1981年・1982年
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「10時です じゅんきのはりきり八丁目」の記事における「1981年・1982年」の解説
(出典:) 10:00 - オープニング 10:10 - ふれあいプロムナード 10:35 - おくさまお手並拝見 10:40 - たべたべコーナー (1982年3月まで)10:40 - いきいきライフ (1982年4月から) 10:55 - スポットニュース 11:00 - ごちゃまんプレゼント 事前に告知されたアンケートテーマに沿って応募されたはがきの中からユニークかつ面白いものを採用、その中から選ばれた1名に5000円相当の品物がプレゼントされた。 バラの花束プレゼント 自分だけが持っている、結婚記念日、誕生日などのある記念日の感想をはがきで応募、その中から選ばれた毎日1名にバラの花束がプレゼントされた。 11:15 - 銭天牛の人生占い 11:25 - ミュージックダイアリー 11:50 - 週末の天気・エンディング
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1981年 - 1982年
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「特捜最前線」の記事における「1981年 - 1982年」の解説
1981年3月:第200・201話「ローマ→パリ縦断捜査!」で、番組200回記念作品として初の海外ロケを行った。このころからアクション重視の路線から、刑事たちや事件に関わる人々の心情を深く描いた、いわゆる「人情系」の路線へとシフトしていった。また、この時期には、蒲生警視のシリーズ物(窓際警視シリーズ)、視聴者投稿作品、犯人当てクイズといった企画が登場するようになり、次回予告では五木田武信がリポーターとして顔を出すようになる。 1982年8月:海外ロケ第2弾として、ハワイロケを行った5周年記念作品を放送(第275話・第276話)。 1982年9月:第278話「逮捕・魔の24時間!」で、二谷が初めて監督を担当。 1982年11月:制作サイドと対立したメインライターの長坂秀佳が番組を降板。
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1981年-1982年
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「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン」の記事における「1981年-1982年」の解説
1981年、ハンブルクで活動していたバンドAbwärts、及びパレ・シャウムブルク(英語版)の元メンバーであったF.M.アインハイトがパーカッション担当としてノイバウテンに参加し、最初のアルバム(LP)『コラプス(崩壊)(原題:"Kollaps")』 を発表。荒っぽいパンク・チューンとインダストリアル・ノイズを混ぜ合わせた未知のサウンドを生み出す。金属板や自作楽器といった機材と、様々な電子音が使われていた。F.M.アインハイトが参加していた80年代のライブ・パフォーマンスは、金属板の打ち鳴らしや機材破壊の大音量で伝説と化している。なお、当時の音楽性からノイバウテンはノイズ、インダストリアル・ミュージック(時折パンク)として分類されるが、今日に至るまでブリクサは「我々はプログレッシヴ・ロックをやっている」と主張している。 最初のドイツ・ツアーで、マーク・チュン(Abwärtsの元ベーシスト)が参加。以後このラインナップが10年間続いていくことになる。
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