広島市中区の上野学園ホールで上演中の劇団四季ミュージカル「キャッツ」。広島県廿日市市出身の舞台美術家土屋茂昭さん(73)は1983年11月の日本初演から「満月の夜の都会のごみ捨て場」という世界観を支え続け、「劇団四季の原点」として愛情を注ぐ。41周年を迎えた広島公演の初日も1階最後列から熱演を見守った。
初演から41年「ごみ捨て場」の世界観構築
1カ月半かけて完成させた劇場。客席を包み込む2千点以上の「ごみ」のオブジェは、何年もかけて1点ずつ手作り。グロールタイガーがシャム猫軍団と戦う海賊船の場面をはじめ、舞台装置も華やかだ。「日本のキャッツは世界中で最もスペクタクル」と胸を張る。
劇団四季は53年に旗揚げ。率いた故浅利慶太さんは当初、劇団名に「劇団荒地」を提案したという。深く親しんだT・S・エリオットの長編詩「荒地」の影響だった。土屋さんは高校卒業と同時に上京し、72年に劇団入り。エリオットの詩集が原作の「キャッツ」で初めて舞台美術を任された。「初日の3週間前、浅利さんから駄目出し。一から全部やり直した」と生みの苦しみを振り返る。
当時の劇団四季は大胆な「賭け」に出た。「キャッツ」制作と並行し、ロングラン公演できるテント式の専用劇場を計画。大小の稽古場やアトリエ、道具を収める倉庫を造り、オンラインのチケット流通システムを構築した。「成功ならちょうちん行列、失敗なら解散」と励まし合い、結果は大成功。今日に至る。
最初に歌う「ジェリクルソング」の歌詞に「生まれたのか 闇の中に おそれないか 何者をも 黙ったまま 耐えて強く 生き抜けるか その孤独を」とある。「当時の演劇界を批判して孤立無援だった浅利慶太。劇団がたどった歩みや思いを絡めつつ、言葉を選び意訳した」と代弁する。
「いい作品は長く演じ続けることができる」。劇団四季に28年間在籍し、今もフリーの立場で「キャッツ」の舞台美術監督を務める。「文化の東京一極集中を排除し、東京や大阪と同じクオリティーとボリュームを備えた舞台芸術を地方都市に届けたい。生の舞台に触れた若者が、この世界に入ってくれるのが何よりの喜びになる」(渡辺敬子)
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広島公演は中国放送、中国新聞社などの主催で来年2月23日まで。中国新聞社読者広報部、中国新聞販売所、セブンチケットはS席のうち「一般S1席」を扱う。劇団四季オンラインチケットなどで他の席種も含め販売する。読者広報部Tel082(236)2455。