これからどういう友達付き合いをしていきたいのかにもよるんだけどさ…。
俺は友達に勧められたアニメが合わなかったりイマイチだった場合は、
「最後まで見たけど…いくつか納得いかない部分があって…」と感想を言うようにしてるよ。
「○○の部分がどうしても納得いかなくて」とか「××ってちょっと酷すぎねーか?」とか「あの△△は何だったの?」とか、なるべく細かい部分を突っ込んでみる。
○○、××、△△ = “主人公の性格”、“中盤のストーリー展開”、“ラストシーン”、とか何でもいい。
そうすると、友達には「ああ、コイツ文句言ってるけどちゃんと見てくれたんだな」って事が伝わるからな。
一応自分なりにそのアニメを理解しようとした事を示すというか。
で、
友達はそのアニメについて語りたいわけだから、自分のツッコミや疑問に対して「いや、○○はそうじゃなくて……」と色々説明してくれるだろう。
こっちも聞き上手になり、友達の解説が終わったら「なるほど、そういうことか!」と言えば会話がまとまるよ。
増田にアニメを勧めてきた友達は、今はまだ「俺の好きなアニメを増田に勧めよう!」レベルかもしれないが、
増田が色々と細かく突っ込む事で(それを繰り返す事で)、「増田はこういうアニメを求めてるんだな」と学習するようになるから、
“増田に合わないアニメ”を勧めてくる頻度は減るんじゃないかなぁ。
あと、自分のほうから“自分の好きなアニメ”をたくさん挙げて、自分の好みを相手に教えるのもアリだな。
俺は友達に勧められたアニメが「内容は糞だったが、OPはすごく良かった!」時に、
友達に「OPめちゃくちゃ良いな! CD買ったわ!」と言った事がある。
合わなかった部分(内容)にはほとんど触れず、自分が良かったと思う点だけ絶賛する「一点突破」スタイルな。
色々書いたけど、
日々つらいことがあってもガマンしてるうちらがそれを賞賛されることはないのに、実際に殺した奴が出てきたら「もっとよい環境を」だの何だの言われるのは、おかしいというか、理不尽ではないかい?
皆、職場だの、家庭だの、地域社会だの、憎い相手が山程いるけどガマンしてるだろ?
なんでガマンできない奴が出てくると途端に同情的になるんだよ
お前ら、普段、追いつめられて自殺した人が出ても何も思わねーだろ
だいたい相模原の事件なんて犯人はでっかい刺青入れたDQNじゃねえかよ
被害者は、犯人にとっては憎たらしい奴も多かっただろうけど、大して接点無かったのもいるだろうし、ヘタしたらまったくの入れ違いもいたかもしれないだろうよ
こういう時ばっかり社会を憂う立派なお人になってんじゃねえよ
まったくやってらんね
以前、3日に一回程のペースでブログを書いていた時期があった。
当時は慣れない土地で一人暮らしを始めた時期で、その時に書いていたのは自分のなかのドロドロしたものや、自分の中で処理しきれない葛藤を書いていた。
ドロドロしたものや葛藤と書いたが、要は自分の置かれた境遇に対して一方的に被害者面をしながらひたすら周囲への恨みつらみを書いていた。
今思い返すとその時の自分は、自分の身の周りを取り囲む環境や、さらにその周りを取り囲んでいる社会というものを、何か得体の知れない怪物のようなものだ、というイメージで捉えていた。
そしてブログに文章を書くことで、その怪物とどうにか闘っていくのだ、と当時の自分は考えていた。
その後所属する組織が変わることで、社会から隔離されたような不安定な身分から、それなりに安定した社会的身分を得ることが出来て、プライベートの人間関係でも新たな要素が加わったりするなど、公私ともに安定した生活を得ることが出来たが。その一方で、ブログを書くという習慣はその頃から無くなった。
特に大きかったのは、プライベートできちんと話を聴いてくれる人が出来たことで、それ以来ブログを書きたいと思うことはほとんど無くなった。
自分が何かを悩み始めれば、電話なりLINEでいつでも聴いてくれる人が出来たので、1人で悶々としたものを内に抱え続ける必要が無くなった。
ただそれだけの話なのだが、当時の自分、血を滲ませるようにブログに文章をつづっていた当時の自分はそれを聞いて納得するだろうか。
社会と対峙するつもりでブログに文章を習慣的につづり続けるという行為は、公私の生活が安定し始めた途端に消滅してしまったのだと当時の自分が聞いたらきっと、じゃあ自分が自分なりに誠実に書いていたそれらのものは一体何の価値があったのだ、と感じて悲しくなったり、社会的身分が安定して私生活が充実したからといって、ひとりで世界に対峙する思考を捨ててしまったお前は腰抜けだなどと今の自分のことを責めるだろう。
当時の自分は、周囲への怒りを原動力にして自分を取り巻く環境や社会を糾弾し続けることが状況を前進させるのだと思っていたし、それが社会にとっても有意義なことだとさえ思っていた。
あのときはブログに文章をつづることがいずれ、この境遇から少しでも自分を進ませることにつながる、と考えていた。
あるいはブログに文章をつづることは、このクソ現実を変えるための有意義な行為であるかのようにすら感じていた。
それは有意義もなにも、自分が辛いのはこの世界を作ったお前らのせいだ、と自分が苦しいのを自分を取り巻く環境のせいにすることでしかなかったのに。
当時の自分は、自分が辛い状況に置かれることになった大本の原因は自分を取り巻く環境や社会にあるのだ、と決めつけていた。
そしてそういう思考の枠組みが、単なる思い込みであることに気がついていなかった。
今振り返ると、当時の自分は、自分を取り巻く世界と自分自身とを対立させてしか物事を考えることが出来てない。
社会vs自分、という構図でいつも物事を考えていたし、その二項対立に固執していたのだと思う。
そしてその二項対立から導き出される「社会」というものは、現実に自分の身の回りを取り囲む、顔の見える範囲での人との関わり方というものからは乖離した、自分の頭の中だけで作り出されたものだった。
現実に自分の周りにいる、顔の見える人たちとの関わり方に対して責任を果たそう、という考えを持つことは無かった。
そして現実に実際の人々と関わりを持つことを避けてきたために、自分の頭の中で「社会」というものは、ひたすら暴力的な衝動に突き動かされて自分のことを搾取する理解不能な怪物のようなものだ、という考えばかりが占めるようになった。
そもそも当時置かれていた環境は、今思い返すと、そんなに思い悩んで苦しむようなものだったのかすら怪しい。
一人で勝手に苦しんで、一人で勝手に状況を悪化させていただけだったように今は思える。
当時の自分はどうしてそこまで頑なに自分を世界から切り離して物事を考え続けていたのだろうか。
どうしてそのような二項対立は公私の生活が安定することでいとも簡単に消し去ったのか。
けっきょく私は、自分の周りの世界に対して、どうして自分の欲求を満たしてくれないのだと怒っていただけなのだと思う。
どうして自分の欲求に沿った環境を用意してくれないのだ。どうして皆もっと私に構ってくれないのか。そう思っていた。
いくつかの偶然と幸福が重なって、私のその欲求のいくつかは叶えられた。欲求が満たされない頃は赤ん坊のように泣き喚いて不満を表明していたが、腹が満たされオムツを替えられると、また母の胸の中ですやすやと眠り始めた。
だから、あぁそうだ、自分はたまたま幸運が重なって、母乳で腹を満たされ湿ったオムツも変えてもらえたから、それで泣き喚くのを止めただけなんだ。
元解剖学者の養老孟司さんや元検死官の上野正彦さんの本を読んでみると、その不安をどうにかする多少の足しにはなると思う。
アマゾンでどうぞ。
具体的に何だったの?CHINGE入り餃子なら流石にやむなしだぞ。
「油汚れでお困りはないですか?」
って言うから
って言ったら、すごい画期的な洗い方を教えてくれた
っていう夢を見た
起きたら何故か汗だくだった
ちなみに洗い方は忘れて相変わらずたわしは油まみれだ