音楽言語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/21 14:14 UTC 版)
現代音楽界の中で、スメラの音楽に求められる「ツボ」とは何であろうか? もし、彼の作品を1つ2つだけ聞き、現代音楽の正統なパラダイムから彼を評価したならば、彼のことをカメレオンと呼ばざるをえまい。実際、そう呼んだ人もいる。ちなみに、映画やドラマのための音楽で、彼は「新しい役を得」たがり、愛らしい古風なワルツやファンキーなロックも、必要であれば、喜んで書いた。演奏会用の作品であっても、確たる展望が見込めるのであれば、新しいスタイルを用いることに躊躇しなかった。新しい仕事をするたびに、ゼロからスタートした。 実を言うと、彼の音楽言語は、かなり初期の段階から、現代音楽の作曲技法に近かった。たとえば1960年代後半(彼はこの2、3年の間の作品が、自分の作品リストに入らないだろうと思っていたようだが)、アルノルト・シェーンベルクの対位法を研究し、厳格な十二音技法に則った数曲を書いている。さらに、オリヴィエ・メシアンやルチアーノ・ベリオの『シンフォニア』に心酔(ならびに作曲技法も研究)し、『Fughetta and Postlude』、『In memoriam』、『Play for the Wind Instruments』という曲を書いたが、それらは単なるコピーではなく、彼ならではの個性的な作品であった。彼は、さまざまな異なる技法を部分的に使用し、それ以外の部分と対比させようとした(それゆえに彼の作品の幾つかは、皮肉でポストモダン的に見える)。しかし、それでも彼のテクスチュアは全体として筋が通っていて、つまり、部分部分の異なる趣向の複合で、曲を構成しているわけである。 スメラ音楽のこうした巨大な全体像は、一見論争の的になりそうに思える諸要素が、実は、彼のきわめて独特な表現形式であることを示している。とはいえ、基本的なところは何ひとつ変わってはいない。すなわち、音響の感受性、楽譜記号の曖昧さ、総合的な音楽形式の自律的な表現力。 彼がそうした本質的部分を保ち続けたのは、とくに、エレクトロ・アコースティック音楽の分野であり、それは晩年の10年間、ますます顕著になった。1970年代中盤以降、彼が映画音楽の中で電子音楽を使用しだしたのは、文化的なイデオロギーが演奏会での電子楽器の使用を認めなかったのもあるが、当時エストニアには電子音楽のできるスタジオがなかったからでもある(そのような地域に住む作曲家は、録音技術の限られた可能性を試してみたいのだ)。もっともこの状況は1990年代になって改善され、スメラの関心はライヴ・エレクトロニクスに移行する。映画監督たちと多く接する機会のあった作曲家でもあるので、当然マルチメディアにも興味が沸いた。マルチメディアのための作品『Heart Affairs』は、『チェロ協奏曲』や『交響曲第6番』と並んで、彼がその晩年に達成し得た最高の成果と言えよう。 その作品の技術面はあまりにも複雑で、その出発点まで遡れば、鋭い分析精神と結びついた作曲者の想像力の顕著な例、というところになろうか。レポ・スメラは1997年にはじめて心臓の検査をした。彼は自分の心臓の超音波心臓診断図を見、また、その鼓動とリズムを聴き、たちどころに芸術的な「イメージ」を得た! オーディオとビデオ、双方の『Heart Affairs』の素材は、伝説で言われているように作曲家自身の心臓ではなく、健康な人間の心臓を使用している。しかし、できあがった作品は、たった1つの心臓で作られたものとは思えないほど、人間存在の美しさを表現している。
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