音楽家を輩出
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労音の会員の中から合唱団やオーケストラが各地に生まれた。その多くが労音から独立し、現在は別個の存在として活動。また、友好関係を維持しているケースもある。 1951年、神戸労音合唱団発足、その後1971年神戸フロイデ合唱団と改称。 1955年、「東京労音アンサンブル」結成。芥川也寸志が指揮者になり、翌年「東京労音新交響楽団」を設立。1966年東京労音から独立し、「新交響楽団」となる。 1957年9月、東京労音楽典講座修了生による合唱団を解散した日に「大久保混声合唱団」結成。 1961年1月、新交響吹奏楽団が東京労音の演奏サークルを中心に結成。1966年3月、東京労音より独立。 1962年、大阪労音ジャズオーケストラ結成、1969年6月解散。1970年7月に有志により再結成、復活。 1984年、大阪レイカーズジャズオーケストラと改称。 1960年代の半ばから末にかけて、労音の会員のなかから大阪・名古屋などに労音フォークソング研究会といったサークルが結成され、活動していた。 高石ともやは、1966年9月19日のサンケイホールでの大阪労音フォーク・ソング愛好会のコンサートが初ステージとなり、デビューした。 全日本フォークジャンボリーは、中津川労音事務局長の笠木透や事務局次長の安保洋勝が企画したものだった。 1969年9月23日、岡林信康が東京労音公演を前に失踪する。 同年、高石ともや、「五つの赤い風船」などが労音の例会コンサートを中心にツアーに回っている。
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