はてなキーワード: 首里城とは
最近いろいろ出てきすぎて首里城の管理が国から沖縄県に移されて即焼失したのとか故意に起こされた噂本当なんじゃないかと思えてきた
琉球新報に8億5千万円貸与へ 自民、県の予算案疑問視(八重山日報)
#Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/be0a74856f191d56b9535c034c3aa53eb00e5c47
米国に営業実態ない株式会社、沖縄県議会委が事務所関連経費含む決算不認定「支出の正当性覆す事態」(読売新聞オンライン)
#Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/72244b83ea44e2fed1a21241fe24a495cbb14068
沖縄・玉城知事「報道差し控えるべきだ」辺野古抗議活動で警備員死亡事故の映像報道を批判(産経新聞)
#Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/4b59a28fba5c0bc4d57b1186a652232a9b920121
「自衛隊は憲法違反。だから自衛隊は解散せねばならない」「自衛隊の前提を当然とする日本国民はネトウヨ」とする必要がある。ところが、今やリベラル自身が「自衛隊がいるから改憲は不要」とか言い出す。
憲法の条文が1文字も変わってないのに、なんで日本の護憲派は、半世紀もたたないうちに、意見が180度変化するんだよ。頭いかれてるんじゃないか?
かつては、暴力を奮ってでも、住民票の受取拒否など、それこそ憲法違反な行為をしてでも、自衛隊員を自分たちのそばから追い出そうとするほど嫌っておいて、今困ったら「助けてください」だって? 馬鹿も休み休み言えよ。
https://www.asahi.com/2004senkyo/news/TKY200406300351.html
「憲法の明文の規定と照らし合わせれば、違憲であると言わざるを得ない」と述べ、旧社会党時代の94年に「自衛隊を合憲」とした党の見解を変更する考えを示した。福島氏の個人的な考えであり、党として見解を変更するかどうかは、中期的な指針である「社会民主主義宣言2005」を採択する来年秋の党大会で正式に検討される見通しだ。
https://www.jcp.or.jp/seisaku/006-0609/kenpou9jyo_yougo.html
そして私は、自衛隊が憲法違反といわれるのがいやなら、憲法九条を取り払うことでこの矛盾を解決するのではなくて、世界に誇る憲法九条の完全実施に向けて、憲法違反の自衛隊の現実を一歩、一歩変えていくことこそ政治のつとめだ(拍手、「そのとおり」の声)、こう考えるものであります。(拍手)
https://www.asaho.com/jpn/bkno/2008/1117.html
https://ajda.jp/publics/index/124/
憲法学者の7割が「違憲」の存在と語り、又、小学校の教科書では《自衛隊については憲法と照らし合わせて様々な意見が交わされている》とされ、中学校・高校では《政府は合憲と解釈し学界や判例には憲法違反もある》と記されています。
この様に憲法に根拠が無い事から日陰者扱いをされ、支える家族もつらい思いをしているのが現状です。我々は24時間365日、命をかけて日本の平和と安全を守ってくれる自衛隊の皆様に「自衛隊さんありがとう」の感謝の気持ちを込めて『自衛隊』を憲法に明記し自衛隊に誇りと名誉の回復する活動を青年部会の輪を広げ、47都道府県に組織するべく邁進致します。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/703510
「入学書類は受け取らない、帰れ」と怒鳴ったという。当時20歳の海上自衛隊士長、大旗清さんの経験だ。仕事に生かそうと選んだ電気工学科。自衛官だからという理由で一度も受講できないまま1年後に退学した。
大学側は一時、入学を保留した。当時の本紙に「事実上の不許可」と書かれた対応は、反戦運動をする学生たちが学内封鎖や授業ボイコットに及び、本人にも危害が加わりかねないため-とされた。一転して入学を認めた後、予測は当たった。
首里城跡にあったキャンパスに通う大旗さんを見つけると、追い出す学生たちがいた。時に竹ざおや棒、拳で突き、蹴り、石を投げた。教室に連れ込んで2、3時間、150人ほどで詰問した末に「帰れ」「入学認めないぞ」などと怒号を浴びせた日もあった。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/687565
日本復帰前後の自衛隊は県民の激しい反発を受けた。配備が本格化すると、自治体が自衛隊員の転居手続きを拒否。成人式への参加を拒まれるなど、地元の「反自衛隊感情」は、一層高まった。
https://w01.tp1.jp/~sr10697360/kiginomidori.html
66年12月に同学会委員長に選出され~67年12月まで2期つとめましたが、思い出深いのが全学で闘われた自衛官入学反対闘争です。工学部院生協議会を中心に60年代に入って取り組まれてきたこの闘いはついに全学学生大会・全学ストにいたり、奥田総長との大衆団交で「京大
『医療に協力したら何が帰ってくるの?』という先日話題になった投稿。
正直、私はなにも帰ってこないと思っている。なぜなら、私が「もしコロナがなかったらやっていたこと」は、「コロナが終息した後の世界」ではもう二度と手に入らないものだからである。
少し自己紹介をする。私は現在高校3年生だ。つまりは数日後、共通テストがあるわけで、その直前にこんなものを書いている時点で気が触れているのがわかってしまうのだが、以降は割と感情に任せた文章なので、途中少し話が逸れても許してほしい。
それから、ここで私がしたいのはあくまでも感情の吐露や、いわゆる「若者」と呼ばれる私のリアルな気持ちを皆さんに見ていただくことであって、だから医療に協力するかしないかとか、そういう論点を作り出すことではない。
Twitter上なんかでもよく言われるのは、私の世代であるこの2002年〜2003年生まれは災難続き、みたいな話で、いわゆる大学入試がセンター試験から共通テストに変わる世代、修学旅行の行き先でことごとく見たいものが修繕中(日光東照宮・清水寺・首里城)の世代、である。
それに加え、どうやらWikipediaを見るとゆとり教育から脱ゆとり教育へのちょうど移行期間の世代であるらしい。
まあ、何かと災難続きな学年らしいことがわかる。でもそういうのは結局、文章にすると大変なように聞こえるネタなだけで、これまでそんなに「自分は大変な年代に生まれた」と自覚したことはなかった。
しかし去年の夏、私にとっての最大の災難が訪れてしまった。高校の文化祭が開催できないことが決定したのである。たかが文化祭、と思われるかもしれないが、私の高校の文化祭は、多分、殆どの他の高校の文化祭よりも意味が重い。
全学年がクラスごとに劇やミュージカルを行うのだが、毎年夏休みを返上して行われる(本当に毎日学校に行くので夏休みは実質ない)準備のおかげで、特に3年生の劇のクオリティは、かなり高い。魂のこもったものになっている。初めて見た時ひどく感動して、他の高校の見学もしていないのに、それだけでこの高校への志望を決めたほどだ。
しかし、コロナ禍においては、「ひとつの教室の半分のスペースに何十人ものお客さんを詰め込んで、窓にもドアにも段ボールを貼って外光を遮り、換気扇はともかくクーラーもまともに効かない教室で80分間ぶっとおしの劇」を行う文化祭は、「三密」以外の何ものでもなかった。
代替案として、最初はそれぞれの劇を配信で、という話だったのが、同じ教室内に数人以上いてはいけないとか、横2メートル以上開けてないといけないだとか、どんどんよくわからない規制が加わって、最終的に劇はできなくなった。
実行委員の生徒も、なんとか開催に漕ぎつけようと奮闘してくれた先生たちも、悔しい思いだったと思う。
文化祭がやりたくて高校に入ったのに、今年の夏は今まで一番熱い夏になるはずだったのに、それが目の前で突如奪われたのである。私にとっては、野球部員にとっての甲子園と同じくらいの意味があった。私のこれからの人生が輝くものになるかどうか、文化祭にかけている。大袈裟だとわかっているが、それぐらいに思っていたのである。
しかし、1番暑い日が来る前に、私の青春は帰らぬものとなった。
みんなで夜遅くまで残って暑い中だらだら作業することも、他のクラスに勝とうと歌の練習を頑張ることも、帰りにコンビニでアイスを買い食いすることも、二度とできない。
高校で過ごした年月が二度と戻らないのは、大人の皆さんならきっとよくご存知だろう。卒業してしまったらみんなバラバラになる。あのメンバーは、あの教室は、あの夏は、二度と戻ってこない。私のものだったはずの青春は、もうどこにもない。
このやるせなさ、虚無感は、去年一年で文化祭に限らず何かを失った人にはきっと伝わると思う。
今、正直に言ってしまえば、私が1番今欲しいものは、大学の合格でも、はたまた給付金でもなんでもない。いつになっても帰ってこないもの。どれだけ医療に協力しても手に入らないものだ。
けれど、医療に協力しなかったとしても、結局1番欲しいあの日々は帰ってこないから、せめて家族や友達を守るために、私は外に出ない。
残りの受験期間を、存在するのかどうかあやしい「楽しいキャンパスライフ」のために、どこかもやもやした気持ちを抱えたまま生きる。きっと、何年経ってもこのもやもやは消えることはないだろう。