夜明けの村とは? わかりやすく解説

夜明けの村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:33 UTC 版)

ケンガンアシュラ」の記事における「夜明けの村」の解説

大正7年開村拳願会唯一の財団法人大規模農場「鎧塚農場」を運営していた大地主「鎧塚実篤(よろいづか・さねあつ)」が、理想郷目指し所有する全ての土地寄贈し興した共同体所在地九州拳願会には農場時代から引き続き所属所有地は200km²超で、そこに400名弱が暮らしている。拳願仕合通算戦績282103敗。企業序列27位。 鎧塚 サーパイン(よろいづか サーパイン) 声 - 檜山修之ドラマCDWebアニメ) 夜明けの村代表闘技者。通称吼える闘魂』。30歳ミャンマー出身。常に歓声かき消すほどの大声叫んでいて、暑苦しい印象与え青年熱血だが意外と話が分かる男。 タイ闘神と言われたガオランと10代ころから因縁があり、彼と闘うことを望んでいるため昔はわざわざ国境越えてまで勝負挑み来ていた。社交的な性格で、ラルマーや鞘香のような財界大物およびその家族とも交友がある。 父や兄も夜明けの村の闘技者で、仕合中に死亡した兄の後を継いで2年前に闘技となった過去持ち、現在は夜明けの村で祖国追われ村の住民自身兄弟とともに生活している。実光には恩義感じており、その関係は良好である。またミャンマーには姓がないため便宜的に実光と同じ名字名乗っている。外国人闘技者の中では在日歴が長い部類で、毎朝納豆食べていることから他の外国人から妙に尊敬されている。ただ侍が今も京都の「エイガムラ」に住んでいると思っていたりとかなり認識ズレているところがある。 使用する格闘技ミャンマーラウェイ。ほとんどガード行わないという武術特性からインファイト猛攻が得意で、相手自身より大柄であってもスタイル崩さない幼少期からの修行骨折繰り返すことにより、異常な程の骨密度太さ兼ね備える殴り合い特化した骨格手に入れている。特に頭蓋骨は兜のごとき異様な骨密度誇り殴った相手の手逆に壊れてしまう。ガオランが今まで唯一KOできなかった相手でもあり、2倍の体重差がある相手渾身の一撃受けても膝をつかないほどの耐久性を持つ。体を丸めた前傾姿勢基本的な構えとし、大きく曝すことになる背骨生半可な攻撃では罅すら入らない頑健さであり、骨格関節硬さ筋肉を一層引き締めることで打撃ダメージ無効化させることができるため、どれだけ的確に攻撃急所加えてもその効果半減してしまう。打撃威力桁違い自身同程度未満体格相手であればガードの上からでも骨に罅を入れられるほど。 トーナメント1回戦では賀露と対決八百長のことは知らず最後まで賀露と全力闘い壮絶な殴り合いの末に勝利する2回戦前に東電や行政の思惑によって夜明けの村の土地発電所開発のため失われようとしていることを知り兄弟達を守るために勝利を誓う。 2回戦では御対戦相手スピード翻弄されながらも自身頑丈さを活かして一発逆転狙ってカウンター大技繰り出していたが、頭突きへのカウンター放たれ慘雷で脳を激しく揺らされ苦境追い込まる。それでも必死に食らいつき、ローキック連発して軸足重傷与え決死覚悟により御驚嘆させたが、2度目慘雷限界迎え遂に倒される仕合後、守れなかったことで失意どん底にあり、ガオランからの励ましにも応じることが出来なかったが、彼の仕合を目にしたことで覚悟固め再起を誓う。 2年後の『ケンガンオメガ』でも闘技者を続けている模様実光意向対抗戦には出場しないが、会場来てガオランに声援を送る。使用武術・ミャンマーラウェイ 別名ビルマ拳法1000年上の歴史を持つミャンマー伝統武術で、脊髄への打撃首相撲からの投げ技認められる等、ムエタイとの共通技術が多いが、素手試合を行うという相違点があり、素手故に効果的なガードをすることが困難なので、殆ど全ての攻撃を防がずに攻め切る。 主な技 ビルマ鉄槌 持ち味である頑丈な頭蓋骨活かした必殺頭突き17仕合中8仕合決まり手となっている技で、相手攻撃誘ってカウンター繰り出すことを得意とする。その威力仕合会場地面に罅を入れるほど。 鎧塚 実光(よろいづか さねみつ) 声 - 佐々木省三 夜明けの村村長東電傘下76歳。現在の拳願会員の中ではかなりの古参で、かつて共に理想追い求めた東電会長である速水のことを「勝ちゃん」と呼ぶ。土地発電所建設により奪われる瀬戸際にあり、初戦突破開発止めるための条件として東電示されたものだったが、1回戦後に契約反故にされ右ブロック突破せざるを得ない状況追い込まれている。クーデター鎮圧後協力強制されていたということで、放免された。 『ケンガンオメガ』では、対抗戦への闘技派遣拒否している。 ネウェンパイン サーパインの兄。故人立ち退き迫られ故郷を救うため日本向かい撤回条件として要求され法外な金額を稼ぐために5年闘技者として戦い続けていたがある仕合の後に死亡、そのころにはすでになくなっていた。実光によれば鬼神のごとき強さだった」とのことで、拳願仕合でも強豪として名を馳せていた。「戦士施し受けない」が口癖高潔な男で、自身苦境雇用主である実光には一切伝えていなかった。 パーパイン サーパイン、ネウェンパインの父親故人かつては昭和の名闘技者』として知られていた。

※この「夜明けの村」の解説は、「ケンガンアシュラ」の解説の一部です。
「夜明けの村」を含む「ケンガンアシュラ」の記事については、「ケンガンアシュラ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「夜明けの村」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


このページでは「ウィキペディア小見出し辞書」から夜明けの村を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から夜明けの村を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から夜明けの村 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「夜明けの村」の関連用語

夜明けの村のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



夜明けの村のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのケンガンアシュラ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS