しつ‐い【失意】
失意 (1917-1921)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 15:28 UTC 版)
「ガブリエレ・ミュンター」の記事における「失意 (1917-1921)」の解説
カンディンスキーが去った後もミュンターはストックホルムで様々なグループ展に参加したが、1917年を失意と孤独のうちに過ごした。彼女は1920年までの間、スカンディナビア半島で暮らした。1918年には絵画作品100点を含む過去最大級の個展がコペンハーゲンで開かれるが、孤独感と経済的困窮が常に彼女を追い詰めていた。1920年初頭に彼女はミュンヘンに戻った。この頃、鬱病が彼女の画業を一時的に妨げていた。制作数は非常に少なくなっていたが、ミュンターはケルン、ミュンヘン、ムルナウにかわるがわる住み、ドイツ各地のグループ展に参加した。1920年以降、カンディンスキーとは代理人を通してコンタクトを持つが、それはミュンヘンに残したカンディンスキーの作品の所有権をはっきりさせるためのものだった。作品の大部分をミュンヘンに残したままロシアへ戻ってしまったカンディンスキーは、それを手元に置くミュンターに全作品の返還を迫ったのである。数年に及ぶ法的係争の末いくつかの大作はカンディンスキーのもとに返されたが、他作品の権利はすべてミュンターに帰属することになった。だがこのときミュンターにとって問題だったのは金銭的補償ではなく、むしろ道義的な罪の償いだった。
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