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中村名人(なかむらめいじん)とは、
本記事では、1.について記述する。
概要
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https://twitter.com/aacto02/status/924460247858610176
1990年代に存在したハワイのトッププレイヤー集団・THP(チーム・ハイ・パフォーマンス)に日本人として初めて加入。
第1期ハイパーヨーヨーのメインプロモーターに抜擢され、第3次ヨーヨーブームを牽引した人物。
第1期ハイパーヨーヨーの展開が終了した後は、いちプレイヤーとしてティーチングやデモ活動に尽力する。
世界タイトルは(現在有効なものを)持っておらず、ヨーヨーマスターの称号もない。
しかし、中村名人以外に「名人」を名乗るものはおらず、この称号は20年以上を経た今も彼専用のものである。
初期の解説ビデオや『超速スピナー』での描かれ方から、当時のプレイヤーからはクールなイメージがある。しかし、コロコロコミックの特集やYouTube動画などでは、ノリがよくひょうきんな性格を見せる。
おふざけが過ぎて後述の変顔騒動になったこともある。
得意なトリック
テレビ番組で鍛えられたこともあってか、特殊な環境下でのトリックが得意である。
派手なパフォーマンスや高難易度なトリックはしないが、笑いを交えたステージパフォーマンスに定評がある。
- スパイダーベイビー
- シュート・ザ・ムーン
- 仮面女子ファンが担いだゴムボートの上でシュート・ザ・ムーン
- テキサスカウボーイ避け
- ドッグバイト
- ロングストリングプレイ
- ループ・ザ・ループ100m走
- ぐるぐるバットをした後でトリック
経歴
ハイパーヨーヨー以前
1984年のコカコーラヨーヨーブーム期にヨーヨーを始め、1994年頃に車雑誌で「ヨメガ・ブレイン」を見たのをきっかけに再開。
その際、同封の案内を元にデモンストレーションを見学に行ったところ、ヨーヨーマスター(現グランドヨーヨーマスター)のデイル・マイヤバーグや、当時11歳だったアレックス・ガルシアと出会う。
その後は友人の田嶋弘と自主練習をしていたが、アレックスにもらった「ヨメガ・レイダー」を分解させてしまったために輸入元のファルホーク(現株式会社モンベル)に問い合わせたところ、プロモーターとしてスカウトを受ける。
その後は会社員をしながら、店頭でファルホークヨーヨーの実演販売をする日々をおくっていた。
この際共に販促を行っていたのがTHPリーダーのアラン・ナガオであり、彼の誘いを受けてプロスピナー試験を受けたところ、合格。日本人初のTHPメンバーとなった。
「中村名人」の名は、この頃テレビ番組に出演したときに自称したものが始まりであるという。
第1期ハイパーヨーヨー黎明期
1997年、第1期ハイパーヨーヨーの展開がスタート。
プロモーション活動はTHPと連携して行われており、中村名人もその一人として参加する。
当時のTHPは2名を除いて全員アメリカ人で、さらにほとんどが未成年だった。
そのため、日本人の大人である中村名人は、メンバーの中で最もスケジュールの自由が利く存在だった。
本販売前に試験的に名人達による実演販売が行われたが、400個ほどあったヨーヨーが見事完売し、彼らのプレイに十分集客力があることが証明された。
本販売後は、ヨーヨー自体の人気と中村名人のキャラクターにより、全国のおもちゃ屋で売り切れが続出する人気ホビーとなったのは言うまでもない。
ハイパーヨーヨーブームの全盛と終息
中村名人のパフォーマンスを掲載した特集記事の反響が大きかったため、以後ほぼ毎号のコロコロコミックのハイパーヨーヨーコーナーに登場し、アドバイスや実演を行っていた。
ブームまっただ中の1997年夏には、THPのハワイ巡業の締めくくりとして、ペンシルベニア州ピッツバーグで行われていた世界大会に出場。中村名人は、飛び入り参加だったにも関わらずマスターズコンパルソリー部門2位という驚異的な成績をたたき出した。
このこともコロコロコミックで取り上げられ、中村名人は名実ともにトップスピナーの仲間入りを果たした。
このころから放送を開始したコロコロコミックと提携したテレビ番組『おはスタ』にもハイパーヨーヨーコーナーが設けられ、毎回中村名人が各トリックの実演とアドバイスを行っていた。
また、ヨーヨー関連の書籍やビデオも多数発売されていたが、そのほぼ全てに中村名人のアドバイスコーナーや実演の写真・映像が含まれていた。
この当時、中村名人はまさにヨーヨー界のカリスマ的存在であり、全国の小学生のヒーローであった。その支持は絶大で、ブーム時はビルメンテナンスの仕事をしながらひっきりなしに舞い込む出演依頼を受け続け、1年で4日しか休みがなかったという。
ドラマ『先生知らないの?』第2話には本人役で出演し、SMAP(当時)の草彅剛と共演。劇中の生徒の前でヨーヨーパフォーマンスを披露するシーンがあった。これは、生徒の中にヨーヨーが趣味という設定の子ども(演・善家尚史:実際に劇中でヨーヨーをプレイする)がいたことも関係していた。
しかし、こうした子供達からの支持は、すでに中村名人の実力を大幅に超えるものだった。
中村名人に憧れてヨーヨーを始めた少年達の成長は異常なまでに速く、目標としていたであろう中村名人をも追い抜いてしまっていたのである。
中村名人を中心として結成されたTHPジャパンにはそうした小中学生が何人も加入していたが、当時のTHPジャパンのパフォーマンスを見た者の中には「小中学生中心のメンバーの中で中村名人がぶっちぎりで下手だった」と語る者もいたという。
1999-2000年に入ってヨーヨーブームは終息に向かい、程なくして第1期ハイパーヨーヨーは展開を終了。中村名人は取り上げられるメディアを失った。
ヨーヨーの競技分野は長谷川貴彦率いるUTYJ(のちのJYYF)に主導権が移ることになったが、中村名人が参加することはなく、これ以降ヨーヨーの表舞台からは遠ざかることになる。
2000年代の中村名人
2001年5月20日から中村名人はヨーヨーのオンラインショップ「Sheepho(シーフォ)」の運営を開始。しかしながら売り上げは芳しくなかったようで、2003年でサイト内コンテンツの日記が更新をストップ。その後Sheephoは人知れず閉鎖されてしまう(SheephoのURLはhttps://www.sheepho.com/だが、2008年頃を最後に404になっている)。
その後も中村名人は、後述の通り細々とヨーヨープレイヤーとしての活動を続けていた。
ヨーヨーファミリー主催の練習会では、彼から直接ヨーヨーを教われる機会もあった。
しかし、プレイヤー以外にはほとんど知られなかったため、ネット上では「中村名人はどこに行ったのか」が定番のネタになっていた。
2008年に2chのニュー速VIP板にて「俺、ヨーヨーの中村名人だけど質問ある?」というスレッドが中村名人を名乗る人物によって立てられた。その後の経歴などが書かれていたが、名人はそのような書き込みの存在自体を知らず、完全にデマであった。
2010年、同じくニュー速VIP板のとあるスレッドにて中村名人の写真が紹介される。バーで撮ったと思しき写真だが、ヨーヨーを片手にふざけて変顔をしており、これだけ見た事情をよく知らないネット民が「中村名人ついに壊れる」と大騒ぎした。
これも中村名人本人から事情が明かされている。これは元THPメンバーのポール・ハンが一時期やっていたブログに掲載されていた写真であった。つまり元チームメイトとの飲みの席で、ちょっとした悪ふざけで撮った写真だったというだけだった。
コロコロコミックで「中村星人」などの妙なコスプレをノリノリで披露したりと、元からおちゃらけた性格であり、別に何かおかしくなったというわけではない。
このように、ヨーヨー界の外からは「落ちぶれた有名人」、中からは「気軽に話せるようになった元トッププレイヤー」という扱いであった。
2010年代
2010年以降、第3期ハイパーヨーヨーの展開があったこともあり、「往年のヒーロー」としてヨーヨー関連のイベントに顔を出す機会が増えてきた。
地区大会や全国大会に行けば(出場こそしていないものの)かなりの確率で中村名人に会うことができる。また、44FESTAやヨドバシカップなど、競技性の薄いコンテストでは、ジャッジを務めることもある。
他のプレイヤーに混じってのティーチング活動も以前より活発になり、その際には昔と同じ浅葱色のポロシャツを着用している。
第3期ハイパーヨーヨーの展開に際し、JYYA公認デモンストレーターに復帰。ハイパーヨーヨーチャンプキャラバンなどのJYYA関連イベントはもとより、児童館や学校などでもヨーヨーの指導に当たっている。
2011年にはシグネイチャーモデル「ヨーヨーモンスター・3Points」も発売している。
2015年には世界大会が日本の秋葉原で行われたが、競技終了後のサプライズイベントにて、中村名人とともにかつてのTHPハワイ/THPジャパンのメンバーが集結し、合同でパフォーマンスが行われ、昔からのプレイヤーを興奮の渦に巻き込んだ。
2014年と2016年には、規定トリック部門ではあるが浜松ヨーヨーコンテストに選手としても参加している。
2020年代
新型コロナウイルスの影響もあり、ヨーヨーショップが動画投稿に力を入れ始めた。
そのため、ゲストとして中村名人が呼ばれる機会も増えている。
そのうち、2020年にYouTubeにてアップロードされた動画により、中村名人のリバイバルブームがにわかに巻き起こった。
2020年の中村名人リバイバルブーム
発端は、2020年5月29日に「ヨーヨーストア リワインド」がアップロードした下記の動画。
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https://twitter.com/rewindyoyo/status/1266314809626071040
名人はハイパーヨーヨーの中核にあたる人物であることと、THPでトリック認定を受けていたことから、ハイパーヨーヨーオフィシャルトリックの認定を受けていなかった。
リワインドが97年版オフィシャルトリック検定をオンラインで開始したのに併せ、中村名人とリワインド渋谷店の企画により名人本人が検定を受ける動画が制作されることになった。なお、本検定はリワインド独自基準であるため、当時の基準とは一部が異なる。
この動画で、中村名人が現在もヨーヨーを続けていることが知られるとともに、(ハイパーレベルまでは)ノーミスでクリアする腕の衰えなさを見せたことがヨーヨー界の内外で話題になり、2020年9月15日時点で100万再生を突破した。
本動画が話題になったことにより、名人の使用機種として知られる「ステルスレイダー」の一部カラーがAmazonから払底したことや、リワインド以外のショップも来客者が増えたことが話題となっている。
2020年8月6日より、公式YouTubeチャンネルを開設した。
10月16日に公開された動画では、ニコニコ大百科本記事の答え合わせもしており、この中で「2008年の2ch書き込みがデマであること」「変顔写真の真相」「日収50万円はデマであること」が改めて明かされた。
「日収50万円」の部分は動画掲載時までに削除されているが、会話内容から推測すると、彼らが見ているのは2020年6月9日更新分より前のリビジョンであると思われる。
『超速スピナー』『燃えろ!スピナー』での中村名人
『超速』では、子供達を見守るよきお兄さん。声優は三木眞一郎。
堂本瞬一の怪我の具合を考慮し、当初THP-Jから外したり、世界大会に向けての合宿でも、あくまで楽しむことを強調したりと、気配りを欠かさない。
『燃えろ!』では、ヨーヨーで不良を撃退したり、「ストリングプレイスパイダーベイビー!」などの珍妙な台詞が目立つが、少年漫画もかくやという熱血キャラになっている。
『超速スピナー』『燃えろ!スピナー』台詞集
以下に『燃えろ!』『超速』での台詞を記す。
現実の本人の台詞ではない。
ごめんよ、僕のファイヤーボール…
『燃えろ!』の台詞。ヨーヨーで不良を撃退した後、本来はこのようにヨーヨーを使うべきではないと前置きした上での心の台詞。すなわち、現実のみならず劇中でも「発言」まではしていない。
現実の中村名人は、2013年に、RABのメンバーにせがまれて発言したことがある(下記動画9:10頃)。
ストリングプレイスパイダーベイビー!
詳細は「スパイダーベイビー」の記事を参照。
ストリングプレイアトミックファイヤー!
「ストリングプレイスパイダーベイビー!」のすぐ下のコマにあるのだが、あまり注目されない。
詳細は「バレルロール」の記事を参照。
ヨーヨーは体の一部だ!
ジャパンチャンピオンカーニバル2回戦は、技の難易度で進む速度が変わる仮想空間のホバーボードで対決する。堂本瞬一VS霧崎マイの対戦カードで、ホバーボードは同着だったのだが、瞬一は寝そべってダブルループをしていたためヨーヨーは先にゴールしていた。これを評して中村名人が言った台詞。
この判定により、瞬一は準決勝へと駒を進めることになる。
遊び気分……、そう悪いコトでもないでしょう。 ヨーヨーは、楽しむためのアイテムなんだし。
世界大会に向けた合宿で、「遊び気分でこのサバイバルを切りぬけられると思っているのか?」という黒岩の台詞に対して。どこまでも若い力と楽しむ姿勢を信じる名人の信念がうかがえる。
ニコニコ動画における中村名人
「下手だな」というコメントが付くことがあるが、現在は技の難易度もヨーヨーの性能も飛躍的に向上しているため、比べるのは酷である。当時は小規模だったとはいえ、世界大会での準優勝を経験しているだけの実力はあった。
また、前述の『燃えろ!スピナー』での台詞がたびたびネタにされており、ニコニコでもそうした動画が多数投稿されている。そうした動画にも「中村名人」タグがつけられていることが多いようである。
その他、ゲームのプレイ動画などでヨーヨーが登場するもの(例えば星のカービィスーパーデラックスのヨーヨーなど)にも「中村名人」タグが付けられることがあるようだ。
大会成績
( )は、タイトルとして認められない部門。
- 1997年
- 2014年
- (浜松ヨーヨーコンテスト 固定軸規定トリック部門 15位)
- 2016年
- (浜松ヨーヨーコンテスト 固定軸規定トリック部門 4位)
フリースタイル部門の出場経験はないため、現在の基準ではタイトル無しとなる。
シグネイチャーモデル
初シグネイチャーモデルの発売は2011年。
他のコロコロホビーでは「ファイターマグナム」や「マスター攻略王スペシャル」などのようにナビゲーター役のシグネイチャーモデルが発売されることが多かったが、ハイパーヨーヨーでは発売されなかった。
その後、2020年以降の中村名人再ブームの影響で、いくつかシグネイチャーモデルが販売されている。
所属
▲は旧所属。
ヨーヨー以外の趣味
ファルホーク時代やハイパーヨーヨー時代は、当時流行していたスノーボードが趣味だった。
スキー場にファルホークの在庫を抱え、スノーボードの傍らヨーヨーを売ったこともあったらしい。
また、ハイパーヨーヨー全盛期にも、年4日しか休みのないスケジュールを縫ってスノーボードに行っていた。
この趣味は、アニメ版『超速スピナー』でも少しだけ描かれている(冒頭のブレインとの出会いがスキーショップになっている)。
もう一つの趣味はバス釣りであり、こちらは現在も継続している。
YouTubeのバス釣り動画に出演しているほか、本人のInstagramにはジム村田(村田基)とのツーショットがアップされるというコロコロファン感涙のファンサービスも見られる。
また、2018年には名人の考案した「100均の電動消しゴムをワカサギ釣りの電動リールにするアタッチメント」がYOYOMAKERより製品化された。
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https://twitter.com/iwatajubilou/status/1015086529717231622
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趣味ではないが、ビルクリーニングの経験からハウスクリーニングや内装にも一家言ある。
例えば、リワインド渋谷店が移転した際には内装を担当している。
関連動画
関連項目
関連Twitter
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