ABA、NBA
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/22 09:35 UTC 版)
「ルイー・ダンピアー」の記事における「ABA、NBA」の解説
1967年のNBAドラフトで4巡目38位でシンシナティ・ロイヤルズに指名を受けると同時に、ABAドラフトではケンタッキー・カーネルズからも指名を受け、ケンタッキー・カーネルズに入団した。 カーネルズではダレル・キャリアとともにABAにおける最も爆発的なバックコートデュオとなり、2人はABAの最初の3シーズンで共に試合平均20得点以上を挙げ、3ポイントのスペシャリストとしても活躍した。特にダンピアーは3年間で 500の3ポイントを決め、1968-69シーズンには 199本を成功させた。 1969-70シーズンには198、1970-71には103を成功している。最終的にABAキャリアで、794の3ポイントフィールドゴールを成功している。 ABAのすべての歴史の中で試合数 (728),出場時間 (27,770),得点 (13,726),アシスト (4,044)の記録を残した 1970–71シーズンには、57連続でフリースローを成功し、その時点でABAとNBAの記録であった。7度に渡りABAオールスターに選出され1975年には、ダン・イッセル、アーティス・ギルモアらと共にABAチャンピオンを獲得した。1976年のシーズンを最後にABAは消滅し、NBAに吸収され、ダンピアーは4チームがNBAに加入する際のドラフトでサンアントニオ・スパーズに選ばれて入団した。主にジョージ・ガービンらの控えのロールプレーヤーとして活躍し、232試合に出場し平均6.7得点を記録した。引退後には、デンバー・ナゲッツのアシスタントコーチを務めていた。 2015年2月14日、バスケットボール殿堂入りが発表され、公式には9月11日に殿堂入りすることとなった。
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