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2024-09-19

anond:20240919090501

俺50前半だけど

転職イメージ改善

イメージなんか知らんバンバンした

転職のしやす

ITは昔からいくらでもあった

職場環境改善

昔もクソだったけど今も普通にクソ

昔のクソの時でも俺は帰ってた

1日7時間以上やってアホの状態コード書くのは非効率通り越してマイナス

言語フレームワーク進化

楽にはなったけど楽にできることは誰でもできるし誰でもできると金にならんのよね

ITスキル底上げ

主にユーザー側。馬鹿が居なくなった。

そうかな?

まあ比較的にそうかも

スマホパソコンの普及

勉強なんかなんでもやれたような

PowerBook初任給2ヶ月分つかったかわからん

通信回線格安

ネットサーフィンくらい普通にしてたろ

情報の集約化

まあそうなんだけど「楽にできることは誰でもできるし誰でもできると金にならんのよね」

資格取得の最適化

資格とかとったことないしあんな程度のを資格で見るとこに行きたくない

これは英語TOEICとかも同じ

こんな感じかな

2019-08-13

物欲煩悩

子供の頃からガンプラミニ四駆ラジカセ、ウオークマン、iPodスニーカーPowerBookパタゴニア、本、雑誌、などという物欲がかなり旺盛な方なのだが、最近金欠(大きめの投資をした)で生活がかなりカツカツで可処分所得が少ないので、あまり買い物ができない。欲しい物があまり買えないので、ウェブなどで新製品情報を調べまくったり、何時間も悩みながら買い物をすることが無くなった。おかげで仕事クリエイティブ系)に身が入るようになり集中して結果を残せるので仕事が楽しくなってきた。煩悩っていうのはなかなか面白いものだね。

2019-04-09

増田始めたのを機に、ネット遍歴を振り返ってみる

当方40代半ばのオッサン

学生だった1990年代中盤、ウィンドウズ95フィーバーの中、マッキントッシュパフォーマパソコン通信NIFTY-Serve)に繋いでネットワーク体験する。

ワープロに過ぎなかったデスクトップコンピュータが、コミュニケーションの道具になった瞬間だ。パソ通にのめりこみ、PowerBookを購入した。

当時、インターネットの定額接続はまだ普及しておらず、高くて繋がりにくいものパソ通では、投稿ログダウンロード時に最小限だけ回線接続し、読み書きはオフラインで行っていた。

90年代末になり、常時接続の値段がこなれてきて自宅でもインターネットを使うようになる。

ハマったのは2ちゃんねるニフティには無かった、匿名ゆえの過激本音が楽しかった。とは言え、当時常駐していた地方板では、コテハン宅でオフ会をするなど、牧歌的な付き合いがあった。

2000年代半ば、転勤先で出来た友人に勧められmixiを使うようになる。実名社会的属性もある程度分かり、友達の友達に繋がりが広がっていくSNS時代の到来。

ネット人間関係は転勤先での仕事にも役立ったし、今でも付き合いが続いている。

また、趣味コミュニティでは2ちゃんのような煽り合い抜きで情報交換を楽しめた。

ただ、mixiも度重なる機能改悪で迷走。コミュニティでもルールにこだわるタイプデリケートな人が増えて疲れを感じてきた。

そんな00年代後半に出合ったのがTwitter

ブログのようでもあり、ハッシュタグを使えばbbs的にも機能し、全ての発言時系列で把握できる。自分が求めていたのはこれだ!と、のめり込んだ。

最初実名でツィートしていたが、Twitter絡みのトラブルニュースになるのを見聞きするうち、ハンドルネームに移行して今も続けている。

この頃、フェイスブックを始めた。

FBは完全実名世界。同僚や同窓から始まった友達付き合いは、研究者作家地方議員といった、普通にしていたら知り合わなかった方々まで広がった。

その一方で、シガラミも発生してきた。エコーチャンバーという言葉もあるように、SNSタイムライン自分に近い考え方の人が集まり意見が増幅されてしまう。

自分は元々リベラル寄りだったが、FBで繋がった方はガチ活動家も居る。呑気な発言にご指摘を受けてしまうこともあり、段々と慎重にせざるを得なくなった。

気が付くと、FBで建前を書く一方で、5ちゃんねると名前を変えた巨大掲示板群で趣味スレで伸び伸びと本音を書くことが増えた。

また、Twitterまとめサイトtogetterにもちょくちょく書き込んでいるんだが、こちらは今の若者の無邪気な本音なんだろうが、無意識的な保守傾向というか、与党大企業的なものに盲従する一方、労働運動権力疑義を持つ人たちへの冷笑的な姿勢が増えてきて、ちょっと疑問を感じることが増えてきた。

そんな流れから、きょう、アノニマスダイアリーを始めてみた。

匿名と記名を行ったり来たりして辿り着いたここが、自分にとってどんな遊び場になるかな、とワクワクしている。

まあ、FBで溜まった心の澱みたいなものを流し込む場になるのかもしれないけれど。

じゃ、よろしくね。

2017-07-28

MacWin話題はいつまでたっても定番だな。

初めてのパソコンとしてMacを買ったのがもう18年くらい前か。

2年ローンだっと思う。

PowerBookキーボードが半透明のやつ。

以前から仕事Macは使ってたけど自分のものとしてどうしても欲しかたから買った。

当時はアドビソフトとかモリサワフォントとかアレなやつが普通に業者間で回っててソフトに困ることはなかったな。

シリアル番号の一覧表も一緒になって同じLAN内ではこれとこれは一緒にしないようにとか注意書きがあって。

デザイン会社からパソコンといえばMac一択カメラキヤノン。みんなそうだからな。

印刷現場に行くとWindowsもあった気がする。もうあまり覚えてないけど。

ソフトの使い方はみんなでお昼に集まってワイワイやりながら覚えた。

当時はビル内に何個かデザイン事務所やら写植屋とかカメラマン事務所が同居してたからみんなで寄って新しく覚えたイラレショートカットを教えあったり。

しかったな。

そのうちインターネット上陸してきてWindowsを1台導入することになって、みんなで使いにくいとか分からないとか言いながらポチポチネットしてた。

富士通のやつだ。

ネットといってもまだ会社では常時接続はできなかったから使う前に社長許可してもらったり。電話メール送りましたよ、じゃあ今からネット繋げますねとか。

なんかけっこう昔の思い出って気がしてたけどまだ18年くらい前の話か。

こうやって思い出すと世の中の技術進歩ってめちゃめちゃ凄まじいな。

2017-06-07

ジョブズ没後のApple革新的製品を生み出せなくなった」みたいなことを放言する人たちが

革新的製品だと認めてるのはこのあたりでしょ?

1984 Mac

1998 iMac

2001 iPod

2007 iPhone

おそらくPowerBookNewtonなんて知らないだろうからそのあたりは外したけど。

40年の歴史で4つの革新的製品(十分に凄いことだ)。

しかし彼らはどうして毎年(どころか何かの発表会があるたびに)ジョブズガージョブズガーと喚いているんだろう。

そんな毎年のように革新的製品を発表していたイメージでもあるのだろうか。

まあ所詮ミーハーな連中だからApple歴史を振り返るような勤勉さはないんだろうなと思っている。

2015-06-09

Appleが何か発表するたびに新鮮味がない驚きがないジョブズがいなくなったからだと騒ぐのはもうやめてください

基調講演の締めに、いつものOne more thing ……」のフレーズを用いて、ジョブズCEOが用意していたものは、参加したデベロッパへ“Jaguar”のDeveloper Previewの配布だった。

Apple Computer「WWDC 2002」基調講演レポート(後編)

いま「One more thing」でEl Capitanのプレビュー版を配布されたら盛大に叩くんだろうなー。

お馴染みのフレーズOne More Thing……」で、ジョブズCEOが切り出したテーマPowerMac G5である

WWDC 2003レポート

いま「One more thing」でMacProの新型出されたら盛大に叩くんだろうなー。

お約束となった「One more thing……」は、PowerBookアップデートだった。

Macworld Conference&Expo San Francisco

いま「One more thing」でMacBookの新型出されたら盛大に叩くんだろうなー。

基調講演の「One more thing…」として公開されたのがMac OS X標準のブラウザであるSafariWindows対応である

【基調講演速報】Leopardに搭載される10の機能を紹介

いま「One more thing」でAndroidSafariを出されたら盛大に叩くんだろうなー。

アップルキーノートおなじみの「One more Thing」。今回は新製品ではなく、新機能FaceTime」だった。

【西田宗千佳のRandomTracking】WWDC 2010 基調講演詳報。“最薄”iPhone 4を発表 -AV Watch

いま「One more thing」で「iPhoneビデオチャット機能を付けます」だったら盛大に叩くんだろうなー。

そもそも今回のOSXiOSは安定性向上に注力したバージョンだって前々からリークされてたでしょ。

おじいちゃん、しっかりしてください

WWDC2015みて、Appleほんまに大丈夫かって思ってきた。:村上福之の「ネットとケータイと俺様」:オルタナティブ・ブログ

2014-08-15

The history of mobile computer

1989年東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界最初ノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在ノートパソコン標準的機能の原型が完成した。

1990年代中頃から国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコン出荷台数デスクトップパソコンを追い越した。

2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPad代表される新しい形態携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。

とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝代表される日本企業業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。

1980年代中頃:ラップトップパソコン

ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。

1984年 NEC PC-8401A

1985年 東芝 T-1100 海外のみで発売

1986年 東芝 T-3100 日本ではJ-3100

1986年 NEC PC-98LT

(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池フロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。

T-1100の仕様を示す

・CPU:80C86(16Bits)、5MHz

メモリ:最大512KB

ディスプレイ:80文字×25行(640×240ドット)

・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵

キーボード:83キーフルストローク

電池:ニッカド電池、8時間の動作可能

IBM-PC互換

サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg

1980年代末:最初ノートパソコン

最初ノートパソコン1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。

1989年 東芝 Dynabook J-3100SS

1989年 セイコーエプソン PC-286NOTE

1989年 NEC PC-9801N

発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初ノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。

J-3100SSの仕様を示す

・CPU:80C86(16Bits)、5MHz

メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)

ディスプレイ:ELバックライト液晶

・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)

電池:2.5時間使用可能なバッテリパック

・電源リジュー機能提供ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機

サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)

1990年代前半:IBM・アップルの参入

1990年代に入ると、IBMとアップルノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在ノートパソコン標準的機能の原型が完成したといえよう。

1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載

1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー

1991年 アップル PowerBook 170 世界初パームレストトラックボール

1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)

1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA

1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ表計算などアプリケーションをROM内蔵

1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶世界初トラックポイント装備

1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池駆動

1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート

1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載

1994年 アップル PowerBook 520 世界初トラックパッド採用

1990年代後半:国産各社のノートパソコン参入と普及

1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいこから人気が高まり2000年にはノートパソコンデスクトップパソコン出荷台数を上回る状況になった。

1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用プレインストールソフト多数

1995年 シャープ Mebius CD-ROM内蔵

1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量

1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート

1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート

1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学トラックボール搭載

1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)

2000年代前半:小型化、軽量化、長動作時間化の競争

2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的モバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。

筺体の軽量化

軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。

スリープ機能の高度化

パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。

SSD(Flash Solid State Drive)

SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要ノートパソコンに適している。しかし高価格である2004年から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。

ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格競争が進むのに伴い、台湾中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業技術向上により、現地企業生産だけでなく設計委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内生産している製品は、特に高度技術要求される小型の高機能パソコンに絞られるようになってきた。

2000年代後半:ノートパソコン多様化

2000年後半には、ノートパソコン多様化した。ディスプレイサイズ区分すると、次のようになる。

ディスプレイサイズ(インチ) 解像度 特徴

7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17

───┬─── ─┬─── ──┬──

│ ──┬──│──┬── │

│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイル意図せず高機能

│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用

│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準

│ サブノート 1280x 800 軽量を重視したモバイル

ミニノート パソコン全般機能ではなく、Web利用などに特化

ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視

ネットブック 1024x 600 初期は安価目的

シンクライアント、セキュアクライアント

シンクライアント(Thin client)とは、処理機能サーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。

1996年 オラクルシンクライアント概念提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。

1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表

1997年 マイクロソフトWindows CEベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表

それが2005年から外部記憶装置接続ができないこと、パソコン情報が残らないことが、セキュリティ観点から重視され、パソコンメーカーシンクライアントを発表、多くの企業採用検討するようになった。

2005年 日本経済新聞日立製作所パソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。

参照:日立「「日立パソコン利用全廃」記事に関しまして」

2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷

2005年 NEC MateシンクライアントVersaProシンクライアント 出荷

ネットブック

ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである2005年頃、発展途上国教育分野にインターネット活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産支援団体等を通して提供する計画が進んだ。

ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンマシンとしての重要が高まり2008年から、その用途目的とした機種も出るようになった。

2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来目的用の例

・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価

記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載

ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャ採用して、パソコンとの互換性あり

iPadの出現

タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。

2010年アップルiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。

2011-10-07

ドロップアウトしたら Apple で働くことになった話

Steve Jobsのスタンフォード大でのスピーチ翻訳ありがとうございます

ドロップアウトというほどでもないかもしれないけど、人生万事塞翁が馬、というお話NHK でのインタビューで SJ 本人も言ってますが10 年先なんて未来のことはわからないです

江島健太郎さんみたいな自分語りの話になってしまうんですが、私もベーマガで育った世代で、高校の時は N88-BASIC という今は懐かしい言語を叩いていました。

そのままパソコンどっぷりな路線を走っていれば、いちプログラマとして今頃どこかの会社デスマに参加していたのかもしれませんが、大学海外旅行に目覚めた私は、リアル世界のほうがおもしろい、これ、リアルドラクエじゃん!とパソコンのことは忘れ、バイト旅行を繰り返す大学生になっていました。1 年くらいぶらぶらしたりもしました。

海外のいろんな国のいろんな人たちの生活を見ていると、日本既定路線に乗ってあくせく働くのがなんだかおかしく思えてくるんですね。だって米ドル換算のお金では日本人はるか金持ちしょうが、そんなお金はなくてもみんな楽しそうに暮らしてる。何してるんだかわからない人たちがたくさんいて、だからって暮らせないわけじゃない。もちろん、通りすがり旅人に過ぎない私には見えてないものはたくさんあっただろうし、逆に日本にいたって皆が皆、杓子定規な生活を送っているわけでもないっていうのは、後になってまた悟るわけですが。

はいえ、これと言ってやりたいこともなかったし、大学勉強ももうやめてもいいかなと思いつつ、一応理系学生だった私はそのうち研究室を選ばなければいけない時期に差し掛かりました。当時は AI と称して人工知能とか流行ってたんですが、ここで昔の血が少し騒ぎ出し、ちょっとまじめにプログラミングをやってみるかと思い、情報工学系の研究室に応募したんです面接では僕は燃えます!みたいな受け答えをし、それなりに手応えはあったかなと思っていたんですが、蓋を開けてみたら、不合格でした。燃えますといいつつ、勢いだけで中身の伴わない若造だったから落とされたかなと、振り返ってみれば思います。真面目に勉強したいという人は他にもいくらでもいたわけで。

二次の応募とかもあったんですが、似たような結果で、最終的には一番人気のない情報工学とはまったく関係ない研究室への配属が決まりました。ちょっとやさぐれましたね。ところがこの若気の至りかプチ挫折のようなものがなければ、私は Apple で働くことにならなかっただろうし、間違いなく今の会社でも働いてなかったと思います

すっかやる気をなくした私は、その研究室でもメインストリームではなく、傍流のテーマをやることになりました。その傍流の研究リードしていた院生Mac を使っている人で、そこで私も研究室の隅にあった Mac を使うことになりました。Macintosh Classic でした。メインストリームNECパソコンとか使っていたので、そっちに行っていたら、やはりデスマ参加者になっていたかもしれません。

そして研究に夢中になる代わりに Mac に夢中になりました。Mac 雑誌を読み漁ったり、片っ端からフリーウェアをインストールしたりとかしてました。自分Mac も手に入れました。トラックパッド搭載の PowerBook で、以来、私はトラックパッド派ですThinkPadトラックポイント派の人とは永遠にわかりあえないでしょう。AppleMagic Trackpad をリリースしたときは、俺の時代がきたと思いましたね。

Mac に夢中になる一方で、大学を出たら何をしたいというのもなかったんですが、就職活動はしてみて、大きくはないがそれなりにおもしろそうな仕事を取って来てる会社に、システムエンジニアとして内定をいただきました。ですが、詳細はまた別の長い話になってしまうので割愛しますが、結局内定は辞退してしまました。大学は出たもののいわゆるプータローになったのです海外ぶらぶらしすぎると、良くも悪くも開き直ってしまうんですよね。

また海外に行ったりして、帰ってきたところで、たまたま声をかけられ、小さな事務所の立ち上げから手伝うことになりました。ここで偶然か必然か、社長Mac好きな人で、事務所で使うパソコンは全部 Mac を使うことになります。私はそのセットアップやメンテナンスをやることになりました。メイン仕事海外とのやりとりで、必要に迫られてそこでなんとか英語の読み書きも覚えました。

それからまたいろいろあって、その事務所をやめ、再びプータローになったのですが、Mac 好きは大学の時からずっと継続していました。Mac情報サイトを巡回するのが日課だったのですが、失業保険も切れそうだというある日、MACお宝鑑定団Apple Japan求人の話を見かけました。受かるとは思っていなかったのですが、失業中だしダメ元で応募してみることにしてみました。

面接はもちろんスーツで行ったのですが、Apple面接担当された方々は全員 T シャツしかApple T シャツを着て現れたのが、かなり印象に残っています別に毎日 Apple T シャツを来てるわけではなく、この日はたまたまみんな Apple T シャツになってしまった、と後から聞きましたが。面接自体はそんなにうまく受け答えができなかったと思いました。でも、なぜか採用通知が来ました。

振り返ってみれば、真面目に大学勉強してたら一般企業に行ってただろうし、第一希望研究室全然行けなくて、一番人気のない研究室のさらにマイナーテーマをやることになったおかげで Mac出会えたし、内定を辞退してプータローしたり、小さな事務所で Mac の面倒は何でも見なければいけなかったお陰で、その後の Apple での仕事につながる知識や経験を手に入れることができたし、そうしたことが折り重なって Apple で働くことができたのだと思います

私みたいな人間を雇ってくれた Apple、そしてその Apple を作ってくれた SJ には本当に感謝しています。Good bye, Steve.

2011-05-10

嫁が一心不乱に取っていたメモ

CPUcentral processing unitパソコンのいちばんだいじなところ

Intel → X86

IBM → PowerPC

・いろんな会社 → ARM

Intel会社)のX86win)と IBM会社)のPowerPCMac)は動かすための命令がぜんぜんちがう

↑むかしはmacwinでそれぞれのたんとうがわかれていた

PowerPCMacの上でwindowsつかえなかった

IntelWinのうえでmacはつかえなかった。

でもいろいろあってつかえるようになった。

ApplePowerPCをすてた。←マカーにとっては大事(MacOSのあたらしいver.はPowerPCはもうでなくて、Intelしかでなくなるから。)(いまいちばんあたらしいのが10.6(スノウレパードってやつ=Intelしかない)も iBookPowerPCで、最近のやつはIntelから入らない。)

Intelしかなくなったのはメーカーのつごう。

一因としてIntelは性能やコスパがいいCPUPowerPC

そうでもなくなってきた。そしてIntelノートPC向きでもあった。

でもどこの会社Intel X86をすてるかもしれない(微妙なとこ)。

それでARMに移行するかもしれない。

iPadにはIntelはいってない。ARMはいってる。

でもじゅうぶんパソコンみたいにつかえるから

一般むけPCARMでじゅうぶんなのでは?という声も。

でもphotoshop映像ソフト音楽ソフト…そういうのを

つかうひとたちはパソコンの性能をたかしたい。

そういうひとたちがあおりをくったときにどうなるか?

ARMはもともと省電力がうりで性能がうりのCPUはない。)

Appleは組み立て工場部品をあつめてくみたてる)

 (iPadとかを企画していろいろ部品をあつめる)

 (ほんとのくみたては中国とか台湾とかがやる)

IBM部品屋さん(CPUとかつくる)

演算装置processing unit)がいろいろ計算している

Intelピンチ?そうでもない。

パソコンだけではなく業務用の大きなコンピュータとかつくっている。

(業務用の大きいコンピュータと、パソコンの基本的なしくみは一緒。)

こわれてもだいじょうぶ、こわれにくい、そういうのをつくっているんです

省電力というテーマでつくったCPUという枠組みでARMというのがある

ARMという規格に適合したものをいろんなところがつくっている

Intelがつくる可能性もある(まだきいたことはない とだは)

次期windowsARM版が出る方向にあって 世界的なながれ

iBookプラスチック日常用)

PowerBook金属仕事用)(接続端子があますところなくついてる)(CPUがはやいのがのってる)

いまMacBookMacBookProがそういうわかれかたになっている(Proのほうがいろいろと性能がいい)

2007-08-01

もうMacなんて勧められない。

また起った。

こんどはiPhotoデータが消えたんだって。

デジカメ写真iPhotoにしか入ってなかったから、いままでの思いでが一瞬の強制終了でせんぶ消えてしまった。

前のPowerBookは前触れもなくハードディスククラッシュデータ全滅。次に買ったMacBook熱暴走フリーズ連続

デジカメ接続しても認識しない。もちろん対応しないメーカーも悪いけど、そんなのは使っている方には関係ない。使えないのには変わらない。

Skype 対応だから使えるだろうって、Windowsにしか対応していないウェブカムを買わせたどこかの店員。返品できたからまだいいけどね。

マックを使い始めて5年。私は特に大きなトラブルもなく過ごして来たけど、なぜか私がMacを勧めた友人たちはそんなトラブル連続

バックアップを取らないから悪い?どうやって?iTunesiPhotoファイルを保存している場所を認識している人がどれだけいるのだろう。

Windowsを使っていればわかるでしょ、たいていの物はMy Documentsに入っているのだから。

Macって、初心者にやさしいと思ってたんだけど、実際そうでもないってことがやっとわかってきたよ。

今更だけどね。みんなごめんね。私が嘘ついてたんだ。だって知らなかったんだもの。

 
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