音楽は、ただ音楽である。薬のように傷ついた身体を癒したりはしないし、すっからかんになった胃の中を満たしたりもしない。ましてや降り注いだ放射能を消し去る魔法にはなりえない。音楽はあくまでも音楽そのものであって、それ以外の何物でもないのだ。3.11を経たことで、音楽がなくなった世界を想像することは、以前ほど難しいことではなくなった。人が音楽を聴き、演奏するのは、それがなにかの効力を発揮するからではなく、ただ音楽が好きだという、それだけの理由で十分なはずだ。しかしその音楽を楽しむためには、それをただの音ではなく、音楽として受け止められるくらいに平穏な精神と健康が不可欠であり、多くの人が普段から何の気なく保っているそれは、3.11によっていともたやすく奪われていった。それまで当たり前のようだった音楽がそうではなかったと気づかされた人は、きっと少なくなかったと思う。
おそらくいまそれを世界中の誰よりも深く理解しているバンドのひとつが、このnotice itだろう。福島県いわき市で活動する彼らのデビュー作『綴る光 夜を泳ぐ』は、震災と原発事故によって多くを失い、自分たちの日常を脅かされたこの若者たちが、それでも音楽への情熱を失わず、その思いをダイレクトに表現して完成させた渾身のアルバムだ。震災の体験をもとにした「isansi」を筆頭に、彼らがここで歌う苦悩はどこまでも生々しい。しかし、それと同じくらいに、彼らの音楽は気の置けない仲間たちと演奏できることの喜びに満ち溢れている。音楽にしか持ち得ない輝きがここにはある。
インタビュー&文 : 渡辺 裕也
>>「霧の旗」のフリー・ダウンロードはこちら(ダウンロード期間 : 2012年2月2日~9日)
福島で活動を続けることを決めた彼らの1st Albumを先行で配信開始!
notice it / 綴る光 夜を游ぐ
福島県いわきをベースに活動するnotice itが、同じく福島県をベースとするノーマディック・レコードよりファースト・アルバムをリリース。この作品は福島の未来を映し出すとともに、地方から新たな個性を情報発信するという意味でも、来るべき時代のキー・ポイントとなるべき作品。彼らの独特な尖ったポップ感覚と、スパイシーなロックのダイナミズムがパワフルに、時にセンチに炸裂する。ゲストに地元アーチスト参加!
【トラック・リスト】
01. 霧の旗 / 02. 僕たちのペレストロイカ / 03. Prism city / 04. 夜にパラソル / 05. And you / 06. 不等式と自由 / 07. 顔のない時代 / 08. time / 09. isansi
notice it INTERVIEW
――現在のみなさんの生活状況はどのような感じでしょうか。
政井大樹(Ba,Vox/以下、政井) : 放射能でいろいろ言われているのと同時に、いわきに避難してきている人たちもたくさんいて。自分たちもいろんなことがわかっているなかで、避難はしないんです。だから、住めているっていう実感はあります。いわきで作ったものを口にしているし。また地震が来るんじゃないかっていう不安には未だに駆られています。
――放射能に対するフラストレーションはやはり強いですか。
政井 : 目に見えないものだから、やっぱり不安だし、早く収まって欲しいという気持ちはもちろんありますけど… うーん。どうなんだろう。
高橋力(Dr,cho/以下、高橋) : やっぱり、東電ふざけんなっていう気持ちはもちろんあって。でも、仕方のないこともやっぱりあるし。それよりも、まだ原発が落ち着いていないっていうのがやっぱり気がかりで。もしかすると他の地域の人たちよりも僕らは率先して原発について調べているのかもしれない。だから、少しずつ前に進んでいる実感もありつつ、いつどうなるのかわからないっていう緊張感が常にあります。
――メンバー全員がいわきのご出身なんですか。
高橋 : ギターの佐藤圭介は山形で、僕は宮城県出身です。あとの3人がいわきですね。このバンドはもともとここにいる3人(高橋、政井、佐藤圭介)が大学の軽音楽部で結成したものなんですけど、卒業してからもう少し本格的にやりたくなって、それからあとのふたりが加わって、今の編成になりました。
――作品を聴いて、とても情報量が多いサウンドだなと感じたんですが、こうした音楽性はどのようにして培ったものなのでしょう。
高橋 : みんなそれぞれ好みも違うので。僕はくるりとスパルタローカルズ、あとはナンバーガールが好きで。あとは鬼束ちひろさんとか安藤裕子さんみたいな女性シンガー・ソングライターかな。
政井 : 僕は、アークティック・モンキーズ。
佐藤圭介(Gt/以下、佐藤) : 8ottoですね。
――ちなみにみなさんはおいくつくらいなんですか。
高橋 : 24~25歳ですね。
――やっぱりその世代がリアルタイムで聴いていた音楽からの影響が大きいんですね。僕も、このキメの多い演奏はきっとアークティック辺りからの影響なんだろうなと思ってました。2007年に結成ということですが、現在の編成になったのはまだ昨年の話のようですね。
高橋 : 去年の4月からですね。
――そうだったんですか! つまり震災直後ということですよね。
高橋 : もともとは3月17日にいわきソニックで初ライヴの予定だったんですよ。それがちょうど震災を挟むことになってしまって、一ヶ月遅れてようやくやれたんですよね。
――いわきには郡山とか福島とはまた違ったシーンがあるようですね。
高橋 : バンドの音楽的な個性はバラバラですね。レゲエがあれば、メタルとかハードコアもあって。あとは青春パンクみたいなのとか。郡山とかと比べればバンドの数自体は少ないと思うんですけど、いわきだと人が少ない分、バンド同士がつながりやすくて、外から見るとすごく結束が強い感じに見えるかもしれませんね。今回のアルバムにもTo overflow evidenceというバンドの後藤(勇作)さんが参加してくれているんですけど、彼らとはしょっちゅういわきで一緒にやっています。
――大学でバンドを結成したみなさんが、卒業後もいわきで活動を続けていくことにした決め手はなんだったのでしょう。
高橋 : 僕の場合は、このいわきっていう小さい田舎から本気で音楽を発信している先輩の姿に感銘を受けて、そういう人たちから自然と受けた影響が大きいですね。
――他県出身者の高橋さんから見て、いわきはどういうところですか。
高橋 : みんなふざけ上手で笑ってばかりです。でも、すごく素直で話しやすい人たちばかりなんです。東北人って、他の地域の人からすると口数が少なくてなにを考えているのかわからないっていう印象をもたれることもあると思うんですけど、いわきの人たちはけっこうおしゃべりなんですよね。
――一方の政井さんは生まれも育ちもいわきなんですよね。
政井 : 僕の家があった地域はいわきの中で最も震災の被害が大きかったところで、今回の震災で家はなくなっちゃって。おじいちゃんとおばあちゃんも亡くなりました。で、今は仮設的なところにいるんですけど。もともと、いわきって自然災害が少ない地域なんですよ。台風も来ないし、雪も降らない。けっこう恵まれた土地なんです。僕が住んでいたところもすごく穏やかなところで。バンド活動をやる環境としても、特に変わったところはないかな。震災があってからは、すごくメジャーな人たちも含めて、たくさんのバンドがいわきに来てくれるようになって。いわきを盛り上げてくれてるのは感じています。
高橋 : そうやって他の地域からバンドが来てくれるのは、純粋に嬉しかったですね。もちろんミーハーな音楽ファンとして嬉しい部分もあったし、そこにたくさんの人が集まる様子を見て、俺たちもやらなきゃっていう気持ちにさせられました。悔しいとか嫉妬とかより、感動の方が多かった。
放射能でやばいと言われている状況の中で感じているものを残したかった
――震災後、みなさんはすぐにライヴ活動を始めたわけですが、音楽をやるモチヴェーションはすぐに戻ったのでしょうか。
政井 : 早く練習したい、ライヴがやりたいという気持ちは常にありました。震災によってバンドの活動が止まったのは2、3週間くらいで、しかもそれは僕が怪我をしたからだったんです。僕も(津波に)流されちゃったんですよ。それでしばらく外に出られなかったんです。
――震災後すぐにメンバー間で連絡は取れたんですか。
高橋 : 震災で大樹がやられたっていうのは、みんな直感的にわかりました。でも、ケータイも流されてたから連絡の取りようがなかった。それにそれぞれの状況もあったから、震災の直後は大樹に気を回してばかりもいられなくて。でも大樹が俺の番号を覚えていてくれたおかげで、3月11日の夜中には家族のケータイから連絡してきてくれて、安否の確認ができました。その時の大樹はまだなにが起こったのかわかっていないような興奮状態でしたね。僕らのメンバーはいわきのバンドマン達で作った避難場所にそれぞれ出入りしては、みんなで飯を食ったり酒飲んだりしていました。あの時は自粛ムードもあったし、お店とかもどこもやってなくて、まだ音楽をやれる状況ではなかったですね。
――そうした震災直後の抑圧されたムードを経て、音楽をやりたいっていう気持ちが爆発した感じだったのかな。
高橋 : 大樹が本当に死んでもおかしくない状況で生き残って、「これは俺たちにやれってことだよな」っていう気持ちになったんですよね。大樹に感化されたというか。
政井 : 俺も、自分が働いていたスタジオにたまたま置いていったおかげで、楽器が無事だったんですよね。でも、体も動かないし、車もケータイもなくなっちゃったから、なかなか全員で顔が合わせられなかった。でも、みんなひとりひとりと会ったら、すぐに「早くやろうよ」っていう話になって。ここで俺たちがヘコんでるのも、なんか意味わかんねえと思ったんですよね。みんな、俺が流されたことや、親族も亡くなったっていうことを知ってたから、やっぱり気を使ってくれてたんです。その気持ちはもちろん嬉しかった。
高橋 : なかなか会えなかった時は、「またみんなで会おう」みたいな声をかけあって、自分たちの士気を上げてました。
――このアルバムの個人的なハイライトは、ラスト・トラックの「isansi」でした。楽曲がいいというのはもちろんなんですが、みなさんの震災以降のパーソナルな部分が詰まっているように聞こえたんですよね。
高橋 : これは逆から読むと「震災」なんですよね。この曲は大樹が怪我をして動けなかった時期に、僕が弾き語りで作ったものが基になっていて。それをみんなで練って作ったんです。大樹から聞かせてもらった体験を、自分の中で音楽に消化しないとだめだと思ったんですよね。いまになって「俺たちこんな曲作っちゃったんだ! 」って、自分でびっくりしてるくらいなんですけど。別に不幸自慢をしたいわけでもなんでもなく、素直な気持ちを形にしておきたかったんです。震災があって、放射能でやばいと言われている状況の中で感じているものを残したかった。でも、僕がこの曲のきっかけを作ったのはたまたまで、きっと僕がやらなくても他の誰かが震災をこういう形にして残そうとしていたと思います。
――もしかすると、震災を経たことでこのアルバムの方向性、ひいてはバンドのヴィジョンが明確になったところもあるのかなと思ったんですが。
高橋 : これまではすごい情報量の振り幅で音楽をやっていたのが、震災をはさんだことで吹っ切れた感じはあるかもしれません。聴いてくれた人からすれば「ホントかよ? 」って思うくらい、ごちゃごちゃしているように感じるかもしれないですけど(笑)。僕らはかなり明確になったと思ってます。最近、新曲ができたんですよ。なんかすごくシンプルにできた曲で、以前だったら物足りなくていろいろ手を加えてたんじゃないかと思うんですけど、なんかこれがすごく楽しくて。吹っ切れたっていうのはこういう感じなんだろうなって。
――「isansi」のように、今後もそうした思いを楽曲に反映しようとは考えていますか。
高橋 : 状況によって心も変わるので、そこに応じて素直にやっていこうとは思っています。今回はたまたま震災っていう大きなフィルターがあったから、こういう形になったんですけど。でもやっぱりすごい経験をしたら、それを音楽として消化したいとは思います。
――そういえば『石巻ロックフェス』に出演されていますよね。
高橋 : 僕が宮城の出身なので、under the yaku ceder(『石巻ロックフェス』を主催した鈴木大輔のバンド)とは前から面識があって。僕らはいわきソニックの推薦バンドとして出演させてもらったんです。他の出演者にヒダカトオルさんや、ブッチャーズの吉村さんとかがいて、すげーなと思いながらも、under the yaku cederをはじめとした実行委員会の熱意がホントにすごくて。石巻を盛り上げたいっていう彼らの気持ちには、すごい迫力がありましたね。フード・コートに南三陸で流されたかまぼこ屋さんがテナントを出していたりしたんですけど、みんなすごく笑顔に溢れていて。なによりいろんな人と交流できたのが嬉しかった。
――みなさんからも今後そのような動きを発信していく可能性はあったりするのでしょうか。
高橋 : いつか自分たちもこういうことができたらいいなって思いました。音楽でできる可能性の幅を知れたんですよね。でも、僕らのバンドは、才能がないやつの集まりというか(笑)。これはネガティヴな意味じゃなくて、自分たちを奮い立たせるために言うんですけど、僕らがいなくてもなにかはきっと動いていくし、もしかしたらすぐに忘れられるのかもしれない。だからこそ、やってやろうぜっていう気持ちが今はすごく強いんです。
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notice it LIVE SCHEDULE
2012年2月4日(土) @高円寺 二万電圧
notice it presents 『綴る光 夜を游ぐ』レコ発 “僕達のペレストロイカ vol.5”
2012年2月25日(土) @club SONIC iwaki
w / Qomolangma tomato / 宮本菜津子(MASS OF THE FERMENTING DREGS) / To overflow evidence / WILD FANCYS / アベマンセイ / MELT
2012年3月8日(木) @club SONIC iwaki
2012年3月11日(日) @club SONIC iwaki
2012年3月18日(日) @福島 C-MOON
2012年3月24日(土) @仙台 flying sun
2012年4月1日(日) @club SONIC mito
2012年4月29日(日) 郡山PEAK ACTION
2012年5月3日(木) @町田 SDR
2012年5月4日(金) @仙台 HOOK
2012年5月5日(土) @仙台 flying sun
notice it PROFILE
Bass&Vox : 政井大樹
Guitar : 佐藤圭介
Guitar&cho : 片寄悠葵
synthesizer : 菅家敬太朗
Drums&cho : 高橋力
2007年 いわき市内の某大学軽音部で結成。市内のライヴ・ハウスclub SONIC iwakiを中心に、郡山、仙台にも活動範囲を広げる。当初のトリオ編成から2011年には5人体制に。
2009年 demo「control a puddle 」発売(販売終了)。
2011年3月の震災被害により、一時は活動を休止しながらも、更に固い結束で再始動。
2011年8月 石巻ロックフェスに出演。
2012年2月 ファースト・アルバム『綴る光 夜を游ぐ』をリリース
尖ったポップ感覚と、スパイシーなロックのダイナミズム、をパワフルに、時にセンチに表現し、ポスト・パンク、ダンスロック、オルタナティブ等の影響を鋭く昇華させている。
>>notice it official website
>>『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』第五回 : 平山“two”勉(Nomadic Records) インタビュー