最新作を高音質で! FPM INTERVIEW
DJをはじめ、プロデューサー、リミキサー、CM音楽家など、音楽家として多くの肩書きをもつ田中知之ことFPM=Fantastic Plastic Machine。90年代後半にPizzicato Five小西康陽のレーベルより突如として現れ、00年にかけてヨーロッパ、アメリカでデビュー、DAFT PUNKなどと並びGAPのポスターのモデルを務め、UNIQLO NY店がオープンする際にはコンピレーション『SYNCHRO/FROM TOKYO TO NEW YORK』をリリース。瞬く間に日本が世界に誇るミュージシャンとなった。また、彼が音楽を手掛けたUNIQLOのウェブ・サービス「UNIQLOCK」「UNIQLO CALENDAR」はカンヌ国際広告祭のサイバー部門「ゴールド」を受賞。この度リリースされる『QLASSIX』は「UNIQLO CALENDAR」で使われた楽曲を一つの作品にまとめたものだ。このサービスは、カレンダー、天気情報などの機能に季節ごとの動画を添えることでグリーティング・カードとしての役割も持たせ、世界各国から5億5千万回以上のアクセスを集めると同時に、FPMの音楽も5億5千万回以上再生された。『クラシックス』というタイトルが指す通り、クラシックをベースとしたFPMならではのダンス・チューンに仕上がっている。
様々な顔をもつ彼は、どのようにして脳を使い分けているのだろうか。彼の脳内からアイディアが尽きることはあるのか。彼のルーツを探りながら、その答えを見つけ出したいと思う。
インタビュー&文 : 水嶋美和
OTOTOYでは高音質のHQDでの販売! FPM / QLASSIX
ダンス・ミュージックとクラシック音楽が奇跡のアンサンブルが完成! 『UNIQLO CALENDAR』に提供した8曲にボーナス・トラック1曲を加えた全9曲を収録。2009年12月『FPM』以降、MIX CDのリリース、リミックスでの参加等ではコンスタントにリリースを続けてきたが、FPMオリジナル作品としては約2年ぶり。ファン待望のオリジナル作品!
1. Kimi Ga Hoshii (FPM with 田村玄一)
2. Arabesque (FPM)
3. Bolero (FPM with Saigenji)
4. Otome No Inori (FPM with 北原雅彦)
5. Ave Maria (FPM with Rom Chiaki)
6. Ai No Yume (FPM with 清水靖晃)
7. Hungarian Dance No.5 (FPM with DEPAPEPE)
8. Carmen (FPM with 桑山哲也)
9. If You Do, I Do (威風堂々) (FPM with DJ YASA from Kireek)
販売形式 : HQD(24bit/44.1kHzのwav) / mp3
ドロドロとした毒っ気の反動から生まれている
――京都出身とのことですが、そちらの音楽シーンから影響を受けましたか?
大いに受けましたね。18~21歳の学生時代はバンドでベースを弾いていて、時代的には京都で起こったニューウェーヴ・ムーブメントの最後の方にいました。同世代では同じくベーシストに大沢伸一くんがいたし、先輩としてはEP-4の好機タツオさんによく可愛がってもらっていました。
――バンドから始まったんですね。
当時はまだクラブが無かったので。DJ文化に触れたのは高校を卒業してすぐ、MAHARAJAというディスコで皿洗いのバイトを始めて、そこで「音楽好きならDJやりなよ」と言われてターンテーブルを買いました。初DJは19歳、バンドとしてよく出演していたWHOOPEE’Sだったように記憶しています。東京ではバンド・ブームが起こっていた頃なんですが、僕は京都の濃い音楽シーンで変な熟成をしていました。
――音楽が本職になる前に、一度アパレル業界に就職してますよね。
音楽でプロとしてやっていくにはまだ厳しい状況だったので、大手アパレル・メーカーの企画部で働き始めました。そこで頂いた給料で音源を買いそろえたり、夜な夜なクラブに通ったりDJをしたり、音楽は趣味として切り離していましたね。それが20歳ちょい。その後、雑誌の編集者になったんです。
――京阪神エルマガジン社の「SAVVY」ですよね。
そうそう。25歳ぐらいかな。それぐらいの時期に友人と映画のサントラだけをかけるパーティーをCLUB METROで始めたんです。第一回が92年で、雑誌の編集者として知り合ったKYOTO JAZZ MASSIVEの沖野修也くんも遊びにきてくれて、集客も結構良かったんですよ。そこからMETROで毎週木曜にイベントをするようになりました。で、現groovisions、当時京都工業繊維大学の先生だった伊藤弘さんにVJとして入ってもらって、「サウンド・インポッシブル」というチーム名で毎週木曜にイベントを始めるんです。まだPCが高価で今ほど手軽じゃない時代なのでVJという概念自体がなく、そういう意味では世間の4、5年先をいったイベントだったんですよ。そこでPizzicato Fiveの小西康陽さんやテイ・トウワさんをゲストに招いて、彼らが僕らを面白がってくれて、徐々に東京とリンクし始めます。
――どういうところが面白いと言っていましたか?
彼らに「レコード・バッグの中身見せて」と言われて見せると、「これはすごい! 」となるんです。例えばピエロ・ピッチオーニというイタリアの映画音楽家の盤を見て、小西さんが「これを持っている人はテイ・トウワくん以外に知らない」と言ったんですけど、同じものが僕ら3人のレコード・バッグにそれぞれ入ってたんですよね(笑)。
――そういうのを、どういう方法で入手していたんですか?
普通にレコード屋さんですよ。関西には敵がいなかったんでしょうね。ほとんど独占市場で安くていいものをたくさん集められたんです。そこから小西さんやテイ・トウワさんと交流していく中で、だんだん欲が出て来たんですよね。DJだけじゃなく自分で音楽も作り始めて、それが94年かな。そこからFantastic Plastic Machineという名前で活動を始めます。94年の終わりに小西さんとコンピレーションを作って、その後デモを作って小西さんに渡したのが95年。それを小西さんが気に入ってくださって、Pizzicato Fiveのアルバム『ロマンティーク96』の中に1曲、「ジェット機のハウス」という曲をFPM名義で入れてもらえたんです。さらにPLASTICS「good」のカヴァーのアレンジを任せて、歌は野宮マキさん、ギターには立花ハジメさんが入って、元々大好きな曲にこんな風に携われて、しかもPizzicato Fiveのアルバムでリリースされるなんて、感無量でした。
――その頃はまだ京都でしたか?
96年に仕事を辞めて上京、97年に小西さんのレーベルからアルバムをリリースします。けれどそれより前の95年、小西さんやテイ・トウワさんがヨーロッパ・ツアーの最中で色んな人に「京都に面白いDJがいる」と話し回っていてくれたおかげで、ドイツからル・ハモンド・インフェルノ、イギリスからカミスキー・エクスペリエンス、アムステルダムからイージー・チューンが遊びに来てくれて、京都にいながらにしてヨーロッパの主要人物に会えたんです。そこでル・ハモンド・インフェルノが僕らのことを大いに気に入って「自分たちもレーベルを始めるから、そこから作品を出そう」と言ってくれて、変な話、日本デビュー前から海外への伝手があったんですよね。
――プロデューサー、リミキサーとしての仕事を始めたのはいつ頃ですか?
FPMを始めてほどなく東芝EMIのカリンというアーティストの曲を作って、ヨーロッパの方では結構ヒットしたみたいです。でもアレンジの仕事としてはさきほど話したようにPizzicato Fiveで始めていたんで、デビューより先なんです。リミックスの仕事を最初にもちかけてくれたのはテイ・トウワさんで、björkの「Hyperballad」でした。それはちょっとアレンジでお手伝いしただけでテイ・トウワさん名義なんですけど、最初からbjörkをリミックスしたり、Pizzicato Fiveをアレンジしたり、日本デビューする前から海外デビューが決まっていたり、自分でも何が何だかわからないうちに面白いように転がり始めていたんですよね。
――その時はもう音楽一本で仕事していましたか?
いや、まだ音楽だけでは食えていなかったので、雑誌の編集の仕事も続けていました。マガジンハウスの「BRUTUS」や、宝島社の「smart」には「男性誌にもっとエロいグラビア・ページが必要だ」と企画を持ち込んだり(笑)。それが人気企画「ちんかめ」の基になったんですけど。
――おおお、大ヒット企画ですね。
そんな風に他の仕事もしつつ、FPMとして音楽もやりつつ、ファースト・アルバムのヨーロッパ盤もリリースされて、小西さんや当時電気グルーヴのメンバーだった砂原良徳くんと一緒にヨーロッパ・ツアーをして、ヨーロッパ盤を聴いたアメリカのエンペラー・ノートンというレーベルが「アメリカでも出したい」と言ってくれて、またアメリカにも何度もツアーに行き、最終的には、GAPのワールド・キャンペーンのモデルまでやりました。
――それがいつ頃ですか?
同時多発テロが起こった年なので2001年ですね。WTCの上でDJをしたこともありました。そういう縁があって「オースティン・パワーズ」のサントラや「SEX AND THE CITY」の劇中に使われたり、アメリカでは結構認知されていたんですよ。
――日本で90年代に起こった「渋谷系」とは違う場所にいたんですね。
Pizzicato Fiveのレーベルから出したということもあって、日本ではいわゆる「渋谷系」にくくられがちだったんですけど、僕自身そこを意識したことはないです。もちろん小西さんやテイ・トウワさんが紹介してくれたから海外まで広がることができたんですけど、パッと出で注目を集めたもので色んな音楽評論家から「オシャレな音楽を上澄みだけですくっている」など叩かれもしました。でもそれをいちいち弁解するのもナンセンスだと思ってた。僕は京都のニューウェーヴ・シーンでかなりマニアック音楽をやってきたし、EP-4をはじめディープ先輩達に育ててもらった。音楽的な洗礼は東京ではなく京都で、パンクやフリー・ジャズのようなドロドロとした音楽から受けているので、僕が作る音楽はそういうドロドロとした毒っ気の反動から生まれていると思っています。なので、どう思われようとこだわりはなかったです。
――その「毒っ気」は今も意識していますか?
ずっとしてますよ。FPMの音楽に関してはひとつのパンクの成れの果てとして、誤解されるぐらいに「オシャレ」を具現化しようとしています。そもそも何をもってオシャレな音楽とするか、暴力的な音楽とするかはそれぞれの解釈の違いでしかないですし、オシャレな音楽としても一流のものを作っているつもりです。僕の活動全体を見渡した時にヒントとして毒っ気がところどころに埋め込まれている。そういうことに気づいてもらえればいいなと思っています。
――CM音楽家としてもたくさんの作品を手がけていますが、その中でもそれは共通している?
「オシャレなものをお願いしますよ」と言われた時は自分の毒っ気は抑えてオシャレバカのフリをして作ることもあります(笑)。
――クライアントの要望と自分の音楽家としての考えはどのように寄り合わせていますか?
CM業界って特殊で、餅は餅屋じゃないんです。出来上がった音楽の採用、不採用のジャッジをするのは音楽家じゃなく、CM監督、クリエイティヴ・ディレクター、クライアントだったりするんですよね。なのでCM音楽の仕事に関しては大喜利の要領で、出されたお題にみんなが頷くような答えをとんちを効かせて返せばいいと思っています。ただUNIQLOに関しては、比較的クリエイターが直にクリエーションできる現場なんです。
面白がりたいだけなんです
――本作『QLASSIX』ですが、クラシックをベースに使うのはFPMさんのアイディアですか?
そうですね。色んな権利関係をクリアするのがたやすいので。僕の亡くなった親父がすごくクラシックが好きだったんですけど、子供の頃はクラシックの良さなんて全然わからなかったんです。でも今回、自分で選曲することが出来たので色んなクラシック曲を聴いたんですけど、やっぱり長きに渡って愛されているだけあって素晴らしいんですよ。
――前、NHKの「トップランナー」に出演されていた時は「ラジオ体操」をリミックスしていましたよね。小学校の頃から聴いていた曲が徐々にクラブ・ミュージックに変化していくのは見ていてとても面白かったです。
やはり大ネタの方がやりがいがあるんですよ、我々の仕事は。だから今作もなるべくみなさんにとって耳なじみのある有名な曲を選びました。
――今作も「知っているのに知らない曲」という感覚が新鮮で、聴いていて楽しかったです。
クリエイティヴ・ディレクターの田中耕一郎さんはもっとオーセンティックな音楽をイメージしていたかもしれませんが、それだとNHKの放送終了後みたいになってしまうなと(笑)。なので、クラシックを扱いながらも電子音楽、クラブ・ミュージックっぽくして、FPMらしさを加えて行きました。
――最初からFPM名義でリリースする予定でしたか?
「UNIQLO CALENDAR」という名前でも出せたんですけど、あれは映像あっての作品なので。今回は「QLASSIX」というタイトルでFPMの作品としてまとめさせていただきました。
――でもスペルが「C」ではなく「Q」なあたりが…。
意識してますね(笑)。「UNIQLO CALENDAR」の作品としてもダブル・ミーニングになるようにQにしました。
――ミュージシャン、DJ、プロデューサー、リミキサー、CM音楽家と、活動の幅がものすごく広いですが、使っている脳は同じですか? 切り替えていますか?
多少のさじ加減はありますが、使っている脳は同じですね。自分の中から出てくるものを音楽にするタイプのアーティストがいますが、僕の場合はさきほど話したように一種の大喜利として楽しむタイプなんですよ。何かしら投げてもらったものに対してどんなとんちを効かせて返すかを考えるのが好き。向こうが無茶苦茶な球を投げてきても、それはそれで当てに行く。思いっきり大振りするように見せてバントする。色んな戦術はたくさん持っていると思います。
――それに対する、投手の反応は?
分かって頂けない、やり直せと言われることも往々にしてあるんですけどね。でもゲームだと思って楽しんでやっています。
――UNIQLOの他にもファッション・ブランドのパーティーやショーでDJされることも多いですよね。アパレル業界にいた頃の経験はそこで活きますか?
活きていますね。雑誌の編集をしていた頃にファッション・ページを担当していたこともあって、ファッション・ピープルやクリエイティヴ・ディレクターの方々の考えていることは何となく理解できます。あとお恥ずかしい話ですが、つい先日より友人と洋服のブランドを立ち上げたんですよ。こちらも全く同じ脳で作れています。
――そこも同じなんですか? 具体的にはどういう風に?
例えば80年代の秘密結社がミサの時に着るローブにドクロが刺繍されているのを見つける。そのドクロがかっこいいから、サンプリングしてジャケットの背中に、とかね。洋服のアイディアを探している間に音楽のアイディアがひらめくことも、その逆もあります。引用を探してアイディアを考えるように脳が出来ているので、アウトプット先が音楽か服かという感じですね。バンドから始まって、アパレル業界、雑誌の編集者、音楽、再びアパレルの仕事を始めたんですけど、一直線上の思考で動いているので頭を切り替える必要もなければストレスもないです。
――どうすればそういう脳になるんでしょう。
自分が聴きたい音楽がないから作る、着たい服がないなら作る。欲張りなんですよね。自分が何かを面白がりたいだけなんです。だから面白がれるものがある限りはそれを仕事にしていけるし、それがなくなればFPMは終わるんだろうなと思います。でもおかげさまで、次々に面白がれるものが出てくるんですよね。欲深くあり続けることが一番クリエイティヴの源になる。
――面白がられたいのではなく、面白がりたいんですね。
そうですね! 世の中が何を求めているかでは動いていません。
――では最後に、音楽、洋服ときて、次はどこに向かいますか?
うーん、次は何をやるかは明言できないんですよね。自分の興味で動いているので、狙って行けないんですよ。あ、僕は食いしん坊なので料理の写真をよくブログやツイッターにアップしてるんですけど、みんなその写真を見て「すごく美味しそうだ」と言ってくれるんですよね。プロのカメラマンさんにも褒められるんですよ! なので、料理写真本を作りたいと思っています(笑)。
――意外なところに来ましたね(笑)。でもそれも雑誌の編集の頃の仕事が活きているんじゃないでしょうか。全部繋がっていますね。
雑誌社にいた頃は嫌々やってたグルメ取材だけど、板についていたんでしょうね。
――ご自分で料理は作られないんですか?
たまにはするんですけど、料理家にまで手を広げるかどうかはわからない(笑)。でも料理もすごくクリエイティヴな作業だと思っています。「こんな楽器をここに入れてみてはどうだろう? 」と「この素材をここに混ぜてみてはどうだろう? 」は感覚としては似てますよね。そういう意味では、これから可能性はありますよね。
――これから音楽のみならず色んな分野でFPMという名前を見れそうですね。とりあえずは料理写真本を楽しみにしています。
はい。ロケハンはもう済んでいるので(笑)。
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FPM × PUERTA DEL SOL present EVERLUST
2011年11月25日(金)@麻布十番WAREHOUSE702
OPEN / START 22:00
RESIDENT DJ : TOMOYUKI TANAKA (FPM)
PERFORMANCE : TAKAHIRO
Guest DJs : LEO CANDYCANE
DJs : TOMOYASU HIRANO (PUERTA DEL SOL) / HATORI (2ATW/ButterflyEffect) / N゜6 / 副島ショーゴ / KYON
VJ : 滝紘平 / AK2
【INFO】
WAREHOUSE702 (03-6230-0343)
https://www.warehouse702.com/
PROFILE
田中知之
FPM
DJ / プロデューサー
1966年7月6日生まれ。京都市出身。
FPM=Fantastic Plastic Machine(ファンタスティック・プラスチック・マシーン)とは田中知之のソロ・プロジェクトである。97年秋、「The Fantastic Plastic Machine」でデビュー。98年秋、2nd アルバム「LUXURY」、翌99年秋MxSg「Take Me To The Disco」をリリース。2枚のアルバムは98年以降ヨーロッパとアメリカでもリリースされ世界中から注目を集める。2000年にはavexへ移籍し、翌年1月にリリースした3rdアルバム「beautiful.」では、中納良恵(EGO-WRAPPIN’)、キリンジ、ハース・マルティネスなどを、 4thアルバム「too」ではインコグニート、VERBAL(m-flo)、山本領平など、5thアルバム「imaginations」では TAHITI80、BENJAMIN DIAMOND、BONNIE PINKをはじめ韓国の注目株CLAZZIQUAI PROJECTらをフィーチャー。6thアルバム「FPM」ではMONKEY MAJIK、DJ YASA、山本モナ、BENJAMIN DIAMOND、KISSOGRAM、清水靖晃らをフィーチャーしている。
メキシコ、スイス、イギリスなどでもアルバム/12インチが発売され、アンダーグラウンドまでもリリースする老舗レーベルJUNIORから「Whistle Song」の12インチリリースも果たし世界中でもヒットを記録した。また、2004年に立ち上げたDJ-MIXシリーズ「Sound Concierge」は、これまでに全11作を発表。いずれも異例のセールスを記録している。 2007年には21世紀以降の音源を集めた2枚組のベストアルバム『FPMB』をavexより発売。2008年にはラーメンズ・小林賢太郎と「SymmetryS(シンメトリーズ)」を結成し、コントとダンスミュージックの融合という新たな試みに挑戦し話題を呼んだ。2009年には avex20周年を記念して、大沢伸一、☆Taku Takahashi(m-flo)と共にプロデューサユニット「ravex(レイベックス)」を結成。安室奈美恵、東方神起、TRFなどをフィーチャーしたアルバム「trax」を発売している。2010年にはあらゆるタイプの音楽をノンストップミックスする、新DJ-MIXシリーズ「VERSUS」を始動。この第1弾作品となる「VERSUS “Japanese Rock VS FPM” selected and non-stop mixed by FPM」では日本語ロックばかりの全22曲をハウスマナーでミックスしている。
プロデューサーとしては、CHARA、RIP SLYME、HALCALIなどを手掛け、リミキサーとしてはFATBOY SLIM、UNICORN、Dragon Ash、東京スカパラダイスオーケストラ、松田聖子、小泉今日子、DJ OZMA、James Brown、Earth,Wind & Fire、YMO、SHEENA & THE ROKKETS、RYUKYUDISKO、土屋アンナ feat. AI、サカナクション、UNICORN、くるりなど、多数の有名アーティストを手がける。
最近の楽曲制作としては、CMではUNIQLOの「UT」、SHIHOが出演している花王の「ビオレふくだけコットン」などがある。また、サッポロ「スリムス(観月ありさ、工藤静香出演)」など、過去にも様々なものを手がけている。その他、世界三大広告賞でそれぞれグランプリを受賞したダンスミュージック時計「UNIQLOCK」、2009年6月より公開している、2ヶ月に1度新曲を披露するブログパーツ「UNIQLO CALENDAR」の楽曲制作、NIKEプロジェクト「NIKE+」への参加、村上隆がルイ・ヴィトンの為に手掛けた短編アニメーション「SUPERFLAT MONOGRAM」(2003年)「SUPERFLAT FIRST LOVE」(2009年)の楽曲制作、さらに人気海外ドラマ「SEX AND THE CITY」にも楽曲提供も行っている。
DJとしては、ジャンルという固定された概念に縛られる事無く、常に独自の視点で独自の音楽を産み出していくスタイルが支持され、海外でも約50都市にてプレイ、さらに国内外のハイブランドによるパーティーのDJとしても活躍している。2000年12月より西麻布YELLOWで隔月開催していたレギュラーパーティ「Grand-Tourisme」が、YELLOWの閉店に伴い2008年6月に終了となるまで、計46回、のべ47000人以上という、クラブイベントとしては驚異的な動員を記録した。
現在では、レギュラーパーティとして奇数月第四金曜日に麻布十番WAREHOUSE702にて「EVERLUST」、大阪onziemeで「Hyper Society」、京都WORLDで「京都大宴会」を不定期開催中。