デビュー以降
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2006年 - 桜井ひな、藤崎まやと共にフォーミュラ・ニッポン「ディレクシブレーシングガールズ」としてレースクイーンデビューをするが、チームの突然の撤退により第5戦で活動終了する。 2007年 - 「sabraブロガール選手権」出場。その後、ブランクを経て「種子島出身の貧乏アイドル」として知名度を上げる。 2007年 - クリスマスに恋人に振られた寂しさから睡眠薬を服用し自殺を図ったが、一命を取り止めた。 2008年夏頃より - テレビのバラエティ番組にも多数出演するようになった。 2010年2月28日 - 東京マラソン2010に参加。レース前に「『ゴールさえすればいい』とチャライことを言っていた西尾さんには負けたくない」と、西尾由佳理(フリーアナウンサー、当時:日本テレビアナウンサー)を挑発する発言をするが、西尾は完走し、上原は天候と故障している足による影響で意識を失い、スタートから25km地点でリタイヤとなった。 2010年3月29日 - 母親が心筋梗塞で他界したが、本人は仕事で最期を看取れなかった。この時初めて家族全員が集合して葬儀を行い、記念撮影をした。だがショックは大きく、以後精神的に不安定な様子が見られたという。
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デビュー以降
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1979年4月25日、24歳。北鎌倉の明月院が舞台の「あじさい寺」でテイチクよりレコードデビュー。 故郷荒尾に後援会ができ、大牟田市民会館にてデビューコンサート。(ゲスト高木麻早) 1981年、全国キャンペーンやライブを重ねていくもなかなか思うようにならず、表現力をつけるためにとTBS緑山私塾のオーデションを受け、一期生(田中美佐子他)に合格。TBS東芝日曜劇場「たった一人のお客さま」の杉田かおる恋人役で役者デビューする(1981年8月16日)。TBSポーラテレビ小説「愛をひとつまみ」(1981年10月5日-1982年4月2日)では大分の同級生役。教育映画「山並み映えて」主役。TBS東芝日曜劇場「わたしの家族」では木村理恵の恋人役。 トリオレコード移籍第1弾シングルレコード「風のアルペジオ」(作詞 来生えつこ)発表。アルバムレコード「風のアルペジオ」発表。 1982年、FM東京「関島秀樹のミュージックイマジネーション」(全国8局ネット)でDJデビュー。 シングルレコード「うつろい」(編曲 菊池ひみこ)発表。 1984年、仕事で行った京都で新番組のオーデションに飛び入りし、KBS京都「パンプキンスクエアー」で初レポーターを務めることに。 TBSサ・サスペンス「復讐するは我にあり」(1984年4月7日)で刑事役熱演。 1985年、KBS京都「鈴木邦男の家内安全」(テレビとラシオの同時放送)で日本初のシンガーソングレポーターを務める。 1986年、荒尾総合文化センター完成記念チャリティーコンサート。 KBS京都「松山英太郎の京都江戸組参上」で京都見回り組レポーター、「関島秀樹の風のアルペジオ」のDJ担当。活動の中心を関西に移す。 1989年、TBS「水戸黄門」、映画「グリーンボーイ」(主演 森田健作)、土曜ドラマなどに出演。 アルバム「Good Bye Yesterday」「夢をかさねて」発表。 9月、歌ではなく、役者やタレントのような仕事が中心になっている自分をもう一度見つめ直そうと、日本での仕事をすべて捨て小さい頃からの夢だったアメリカに旅立ち、単身ロサンゼルスで生活を始める。 1990年、1年半のアメリカ生活で、本場の音楽やミュージカルに触れたものの、やはり自分には自分で作る日本語の“歌”しかないと帰国。 1991年、結婚。活動の拠点を完全に京都に移す。KBS京都「JRAターフジョッキー」、和歌山放送「サタデーハッピーライン」DJ。 1993年、シングル「夢釣人」(キングレコード)発表。 1994年、滋賀県に移り住む。長女 セリイ誕生。びわ湖放送「おはようびわこL」キャスター。 デビュー15周年全国ツアー。アルバム「愛する人の住む街へ」発表。 1995年、「生きたらよか」(「帰らんちゃよか」の原曲)誕生。 1996年、ばってん荒川さん「帰らんちゃよか」(キングレコード)発表。 「湖族の歌」「BUSON '96」(大阪市都島区企画与謝蕪村生誕280年記念)発表。国境なき医師団支援ライブ。 1997年、次女 まりえ誕生。 宮崎滔天、宮崎八郎のイメージソング「風走れ」誕生。アルバム「セレナーデ」、シングル「熱情」(HIV感染者の詞)発表。 1998年、「24時間テレビ 「愛は地球を救う」」KKT(くまもと県民テレビ)パーソナリティー始まる。 第10回全国龍馬ファンの集い荒尾大会(参加600名)で「龍馬の夢」誕生。 1999年、デビュー20周年全国ツアー。アルバム「前略、生きてます」、シングル「ほんとうの勇気」発表。 2000年、韓国ソウルにてライブ。「慶州ナザレ園」訪問コンサート。ロサンゼルス熊本県人会100周年で歌う。 2001年、熊本山鹿八千代座公演、芝居「帰らんちゃよか」でばってん荒川さんと親子として共演。シングル「龍馬の夢」発表。 2002年、シングル「てんごの夢〜桜のように生きた男の物語〜」(国鉄バスの車掌佐藤良二さんの物語)発表。第1回さくら道バスツアー。 2003年、アルバム「びわこからのメッセージ」、シングル「玉高を忘れない」(母校熊本県立玉名高等学校、創立100周年に寄せて)発表。京都リビングエフエム FM845「じゃんけんぽん」スタート。 2004年、デビュー25周年全国ツアー。荒尾総合文化センターでは、最初で最後のばってん荒川、島津亜矢、関島秀樹3人での「帰らんちゃよか」が実現する。 「稲むらの火~津波から村人を守った男の話~」発表。多くの反響。 島津亜矢さん「帰らんちゃよか」(テイチクエンタテイメント)発表。 熊本県誘友大使に任命される。 2005年6月23日、愛知万博(愛・地球博)地球市民村にて「稲むらの火」を世界にアピール。ロサンゼルスで開催の「滋賀県人会世界大会」で歌う。内閣府ホームページの「防災情報のページ-稲むらの火と津波対策」に「稲むらの火」の歌詞と楽譜が紹介されている。 2006年、アルバム「拝啓 元気です」「やさしさをありがとう」発表。中国旧満州を訪れ、ノモンハン・虎頭要塞などに平和の桜の植樹と歌を届ける。 2007年2月11日、ロサンゼルス「L.A龍馬会」発足式で歌う。母方のルーツ、埼玉県東松山市の正代を初めて訪れる。 3月25日、熊本県山江村にて神山征二郎監督作品映画「さくら」上映&トーク・関島秀樹コンサート。 7月16日、荒尾梨100周年事業オープニング記念大会(荒尾総合文化センター)にてコンサート。荒尾梨の先駆者でこの日表彰された関島増男(1979年1月14日他界 享年91歳)は祖父。 7月28日、大阪「堺龍馬会」発足のお祝いで歌う。 「生きたらよか~ばってん荒川さんに捧ぐ〜」 シングルカット。(2006年10月22日、69歳で亡くなったばってん荒川さんの追悼CD) 8月12日「ばってん荒川さん追悼公演」熊本市民会館ホールにて、島津亜矢さんが「帰らんちゃよか」、関島秀樹がその元歌の「生きたらよか」をそれぞれ歌う。 2008年、映画「荒木栄の歌が聞こえる」に出演。万田坑で「仲間のうた」(作詞 大江将精 作曲 荒木栄)を歌う。 2月10日、あらお観光大使(熊本県荒尾市)に任命される。 熊本城築城400年記念曲「威風堂々」を熊本の歌手、西岡はるみさんに提供。 4月、週刊ポストに「帰らんちゃよか」がすぎもとまさとの「吾亦紅」と共に取り上げられる。 7月4日、クラシック音楽の殿堂銀座王子ホールにて日本の叙情を歌う。(企画・構成・朗読 中田薫 - 元NHKアナウンサー) DVD「コンクリートの街で」(王子ホールでのコンサート収録)発表。 11月4日、春に堂坂ヨシ子さんより伝授していただいた 正調「五木の子守唄」を、五木のかやぶき民家にて堂坂さんをはじめ村民らの前で披露。 12月、クラフト復活ライブで「生きたらよか」を三井誠さんのギターで歌う。 2009年、歌で出演した映画「荒木栄の歌が聞こえる」全国で公開。 1月22日、2008年4月から1年間、51回にわたって東京新聞に連載された連載企画「東京歌物語」で「帰らんちゃよか」が取り上げられ作者として紹介、同名の単行本が出版される。 デビュー30周年を全国ツアー。荒尾総合文化センター大ホールでは、ゲストの小阪明子さんと「あなた」を歌う。 アルバム「故郷の歌が聞こえる」、シングル「ひとすじの光 -熊本藤崎台球場の千年のクスノキたちの応援歌-」「恋ひの永源寺/とまどいの旅」発表。 阿蘇小国のちちこぶ祭、五木の子守唄祭、京都上賀茂神社観月コンサートで演奏。 2010年、シングル「未来へのおくりもの -世界遺産を目指万田坑へ捧ぐ-」発表。 7月18日、ロサンゼルス東本願寺仏教寺院、10月31日、ブラジル・サンパウロリベルダーデ区の文協小講堂で「こどものそのチャリティーショー」(グループフレンズ主催=蛯原忠男会長)が開催され、サンパウロ新聞で紹介された。 日本テレビのドラマ「ホタルノヒカリ2」(出演:綾瀬はるか、向井理、板谷由夏、藤木直人 / 脚本:水橋文美江、演出:吉野洋、原作:ひうらさとる) 第6話(2010年8月11日放送)で、主演の綾瀬はるかと同僚役の向井理が居酒屋で、ばってん荒川の「帰らんちゃよか」の話で意気投合、その後カラオケで「心配せんでよか~」と歌うシーンが話題に。 9月18日、熊本県民体育祭にて「君が代」独唱。 2011年1月17日、「あの日を忘れない〜神戸の空に歌を届けよう〜」ライブを三宮で開催。アルバム「春、桜セレナーデ」発表。 3月、滋賀・荒尾で東日本大震災復興応援チャリティーコンサートを行う。 6月11日、東日本大震災復興応援アルバム「がんばる君のために~復活への約束~」を発表。売上すべてを被災地へ送るほか、この日から被災地をたびたび訪ね、歌を届け続けている。 11月23日、NHK熊本放送局「くまもと歌物語音楽祭 ~わが心の熊本メロディー~」で「帰らんちゃよか」が選ばれ、熊本県立劇場コンサートホールにて島津亜矢さんと共演。 2012年1月7日、びわ湖ミシガンでミュージシャン仲間と新年の船上コンサートを開く。 3月10日、琵琶湖岸での東日本大震災追悼イベント「一希一灯会」が始まる。 7月2日、東京日本橋の夏の風物詩「橋洗い」およびタイムカプセル設置式にて「日本橋の歌」を披露。タイムカプセルにも収める。 第69代横綱 白鵬 応援歌「夢土俵」作曲。歌唱 山口眞(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 10月、11月、美ら海ライブツアー(池田聡、ミヤギマモル他)。 2013年6月12日、RKK熊本放送テレビ「白川大水害60年特別番組『42枚のスケッチ画が伝える6.26水害』」番組ナビゲーターで出演。 「クラフト(代表曲「僕にまかせてください」)復活ライブ」に応援ゲスト(名古屋、熊本)。 9月7日、「関東大震災90周年・首都防災ウィーク」(墨田区東京都慰霊堂)の野外コンサートで「稲むらの火」ほかを歌う。 9月29日、琉球の風~島から島へ~2013(フードパル熊本イベント広場 プロデューサー:知名定男)に出演。出演:THE BOOM、かりゆし58、夏川りみ 他 12月13日、母校、熊本県立玉名高等学校の「次代を担う子どもの文化事業」で、高校・付属中学校の生徒を対象にスクールコンサートで歌う。 2014年、デビュー35周年記念全国ツアー。4月25日、くまもと森都心プラザホールからスタート。8月10日荒尾総合文化センター大ホール、ゲスト:クラフト他。9月20日愛知芸術文化センター、10月3日東京日本橋社会教育会館、11月23日びわ湖ホール 10月26日、「大阪マラソン」チャレンジランに挑戦。 11月3日、還暦を迎える。 2015年1月26日、大阪新歌舞伎座の島津亜矢さんのコンサート(昼・夜)にゲスト出演。島津亜矢さんが歌う「帰らんちゃよか」をギターとハーモニカで伴奏。また「親父からの長い手紙」を歌う。 2月15日、人生初!フルマラソン「熊本城マラソン」に挑戦し、みごと完走! 4月8日、荒尾市の熊本県立南関高等学校と熊本県立荒尾高等学校が統合されて熊本県立岱志高等学校が開校。校歌を作詞作曲。4月8日の開校式では、校歌をギター弾き語りで披露。 4月18日、長野県飯田市在住のもうひとりの関島秀樹君と初の対面、「天竜峡マラソン」の選手宣誓を二人で務め、一緒に走る。 関島秀樹コレクション リブシリーズⅠ「あじさい寺」、Ⅱ「生きるちから」、Ⅲ「ふるさとの風にふかれて、復刻盤「夢をかさねて」発表。 H2Oの中沢けんじさんと初のジョイントライブ(滋賀、奈良) 12月25日、アルバム「DOKONI ITEMO」発表。 12月31日、第66回NHK紅白歌合戦で、島津亜矢さんが「帰らんちゃよか」(関島秀樹作詞・作曲)を歌唱。各方面で大反響。 2016年3月11日、東日本大震災6年に、チャリティーアルバムCD「誓春(せいしゅん)〜故郷へ帰ろう〜」を作り被災地へ届ける。 4月14日、4月16日の熊本地震を故郷熊本県荒尾市で体験。直後から避難所を訪ねる他、復興応援の活動を始める。 4月23日、滋賀のデビュー記念コンサートをファンの呼びかけで「熊本地震応援チャリティーコンサート」として開催。以後各地でチャリティーコンサートを開催。 8月11日、山の日にこの年7月にオープンした「びわ湖テラス」にて「山に向いて」を発表。 8月14日、「心はひとつ、想いを繋ぐ 熊本・気仙」と題し、岩手県大船渡市民文化会館にてチャリティーコンサート。 2017年3月11日、『稲むらの火』の逸話の主人公濱口儀兵衛さんの築いた銚子の「ヤマサ醤油」で「稲むらの火」を歌う。 4月29日-30日、「関島秀樹と行く日本の叙情をしみじみ味わう旅」スタート。第1回は倶利迦羅不動寺~五箇山~荘川桜~郡上八幡を巡るバスツアー(参加47名)。 5月27日、びわ湖の湖西地域湖岸にて「橋板のねがい」発表。 6月28日、琵琶湖周航の歌誕生100周年の日に、ニューアルバム「故郷を抱きしめて」発表。 日本を代表するブルースハープ(10ホールズハーモニカ)奏者、松田幸一さんと初の関西ライブツアー(京都、大阪、滋賀、奈良)を行う。 8月11日、 山の日に、「山にむかいて」を比叡山山頂にて歌う。 10月1日、東日本大震災のあった2011年以降何度も歌を届けている福島県双葉郡広野町より「広野町夢大使」を任命される。 10月29日、大分県玖珠郡玖珠町の「嵐山・桜ヶ岡瀧神社 秋季例大祭「滝の市」で、この地が舞台の歌「三日月の恋~小松女院物語」を歌う。 11月18日、二人の画家の作詞で「竹田竹楽恋あかり」(作詞:鈴木靖将)と「わんぱく坊主の子守唄」(作詞:大野勝彦)を収録したシングルを発表。 2018年8月、カラオケの第一興商DAMに、「生きたらよか」と「家族」が登場。 9月26日、同郷熊本人吉出身の演歌歌手塚原哲平に書いた新曲『ふるさとは心の中に』(関島秀樹 作詞作曲)が9月26日に発売(ホリデージャパン)。 11月1日、世界各国の高校生が参加し、津波防災について話し合う「世界津波の日高校生サミット」が10/31-11/1に和歌山県で開催。参加した高校生と広川町の小中学校に「稲むらの火」他収録の復興応援アルバム「誓春(せいしゅん)」をプレゼントする。 2019年、デビュー40周年記念ツアー。4月19日、人吉温泉鍋屋本館からスタート。4月20日荒尾総合文化センター大ホールほか 4月25日、デビュー40周年記念アルバム「あなたに贈る歌 春にゆく」発表 2019年NHK大河ドラマの主役金栗四三が母校熊本県立玉名高等学校の大先輩でもあり、新曲「黎明の星 金栗四三 走りつづけて」を作り (アルバム「あなたに贈る歌」に収録 ) 熊本県玉名市の「いだてん大河ドラマ館」にて発表。(3月17日) 熊本朝日放送で続いている 「こどもの詩(ポエム)コンクール」で28年前に紹介された当時小学生の中村良子さんの詩「宿題」に曲を付けて発表 (アルバム 「あなたに贈る歌」に 収録 ) 。本人との対面ほかこの日の様子がニュースでも紹介された。(5月2日熊本朝日放送「くまパワJ」) 前年の熊本・大分地震で被害を受けた「JR豊肥線」の復旧を応援する「断線を歌でつなぐコンサート」を継続中。4月21日大分・竹田、5月19日熊本・阿蘇、6月15日熊本・菊陽町 2020年7月、熊本豪雨で大きな被害を受けた人吉にボランティアで訪ねる。 8月8日、熊本地震から4年4ヶ月、ようやく前線開通した豊肥線の復興イベントで歌う。(豊後竹田駅前広場) 10月24、25日、豪雨で被害を受けた人吉に歌を届ける。(ひとよし森のホール、青井阿蘇神社境内、球磨村総合運動公園仮説団地ほか) 2021年3月10日、東日本大震災10年目。“大津から希望の光を❗️”第10回[一希一灯会]でリモートで南三陸の方へ歌を届ける。 3月10日、コロナ禍でライブが思うようにできないさ中、滋賀から「初リモートライブ」を開催。
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デビュー以降
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六本木のクラブで知り合った作家の水上勉のパーティーに呼ばれ、ATG映画『薔薇の葬列』にかかわっていた舞台美術家の朝倉摂に「主役の美少年にぴったり」とスカウトされた。1969年、俳優・ピーターが誕生、同年10月には歌手デビューも果たし、当時のキャッチフレーズは「アポロが月から連れてきた少年」と称された。さらに、自身デビュー曲の『夜と朝のあいだに』では、同年大晦日放映のTBSテレビ『第11回日本レコード大賞』で最優秀新人賞を受賞し、特に女性からの広い支持を受けて一躍アイドルスターとなった。 仁科亜季子は幼なじみであり初恋の人で、独身を貫いてきた理由は仁科が芸能界にデビューしたため(芸能界に入って素人でなくなったため)。また、父の愛に飢えており、自らの子供にそういう思いをさせたくなかったのも独身を貫いてきた理由としている。 その後、数々映画に出演する一方で歌手としての活動も続けていったが、1985年黒澤明監督の『乱』で重要な狂言師役に抜擢された頃から役者としての層に厚みが増すようになり、これが今日の「二人の」池畑につながっている。 池畑本人も才能ある舞踊家で、長らく「吉村雄秀(ゆうひで)」の名取でもあり、吉村流の例会にもきちんと出ていた。父・雄輝は晩年「慎之介をどうかよろしく」と家元継承を匂わせる発言もしていたが、1998年に死去すると池畑は自ら「雄秀」を返上して吉村流とは決別し、家元は実力のある内弟子が継ぐ、という流派の伝統を守らせた。本人は一から舞踊の勉強をやり直すことを決意したという。 なお父の死を機に、母と再び熱海で同居を始めるも、母は2002年に死去。 2006年からテレビに頻繁に出演するようになり、過去を知らない若者の間にも知名度が浸透した。特に愛のエプロンでは、男性対決だけではなく女装しても活躍し優勝するほど料理の腕を振るった。最近では料理番組にも多数出演するようにもなる。またシャル・ウィ・ダンス?〜オールスター社交ダンス選手権で女装して優勝する程、ダンスの修得は早かった。CMやバラエティにも出演し、年齢と性別を超越した活動を行っている。 2008年7月1日付で大手芸能事務所、オスカープロモーションに所属することになり、同年、7月25日から始まった同じ事務所の菊川怜主演のテレビ朝日系連続ドラマ「打撃天使ルリ」に7年振りにドラマに出演した。しかし個人事務所のマネージャーが覚醒剤取締法違反で逮捕された事を受け(後、不起訴となる)、「オスカーに迷惑をかけた。他の人のイメージまで悪くなる」と自ら責任を取ってマネジメント契約を09年9月5日付で解除(5年契約の2年目)した。 東北地方太平洋沖地震をきっかけに、「物を持つことの虚無感というか罪悪感」を感じて断捨離を始めた。 2012年8月以降、芸能プロダクション・A-team所属タレントとなっている。 2013年3月、役者名を「池畑慎之介⛤」に改名。なお、タレント・シンガーとしての芸名は「ピーター」のままである。「☆」印の正式な表記は一筆書きの五芒星である。 2002年から2015年5月まで、高輪に所有する家で高輪会というパーティーを行なっており、毎回大勢の芸能人が参加していた。そのために芸能界デビューから多数の芸能人と親交があり幅広い人脈を持っている。 2018年5月、同年いっぱいで「ピーター」の名前を卒業し、本名の「池畑慎之介」で統一することを発表。2019年からは1〜2年の休養を取り、充電期間とする意向を示した。 2020年4月からは生島企画室へ所属が決まり、1年3か月振りに芸能界へ復帰することになった。 2022年3月10日にゴルフ中に転倒し、左足首を骨折する。
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デビュー以降
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「ティモシー・デイリー」の記事における「デビュー以降」の解説
初主演は、バリー・レヴィンソン監督の映画『ダイナー』。この映画は、ケヴィン・ベーコン等、今日最も尊敬を集めている俳優達のキャリアのスタートともなっている。その後すぐに続いてアラン・ルドルフの主要作品『メイド・イン・ヘブン』、アメリカン・プレイハウスの『ザ・ライズ&ライズ・オブ・ダニエル・ロケット』、CBSのドラマシリーズ『オールモスト・グロウン』で主役を務めた。 また、ブロードウェイでは、ティナ・ハウ脚本の『コースタル・ディスターバンス』、マンハッタン・シアター・クラブでの『オリバー、オリバー』、 ビル・C・デイヴィスの『マス・アピール』、トリニティ・スクエア・レパートリーでのウイリアム・インジの『バス・ストップ』などの舞台に出演。他にもサンタフェ・フェスティバル・シアターでテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』、ウイリアムズタウン・プレイハウスで『心の中のナイフ』と『緋色の研究』、バークシャー・シアター・フェスティバルで『パリ行き』などで主役を務めた。 テレビではNBCの長寿シチュエーションコメディ『ウイングス』のくそまじめなパイロット、ジョー・ハケットの役で有名である。その役はケヴィン・コンロイに勝って得た。『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』にはクリストファー・モルティサンティの旧友で、ギャンブルとドラッグの問題と戦う売れない脚本家のJ・T・ドラン役で何度か出演。 最近では『軍事法廷/駆逐艦ケイン号の叛乱』のブロードウェイのリバイバルで、デヴィッド・シュワイマー、ジェリコ・イヴァネクと共演した。ABCの連続犯罪ドラマ『アイズ』にも出演したが、好評にもかかわらず、わずか5話で打ち切りとなった。 また、アニメ版『スーパーマン』でのスーパーマンの声優としても知られる。偶然だが、デイリーもコンロイもいくつかのクロスオーバーするエピソードで互いに同じ役を演じたこともある。デイリーは、『ジャスティス・リーグ』のスーパーマンを演じることはできなかった(その役は俳優ジョージ・ニューバーンが演じることになった)。1960年代の有名なテレビドラマのリメイク『逃亡者』に主演する契約を既に結んでいたためである。このリメイクはわずか1シーズン(2000年-2001年)しか放送されなかった。2002年のビデオゲーム『スーパーマン:アポコリプスの影』と2006年にOVAとして発売された『スーパーマン:ブレイニアックの襲撃』で、スーパーマンの役をもう一度演じた。 2006年現在、ABCの新しいドラマ 『ザ・ナイン』にニック・キャバノー(Nick Cavanaugh)役で出演中。
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「INO hidefumi」の記事における「デビュー以降」の解説
2002年に、「1レーベル1アーティスト」をコンセプトに自身の音源を発信する音楽レーベル『innocent record』を設立した。 2004 期待の大型新人!(身長)として、7inchアナログシリーズ第一弾『ビリージーン』でデビュー。 2006 青山ブックセンター六本木と自由が丘にて選書フェアーを担当。 2008 タワーレコード“NO MUSIC NO LIFE”ポスターに出演。 2008 “ピカソ展” テレビCMにてINO hidefumiの楽曲が使用される。 2009 タワーレコード新宿店にてトークショーを行う。 2009 エフエム東京 『MMM』 にて初のラジオパーソナリティーを務める。 2010 フジテレビ『ミオパン』にトーク&ライヴ出演。 2010 J-WAVE日本ユニセフ主催『HAPPY BIRTHDAY DOWNLOAD for Children』にてバースデーソングを制作提供。 2013 フジテレビ『魁!音楽番付Presents 朝まで X'mas生LIVE 』に藤原ヒロシ、オカモト・ショウ、ハマ・オカモトと共にライヴ出演。 2015 『サウンド&レコーディング・マガジン』Presents ”Premium Studio Live vol.9”にINO hidefumi+jan and naomiのハイレゾ音源がリリース。 2018 舞台「うまれたまちで」楽曲提供 2019 森口博子 GUNDAM SONG COVERS 参加
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1974年、NPB中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!」で作詞作曲家デビュー。同年、ドラゴンズ優勝記念曲「ドラゴンズよありがとう」で歌手デビュー。その後、「うぐいすだにミュージックホール」「ひらけ!チューリップ」などのヒット曲を発表。テレビアニメ『タイムボカン』の主題歌・劇伴音楽の担当を始めとして、以後多くのアニソンに関わる。1983年にオリジナルコンサートを開始し、1988年発表のアルバム「山本正之'88」以来、シンガーソングライターとしての活動を続けている。
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デビュー以降
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1988年(昭和63年)の中学3年時に、父親からテレビドラマ『3年B組金八先生第3シリーズ』(TBS系)のオーディションを勧められて受けたところ、合格し、タレントおよび俳優としてデビューした。当初はテレビにも出演していたが、撮って放映してを繰り返すテレビの機械的なサイクルが肌に合わず、バンド活動のほうに傾倒しはじめていたのもあって、父親やマネージャーと喧嘩になることも多かった。18歳になり、父親に俳優を辞めることを宣言してしまうが、祖母から諫められ、再びバンド活動と両立して俳優業も続けていくことを決意したという。 1990年(平成2年)、『バタアシ金魚』で脇役として映画デビューを果たす。大人同士が徹夜や喧嘩を繰り返しながら目標に向かって一生懸命取り組む映画製作のスタイルが信用できることに思えたと言う。以降、「映画でだけなら仕事をしてもいい」と考えるようになった浅野は、岩井俊二・是枝裕和・青山真治など新鋭の映画監督の作品に出演し、知名度を高めてゆく。 1996年(平成8年)、『Helpless』で映画初主演を果たす。 活動の場は国内にとどまらず、ウォン・カーウァイ監督『wkw/tk/1996@/7’55”hk.net(英語版)』(1996年)、クリストファー・ドイル監督『孔雀 KUJAKU』(1999年)などでも主演を務め、国際的にも注目を高めていった。1997年(平成9年)には、日本アカデミー賞話題賞、および、ヨコハマ映画祭主演男優賞を受賞している。 2000年(平成12年)、『御法度』と『五条霊戦記』で報知映画賞助演男優賞を受賞。『御法度』では、松田龍平と意気投合し、以来交遊をもっている。 2001年(平成13年)、『地雷を踏んだらサヨウナラ』で毎日映画コンクール男優主演賞受賞。浅野の誕生日は偶然にも役を演じた一ノ瀬泰造の行方不明が報道された日でもある(実際に一之瀬が死去したのはこの日より前)。 2003年(平成15年)、タイ・日本その他の合作映画『地球で最後のふたり』(ペンエーグ・ラッタナルアーン監督)でヴェネツィア国際映画祭コントロコレンテ部門主演男優賞を受賞。 2004年(平成16年)、初監督作品『トーリ』を製作。ドキュメンタリーやアニメーションが織り込まれた5話のオムニバス作品。高校生の頃に観たボブ・マーリーのドキュメンタリー映画『Time Will Tell』で、マーリーの葬儀のときに鳥が飛んでいくシーンから受けた影響が製作の元になっているという。昭和のいる・こいるや、無名の頃の菊地凛子(当時は菊池百合子)、首藤康之などが出演し、首藤は本作品で初めて自身で振り付けしたバレエを披露した。また、兄のKUJUNも音楽の担当として参加。3月にDVDで発表し、5月に渋谷シネ・ラセット(2008年1月閉館)で公開された。 2005年(平成17年)、『誰がために』と『乱歩地獄』で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。 2007年(平成19年)、ロシアのセルゲイ・ボドロフ監督作品『モンゴル』で、チンギス・ハーン役で主演した。ボドロフは浅野に「内面から発する光のようなもの」を感じ、「この役を演じられるのは浅野しかいない」と抜擢。浅野はCDをひたすら聴いてモンゴル語を憶え、尻の皮がむけるほど乗馬を猛練習して撮影に臨んだ。 2008年(平成20年)2月、『モンゴル』が第80回アカデミー賞外国語作品部門にノミネートされ、浅野は妻のCHARAを伴ってロサンゼルスで記者会見を行った。このとき浅野は、「撮影で留守にしている間にCHARAが家庭内のことを忙しい中やってくれていてありがたい」と感謝を述べた。また、食事の際に歌を歌う文化のため、アカペラで『THE BLUE HEARTS』などの曲を歌ったことなど、モンゴルでの撮影中の裏話がCHARAとの会話の中で明かされた。 2009年(平成21年)、『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』ほかで日本アカデミー賞優秀主演男優賞受賞を受賞。 俳優業のほかに、「ASANO TADANOBU」名義や、「Bunodata」名義、「PEACE PILL」、「SAFARI」(1999年結成)などでボーカルやギターとして音楽活動も行っている。「SAFARI」ではフジロックフェスティバルに何度か出演している。 2011年(平成23年)、映画『マイティ・ソー』で、初のハリウッド映画に出演。新境地を開く。 2012年(平成24年)、ハリウッド映画2作目となる『バトルシップ』に出演。 2014年、主演映画『私の男』で第36回モスクワ国際映画祭最優秀男優賞、第57回ブルーリボン賞主演男優賞を受賞した。 2015年、主演作『岸辺の旅』が第68回カンヌ国際映画祭・「ある視点」部門に出品され、黒沢清が監督賞を受賞。アメリカ合衆国サンフランシスコで開催されたJ-POP SUMMIT関連映画祭、サンフランシスコ日本映画際にて、第一回目名誉賞に輝いた。 2016年、主演作『淵に立つ』が第69回カンヌ国際映画祭・「ある視点」部門に出品され、作品が審査員賞を受賞。2年連続で主演作が同部門で受賞となった。 2017年10月12日に放送開始の『刑事ゆがみ』(民放の連続ドラマでは初主演作品)では、適当でだらしない性格の主人公を演じており、役になり切るため普段やっている台本の読み込みやその職種や業界に取材などは行わなかった。それについては「『こんな刑事、絶対いない』と思ったので、あえてやらなかった。それに準備するなんて、適当な弓神らしくない」と話している。 2018年12月17日、ワタリウム美術館にて2014年ごろから映画撮影の待ち時間の合間などを縫って始めていた趣味であるドローイング(線画)作品を展示した個展『TADANOBU ASANO 3634 浅野忠信展』を開催。自身のTwitterやInstagramなどSNSでも公開していたデッサンや落書き、漫画、アメコミなど700点を展示している。また、2019年2月9日に放送されたバラエティ番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)に浅野が出演し、同個展の未公開作品についての解説を行った。
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<デビュー以降>
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「AmPm (音楽ユニット)」の記事における「<デビュー以降>」の解説
2017年3月16日にMichael Kanekoをボーカリストに「Best Part of Us」でデビュー。デビュー曲が世界中で話題となり、リリース数ヶ月で1,000万再生を超え、「2017年リリース楽曲においてSpotifyで最も再生された日本人アーティスト」4位の快挙を成し遂げる。同年インドネシアで開催されたSpotify主催ライブ「Spotify On Stage」で日本代表として出演。オリジナル楽曲11曲をリリース。 2018年には、ULTRA MIAMI、KOREA、JAPANの出演、GALANTISの来日公演出演、「MOVE NIGHT_×DJ MAG Presents JONAS BLUE」の出演、ニューヨークでの単独ライブを開催。Spotifyジャパンランキングにおいて、「Best Part of Us」が“海外で最も再生された国内アーティスト楽曲”の4位にランクインを果たす。Tommy Brownとの共作「Little Bit More」をはじめとする自身の楽曲8作品リリースに加え、Afrojack、R3HAB、Nicky Romero、ゲスの極み乙女のリミックスを担当。「J-WAVE30周年記念ソング」としてリリースされた平井堅の楽曲「HOLIC」ではプロデューサーとして参加。 2019年、V6の楽曲「All For You」をプロデュースやMONKEY MAJIK「Tokyo lights」のリミックスを担当。日本では初の単独ライブとなる「AmPm Thinking April」「AmPm Thinking Summer」「AmPm Thinking Autum」の3公演を開催。一般社団法人デジタルメディア協会が主催するデジタルコンテンツの中から、優秀作品またはサービスを審査のうえ選定し、その制作者個人あるいはグループの功績を讃える「デジタル・コンテンツ・オブ・ジ・イヤー’18 / 第24回AMD Award」審査員特別賞を受賞。 2020年、「プリズム feat. みゆな」がTVアニメ「フルーツバスケット」2nd Season オープニングテーマに起用。「フルーツバスケット」第2クール オープニングテーマに起用された大塚 愛の楽曲「Chime」、「LUPIN THE THIRD JAM」と題したアニメ「ルパン三世」楽曲の“令和版Remixシリーズ”にて「THEME FROM LUPIN Ⅲ」のリミックスを担当。 2021年には、AmPmが活動を行う上で大きな影響を受けた旅をテーマにした初のダンストラックシリーズ4作品(Tokyo、New York City、Jakarta 、Amsterdam)をリリース。初シングルとなる「Tokyo」はCONVERSE×BILLY’Sの新作スニーカー「ALL STAR J HI“SPARK”」キャンペーンソングとして起用。4月にリリースされた「On The Black and White feat. Doul (Dipha Barus Remix)」はインドネシア56のラジオ番組で音源一斉公開され、パワープレイを獲得。オリジナル楽曲に加え、Uru 「I don’t suit you」の楽曲プロデュース、V6のベストアルバム「Very6 BEST」より、歌い直しリアレンジ楽曲「Can do! Can go! -V626 ver.」のリアレンジを担当。同年3月に、日本の音楽アーティスト初の試みとなった未公開楽曲「Intro」をNFT上で一枚限定発行。
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