2014-05-07

「『鯨』は魚じゃないのに魚偏なのはおかしい」という論理

『鯨』という漢字はもともと古来中国から輸入された漢字であり、「京」という文字は「強い、大きい」を意味する。

鯨を哺乳類とは思わず魚だと思ったため魚偏になったのは、今でも少数ながら鯨を魚だと思っている人がいる事を考慮すれば、よく分かる。

でも、現代生物学によって生物が分類されていくうちに、鯨は哺乳類だということがわかった。

魚偏は、主に魚類名前を表す漢字に付けたられる。

なので、魚と間違える人もいる。だから鯨に魚偏をつけるのはおかしい、という論理だが…


俺自信は納得出来ない。

言語」にはある種の合理性必要ない、と、自分は考えているのかもしれない。

「鯨は魚偏だけど魚じゃない」という矛盾も受け入れての「日本語」であり「漢字であるとするのが、常識だ、

と、言われたらさすがに反発したい気持ちが出てくる…

矛盾は受け入れるより、システムをちゃっちゃと直したほうが手っ取り早いのは、そう思う。

なのでこのことが「問題の先送り」に値するのか、と言われる問題もある。


余談だが、捕鯨反対派から「魚偏にしているせいで、日本人は鯨を殺すことに罪悪感が薄い」という意見が出、ては無いにしても、

もし出たならば痛いところをつくイチャモンだとは思う。

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