさぁ、仕事してるとびっくりするほど少なくない? 私が働いていた環境下がブラックばっかりだっただけかな?
なんかもう生活しているだけで恒常的に信念とか倫理観とか自分の柱を削られまくっていたんだろうね…
綺麗事が王道歩いてる職場って何系に多いの? 転職するから教えてほしい。
美しい男性が自意識拗らせて破滅するっていうのは完全に自己投影の道ずれ慰めだよね。
(文字や絵のイケメン描写よりも、現実の美丈夫が演じている方がたぎる。)
彼らの嘆きがすごくよくわかる。わかるからこそ、“美しい彼らでさえも”救われないということに癒される。私たちの敵はこんなにも強大なのだと(だから負けても仕方がないのだと)。
たぶん女性の物語では駄目なんだよね。破滅する女性では“私の道ずれ”ではなくて私自身とイコールになり、ひとりぼっちになってしまうから。
ねぇ、私はただ、私が考え得る最善な行動をしたいだけなの。
それを自分自身に阻害される・阻害したいという衝動を消去したいだけなの。
どうすればいいの?
お前のところとは違うかもしれないけど、俺がしたゲームテスターは狭い部屋にぎゅうぎゅうに派遣たちと詰め込まれて、休憩もそいつらと同じ場所ですごく不快だった。しかも派遣という性質上、モニターの明るさとか調整できないからすごく眩しい光でドライアイになってすぐ辞めた。合う合わないっていうのは人間関係だけでなく、自分のやりやすいフィールド作りも含まれるんだなって思い知らされたバイトだった
インショップのクリーニング屋って隣に写真屋がよくあるよね。俺が働いてたとこがそうだったけど。12月だけごっさしんどいけどそれ以外は写真屋は楽だった。ああ、給料が高ければ会社員やめて写真屋に戻りたい...会社員ってどうしてこんなにストレスの貯まる仕事なのか
文章の最後に「文章が下手ですみません」とか書いてあることがある。これにいらっとする。下手だとわかっているなら書き直すべきだ。下手な文章を読ませるのは失礼な行為であり、読み手の時間を奪う行為でもある。最低でも書き直すべきだし、もっと言えば、上手な文章が書けるよう、日頃から練習すべきだ。
そして、日頃十分に文章の修練をし、当該の文章を十分回数推敲して丁寧に書き上げたならば、「文章が下手ですみません」などという弁明は要らないし、そもそもそんな言葉は出てこないはずだ。自信と責任をもって、堂々と相手に読ませられるはずだ。
日ごろ鍛錬を怠っていて
結局仏教ってお釈迦さまっていう「人」が思いついただけのことじゃないか。正当性の根拠はどこにあるんだ。と思ったが、梵天(=神)勧請(=教えを広めるように要請した)があったとすることで、結局正当性を神に求めてるということになるのかな。
残業が多い=月給50マンくらい貰ってると思ってる石器時代のジジイがいてこじれまくって結局割り勘。2000年代に一時期会社から飲み会代出るのが流行って、その後また自腹に戻ったんだけど自腹のルールが昔のまんま。役職とか正規非正規で役職が割れまくって給料がバイトに毛が生えた程度の人にも1席5000円とか出させるのいいんですかね。
私の家にはテレビがないが、実家、友人や恋人の家、旅行先や出張先のホテルなどでテレビをつけると、
何らかの犯罪をおかしたり、あるいは巻き込まれて死んだり怪我をした人についての報道がよくされている。
それを見るたび、私が今まで無事に生きてこれたという事実が奇跡としか思えなくなる。
サーカスの綱渡りのように、恐ろしいほどギリギリのバランスを保っているように感じて怖くなる。
私はとても不注意な人間だ。
病院に行ったことはないが、多分何らかの発達障害なのではないかと疑っている。
今は、私は自分という人間の特質をかなり把握していて、問題が起こらないように気をつけて生活できている、と思う。
子供の頃は本当にひどかった。
どういう訳なのか今の自分からは想像がつかないのだが、とにかく自分の身を危険に晒したがっているとしか考えられない行為をしていた。
例えば…
学校で彫刻刀セットをもらったら、自分の膝で試し切りをして血だらけになる。
あえて車のドアやエレベーターの扉に手をはさむ。
道路で、車が通りかかると走って近づいて、轢かれそうになるスリルを楽しむ。
思い出しただけでもこんな感じだ。多分忘れていることもあるので、まだまだ余罪?はあるだろう。
頭は3ケタを超える回数ぶつけていると思う。ひどい場合には車に轢かれてふっとんで頭から着地して、救急車で運ばれたこともある。
私の親は教師で、すごく厳しかったが上記のことで心配はされても怒られたことはなかった。
馬鹿ではあったが、わざとやっていたわけではなかったからだと思う。
ど田舎で、学校は少し荒れていたしヤンキーみたいな子もいたけど、
親に迷惑をかけたらまずいという抑止力がはたらいて、自分は品行方正を心がけていた。
今は20代後半だが、今までずっと健康そのものだし、犯罪をおかしたり巻き込まれたりすることなくここまできた。
犯罪などの危機(したりされたり)を回避する能力というのはどのようにして養われるのだろうとよく考える。
私のような不注意な人間が、今までどうして無事でいられたんだろう。
それは、やっぱり環境だろうなと思う。
ここでいう環境というのは、家庭のことだ。
私は、前述したように子供の頃はかなりヤバめの奴で変な人オーラ全開だったと思うので、結構嫌がらせをされたりした。
でも、両親の仲が良くて、いつでも見守ってくれて励ましてくれたから、
無意識のうちに色々な場面で踏みとどまって危険から逃れることができたのだと思う。
今、私や君が立っている「こちら側」と、犯罪に関わってしまった人がいる「あちら側」の境目は
私は、「あちら側」に行きたくないし、他の人にも絶対に行ってほしくない。
私は結局親と同じように教師になった。
まだまだ未熟でできることも少ないが、自分の生徒たちが「あちら側」に行かないよういつも気を配っているつもりだ。
だけどニュースは今日も「あちら側」に行ってしまった人のことを報道しているのだろう。
私はちっぽけな一人の人間に過ぎないので思い上がりも甚だしいのだが、そういうことを考えるとものすごい無力感に襲われる。
そして、自分が今にも「あちら側」に行ってしまいそうな気がして怖くて仕方なくなる。
私と同じように考えている人はいるのだろうか?
とで唯一残ってる言葉。正確ではとで唯一残ってる言葉。正確ではとで唯一残ってる言葉。正確ではとで唯一残ってる言葉。正確では
青空文庫で「居場所」を用例検索してみたが、多くは普通の「○○が居る場所」という意味で使われていた。
強いて言うなら…ってのが宮本百合子著 二つの庭(1947年)
心と体の居場所がなくて、あちこちをふらついていた伸子は、漂いよったように古風な客間に入って来た。榧かやや楓、車輪梅などの植えこまれた庭は古びていて、あたりは市内と思われない閑寂さだった。竹垣のそとで、江田がホースを使っている水の音がきこえた。
伸子は竹村に対して、特殊の感情はなかった。よしんば竹村が、伸子にわかるような感情表現をしたとしても、伸子はそれで動けただろうか? この間、温室を見に行ったとき、夕飯の仕度をしながら、竹村と素子が手のことを話したときの微妙な感情の流れ、そこにも伸子は、自分の居場所から動けない自分の心を直感した。
そもそもSMAPという存在は後輩とあまり絡まない。中居の番組に出る(うたばん)くらいだった
『Jフレ』にSMAPが居ないのは、別に派閥どうのこうのという時期では無いことをはっきり言っておこう
紅白大トリ→CDTV特別ライブみたいなことをしていたので、ジャニーズカウントダウンライブにも出ていない
疎外されていたわけではなく、ただそうやって売っていたのだ
明らかに変わりだしたのは2010年くらいだったと思う
ファンの目の前に分かりやすく『派閥』が生まれた。ジャニーor飯島orジュリー。
細かいことは省くが、嵐の人気上昇などが影響していることは間違いない(それだけではない)
嵐がゴールデン番組を持ったので後輩や先輩と普通に共演していたが、今まで通りSMAPは積極的に行わなかった
SMAPと共演する人は、ほぼいつも決まっていた。しかもその共演者は、嵐とは共演しなかった
それで「おかしい」ことがバレはじめた
ただ、一つ言いたいのは、この『派閥』は当初は紛れもない『戦略』であったということだ
別のリーダーをもっている班同士が、別の人脈で仕事の幅を広げて、タレントを売り込んできた
まさか片方が独立しようと思っているなんてことは、考えもできなかったが
不仲なのは別に、最近始まったことでも無いと思う。不仲でもそのままやっていけたと思う、そういうグループだったはずだ
ジャニヲタとしてSMAPがなんか変だなと思ったのは、特典商法をしだした時だ。2013年か
複数買い推奨、バックヤード招待、ファン交流パーティー(イベントではなく、パーティー)を特典につけた
おかしい。SMAPはこういう商法をするグループでは無かったはずだ、というのがその時の印象
メンバーも流石にそこで、CD売上がかなり下がってきていることには気づいたんだと思う
そうやってメンバーの目に危機感を写すことは若手のアイドルには有効だが、SMAPの年齢だと引き際を考えるメンバーも居ただろう
あれから3年と考えたら、色々腑に落ちることもある
彼らの人気が絶頂時代の売り方は決して後輩に還元されるものではなかったし、SMAPその他みたいな売り方になっていたことも納得がいってないファンも多いと考えている
あげく現在SMAPのファンが後輩を叩いて叩いて叩きまくっているので、ますます避けられている感がある
SMAPを慕っていた後輩がかなり多いことだ
間違えないでほしいのは「SMAPと親しかった人が多い」というわけではない。関わりが無いので、親しい人は少ない
SMAP本人たちも後輩たちと接点が無かったので、いまだに後輩たちと接するのが全員ド下手だと思う(フォローしてくれないので後輩たちは緊張してしまい、ろくに喋れなかった)
でも多分どこかで「SMAPを目指そう」という意識が後輩たちにはあったのだと思う、もしくはジャニーに『目指せ』と言われていたグループもあるはずだ
ジャニーズは代々「アイドル意識せず正直なことも言いなさい」文化がマッチから根付いているので
派閥とか無視して「SMAPと共演したい」「SMAPみたいになりたい」という後輩たちはずっと居るし、騒動後もその声は止まっていない
現在の現状と、解散について感想は無い。無いというか、まったくまとまっていない。考えないようにもしている
でもこういうことも、終わってしまえば考えることも無いのかもしれない
今のうちに、と書いておいた
ある士業事務所が事務員募集してたので応募しようと思い調べたら
どうやら事務所と同じ住所に詐欺事件で逮捕された企業が入ってたらしい
その企業の娘が間借りする形で同じ建物に士業事務所を開いたようで、おそらく業務提携もしていたのではないかと思う
まぁ事務所はお咎めも受けず人員募集してるし潔白なんだろうが、親が怪しいことやってて気付かないもんなのかね
でも100億以上だまし取ってたそうだしある意味では賢い人なんだろうな
この時代と地続きの、戦争中の日常の人を描いた映画。その日常はきちんと今も続いている。
戦争中だから起こる悲劇の多さと理不尽さは確かにあるだろう。だが理不尽さは現代だって変わらない。
突然の爆弾で亡くした悲しみと、突然の病気や交通事故で亡くした悲しみ。そこにどれほどの差があるのだろうか。
時折起こる笑える出来事と、戦争中の笑い話、そこにどれほどの差があるだのろうか。
そして、経験しないと分からない戦争中の悲しみが、この時代のものと変わりなくつらく悲しい出来事だと、この映画を見て近づくことができた気がする。
分かり易いけど一面的というか予断で書いてる気がする。
釈迦は利己的だった(自分だけ悟れれば良かった、救ってくれる超常的存在などないから自分で解脱するしかなかった)。
梵天勧請により、「自分が悟る方法」を人に教えるようになった。