自由なる電子音の戯れ──ケンイシイ、フレア名義の作品をハイレゾ配信開始
世界中のテクノ・シーンでその名が知られるケンイシイ。そのアナザー・サイドとも言えるフレア名義の作品『Leaps』がこのたびハイレゾ配信される。ストレートなテクノ・サウンドのケンイシイ名義の作品に比べ、フレア名義は彼のエクスペリメンタルなエレクトロニック・ミュージック・サイドを担っている。ある意味で初期のケンイシイ名義の作品に渦巻いていたストレンジな電子音の感覚を継承している名義でもある。本作はすでに1年ほど前からケンイシイが出演する会場や自身のアーティスト・サイトなどかなり限られた販路でCDとして売られていた作品だが、今回、待望のハイレゾ版がリリースされる。まさに音そのものを楽しむ、その作品性を考えればハイレゾでのリスニングにもってこいの作品と言えるのではないだろうか。
Flare / Leaps(24bit/48kHz)
【Track List】
01. Mole Tunnel
02. Downglide
03. Deep Freeze
04. Sympathetic Nervous System
05. Las Pozas
06. Iapetus
07. Parasympathetic Nervous System
08. Mousetrap
09. Shadows and Rings
10. A Year Later
11. Meanderings (Digital Edition Only)
12.Flying Fish (Digital Edition Only)
13.Deep Freeze (-71.2 °C Mix) (Digital Edition Only)
【配信形態 / 価格】
24bit/48kHz WAV / ALAC / FLAC / AAC
単曲 300円(税込) / アルバム 2,300円(税込)
INTERVIEW : KEN ISHII
10年以上のブランクの後に、2013年に突如復活を果たし『DOTS』という作品を発表したケンイシイのフレア名義。そして2015年にはさらに本作『Leaps』がリリースされた。フレア名義は本人もインタヴューで語っているように、それこそ自由なサウンド・メイキングそのものがコンセプトといった感覚のプロジェクトで、初期の作品から現在までにわたって、ケンイシイ名義でも世界を魅了してきた、オリジナリティ溢れる電子音──それこそデトロイトでもベルリンでもない、「ケンイシイの音」としてか表現できない電子音の、フリーフォームな表現が堪能できる作品となっている。本作『Leaps』も、電子音を楽しむという、テクノ・ミュージックの根源的なおもしろさに溢れた作品だ。メロディやグルーヴといった、ある種機能的な仕掛けに寄り添うのではなく(もちろんそういった要素もある)、音そのものに依存する、電子音楽の楽しさをストレートに追求した作品とも言えるだろう。
さて、本作は前述のようにすでに1年ほど前には自主制作で限られた販路でのみCDでリリースされていた作品だ。世界的なレーベルから、国内でもメジャー / インディ問わずリリースしてきた彼がなぜいまそうしたリリース形式でリリースしたのか? 本人に話を訊いた。
インタヴュー / 文 : 河村祐介
ダブとかレゲエは結構聴いてましたね、リー・ペリーとかキング・タビーとか
──2015年の8月ごろにまずは物販でリリースされていたフレア名義の作品が、今回ハイレゾ配信がはじまるわけですが。ここ数年、2013年の『DOTS』などフレア名義の作品がひさびさリリースされたり、2010年に過去作がリイシューされたりしています。2000年代にはフレア名義自体、動いていなかった名義になるわけですが、この名義でリリースされているのに理由はあるんでしょうか?
ケンイシイ名義の新作に関しては、つねに頭にあります。でもケンイシイ名義の場合は音楽の他に付随するもっとさまざまなアイディアを含めた大きなプロジェクトだと考えていて。ヴィジュアルやストーリーであるとか、そういったパーツがすべて揃った時点でケンイシイ名義はリリースするものだと思っていて。いまは、そういったものがリリースに足るほど揃っていないという状態かな。フレアのほうは音楽的にももっとイージーでストレートに出てくるものをリリースするプロジェクト。普段から機材やソフトウェアを使ってみたときに、おもしろいなと思ったところから作っていきます。リリースにしても、いわゆる「出し方」や「売り方」よりも音楽ありき、出したいからいま出すという感じですね。
──ケンイシイ名義のアルバムはいわば総合アート・プロジェクトで、フレア名義はもっと音楽だけを自由に表現するものだと。
いまはそういう風にとらえています。
──楽曲制作はどんな感覚で行うんですか? わりとフリーハンドにできたものから膨らましていくと。
そうですね。ワン・アイデアから広げていくのはどの曲も同じ。あとはダンス・ミュージックとしてのテクノ、テクノらしいフォーマットからは外れているというのはあるかな。だからテクノらしいテクノを作るときのような、ループやビートから含まらせて作る感じではないですね。むしろフレアはパッと思いついたアイディアや、機材を触っていて出てきた音がキーになることが多いですね、
──ちなみになんですがいわゆるDJで使うテクノらしいテクノ以外で、聴いている音楽ってありますか? フレア名義の作品に通じるような。例えば、ダブステップ的なリズム感なんかも本作の作風には遠からずみたいな感覚もあって。
でも1990年代のように、メディアを見ていわみゆる「これがいまきてる」みたいなもの、そういったトレンドを追いかけたりというのはないですね。むしろネットで能動的に音楽を探すとなると、昔、自分で聴いた好きなものとかになってきちゃうかな。テクノDJとしてのテクノのトレンドみたいな部分ではもちろん追いかけてるけど。
──なにかこう直接結びついてなくても良いんですがよく聴いてたなぁ、みたいなものは?
そういえばこのアルバムを作っていた頃、ダブとかレゲエは結構聴いてましたね。リー・ペリーとかキング・タビーとか。特に彼らの若いときの作品は細かく聴いていると普通に想像しうるダブ処理ではなく、その後ではやらないようなダブ処理を結構使ってて。機材的には、ディレイやエコー、リバーブとか、そこまで珍しくないもので、基本的なものをセッティングして、結構おもしろいことをやっているなっていう。それがたまたまわかったりするので細かく聴いてた感じはあって。
──イシイさんの口からレゲエが出てくるとは思いませんでした。
DJの用意とか関係ないときは、家でそういう他のジャンルのものも聴いてますよ。細かいペーパーワークとかしてるときは、例えばレゲエとかダブとか聴いてることも多い。それで、たまたまたそういう音源で「あっ」という部分があったりするんですよ。
──話を本作に戻すと、今回の作品はなにかに触発されたとかそういうものではなく、ご自身の内側というか、音そのものによって生まれた作品というか。
そうですね。なので聴いてくれる側のことは一切考えててなくて、ただ作りたいものを作り、もし誰かが聴いてくれたらありがたいという感じで。
いままで303系のアシッド音って使ったことないと思うんだけど
──制作に関してなんですが、いまアナログのシンセとかは使ってます? それともPCオンリーですか?
今回は基本PCにプラグインとかソフトウェアだけで。もうアナログの機材はほとんど使ってなくて。1曲目の「Mole Tunnel」はTB-303的な音をフィーチャーしているんだけど、これだけ303クローンのアナログ・シンセを使っている。x0xb0xというシンセがあって、それだけ唯一、アルバムのなかで使ってるアナログ機材。
──でもストレートにアシッド系の音色使うのイシイさん珍しいですよね。
あれは、サンレコさんの企画でガムランの滞空時間と共演したときに使ったのがきっかけ。いままで303系のアシッド音って使ったことないと思うんだけど、はじめてストレートに使ったと思う。
──あるときから制作はフル・デジタルになっていると思うんですが、変わった部分はありますか。それこそフレアの初期なんて1990年代中頃まででしょうから、フル・アナログですよね。
デジタル中心になってから圧倒的にいじる部分が増えたかな。1曲に詰め込める作業でできることが増えたということなんだけど。以前だったらハードウェアはセッティングによって変わったりとか、それが面白かったんだけど。デジタルだと、エデットの作業というのが制作環境がフル・アナログの頃より、自分的に10倍くらいに増えたと思う。それはできることが増えたということでもあるんだけど。
──作りこみすぎて終わらない怖さもありますよね。
そこがミュージシャンやプロデューサーのセンス。どこまでもいってしまう人もいれば、早めに終わらせる人もいるので、そこが勝負所ですね。
──ケンさんの場合どうですか?
自分は即決できますね。とくにフレア名義は自分がいいと思ったところが完成で、なにかのフォーマットにはめることはないので。逆にDJトラックの場合、DJがフロアで使われることが前提となっているので、フロアで聴いてまた直してみたいなことが多いですね。自分の感覚というよりは、自分の感覚にプラスして人の感覚でOKになるようにするというか。そのすり合わせが大変ですね。自分ではサウンド的にいいと思って現場でプレイしても、前後の楽曲と鳴りが若干違ったら直すし。ある程度完成してもそういう細かい直しがありますね。
変化するシーン、業界状況
──アルバムをまとめるというのもひとつジャッジじゃないですか。『Leaps』を作品として出すというジャッジにはどういった経緯があったのですか。
リリースという部分において、ここ最近のシーンを考えると、やっぱり自分がオールドスクーラーであるというのは意識としてどうしてもあるんですよ。というのも現在のエレクトロニック・ミュージックのシーンに関していえば、アルバムじゃなくてもEPというが楽曲中心で出してて問題はないんですよね。わざわざアルバムを出さなくても、名前を絶やさないようにEP単位でリリースしていればいいし。それにいかにメディアをうまく使うかで、ある程度はうまくいくと思うんですよ。でも自分の中で、そういうやり方はどうしても疑問に思えてしまって。自分はアルバムという作品を出して、それを聴いてもらうという古き良き音楽家のほうでいたいというか、そちらの見え方でいたいという気持ちもあって。あえてそこでアルバムを出したいないと。あと今回は全部ひとりで制作から流通から自分で面倒を見て、完全にインディペンデントでやってみたいというのもありました。
──今回はケンさん自身の、アルバム作品を出したいという強い欲求から生まれたという感じですよね。
そうですね。作るところからリリースの仕方まで全部やって、プレスやデザイン、あとはおまけをつけるとかも、そこも自分で探した業者に電話して、というのをやりました。だから音源以外のところでは、最初から最後まで面倒を見るというのも裏テーマとしてあって。プロモーションはちょっとマネージャーに手伝ってもらったけど。
──まずはじめに東京のアンダーグラウンドなテクノ・シーンにはじまり、いきなり海外のいくつかのレーベル、さらに〈R&S〉があってヨーロッパでもブレイク、日本ではソニー・テクノがあって、同時にインディなテクノ・レーベルでフレアなんかも出したりという活動を経て、今回は完全に自主リリースという。なんかすべてのフェイズを経験されているというか。
ある意味でいままでラッキーでしたね(笑)。今の音楽業界の状況は変化していて、アーティストが自分で自分の作品の面倒を見るのが結構増えてきていると思います。周りを見ていて、触発された部分はあって。
──ある意味でシーンの、レーベルの状況の変化から生み出されたアルバムということですか。
そういう感じはあると思う。
──すべてやってみて、ご感想はどうでしたか。
おもしろかったです。数字的な部分では残念な部分も見えるんだけど、そこが目標ではなく、自分が「こういう音楽を作りたい」「こうやって売りたい」という形で売るというのがひとつひとつの目標としてあって。それが思っていた通りにクリアできて。そこの部分での満足度は高いですね。どんなに作品の評判が悪かろうとも、全部自分のせいだと思えますよね。悪い評判があろうとも自分のせいにするのが潔くて良いなと思いました。
──まず物販ではじまって、今回はCDを一般発売して、今回配信ということなんですけど、手ごたえ的にどうですか?
ディストリビューターも通してなかったので、物販で売るというのはコアなファンにダイレクトで届けるというところで、ファンと直に触れ合うわけだからうれしいじゃないですか。でも届けられる範囲は限られていて、みんながみんなクラブに来たい人ではないから、聴きたくても聴けてないファンの人とかいてくれてるなと。
『ジェリー・トーンズ』の誕生によって生まれたフレアのコンセプト
──配信はそこにもいけますからね。内容の方になると、結構ストレートなテクノの曲も入ってて、例えば「Downglide」とかはケンイシイ名義のアルバムに入ってもすんなりいけるというか。フレア名義とケンイシイ名義の曲のバランスはどう考えてるんですか?"
自分のなかでふたつの名義の住み分けがあるとすると、曲のタイプを色で例えると…… ダイレクトな色はケンイシイ・プロジェクト。中間色とかはフレア名義かなと。なんとなく、ダンスビートであっても内側に向かってる感じはフレアなのかなと。
──たぶん初期はケンイシイ名義の契約のしばりもあっての別名義ということでフレアがあって、その後、フレアの色が決定していって、単体のアーティスト・プロジェクトとして育っていったという感じなんですか?
はじめの頃、ケンイシイ名義で〈R&S〉からリリースしていた12インチは鬱々としているというか、内側に向かっている曲も入っていて。もちろんそこにはダンス・ビートの曲もあったけど、その頃はDJカルチャーとは関係ないところで音楽を作っていたんですよ。それからあるときにアルバムを作りたいと〈R&S〉から言われて、その頃作っていた楽曲ででき上がっているものを20曲くらい送ったんですよ。それを当時の〈R&S〉の社長がアルバム用にピックアップした10曲が、あのアルバムだったんですよ。
──え、あ、それが『ジェリー・トーンズ』?
そう。それで彼が選ばなかったものがフレアの『グリップ』の10曲に。だからあの2枚は同じ時期に作ってる。で、それはそれで丁度良くテイストもそれぞれ分かれたんでフレアはその路線でいこうかなと決まった感じですね。
──『ジェリー・トーンズ』が外向きで、エクスペリメンタルなフレア名義の『グリップ』を作ったというわけではないんですね。
そこまで考えて作ってなくて、『ジェリー・トーンズ』がきっかけで分かれたというのが正しいかな。
──『DOTS』のアルバムが出る、少し前に、その『グリップ』を含む過去作が『トゥー・アルバム』として再発されましたけど。そのあたり『トゥー・アルバム』のリイシューによって、フレアのテイストを再発見したり、再評価されてフレア名義を復活させた部分もあるのかなと。
それはもちろんあって。普段は自分のアルバムを作るときにさんざん聴いてるから、リリースされた後にそんなに自分の作品って聴かないんですよ。もう、次に自分の気持ちもいってるし。でも『トゥー・アルバム』が出たとき、リマスターとかしたからがっつり聞くじゃないですか。何年も昔の自分の作品を聴いてみて、作る環境が違ってて、「この音どうやって出してたっけ」とか、意外に発見が多くて。完全に自由に作るのもいいなとその作業のときに思って。
──ケンさんの楽曲は、やっぱり音色のエデットみたいなものの独自さがまず浮かぶんですが。特にフレアの場合はそれが如実に出ている。やっぱり、ある程度音色が作れた時に楽曲に繋がっていくみたいな感覚はあるんですか?
うん。フレアなんかは特に、音を作っていて「これは決まったな」というのは自分のなかでもあるよね。「人の曲でも聴いたことがないし、自分でもこれは出したことがない音」というのができたときに一番楽しい。楽曲の構成もどちらかというと自分は聴いたことがない曲を作るということによろこびを感じるし。
ケンイシイとしての今後の活動
──ちなみにケンイシイ名義『Sunriser』以降リリースがないですか…… 。
いまのところ具体的な動きはないですね。でも、実は冒頭で言ったようにケンイシイ名義のプロジェクトは外側を決めてからやろうとしていて。そうそう、「Extra」のビデオ作った森本さんとかともちょくちょく会ってて。あのビデオを作ったとき、ふたりとも特別な気持ちで作ってたのはやっぱりあった。だから、なにか特別なものをいまのそれぞれのテイストで一緒に作れたらというのは話していて。もしそういったことが実現すれば、それこそ次のケンイシイ作品の柱になると思う。ケンイシイとしてテクノのトラックを作るというのは、そういうゴーサインが出れば早いと思うから。
──相変わらずDJでは世界中回られている感じですけど、最近おもしろかったところとかってありますか?
マニラ、フィリピン。マニラでプレイするのは18年ぶりで、その間にフィリピンのリゾート・アイランドのフェスでプレイしたことはあるんだけど、マニラはひさびさ。正直そんなにテクノとかダンス・ミュージックでインターナショナルなDJがプレイする上で名前が挙がる国じゃないじゃないですか。でもここ2、3年でシーンができてきて、いい評判が聞こえてくるんですよね。EDMとかのオーヴァーグラウンドのDJががっつり稼いでるのはフィリピンらしいって話もあったり。同時にアンダーグラウンドなクラブで、ひとつここ数年でかなり良くなっているという話があって。
──おお、おもしろそうですね。
テクノとかテック・ハウスなんかで良いアーティストがアジア・ツアーやるアーティストが、シンガポール、バンコク、香港とかに加えてマニラのそのクラブにも行くというような状況があるみたいで。知り合いのアーティストもけっこう良いって噂がちょくちょく入ってくる様になって。で、いざ行ってみたらアンダーグラウンド感100%というか。会場だけじゃなくてお客の質とか混ざり具合も、日本だったら1990年代半ばの新宿リキッドルームのフロアを思い出す感じで。
──ちょっと危うい感じもあるという。
そう。お客も地元の人間から、テクノ・クラシックに「ぎゃー」っていうような熱心なテクノ・ファンもいるし、水商売上がりのお姉ちゃんとかいたりいて。あとテクノ・パーティなのにラスタマンとか仙人みたいなのがいたり。今年上半期プレイした中だと、よかったなと思ったパーティが3つぐらいあって。そのうちの2つがスペインのビッグ・イベントで、もうひとつがダントツでそのマニラ。久しぶりに燃えたって感じ。こっちも汗だくになってプレイして、1時間くらいオーヴァーしちゃって。
──(インタヴューは5月中盤)来週はモンゴル。初ですか?
初です。ウランバートルは、130万都市なんで、いわゆるナイトスポットとしてのディスコ・シーンはあるんですよ。でも、そういう中でアンダーグラウンドシーンがこの2、3年でいいのができてきていると。そういうのは知らなかったんだけど、北京に昔から仲のいいミッキー・ジャン(Mickey Zhang)というDJがいて。彼は中国のテクノ・シーンのパイオニアだから、その流れで隣の国だからモンゴルのウランバートルに呼ばれていったらしいんですよ。テクノをやってる人間がいるらしく、行ってみたら思いのほかよかったと(笑)。そしたらプロモーターのDJが「ケンイシイのファンだから是非繋げてくれ」という話で。あと、モンゴル人の国民性的に飲んで踊って騒ぐというのが、がっつりあってパーティーが非常に盛り上がるという話も聞いてすごく楽しみにしてるんです。
──すごいですね。
その翌日が北京で、イントロ・フェスティヴァルっていう中国のなかで一番テクノに特化したフェスで。
──今後のご予定は。
フランスの〈Booty Call〉から配信のシングルが出たり。あとはこの『Leaps』のパッケージまわりをやってくれているデザイナーと一緒に、3DのCGと音源を合わせた限定のUSBメモリーでのパッケージを考えてますね。
ケンイシイ名義のアルバムを出していなくて、例えばクラブとかに興味があまりない人はブッキングされているのも見ないから「いま、なにをやっているのかな」と思うんじゃないかな。ビートポートのリリースとか、ヨーロッパのブッキング情報とかは、本当一部の人以外はわざわざ見ないでしょう。まぁ、いまはメディアも、雑誌とかに露出して、それを誰かが見てというのような感じでもなくて、見たい人が自分で探して見るにくるという感じだよね。だから、自分たちのことを知らない人たちに、その活動の情報を届けるというのは難しくなってきている。だからこちらもリリースのやり方だったり、伝え方や話し方を変えていかないといけないかなとは感じてるんですよね。
──最後に1点、昨年、横田進さんが亡くなられて、そろそろ1年ほどになると思うのですが。おそらく、1990年代初頭の横田さんといえば、ケンイシイと同時期に海外でも活躍された数少ない日本人テクノ・アーティストだと思うんですが。
1990年代初期の頃なんかはイベントでも一緒になってたし、微妙にジャンルじゃないけど、なんていうか同じテクノでも音楽のタイプが違ったから、活動を一緒にしていたという感じじゃなかったけど。でも、よく横田さんと話をしていたのは、ビジネス的な部分かな。海外のレーベルとどういう契約をしたらいいのかっていうのをお互いの経験を話していて。新しいジャンルだったし、海外のレーベルとの契約なんてほとんど先例がなかったし、まずどう話したらいいのかも誰も教えてくれる人がいないわけですよ。そこで例えばヨーロッパに行って直接話してきたときの話なんかをしてました。それこそ印税の計算書のこととかね(笑)。そういうのはよく相談の電話がかかってきたかな。そういう部分で、当時はアーティストのなかで数少ない同志という感じがしてた。一緒に楽曲を作ったりというのは残念ながらなかったけど、親しい関係になると話してくれることとかが結構おもしろくて。彼はテクノでアーティストとして活動する前からフリーのグラフィック・デザイナーとして仕事もしていて、それでバブルの頃に儲かったとか、逆に音楽をやりはじめてからお金なくなったとか(笑)。そういうのを近しい関係の人間にはパーティでノってくるといろいろ話してくれて。そういうのはなんか良い思い出だなと。
あとは横田さんは、とにかく多作。そこはすごいなと。つねに出したい作品があってリリースしてくれるレーベルを探しているという状態でしたね。追悼盤として再発されたものを最近聴いてるんだけど、しかも全く古臭くないんだよね。当時からタイムレスなことをやっぱりやっていて、しかもあれだけいっぱい作っていて、本当にすごいなと思ってます。
PROFILE
Ken Ishii
アーティスト、DJ、プロデューサー、リミキサーとして幅広く活動し、1年の半分近い時間をヨーロッパ、アジア、北/南アメリカ、オセアニア等、海外でのDJで過ごす。 ‘93年、ベルギーのテクノレーベル「R&S」からデビュー。イギリス音楽誌「NME」のテクノチャートでNo.1を獲得、その名を世界に知らしめる。'95年、アルバム「Jelly Tones」(R&S/SONY)をリリースし、大ヒットを記録。’96年には「Jelly Tones」 からのシングル 「Extra」のビデオクリップ(映画「AKIRA」の作画監督/森本晃司監督作品)が、イギリスの “MTV DANCE VIDEO OF THE YEAR” を受賞。世界に通用する音作りができる日本人のパイオニア的存在として、ワールドワイドで高い評価を得る。’98年、長野オリンピック・オフィシャル・オープニングテーマのインターナショナル版を作曲し、世界70カ国以上でオンエア。2000年アメリカのニュース週刊誌「Newsweek」で表紙を飾る。’04年、スペイン・イビサ島で開催のダンス・ミュージック界最高峰“DJ AWARDS”でBEST TECHNO DJを受賞し、名実共に世界一を獲得。’05年には「愛・地球博」で政府が主催する瀬戸日本館の音楽を担当。2010年東京都現代美術館で行われた「サイバーアーツジャパン」に出展した3Dインスタレーション作品への参加や、ミッドタウンの館内BGMのミックスを2年間担当するなど、楽曲制作、DJに加え様々な活動を展開。翌年それらのインターナショナルな活動に、世界的通信社「ロイター」が注目し報道配信。全世界の新聞、雑誌などで10億人が目にすることとなった。そして新たに立ち上げたプロジェクト「Ken Ishii presents Metropolitan Harmonic Formulas」で菊地成孔、Emi Meyer、Jazztronik、Alex from Tokyo、Masaki Sakamotoとコラボレーション、Mr. Fingers「Can You Feel It」、Soft House Company「A Little Piano…」をカバーし、他のアーティストや異ジャンルの音楽ともクロスオーバーするエレクトロニック・ミュージックを作り上げた。’13年は世界デビュー20周年を迎え、4月にドイツのトップ・レーベルSystematic Recordingsの主宰者マーク・ロンボイと共に初のコラボレーション・アルバム「Taiyo -2CD-」をリリース。’14年20周年時に撮影したドキュメンタリー「Ken Ishii On The Move」をYouTubeで配信。2015年にFlare名義でアルバム「Leaps」をリリース。「自由なテクノ」を奏でている。昨今は海外、国内問わず様々なレーベルから作品を発表し続け、今年もDJ、作品発表と世界をフィールドに精力的に活動していく。